はてなキーワード: 先進とは
はるか昔はそこで行われた改革がじょじょに地方に波及していく形だったのだろう
情報伝達の時間差からしても、いろいろな決定が首都がリードする形で行われることになる
それでいて地方の意識は森元首相に代表されるように古さが温存されたまま
(日本の場合は首都民すら思考において地方化しているようにすら思えるが)
民主的ゆえに前に進めない苦しみがある
最近は古代ローマ帝国の滅亡もそのあたりが原因だったんじゃないかと思いはじめた
(意思決定権の首都ローマからのズレ。前線から離れたローマ市民の意識低下など…)
東アジアだと中国は一党独裁、韓国は首都に人口の極端な集中、北朝鮮はその両方で
森会長の話の関連で多く見られるコメントは、女性蔑視だとか国の恥だとかって森さんの発言や彼自身の価値観を批判するものばっかりだけどさ、
実際それほど年齢変わらないうちの田舎の爺さん婆さんは今じゃアウトな差別発言なんか日常的に使ってるし、男尊女卑だってかなり根強く残ってるなと感じるよ。
でも、それをいちいち指摘したり直したりしようとは思わない。だって昔はその価値観が正義だったんだから。「そういう世代だなぁ」としか思わん。たまに先進的な価値観の高齢者を見ると感心するけど、アップデート出来ない人をそこまで詰めても意味なくないか?
批判のなかで入り乱れてるけど、問題の本質はそういう価値観の老人が上に残り続けることと、彼の価値観や発言を誰も咎められない体制でしょ。
失言王とかそういうことじゃなくてさ、老人が上に残り続けることのおかしさについての議論に絞られてほしい。
森さんがすべきことの優先度は、まずその立場から降りることであり、価値観のアップデートは別にそのあと好きにやればいいよ。やらなくてもいいけど。
俺の爺さんが差別発言しててもまあ爺さんだしなとしか思わないけど、爺さんが何らか組織のトップに立つとなったらさすがに止めるし、立たせている組織の体制を批判するわ。
(追記)
「だから辞めろって言ってんじゃん!」的なコメントついてるけど、だから本人に向けて辞めろだのバカだのいくら言っても仕方ないんだって。
批判の矛先は森個人じゃなくて体制であり、そういう社会の空気だよ。気分で会議をまとめるお前らの会社の役員も含めてだよ。
あと老人だから辞めろと言っているわけじゃなくて、ああいう価値観をアップデートできない老人が残っちゃう仕組の問題だって言ってんじゃん。
紀一郎は単なる世襲政治家ではなく、鳩山由紀夫の息子ということでネガティブな印象を持つ人も少なくない。
実際に政界に出ることがニュースになった際にははてなの皆様からもネガティブなコメントが出ていました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/this.kiji.is/648849403032765537
自分は政界進出のニュースを目にしてから日本先進会の動きを観てきましたので個人的な視点を書いてみたいと思います。
彼らはYou Tube、Twitter、noteなどで政策・思想について語ったり、ユーザーとコメントをやりとりし、2020年12月18日には書籍 『「思いやり」と「合理性」の日本へ』を出版して動画やnoteでは伝えきれない内容の補完も行っています。
国民の幸福度を最大化するために合理的な政策を進めるという「最適厚生主義」が思想の根本です。幸福といっても、誰かにとっての幸せは、別の誰かにとっては窮屈になることが起こりうるのが複雑な現代社会なので、細かいレイヤーどうにか上手く判断してやっていく必要があると考えています。
財源についての考えはMMTです。導入する際に気をつけるべき要因が多々あり、れいわ新選組など一部のMMT論の否定も行っています。財政については大事な考えだと思うので、彼らの説明動画を貼っておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=Y2hz3M8av2w
個別の政策については議論を呼ぶものしかなく、例えば「医療従事者の公務員化」、「参議院の廃止」、「労働基準監督署を労働警察に変更」、「マイナンバー(法人にも付与する)をすべての銀行口座、証券口座と紐付け」、「日米安全保障条約の改定」などとんでもないものばかり。
今羅列したのはほんの一部でしかなく、どうやったら議論が深まるのか疑問です。
日本先進会は難しい。著書には「ここの章は難しいので飛ばしても大丈夫です!」みたいな記述が何回かでてきます。自分はそれなりに政治経済に興味があって色々ウォッチしてきたけど、全部を理解するなんて到底無理なことでした。
多くの国民は彼らを理解するのに積極的ではないので、彼らの考えを理解して支持が増えるとは考えにくいです。露出が増えると「医療従事者を公務員化するなんてありえない!」「マイナンバーを口座紐付けとか馬鹿か?」というような発信もたくさんでてきてそれに同調する人もいるでしょう。
少なくとも2,3年で幅広い層から支持を得られることはないと思う。
・目指すべきものと方向性(会社だとビジョンとかミッションとか言われたりするもの)をわかりやすく提示している
・その方向性への拒否感がない(安倍元首相が掲げた「美しい国」は自分にとってまったく魅力的ではない)
・1つ1つのメッセージにロジックがあり、ビジョンとのブレがない
・メッセージの発信に力を入れている
・全然彼らの思い通りいってないんだなと感じる部分があるが、それを改善する姿勢がみられる
日本先進会が最高!という感じではないですが、今選挙があって票をいれるなら彼らだなと考えています。
自分としてはここからが本題なんですが、はてなーの人たちは日本先進会をどう思ってるんですかね。
例えばはてなには枝野さんに地味に期待を寄せている人はいますよね。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/articles/cf5da39eeb8738f01a701c5c9a308d685d9efa04
↑での反応も全体的にすごく悪いものではなかったですし。
これについて、紀一郎氏は『「基本的に現場の国民任せで、うまいこと手柄だけ横取りする」という「怠慢保守」なのです。』と述べています。
https://twitter.com/KHsenshin_kai/status/1354358204361101317
現状、日本先進会に関するエントリーや反応がほとんどありません。
一人で黙々とウォッチするのも楽しいですが、自分本位ではなくみなさんの意見も聞いてみたいです。
お手数をおかけいたしますが、教えていただけると幸いです。
バレキス何周年……?こわ………シングル出してなくてもボーナストラックで歌ってる人も数人いるから20人近いプリンスがバレンタイン♡キッスを歌ってくれている……おそらく毎年カバーが送られてくるであろう国○さゆりさんがどう思っているのか聞きたいところ。
発端としては跡部と手塚のシングル売上対決のご褒美CDとして跡部(というか中の人)が希望してバレキスを歌ったらしいんだけど、次の忍足もノリで出したらあれよあれよと年間行事になるの普通におかしいやろ…… 書いてて気が付いたけどCDシングル売り上げ対決ってヒプマイの投票券対決みたいなものか。ほんと先進的だなテニプリは……。
https://twitter.com/lullymiura/status/1345314807986077696
新型コロナが「有事」ならばやるべき医療体制の組み直しをやらず、平時と有事のあいだのグレーゾーンの質を判断してそれに対応する能力もなく、偽りの解としての竹槍精神的な自粛要請に飛びつく政治を目の前に、日本人が後世振り返るべき参照地点としての現在、緊急事態宣言発出に反対しておきます。
https://twitter.com/lullymiura/status/1250305588149420035
日本政治は他の先進各国より安定しています。ただし、政府は統治を優先し、国民を「よらしむべし」と黙して語らない。その結果、一部の熱狂的な現状否定層によってのみ、物語性が担われてしまう。正直に物事を語らないツケは極度な悲観をのさばらせてしまうことです。
たすけて
アイドルグループ「嵐」が2020年いっぱいで活動を休止する。最後のテレビ歌唱は12月31日の「紅白歌合戦」だろう。
おそらく「紅白」で披露するメドレーにはNHKの「NHK2020ソング」キャンペーンとタイアップしていた「カイト」も含まれるはずだ。
本来ならば7月24日に東京オリンピックが開幕し様々な種目の試合結果に世間が一喜一憂しているはずであった。
嵐が7月29日に発売した「カイト」はオリンピックを初めとするNHKの各所キャンペーンで大々的に使用される意図があったことは明白だ。
また嵐自身の活動休止という事情を踏んで、20年以上に及ぶその活動の総決算、ファンへの忘れ形見として製作陣やリスナーはこの「カイト」を据えてもいた。
そして国家総力を挙げた一大イベントのアンセムと日本のトップアイドルの記念碑を兼ねたこの楽曲をトータルプロデュースし制作したのは、これまた稀代のカリスマとして君臨しているシンガーソングライター米津玄師である。
まあ、ここまでは周知され切った事柄であり別段僕が説明する必要もないのだが、日本という国の2020年という時代を背負うことを予め定められたこの激重プロジェクトに「カイト」はどのように応えようとしたのか僕なりに感想を書き連ねた。
米津は前年にもNHKのタイアップソングとして「パプリカ」の書き下ろしとプロデュースを行っている。
結果として「パプリカ」は2019年を代表するヒットソングとなったが、その一要因として歌唱グループであるFoorinの愛らしさと無邪気なダンスがあげられる。
バズヒットの現代において「パプリカ」も例にもれずそのダンスを真似するムーブメントが起きた。「パプリカ」がEテレで繰り返し流されたことやFoorinメンバーと同年代である小学生が親近感を覚えたことも相まって、運動会の催しとして「パプリカ」のダンスを披露する小学校が続出したことはこのヒットの象徴的出来事であった。
おそらく「カイト」のキャンペーンはこの流れを踏襲していた。「パプリカ」と同じように運動会で使用される想定はもちろんとして、「パプリカ」に親しんだ子どもたちの門出を激励する卒業ソングとしても使われることをNHKサイドは期待していたように見える。
ともすれば「高度な技術を持っていない素人でも合唱や伴奏がそこまで難しくない曲を」という注文が米津側に与えられたはずだ。現に「パプリカ」にせよ「カイト」にせよ歌唱音域は1オクターブ半以内にコンパクトに収まっている。コードもところどころ4和音がでてくるものの実際に演奏すればわかるとおり、転回系を利用すればほとんどコードフォームを変えることない上に指の移動も少なくスムーズな運びとなり難易度の高くない造りになっている。
(そうはいっても「パプリカ」の”晴れた空に種をまこう”のノンダイアトニックコード、「カイト」における”高く飛んでいくカイト”の激しい跳躍やサビでの拍の取り方など、個性的な米津節に我々は始め戸惑うのだが)
また学校教育の場での合唱曲として「カイト」を見たときコーラスワークの絶妙な塩梅は見事。基本ユニゾンだが、要所要所で二宮が3度上、松潤が1オクターブ下を歌っている。嵐はユニゾン主体だが大野がメイン、桜井がラップ、二宮が上ハモ、松潤が下ハモ、相葉がファルセットという役割分担がありアレンジしだいでは主メロとは別フレーズを歌うらしく、このメンバー構成を活かしたようだ。なにより飽きが来ないよう工夫しつつもそれを不特定多数の素人が寄せ集められて歌ったとしても収集がつく程度の複雑さに収めているのがいい。ブルーノマーズプロデュースの「Whenever You Call」ではブルーノ自身も加わりふんだんにコーラスを織り交ぜ比較的高レベルなパフォーマンスを見せていたが、とっつくやすさで比べると格段に「カイト」が勝っていた。
なぜ米津玄師はカイトというモチーフで曲を書いたのか。未来を切り開くポジティブさや成長のイメージとして飛翔体をモチーフに据える曲はあまたとあるがなぜ凧なのか。
同じくNHKのテレビ番組とタイアップしヒットした「地上の星」や「365日の紙飛行機」も飛翔するものから見た世界を歌っている。
これらと「カイト」の大きな違いはカイトは出発地点と着地地点が同一であるということである。
「地上の星」は上空を見渡すことのできる渡り鳥を超人的な視座をもった存在として捉え、それに動乱する世界を切り抜ける道筋を教えてくれと訴える曲である。「365日の紙飛行機」は惰性で飛ぶしかない紙飛行機を世相に揉まれる人の人生に準え愚直に一日一日を丁寧に過ごすことを説いた曲である。どちらも世界は常に変動的なものであり人は同じ環境に居続けられないという前提がありそれを踏まえてリスナーの冒険心を鼓舞する内容なのだ。
対照的に「カイト」におけるカイトは作中では常に同一のものとして描写されているため変化がない。そもそもカイトは糸で繋がれているため自由に飛んでいけない物体である。
さらに面白いのはこのカイトは最初から空に浮かんでいるということだ。”小さな頃に見た”からの冒頭4フレーズは、かつて”憧れた未来”は別世界の一番星の横に鎮座しているようだったとその様をカイトに例えて”ぎゅっと強く握りしめていた糸”というフレーズで夢に邁進していたことを説明している。それが二番に入ると成長した今では”カイト”や”憧れていた未来”は”とても古く小さい姿”で”右ポケット”に忍ばせておく程度のものになってしまったと幻滅に近い感情を吐露する。そして大サビでそれでもこの小さいカイトが嵐のように厳しい世間を生き抜く指標であり心の拠り所であることを告白する。
つまりカイトとは未来に向かって邁進する人間そのものの象徴ではなく彼らの先進の当たる親や先輩といった人々なのである。この曲が巧みなのはカイトを地上から見上げる立場であった主人公もまた今は後進から憧れを背負ったカイトであるという双方向性を示している点だ。
カイトへの郷愁や憧れを語りつつもサビでは”君の夢よ叶えと願う”。大サビに至っては”嵐の中を”からの2フレーズでカイトの先に焦がれた自身の憧れを歌いつつ、続く”悲しみを超えて”からは人々の模範となるカイトの先からの視点に移る。何よりすごいのは憧れを一身に集め自身の悲しみすら超越して前に進んでいけと言った直後に”糸の繋がった先まで”帰ろうと優しく口添えしているところだ。
人は絶えず不安や孤独に苛まれる瀬戸際で生きている。そんなきりきりした思いを汲んで「幼年期に自分を形成した、自分が無邪気でいられた場所や人はカイトの手綱を握る人のように自分の足元にある」「自分がカイトとなってもカイトを揚げる側だった頃の場所はなくならない」と安心感を与える文句を曲のハイライトに持ってくる米津玄師の慈悲深さや度量の広さには舌を巻くし、米津玄師がこの時代に指示される所以を垣間見た気がする。
「パプリカ」と「カイト」には”らるらりら”や”一番星”など共通するワードが散見される。また「パプリカ」出だしのキーはA、「カイト」出だしのキーはEであり下属調の関係となり、DかD#かの違い以外は殆ど同じ調である。サビでは短3度下のメジャーキー、つまり平行調の同主調に移るという同じパターンの転調を両曲とも行っている。
これは「パプリカ」と「カイト」は同じ世界観にあり同じ事象を取り扱っているとみていいのではないだろうか。「パプリカ」も先人から思いを受け取ることや後進に託していくことについて語った曲であり、幼少期のシンボルとしてAやEのキーが設定されそこからの成長として短3度下への転調があると。
そう考えれば「パプリカ」内でミステリアスな”誰か”や”あなた”の存在、また”パプリカ”という言葉の意味も合点がいく。「カイト」の世界に照らし合わせればこの”あなた”は自分たちが進む道を作り上げたこれまでの先人たちや自分たちが歩む先の未来にいる自分自身のことだと見なすことができる。
パプリカとピーマンには明確な違いはない。ただ主観的に派手な色味であることや比較的甘味があること等で区別されている。ピーマンが実像の象徴とすれば、パプリカは子どもが憧れる華やかな夢のようなものなのだ。そしてパプリカの花言葉は「同情」「憐み」「君を忘れない」である。僕の解釈では”パプリカ”もまた子どもや次世代を見守りかつて子どもだった自分に郷愁を寄せる歌である。
よって「パプリカ」はサビにおいて、”花が咲いたら”つまり夢が叶えばその立場で私欲を満たすような「実になる期間」をすっ飛ばして後進育成のために種を蒔くことを誓い、自分の描いた夢が自分が憧れた上の世代に伝わっていてほしいと願っている。
「カイト」が下世代への決意を固める歌であれば「パプリカ」は上世代に向けた誓いを告げている。
「パプリカ」の”会いに行くよ”から始まるCメロは、憧れの先人がいる「カイトの先」の次元まで自分もたどり着いてみせるという宣誓なのだ。そして「パプリカ」の宣誓に対し「カイト」は”君の夢よ叶えと願う”と励ましのアンサーを告げている。
これに加えて5人組の子役集団であるFoorinと、ローティーンから20年以上活動を続ける5人で構成される嵐という、歌い手自身の対比や世代間の違いにも意識して両曲が制作されたとまでいうのははたして考えすぎだろうか。
「カイト」という曲は「パプリカ」の続編であり無邪気に夢を語っていた子どものその後を捉えた曲なのだと思う。荒れ狂う嵐のなかで傷つくことがあっても、かつての空を見上げていた自分のように下から羨望の眼差しを向ける子どものためにメッセージを発信し続ける姿を描写し、「パプリカ」から託された”らるらりら”がしっかり自分たちに届き溢れ出していると返答している。
そしてそんな自分を見守ってくれた親の様な存在や友人や”あなた”が投げかけてくれた思いは不変で誰でもそこに甘えたっていいと働きづめの同世代も励ます。
様々な期待を抱え自分を追い込みながら高みを目指すトップアスリートや人気絶頂のアイドルが抱えるドラマテックな感傷のみならず、信条のもと日々頑張る人々や未来に向かって前進する若者なら誰でも共感できる叙情が「カイト」にはある。
この物語は徳島の実家から独立しニコニコ動画からトップクリエイターへと様々な場面や人々を経ながら飛躍していった米津玄師自身にも当てはまる。
ジャニーズではデビュー以前で持ち歌のないJrメンバーがコンサートやテレビ番組で歌唱する場合披露されるのはもっぱら先輩の曲だ。このレパートリーには今は活動していないグループや退所した者の曲も含まれる。歌い継ぐことをテーマにした「カイト」をジャニーズJrが歌うときそこには確実に嵐のメンバーの幻影が守護霊のように現れる。この先何があろうとジャニーズが存在する限り嵐という存在が薄れていくことはないのだ。
オリンピックというドラマに加えるエッセンスや嵐というアイドルグループのメモリアル的な意味合いをしっかりクリアしながら、普遍的な人間の感情を見事に描写しただけでもとてつもないが、それでもなお米津玄師が作家性は微塵も薄らいでいないことでその才能の大きさを再確認させられた。ただの合唱向けのバラードとして割り切れないエッジがこの曲には確かにあって、そういう細やかなセンスが米津玄師足らしめているのだなと唸ってしまった。そしてそれだけの才能の上に立ちながらこの曲を自分のものにしている嵐のタレント性にも感心してしまった。
・さらに、別姓を選択する理由の一つに「相手方の両親が同じ姓を名乗ることを許さなかった」というものが出てくる。相手方の両親が「選択」するという制度上の盲点が問題となる。
この視点は持ってなかったけれど、言われてみればそうだな。
緊急避妊薬を求める運動を見て、妊娠をされると困るような間柄の男性が緊急避妊薬を強要するというケースは考えてないんだろうなって思うけれど、こういうケースもあるだろうね。
「結婚は勝手にしろ、だが、お前なんか認めないから〇〇の姓は名乗らせない」という親はいるだろうね。
・そのため、別姓を選ぶことが「ババア」「離婚リスクあり」「ワケあり」を示すことになり、夫婦別姓はごく一部に限られるようになる。
これはどうなんだろう。
同姓を選ぶほうが封建的な前時代的思想をしている人たちみたいな扱いを受けて、先進的な人は当然別姓を選ぶよね?という無言の圧力となる感じもする。
今でも専業主婦は女性の一番の人気"職業"だと思うけど、経済的な圧と社会的な圧に負けてそれを選択できない女性が多々いるのも知ってるからね。
今時はほぼ自動的にだれもが職業婦人になり、専業主婦は強い意志と実行力で勝ち取るものになったと思うよ。
・制度が始まってから5年後の国勢調査で、夫婦同姓と別姓の夫婦の格差が如実にデータで示される。世帯収入・結婚継続率・出生率すべてで同姓夫婦が上回るという結果が出てしまい、夫婦別姓は「負け組」のレッテルを貼られる。
都会のパワーカップルがそれぞれの名前を変えたくないからと別姓を選ぶシナリオは容易に想像できて、世帯収入は別姓のほうが上かもしれない。
結婚して3年もすれば相手のぼろが見えてくるけれど、離婚したら名字が変わるのはその時に踏ん張る力になるだろうからね。
出生率は周囲を見る限り実家のサポートがあるほうが上がる可能性が高いと思う。
夫婦別姓シナリオだと、点数を稼いで保育園に入れ、不足分は保育サービスを利用するという方向だろうね。
夫婦同姓のほうが別姓よりも実家サポートは多そうなので、家族のパワーで解決するか、金で解決するかの違いくらいしかないかもしれない。