はてなキーワード: 仔猫とは
友達に連れられて観に行ったライブで 村岡由太 という青年の唄を聴いた。
ヒョロヒョロの体からは想像できないような、魂の底から絞り出すような歌声だった。
この人すごいな、歌の力ってすごいな、と思った。
それと同時に、強い拒絶反応も感じた。
私の心は私のもので、誰かの悩みや誰かの怒りや誰かの魂の叫びによって揺さぶられたくない。
それはあなたの悩み、あなたの怒り、あなたの魂の叫びであって、私のものではない。
村岡由太クンは悪くない。私が魂の不意打ちに対応できなかっただけ。そんなふうに心を揺さぶってくる人が出演することを知らずに出かけた自分が悪い。
私だって心が揺さぶられる体験はしたいけれど、自分の心を揺さぶるものやタイミングは自分で選びたい。
それは仔猫たちを守る母猫の愛だったり、美しい夕焼けだったり、絵画だったり、もちろん音楽だったりもするわけだけれど、いつ・どこで・何によって心を揺さぶられるかは自分でコントロールしたい。希望し制御された揺さぶられであってほしい。
人々は「全米が泣いた胸を打つストーリー」に殺到するけれど、なんで泣かされるとわかってて観に行くのか。
泣いてしまうほどの心の動揺は、本来、強いストレスのはずである。わざわざお金を払って心に負荷をかける人の気が知れない。私の心が脆弱なのか。
正直、戦争や地震のニュースも見ていられない。苦境にある人々を思うとつらいからだ。子を亡くした親、親を亡くした子、みんな可哀想だ。だめ、むり、ってなってチャンネルを変えてしまう。めげる。
まず鏡を見ようか。
相当な金持ちか人格者でないと取り戻せないハンデがそこにあるだろ?
お前らと同じかそれ以上のクズでも、顔が良い奴は女に養ってもらってるんだよ。
謎のフィルターでイケメンが目に入らないからお前らが知らないだけで。
イケメンは仔猫みたいなもんで、放っては置けないから保護される。
お前らみたいな弱者男性は干からびかけたミミズとか弱ったカメムシみたいなもんで、視界に入るだけで不快なの。
下方婚が避けられてるんじゃなくて、お前らが避けられてんの。
底辺弱者男性にたまたまそういうのが集まってるから下方婚を避けてるように見えるけど、実際はそうじゃないの。
下方婚はすでに存在してるし、それがもっと増えたとして、お前らは選ばれないから。
鏡見たら分かるだろ?
わいも保護猫飼ってるが、そもそも保護猫団体の人達とワイらの猫に対するスタンスが違うんや。
保護猫団体の人たちは、文字通りボランティアやからプライベートと身銭を切って猫を保護してる。
健康で手のかからないアニメに出てくるような猫ならまだしも、例えば多頭飼育崩壊からレスキューされた猫は病気で命が危ない状態も珍しくないから治療する必要がある。当然自腹やし、保険なんぞ入ってないから治療費は人間の比やない。
もっというと猫はアレルギー体質の個体も少なくないし、高齢の猫だと腎臓の病気持ちの場合も多いから、そういう猫には専用の療養食を用意する必要がある。ロイヤルカナンとかで検索してや。
他にも仔猫のことや設備のことなんかを言い出したらキリがないんやが、要は真面目な保護猫団体の活動にはめちゃくちゃ金がかかるんや。
個人的にはボランティアでここまで身銭を切るのはちょっと異常やと思うぐらいや。
そのぐらい金をかけてもいいと思うほど、猫への気持ちが強いのが保護猫団体の人たちなんや。
そういう人の立場になってみると、時間も金も惜しまず保護した猫を譲渡する相手を選ぶ基準がシビアになったり、ある程度画一的な基準でスクリーニングするんは仕方ないと思うで。
わいも脱走対策の柵の設置とか、譲渡時には結構細かいこと言われたんやが、それだけ譲渡後の脱走とかトラブルが多いってことなんやろうな。
確かに、呼吸もままならない危篤状態からやっと回復して元気になった猫が、譲渡先の不注意で不幸に遭ったら保護主としてはたまったもんやないやんな。
同じ単身男性の経験談としては、譲渡会に何度か通って話をしたり、寄付を多めにしたりして信用してもらったのが良かったんかもなあ。相手も会社や行政やなくて人やし。
犬猫の寿命が長くなって介護の話はよく見かけるようになった。老犬ホームとかデイケアの広告も見かける。犬猫常駐の老人ホームあったらいいのにな…
話がズレそうになったのは今から書くことがつらい出来事で批難されるの必至だからだ。でもペットを安楽死させた事例は検索してもなかなか見つからない。ほとんどは「安楽死寸前だったのが…」という介護譚だ。
もちろん安易に「飼えなくなったので安楽死させてください」はダメだと増田も思う。でも長年連れ添ってきたペット、家族の一員としか言いようのない存在が「回復見込みのない状態で恐怖と苦痛でしかない検査・治療を受け続ける」事態を止められるのも家族だけだ。
うちには20歳オーバーの猫がいた。元野良。ガリガリの子猫を「このままだと死んじゃうから」と押し付けられた。仔猫用ミルクや良質のペットフードのおかげで強健に育ち18歳くらいまでは病気知らず。ここ2年は甲状腺の病気で投薬(朝晩)と自宅点滴(週2)と血液検査(月1)をしてきた。
気が強い猫だからあらゆる手段で薬を拒否するのをこちらもあらゆる手段で飲ませにかかり、最近は粉にした錠剤をオブラートに包み無理矢理顎を開けさせて放り込み飲み下すまで顎を押さえつける方式になっていた。それでもやっぱり薬がイヤな猫は飲み込んだあとも涎垂らしたり、意志の力でゲロしたり毎日バトルだった。人間なら100歳近い婆ちゃんに悪いと思いつつ、薬を飲まなければつらくなるのだから、と拝むような気持ちで続けていた。
昨日の朝6時頃、へんな音で目覚めた。誰かがパイプを引っ掻いているみたいに音。見に行くと猫がえづいていた。なんか喉に詰まったものを吐き出そうと必死に空咳をしては後ずさる。口を開けたまま肩で息をしている。猫飼いなら誰でも知っているが猫の口呼吸はマジやばい。配偶者によると夜寝た時はふつうで明け方頃急にこうなったという。
かかりつけの獣医は9時半開院。ちょっと待てないのでネットで検索して24時間救急に連れて行った。(この時点で7時半)。猫の検査結果やいつもの薬も持って行った。獣医によるとX線だと詰まっているものは見えない。食道が異常に拡張している。胃まで空気でパンパンで呼吸が入らない。応急措置として鼻からチューブで空気を抜く、水分補給の点滴をして酸素室で回復を待つことに。
このあと院長?らしき先生と今後について話た。おそらく誤嚥性肺炎。高齢なので麻酔や手術はできない。酸素飽和度が低いので酸素室から出せない。誤嚥を避けるために強制給餌後15分立位にさせないといけない、等々。もし全てがうまくいけば2-3日で好転、そうでなければ長期入院。ケアが大変なので1日5-6万円プラス検査、薬代かかる、と。
金額にもビックリしたけど(ここは24時間な分高額なのは有名なので)うちの猫がずっと酸素室やケージに入れ続けられるのが耐えられなかった。(しょうがないけど)犬も一緒でワンワン吠えているし知らない人ばかり。さっき見せてもらったら酸素室の中でパニック起こしてまんまるな目をして苦しいのに逃げようとペットシーツを掘ったり歩き回っていた。猫にとっては急に戦場に連れてこられたようなものだろう。
「ウチに連れて帰れませんか…」せめて家で看取ってやりたい。「酸素室から出せない状態では帰宅を許可できない。車の中で死ぬほど苦しむから。それなら家族が来て安楽死させる方がまだ…」
安楽死。
先に口に出したのは院長?の方だった。コトバには魔力がある。思えばあの時心が決まったのかもしれない。
家に帰り配偶者と相談した。神経質な、いわゆる「幻の猫」で配偶者と自分にしか甘えない猫だった。あの猫のことは獣医よりも自分たちがよく知っている。「20年も頑張ってくれたのだから、もうこれ以上つらい状態から解放してやろう」それが結論だった。6歳とかあるいは10歳なら、投薬やケージレストを嫌がらない猫だったら別の結論もあったのかもしれない。でもただ症状がすこし緩和するために何日も入院し、帰宅できたとしても酸素室に強制給餌の日々で安らかに過ごせるとは思えなかったから。
午後の面会時間に配偶者と赴いた。若い女の先生は「朝からだいぶ回復して歩き回ってますよ!」「CTとったら詰まっているものがわかるかも」と積極治療を勧める。でも酸素室の中の猫は瞳孔が開ききった状態でゼェハァしていた。獣医が歩き回る、というのはパニックしているから。ニャアと鳴きました、というのは威嚇しているから。見ていて胸が張り裂けそうだった。ごめん、こんな辛い思いをさせてごめん。もうこれはうちの◯◯じゃない、酸素室で無理やり生かされている怯えた獣だ。(すべての猫がそうだという訳ではありません、あくまでもその時感じた事なのでご容赦を)
配偶者が女医さんと話した結果、安楽死を認めてもらった。酸素室から出して抱っこさせてもらった。処置台の上で寝ている姿を見ればやはりうちの猫。20年間一緒に過ごした唯一無二の猫。外だとほとんど呼吸ができなくてぐったりしているところに、足につけた点滴から薬剤を注入する。いいですね、と念押しされたので頷いた。薬が回るに連れて凝り固まっていた身体が柔らかくなった。もう一つの薬剤を入れる。静かに、まるで熟睡しているみたいな猫の心音を聴き、瞳孔を調べて女医さんは「亡くなりました」と言った。
今まで自宅で看取った猫たちは死ぬ直前もがいたり、すごい唸り声を発したりしたのでこんなに静かな往生ははじめてだった。明け方に誤嚥?してからはじめて安らかな姿になった。
獣医の中でも安楽死はやりません、という人が多い(かかりつけ医もそっち)。この病院も「回復が見込めない、著しい苦痛がある等の場合」が原則な中、安楽死措置をしてくれた事を感謝する。まだ生きられたかもしれない【いのち】を奪った!という批判は飼い主の自分たちが負う。
(追記)誤嚥性肺炎はあくまでも仮の診断。レントゲンに映らなかったので何がどこに詰まったかを確認するにはCT必要。麻酔かけられないからうまくCTとれるか保証ない。仮に気管に詰まっていたとして気管支鏡手術のためには設備のある病院に転院必要とのことだった。
東京在住30代前半独女。好きなものはネコチャン。宝物はネコチャン。三度の飯よりネコチャン。
仕事で病んで休職中、徒歩15分の保護猫カフェにネコチャンはいた。
人にも猫にも懐っこいサビ柄の女の子。ザ・仔猫の時期は過ぎていたけど、1歳未満だったはず。 保護猫だから正式な年齢誕生日がわからないのが寂しい。
遊び道具やごはんを他の猫に取られても怒らないし、構ってほしいときは隣にちょこんと座って、撫でてくれるのを静かに待っている。かなり健気で控えめな子だった。
人の膝に乗るのが大好きで、何度も通っているうちに、他の客の膝に乗っていると嫉妬めいた気持ちを感じるようになった。キャバクラの女の子に独占欲を抱くおじさんの構図だった。
思い切り甘やかしたい。大事にしたい。ひたすらかわいがりたい。
そうしてネコチャンの里親になることを決めた。申込から審査をクリアしてペット可の家に引っ越し、トイレやらキャリーバックやらの備品を揃え、「猫を迎えるまでに準備すること」みたいなサイトを片っ端から読み倒し、あっという間にネコチャンは我が家にやってきた。
適応力が高い子だとは聞いていたけれど、家について30秒ほどでいわゆるクン活を終え、ベッドの真ん中にごろり寝転がったのは恐れ入った。豪傑。いや逆にそんな簡単チェックで大丈夫なのか。
で、7年が経ち、日々耽溺している。
おそらくわたしが人生で最も多く発した単語はネコチャンにむけた「かわいい」だし、大好き、愛してる、ずっと一緒にいようねも毎日飽きるほど繰り返してる。人間同士なら絶対に重たい。ネコチャンを賞賛する適当な替え歌を口ずさみ、一挙一動の愛らしさに悶絶したり膝から崩れ落ちたりしている。かわいさは1日ごとに記録を塗り替えていて、こんなかわいいネコチャンと暮らせるなんてつくづく幸せ者だなと思う。
その代償ではないけれど、人付き合いは減った。
特に飲みに出かけることがほぼなくなった。
うちのネコチャンは置き餌をあまり食べないというか食欲のムラっけがあるタイプで、留守番中は時が止まったかのように、水も飲まなければトイレにも行かないことが多い。何度か掛かりつけ医に相談したけれど、これは性格らしい。
昼間はグースカ寝ているから良いとして、夜に出掛けるとそのあいだ時を止めてじっと健気にわたしの帰りを待っているのだ。ああもう出掛けてなんかいられない。外泊?もってのほか。夜は家にいるのが大正解。ネコチャンと寄り添って過ごす時間こそ至高。かわいいね、かわいいね、わたしのネコレートちゃん…。(猫+チョコレートの造語。マイスウィート的なノリ)
大げさじゃなく、ネコチャンがいなかったら生きている理由も希望もない。
君は私のすべてではない。だけどいないと全てがダメになる。倖田來未の歌詞マジでそれ。
できることならネコチャンの心臓と連動する時限装置を体内に取り付けたい。何かあったらその1週間後にわたしも爆発できるような。
ほら、今こうして「何かあったら」と書くだけで鼻の奥がつんときた。それくらいわたしはネコチャンに何か起きるのが怖いし、ネコチャンのちょっとした老いや不調を感じ取った瞬間、体の内側にヘドロを塗りたくったように苦しくてたまらなくなる。
超音波検査では異常なしだったけれど、心配で心配で、その日どれだけいいことがあったとしても、ネコチャンが一度吐いてしまえばメンタルは地の底まで落ちる。依存、しんどすぎる。
何度も何度も冷静に考えて、やっぱりネコチャンがいなかったら生きている理由も希望もない。わたしの世界はネコチャンがいるから成立している。
この年齢にしては貯まっているお金はいくつかの保護猫団体に遺贈したいこと、ネコチャンと同じお墓に入りたいことを書いた。
一応、書き方マニュアル?を読みながら書いたけど本当に法的効力があるのかはわからない。でも今はこれでいい。
少しずつ身辺整理も進めたいし、一番の問題はhowの部分だけど、病んで以降まだ服薬中なので、そういうのをうまく使えばいいのかなと思っている。
だらだらと書いたけど、今はまだ仮想の逃げ道。永遠にそんな日が来ないように願って目を瞑っている。
ネコチャン、ずっとずーーーっと元気でいてくれよな。
愛してるよ。
某猫飼いyoutuberに関して「現飼い猫を見捨てて新しい仔猫を飼おうといろんな行動をしてる」みたいに書いてる記事ちらほら見るけど、事実を捻じ曲げたでっちあげじゃん
確かに現猫の入院動画は上がったが命に関わる病気とかじゃなくて健康診断のためのお泊りだし、その前の仔猫の動画は友人の突発的な事情による預かりだし、少なくとも記事で非難するための根拠は全く実在してないんだよ
もちろん裏で何してるかは見てるだけじゃわからないけど、それを見る側が勝手に捏造して叩くのはいくらなんでもおかしい
そもそも自分もその投稿者の動物と関わる姿勢に関して好きになれないところが多々あるから、全体的に嫌う人やチャンネル自体を非難する人がいても変ではないと思う
隣地は週に数回、管理人が訪れる程度。
鉄筋コンクリート造の建物と複数の倉庫があり、建物外でも雨風凌げる場所が多い。
親猫には都合が良さそうだ。
仔猫は3匹いて、遠目にはその様子は可愛らしかったが、アパート住民からしたらやっぱり不都合なことだった。
車に傷がつき、糞の匂いが漂った。
野良猫がアパート敷地内にいれば追い払うし、忌避剤をまいたが、安全地帯と化した隣地があるかぎりどうにもならなかった。
隣地の管理人にも協力してもらって、どこか棲家を変えてもらわなければならない。
いや訴えようとした。
管理人はこちらの話を遮り「対応します」と短く答えて、すぐに去ってしまった。
その冷たさから、隣地の管理人が餌付けをしているのか(なお餌付け現場は見たことない)、対応する気がないのか、そういうふうにしか思えなかった。
それから、特に様子は変わらず、アパート敷地内で見つけては追い払う日々が続いた。
それから、約三週間後。
普通に死んだだけに見えた。
そして、これ以降、猫を見ていない。
あの日、隣地は草刈りとか一斗缶の撤去とか少しだけ掃除がされていた。
相変わらず猫が隠れる場所はたくさんありそうに見えたが、この環境の変化を嫌がって引っ越したのだろうか。
でも考えてしまう。
そこで何が起きていてもわかりようがない。
5年間一緒にいたねこを手放すことになりそうなので、自分の気持ちの整理のためにつらつらと書く。
5年間一緒にいたねこは私がはじめて選んだ家族であるし、人生のパートナーである。
私がこのねこと出会ったのは運命的でもなんでもない、保健所で一緒に暮らすねこを探していたときだ。
当時の私は自堕落的で、アルバイトとして働いてはいるものの、なんの目的もなくただダラダラと呼吸をしていた。働くということがまま苦痛であったし、大きなトラブルはないのに人といることに疲れていて、未来なんてどうでもよかった。死ぬほどでなくとも積極的に生きることもできない、そういった自分が嫌ではあったものの、特に変えるための努力もする気になれなかった。
ふと、自分が猫を飼ってみたかったことを思い出した。昔は無理だったが、今ならそれを実行できる環境にいる。短絡的ではあるが、働くことも人と付き合うことも生きることも、私だけの猫がいればできそうだった。
すぐに保健所に電話をして、引き取れそうな猫はいるか確認をし、年明け後にすぐ猫を見に行った。私の数少ないいいところはすぐ行動に移せることである。
保健所には十数匹の猫がいた。仔猫もいたし、成猫もたくさんいた。
仔猫はきっと他の誰かが選んでくれるだろうと、私は成猫を引き取るつもりでいた。それも誰も引きとらなさそうな猫を。
成猫を探しているというと、職員さんは1番奥のケージを見せてくれた。ハチワレ猫と黒猫の2匹の兄弟が目を丸くしてこちらをみていた。ハチワレの方は怯えていなかったが、黒猫の方はすごかった。私を確認するなりケージの隅へ避難し丸くなり、全神経をこちらに集中させていた。
誰も引きとらなさそうな猫と決めていたが、その様子を見て少し怖気付いた。なにしろ私は猫を飼ったことがないのである。
職員さんにどちらかを引き取ることにしますと伝え、一週間後に迎えに行くことになった。
一週間結構悩んだ。いっそのこと2匹一緒に引き取ろうかとも思った。そうしなかったことは今でも悔やんでいる。
受渡日当日、私はまだ決められずにいた。
もう一度直接みて決めるしかできなかった。
私たち人間の緊張を感じ取ったのか、一週間前はリラックスしていたハチワレも、その日は警戒心をむき出しにしていた。黒猫はそもそも初対面の時から私を警戒していた。
黒猫がキャリーケースに入れられている間、私は飼育に関する誓約書や、外飼いされる猫の悲惨さ等の書類と対峙していた。余談ではあるが、この保健所は非常にいい保健所で、職員さんたちはみんな動物に対して愛情を持っていた。私がカウンターで待っている間、少し離れたところにいた職員さんが業務を止めてさみしそうに、でも本当にうれしそうに、飼い主さんがきまってよかった〜〜よろしくお願いしますと伝えにきてくれた。
少しして、遠くの方からアオ〜〜と悲しげな大声が聞こえはじめ、キャリー片手に職員さんがやってきた。
では、よろしくお願いしますのひと声とともに黒猫の入ったキャリーが渡されて引き渡しが完了した。
大きな黒猫は怒り混じりにずっと鳴いていて、施設内の人たちは物珍しそうに少し笑いながらこちらをみていた。
黒猫は1年ぐらいは慣れないかもと職員さんから伝えられていたが、1月ほどで私に腹を見せ、擦り寄ってきた。
毛はふわふわでの長毛で、声は高く、ずんぐりとした樽のような胴体に、ポンポンのような短い鍵尻尾を持つ大きな黒猫。
食べることがすきで、度々勝手に餌袋を破り思う存分腹を満たした困った黒猫。よく私のお腹や膝の上に乗っては機嫌良く撫でられていた。
本猫の努力もあり、ちょっとしたダイエットに成功した後は歩くたびに伸びたお腹の皮が左右にたゆたゆと揺れる。水のように柔らかい。目が合うと短くンニャと鳴く。寝てる私の気を引きたいときはゆっくりと私の顔に爪を立てる。歩くときは爪を出さず。
前歯がすきっ歯で、獣医さんに相談するまで、自分の不注意で歯を一本無くさせてしまったのかと思っていた。
はじめて黒猫を洗った時、シャワーをかけ続ける張本人である私に、震えながら縋りつくようにして膝に乗り、その日から度々、私がシャワーを浴びている間は心配そうに浴室の外から私を見守ってくれる。目が合うと小さくニャッと短く鳴く。
もう1匹の新猫を迎えた日、大いに不満もストレスも抱えただろうに、一週間後には新入りを舐めてくれた。
その新入りした仔猫は多種多様なアレルギーと喘息を持ち、ご飯に対して気難しかった。
歩くときは爪を出さない大きい猫と、歩くときも爪を出す小さな猫。
視線だけで訴える甘え下手な大きい猫と、鳴いて物事を要求する甘え上手は小さな猫。
どちらも私がそばに行くだけでゴロゴロと喉を鳴らす気前のいい猫。小さな猫は尻尾を震えるほど立たせるので分かりやすい。
車に乗せると怒鳴るように鳴いて不満をぶつける小さな猫。以前はほぼ毎日のようにしていた喘息も、最近は全くといっていいほど出なくなり、落ち着いてきて本当によかった。
間違いなく私の人生は救われたし、大袈裟でもなんでもなく、今の私がいるのもすべてこの猫たちのお陰だ。
たまに、猫の死について考える。そのときは必ず火葬や仏具について泣きながら検索する。それは今から心の準備をしておかないと、駄目だからだと思う。
いつか私は猫たちを看取って、小さな骨を拾い、猫の思い出が残る家で生きていくものだと思っていた。
まわりは、配偶者が猫アレルギーで喘息であるなら猫を手放すのが当然だという。それが極端だといってくれる人もいる。
私は、猫をペットとして飼っていない。家族として接し一緒に生活してきた。
ひとりは、猫に依存すること自体間違っていると言う。自分のことしか考えていない、今が変わるときとも。きっとその通りなんだろう。
猫と別れる選択をした場合、おそらく妹夫婦が猫を預かってくれることになる。
それは逃げだと言われたけど、一軒家でも同じ建物内に猫といたくないと言われたら、私は離婚以外この選択肢しか選べない。選べないことに絶望する。
今までの薄給をほぼすべて猫に関することに費やしてきた。観葉植物も空気清浄機も、Amazon Echoもデジイチも、オイルヒーターも除湿機も。他の人には一見関係ないものも、すべて猫に関係している。
一緒に暮らしてきた猫と完全に人生を絶たれれば、私には働く理由も欲しい未来もほとんどがなくなる。と思っている一方で、人生を救ってくれたこの猫たちと別れたあと、意外と平気で生活できそうな気もする。私はそれが怖い。
配偶者は、私が猫を選んだとしてもだれも責めないと言ってくれる。
かといって、本当に我儘に生きてきた私に怒ることなく辛抱強く優しく誘導してくれる配偶者を捨てることも私にはできない。惚気になるが、この人は少し鈍感なところもあるけど、本当にできた人間で、こんなウジウジとして怒りっぽく自己中心的な私にはもったいないくらい良い人だ。猫も人も、私には本当にどちらかを完全に切り捨てることが怖くてできない。
だからせめて、妹夫婦に一時的に猫を預けるということに今はさせてほしい。この先、絶対にまた一緒に暮らせる時がくるという希望がほしい。気兼ねなく会いに行くことができる人に預け、猫に関する費用を払うことで、私を関わらせてほしい。
猫にも配偶者にもどちらにも誠実でなく、妹夫婦にも負担を強いるという選択を取ろうとしている。猶予はまだある。もしかしたらもっと違う選択をとるかもしれない。
🐈こんばんは。ようこそ。
🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー
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🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー🐈ニャー
人生の伴侶となる以前、私のパートナーは選挙投票には行ったり行かなかったりだったらしいが、一緒に暮らすようになってから私が「投票を棄権するのは良くないよ」と言ったことを聞き入れてくれて、二人でいつも一緒に投票に行っている。投票の帰りには二人でデートして甘い物を食べて帰るのが恒例である。今回は、投票所のそばで日向ぼっこしながら昼寝する野良仔猫や、公園でシャボン玉を追いかけて遊ぶ子供たちを見物した後、カフェテラスでモンブランケーキとカフェラテを食して私たちは帰途についた。もう温かい飲み物が美味しい気候になっていた。
私のパートナーは、どうも政治的なことには関心が無い。パートナー自身の言葉によれば、学生時代の勉強も苦手だったし、大人になってからも政策がどうこうという難しい話はよく分からないとのことである。
一緒に暮らすようになって初めて投票に同行してくれた時、パートナーは「誰に投票すればいい?」と私に質問してきた。私は答えた。
「貴方が、自分で決めないとダメだよ。私が貴方に『誰某に投票して』とは命令もお願いも出来ない、大事なことだから」と。
私には私なりの政治的な考えがあるが、それに同調するように、パートナーに対して(いや、他の誰に対しても)「勉強しろと」言ったり、強制や要望をしたことは一度も無い。私がどの候補者や政党に投票するか/したか、私はパートナーに教えないし、向こうも質問して来ない。
これまでの選挙で、私が共産党やその候補者に投票し続けてきたことをパートナーは知らない。
今回の期日前投票で、私が共産党とその候補者には投票しなかったこともパートナーは知らない。
次回の選挙でも、私がどの候補者や政党に投票するかをパートナーは知らないだろう。もっとも、そんなこと私本人にも予測できはしないのだが。
これからも二人で暮らす限り、一緒に投票に行って、ささやかなデートをして帰ることが出来れば良いと願う。私とパートナーで、互いの自由意志を尊重しながら。