はてなキーワード: ジャンプとは
それも初期や幕間の霊界探偵 浦飯幽助のノリを求めちゃってるわ~~~~。
かぁ~~~~~っ折角っ冨樫先生が帰ってきたのに、ハンタの気分じゃないわ~~~~。
死後強まる念だよ。
呪霊だよ呪霊。
呪力でちゃんとトドメを刺さなかったせいで呪霊になってジャンプ読者を呪ってるとしか言えないね。
かぁ~~~~~~っとんでもねえ「恩返し」があったもんだわ。
これはもう完全に意識してるよね。
アンサーソングも良いところだよ。
それこそ幽☆遊☆白書連載終了から今日までの芥見下々という一読者の物語の終局でしょ。
これぞまさに始まりと終わりのプロローグからの終わりと始まりのプロローグであり、ザ・ライトスタッフのTHE RIGHT STUFFというわけですよ。
いや~~~~~~本当さあ1億部のファンレターとしか言えないような何かだけどさ~~~~~~それでもハンタと入れ替わりでこれかよっていう。
つうか作中で「先生と入れ替わりかと思った」「つーかもういいっしょ」とか言わせてるもんな~~~~。
入れ替わりとかじゃなくて世代交代ですよみたいな感じですかね?
か~~~~~~~~~っそれでやることがハンタ連載再開直前に読者のフィールを霊界探偵編に合わせてくるとか「怨返し」だろコレは~~~~~。
ハンタは今もうバリバリに魔界編みたいな状態なのに、そこで読者が霊界探偵的なのを求めだしたらもうチグハグだろ~~~~~~~。
凄いな~~~~~~~~~師匠を超えたいから正々堂々ではなくバーリトゥードで迎え撃つってことかよ~~~~~~~~~~~~。
芥見下々~~~~~~~~~~~~~やべぇ~~~~~~~~~~~~
なんとなく昔のことを思い出して、もしかしたら同じような思い出を持っている人がいるんじゃないかなと思ったので、ここに書いてみることにした。
中学生だったある日、担任の教諭からクラスに「今日からだるまさんカードというものを始める」と言い渡され、ハサミで画用紙を切り抜いたようなカードを10枚ずつ配布された。それらは呼び名にふさわしくだるまさんの形で、それぞれ、手書きでユーモラスな表情のだるまさんが描かれていた。
このカードは、校則に違反している生徒を発見したときに、その違反行為を指摘した上で、1件につき1枚、発見者が違反者から取り立てることができる、そういうルールだという。たとえば、廊下を走っているのを発見したら1枚、校内でジャンプしているのを見かけたら1枚、大声を出したら1枚、といった風に。ゲームのような感覚で楽しんでいるうちに、校則を守ることができるようになる、という効果を期待してのことなのだという。
カードをすべて失ったときはどうするのか、という質問には、あまりハッキリした回答がもらえなかったと記憶している。カードを失ったとしたら、それは校則をたくさん破った印なのであるから、担任のもとに行き、大いに反省の意を示し、懇願したうえで、やっと再発行を受けられる「かもしれない」くらいの言い方だったはずだ。簡単に再発行されてしまうようでは、本気で校則を守ろうとしなくなるから、カードを簡単に失うわけにはいかないぞ、という意識を持たせたかったのだろう。生徒たちは、なるほど、という顔で、神妙にそのカードを筆箱にしまいこんだ。
こうして「だるまさんカード」の制度が学年中に(全学年ではなかったと思う)敷かれたわけだが、その日から、ちょっとした地獄としかいいようのない風景が展開しはじめた。
気の強い生徒は、すこしでも大声だと思った、廊下を小走りにしていた、といった生徒に、片っ端から「カードをよこせ」と請求した。それほど強気でもない生徒は、はじめは、他人をとがめて罰を与えるような行為をしたくないと感じていたようだが、自分の手持ちが少なくなって不安になりはじめると、おそるおそる、他人の「校則違反」と思われる行動を指摘し、カードを請求した。気の弱い生徒は、ひたすら周りの指摘を恐れながら、身を潜めて学校生活を送った。全体として、じつに簡単に、小さな相互監視社会のようなものができあがってしまった。
軽率に校則違反を繰り返した生徒は当然カードを失っていったが、カードを失ったのは必ずしも明確な違反行為をした生徒だけではない。そもそも「大声」とはどの程度のものか、「走る」とはどの程度のものか、という基準は決められていないし、指摘するのは個人の主観次第である。証人も不要だ。気の弱い生徒は、抗議もせずにカードを失いがちだったし、そうでない者は、今のは違反ではない、と言い返し、ときには言い争いになった。筆者は、あるとき、友人と雑談をしていて、歌舞伎役者はこのようなポーズをするときがあるね、と言いながら、手のひらを前に差し出して、チョンチョン、と跳ねた。すると前方にいた無関係の生徒が「今、ジャンプした」と死んだような目で筆者に指摘した。怒りに腹が煮えるような気持ちで、だまってカードを渡したという記憶がある。
手持ちのカードが0枚になると何が起こるのかわからない、どういう不利益をこうむるのかわからない、という不安があった。再発行のルールが明示されていないのだ。おそるおそる職員室を訪ね、カードをすべて失いました、私は悪い生徒です、どうぞお許しください、とでも言わなくてはならないのだろうか。普段から怒られ慣れている生徒はともかく、他の生徒は、絶対にそんな目にあいたくないと感じていた。実際に再発行を受けた生徒は、そのときのことをあまり語ってくれなかった。
教諭が言い争いを仲裁するときもあったが、学校のすべてにはとても目が届かないから、違反した、しない、という言い争いは尽きることがなかったし、公平な裁定を受けるチャンスなどは当然なかった。皆が疑心暗鬼に陥り、互いを嫌いになっていった。
クラスがあまりに殺伐とした雰囲気になったことに教諭たちが気付いたのか、この制度はひと月くらい(だったかな?)で中止になった。それにしても、地獄はそんなに長い間続いたのだ。このゲームで、少なからず心に傷を負った生徒がいたと思う。もっと長い間続けていたら、いじめによってカードを取り上げられる例や、金銭でカードをやりとりするような例も出てきたかもしれない。それとも、筆者がたまたまそれを知らないだけだろうか。
カードは、手書きでつくった台紙から画用紙にコピーして切り抜いたのだろう。その分、だるまさんには10数種類の微妙な表情の差があった。舌を出してみたり、悲しい顔をしてみたり、といった、ちょっとした遊び心がほどこしてあった。今でも、筆箱のなかでヨレヨレになったそのカードのことを思いだすたびに、実に嫌な気分を思い出すことができる。
誰がこんなことを考え出したのだろう、と思うに、きっと「クラス運営のヒント集」みたいな感じの冊子かつて存在していて、こういうルールのゲームをやらせると効果があるよ、という紹介がされていたのではないだろうか。今の話を読んで、そういえばウチも似たようなことをやっていたぞ、という声がたくさん挙がってきたら、その可能性が高い。どうでしょう。
『ゼルダの伝説 知恵のかりもの』頑張って攻略を見ない方法を私は身に付けて、
今作こそはなにも攻略を見ないで達成するの!ってそんな勢いなの。
でも紹介動画を見てみると、
え?蜘蛛で壁登れんの?って今まで登れなかった高いところの登り方とかを私はこれはネタバレと言ってもいいのか分からないけど、
登った先には何もなかったけれど
達成感はあるわ。
なんかダンジョン意外にもフィールドでこれこうやったら行けるんじゃね?って思って試してみてどんどん踏み入れなかった先に行ける、
このやったー!感は
よくあるじゃない。
ある特殊な武器でしか壊せない特殊なブロックを壊して先に進むとか!
今のゼルダはまだ全然序盤中の序盤で「かりもの」できるものが少ないとて
今ある「かりもの」を駆使して
なんかここ進めて行ってもいいの?って若干の目的地とは違う方向に進んで行っちゃえる感じとか、
もちろん、
未踏の地の敵は強いけれど、
「かりもの」でトライアンドエラーが繰り返せるようなそこに重要視されていて、
やられちゃってもダンジョンの穴に落ちちゃっても、
ほぼと言うか全くのペナルティーは無いのよね。
すごい前のセーブした地点にすごく戻されちゃったとかないの。
その裂け目の中のダンジョンでさえ落下して落っこちてもライフ減らないとか、
いや正解が分からない正攻法があるとしたらどんな方法なのかしら?って
でもその反面、
ここの局面はどう突破したらいいのかしら「かりもの」をどれ使ったらいいの?って
そんで、
困難なところにある「かりもの」を駆使してゲットできる宝物は
その宝箱を中身の嬉しさよりも
宝箱まで到達できた方の喜びが大きくてウケるわ。
もう中身よりもそこまでどうやって到達するか!ってそっちの方が楽しみなのよね。
「ブレスオブザワイルド」のリンクの方はやっぱり力技で斧で木を倒して道なき道を踏破する!って感じもあるけれど、
こっちの方がゼルダはそんなパワーがないので
スマートに考えて解決方法を駆使して「かりもの」で突破するってのが日常茶飯事にあるので、
結構フィールド上でも「かりもの」が大活躍でいろいろとどんな場面でも「かりもの」なのよね結局。
あと
今回は「スムージー作り」があって
私が遊んだ「ブレスオブザワイルド」では最大5種類の食材を手に私は5つ持ってバナナ炒めばかり作っていたけれど、
今回はスムージー2種類の食材でスムージー屋さんに作ってもらうのよ。
魔物の角でまさかスムージーできんの?って思ったらできるんかーい!ってモザイクのかかった見てくれのそんなに良くなさそうなスムージーができちゃうのよ。
ひんやりサボテンのひんやりスムージーはなんかめちゃ砂漠で飲んだら美味しそう!って思っちゃったし、
地味にゼルダが砂漠にいると汗かいてる演出がキャラクターになってるので、
なんかちょっとゼルダが気の毒だなって思って早く涼しいところに行きましょうね!って思うぐらいよ。
序盤から剣もあって結局剣で戦うんかーい!って思ったけど
ほぼ剣使うシーンは限られているし、
頼れる仲間は数少ないけれど、
あと基本的にフィールドの敵は「かりもの」を使って倒すんだけど、
「かりもの」を出現させてゼルダが走り回って逃げているのがちょっと面白い風景よ。
あんがい敵の一発の攻撃を喰らったら今の私のゼルダじゃそれでやられちゃうことが多くって、
「かりもの」を出せるだけだして敵を攻撃させるってのも今の私は蜘蛛が強くて使い勝手が良いわ。
今たったこれだけのまだ「かりもの」の数の種類は習得してないけれどこの面白さは楽しくって、
これどうやって突破しよう!?って考えるのが楽しいってのに重要度が置かれているような気がするわ。
これは楽しくって
「ブレスオブザワイルド」は最初買ってから2年間何やって良いか分からなかった私のそのオープンワールドだったけれど、
ピクミンはなんかピクミンを特攻させる際になんか罪悪感悪い将軍みたいな私なっちゃうのかな?って心痛むんだけど、
戦ってくれる「かりもの」の仲間にはそんなピクミンみたいな心が痛むことは無いのよね。
それも結構じゃんじゃん「かりもの」できるような配慮なのかしらね?
マジックポイントって制度で必要MPなものがあってそれで足りなくて「かりもの」できなくなるってこともないし、
とにかくじゃんじゃん「かりもの」を出したり消したりして試行錯誤するのが不思議と楽しくなるのよ。
勿体ないのでじっくりやりたいところではあるけれどね、
うふふ。
ヒーコーだけにしておきました。
まだ冷たいヒーコーでオーケーかしら。
だんだんと温かいモノを欲するようになってきたら秋から冬にかけて感じる季節の変わり目かも知れない。
そんなまだ冷たいヒーコーで朝をキメるわ。
しばらく作り続けているけれど、
だんだんと
多くなりそうね。
そのぐらい朝は涼しくなってきたわ。
とはいえ、
昼間はまだ暑かったりするので
水分補給は
しっかりとね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
エッシャーもジェームズ・ボンドも知らないキッズが相手だったからやたらと評価されただけでしょ。
ページを捲った直後に2ページ見開きで視覚効果がバチバチと目に飛び込んでくるあの体験は、まさに稲妻に打たれたかの如く「俺は今凄いものを読んでいる」と感じさせるものがあったよ。
今、一通りの元ネタを知った状態で読めばそれらは「漫画の絵として上手に落とし込まれたデフォルメ感覚に優れたパロディ」以上でも以下でもない事が分かる。
個性豊かで魅力的に感じたジンガール達はテンプレートを丁寧になぞって拵えられたステレオタイプのヒロイン像達でしかない。
それぞれの街で繰り広げられる物語も基本となる類型をそのままなぞるかのようなものばかり。
子供でも読めるようにと柔らかく煮込まれた王道プロットのカタログに、若干強めのスパイスを加えたような、入門的ダークファンタジーでしかないわけだ。
5歳児~105歳児まで幅広く楽しめるであろうこのバランス感覚はとんでもなく優れていると言えるが、有効範囲を広げるために繰り返された去勢によりこの手の作品が持つべき角が大きく削れてしまっているのは否めない。
小中学生がこの漫画を大興奮で人に薦めるなら微笑ましいが、いい歳をした大人がやたらと評価しているのはインプリンティングによる影響が残り過ぎなのではないかと思ってしまう
期限も切れかけている時期迫るのでゲーム2本交換チケットで交換した
『ゼルダの伝説知恵のかりも』で早速遊んでみたわ。
まだじっくりと30分しか遊んでないけれど、
なので、
充分な楽しさを噛みしめるまでスルメってところまでいかないものの。
人々の声話しかけると
台詞を全部言うんじゃなくって
「ああ!」とか「おお!」とか「やー!」とかって言うなんか私の中のブレスオブザワイルドを思い出して懐かしむと同時に、
一番最初にもらったマップを見てまたこの広い大地のハイラルをあちこち冒険に行くんだわ!って
広くて大変な冒険になるんだなぁって思ったの。
借りたり消したり全消しの方法を学ぶ学園に行って捜査をマスターしたのね。
フィールドでベッドを出して寝る!ってシュールすぎてじわじわくるわ。
あと村人の頭上の上でたらいを「借りもの」して出現させて
ジャンプと同時に出現させて村人の頭の上にタライが落ちてくるような
あと
水を飛び越えるとき、
ふふふ、
私はここベッドを借りものしてきて橋にして渡すのね!って任せて!って思ったけど
もちろんベッドを橋にして渡ることもできたけれど
ここ橋なくても泳いで渡れるじゃん!ってなんかそこもなんて言っていいか分からないけどじわじわ面白いところよ。
ゲーム内容うんうんよりまだ借りものを出現させてその場面に似合わないものをだすとなんか笑っちゃうところまでってところかしら。
私はブレスオブザワイルドしかやったことがなくて前後分からないんだけど
それはともかく、
いろいろなフィールド上に光るモノ「借りれる」ものをゲットして
出したり消したりするのが地味に楽しい感じで、
まだ大冒険!ってところまで進んでいない真夏の大冒険のあのアナウンサーのようには上手くプレイは出来ないけれど
私の大冒険になるのは必至だわ。
出来るだけ私はネタバレ情報を世間のインターネッツの情報は見ないように冒険を繰り返さないといけないので、
今度こそは今度こそは
攻略サイトなど見なくて頑張ってクリア出来るように挑みたいところよ!
でね、
最初のシーンで
どうしても壁が高くて越えられない壁があってこれどうやって突破すんの?って
前やった『ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド』で祠の仕掛けの謎を解くために
高いところから登ってじーっとその祠の仕掛けを30分ぐらい突っ立って眺めて考えているって、
それと同じ状況がもうすでに発生して、
ああ、
これがゼルダっぷりたる所以なのね!ってここのところに回り道して足場を作れば良いんだ!っていきなりの冒頭の出だしの序章でもあるチュートリアル的なシーンでもうこの有様よ。
いまからその苦難をそう!
とりあえず
フィールドでベッド出して寝る!って
そこで寝るんかーい!ってのが笑っちゃうわ。
でもまたハイラルの地に戻ってこられて私は懐かしさを覚えるあの大黒摩季さんのように懐かしい匂いがするスミレの花時計のようにラララなの。
もう今度は絶対攻略はノールックで絶対やんだからね!って思って
とにかく私のこの意気込みを発表しておかないとって思ったしだいなのよ。
また動きがあればお伝えするわね!
うふふ。
みかんの花咲く丘公園前駅の駅前商店街のいつもの喫茶店でモーニングね。
今日は、
な!なんと!アジの開きでした!
珍しいわね。
鯵の開きよ。
美味しくいただきました。
ほんと珍しいこともあるのねって思ったわ。
初鯵かも!
味わって食べたわ。
飲んじゃえーってことで、
飲んだら汗ばんじゃったわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
結果的に出力されたものがそう見えるものであれ、作者のコンセプトはそうではない。
単に
・根は良い奴
・クラスで虐められている
・指摘されるまでそれに気付けない
・言動にクセがある
という要素を何も考えずに混ぜ込んでいったらこんなキャラになっただけだ。
主人公を虐めていた連中の語るいかにも自閉症傾向に向けられるような言葉も、いじめっ子がよく使ってそうな言い訳を思い出しながら並べただけで、その向こう側に生きづらさのステレオタイプを抱えている人間がいることを考えて作られたわけではない。
元増田がHAKUTAKUの主人公を発達障害と決めつけたのは変なクセがある台詞回しによる影響もあるだろうが、これは別に主人公がそういう累計として作られているという訳でもない。
作者なりの小ボケのクオリティがとことん低いから結果として「大人になってから判明する程度の障害がありそうな人」という印象を得ただけだろう。
「人数にして小数点以下の友達」や「福汁引」といった読み手にとってノイズにばかりなるのにおもしろくないただテンポを下げるだけのフレーズを作品に入れ込んで、それを削除もせずにそのまま第一話の原稿に載せている時点で言葉の技術が足りないのだ。
このような作家が生み出すキャラクターの言動は総じて非現実的で違和感が強いのだが、それが時折「現実においても違和感の強い言葉を発しているタイプ≒発達障害タイプ」をモチーフにしているのではという疑念を抱かせることがあるが、大抵の場合は違う。
先に述べたように作者が漫画にとって都合の良い要素を雑に足して生み出したキャラクターに雑な言葉を喋らせた結果でしかない。
雑なのだ。
・放課後限定で初めてアクションゲームを作る主人公に与えるタイムリミットがキャラのドット打ち込みでの3週間という無理のあるスケジューリング
(主人公達のスケジュールについて工数見積等を交えた検討が行われておらずその場の思いつきレベルで行動内容と結果を決定)
・「学祭が近い」という発言が出てきているが全く学祭が近そうでない雰囲気
(セリフで説明するだけで中身が伴っていないスカスカの世界観)
・主人公をパシってた奴らの鼻を明かすはずが単に「ゲーム超面白いね」で終わって全然カタラルシスがないプロット
(大抵の作品が起承転結を綺麗に決める第一話で基本的な設計が出来ていないという絶望)
(上手い漫画家はこういう時に表情一つで主人この感動を描けるわけだが、逆を言えばここまでゴテゴテさせて結局イマイチ伝わってこないというのは相当酷いということである)
・本!! 日!!の異常な読みにくさ
・善人キャラだったはずの主人公が受けるために教師のタバコを皆にバラす
もうね。本当に酷いんすよ。
こんな作品に対してわざわざ元増田が暗い情熱を燃やす必要なんてない。
ジャンプ買ってるなら勿体ないけど毎週読み飛ばせばいいだけだと思う。
バイトに行ったり秋刀魚を食べたりで忙しい増田だけど何に空目したか私には分からないけれどクマサンがサンマに見えた秋の空って一句詠むぐらい私には忙しくバイトや秋刀魚に大忙しなのだから馬高くジャンプして越える秋の空ってまたここでも一句詠んじゃうぐらいな勢いの山脈に向かってヤッホー!って叫ぶわ、もしそうそう空目したら仕方ないわね。
今45歳。子どものころジャンプ全盛期だったが家に金がなく買ってもらえず、父親の書棚にあった藤子不二雄のSF短編集を貴重なマンガとして何度も読んでいた。
その中でも、
人口増による食糧不足から飢えた妻が食費を節約しようと夫を殺して最後に「45億マイナス1、プラス1、プラス1、プラス1…」の不気味なコールで終わる「間引き」、
同じく人口増と高齢化で老人への社会保障が成り立たなくなり、老人である主人公達が社会から切り捨てられ「俺たちの席は、もうどこにも無いのさ」と諦め自嘲して終わる「定年退食」
これらの人口爆発による人類の危機への不安が幼い心に強く染み付いていた。
(他に全面核戦争で人類が絶滅する「ある日…」や「どことなくなんとなく」の怖さも心に染み付いてるが、今回の本題ではないので置いておく)
人口増は避けられない将来で、その危機は必ず訪れる、と思っていた。
それを防ぐためには政府が各個人・各家庭の出産を強権的に管理制限するディストピア社会にならなければ、人類全体が共倒れになるかも、とも。
資源や食料(特に生育コスパの悪い肉食)を多く使う先進国ほど、国民は自ら結婚・生殖しなくなり、出生数が減っているという現状。
人口爆発で一人っ子政策をとっていた中国ですら、今や逆に日本以上の少婚化少子化に悩んでる。こんな未来、35年前に想像できたか?
アフリカなど本当の発展途上国ではいまだに多産だが、医療や衛生環境が悪いため死亡率が高く大人になる数は少ない。(確実な生育が望めないからこそたくさん産んでるのかもしれない)
素晴らしいじゃないか。人類は人口爆発による地球を喰い尽くす危機を、ディストピア社会という不幸を迎えることなく、自主的に解決したんだ。
少子高齢化は一国の経済成長にとっては問題だろうが、地球人類にとっては歓迎すべきじゃないか。
経済力による生活格差を見せつけて「上流の暮らしができなければ子が不幸になるだけだ」と子を思うがゆえの子作り忌避感を感じさせる自由競争資本主義と情報革命、
「育児は金がかかるのに金銭的見返りは無い、限られた金は自分のために使いたい」という社会の維持や国の経済や世間体よりも自分の人生が大事という個人主義の思想が、繁殖本能に勝ったんだ。人類は動物から知的生命体へと進化した。
いや、もしかしたら、今多くの人が「結婚したくない、いい相手がいない(高望み)、別に結婚しなくていいや」と考えてるのは、頭のいい人たちが社会をうまく誘導して大衆をそういう志向にしたのかもね、人類絶滅を避けるために…フフフ…
年取って漫画の類は一才見なくなった
最後まで見てたのはまだジャンプに連載してたころのジョジョかな
会社の昼休みの近所の定食屋ではその日発売の雑誌の争奪戦でジャンプはとにかく人気でいつもお昼前ギリギリか翌日にしか読めなかった
その中でもジョジョは好きだったな
原作と作画両方が強いし、その上で内容もジャンプ向けでありながら他の連載と被ってない。
単純に今のジャンプにハーレムモノも魔法バトルが欠けているのでまず他とかち合わない。
久しぶりの連載で作画の筆が既に間に合わなくなってきてる感じがあるのだけが懸念かな。
とはいえ他の2つに負けることは一生ないと思う。
しのびごとは前作がアメノフルコンビってことで下げていたハードルはなんとか超えてくれたかな。
でもこれで生き残れるほど今のジャンプがスカスカかっていうとそんなことはない。
何が問題って作品として今後の展望が悪い意味で全く見えてないこと。
夜桜みたいに不思議な残り方をするには設定段階の手札が少なすぎるし、単にスニークバトルするならサカモトとかと比較されることになる。
凄い能力を持った裏の人間が学校で密かに~~~はキルアオと被っちゃうしね。
今後の新連載の出来にもよるけど20週~40週なんだろうなあ。
たとえ陽キャでもニヤニヤして作戦を考えるタイプが主人公だと死ぬ確率が大幅に上がる中で、陰キャでブツブツは完全に終わりだよ。
ここまで主人公の造形をミスったら殺して入れ替えでもしない限り無理だけど、それを10週以内にやれるような作品じゃないよね。
つまりこの作品はこのまま読者から「主人公の性格がジャンプ向きじゃねーんだよなあ・・・」と低評価され続けて、10週後の会議で「じゃあ打ち切りね」って宣告されるのを待つだけになってるわけ。
結論から言うとこの3作品の連載レースは開始前の段階、コンセプトを考える時点でもう結論が出てたんだよね。
どうやったら生き残れるかをちゃんと考えて連載を開始したベテランと、それを全く考えずに連載を開始した新人の差が如実に出てる。
勝負はやる前に既に7割終わっていると言うけど、まさかここまで明確に差が出るとは思わんかったよ。
ここまで差がついちゃうとオッズもクソもなくておもしろくない。
強いて言うなら白卓がTOKYO WONDER BOYSみたいに10週打ち切り食らうかどうかぐらいかな。
しのびが30週まで持つかどうかは次の新連載次第だから今の段階でかけても星占いの域を出ないしなあ。
やっぱジャンプの新連載ってのは3作品の中でどれが生き残るのか、どの順番で死ぬのかを当てる三連単が楽しいんであって、個別に死期を予想してもしゃーないんだよねえ。