はてなキーワード: 資本家とは
・化粧ができる、服に金を使える
・娯楽等の傾向を見ても、女性の趣向は貴族の古典に似通い、男性の趣向は平民や労働階級に近い。
つまるところ、アメリカ白人ー黒人、資本家ー労働者の図式に近く、女性ー男性の図式なる。
しかしながら、これらの権力闘争で下位が多数であるにもかかわらず、勝利した事は少ない。おそらく男性の権利向上は難しい。
なぜなら「相手を加害者、自分を被害者にし、闘争によって権利を獲得する」というのは、更なる権利の保護と格差の補強を生み出すからだ。
それでは何が必要か、と言えば、「非合理な女性特有の資本の無価値化」である。昔の日本で言えば、「無意味な階級制度の撤廃」である。つまるところ、
の傾向を無くすのが必要だ。
ツイフェミの言ってる事は、実は一番男性が被害を受けている所である事が多い。
男がそもそも「努力」するのは、外見的資本と、男性の「性」資本が効果を生み出さないからだ。
これらは確かに本能的ではあるが、現在でも血筋というのは価値があるが、あくまで憧れで、あるべきだというものではない。
つまり女というものの価値を、ルッキズム批判、性的モノ化批判、トランスジェンダーの肯定によって地に落とす事ができる。
よくツイフェミはブサイクだとか言われるが、女ブサイクに一番立場が近いのは男である。
結果的に最近の映画は今まで注目されにくかった男性の性的魅力やルッキズムに肯定的な映画や作品が多い。(スパイダーマン もトムホの着替えシーンがあった)
ツイフェミをこのまま暴れさせておけば、勝手に男性の権利は向上していくのだ。
ただツイフェミのトランスジェンダー差別については、反対していくべきだと思う。これは男性の権利を奪うからだ。
つまるところ、「男性の世界は素晴らしく、女性の世界は被害・搾取だ」と
言うなれば、「資本家は決まり事やストレスが多く不自由、労働者は自由で楽しい」と言うことで、自ずと「おろす」事ができる。素晴らしい
1人1フェミニズムと言うくらいにまとまりがなさそうなのかフェミニズムという思想なんだが、国家解体を目指す左翼のノウハウの集大成だと思っている。
なんでそうかと言うと彼らの論理や作戦がかつての左翼たちとそっくり。
例えばよくわからん横文字を並べてだから日本は云々言ったり、よくわからん四字熟語を作ってその図式で考えたり、思想に賛同しない人にはレッテル張って徹底的に弾圧したり、やってる事がそっくりだ。
さて、そんなフェミニズムだが、個人的にはこの思想はバラバラなのではなく、ある一つの軸があるのだと思っている。
それは、歴史は男女の闘争の歴史であり、女性はそれに敗れ、男性の不当な支配に苦しめられている
と言うものだ。
資本家による搾取、とか、そう言うのともろかぶりやんか、俺はよくこう思う。
ただ、今回巧妙なのは、社会的弱者女性を救済している(ことになっている)、と言う点だ。
もう一つ巧妙なのは、思想を体系化しないことでその根源を隠しているところだ。
かつて女性は体力的にも社会的にも弱かった。ここは誰が否定しても仕方がない。
仮に男女が分かれて体力ベースのなんでもいいがトーナメントをしたら決勝トーナメントに残れる女性はいないだろう。予選を勝ち抜く女性はいるだろうがそれも早々に敗退するだろう。
そして専業主婦であるが故に経済的にも弱かったし、女性の仕事は変えのきく単純労働がおおく、給料も安かった。
「この社会は男たちが旨い汁を吸い続けるために仕組んでいる、女たちは不当に支配されている」
男からしたらたまったものではない。家庭に対する全責任との交換によって社会的にコンセンサスの取れた立場であったのにいつのまにか不当な支配者にされている。
そして世界は男と女の闘争と言う単純な対立軸に落とし込まれ、賛成しないものは思想的な弾圧を受け、賛成しても搾取されるだけの存在に成り下がる。
女も男と同様に社会で責任を取れるように改革をしよう、法制度、働き方、人々の考え方云々変えていこう
こう言うことを言ったフェミニストを俺はまだ知らないし、実行してるフェミニストも知らない。
この辺もかつての左翼たちと同じだ。
ひたすらルサンチマンを溜め込み、社会に対する不満を煮詰めていくがちっとも改革しようとしない。もっと言うなら何が問題かなんて誰も明確にしようとしない。そして北欧は男女平等なユートピア!とか言い出す始末だ。
最近のトピックに宇崎ちゃんのポスターがあった。フェミニストが一つ気づかなくてはならないのは、男にも女にも無関心から問題意識を感じる人がいたと言うことだ。積極的にやる人から消極的な人がいたと言うことだ。これはセクハラや痴漢についても言えることだ。
女性が抑圧されている根拠はこう言った性的な認識の不一致につけ込むことでそれっぽく語られているが、その軸は男女の間にではなく、もっとグラデーションのあるものだ。
だが、フェミニズムは男女の対立がその根拠なのでこれを変えることはできないし間違っても直視するわけにはいかない。思想は無謬でなくてはならない。思想に与しないものはなんらかの形で排斥しなくてはならない。
そこで言い出したのが、名誉男性だ。これを初めて見たのは小林よしのりの漫画だけど、この時は女としての意地も思想もなく男に取り入るだらしない奴らと言う意味合いだったが、これがいつの間にかフェミニズムに同意しない女になっていた。
次に、賛同する男だ。これはフェミニストたちの勝利、成果としてアップデートされた男たちと言う称号を得ている。だが、それによって彼らは何か得られたのか?単に搾取されるだけの存在に成り下がってないか?ますます消耗品にされてないか?
興味がないといえば、消費する側だもんねと言われる
反論すれば一足度に差別主義者とレッテルばりされて袋叩きに合う
たしなめようとしても同じだ。
過去の歴史を紐解いてみたところでそんなのは信じない、嘘だ、偽書に踊らされるかわいそうな男にされる。
ここまで書いてわかるかは知らんが、手口が左翼のそれそのまんまなんだよ。
さて、かつての共産主義者たちはすっかり鳴りを潜めた。まだあるはあるようだが日常であまり見る機会はなくなった。が、その思想は社会に根付いた。
世界同時革命なんかもう実は日本では起きてると思っている。言葉的に矛盾してるが。
さらに国民をバラバラな自立した民の集まりにするために目をつけたのがフェミニズムだったと思っている。
だが、そろそろもういいんじゃないかな。今年の後半くらいから急にフェミニストたちはその思想を爪痕として残したままいなくなるか別の分野に引っ越してると思う。
次に来るのはなんだろうか。
社会と国民は分断されている。お上意識を伝統的に持ってることにされてる国民だからここはすでに乗り越えている。
労働組合のあくなき闘争によって雇用者と労働者もバラバラに出来た
男と女もバラバラだ、つまり家庭はバラバラだし、フェミニズムによって女もバラバラに出来た。
個人的には男をバラバラにするんじゃないだろうかと思っている。
要はマスキュリズムだ。フェミニズムと同じことを今度は男に対して行う。
ここで「いや俺は、私はそんなの染まってないぞ?」と思った人らは一度自分たちの行為や言動を客観的に見るといい。自分が思ってるよりもはるかに染まってるから。
マルクスは社会主義よあれと言った、マルキシズムがそこにあった
5日目、何者かがフェミニズムを広めることで男女と女は分断された、家庭は結束が緩んだ、男の家庭感はなかったからだ
6日目、何者かがマスキュリズムを広めることで家庭は決定的に分断された。男女の分断は取り返しがつかなくなり、男も分断された
7日目にあらゆる軸に基づいて完全に自立したように見える人々を見て何者かが満足した。
と言うことなのかもしれない。おー怖い。
だが、一つ誤算があった気がしている。SNSじゃない。あんなのはアカウント作りまくって数の暴力でどうとでもできる。
若者が予想以上に自立してしまい日本を出るようになった事だ。大学から先の課程に進むようになったことだ。
今後社会では国民をいかに国から出さないか、いかにモラトリアムだけ経験させるかに必死になるかもしれない。世の共産主義国家が特に気を使うのは情報だ。
年収上がってストレスは減っても増えないぞ。なぜなら裁量が増えるからだ
年収上がる=ストレスフルは資本家に都合の良い考えなのでポーイした方が良いぞ
ただ年収上がるにつれてオーバーワークになりがちなのは事実よね
仕事よりもプライベートな時間をどんな時も優先すべき(命やインフラを預かる職業は仕方ない)
なぜなら仕事よりもプライベートの関係を築く方がずっと困難かつ大事だからだ
それはそれとして閑職部署/事業所には『自分が何もできない』ことに悲観して鬱になったり突発休することは日常だったよ
趣味とプライベートを楽しみながら、黙々と投資運用してりゃあ良いのにとワイは思いました
世の中は噛み合いませんな
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1460364
なんかこの話、「ポル・ポト(という人物固有名)も知らんのかよ?」という問題に矮小化されてるフシがあるが
すもも君が「俺すげーこと考えた」とドヤ顔している自説と同じよーなことは
すでに別の人物が考えるだけでなく実行してて
という話だろ?
・
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・
以下は余談だが、このすもも君みたいな
「女の権利を制限すれば少子化は解決。俺は男尊女卑ではなく現実主義で言っている(キリッ)」みたいな論者は
そんな世の中は実現可能
ただ
そういう世の中を理想視する連中は、なぜか決まって
そんな筋力中心社会(それゆえ男尊女卑が当たり前)の世の中になれば
という事実にまったく気づかない
・
・
・
現代の女性就労者の圧倒的大多数(非大卒とかFラン大卒を含む)は
加えて
つまり、今の少子化の原因となる女性の就労を生みだしているのは
むしろ左翼フェミニストは資本家・経営者によって進められた女性の雇用促進を
・
・
・
60年前とかと労働時間変わってないの本当になんでなんだ 効率化した分だけ休めばいいじゃん それで回ってたんだから
絶対王政・貴族制の話とかみるとよくこんなクソシステムにみんな付き合ってたなあと思うんだけど、今もみんな資本家の都合で働かされてるわけでたいして変わらんのかもしれんなと時々思う
民間軍事会社を経営する実子が出来なかった老夫婦は、赤子をさらい養子にし、訓練を施して後継者とした。桃太郎と名づけられた赤子は、継承した資本力を活かし、犬・猿・雉を僅かな賃金きびだんごで雇い、鬼を倒して財宝を接収し、名を成した。老夫婦は引退後の生活と身分が保証されたと喜んだ。
だが、桃太郎のみが名声を得、その兵卒であった自分たちが省みられないことに、猿は不満であった。桃太郎が得た財宝に対し、自分たちの取り分があまりに僅かであったことに、犬は不満であった。そんなある日のこと、雉は老夫婦の会話を盗み聞きしてしまい、桃太郎の出生の秘密を知ってしまう。正義感の強い雉は、義憤に駆られた。
雉は、犬と猿をつれて、老夫婦を成敗するのであれば、我々が助太刀すると桃太郎にもちかけた。桃太郎は答えた。なるほど、老夫婦は悪人であり、どうやら自分は被害者だ。しかし老夫婦がその悪事を行わなければ今の自分の地位はなく、さほど恨む気にはなれない。犬は、老夫婦の取り分を山分けできると、付け加えた。桃太郎は答えた。なるほど、老夫婦の富を山分けにすれば大きな利益だ。しかし、悪人とは言え育ての親、親殺しの悪名は避けられない。それを聞いて、猿がけたたましく提案した。ならば犬と雉と私が誘拐犯として老夫婦を誅殺するから、それを見守って欲しい。ただし悪党討伐の栄誉は我々だけのものだ。桃太郎は、じっくり目を瞑って考えたあと、それを了承した。
3匹は、すぐに老夫婦を討ち取った。陰で見守っていた桃太郎は、手勢を引き連れ出てきて刀を抜いた。雇い主に刃を向ける不埒な輩、今すぐここで成敗してくれよう。3匹は話が違うと慌て、老夫婦は誘拐犯だったと申し立てた。桃太郎は、被害者でも無い3匹が、勝手に私刑するのは話がおかしいと否定した。3匹は観念して桃太郎に言った。我々に老夫婦を誅殺させてから、我々を討って財を独占するつもりであったとは、とんだ独占欲の塊よ。桃太郎は涼しげな顔で答えた。資本家は三手先を読んで動く。二手先を読めない労働者風情は、モノ化され、賃金の鉄則に甘んじるべきであった。3匹は浅慮を嘆く間もなく、成敗された。
満面の笑みの桃太郎。ところで、自分はどこからさらわれたのであろうか。体格は、老夫婦どころか人間離れしている。性格は、冷酷な決断を辞さない自覚はある。良心の呵責は無い。犬・猿・雉の最期を思い浮かべると、心躍る。産みの親がどれほどの傑物か、聞き出せなかったのが残念だ。最近ひたいに出来た瘤を触りながら、そう呟いた。
https://anond.hatelabo.jp/20200101232410
はてな村で好まれそうな話題だなとは思って投稿したものの、想定以上に反応があって驚いてます。
酔った勢いで書いたものであるので、文体が一致してなかったり論理が破綻してたり誤字脱字がひどいですね。
結果、説明不足だったり変な文章だったりが原因でいくつかこれは補足しておきたいなと思ったコメントがあるので補足させてください。
解説本を読むことで原典にあたった際の新鮮な驚きが減るのは確かと思います。ネタバレ効果というか。小説系では顕著と思います。
また、解説者の解釈が固定化されるという懸念も確かにあるかと思います。
しかし、私の記憶では「これは私の解釈だが」「多数の説の中で、私が支持するのは」など、
俺の解釈が絶対だという態度で解説してた解説者はいなかったし、異説も提示していることが大半でした。
ここまでやってくれたらあとは受け取る側のリテラシーかなぁ、と思います。
また、100分で名著の解説で実施していることは「あらすじ」+「執筆背景解説(作者の人生の中で著作の占める位置など)」+「解説者の解釈解説」と思っていますが
この内「執筆背景解説」が一番の目玉であり、知識のつながりを作ってくれるところで、この部分は原典だけ読んでも絶対に得られない補助線です。
私は持久スポーツを趣味にしていますが、例えばフルマラソンなら当たって砕けろでもまぁ、レース中の数時間もがき苦しみ、暫く足がまともに動かなくなる覚悟があればゴールは出来るでしょうが、
ウルトラマラソンとか、アイアンマンになると当たって砕けろではまぁ無理で相応の準備がなければ、失敗したという経験を経験値に変えることも出来ずに敗退すると思っています。
特に古い思想書は知的作業としてウルトラマラソン級だと思いますし、かつ何かを求めて読むわけでしょう。
ウルトラマラソンで周りの景色も何も見えないぐらいつらい状態になって、制限時間オーバーで失格になっても兎に角意地になって歩き続ける人がたまにいて、マラソンならそれでもいいかなと思いますけど、
古典を読む場合最後のページにたどり着ければよい、というものではないですよね。
途中の景色を楽しむためには相応の準備というものが必要なのではないかな、よほど読書体力に自身があるのでなければ、背景を知識として持っておくのは良い方にしか働かないのではないか、と私は思います。
100分で名著の一番の強みは「TV番組であること」であり一番の弱みもまた「TV番組であること」であると思っています。
強みとしては、インタラクティブな解説(動く図形とか、アニメとか、俳優の朗読とか)が可能になること
弱みとしては「解説者の準備期間、解説時間に制限がかかること」「番組上では注釈を実質的に挿入できないこと」「月に1冊のペースでしかラインナップを増やせないこと」ですね。
特に月イチのペースでしか増やせないのは大きな制約で、解説本の中で出てきた関連本に解説が欲しくても、100分で名著で解説される可能性は極めて低いと言わざるを得ません。
そういう意味で、名著巡りの入り口にしかならないといえばならないのだと思います。
100分で名著をメインに追いつつ、他にも手を出してみようとは思っています。
私は実は番組はあまり見ていません(3割くらいかな)。毎週火曜日この時間にTVに向かっていることが難しいからです。
理想は両方こなすことだと思いますし、伊集院光さんのリアクションは時々ハッとさせられることもありますが、私はどちらかを取れと言われたら解説本だけ読みます。
番組が「あらすじ」+「執筆背景解説」+「解説者の解釈解説」で割合が2:2:6~1:5:4まで変動するとしたら
解説本は執筆背景解説に一律+3、解説者の解釈解説が一律-2って感じです。
(逆に、あらすじだけ知りたい場合100分で名著は重厚長大で、もっと手軽な選択肢があると思います。)
そりゃ、番組の中で解説にちらっと出てきた著者の友人の来歴とか、著書とか、いちいち全部触れられないですよね。
つまり、私が元投稿で言った「本の解説で繰り返し取り上げられる要素(人名、思想、歴史上の出来事など)があることがわかった」現象は
番組を見るより解説本を読んだときのほうが顕著に起こると思われます。
なので、もし元投稿を見て「知識がつながるって面白そう」という点に興味を持っていただけたなら、解説本の方をメインにされることを私はお勧めします。
頑張って読んだ、という感覚はありませんでした。
おそらく、原典には「頑張らないと読めない」ものもたくさんあると思いますが、解説書の段階では頑張らずに済みました。
正直、興味をそそられたかどうかにはレベル差があるので、結局読まない原典もあると思います。
古典名作だと聞いて読んでつまらなかったら被害甚大ですが、水際で食い止めてくれたことになると思います。
読みたくない本、という感覚もなくて、どちらかといえば「知らない本は読めない」ですね。
恥ずかしながら「エチカ」だとか「夜と霧」だとか「全体主義の起源」なんて知らずに生きてきたので
まず読みたくないかどうかも解説書読んで判断しようと思ってました。
食わず嫌いよりは、試食コーナーの匂いで避けた、の方がまだマシかなと言う感覚です。
シャワーを使う際には、本はタオルにくるんで蓋に挟んで防水します。
このスタイルで読書して2年位になりますが、多少湿ることはあっても、問題になるほどビシャビシャになったことはないですね。
以前スウェーデンに出向していた友人から聞いた話ですが彼の国では大学とは必ずしも高卒すぐ入るものではなく、
暫く働いてから勉強したいことを見つけて入る人も相当にいるらしいですね。
その彼が聞いた日本との違いを顕著に表しているセリフが「高卒のガキに大学教育はもったいない」「日本人は高校生の時職業決めるんでしょ?すごいね」です。
後者は嫌味なのかな?と言う気がしないでもないですが、前者は今本当に身にしみています。
大学教育をきちんと受け止められる18歳って、そんなに多くないですよね、、、
以下私の勝手な解釈です。見当違いのことを言ってるかもしれないですが、、、
私と趣味が合いそうだなと思ったら、まずは以下をお勧めします。
スペシャル版なのでちょい分厚いですが、これが私の一押しです。
日本の大乗仏教諸派の成り立ちと違いについて、今まで何度か教わったし読んだはずなのですが全く頭に入ってこなかったのがすらすら入ってきました。
読了後は、まるで自動車教習所に通ったあと今まで目にも入らなかった交通標識が急に意味を持ち出したような感じで、街中のお寺から情報を取れるようになりました。
私自身が茶道やってる事が大きいかもしれませんが、日本人が外国人に、英語で日本文化を説明する起点として最高と思いました。
実際、ボストンで友人とあったとき(作者の天心はボストン美術館の東洋部部長です)なんと役に立ったことか、、、
全編、声に出したい日本語だと思いました。言葉がやや古いのですが、原典も薄くて読みやすいです。
維摩さんというレジェンド級のアマチュア(在家信者)がプロ(菩薩軍団)をやり込めまくる話です。
「煩悩は湧くに任せよ、とらわれないことが大事だ」というフレーズがとても頭に残っています。
一番実践しやすい仏教な気がしました。アメリカの方で流行っているzenとかsatoriってこれを目指してるのかな?と思っています。
↓と思った記事
https://aishinbun.com/clm/20181218/1888/
人間は自己愛ゆえに苦しまねばならぬ、というのがメインの本と理解しました。それだけでも納得感あるのですが、
本人的にはキリスト教最高!で異教徒を折伏するために書いた本らしいのに仏教が目指してるところと同じっぽいのが面白くて読んでました。
原典が思いっきり重そうなのですが、いつか読みたい本の一つです。
いろんなことを言ってるわけですが、
私は趣味を持て、幸せになれるぞ?という本だと理解しました。ラッセルさんの趣味の定義とは「~を収集すること」らしいです。つまりスタンプラリーですね。
何かに対して情熱を持ってスタンプラリーしてるうちは人生に飽きない、ということかと思いました。
解説本読破もそのノリでやってやらぁと思ったのを覚えています。
正確には100分で名著シリーズではないのですが、この「一週間で資本論」が成功したので100分で名著が始まったらしいです。
資本家の行動原理が今とぜんぜん変わらず、ギグ・エコノミーとかも19世紀の理論で説明できることに驚きました。
経済を理解するためというよりは自分の身の振り方を考える上で有用だなと思った本です。
リストがほしいというコメントをいただいたのでリスト載せます。
趣味が合いそうだなと思ったら、参考にしてください。
(抜け漏れあったので追加。まだ何冊か忘れてる気がする、、)
・点と線
・かもめ
・人間失格
・斜陽
・三四郎
・こころ
・茶の本
・奥の細道
・昔話と日本人の心
・死者の書
・銀の匙
・世論
・ペスト
・ゴルディアスの結び目
・1984
・苦海浄土
・夜と霧
・野火
・ソラリス
・マクベス
年末年始休みは読書もはかどり、新たに買った原典も既に8冊終わりました。
今のところ、全て期待通りの内容でとても充実した休みになっており今年ずっとこの調子で読み勧めていけたら、、、(無理だろうけど)と思ってます。
どういうふうに仕事の本を差し込んだら、自分の中の読書熱にうまく歩合出来るかを考えるのが今年の課題かな。
動物本とか、読んでて飽きることがあるんですよね。
なお、私が100分de名著を知ったきっかけは単身赴任中の父がずっと見ており、解説本を纏めて実家に持って帰ってきたのがきっかけでした。
私も読み出して以来、お互いの話題の共通点も増え、お互いの読書の幅も広がって、
初めて父と同等の視点で知識交換をできるようになったような気がしており、その点でもこの番組には深く感謝しています。
(私の専門のITのことでは以前から教える立場でしたが、これとはなんとなく異なる現象のような気がしてます。)
良い1年を!