はてなキーワード: 自戒とは
人間って、やっぱり自戒が大事だよね。私も高校卒業して、ゲーセンでバイトやってた時、
15時に起きて、シャワー浴びて、業務開始ギリギリにバイト先着いて、たまに遅刻して、
24時まで働いて、帰りに飲みにいって、なんなら朝帰りになってー・・・
みたいな生活していた時は、どうしてもそこから抜け出すことが出来なかったし、そもそも
抜け出そうとすら思ってなかったかも。
理由はもう忘れたけど、逆ギレしたあげくバイト辞めることになって、ようやく
「これからどうするんだろ」
って考え始めたような。それから、生活を朝方に変えるために、朝から始まるバイトに
替えて、1年かけて生活を朝方に切り替え、そして職安に行って就職した。
あの時、バイトを辞めず、自戒すらもしなかったら、今の自分はないし、そのままダラダラと
堕ちるところまで堕ちてった気がする。
「セーフティーネットが」とか良く言われるけど、実際、セーフティーネットに引っかかる頃には
もう戻れないんだよね。たぶん、セーフティーネットがある位置が間違っているんだと思う。
なんとなくだけどね。
この投稿だけじゃわからんけど、節々に無神経さとプライドの高さを感じるからそういうところ見抜かれて遠慮しとこ…ってなってるんじゃないかと思った
自虐混ぜて謙虚さを演出してるかもしれないけど、その実結構自分に自信あるのでは?私ならもっとモテてもいいはずってチグハグさが悩みなのでは?
「友達は男に求めるレベルが分不相応」「私から見てもありえないレベルの女にも男がいる」みたいな言い方とか気になる(細かい言い回し適当)
子持ちの友達と距離感じてるってのもプライドが邪魔してるってか劣等感起因っぽいよね
悩み相談っぽくもあるけど、自分を改善したいというより「まだ見ぬ相手がなんとかしてほしい」って他責の気配を感じる
試しに入ってみようと思った男性非モテコミュやフェミニスト界隈に対しても、それ上から目線な接し方だと思う
異性でも同性でもいいから誰か一人と腰を据えてつきあって、いいとこ悪いところ真面目に指摘してもらったらちょっと変わるかもね
まぁ頑張ってよ
以下自戒を込めて記す。
https://anond.hatelabo.jp/20230122213215
増田の悩みに対して肉の使用を勧めるアドバイスがあるが、それに対して
と返す。「レギュレーション」の持つ意味合いからブクマカ連はヴィーガンや宗教などの強い思想、規律を想起したようだ。とはいえ肉や魚を原材料にしたコンソメやだしの使用については問題なさそうである。そのことに自分は困惑したのだが、実際、より軽い事情でしかなかった。
これもなぜ大変なのかの説明はない。金銭的なものか、保存期間の制約なのか、工数なのか、その事情は想像するしかない。提示するリンクでも肉の使用を勧めているのにだ。
肉を用意する大変さが何なのかわからないまま言うのは申しわけないが、その大変さは絶対に動せない条件なのだろうか。安くすませたり工数を減らしたり保存期間の長いものを調達したりといった、トレードし得る手段はありえないのだろうか。
例えば以下のような条件があることを先んじて説明しておけば、よりより結果が得られたのではないだろうか。
伊藤忠のエリートビジネスマンが、電車で痴漢して騒がれている件。
やったことは卑劣極まりないし、下衆以外の何者でもないけれど、
なんとなく自分もそうなってしまわないか、という恐怖心がニュースを見たときにあって、完全に責めきれない気持ちもあるような気がする。
30半ばをすぎて、仕事と生活とか人生に慣れると、生きているか死んでいるかわからなくなる時がある。
ドキドキするとか、ワクワクするみたいなイベントが極端になくなって、脳のドーパミンが出てこない感じ。
これからもずっとこの感じが続くのか、と思うと、急に絶望に近い気持ちになる。
あらゆることに慣れていくと、現実感がなくなる時があって、なんかそういう時にどうでもよくなることが、自分はとてもよくある。
若い頃は、お金を稼ぐこととか、何かを買うこととかで満足感を得ていたけれど、割とすぐに刺激に飽きてしまう。
結婚していると恋愛もできないし、伊藤忠の人みたく、子供が三人もいたら自分の時間なんてないだろうし。
自戒を込めて、だけれどそういう人間の生活に飽きた人は、刺激を求めてこういう性犯罪とかに手を染めていって、おかしくなっていくんじゃなかろうか。
生活に満ち足りていくと、脳がドーパミンを欲して、行動様式を変えてしまって突然変な行動してしまうんじゃないかという仮説がある。
ギャンブルとか意味のわからないものだって、刺激を金を出して買うようなものだろう。
お金を出して胸を揉んだら?っていう人もいるのはわかるけど、風俗も結局、飽きるんだよな、同じことの繰り返しで、毎回同じ情けない居た堪れない気持ちになって帰路に着く感じ。
用意されたリアルじゃないものに、人間は刺激を感じられなくなっていく生き物だ。
そのためには、趣味とか、適度にお金を使ったり、自分で何かをつくる(事業を作るとか人を雇うとか)熱中できるものを持っておかないとおかしくなってしまうと思う。
なんとなく伊藤忠の人も風俗は頑張って行ってたけど、リアルに感じられなくなってきて、今回の犯行に至ったんじゃないかってそんな妄想を一人している。
一事が万事、そしてそういう人の逃げ場が二次創作などのポルノコミック
気分で発言してるから時に整合性が取れなくなる事もあるとか、そういう域に無いと思うのよね
単純に認知能力の問題。他人が注意、あるいは本人が自戒してもどうにかなるレベルのやつじゃない
そういう生まれ付きの個性として社会で枠組みを作らなきゃいけないやつ
この世の中から性格が悪い人・努力不足の人なんかいなくなるが、
それがちゃんと受けとめられる程度にはみなさまちゃんと精神的に成熟している?
現時点で自分自身の成熟度がそのレベルに達していない、あるいは今後も達する見込みが無いとしても、
ダイバーシティを実現しようという心づもりってある?
発達特性を持つ女性には独特のモテ要素がある一方でDVやハラスメントの被害的立場に陥りやすいというのは、当事者女性をパートナーに持ち、かつ過去に加害経験のある評者(僕)自身も著書に書いてきたが、姫野のヒアリングによって改めてその背景と分類が見えてきた。
まず、特性持ちの女性が男性に魅力的に映るのは、定型のスケールに収まらない価値観や生き方が時に自由で縛られない爽快感や新奇性を感じさせるものだから。さらに定型基準の社会の中で生きづらさを抱えていることが庇護欲をかきたてるという要素もある。けれど、そうしてパートナーになった後に定型男子側が加害者化するのは、定型サイドが「許せる自由」の中に収まってくれなかったり、定型の押し付ける「当たり前」を理解できなかったり、生きづらさから「定型サイドが思うような回復像」のレールに乗ってくれないから。あらゆる定型基準に生きていない彼女らが、恋愛やパートナーシップの形成についても、モラル、ルール、当たり前に収まらないのは当然のことかもしれないのに……。
定型社会からすると規格外だからモテるのに、規格に収まらないから被害を受けるというのも理不尽だが、問題は多くの場合、定型発達者が自分たちの常識を押し付けるハラスメントが、定型基準の世間的には肯定され、一方的に発達障害女子が悪いとされてしまうことだろう。自戒を込めて、これは多様性を受け容れられない定型パートナー側に大きな問題がある。
正しい恋愛がわからない」ことが、いかに支配欲で女性をコントロールしようという男に利用されやすいか、さらに明らかな被害を被害として認識できないことが、いかにその支配を助長するかもまた、リアルに描き出された。本当にそう感じていいのか、そう思っていいのか、常に手探りで進む彼女らは、悪意で搾取しようとする男にとって、かくもチョロい。
「だめんず好き」で切り捨てられてきた発達障害女性たちの心の声を聞け! 鈴木大介さんが読む『ダメ恋やめられる!? 発達障害女子の愛と性』
私はクトゥルフ神話TRPGをよく遊んでいる。その卓のためにKPやPLに集まってもらう、いわゆる野良卓がほとんどだ。野良だからだよ、タイトルの原因はそれだよと言われたら、固定の身内を集められない己のコミュ障を省みるしかないのだけど。とにかく、そういう趣味がある。
昨今のクトゥルフ神話TRPGは秘匿HOが渡されるタイプのシナリオが多い(と感じる)。だが私が今回舌打ちしたくなったのはそちらではなくて、PLが自分の探索者に積んだセルフ秘匿、いわゆる設定だ。
タイマンシナリオなら、どれだけややこしいPCでも KPはそのキャラシに目を通しているわけだから、ある程度「そういう感じね」と事情を汲んでRPができる。だが2PL以上の複数人シナリオとなれば話が別だ。その設定を積んできたPLとキャラシを確認したKPは呑んで動けるが、そのどちらでもない他PLはめちゃくちゃ困る。どこまでがシナリオに提供された要素なのか、どこまでがシナリオクリアに必要な情報なのか、自分の探索者は相手に近寄っていいのかどうなのかも判断できない。
とか言ってるが、要するに気に食わないのだ。
TRPG、とくにクトゥルフ神話TRPGは協力するゲームだと思う。言い換えれば、どんな結果になったとしても仲良く遊ぶゲームだと私は思っている。
なのに先日、こちらは情報共有しよう、探索者同士が仲良く(少なくともPL同士は朗らかに)なれたらいいなと思って話しかけているのに、「そういう設定積んできている、そういうキャラだから」というだけで冷たくされて、一方的に嫌われたので、クソだった。その設定が開示されたのは卓が終わる間際で、私の探索者には一切の非がなかった(何もしていないのだから当然だ)。要するに、まったく不必要な嫌悪を示されていたのだ。
相手は「そういうキャラだから」の一点張りで、中の人からの「ごめんね私はそんなこと思ってないんだけどコイツも内心はこれこれこうでだからこのように来てくれたら緩和できるはずで」なんてフォローもなかった。「私、こいつ(自探索者)の女だから〜」なんてヘラヘラしてやがった。クソの上塗りである。探索者どうこうではなく、コイツは自分のことしか見てないんだなとまで思った。他人に興味持てないならCoCすんなカス。ひとりでシコシコオナニー型創作でもしてろ。
自分の探索者がお気に入りなのは分かる。誰だってそうだ。自分が作ったキャラなんだから、自分が好きなのは当たり前だ。だからこそ、一緒に遊ぶひとが不快に感じないよう、最低限の作法があるだろう。
それは少なくとも、他の探索者を一方的に嫌う設定を積んでくることじゃないはずだ。もしどうしてもそれがやりたいのなら、事前に他PLに相談するとか、シナリオ的に言えないのならKPにそれとなくフォローを入れてくれるよう頼んだおくとか、探索者からは言えなくてもPLとして共有しておくとか、いろいろやりようはあったはずだ。それをサボった時点で、私は「ああ、コイツ嫌いだな」としか思えないのだ。
オンラインセッションだと実感しづらいが、共に卓を遊んでいるのはNPCではない、生身の人間なのだ。そのPCがどれほど聖人君子だったとしても、中の人は決してそうではないはずである。だとしたら、自分のやりたいことを一方的に好きなだけ押し付けるなんて、よくないことだ。それを受け入れてもらえるようにする努力を欠かしてはいけないはずなのだ。
私はクトゥルフ神話TRPGを仲良く遊ぶゲームだと思っているから、少なくともその卓中では感じた苛立ちを表に出さないようにする。それを感じさせた奴にも話を振るし、積極的に情報共有するし、その探索者が死にかけたら庇いだってする。だけど、それだけだ。そのように振る舞うのが卓の作法だと思っているだけで、中の人を含めてその探索者のことが嫌いになってしまったから、二度目はない。卓終了、即ブロックだ。
そういったことはなるべくしたくないし、されたくもない。そんな自戒の意も込めたタイトルであった。
仲良くなれないセルフ秘匿積むな。
【22日21時再追記】
あの記事を読んで「女性支援事業について、情報公開請求を拒否し、情報を非公開にしろと内閣府に要求」と拡大解釈したツイート主と、
それを本当に行ったかのような論調についてです(それを多数が主張しているように話を盛ったことは自分の明確な誤りでした)
「不必要に黒塗り部分が多い」とか「赤旗の記事が白々しい」というような批判について、理解できないとはどこにも書いていません。
そもそも自分はこの記事で最初からColaboのことを擁護しておらず、むしろ批判的に書いています(そう見えなかったのなら表現力不足です)
繰り返すようですが、共産党や赤旗が事態に正面から向き合っていないことにも失望しています。
そのことを無視したコメントが↓の追記後も見られるので強調しておきます。
元の部分を内容が浅いとかお前こそ曲解と批判されることや、罵詈雑言を浴びせられるのは自業自得なので何も言いません。
【22日19時追記】
読んでもらおうと思って隙だらけかつ大げさに描いた。これはやっちゃダメだった。結果反応が変な方にぶれた。
自分はColabo絡みの騒動で、共産党と赤旗の動きには失望しています。
批判されても仕方がないし、かつて不十分な情報公開を批判したことへの不整合さを指摘されてしかるべきでしょう。
あの記事自体、具体例を示さず指摘されたくないことから目をそらすような白々しい内容といわれるのも当然です。
だからといって、記事で具体的に主張されていないことをさも主張したようにツイートするのはダメでしょう。
その指摘もなく共産党や赤旗批判を繰り出すブコメを複数見かけたことへの憤りでした。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/KogaUjisato/status/1605377470257332224
ツイート主がわざわざ違法アップロードのリスクを冒してまで載せてくれた記事読んだ?
読んだうえで共産党と仁比議員をバッシングしてんなら読解力どうなってんの?
仁比議員は
・当事者・支援者の安全を脅しかねない情報は非公開とされるのが当然
と言っているのに、これをツイート主は
・女性支援事業について、情報公開請求を拒否し、情報を非公開にしろと内閣府に要求
とまとめてるんだよ。
まーーーーーーーーーーーーーーったく理解できない解釈だよね。明らかな曲解だよね?
女性支援事業について情報公開を拒否した下りなんてどこにも書かれていないし、
非公開にすべきとしたのはあくまで「安全を脅かしかねない情報」だぞ。
全部が全部非公開にしろとか公開請求を拒否したなんてどこをどう読んでも読み取れない。
なのにツイート主の解釈そのままに、共産党や仁比議員が主張しているような理解でバッシングするツイート・ブコメが多数。
怖い怖い。マジ怖い。こんな理解でバッシングに走る奴、リアルで絶対会いたくない。
そもそもこの記事で書かれていることは、あくまでColaboに限定しない女性支援団体への見過ごせないデマが拡散されている問題についてだぞ
虐待や性搾取被害者を救う団体に関するデマが拡散されてるけどいいの?
※当然Colaboに限定していない
居場所のない若年女性と向き合い能力のある民間団体の掘り起こし、育成、強化が重要なんで、国として支援団体を守らないといけない
※当然Colaboに限定していない
情報公開請求で得た資料を曲解し、あたかも事実のように動画やSNSで流すのは事業妨害だ
※当たり前の認識を示したに過ぎない
記事を読んで、見過ごせないデマとやらを具体的に示せって言うなら理解できる。
だけど、共産党はColaboに関して上がっている疑義について、情報公開を拒否するのか!!って吹き上がるのはまーーーーーったく理解できない。
もちろん、Colaboに関するあれこれについて、見過ごせないデマでは済ましてはならず説明責任を果たすべきことはあると思うよ。
弁護団や一部支援者の稚拙さや杜撰さも散見されるから、そのことについてもちゃんと非難されるべきだと思うよ。
共産党や赤旗も、本件については、はぐらかさず正面から立ち向かって主張してくれよとも思うよ。
だけど請求資料曲解して変な印象付けする奴や、これまでの支援そのものを否定するようなことは許されるべきじゃないでしょ。
この辺りでColaboをはじめ同様の支援団体への見過ごせないデマは見受けられるのは事実だし、それをやめるべきだと主張することに党派性なんて関係ないことだよね?
この件に関係する事柄について、目が曇ってる人間はどっちの陣営にも多すぎるんだよ。
だからこんな単純な曲解ツイートに踊らされて、本来守るべき人のこととか、問題にしなきゃいけないことを見失ってしまうんだよ。
こんなこと続けてたら、そのうちはてアノンとか馬鹿にされんぞ。
冷静になれよ、本当に。
「何をするにあたって」原典にあたるという当然の事を重要視するか、って話ではあるよね
これメチャクチャ思いました。過去の査読云々の論争を思い出しちゃいましたよ( anond:20181009070341 とか、 anond:20181011090428 とか、このへんの話ね)。「翻訳するときは原典から訳すのが当然だろ!」「いや、別に重訳でも意味が取れてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取り、まんま過去の「論文は全部査読するのが当然だろ!」「ええ、別に無査読で載せても、後続の論文でしっかり吟味されてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取りとソックリというか。増田は「なんで原典にあたるという当然のことを重要視しないんだろう……」って思っちゃうんですけど、理系や経済学の人たちも「なんで査読という当然のことを重要視しないんだろう……」って思ってたわけですよね。まあだから、あんまり自分野の基準で他分野にケチつけるのはよろしくないなぁと、自戒を込めて。
はてなブログというサービスが無くはてなダイアリーをみんな書いてた時代に
はてなダイアリーで「理数系分野でも研究の際には原典読んだ方が良くない?」みたいな事を言った人がいて、それに対し色んな意見が出たのを思い出す。
ただこれは物理学を勉強してる人達がニュートンのプリンキピアを読んでないのはおかしい、みたいな極端な意見であり増田の言ってる事とは大いに違うし
あとそれを主張してた人が死んでしまったので批判はあまりしたくない
じゃあ、まずは数学や理論物理の専門書を翻訳する際に原典にあたる必要があるかと言う話をさせて貰うけど
数学や理論物理ではフランス語・ドイツ語・ロシア語辺りの本が英語に翻訳されて、英訳だけ読んだ専門家が各国の言語に訳す例なんて珍しくも無い。
皆が数学・理論物理の論理が完全に再現されているなら問題ないという立場だからこのような事態が起きている。
翻訳者だって訳す能力より専門分野に関する知識の方がずっと重要視されるし、論理的な構成に変更が無いなら文章の省略・追加・順番変更など平気で起きる。
あと最近の数学の専門書の話なんだが、日本語の本を英語に翻訳する際に日本語が分からない人が訳してる例なんかもあったりする。
訳者だって数式は別に分かるし日本語で書かれた数学の文は今なら機械翻訳通せば大体分かるからね。
主要な定義・定理・命題は著者の英語で書かれた論文と同じ分野内の英語の本見れば同じものが見つかるので
こんなやり方で訳しますよって提案に原著者はOKを出してしまう訳だ。
こうしてみると一般論として重訳は問題かと言うと全く問題視されない分野もあるという話になるので
一般論で主張するのは無理だよ北村紗衣さん、と言いたい訳です。
何が書いてあるか、誰が書いているか、の違いか|文学作品ならそら後者やろうけど、技術書や理論論文で後者重視したら権威主義への傾倒でしかないな
いや、文学研究でも「何が書いてあるか」です(「何が書いてあるか」を解釈する上で「誰が書いたか」という情報が必要な場合があるだけ)。たとえば、ピケティが英語で書いた論文なら英語から訳すべきで、ピケティがフランス人だからといってフランス語から重訳するのはおかしい。逆に、仮に著者がイギリス人でも、フランス語で書かれた本ならフランス語から訳すべき、そういう話です。文系が大事にしているのは「文章それ自体」であって、文章それ自体を忠実に原語から訳すことが重要である、というのが文系の考え方。
(だって、「オリジナルの文章」こそが我々にとっての生データですからね。もちろん完全にオリジナルなのは難しい場合が多いけど、なるべくオリジナルに近づける努力をすることは必要で、原文にあたるのはその基礎的な作業であって学部生とかの未熟な人でない限りは省くべきではないプロセスですよね、ってこと)
さえぼう氏側は「間違いが起こり得る」としか言わず、具体的にどこが「間違いだった」という指摘がないから、屋上屋を架す空論でしかない。具体的に誤訳だったという指摘、出版から随分経つけど今までにあった?
これはもう「具体的に間違いがあるから問題だ」ではなくて「重訳なのがけしからん」という話なので……具体的な実害の問題じゃなくて規範の話をしてるんですよね。ただ、その規範が他の分野の人たちに受け入れられていない、という状況。
たとえば増田は、ちょっとマニアックな事柄についての論文を有名な査読誌に投稿したことがあるんですけど、「よく調べてあるけど学術的インパクトが足りない(要は面白くない)。却下」という趣旨のやり取りを何度かして、もういっか、めんどいから載るとこに載せよ、って思って当時所属してた機関の紀要に無査読の論文書いたことがあるんですよ。業績欄には当然その論文を載っけてます(もちろん査読の有無は明記した上で)。で、この論文が形式上査読なしであることに特段の問題はないですよね。だって研究結果が間違ってるわけじゃないもの。ただ有名な雑誌に載るほど面白くないだけ。それでも、論文には査読がついていて当然、という人たちは「いや、査読なしだと間違った論文が載るリスクがあって、だから査読がないものは論文と認めるべきではなく……」って言いたくなるんじゃないですか? 「重訳だと誤訳のリスクが……」ってのもそういうことですよ。
物理学そのものではないですけど、いちおう、文系には科学史という分野もあり、そこでは物理学の歴史について原語を使った研究がされてます。たとえば、 isbn:4486021746 なんかは、ソ連時代の物理学をめぐる論争について研究した本で、がっつりロシア語の文献を読み込んでます(ネットで読める論文だと、DOI: 10.34336/jhsj.47.248_193とか)。外国の学者が書いたこの本 isbn:4815808090 も、英語以外の文献も読んでたような(この本は面白いので超オススメです)。アインシュタインはドイツ語で相対性理論の論文を書いたわけですからね(DOI: 10.1002/andp.19053221004)。もちろん、繰り返すようにこれらはあくまで「物理学を対象とした文系の学問」であって、物理学そのものではないので、「物理学では基本的に英語版からの翻訳」というのはそうなんだろうなぁ、と思いますが。
これ、医学系が人文系にIF要求するような無理筋を感じる 読者がやるのはピケティの研究じゃなくてピケティを踏まえた研究では
これメチャクチャ思いました。過去の査読云々の論争を思い出しちゃいましたよ( anond:20181009070341 とか、 anond:20181011090428 とか、このへんの話ね)。「翻訳するときは原典から訳すのが当然だろ!」「いや、別に重訳でも意味が取れてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取り、まんま過去の「論文は全部査読するのが当然だろ!」「ええ、別に無査読で載せても、後続の論文でしっかり吟味されてればそれでいいじゃん……」「出版のスピード感も大事だし……」っていうやり取りとソックリというか。増田は「なんで原典にあたるという当然のことを重要視しないんだろう……」って思っちゃうんですけど、理系や経済学の人たちも「なんで査読という当然のことを重要視しないんだろう……」って思ってたわけですよね。まあだから、あんまり自分野の基準で他分野にケチつけるのはよろしくないなぁと、自戒を込めて。
増田に書いたことは原文ママじゃなくて要約です。当たり前でしょ……(ほんとはきちんと細かく落とす理由を書いてあったけど自分の専門分野も出した雑誌の名前も言いたくない)。まあ「大意」とか「趣旨」とか書いておくべきだったかもしれないけど流石にこの文面見たら要約だとわかるっしょ? って思ったんですけど伝わらない人もいるんだなぁと新鮮な驚きを感じたので「趣旨」って付け足しておきましたわ。要約を鉤括弧で括ったこちらにも非はあるし。
だから丁寧に「有名な査読誌に出して面白くないからと蹴られた」話をしたんですけど伝わりませんでした? 間違いがあるとかじゃなくて、マニアックすぎてうちの雑誌に載せるには面白くない、っていう理由で却下されたんですよ。まさかそこに引っかかる人が出てくるとは。ちゃんと経緯は書いてあるでしょ。
でもまあ、反射で「査読ついてないなんてけしからん」って思っちゃうってことですよね。重訳もそういうことです。反射で「直訳しないなんてけしからん」って思っちゃう、っていう話。
わざと言ってます? それとも本当に読めてない? 「よく調べてあるけど」と前置きしたでしょ? 研究成果それ自体への疑義は査読者からは呈されていません。むしろ称賛されてます。その上で面白くないから書き直せってやり取りを何度もしたの(再投稿を可とするリジェクトだった)。何度か書き直して、ああこれは先方が求める「面白さ」と増田がこの研究に感じている「面白さ」が噛み合うことはないな、と思ったので再投稿せずに無査読紀要に載せることにしました。自分にとっては自明なことなので説明不足になっていたきらいはあり、そこは申し訳ないけど、もとの文章ちゃんと読んでくれませんか?
だいたい、研究成果の正しさはディジタルじゃなくて、「部分的には正しいが、しかし……」みたいにグラデーションがあるものでしょ。査読で100%の正しさが保証されると考えているならそれは大間違いですよ。増田の研究だって、研究手法と結論的に「正しいか、間違いか」なんてディジタルに言えるような研究じゃないっす。なので査読で「間違いだとわかる」なんてこともほぼあり得ない(資料の読解間違いとかはあるかもしれないけど、増田の論文が総体として「間違い」であることを示すには増田の論文と同程度以上の調査をし論文を書く必要があるんで、普通の査読じゃ「間違い」とか言えないはず。関連する資料を全部諳んじてる大家なら別だけど)。
そもそもピケティ先生は狭い学術ギルド内論文として書いたんじゃなく経世済民の書として世に問うたわけだから増田の話(や一部ブコメ)は大分ズレてるのでは。例えば「翻訳とか無駄で原本を参照汁」的な暴論との文字数
学術業界だけじゃなくて、一般書の方でも最近は「原語から訳すべき」という流れが定着しつつあったじゃないすか。スタニスワフ・レムも昔はロシア語からの重訳だったけどポーランド語からの新訳が出てるし、昔はフランス語経由で訳されてたイスマイル・カダレも今はアルバニア語から訳されてるし、バスク語やチベット語やイディッシュ語の文学が翻訳されてきたでしょう? そういう流れが出てきてたのに有名なフランス語の本を英語から重訳するなんて、というショックは当然ありますよ(だから私は『三体』も相当ガッカリしましたよ。中国語版には検閲が入ってる、と聞いて納得したけど。エーレンデュル捜査官シリーズの方は、重訳自体はもう仕方ないけど、頼む~~~せめて著者の名前がおかしいのくらいはどうにかしてくれ~~~って感じ。重訳のせいで著者の名前すらおかしな表記がされてるんですよね……)。時代を巻き戻す気か、と反射で思っちゃうのも無理はないです。
まあそれはココに書きに来てる時点で自戒の念を込めて言うといたほうがいいぞ