はてなキーワード: 理論とは
社会にとって正常とされるものかどうかということと、性的同意があるかどうかということは、別の概念です。したがって、定義的におかしくなるということはないですね。「そういう区別に反対するための理論」とありますが、さすがに雑すぎる理解ではないでしょうか。
義理親による性虐待なんていうグチャグチャした案件は世間一般のルールに照らして機械的に処断してもらえばいのである。
しかしその件について自分だけのオリジナルな解釈を求める必要などない。そんなものは丸ごと全く無用の重荷だからだ。
そこに「世間のルールなんて関係ないんですよ〜あなただけの答えがあるはずですよ〜」と、ウルトラ低レベルな価値相対主義の一つ覚えで猫なで声ですり寄ってくる愚鈍そのものの面をした悪魔が。
あなたとおとうさんはちはつながってないのですよね?だってよ。ケツ毛まで鳥肌立つわ。
河合隼雄の劣化コピーをなんだかわからなくなるまで繰り返したらこんなん生えてくるのかな。
ちょっと新しいキャラ造形かもしれん。「ドジな死神」みたいなのはよくあるけどさ。「ものすごい愚鈍な悪魔」ってさ。
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とっとと消してる。とっとと消させるつもりで圧かけたのだが。
いわく、世界には7歳で結婚する文化圏もあります。あなたも早く経験したことで自分を責めないでいいですよ、あなたの場合は義理のお父さんだから近親相姦でもないし、別に恨んでないんですよね、人を恨むのは辛いですものね云々。
「自分の言葉で心理的負担を取り除いてあげる」という行為に酔って、ひたすら被害そのものを無化しようとしている。でもそれは無になったりはしないのだ。背景状況も加害責任も消され「結局は全て自分のせい」ということになるだけ。
世間の側、大人の側が「それは被害だ、気の毒に」「おやじはチャイルド・マレスターだ、許せん」と決めつけてやった上ではじめて当人が自分だけの解釈をウダウダ考えうる余裕が生まれるのだ。
舌先三寸で人の心を救えると勘違いしたアホが何をもたらすか端的に可視化された。
全てを当人の心の問題として説明してしまい社会的な問題解決のアプローチを遮断してしまう「悪しき心理化」「こころの専門家」の問題は、それでも当事者に「同病」の人がどこかにいるよと示唆するよすがをのこしていた。
しかしそのような(多分に疑似科学的であるにせよ)理論付けすらない、その場限りの瞬発力だけの、心屋仁之助的な「救いの言葉」は当事者をなにもない誰もいない暗黒に連れ込んで永遠に放ったらかしにするのだ。
大元の話
量子論の幾何学的側面は、数学的な抽象化を通じて物理現象を記述する試みである。
物理的には、SO(3)は角運動量の保存則や回転対称性に関連している。
SU(2)は、2×2の複素行列で行列式が1である特殊ユニタリ群である。
SU(2)はSO(3)の二重被覆群であり、スピン1/2の系における基本的な対称性を記述する。
SU(2)のリー代数は、パウリ行列を基底とする3次元の実ベクトル空間である。
この群は、SU(2)×SU(2)として表現され、四次元の回転が二つの独立したSU(2)の作用として記述できることを示している。
これは、特にヤン・ミルズ理論や一般相対性理論において重要な役割を果たす。
ファイバー束は、基底空間とファイバー空間の組み合わせで構成され、局所的に直積空間として表現される。
ファイバー束の構造は、場の理論におけるゲージ対称性を記述するために用いられる。
ゲージ理論は、ファイバー束の対称性を利用して物理的な場の不変性を保証する。
例えば、電磁場はU(1)ゲージ群で記述され、弱い相互作用はSU(2)ゲージ群、強い相互作用はSU(3)ゲージ群で記述される。
具体的には、SU(2)ゲージ理論では、ファイバー束のファイバーがSU(2)群であり、ゲージ場はSU(2)のリー代数に値を持つ接続形式として表現される。
幾何学的量子化は、シンプレクティック多様体を量子力学的なヒルベルト空間に関連付ける方法である。
これは、古典的な位相空間上の物理量を量子化するための枠組みを提供する。
例えば、調和振動子の位相空間を量子化する際には、シンプレクティック形式を用いてヒルベルト空間を構成し、古典的な物理量を量子演算子として具体的に表現する。
コホモロジーは、場の理論におけるトポロジー的性質を記述する。
特に、トポロジカルな場の理論では、コホモロジー群を用いて物理的な不変量を特徴づける。
例えば、チャーン・サイモンズ理論は、3次元多様体上のゲージ場のコホモロジー類を用いて記述される。
(追記)
コメント見ていて「やっぱドイツ語はオワコンだったよな〜〜」「中国語か韓国語できてたら仕事に役だったのにな〜〜」とかいう気持ちになったんだけど、でもやっぱり、「別の言語をやったとて、必修二外程度でAI翻訳を超えるレベルに到達できるのか?」という疑問が残るのよね。
というのもここ最近のAIの進展は凄まじく、「機械翻訳に騙されないレベル」に到達するのに必要な労力が数年前と比べても爆上がりしている。ChatGPTはすでに東大英語で8割取れちゃうのよね。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC2103E0R20C24A3000000/
そういう意味では、「この単位を取る頃には、DeepLに騙されないレベルに到達できます!」とか「ChatGPTでできないこんなことができるようになります!」って明確な学習基準があったら学生もやる気出すんじゃないだろうか。まあ技術はどんどん進展するから難しいかもしれないけれど…大学教員の先生方、ご検討くださると幸いです。
あと、「必修で取っただけだけどまだうっすら読める」という人がそこそこいるのに驚いた。やっぱ丸ごと忘れた自分がアホだったのかもしれない。人によって適性がばらつくよな〜というのをあらためて思ったのでした。
↓本文
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文系はともかく理系の必修第二外国語ってほんま意義がわからんくないですか?選択科目ならわかるんですよ。
なんか「英語以外の言語を通じて英語を相対視することが大事」みたいな高尚なこと言ってる教員いるけど、理系必修だけでそのレベルに到達できるもんなんですかね?というか、具体的に何ができると「言語を相対化する」ことになるのだろうか?そしてそれは、具体的にどういう意義(実用でなくとも、大きな意味での学生の人生において)があるのだろうか?多様な学びが云々というのであれば、他の文系科目に比べて語学だけが特権的な位置にあるのがよくわからない。自分は結構文芸理論とか映画論とか好きで履修してたけど、語学が必修コマとして多くを占めるとその余裕も無くなってしまう。
ちなみに自分は
・大学理系学部で必修ドイツ語履修、1年次に8単位分授業を受けていた。ちなみに英語は10単位。結構当時負担大きかったな。簡単な文章はときどき辞書引けば読めて、自己紹介くらいの超短い文章を書けるレベルまでやった?ような覚えがある。
・そこからおよそ10年後にドイツに数年滞在。なお雇用主のご指名なので別に自分で国を選んだわけではない。ドイツ語の活用とか単語とかほとんど忘れてるからほぼゼロから現地の語学コースで再学習。
…という背景がある。
学生時代より遥かに今の方が勉強してるけど、ドイツ語と英語の単語とか文法を比べたところで別になんか大した感慨はない。そりゃ国が違えば規則も違うんじゃないですか、くらいの。一体なんですかね、言語が相対化されるとは??
文化が相対化されるのは結構わかるんですよ。今やってる授業だと、ドイツの日常生活とか文化を教材にして、そこを発端に自国の文化を説明させられるので。他の生徒もみんな違う国から来てて話面白いし。でも結局、理系必修ぐらいではそこまでは無理でしょう。それに、言語の相対化、というのはこういう話とはちょっと違う気もする。
個人的な主張としては、英語帝国主義と言われようが、大学時代の必修くらいはもうちょっとばかし英語に集中すべきではなかろうか? こっちで「日本人ってエリートでも英語下手なやつ結構おるよな」って思われがちなので余計そう思う。二外が本当に必要になったらどうせもっとintensiveに学びなおさなきゃならないし。それとも10年でほぼほぼ忘れた自分がアホすぎるだけか?(ちなみに言語的に英語と日本語は差異が大きいので全国民が英語できる必要はないと思ってるけど、他のアジア圏のエリートっぽい層は大概もっと流暢なのでそこそこの有名大卒くらいはもうちょっと…と思ってしまう。どうすかね、最近の若い人はみんなもっとできるのかな?)
あと二外をやると英語学習に役にたつみたいなのもよくわからん。言語によるのかもしれないけど、自分はドイツ語学習後に英語のIELTSのスコアに特に良い影響はなかった。というかコロケーションの前置詞とかごちゃ混ぜになって余計苦労している。役に立つとは一体?どういう状況でそうなるんだろう?
英語とドイツ語が両方わかると朧げながら見えてきたんです、オランダ語の意味が、という瞬間はある。とはいえ全く使えるレベルではない。意味はない。
いや、第二外国語で書かれた内容が理解できて外国の文化がわかると面白いみたいなのはわかるよ。でも粗く読むだけならDeepLが圧倒的にすごい。当然誤訳もあるけど、理系必修二外で到達できるレベルよりははるかに上等ではないでしょうか。ドイツ人も翻訳の質には誇らしげなご様子(DeepLはドイツ発の会社なので)。
まあこんなふうに思うのはドイツ語というチョイスが悪かったのかもしれないな。英語に近すぎるし。どうせあいつら英語喋ってくれるし。そんなんだから、ドイツ語なんてもんを喋らなきゃいけない環境ってマジョリティとしてのドイツ人にマイノリティとして溶け込む場合になるんで、オルタナティブの言語やってる感もないし。同じアジア圏の中国語とか韓国語とかやってたら違う感想だったかもなあ。
あとは海外に滞在すると道具としての言語を必死に学ばざるを得ないので、「学びは心を豊かにする」みたいな言説に、余計にケッっとなってるところがあるかもしれない。ジョブ型雇用の世界でもあるし。まあ別に大学時代の学びが楽しかったかと言われたらそれもどうですかね…どうでしたかね…
ということで、極めて個人の感想ですが、結局大学で(特に理系が)、英語なり他の文系科目なりのコマ数を犠牲にしてでも第二外国語を全員やる意義がまだいまいちわかってません。繰り返しますが選択科目で選べる環境があるのは極めて大事だと思うよ!!日本語でドイツ語を学べるって超貴重なので。
せっかくここにぐだぐだ文をしたためたので、うっかり野生の有識者の意見が聞けちゃったりすると嬉しいな。なんで理系が必修二外、やる必要あるんでしょうか?
今日は朝から頭の中で魔法を数学的に抽象化することを考えてみたんやけど、これがまためちゃくちゃ深いんや。まず、魔法の呪文をバナッハ空間の作用素として考えるっちゅうのは基本やけど、これをさらに進めて、フォン・ノイマン代数の元として捉えてみたんや。ここでは、呪文を自己随伴作用素 T として、スペクトル分解を通じてその効果を解析するんや。これが無限次元空間での作用を考えると、スペクトル理論や作用素環論が絡んできて、ほんまに深遠やわ。
次に、変身術をリー群の作用として捉えるんやけど、これをさらに高次元の多様体上の微分同相群の作用として考えてみたんや。対象の集合 X 上の微分同相群 Diff(X) の滑らかな作用として、g ∙ x = y みたいに表現できるんやけど、ここでリー代数のエレメントを使って無限小変換を考えると、接束や微分形式が出てきて、微分幾何学的な視点がさらに深まるんや。ホンマに、変身術って奥が深いわ。
さらに、魔法の相互作用をホモトピー型理論と∞-カテゴリーを使って考えてみたんや。これを使うと、魔法は∞-グループイドの間の射として捉えられて、ホモトピー同値な空間の間の射として表現されるんや。例えば、呪文 f: A → B は対象 A を対象 B に変える射と見なせて、これがホモトピー同値やったら、逆射が存在するんやで。これを使って、魔法の可逆性とかを高次元のホモトピー理論の文脈で議論できるんや。
最後に、魔法のエネルギー保存をシンプレクティック幾何学の枠組みで考えると、エネルギーの変化をシンプレクティック多様体上のハミルトニアン力学系として解析できるんや。シンプレクティック形式 ω を使って、エネルギー E の時間変化を考慮すると、ハミルトンの方程式が出てきて、これが魔法の持続時間や効果を決定するんや。ほんまに、魔法って物理的にも数学的にも奥が深いわ。
今日はこんなことを考えながら、また一日が過ぎていったわ。魔法のことを考えると、なんや心が落ち着くんや。ほんまに不思議なもんやなぁ。
「ペドフィリアはセクシュアリティの一つだと思うし、ペドファイルはセクシュアルマイノリティです」
https://x.com/orionaveugle/status/1823916782882808148
谷口一平が、トランス排除の人たちと小児性愛者を連帯させるべしと主張していることには触れておく。雑誌が出る前だが、同様の主張は当人がSNSで垂れ流している。支離滅裂かつ非倫理的。
クィアがペドフィリアを含んでいることは、クィア理論の支柱となった文献をみれば明白なんだよね。
岡和田は非倫理的というが、クィアというのはもともと倫理の逆張りだ。
以下はトランスの教祖の一人、ゲイル・ルービンGayle S. Rubinの「性を考える セクシュアリティの政治に関するラディカルな理論のための覚書」(1984)、クィア・スタディーズにおける超重要文献からの抜粋だ。ちなみに弟子のバトラーも親による子の虐待を正当化している。
1950年代の共産主義者や同性愛者のように、小児性愛者は汚名を着せられているため、彼らのエロティックな指向性はおろか、市民的自由の擁護者を見つけることも難しい。その結果、警察は彼らを食い物にしてきた。地方警察、FBI、そして監視役の郵便局検査官が加わり、小児性愛者たちのコミュニティを一掃することだけを目的とした巨大な組織を作り上げた。20年かそこらで煙がある程度晴れれば、こうした男たちが野蛮で分不相応な魔女狩りの犠牲者であったことを示すのは、ずっと容易になるだろう。多くの人々がこの迫害に協力したことを恥ずかしく思うだろうが、獄中で一生を過ごした男たちのために良いことをするには遅すぎるだろう。
原文はこちら。
https://bpb-us-e2.wpmucdn.com/sites.middlebury.edu/dist/2/3378/files/2015/01/Rubin-Thinking-Sex.pdf
その後野獣先輩は淫夢ファミリーになり正式に晒し者としてネットにアップ
・2chから淫夢厨が来てニコニコを支配 文化・言語を破壊 それまでニコニコを治めていたノンケらは別の場所に住むように命じられる
・ホモコーストで情勢悪くなったら淫夢厨はさっさと降参してニコニコ放置、ニコニコ壊滅
・終戦後野獣先輩はさらなるホモガキに目をつけられやりたい放題される(BB先輩、新説シリーズ、侮辱しても無罪放免)
そのほか、戦前は生き場所があったのに淫夢厨が破壊しまくったため今はスラム街でひっそりと暮らす。
また、トラウマや淫夢厨の脅威を吐露するだけで「自分だけ被害者ぶるな」理論を武器に結構な割合で存在するキチガイから叩かれる
女を擁護するやつがいるが、女性差別した男たちは擁護されないじゃないか。
な?
女を殴るなんて男らしくないって?
構わない。
男らしさとかいう時代遅れのジェンダーステロタイプに従う気は無い。
本当の男女平等を目指す。
だから、女を殴る。
女を殴る男だけが、マトモな男だ。
……これに反論しなさい(配点・30点)
今はもう社会人だし、若干記憶が薄れてる部分もある。少なくとも統一教会系ではない。身バレが嫌なのでぼかして書く。初投稿なので変な部分もあるだろうが、目をつむってほしい。
大学に入った当初ってX(旧Twitter)で春から◯大みたいな感じでアカウント作るよな。
そこからDMで繋がって、同じ大学の人とやりとりするんだけど、その中で「哲学に興味はありませんか?」「生きる意味について話し合いませんか?」てな感じで紛れて奴らは話しかけてくるんだよ。
僕は元々ディベートみたいなの好きだし、面白そうだと思い参加してみた。
大学から少し離れた講義室みたいなとこに皆集まるんだが、新歓の時期だし自分と同じ新入生ばかりかと思いきや社会人の先輩もいるんだ。
そこで先輩たちが大学生の過ごし方とかキャリアとか色々アドバイスしてくれるんだが、まぁ参考になるんだかならないんだか・・・
運動部ほど厳しくなさそうだし、可愛い女の子もいたし、陰キャ(今はチー牛なのか?)でも馴染む環境だった。
最初は哲学や取り止めのない内容から入っていって、段々と宗教じみた内容にシフトしていったんだが、
結論こういうサークルに入って感じたのは、別に悪い経験ではないが、良い経験だったとも言えない虚しさがあるということだ。
徹頭徹尾一番興味深かったのは、こういう組織構築の為のシステムだ。上層部の得体の知れない社会人はともかく、そこで熱心に動く学生さんたちを獲得し、囲って幹部まで育成するシステムはマインドコントロールみたいだと言えば大袈裟に聞こえるが、これ以外に適切な言葉があるだろうか。
自分は熱心に活動してなかった部員だったので詳しくないが、なんか部屋借りてやるにもお金が必要になってくる。しかし年会費も良心的だったし、社会人がパトロンとして払ってくれていたのだろうか。それとも信者からのお布施だろうか。少なくとも財布に優しいサークルだった。具体的な組織のアレコレは分からんが、幹部とかそういった役割もあった気がする。たまに偉いらしい先生も来ていた記憶がある。
高校のクラスみたいなコミュニティって大人になればなるほど霞んでいく。ましてや一人暮らしタイプの心細い新入生にとって、フレンドリーに分かりやすく歓迎されると嬉しくなるんだ。サークル以外でもレクリエーションみたいな感じで、皆でカラオケとかボーリング行くみたいに普通に遊んだこともあった。
そこにいたメンバーは皆、優しい人たちばっかだったし、何より高学歴が多かった。とにかく優しくて忠犬みたいな雰囲気があるんだよな。でも一つ思ったのが「こんな良い人達なのにサークル外の友達がいなさそう」ということ。兄弟姉妹で参加している人もいた。
皆仲良くて、礼儀正しいんだが、一緒にいると独特の雰囲気があった。やけに強引に参加を求める人も居たが、それも「自分が求められている」という気持ちにさせてくれるんだろうな。
言ってることは割と納得できる部分も多かった。具体的に「人との約束は守りましょう」「自分や他人にも誠実でいないと不幸になります」とか色々例も含めて話すことで説得力を出していた。覚えてるのがここ辺りだが、もう少し過激なのもあったと思う。
かなり引っかかったのが、こういうことを絶対的な定義として譲らないとこだ。
「これらは絶対的な真理で、物理や理系科目で出てくる公式と同じだ」と言われたが、物理だってこれまでの理論の積み重ねであって、絶対的なものだと思えと言われていないだろう。定義を疑うことをむしろ推奨されているまであるぞ。
こういう件もあって、僕は完全に心を閉ざし「分かりますー勉強になるっス」と相槌マシンになっていた。
一見カルトというにはホワイトでクリーンだっただろう。財布に優しかったし。しかし良く観察してみると、もっと大元の組織があって、そこが出してる本やら主催している会やら見ると何と言うべきか、統一感が凄いのだ。宗教だって色々宗派や解釈があるだろう。当たり前だがそれを認めないし触れさせない、ここで学ぶ真理だけが素晴らしいのだと。「大人になっても仲間たちと素敵なコミュニティで、大切なことを学べるのはココだけ!なんて素晴らしいのでしょう」という話に間違いは無い。間違いはないのだが、少なくともこれ以上僕はここに居たくない。と思った。
なんて言えば良いか、こちらを見ているようでその実全く見ていないのだ。
内部事情は全く分からないが、このようなサークルは全国展開しているみたいだから、のめり込まないように気をつけてとしか言えない。ライトなカルト体験がしたい者にはオススメだ。社会人でも遅くないぞ
こういうサークルに入れば知的で落ち着いた女の子と知り合いになって付き合えると思ったんだが、機会がなかった・・・冗談だが、真面目にやって幹部まで登ればもっと関わりも増えたのだろうか・・・
傾向として、左翼は思考主義で、右翼は自然主義というのは納得がいく
https://anond.hatelabo.jp/20240805223215#tb
どちらが賢いとかどちらが偉いとかではなく、思考パターンの傾向として納得がいく
面白いのが、世の中には自然主義的な考え方を持つ、思考主義者というのもいる
一般均衡理論の基本的な考えは市場に任せれば、効率的な資源配分が実現するというものである
交換の利益をミクロ経済学の基礎においてる以上、この結論はある意味当たり前である
この自由放任の考え方は、自然主義的な傾向があるにもかかわらず、数学的な論証によって築かれた理論的基盤に依拠してる点から、思考主義的ともいえる
一般均衡理論のような考えを持ち出して、市場均衡の効率性を主張する
こういった本能による資本主義の肯定、理論による資本主義の肯定が存在する
中国人選手の外見が男っぽい
→興行なんだからぴょんぴょんする事態が起こらないように観客に配慮するのは当然
この興行理論は割りと最強理論だなと思った。私も共感した。観客が飽きないようにスポーツのルールが改定されるのは誰もが知ってることだし。