はてなキーワード: 物言いとは
正直あいちトリエンナーレ関係のニュースは補助金関連の辺りから食傷気味であえて距離を取っていた。
Chim↑Pomが炎上してるってのをネットで見ても、「まぁ元々ある程度炎上商法的な立ち位置だしな…」と思ってしまったのも事実だし、「被曝最高!」「放射能最高!」の文字列が並ぶニュース記事を見て、「あぁこれだけ見れば物言いたくなる人がいて当然だな」とまず思った。
昨晩のTBSラジオ「session22」のOPにリーダーの卯城さんが出演し、作品の意図と、「気合100連発」の音声がO.A.されていた。
https://twitter.com/session_22/status/1182282259946041345?s=21
帰りの車中でこれを聞いてて初めて詳細を知ったんだけど、自分は正直なところ、分別のつく人ならこれを福島ヘイトと捉えるわけがないと思った。
悪意のある誤読や切り取りか、ニュースの見出しだけ見て判断してしまったのでない限り、作品を鑑賞した上でそのような感想を持つことは考えにくい。
…と思っていたんだが、卯城さんが表現の自由について至極真っ当な「正論」を話しているのを聞いていると、この数年来感じていた違和感が思い起こされてしまった。
あえて手垢のついた言葉を使うが、その正論はどこまでいっても「リベラル」な正論なのだ。
ジョナサン・ハイト『社会はなぜ左と右にわかれるのか』とダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』の議論を下敷きにすれば、保守はシステム1に、リベラルはシステム2に主に訴えかける主張だ。
リベラルな言論空間は、徹頭徹尾システム2で考え抜いた言葉が要求される。
要するに、面倒臭いのだ。
フェイクニュースの流行やトランプ以降の世界は、「ネット空間で誰もが発言できバズを狙えるようになったことで、個人の承認欲求がこの『面倒臭さ』を圧倒してしまった」ということで、かなりの部分説明できると個人的には思っている。
ただ、アートを含めた文化全般の価値を信じ抜きたい人間としては、その面倒臭さ(=作品の文脈や、各カルチャーの歴史を調べた上で作品に接する態度)を軽視する風潮にはどこまでも抵抗していきたいと強く思う。
文脈を一切排除した現代アートは語義矛盾だ。20世紀以降の芸術はそれまでのスタンダードを破壊することに拘泥しすぎたきらいはあるが、作品の意図を読み解くためには、19世紀までの西洋美術の功罪を知ることが必須だ。
これはクラシック音楽のスタンダードからの脱却を図った現代音楽を聴く際にも求められる態度だ(クラシックの素養なしにサティやストラヴィンスキーやシュトックハウゼンを十分楽しめる人はまずいないだろう。)。
またそれは、パンクの登場が世間に与えた衝撃を知るためにはロックの誕生からプログレ・商業ロックに至るロック史を知る必要があり、エルヴィスが世間に与えた影響を知るためには19世紀末以降のアメリカのポピュラー音楽史を知る必要があるのと同じことだ。
それはとても面倒臭くて時間がかかる作業だ。しかしその作業なしに、過去を顧みることなしに、創造は有り得ない。
ポピュラー文化は人口に膾炙してこそ文字通りポピュラーになるわけで、文脈を知らない人を巻き込んでいく必要性のためにこの桎梏を抱えざるを得ないわけだが、情報が溢れる現代においてはその困難さの質が極めて短期間で変容してしまうように思う。
ただ、文化が社会の発展に寄与した功績を理解できる人ならば、こうした時間のかかる作業がマネタイズできない時代においてこそ、その価値が保全される必要性をひしひしと感じているのではないだろうか。
グレタ・トンベリさんは社会に強い影響力を持っています。だから言動には最新の注意を払う必要がある。
これは彼女の主張の是非を、態度の問題にすり替えて否定するトーンポリシングではありません。
つい先日、イギリス議会でジョンソン首相の扇動的な言葉遣いが問題になりました。
https://www.bbc.com/japanese/49834344
ジョンソン首相の「扇動的」で「危険」な物言いが、国民を先鋭化させ、結果として議員を
危険にさらしているというものです。2016年にEU残留派だったジョー・コックス議員が、極
さて、これはジョンソン首相へのトーンポリシングでしょうか?違いますよね。
首相という影響力のある人間が、過激で扇動的な物言いをすれば支持者を暴力的にしてしまうというのは単なる事実です。
アメリカでは、トランプ大統領がその座についてから、国内の憎悪犯罪が急増したというデータもあります。
さて、こういうと「英国首相や米国大統領と、一介の16歳の少女を一緒にするな」と反論する人がいるでしょう。
たしかに、トンベリさんにジョンソン首相やトランプ大統領ほどの影響力はないでしょう。
一介の少女は国連で演説したりしません。ノーベル平和賞の候補者になったりしません。
250万人ものツイッターのフォロワーはいません。世界中に支持者がいて、世界中のメディアに報じられたりしません。
彼女は環境保護活動家として、間違いなく社会に、それも全世界に対し影響力を持っています。
そういう人間が過激で扇動的な表現を使うことは非常に危険です。
たとえ本人にそのつもりがなかったとしても、支持者を暴力や過激行為に走らせてしまう危険性を秘めています。
重ねて言いますが、彼女の主張の是非を態度の問題にして否定したいのではありません
女が言う自分評の「男っぽい性格」って、ガサツで物言いがキツイだけ。場を盛り上げる気がない上に、自分に目を注いでくれないから拗ねてるんだな、かっこ悪いぞ、ねーちゃん。
ちょっと前に二次の字書きが絵師に表紙を頼んだ話を読んで自分も思い出した話。
少し前に長年付き合いのあった絵師との縁が切れた。
ことの発端は私だから仕方ない話なのだけど、ずっと心の中に燻っているものがあったので匿名者の日記として吐き出してしまおうと思う。
私と彼女との出会いは前ジャンルに遡る。所謂マイナーCPというやつで全盛期をとうに過ぎたジャンルで細々と小説を投稿し10年過ごした場所だった。
彼女からの熱い感想メールをもらったことが切っ掛けでメールのやり取りをする仲になった。投稿した小説の感想やイメージイラストをくれたりと、当時ネット上のみで小説を投稿していた私にとってはとても貴重で有難い存在でありモチベーションをあげてくれる人でもあった。
しかし段々と交流が続くにつれて彼女に対して心に引っかかることが増えていった。私は基本的に他の字書きさんや絵師さんとの交流もない引きこもりで、イベントやオフ会も参加したことがなく10年もの間投稿を続けいていたにも関わらず、知り合いが全くといっていいほどいない状況だったので、彼女から聞くことが創作人口の少ない界隈での全てだと思い込んでいた。
私が○○さんのお話好きだなと言うと「あー…でもあの人さ、他の書き手さんから嫌われてるんだよね」とネガキャンが始まる。そう言われてしまえばお話を読む際にどうしても書き手さんの印象が脳裏に過り素直に本を読めなくなった。そういった流れが何回か続き少し疲弊し始めていた頃。
ある時、彼女に小説内容のリクエストをしてもらった。日頃、イラストや感想を下さる感謝の気持ちを込めて此方からお願いした形だ。彼女はとても喜んでくれて俄然やる気になり彼女の希望した内容で小説を投稿した。けれどあれだけ感想をくれていた彼女からの反応は一切なし、むしろリクエストしたことすら忘れているのかと疑いたくなるほどこの件はスルーされてしまった。折角書いたのにという気持ちと虚しさで心が折れつつも「書いたよ」と連絡すると、少し時間をおいて「あー…あれか」という反応。どうやら彼女のリクエストには添わなかったようだった。
その件が引き金になり「人に媚を売るような小説を書いてはダメなんだな」と、今までそのCPが好きで小説を投稿していたものが、誰かの反応が欲しくて、感想がもらいたくて投稿しているという自己承認欲求の塊のような自分に嫌気がさして小説を書くことが嫌になってしまった。
小説からも彼女からもジャンルそのものからも距離を取りはじめた頃、SNSが普及し始めた。久しぶりに連絡が来た彼女から登録しなよと言われるがままSNSのアカウントを開設したものの、有難いことにフォロワーさんが徐々に増え以前よりも交流が出来るようになった。それが嬉しくてSNSでよくコメントを投稿していたところ、連絡が取りやすくなったからか彼女から頻繁に連絡がくるようになった。
DMで届く内容はオフでも活動する書き手さんへの愚痴が主だった。「あの人とオフで本を作ったり、プライベートでも仲良くしてるんだけど段々と失礼な態度をとられるようになった。ある日急にSNSをブロックされた。なのにアチラは私のアカウントを監視していて文句を言いまくっている、ひどい」という相談事もあり私は私なりに親身に話を聞いていたと思う。
ただ私には彼女がいう突然ブロックされたという言葉には違和感があった。彼女は割と積極的に交流をする方なので多方面で付き合いが多いのだが、とにかく物忘れがとても多くまた人にマウントをとりたがる節があった。彼女はイラスト絵師でもあり、字書きでもありグッズ製作をしたりと活動内容が多岐に渡るのでオフでのノウハウがあり、それを人に吹聴するところがある。私のようにオフド素人の人間に指南をするのが楽しいようでもあった。そういった面で人を不快にさせてしまうところがあったり、物言いが直接的で逆鱗に触れてしまい縁が切られるということが何回か続きジャンル撤退を考えているようだった。
私はとめなかった。ジャンル撤退には人それぞれ様々な理由がある。二次での交流で嫌気がさして撤退する人も少なからずいるのは分かっていたので、そうなってしまうとジャンル愛も枯渇してしまうのも納得だったからだ。
私は私で別件でジャンル愛が枯渇していた。そんな時に今のジャンルに目移りしてしまった。
そのジャンルは全盛期を迎えていて活気づいていた。私は一番人気のCPに傾倒し、久しぶりに思うがままに小説を投稿し続けることが出来た。その熱意なのか投稿した小説がランキング入りを果たしたりと嬉しいことが重なり益々現ジャンルにドハマリしてしまい前ジャンルのアカウントを閉じてしまった。
心機一転、自ジャンルで新しいお仲間さんとワイワイしていた時、見慣れたアカウント名と特徴的な絵柄が私の小説をブクマしていることに気付いてしまった。
私は新しい名前、アカウントにも関わらず私の小説をブクマしてくれた彼女に嬉しくなってしまってついつい自分から声をかけてしまった。
苦い思いをしたにも関わらず懲りない人間だなと今は痛感しているのだけれど、新天地でも出会えたことに盛り上がってしまいジャンル愛が勝って初めて彼女から「表紙描くから本を作ってよ」という言葉に頷いてしまったのだ。
はじめてのオフ活動にやる気になりWEB上で書いた投稿作に書下ろしを加えて本にすることにした。
彼女と何度も連絡を取り合い表紙の進行なども聞きながら書下ろし部分の調整をしていると、彼女から一枚のイラストが届いた。
とても美しい大好きなCPが手を繋ぎ歩いている原風景。私はその美しさに感動して何度も賛辞のコメント送り、表紙の二人を思い浮かべて小説を書き続けた。
しかし数日後その素晴らしいイラストが別の字書きさんの本の表紙になったことを、その字書きさんのSNSのコメントで知ることになった。
私に見せた表紙案といって送られてきたイラストがSNSで投稿されている。
私は何も聞いていなかったので内心かなり取り乱しショックで何も手につかない状態だった。彼女がその字書きさんを神のように崇めていたことも知っていたし、絶賛していたことも知っていたけれど本の表紙を頼まれていたことは知らなかったので「どうして言ってくれなかったのか」という勝手な思いに苦しんだ。そんなこと彼女が私にいう必要なんてない。けれどじゃあ何故、表紙案といって私に送ってきたのか。
結局、私の本の表紙は全く違うものになった。私は最初に見せてもらった表紙案をかなり気に入ってしまったので、その表紙を見ることが少し悲しかった。何よりその表紙は私の小説のシーンに一度も出てこない場所で私が小説の中で着せている恰好ではない装いの二人の日常的なシーンで「なんでこの表紙なんだろうか」と思ってしまったのだ。
とても丁寧に描いてくれた表紙だということは分かっている。けれどCPの二人よりその場所を目立つように描かれた表紙が好きになれなかった。それでもいい顔をしたい私は彼女に有難うと謝礼を振り込み、菓子折りを送った。
本は有難いことに完売した。再販も希望してもらえたが私の事情で出来なかったので悲しいことにオークションでかなり高額に転売されてしまった。
「オークションで買わないで欲しい」とSNS上でコメントをすると「再販しないお前が悪いんだろ」と匿名で何通もお怒りのメールをもらってしまった。
私は自分の自己満足で本を作った。一度もオフ活動をしたことがなかった私にとって誰かに表紙を描いてもらい本を作ることは夢の先のことだったから。
でも本を作るということはそれで終わってはいけないのだと痛感した。「なんで再販しないのか」というDMに心が折れてしまった。
一度に何十万と支払う本の制作にはリスクがありすぎる。私はしがない主婦なのでそんな大金を一度に使う趣味に気が引きてしまう。
結局、どうしても欲しかったけれど買えなかったという方になけなしで手元に置いておいた1冊をお譲りすることにした。その方は私がとても敬愛している書き手さんでSNS上でお付き合いのある方だった。
そのことは伏せて現ジャンルで活動を続けていたある日、彼女から連絡があった。以前私が大好きだった表紙で本を出された字書きさんに「突然ブロックされ、縁を切られた。ひどい」という内容だった。
私は以前にもこんなことがあったな、と前ジャンルのことを思い出していた。
こんなニッチで複雑な感情が絡み合った世界だから同じCPが好きだからといってウマが合うとは限らない。解釈が違えれば逆CPより地雷になる人がいる世界。
最初は仲良くやれていても上手くいかないこともある。付き合いがプライベートにまで進めば仕方ないことかもしれない。
長いこと二次創作を続けていればこういうことは起こりうる。私は彼女を慰めながら色んなことを考えるようになった。
一番大事なのはジャンルを好きでいられること、そのCPを好きでいられること。
好きなことをする為に始めていることで大元を嫌いになるようなことをするくらいなら、人付き合いは一定の距離があっていい。そう思うようになった。
深く関われば関わる程、悲しいことも増えていくくらいなら私はSNS上のお付き合いだけでいい。
彼女のように活動の幅を広げる度に誰かと衝突し縁を切り、ジャンルを嫌いになりそうと言い出すくらいなら。引きこもりのままで構わないと。
彼女は頻繁に私と会いたいと言い出していたが、結局一度も会うことはなかった。
10数年つかず離れずを繰り返し、彼女の私生活からジャンル内のごたごたを時には夜中の2時3時まで付き合って聞いたりもしたけれど彼女の顔を見たことは一度もない。
そんな時間を過ごし、一定の距離感を持って付き合いを続けていたある日。
彼女に私が最後の1冊だった本を手放していたことがバレてしまった。自分から言ったのだけれど、それが彼女の逆鱗に触れてしまった。
「この10数年間付き合いを続けて来たけど、貴方と私は会ったことがない。だからニュアンスは違うのかもしれないけれど、貴方が最後の1冊を手放したというその不躾な態度は、創作者である私のプライドを傷つけた。許せない、涙がとまらない」ということだった。
私はその一言に物凄く腹立たしさを覚えた。彼女に全く同じ感情を抱えたことがあったからだ。「前のジャンルでさ、リクエストした内容も忘れたけど誰かから頂いた小説内容が超地雷でさ、あの解釈はないわって思ったんだよね」と送った相手(私)に堂々と言った(物忘れの多い)貴方にめちゃくちゃ傷つき凹んだことがあるからだ。その時私は面と向かって言われていないからニュアンスが違ったのかもしれないって思うようにしてやり過ごしたのに。
山ほどあった言いたいことを飲み込んで「ごめんね、こういう思いをした相手とずっと縁を続けていてもいずれまた嫌な思いをさせてしまうかもしれないから、もうお互い連絡をとることはやめよう」と伝えた。
「泣くほど嫌な思いさせられた相手となんか趣味で繋がる必要ないよ」と「どんだけ私が謝ろうと、言い訳をしようと貴方は納得しないだろう」旨を告げて連絡手段を断つことにした。
彼女に今までのお礼と好きな創作を続けて欲しい。今回は嫌な思いをさせてしまったけど、貴方の素敵なイラストの表紙の本を今後も楽しみにしていると告げてブロックした。
きっと私次第で彼女との縁を続けることは出来たのかもしれない。
でも毎回聞いていた彼女の「突然ブロックされた、縁をきられた」という連絡を思い出してしまったのだ。
なんでだろう。ブロックした人の気持ちが分かってしまった。怒りよりも悲しみよりも先に「疲れた」と思ってしまった。
「ずっと本当はわだかまりがあった相手ではないか。SNS上では仲良し、大好きアピールを続けていたけど、本当はずっと思うところがあったじゃないか。それをずっとないことにしていい顔をしたい自分の自尊心を尊重してしまった結果がこれなのではないか」と気がついた時に、私は自分の至らなさを実感した。
彼女は時折、激しい自己嫌悪と承認欲求で鬱に近い状態になっていた。幼少期のトラウマを切々と語り今の人生への疲弊を漏らしていた。
感情の起伏が激しく、よくSNSの呟きを全部消したり、鍵をかけたり、いなくなったりしてた。
きっと今日もどこかで誰かに私にブロックされた時の愚痴を言っていることだろう。
もう誰かに振り回されてジャンルもCPも書き手も嫌いになりたくない。
そのためには「相手に何かを求めない」「自分の為に小説を書いていることを忘れない」「好きでいられる為に最良の選択をする」ことを忘れないようにしよう。
新たに興味の出てきたジャンルに見慣れた名前と絵柄があったので自戒を込めて。
まぁもう二度と連絡をとることはないだろうけど!!
「今いる場所で評価されなかったら他の場所を探そう」みたいな物言いが割と気軽に言われている
これ自体はよくわかる
実際、能力に対する評価というのは、環境やルール次第で割とコロコロ変わるものだからだ
しかし客観的に見て、どう考えても何の長所も魅力も社会的正しさ属性も備えてなさそうな弱者にこれを適用すると、もはや邪悪な手段に訴える以外ないように思えてしまう
世間一般の普通の考えでは単なるキモくて金のないおっさん、そんな世間の大多数から否定されるような奴が他者から一人前の人間としてカウントしてもらうためには、もう世間を否定させるしかない
正気に戻ってもらっては困るので「外の世界は危険で我々を殺そうとしている」という統失的な発想に走るしかない
このオウムというのはもちろん単なる例えであり、新興宗教を作って選挙に出て、それがダメならサリンをまきましょうということではない
他の新興宗教や、極左極右や排外主義にフェミニズム、あるいはセミナービジネスなんかも同じで、どこの段階で世間と折り合いをつけるにせよ、基本「この世はクソである」というスタンスを取るしかないのではないだろうか
こじつけにもほどがあるが、そんな風に考えている
こういう、歴史と共に積み上げられてきた社会学・フェミニズムの学説を前にして、ただちゃぶ台をひっくり返すことしか出来ない人々の言葉を読むと悲しくなる。
歴史とともにいくら積み上げても嘘は嘘でしか無く、フェミがそれらの正当な批判に答えたためしはない。
結果ありきの妄想ストーリーと「ミソジニー」と言うレッテルはりだけを続けてきた。現に、彼女らが自然科学的証明を行った試しはない。架空の「女性差別」ストーリーを展開し、男性の犠牲や労苦を顧みることないヘイトスピーチを続けて社会の持続可能性を破壊し続けている。
「通説」だろうがなんだろうが、ソースなき性差別を学問とは言わないし、言うべきではない。
君はただの権威主義者。
なんだけど、その感情を抱く自分がDV傾向にある=相手を支配しに行ってるような気がして、相手の人が好みであればある程自己嫌悪に陥る。
理性の上では相手を幸せにしたいとか、相手が第一印象より自信家でも変わらず好きとか思ってるけど、いざ実際に一緒に居るとなると自分が無意識の内に相手を威圧してないか、有無を言わせない物言いになってないか不安になる。
勿論「自己肯定感の低そうな女の子が好き!」だなんてリアルでは口が裂けても言えない。
どうすればいいんだろう。
俺は新卒として米系企業に入社し、欧州大陸系、英国系と転職してきたが、それぞれで感じた英語について述べる。
1)米系企業
中学生から高校生まで日本人が勉強するのは、アメリカ英語だ。文法も発音も。
アメリカ人教師も「イギリス英語だと別の言い方をするけど、メジャーなのはアメリカ英語なので、アメリカ英語を覚えればいい」と言ったりする。
俺が働いていた米系企業では、アメリカ人が多く、車内の英語も多くがアメリカ英語。
感覚的にアメリカ人は、外国人が話す英語に厳しい。発音が下手くそだと、「何言ってるか分からない」と平気で言ってくる。
これを言われると萎縮しまって、話せなくなる悪循環に陥ってしまう。発音にコンプレクスを持つことになる。
欧州系企業に転職して、英語については世界が変わった。天国だった。
なぜなら、欧州大陸の人が話す英語はネイティブのそれではなく、皆第2外国語だからだ。
ネイティブ目線で俺の英語に物言いをする人はいない。皆、なまっているから。
アメリカ英語と比べて、むしろ聞きやすかった。ただし、彼らは英語をよく話すよくしゃべる。
アメリカ英語の発音やアクセントを話せなくて悩んでいた自分が馬鹿見たいとおもった瞬間だった。
アメリカ英語とイギリス英語は文法が若干異なるが、会社ではイギリス英語を見ることはなかった。
イギリス英語は一般に日本人にとっては聞きやすい英語だと思う。アメリカ人ほど英語の発音に厳しくないように感じた。
4) 結論
いやね、そういう男も結構いるんだよ
でも彼らが、ただ自分が気に食わないから殴りたいだけのことを後付けで理屈こねて一生懸命理論武装して、「ゆえにあいつらは悪! 俺のお気持ちこそが正義なのだ!」とかやってみせたって、
例えば下級生2やかんなぎのアレみたいにただただ笑われバカにされ、あるいはアイマス・けもフレみたいに界隈全体やべーやつ扱いされるのがオチじゃん?
そいつと同類のオタクでもない限り、そんなキモい上に手前勝手な物言いに耳なんか貸したりしないわけで、むしろそれが普通なの
なんで女が同じことしただけでまともに相手してやんなきゃなんないのか、まるでわからない
(前に書いたトラバの使い回し)
みんなの家にもきっと飾ってあるとおもうが、父の絵がデカい。
うちでは夫婦の寝室と居間、子供部屋、洗面所、ガレージにそれぞれ一枚ずつ掲げてあって、
メシを食うときなどはいつも慈愛に満ちた父の視線を一身に受けながら共和国の発展と父の健康を祈らずにはいられないのだが、
それはそれとして、ともかくデカすぎる。
居間の父の絵は故郷に住む私の父(いつも思うがややこしいな)から入党祝いにもらったものだ。
この絵にはちょっとした曰くがある。
地域の指導委員から「さすがにちょっとトイレにかざるのは……」と物言いがついた。
父を敬愛しすぎて家中に父の絵をかざるほど父マニアな私の父は指導に対してかなりゴネたらしいのだが、
最後には愛国協会から新しくてより立派な父の絵をもらうということで落着した。
それからトイレ以外には置けるスペースがなかったので、それから長らく実家の倉庫に眠っていたのを、
父が「新居にどうぞ」ということでこちらの了承もとらずに勝手に送りつけてきたのだった。
うちでもこのサイズの絵を取り付けられる場所は居間の壁しかなかった。
頭ほどのサイズの父の眼球に見つめられながら、朝夕のメシを食う。テレビを見る。こどもをあやす。
どうなる?
そもそも、日本が受け入れればそのまま延長して、日本が拒否すれば延長しないもの?それともGSOMIA破棄は確定?アメリカの反応を見る限りまだ撤回は可能そう。
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/16993549/
アメリカは国益的には延長した方が良いわけだから、そう圧力をかけてくるかもしれない。
韓国は、延長の申し出に対する国内世論をクリアできるならば、日本に対してアドバンテージをとれる可能性がある。日本が拒否すればGSOMIA破棄を日本のせいにでき、日本が受け入れれば日本やアメリカからの再三の要求により延長した的な物言いができるかもしれない。
yashinegi 「○○してた人は、なんで○○しないの?」は詭弁。なにに言及しようが自由だしそんな時間など無い。左右限らずこの手の物言いするやつは全員バカ。
石川 優実 twitter 8/27 ツイートが多いのでキーワード韓国 仕事でヒールを強制しないでの人
web.archive.org/web/20190826135208/https:/twitter.com/search?q=from:ishikawa_yumi+%E9%9F%93%E5%9B%BD
伊藤 春香 (はあちゅう) twitter 8/27 電通勤務時の上司のセクハラを告発
web.archive.org/web/20190826151326/https://twitter.com/ha_chu
上野 千鶴子 twitter 8/27 反レイシズム団体 のりこえねっと 共同代表 不都合なエビデンスは出さない人
web.archive.org/web/20190826143541/https://twitter.com/ueno_wan
太田啓子 twitter 8/27 ツイートが多いのでキーワード韓国キズナアイをNHKに出すのは女性差別
web.archive.org/web/20190826152328/https://twitter.com/search?q=%E9%9F%93%E5%9B%BD+from%3Akatepanda2
辛 淑玉 twitter 8/27 反レイシズム団体 のりこえねっと 共同代表
web.archive.org/web/20190826145854/https://twitter.com/shinsugok
千田有紀 twitter 8/27 キズナアイをNHKに出すのは女性差別
web.archive.org/web/20190826151744/https://twitter.com/chitaponta
中沢 けい twitter 8/27 反レイシズム団体 のりこえねっと 共同代表
web.archive.org/web/20190826144829/https://twitter.com/search?q=%E9%9F%93%E5%9B%BD+from%3Akei_nakazawa
水原希子 広告撮影で、拒否したが多数の男性たちに撮影を見学されたことを告発
web.archive.org/web/20190826160247/https://twitter.com/kikoxxx
みなさん、お忙しいですね。
「部長」や「課長」が「きついと思ってる」というあなた自身の解釈ですよね。
子どもを産む産まないに関して何も話していないのに
考えてるように見えないんでしょ。
「忠告」じゃなくて「警告」とか言ってやれば気が済むんですかね?
弊社には妻以外の女性社員はおりませんので、言われようがありませんな。
「あなたの物言いに少しキツイなと思っている」のは「部長」や「課長」だけど読んでないんですね。
ちゅうこく
【忠告】
子どもを産む産まないに関して何も話していないのに
しかもそういう物言いって「ゼニよこせ」とか「配慮しろ」とか、そういう状況でしかしないからな
結婚祝いの席の最後らへんに、役職のないリーダー的存在の男社員(56くらい)から「子どもは早めに作ったほうが良い」と言われた。
たてつづけに「歳を取ってからじゃ遅いし」とも言われた。
リーダー男社員(56)は既婚子なし。経験則からの言葉だったのかもしれない。
セクハラマニュアルに書いてあったでしょう。同性でさえそんな事聞いてこないんですよ?
言われなくったって「子どもについて」は旦那と話し合っているし、産み育てたいと思ってますよ。
大人なので愛想笑いしつつ「そうですね」と返しましたが、帰りたい気分でいっぱいでしたよ。
いつも空気読めないですもんね。
仕事上の専門知識について相談して聞いたら、一通り説明が終わったあと
「そんなことも知らないと思わなかった」と嘲笑してきましたもんね。
大人なので愛想笑いしておきましたが、同じ事を言われて怒っている人とは大勢居るんですよ。
部長も、課長も、あなたの物言いに少しキツイなと思っている場面は多いんです。