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2023-09-27

東浩紀について

現在東浩紀新刊「訂正可能性の哲学」を読んでいる

私にとって、彼の著作は、何かを始めたいが不安が先立ち一歩を踏み出せない…といった折々に、背中を押してくれるものだったと思う

振り返ってみて懐かしくなったのでここに記してみる

(断っておくが、私は彼の熱心な読者ではないので、以下解釈が間違っていてもご容赦願いたい)

初めて読んだのは、書店たまたま目にした「弱いつながり」(2014)だった

この本には、固定化した状況での思考から導き出されることが選択肢の全てではない、不確かな状況や偶然に身を委ねることで思いがけない新たな出会いが得られ人生が豊かになる、というようなことが書いてあったと思う

他の人には当たり前なことかもしれないが、すぐに頭でっかちになって動けなくなる私にはとても新鮮なメッセージだった

当時20代後半で(当方女)、漠然結婚への焦りがあり悶々としていたのだが、読了後、通勤電車広告で目にした結婚相談所にエイヤッと登録し、もうなるようになるさと婚活を始めた

そして現在の夫と出会いトントン拍子で結婚に至ることができた

それから後の「観光客哲学」(2017)にも背中を押してもらった

(このとき書店トークイベントにも参加した)

この本で最も心打たれたのは、

子として死ぬだけではなく、親としても生きろ。

という箇所だった

これは、生物上の親と子を指すだけではなく広い意味で自らが何かを生み出すこと(誤解を恐れずにいえば無責任生み出すことを恐れない)の大切さを説いているものだが、文字通り私は子どもを持つことへのエールとして受け取った

私自身が親との関係があまり良くないため、「どんな子が生まれるのか、上手く育てられるだろうか」との不安を感じていたが、たとえ自分が完全な人間でなくても、どんな子が生まれてくるかはわからなくても、とりあえず子どもをつくってみよう、そしてその子どもがつくり出すものを見てみようと勇気づけられた

そして今では2人の男の子に恵まれ、日々四苦八苦しながら賑やかに暮らしている

背中を後押ししてもらったといっても、結婚出産というご普通ライフイベントだし、他の人ならすんなり経験できるのかもしれないが、私の場合、もしこれらを読んでいなければ全く違う人生だったかもしれない

「訂正可能性の哲学からもまた新しい何かを受け取れそうだと、わくわくしながら育児の合間に読み進めている

鬱病診断前の日記が出てきた

いつ書いたかも覚えていないような日記が出てきた。

--

かに向けて書くわけじゃないけど、「そんなこともあったな」って昔話にできたらいいなって願いを込めて書く。読んでくれたら嬉しいです

最近「なんのために生きている」のかわからなくなった

自分はとにかくメンタルが弱い。普通の人はなんとも思わないことでもめちゃめちゃ傷つく。人生第一目標は「なるべく死にたくならないように生きる」ことだった。側から見れば人生を舐めてると言われるような選択もしてきた。人生舐めて生きれるならそうしたかったよ

それでも回避できず死にたくなるようなことはたくさんあった。死なずにここまで生きられたのは、このまま死ぬのは惨めすぎるって気持ちや、映画とかアニメとか音楽とか好きなコンテンツに触れて、この世にはまだ美しいものがあるって思えたからだ。死ぬのが怖いっていうのも多分にあったろうけど

でも最近、惨めさも、美しいという気持ちも、どうやって感じていたのかわからなくなっちゃった。水の底から空を眺めてる気分

きっかけはたぶん、仕事だと思う。ちょっとしたことで傷つく出来事があって、自分から発言するのが怖くなった

たぶん普通の人ならなんでもないようなことなんだ。そう思うほどに自分普通じゃないことを思い知らされた気がして、仕事にも集中できなくて、成果は出ずさらに惨めになって。

勉強しよう、頑張ろうって思ってた仕事のことも考えるだけで頭が痛くなって嫌いになって。

その惨めさは私生活にも顔を出して、趣味創作も一切できなくなって、自分気持ち悪くて、辛くて。こんな弱い人間、どこの世界でも生きていけないだろうなって、「詰み」ってこういうことなんだなって思った。この辛さを頑張って乗り越えた先にだって楽しいことは何一つ待っていないのなら頑張る意味って、生きる意味ってなんだろう

こういうことは人生で何度かあったけど、本当に詰んだかもってここまで感じるのは初めて。自粛期間で心もやられちゃったのかな

だんだん認知も歪み始めて、世の中の人間はみんな楽しいフリをしてるだけなんじゃないか、みたいな哲学的ゾンビみたいなこと考え始めた。そんなはず絶対ないのにね

この長ったらしい文章最後まで読んでくれた人がいるなら教えてほしい。みんな何のために生きているのか、楽しいってどんな感情か、楽しいって気持ちは取り戻せるのか

辛いよ

--

結局この後半年休職した。一人で生活することもできなくなって、実家で死んだように寝ていた。幸運にも、本当にただの幸運だと思うけど、薬が効いて今は普通生活できるようになった。復職もした。

本当に死ぬしかないと思っていた人生がいい方に傾く日なんて来ないと思っていた。どうやって死ぬか、そればかり考えていた。

でも、今は生きるのが少し楽しい自分生活を少しでも良くしたいと思って家具家電も買い替えた。ドラム式洗濯機人類最大の発明だ。

人生そんなもんだ。死ぬとき死ぬし、運良く生き延びることもある。

から、なんていうか、諦めるななんてそんな無責任なことは言えないけれど、何とか生き延びてほしい。死にたくなるほど惨めでも、きっと死ぬよりはマシだから。死んだら何もかも終わりだから

この先の人生は、自分を助けてくれた、見捨てなかった人たちのために使おうと思う。

anond:20230927015543

女の扱いに慣れて落ち着いてさえいれば、妻子いるのに若い別の女に手を出す無責任男でもOK

 

将来的には結局奥さん選ばれて自分が捨てられるか、

自分が略奪できても慰謝料養育費ズブズブ取られて経済的メリットもなくなるがそれでもOK

 

ということ?

anond:20230927015248

その「女の扱いに慣れた落ち着いた男」とやら、不倫してる時点で漏れなく「妻子いるのに若い別の女に手を出す無責任男」なんやけど……

anond:20230927003549

何を知っとんねんというか、端的に「将来を悲観している」学生にはそういった対応必要じゃないのって言ってんだよ

逮捕された高校生バックボーンなんてのは知らんがな。知ってたらどうだってんだ。無責任なこと言うなってか?

もしその子が真っ暗な人生歩んでるとしたらそれこそ大人の手助けが必要だろうが

ほんで、自分から声上げないんだから先ず大人が声掛けないと駄目だろって話よ

人生とは目の前のことを粛々とこなしていくことです。悲観する必要は無い。でも将来への展望は持て。持たないと広がらない。意に染まないことが目の前にぶら下がって、それをこなす人生になります」って伝えないと

それを聞いた学生子供がどう反応するかは本人次第なんだよ(実際は無理矢理にでも大人が引っ張り上げてやらんといかんのだが)

2023-09-25

anond:20230925103156

責任」感があるなら責任を取るのは実際に仕事を回す事であって罪悪感をもって削られてとかやってたら最悪なのは自明なわけで

罪悪感も持たないで削られないようにプライベートでもちゃん自分管理して仕事を回すとならない時点でそれは責任感なんだろうか?

お前の手落ちでどうこうと責められた過去があるとかで自分を責めるような性格になってるというところに問題があってそれを放置しておくのは実は無責任なのでは?

聞いた感じ救急救命でワンミスで人が死ぬって仕事じゃないみたいだしそんなもん周りからしてもウジウジされるより適当普通に回してもらった方がええで

2023-09-20

トラブルきっかけは他人からでも、その物事に対して乗り越えられないのは自分のせいだからな?

そこらへんを無視する奴が他人環境のせいにするからね。何も変わらんのにね。

仕事においてもなんにしても、明らかに自分レベル不足なのに、誰かのせいにしてあっちこっち逃げ回る奴は怠慢すぎるから、私は大嫌いよ。自分と戦えないやつ嫌い。

自分自身を守るのに必死愚痴文句で誰かを叩き続けて自分と向き合わなくて済むように逃げ回る臆病なやつ大嫌い。反吐

手取り足取りしてもらえるほど、社会は甘くないってことよ。

転職した数が多い人にろくなやつはいない…

だいたい周りのせいにしまくる人だから

自分自身の成長から全力で逃げるやつだから

え?「自分が一ミリも成長しなくても済む都合の良い会社を探してる」って本気で言ってんの??????そんな意識で人様の会社転職してても永遠に終わらんぞ??????ガチ個人経営へどうぞ????????

無責任で、成長する気もないやつらの相手は、まぁ時間無駄だし、本人たちに向上心やらがないのなら、イラつくのももはや面倒なので、確実に縁を切る行動をこっちがするしかないんだわ〜

2023-09-18

京大といえばタテカンコスプレですよねみたいな風潮にうんざりする

単に日本最高峰一角で学びたいだけなのにコスプレやタテカン変人アピールして承認欲求を満たしたいだけのイキリ連中と一緒にされるのが嫌でならない。

自分が賢いというアピール京大を使う連中は仕方ないと思うし、自分も将来的にそういうカードとして使うつもりで入学した部分はある。

でも「個性的でしょボク?」みたいなアピールをするために京大というブランドを利用し、そのための手段としてタテカンだのコスプレだのといった恥ずかしい行為をする奴らにはいい加減うんざりする。

それを殊更面白いものであるかのように扱う部外者の態度も苛立つ。

無責任野良猫に餌をやるような感覚でアホな文化助長しないで欲しい。

既にあの文化は「つまらない人がつまらないことをやるフェーズ」に突入して長い。

元々そんな面白いものじゃなかったのが何故かここまで続いて伝統化してしまった。

あいうのが好きな人間が勝手にやるのを無理に止める気はないんだが、それを京大伝統象徴であるかのようにさえ扱う風潮はかなりイライラする。

たとえばハロウィン渋谷象徴みたいに言われたら、渋谷にあるハロウィン以外の要素が好きな人間はモヤモヤと来るんじゃないだろうか。

2023-09-17

anond:20230917154413 anond:20230917182749

ルールが正しいとは限らない。だから隙を見て破る・脱法する(キリッ』

これがB層で生きづらいちゃんくん・DQN思考のものなんですね

 

『俺/私は、XXXXからルールを守らず◯◯していい』

XXXXに入れるのが、金持ちでも、貧乏でも、有能でも、無能でも、発達障害でも、子持ちでも、なんでもいいけど、

ただただ地獄なんだね

そしてそういう人物を誰も信用しないし、そういう態度はあらゆるところに発揮されるんだね

(大抵はスキル人間関係に躓きが起きる)

 

好き勝手ルールを破るのではなく、ルール改定を求める手順を適切な踏んだり、

自分必要がないと思うルールなのであれば、そのルールを敷いていない組織に移れば良い

学校なら制服がない学校に行くとかね

 

必要なのは能力と誠実な態度であって、不誠実で無責任な態度ではないです

2023-09-14

トラブルきっかけは他人からでも、その物事に対して乗り越えられないのは自分のせいだからな?

そこらへんを無視する奴が他人環境のせいにするからね。何も変わらんのにね。

仕事においてもなんにしても、明らかに自分レベル不足なのに、誰かのせいにしてあっちこっち逃げ回る奴は怠慢すぎるから、私は大嫌いよ。自分と戦えないやつ嫌い。

自分自身を守るのに必死愚痴文句で誰かを叩き続けて自分と向き合わなくて済むように逃げ回る臆病なやつ大嫌い。反吐

手取り足取りしてもらえるほど、社会は甘くないってことよ。

転職した数が多い人にろくなやつはいない…

だいたい周りのせいにしまくる人だから

自分自身の成長から全力で逃げるやつだから

え?「自分が一ミリも成長しなくても済む都合の良い会社を探してる」って本気で言ってんの??????そんな意識で人様の会社転職してても永遠に終わらんぞ??????ガチ個人経営へどうぞ????????

無責任で、成長する気もないやつらの相手は、まぁ時間無駄だし、本人たちに向上心やらがないのなら、イラつくのももはや面倒なので、確実に縁を切る行動をこっちがするしかないんだわ〜

2023-09-13

最近バズることだけを目的に、共感されそうな問題提起だけしてぶん投げる無責任漫画多くない?

anond:20230913090407

粗削りだけど光るものがあるなんてことを無責任大人はよく口にするじゃないですか。

かなり最近アマゾンでわざわざ取り寄せてそれを読んで、それがどういうことか分かりましたね。ええ。

2023-09-11

anond:20230911095418

フリー経営コンサルとか無責任の塊じゃんな

経営者こそ他人無責任ものだと知っているだろうになんでそんな奴に頼ってしまうのか

「もうおしまいだ!」僕は僕は僕は僕は僕は僕は

「もうおしまいだ!」僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は僕は! 」a先輩は俺は××だ^_^とあまり無責任発言にも関わらず、彼女の心ここにあらずな雰囲気でしばらく俺はa先輩と付き合ってから、僕はまた彼女に会いたくなった。というのも、僕の彼女が凄い可愛いのと、俺よりも5つ年上のa先輩はとにかくルックスが最高だったからだ。一緒に買い物に行った帰り、近くまで寄ったの

Anond AI作成

2023-09-10

anond:20230910195659

DV加害者の男ってよく自殺するんだけどちんさんは無責任加害者の癖に死ぬカスってだけじゃね?

2023-09-09

anond:20230909212704

中受に良い顔しないうちの夫と同じこと言ってる

それ子供人生無責任な男の意見だよ

anond:20230909211621

公式ファンによる誹謗中傷を注意する責任がある】

こんなコメントが人気になっててビックリしたわ。

Vtuber が「他の配信者さんのコメントで私の名前を出さないでください」って注意喚起してるけど。

それを書いてない Vtuber無責任扱いになるんだろうな。

ジャニーズ問題、今こそネット民の力が試されている

第三者調査会の報告、社長交代による新体制の発足を経て、ジャニー性加害問題は一旦ひと段落ついたといっていいだろう。

この問題の主戦場は、いよいよジャニーズ事務所やその被害者、つまり当事者を離れ、関連企業取引先の企業公的団体、そしてファン視聴者という周縁に移ることになる。

簡単に言い換えると、今までは「ジャニーズ事務所がどうするか?」が問題だったわけだが、これからは「ジャニーズ事務所の出した答えに対して周りがどう評価するか?」が問題となる。

そうするとどうなるか?

我々ネット民お得意の無責任上から目線放言や知らんぷりができなくなる。

なぜなら、これまではネット民にできることは見守るくらいしかなかったわけだが、これから非難したり、擁護したり、デモ不買運動などできることが増えるからだ。

当事者として行動できるのにそれをしないというのは、悪く言ってしまえば偽善者、あるいは卑怯者だ。

ジャニーズや、ジャニーズと取引する企業、出演番組広告を出している企業に対して抗議の声をあげないひとたちは、結局のところ小児男児への性加害などどうでもいいことだと思っているひとたちだとみなされても仕方がない。

そういう人たちは今後日本社会日本マスメディア環境に対して批判する権利はない。なぜならあなた自身がその環境を支え、存続させようとする勢力の一員だからだ(当人にその自覚はないかもしれないが)。

社会構成する一員でありながら、その自覚がなく、その役割を果たすこともなく、その責任を負うつもりもない人間意見など、誰が耳を傾けるだろうか?

話が長くなってしまったのでまとめるが、つまりネット民は今こそおのれの存亡をかけて立ち上がらなければならないのだ。

 

で、ここからが本題。

戦争が起ころうとしている。

ジャニーズを切った企業不買運動を呼び掛けているジャニオタ勢力ジャニーズを切らない企業不買運動を呼び掛けている反小児性加害の戦い。

いまのところ目に見える数で言えばジャニオタ勢力の方が圧倒していて、ジャニー擁護企業への不買運動全然盛り上がっていない。

このままいけばジャニオタが勝ち、ジャニーズは体制を変えることな業界に残り続けるだろう。それを日本社会が受け入れたのだから。それが日本社会の総意なのだから

そうなってしまったら、ネット民に立つ瀬はない。今後いくらマスメディア批判日本旧態依然とした社会批判をしたところでもはや誰も聞いてくれない。できることがあったのに何もやらなかったダッセーやつなのだから

さあ、今こそネット民の力が試されている。

かつて韓流に傾倒するフジテレビ電凸、不買、デモをはじめとする数多の抗議活動で追い込んだ時のように、日本社会を変革する一助になれるのか、それとも何もせず、変わらぬ社会に不満を垂れながらただ朽ちていくのか。

ネット民明日はどっちだ。

anond:20230908184604

ジャニーズ問題ってさ

まず創業ジャニー喜多川が、自分のところの商品に手をつけてたのが犯罪だよね

ケーキが大好きでケーキ屋さんになったところで、商品ケーキを食べたら自分で食べた分も売り上げに計上しないと脱税になるよね

男娼業もやってたなら届け出をしておけばよかった話かもしれない

とにかく

目的外のことを

②隠して行っていて

③実際に被害や損害が出てた

まずひとつ、これはジャニー喜多川という人間一人の問題だよね

これについては、本人を責めればいい話だよね

次に、そのジャニー喜多川商品バカ売れなのでメディアはこぞって使ってたんだよね

視聴を稼ぐために使うには卸してもらわないといけないので、商品に手をつけてたことを知ってても黙ってたんだよね

ここが二つ目問題だよね

メディアは知りませんでしたですまないところでも見かけてましたって証言もしてるんだからほう助だよね

しかに一つ目の「本人の問題」が大きな原因で「本人がそれを行わなければ被害は発生しなかった」のだけど

それを行うことができる環境を知りながら放置してただけじゃなくて「本人がそれをしやすいように」という流れ

まり売れるためにはという条件を前提に追加する手助けをメディアがしてたことになるよね

セクハラしてるから使わないとか、スクープするとか、訴えるとか、やめたほうがいいと言ったりせずに

黙って見過ごすだけではなくて、そのあと起用して売るってことは第一問題をより大きくするためにかかわってるよね

から第一問題と同じくらいの大きさの問題としてほう助になるんじゃないか

ここで一旦、現在問題についてになるんだけど、ジャニー喜多川はもういないので今後被害は発生しないよね

現状、その被害者を叩くことで故人を弔う形になってるけど、まあそういう風習なんでしょとしか言えないけど

実際今後は被害者増えないよね

でも、メディアはなんにも変わらずそのままの状態で存続してるよね

ジャニー喜多川以外で、性別も男女どちらかについて、出演の都合をしたり露出度をあげることで人気があがって

人気があがるから露出度があがるという調整の権利をもってる人が、あつかってる商品にしたいことをするために

メディアを使っているとしたら、今現在進行形被害をうけてる人がいるかもしれないってことだよね

でも、個人を叩くために現在いる被害者を干すことで弔ってくことでそれをかくしてはないのかな

他にセクハラをうけてるタレント俳優存在してないのかな

被害者は「被害をうけました」って声を上げて犯罪を阻止する義務を行ったか共犯とみて叩いていいのかな

いじめられる側が報告義務を怠ることでいじめ助長してるとみるのがただしいという指針なのかな

問題の話にもどって、三つ目にその被害から仕事を奪う事が問題解決とか浄化につながるのかな

被害者は被害をうけましたって訴え出ないと、退職に追い込まれたりしたとしても内部告発しないと共犯みたいな扱いか

第一に本人、第二に環境やほう助の協力者、第三に被害者本人のどれに問題があるのかって考えたらさ

第二のほう助が、一番利益も得ていて、一番阻止できる位置にあったのに、自分の都合のためだけに黙って、自分のうりあげのために黙ってたというのが問題が大きいと思うんだよね

そして一番問題になってない、そしらぬ顔で加害者の異常性と被害者の無責任性だけ叩いて、それでまた儲けてるみたいな

ジャニー喜多川傘下で加害者側の現存人間もいるだろうし、それ以外の事務所立場人間で同じことをしている人間がいないわけではないんじゃないか

ジャニー喜多川以外に性加害をしている人間なんていないとして、性だけじゃなくていろんな問題行為をしてる、たとえば大御所古参歌舞伎役者が横暴だとかいう話とかなかったとしても

それでもメディアジャニー喜多川について、その人ただ一人が地球上でゆいいつ以上な行動をとる人だったとして、その行為を許したのは本人なのか天なのか世界なのか

はたまた不動産の所有者だったのか密室管理者だった人か火元責任者だったのか、親族なのかファンなのか広告主だったのかっていったら

やっぱり知っててなおかつ金儲けにつかったメディアがほう助しなければそんなことは防げたのかもしれない、問題を拡大したものメディアだったんじゃないかって思うんだよね

個人としてはメディアが、ただザルみたいに情報を伝えるだけの機能をすることが大事みたいな話をするんだったら

隠したり記者感想を盛り込んだり、売れるものだけ偏って売るみたいなこと自体問題なんじゃないかって思うしその結果の一つがこれなだけで

まだまだいっぱいあるんじゃないのかなって、それも小出しに売っては寝返って、だれかの責任を追求しましょうって煽って、それをまた売っていくこと自体問題だと思った

被害者の顔をみると思い出すみたいな意味使用を控えていくスポンサーが増えていくのは負のスパイラル感あるとおもうけどそれで浄化して立て直せるならいいかなとおもうけど

メディアはそこらに焚きつけてまたそしらぬ顔でただ立ち直れもしない被害者を燃料にして儲けていくだけってするのはよくないんじゃないかなって気持ちになってる

みんなは一番問題なのはどこだって思ってるのか聞かせてほしい

2023-09-08

少子化対策結論的には子作りの努力目標化と独身税しかないと思う

子作りは個人の「子を持ちたい」という願望への依存だけでは、必要十分ではない。→人間が生まれる源である共同体の維持、持続性には個々人で子作りの負担を分担しようとしないと維持できない。結果的に、今より格段に貧しかった先祖の苦労で生存できているのに、自分の代になれば、辛ければ後世を残すという責務はなくて良いのか?子作り育児の困難をいかに取り除こうとするのではなく、絶対負担がある子作りの困難をいかに受け入れられるようにするかが肝心。子作りの「位置付け」を、苦労で諦めてしまう「個人意思や願望でもうけるものから個人、および共同体の持続性に必要不可欠なもの位置付け、税のように広く必ず「共同体負担すべきもので個々人が協力すべきもの」へ。現代人の自由人権を守って、貧しければ子供を作らずに少子化でどんどん日本人が減少し、移民主体の国に置き換わっていくか、個人が貧しくても子育て負担を受け入れて生き残るか、突きつけられる究極の2択ーー。いや、子を持ちたい人を支援すれば、子供を欲しがる人の意思だけで、増えていくハズ←増えませんでした(確定事実・少しでも出生率改善しているわけでもないので、量が不足していると考えるより、方向性が間違っていると考えるべき)。

出生率低下の原因】

現代は昔と比べて出生の要素が減少した(子作りを個人意思コントロールできるようになった)。

出生率が高かった時代の子が生まれてくる要素は①「子を持ちたい願望」に加え②「農業労働力や後継男子が生まれるまで子を作ろうとした(インセンティブがあった)」③「道楽としての性欲」④「避妊堕胎がなかった」←そもそも出生率が高かった昔も親の子供を持ちたい希望だけで、人口が維持、拡大できたわけではない。つまり、本意でないのに作っていた群もいて、その結果、人口が維持拡大できた。いわば、不本意でない出生が人口維持や増加を支えていた。もちろん苦労もあり、苦労と出生数はトレードオフ関係だった。

しか現在日本(他の先進国も)は①子を持ちたい願望だけの「一本足打法」になった

子供が生まれる要素が減り、これだけでは出生率2以上には足りない。もともと、子供を持ちたい願望のある世帯だけでは、出生率2に足りない。

・個々人にとって結婚や子作りに消極的な主な理由経済環境があげられるが、人間社会にとっては少子化になったのは願望や愛情をそそぐ満足感を得るためのものになった(子供位置けが生産材→消費財へ)

・原因は子作りや結婚経済環境的な障壁ではなく、障壁に感じるかどうか。

→それは、結婚や子作りが個人主義の台頭でほぼほぼやるべきものから個人裁量対象になり、個人志向

依存することになり、(例・ペットは狩りができなくなったのは、ペットに聞けば狩りは難しい事を原因に上げるが、本当の原因は人間に飼いならされてしまたから)

理想の子供の数の平均は2.5人程度だが、これは貧しければ簡単に諦める人も含まれる「熱量」が全く考慮されていない数値。資本主義という制度上、必然的存在する貧しい層の存在に対し、「賃金を上げられれば」など、無責任で実現できないタラレバを唱えても時間の浪費と共に少子化が進行するだけ。

・したがって、いくら育児支援をしても、子を欲しがる人の数が足りないので効果が出ない。アンケートでも、金銭面や環境面だけではなく、自分時間が潰れるのが嫌だからという回答多数。

先進国ほど少子化、豊かになるほど少子化 ←エンゲル係数は下がり、全自動洗濯機など家電は便利になり、家事負担も減り、保育所の整備は進み、待機児童も減り、育児休暇率も上がり、男性育児参加も進んでいるのに、出生率は低下。結局、子作りや育児負担がある限り、また別の何かに不満や負担を感じてしまう←不満や負担問題解決ではなく、どのみち解消できない不満や負担を受け入れることが重要

個人自分にとって最適な行動(コスト負担を避けるために子供を作らない)をするほど、出生率は低迷する

過去と比べた場合出生率低下の原因=1970年代前半まで既婚率97%、貧乏人でもほぼ結婚して子供を作っていた。「個人主義の台頭による子づくりの優先順位の低下」(経済環境で諦める対象になった。子作りにおける世代扶助より自己実現を優先)経済環境は原因ではなく結果。

・昔「みんな必ず、大変でも子供は作りましょうね」→現在「子作りは各々の自由ですよ〜」→当然、経済的、環境的に大変な人は子作りを避けるようになる

・逆にいうと、子作り圧力などにより、先代が結果として自己利益犠牲(昔の方がエンゲル係数が高かった→昔は今より無理して子供を育てていた)にした結果、現代人が存在できる。

社会のレールは「子作りと仕事の両立」ではなく、実際には「完全に仕事を優先」(新卒一括採用の掟)してしまっている

教育費が高い問題子供の数が少ないから、教育費に金をかけられる→金をかけるから金がかかるになる。

出生率向上の上でのポイント、注意点】

負担回避しようとする(無理=その間に少子化がどんどん進行してしまう)のではなく、いか負担を受け入れてもらうか。出生を子育て世代の願望による産物ではなく、生物学的な道理摂理に根ざしたものにすべき(人口維持に必要な数を目標にすべき)。→手順や方法ではなく、結果(出生率)に拘る。ターゲット戦略型にする

・子作りは楽ではなく、元々大変なもの問題なく少子化解決できる「魔法聖杯」を探し続ける時間が長いほど少子化は進行してしまう。

移民政策では、出生率低下により減り続ける日本人少子化問題解決しない。→単純に減り続ける日本人の代わりに移民と置き換わるだけで、共存が続くわけではない。X字のように、時間の経過とともに、人種構成移民と置き換わるだけ。日本人がいなくなっても日本列島に移民がいれば解決ではない。

少子化対策は質より量を目指す。数字ありきが正解。←質を保ちつつ、量を目指してきたが、結局失敗した(量が競争により質を向上させる面も)。

・出生の機序と誤解

生物学的には性欲→性交渉→出生→愛情が芽生えて育児 

子供が欲しいから作る人が大半だが、全てではない。←ここがポイント。完結出生児数が2ならば、100%の人が結婚しないと少子化確定(そんなの無理)。

そもそも、全ての人が最初から結婚し、子供を望んでいるわけではない。←生物学的にも子供本能希望だけではなく、元から全ての要素ではない。←あくまで授かって生まれ子供愛情が芽生えるのであって、愛情最初からあって作ろうとするのではない(本来は順序が逆)。

労働やりがいではなく、出生率を優先すべき。持続性が生命大前提。それが担保された延長線上に個人のやりたいことや夢がある←人間は目先の報酬を優先してしま

・子作りは生物学原理なのに、個人価値観対象としてとらえらてしまっている。→生物自己価値観合致しているか子供を作るわけではなく、あくま本能人間生物額的本能が退化してしまった可能性がある。

共同体の持続性は、個々人の負担で達成される。(個人利益と相反)共同体というプールがあるから人間存在できる。一代(今の自分自身)の人間利益を最大化すると共同体の持続性が毀損され、やがて人間少子化によりどんどん存在できなくなる。

選択肢が多いほど不幸になる「選択のパラドックス江戸時代農村結婚相手が限られていた

・「出生率向上の目標」は子育て環境満足度や子作りの納得感を上げることではなく、出生率の数値を上げること。子育て世代の満足感の向上への努力出生率向上に繋がっていない。納得感、満足感ではなく、出生率数字向上を重要視する(少子化感情モラル倫理観ではなく、「数」で決まる現実を受け入れる)

子供を増やすことによる副作用より、まずは頭数が重要。無理に増やすと、問題も増えるといって対策を打たなければ、プラマイゼロではなく、出生率低迷の長期化による出生数減はどんどん進行する。

・無理やり増やそうとするデメリットより、少子化デメリットの方がはるかに大きい(子供を無理に増やすことの問題が増えても社会は持続できるが、少子化時間の経過で物理的に絶滅する・例=癌と一緒。痛みがなく治る方法を探しているうちに、どんどんガンが進行して取り返しがつかなくなる。

→痛みがない方法はあるかもしれないが、見つからない段階ならさっさと痛みを堪えて切除するしかない)。現状は、「賃金を上げよう。環境改善しよう」と雀の涙給付無責任念仏を唱えるだけ

→これで出生率が上がるわけがない。

・子作りは自由から逆に責任が生まれ責任回避動機から減ってしまう。

子供を作る方法自体は、性交渉であり、実は簡単動物繁殖もやることは分かっているため、簡単。ただ、現代社会性交渉の機会を増やすことは非常に難しい。また、人間で難しいのは人権があるという点。逆に言えば、出生率改善しにくい原因は子育て世代人権保護を「優先」する為と言える。さらに逆に言えば、かつての子育て世代は周囲のプレッシャーなど窮屈な思いをして、自己実現生活水準我慢した結果とも言える。10割、自分の為に生きるのではなく、3割は次世代の為に負担を受け入れるという考え方の共有が重要

少子化解消への解決策】

・子作り(親世代が子世代を作って育てる=「世代扶助」)の重要性を教え、その価値観社会と共有する

→親や先祖による世代扶助(子作り負担)の結果、現代人が存在できるという仕組みを、しっかり社会で共有する(自由人権を主張できるのも、親や先祖の子作り負担の結果、出生できたから)←この因果関係をしっかり理解する。

・子を持つことの「社会位置付け」を変える

→子を持つことを、子育て世代の「幸福の実現手段の一つ」から社会的に共同体にとって「絶対必要不可欠な原理」に変える。←子育て世代の子どもを作ることへの責任感の向上があり、社会からの協力も得られやすくなる。

→子作りを義務的に考えれば、必然的教育競争は弱まる。現在自由意志だから結婚子育て競争になる。(生物学的に必要不可欠な要素は競争ではなく、分配の方が結果的にうまくいく)義務的になれば、無茶な競争意識から解放され、育ってくれればとりあえずOKとなる。実は義務である方が責任がなく子ができた後は精神的にはかるかに楽。自由意志だから責任が伴う。

↓↓

社会的に解決困難な課題個人にとって避けたい行動を導くにはルールを作り、負担社会全体で分担するのがセオリー。つまりルールを作ることが解決策。出生率が高かった時代事実上、ルールとして意識されていた。

ルール化と政府による積極的な子作り推奨・子作りの「社会的な位置付け」の変更←子育て世代希望者だけ子供を作るのではなく、皆で分担して作る→結婚子供を作る人が増えれば、相手も見つけやすくなる。

個人として避けたい負担でも全体にとって必要不可欠な行動はルール化するのが古今からセオリー、例えば税金貧困者も負担する。国によっては徴兵制もある(こちらは国を守るために命を投げ出せと言ってる)

子作り子育て世代になれば、子供を作りましょう(もちろん健康問題がある人は除く)

・子作りのタスク化(個人の願望の産物だと、モチベーション環境に左右されてて必要出生率を確保できない)

政府による要請

政府は期待、支援するだけではなく、能動的に子作りを「要請し、積極的に推奨」する。あらゆる生物共通する、共同体が持続するための『世代扶助原則負担があるから持続する)』を説明すれば多くの人は理解できるはず)

個人の「幸福手段」の一つとして子作りを位置付けるから幸福でないなら子供を作らないという行動になってしまう(幸福手段という位置付けだから、基本「勝手自助努力でやれ」になる)。大前提として子作りを「幸せの実現手段」ではなく、「個人存在の源でもある共同体の持続性に不可欠な存在」と定義する。そうすれば子育て世代は子作りに対する責任感が生まれ政府会社社会負担を受け入れて協力的になるはず。

②有利不利で動機付ける

実質的な「子なし税」の導入

人間は得をするための行動より、損を避ける行動を重要視する(「損失回避」=プロスペクト理論)例えば45歳以上で子供がいなければ、所得10%を課税される→早めに結婚でもして子供を作ろうとなる。また、子なし税は応分負担原則からいっても、共同体構成や成立、持続性において必要不可欠である子供を作らないのに、福祉だけ享受するのは不公平という理屈もある

・多額の給付金(財源は一般会計とは別枠の「子供国債方式」で持続性を担保→時の政権の介入を防ぐ。不正受給を防ぐために日本国籍限定

一生の納税額は少なくとも3000万円。1000万円配っても十分、ペイできる。

財源節約には、最初動機を高める第1子と子供を増やすための第3子以降を手厚くする。親のパチンコ代のために無責任に生まれても、生まれてこないよりもはるかにマシ。

良いこだけ産まれてくればいい、という都合のいい解決策は存在しないことを良い加減、学習しましょう。現代人が存在できているのも、元々は祖先労働力欲しさや性欲など打算の結果でもありす。もともと「子を持ちたい親の気持ち」だけで子孫たる現代人が存在しているわけではない。

子育て支援(そうはいっても大事)

・誰でも使える認可保育園学童保育の24時間営業バカ親に育児放棄されるより100倍マシ、育児負担感は大幅軽減、効果的な幼児教育もやればいい)

繰り返すが、人権個人自由などを一部、我慢して、仮に自身環境が悪くても、後世を残すことに対する負担をしないと、共同体の持続性が損なわれ、やがて個人少子化により、存在できなくなる。いわゆる移民政策を導入しても、減っていく日本人の傾向は変わらず、日本人が滅んで移民に取って代わられるだけで、日本人の持続性を担保できる政策ではない。

負担を受け入れても、子供が増えれば社会希望が増し、投資が増え、国民は豊かになる。

2023-09-07

anond:20230907174050

別に責任は取るって言ってるわけじゃん。

責任を取るor取らない」じゃなくて、外野から無責任に「もっともっと責任を取れ!」と言ってる人たちの意見を聞くべきかどうかという話だと思うが。

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