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誰かに向けて書くわけじゃないけど、「そんなこともあったな」って昔話にできたらいいなって願いを込めて書く。読んでくれたら嬉しいです
自分はとにかくメンタルが弱い。普通の人はなんとも思わないことでもめちゃめちゃ傷つく。人生の第一目標は「なるべく死にたくならないように生きる」ことだった。側から見れば人生を舐めてると言われるような選択もしてきた。人生舐めて生きれるならそうしたかったよ
それでも回避できず死にたくなるようなことはたくさんあった。死なずにここまで生きられたのは、このまま死ぬのは惨めすぎるって気持ちや、映画とかアニメとか音楽とか好きなコンテンツに触れて、この世にはまだ美しいものがあるって思えたからだ。死ぬのが怖いっていうのも多分にあったろうけど
でも最近、惨めさも、美しいという気持ちも、どうやって感じていたのかわからなくなっちゃった。水の底から空を眺めてる気分
きっかけはたぶん、仕事だと思う。ちょっとしたことで傷つく出来事があって、自分から発言するのが怖くなった
たぶん普通の人ならなんでもないようなことなんだ。そう思うほどに自分が普通じゃないことを思い知らされた気がして、仕事にも集中できなくて、成果は出ずさらに惨めになって。
勉強しよう、頑張ろうって思ってた仕事のことも考えるだけで頭が痛くなって嫌いになって。
その惨めさは私生活にも顔を出して、趣味の創作も一切できなくなって、自分が気持ち悪くて、辛くて。こんな弱い人間、どこの世界でも生きていけないだろうなって、「詰み」ってこういうことなんだなって思った。この辛さを頑張って乗り越えた先にだって楽しいことは何一つ待っていないのなら頑張る意味って、生きる意味ってなんだろう
こういうことは人生で何度かあったけど、本当に詰んだかもってここまで感じるのは初めて。自粛期間で心もやられちゃったのかな
だんだん認知も歪み始めて、世の中の人間はみんな楽しいフリをしてるだけなんじゃないか、みたいな哲学的ゾンビみたいなこと考え始めた。そんなはず絶対ないのにね
この長ったらしい文章を最後まで読んでくれた人がいるなら教えてほしい。みんな何のために生きているのか、楽しいってどんな感情か、楽しいって気持ちは取り戻せるのか
辛いよ
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結局この後半年休職した。一人で生活することもできなくなって、実家で死んだように寝ていた。幸運にも、本当にただの幸運だと思うけど、薬が効いて今は普通に生活できるようになった。復職もした。
本当に死ぬしかないと思っていた人生がいい方に傾く日なんて来ないと思っていた。どうやって死ぬか、そればかり考えていた。
でも、今は生きるのが少し楽しい。自分の生活を少しでも良くしたいと思って家具家電も買い替えた。ドラム式洗濯機は人類最大の発明だ。
人生そんなもんだ。死ぬときは死ぬし、運良く生き延びることもある。
だから、なんていうか、諦めるななんてそんな無責任なことは言えないけれど、何とか生き延びてほしい。死にたくなるほど惨めでも、きっと死ぬよりはマシだから。死んだら何もかも終わりだから。