はてなキーワード: 日記サイトとは
趣旨は上の通り。
自分がオタクだと自認するようになってからこっち、10年以上にわたって、オタク差別けしからんと言い続けてきた。
ここ数年、なんとなくそれに違和感を感じることが多くなってきたけれど、それでもやっぱり言い続けてきた。でも今回はっきりわかった。
オタク差別批判とか、ただの害悪でしかない。もうやめたほうがいい。
差別というのは、権力構造に根差すものであるという話をだいぶ前にツイッターで見た。
つまらない約束事のように映ったけれど、まじめに考えるとこれを踏まえないから、差別を相対化して見せては矮小化や言葉遊びにふけるような態度が出てくるのである。日本人ヘイトだの専用車両は男性差別だの在日韓国人による逆差別だの、差別者以外にとってはおもしろくもおかしくもない大喜利パズルでここ何年かでいったいどれだけ無駄な足止めにいそしんでいたというのか。ちゃんとベースを踏まえてこそ、くだらない袋小路にはまらないで済む。これはちゃんと物理を学んでいない人がブルーバックスくらいだけに目を通しただけで「矛盾」を発見し、相間さんと化すときに似ている。
今まで自分が存在していると思っていたオタク差別は、多分差別ではない。それは、いじめであり、パワハラであり、DVである。
そう視点を変えた方が、いろんなものが整合性をもって見える。中学校時代よくいじめにあっていた同級生は、オタクじゃなかった。正確に言うとオタク「も」いた。
でもそれは、そいつと俺が割と仲が良いから知っていた話で、きっかけは別のところにあった。運動音痴だから足手まといだという扱いだったり、成績がよくて生意気だという扱いだったり、DQN憧れの男の子の彼女だからだったりした。
もちろんきっかけが「オタクだから」というケースもあるんだろう。でも、それはこういったきっかけのワンオブゼムでしかない。それを、民族差別や女性差別と並べるのは、視野が広い人間ではなくただの雑な人間だ。
「差別じゃない」というのは、多分そういうことなのだ。そして、差別じゃないから批判の対象にする必要はないという話では、たぶんない。別の枠組で批判すればいい。
なのにもかかわらず、熱心にじゃああれは差別じゃないんだーという大喜利ばかりをしているツイートばかりが「オタク」から流れてくる。いや、どうしてもそこのところをわかりたくないのかもしれない。
わかりたくないのか、わかろうとしないのか、本当にわからないのか、どれなんだ。
いろいろ、「オタク差別の事例」というのが流れてきた。前なら、そうだそうだと怒りをぶちあげたであろうものがたくさんある。でもそれはどれもこれも、オタク差別の事例ではない。
そういうものを引いて行って、ある程度確実にあったんじゃないかと思えるのは、「マスコミを通じたもの」だと思う。特にバラエティやニュースを通したもの。
それで思い出すのだけど、俺の中高時代はあんまりオタクがいいとか悪いとかいう意識を持つことじたいあまりなかった。今思えば自分の机でいつも小説を読んでいて、たまたまホームページの話になったとき「私も持ってる」と言ったのでURLは?と何の気なしに尋ねたらそれはちょっと……みたいに返してきた女の子なんかはオタクだったんだろう。自分だって漫画は好きだったしオタクだったはずだ、今にして思えば。
じゃあ、そこにどうやってオタクキモイみたいな「偏見」の存在を知らされたかっつーと、漫画だったりインターネットだったり、そして「オタク自身の言説」からなんだよね。
だって、バラエティ番組なんて中二病まっさかり(高校になっても中二だったので)でほとんど見てなかったし。ニュースといってもこの手の話ってだいたいワイドショーである。やってる時間は学校にいるんだから見るわけがない。
金田一少年の事件簿には、小太りですぐキレ気味になる、「オタク」が登場した事件があった。こち亀で、美少女フィギュアを専門とする「色白でアニメ好き」なオタクが登場して、硬派フィギュアマニアのつもりな両津が逃げ出すという展開が「オチ」として機能していた回があった。名探偵コナンのホームズフリークの回は……さすがにこの文脈で語るものではないか(でも動機の酷さは「オタクなんてそんなもんだろう」という共通認識が背後にあるような気がする。知らんけど)。
テキストサイトが一世を風靡していたころ、オタクやオタクに向けられたコンテンツは叩かれる「べき」もの扱いだった。非オタク向けの、スポーツとかファッションを語るページに迷い込んだら叩かれたという話ではない。漫画の感想サイトや、漫画やゲームをメインで扱う日記サイトでの話である。
何を言っているか分からない人もいるかもしれない。例えば、ラブひなやいちご100%やBLACK CATは、軟弱な頭の弱いオタクのためのコンテンツであり、あんなものにゲヘゲヘゆってるオタクマジキモイ。ホイッスルやミスフルやテニスの王子様は腐狙いコンテンツであり、あんなものに(ry そういう話である。この範囲は結構広くて、らんま1/2やH2ぐらいでもオタク向け扱いされることがあった(もちろん、当時これらが連載されてたわけではない。あれってオタ向けの駄作だったよね―みたいな扱い)。
もちろん彼らが持ち上げるコンテンツというのもあったのだが、この文脈で実例を挙げるの風評被害でしかないので避ける。俺の好きな作家や作品も混じるし。
テキストサイトだけではなく、2ch(当時)もそんな感じだった。少年漫画板とかそのへんをよく覗いていたのだが、まあ当該作品のスレは愛読者が集まるのでそうでもないこともあるのだが(そうであることもある)、総合系スレでのオタクコンテンツ叩きはかなり強固だったし、漫画とか関係ないジャンルの板だとなおさらだった。
そういうものにどっぷりつか……もとい接しているうちにオタクというのは叩かれるべき存在であるのだなというぼんやりとしたイメージが自分のなかで出来てきた。これにもう一つ後押しするように影響したのが、自分はオタクだと称する人が、迷惑行為や触法行為のようなものを自慢しながら、「ホラ俺たちオタクだからさ」みたいに語っている文章に接する機会があったのも、ああそういう人がオタクなんだなと認識させられた。
ちょっと話はずれるけれど、当時は、オタクとマニアの違いなんていう言い方があって、オタクはそういう迷惑なものを抱えた側の人間やハマりすぎて社会に順応できなくなっている人間、というような線の引き方もあった。
これは、あくまで俺の話である。だから、他の人がどう偏見を植え付けられたかは、また別の話があるかもしれない。でも、オタク差別を煽ったものとして、「漫画」「インターネット」「オタク自身」という声を、この話でオタク差別に怒っている人の口から出てくるのを見ないのだ。
ここで挙げたのは、知る人ぞ知るみたいなのじゃなく、だれもが知る有名漫画、リドミで上位常連の大手サイト、オタク文化人として今でも名前を出せば通じる、みたいなのばかりを念頭においている(まあ当時のインターネット文化がそもそも、知る人ぞ知るなものでしたけど)。みんな、俺とは違う漫画やインターネットを見ていたんだろうか。ワイドショーやバラエティばかりを見ていた「オタク」がそんなにたくさんいたんだろうか。
本当に不思議なのだ。あそこでこんなオタクへの偏見に満ちた報道があったんですよっ!というようなツイートは大量に流れてくるのに。
これが本当に、ここ数年で疑念として大きくなった末に、今回愛想がつきた一番のポイントなんだけど。
オタクが差別を受ける構造が、あったとする。それは、ネットで語られているほどは大きくないかもしれないけれど。
それで、今、オタクってなんなんですか、と。特にネット上では、強者、抑圧する側、差別を行使する側の「集団」として機能してませんか、と。
腐女子叩きは昔からあったけれど、女叩き、中韓叩き、などは当たり前のように横行している。時々流れてくる、弱者の権利をなんとかして奪ってやろう、人権思想じたいを矮小化してやろう、という意気に満ち満ちたツイッター漫画は誰によって大量RTされているのだろう。俺のところにはだいたいオタクさん経由で回ってくるんだけど。
趣味、という切り口でみても、オタク文化を愛好する人が自分たちと関係のない趣味なら平気でdisる光景というのはそんなにたぐいまれだっただろうか。インスタ蠅なるイラストが回ってきたことがある。そもそもインスタに投稿するのが趣味になっているような女性を叩くようなツイートが回ってきたことがある。鉄オタは「池沼」「ガイジ」であるなんて言い方もある(「」内は原文の表記を尊重)。ゴルフや車などを老害の趣味だとバカにしていたりもする。そうそう、スイーツ(笑)なる言い回しはいったいどこのどういう人によって流行したんだろうか。「リア充爆発しろ」というフレーズに何げなく込められた、自分と関係ない集団への軽視に、どれだけの人が気づいてたんだろか(だって「爆発しろ」だよ。あの連中、有明に15万人集まったタイミングで奴等爆発四散しねえかなーって非オタな人が言ってそれがそっちの界隈で大好評を博したら、インターネットな皆さんの間でどういう反応が起こるか考えてみたらいい)。
そんなオタクばかりじゃないというのは分かる。というか俺がこういう文章を書いてる時点で分かれ。でも、個の話じゃないのだ。集団としての性質の話である。あれだけ、全共闘や学生運動について冷笑ぶって叩く人が追いのに、そこに気づかないってどうかと思う。あとリア充爆発しろは使ってましたすいません。
それに、そういったところで、こんなふうにちゃんと抵抗して、こんなふうに批判して、中から自浄する動きを作りました、このコンテンツからは離れましたと胸を張って言える事例、どれだけあるんですかね?俺が、ノットオールオタクと言い続けたところで、結局「自分を批判の対象から外してくださいあいつらは関係ない」と逃亡する以外に何の役回りも果たせなかったから、言っているのだ。この記事は違うよなあ~こういう作風は好きじゃないなあ~こういう物言いはよくないよなあ~と個別の案件に不満ごちてみせ、自分は違うと思う、もっというなら思ってみただけで、肝心なところからは目をそらしていたんじゃないか? そう思うんである。
逆に、そこに自覚的になったんだろうな、と思える人も何人か知っている。そういう人は、結局C.R.A.C.やツイフェミのようなところに接近し、そのやり方すべてに同意はしないまでも、見解や思想に共感するようになっていく人がほとんどだ。おそらく今回「オタク差別」に怒っている人は、この人たちを敵であり、オタク仲間と認識していないと思う。
つまり、オタク文化の加害者としての側面を見ないふりするか、オタクに勘定してもらえなくなるか、二つに一つということだ。
C.R.A.C.の野間氏は個人的には大嫌いだし、たぶん単にオタクが嫌いなんだとは思う。でも今回ツイートの応酬を見ていて、残念ながら主張にそれなりに同意せざるを得なかったのは、こういう背景について理解できてしまったからだ。そこで突然くっちゃべられる「オタク差別」。真面目に反差別を考えている人にとっては(多分そこは真面目なんだと思う。この人)、筆算の横棒がミニ定規で引かれていないから×、レベルの見当違い感があったんではないか。野間氏の真意など知らないけれど。
そういえばその昔、本田透の「電波男」に感銘を受けながら読み進めていて、後半のほうで腐女子やフェミニストについてはずいぶん切り捨てたような言及の仕方なのに疑問を持ったことがあった。いや、フェミニストがオタクを差別している、という文脈で批判してるなら理解できるんだけど、そうじゃなかったから。権利意識を持つ女性自体が許せなさそうだった。その後「電波大戦」で喪女についての話題が出たとき、対談相手の竹熊氏がわりと真面目に実態について話したりしているのに、「困ったモンですね」で終えているのを見て、クジャクヤママユを盗み出した同級生を見る眼つきになったのを覚えている。だってそこで語られてる喪女、本田氏が救済しようとしてやまない喪男と違わないのに。
そのあとしばらくは新刊も買って真面目に読んでたの、それもどうよって話だけど。
10年くらい前に、俺たちの麻生なるムーブメントがあった。別に政治家を持ち上げること自体は好きにすればいいんだけど、そこでは当人が積み上げた迷言失言差別発言をすべからく許容し、批判したマスコミへの叩きが横行していた。正直、あの政治家のどこがいいのかさっぱり分からなかった。
当時はオタク系個人ニュースが全盛期。そういったサイトの管理人は、麻生氏を擁護するまとめブログエントリを紹介しては、叩かれていて困ったものですねぇ、正論なのに、というようなコメントをこぞってつけていた。オタク気質の知り合いなども、熱心に自ブログで擁護していた。
あれから10年たった今も、麻生氏は差別発言や侮蔑発言を繰り返している。あれを見ていて思うのは、この人は息を吸うようにハラスメントをする人なんだな、ということだ。それは、昔も同じだった。だから、どこがいいのかさっぱり分からなかったのだな、と腑に落ちたのだが、同時に当時持ち上げていた人たちにとっては、「だから良かった」んだろうかしら、とぼんやりと邪推してしまう。
今回オタク差別について怒っているツイッター主の中に、表現規制反対などをめぐっての発言をしばしばしているアカウントがいくつかいる。いずれもその界隈ではそれなりに大物だと思う。そして、俺のチェックしている反対派がぼんくら揃いなのかもしれないけれど、ヘイトスピーチの言論の自由を唱え、ポリコレで何も言えなくなることを憂い、自分に関係ないところでの言論の自由に興味がないかむしろ規制されることを望み、性差別についての提起が出てくるとそれについて考えるより先に提起者の揚げ足を取って袋叩きにするような人たちが勢ぞろいである。さすがに全部きれいに当てはまる人は少数だけれど。そんな反差別運動(別にあの界隈に限らず、そういう発想自体)が大嫌いな人たちが、当然のように主張しだすオタク差別批判、いったいなんなのか。ただ、差別社会の中で特権階級になりたいだけじゃないのか。
そういえば、これはある程度年配のオタクということになるけれど、昔(主に90年代くらい)のバラエティはこんなにおおらかだったのに、今はポリコレがうるさいせいでつまらなくなった、というような声が時々ある。なぜか、そういうつぶやきをしている人が「昔はオタクをバカにする表現に寛容でよかったなあ」と語っている声を聴かない。今回オタク差別が話題になって、バラエティなどでのオタクの扱われ方という話はけっこう出てきているのに、いない。どこへ行ったんだろう。
オタクと差別、という組み合わせでオタク文化っぽいものを思い返してみると、そんな案件ばかりが、思い出されてくるのだ。
反差別のために立ち上がったオタク、というのはそれなりの数知っている。そういう人はオタクかそうじゃないかを越えたところのつながりで、反差別をやっている。でも、オタク差別けしからん以外の「反差別」がオタク文化の中心的な動きとしてあったところを、見たことがない。差別を煽り、偏見を煽り、強者に諂い(自分たち以外の)弱者を嘲笑する、そんな動きならいくつも思い浮かぶのだけど。
あ、一つ思い出した。(反差別とは少し離れるかもだけど)フリーチベット、フリー東トルキスタン。
残念ながら、反中のダシ以上のものであった記憶はないけど。ああいうの、真面目なチベットや東トルキスタンにおける人権運動家に失礼だったんじゃないか。
こんな「オタク差別批判」に大真面目に同意したところで、反差別には一ミリもつながらなさそう、むしろ後退させる役割しか果たせなさそうである。メディアを通した差別はもうかなり減ってるといわれるし、それ以外のものはオタク差別というくくりより別のくくりで論じた方が有意義でより広い被害を論ずることができるようだ。となるとオタク差別なるものに拘る理由はない。
もしかしたら、こんなことは本田透の2冊目の著書におかしさを感じた時点で、たどり着かなければならなかったのかもしれないけれど。
互助会への誘いはウザいし、別に伸びるわけでもないし、アフィは稼げないし、何も面白くなかった。
何か特別に語りたいことってないんだよね。
これといった趣味があるわけじゃないし、仕事の事で話したいこともないし、告発したい相手もいないし、世の中に叫びたいこともないし、そうなるとブログってやる意味が無いんだよ。
人と繋がりたいならミニブログの方が楽だよ。
でもミニブログもフォロー・フォロワーの関係で面倒だなと思うなら、増田があるからそれでいい。
日記サイトしかない時代と違って選択肢が沢山有るから、自分に合った物を選んでいくとブログを選ぶ機会って意外と少ないと思う。
SNSメインでやりつつたまにブログってスタイルの人も多いけど、自分はSNSで十分だしなあ。
140文字×5もあればいいたいことは大体まとまる。
そして自分のアカウントを汚してまでしたくない発言は増田ですればオッケー。
パーフェクトだね。
備忘録としての性能ならネットに繋げた日記よりも、手持ちのスマホでふせんアプリを使ったり自分の机の奥にしまった手書きの日記に書いた方が色々と優れているわけだしね。
うーむ。
日記サイト→mixi→Twitter(たまにはてブ)と渡ってきたのだけどいよいよ書くことがなくなってきた。
私生活に関するモヤモヤや発見は一通り書き終わってしまいふと思いついても昔同じことを書いたのを思い出してどうでもよくなってしまう。
直近の映画や読書の感想も作品が変わった所で見ている自分は一緒なので同じようなことばかり書いている気がしてゲンナリして筆を折る。
もう何も書くことが残っていない。
どうでもいいと言えばどうでもいいのだが長年続けてきたネットへの出力が0に近づいているという事に漠然とした不安を覚える。
変化することへの狼狽と停滞することへの憂いが交じり合った靄が心の中を覆っている。
こうして書くことがなくなってきたと言うのも数度目でありそろそろ飽きてくる。
これからどうなるのだろうか。
俺も、紆余曲折があって会社を辞めて、ニートをやっている。俺自身、うつになった。そして家族が似たようなことになって、すんでのところで最愛の人を一人、失うところだった。
その朝に、俺は、何もできなかった。
今では、定期的に腰を落ち着けて話をしてる。本人の痛みを引き受けることも、代わってやることもできないけど、ツラいときに吐き出すことの手伝いくらいはしてやりたいと思った。そしてまた俺の話も聞いてもらっている。救いになっているかはわからないけど、少なくとも俺の方の気持ちは、ラクになってる。だから、もっと前から話を聞いてあげられてたら、危ない橋を渡らせずに済んだはずだと、後悔してる。最悪の事態が回避されたのは、単に運が良かったにすぎない。
最近の日記読んだぜ。
ツラいな。
お前さんのお前さん自身への期待と、焦りのようなものを読み取った。
気の利かない発注者ってのはほんとイラつくし、コーディング規約はプログラミングを二人三脚にする。しかも、お前さんのケースでは、他のヤツが従ってないのに自分にだけ課せられてる様子。理不尽だなあ。案件が急なんだろうけど、後出しで振り回される方はたまったもんじゃないよなあ。
こないだの増田もそうだが、人の下で創造的作業をすることに向いてないヤツは結構いる。かくいう俺もそうだ。自慢じゃないけど。お前さんが、このカテゴリに入るかは分からない。ゴタゴタがあった(?)前の職場だからかも知れないし、今回の案件が仕事にまだ馴れてない体には急だったのかもしれない。
かつての女のトラブルのトラウマが、まだ糸を引いているってのもありそう。悪い。詮索してるな。詳しくは判らないよ。でもなんかヒドいことがあったんだろ? いつだか日記で言ってたよな、たしか。しかもそのタイミング、セイント・ヴァレンティヌスの支配する時空間の中でのエンカウントは、厳しいもんがあるよな。女は皆世界から消え失せるべきだ、ってのは主語が大きい主張で、ミニマリズムじゃなくてなんか有名なアレ、ミニマリーだっけ、とにかくフェミニストを敵に回す発言だけど、少なくとも今のお前さんにとっては脅かす存在でしかないのはわかる。むきゅーでほがらかな人生の為には。
このひと月、お前さんは頑張ったよ。世話になった人へ恩を返すために頑張りたいって、お前さんは真面目だね。増田のアドバイスを聞いて、すぐに病院に行こうとするお前は、いいヤツだ。
いいヤツ過ぎるくらいさ。お前さんの悲鳴は届いてるよ。俺は短い日記から状況を判断してる。だから杞憂かもしれないけど、俺から見てお前さんは、結構、ピンチに見える。
カスタードたいやきをあげよう。あったかいぞ。食べて落ち着くんだ。そして少し休め。
落ち着いた? じゃあこれから俺が、真面目なお前さんが知らない、世界の真実を教えてあげよう。実は、人間は、誰に迷惑を掛けたっていいんだ。ピンチのときには、傍若無人になっていい。優先順位リストの二位以下を切り捨てて、シンプルな台風になっていい。仕事の約束、家族との関係、常識、世間体、邪魔なもん何もかもを叩き壊していい。好きなだけ喚き散らせ。泣き叫べ。悲鳴をあげろ。ブックマーカーのみんなはこんなこと言うと怒るだろうけどね。
ここは日記サイトだ。何を書いたっていい。俺が読むし、俺がいなくても増田が読む。もちろん何もしたくなけりゃ何もしなくていい。父親が鬱陶しいなら逃げ出してもいい。お前の親父さんのことは知らないし正直他人だから好きなだけ悪く言わせて貰うが、そんな状況で頑張ってるヤツを叱り飛ばすようなのはロクな大人じゃねー。せいぜい一般ピープル程度の倫理力だ。はてなブログに日記書いたら、ブックマーカーにボコボコにされるレベルだよ。奴らはいつだって飢えているから、いいさ、餌食にくれてやれ。お前が構ってやる必要はない。何? でも働かないともうお金が無いって。大丈夫。まさにこういう時のためにセーフティネットがあるんだ。ハッキリ言おう。ニートの俺が。そう、生活保護だ。生活保護は緊急の場合は即日支給されるぞ(たぶん。誰か補足して)。うん、はてなーのみんなも許してくれるさ。「今だからこそゲームする。貰った血税でプレイすべきタイトル十選」って記事を書かない限り。
なあ、誰にも大切にしている人はいる。
思い出してみてくれ。お前さんにとって一番大切な、一番愛しているヤツは誰だ? きっと増田をみてる沢山の人が、そいつを知ってるぜ。ユーモアと優しさに溢れていて、どんな増田に対しても、傷つけるようなことは決して言わなくて、クリスマスには増田を盛り上げるために頑張って沢山記事書いてくれて、孤高の増田たちにも目を掛けてやった、思いやりの心を持った、愛嬌のある、あいつ。
そいつに一番近いヤツは他の誰でもないお前自身だ。だから守れ。全力で。なりふり構わずに。
(いち増田に過ぎない俺には、こうやって一方的にアドバイスを押しつけることしかできん。俺の言葉が届くかもわからん。あとは、せいぜい祈ることくらいしか。勝手で悪いな。でも俺は、お前さんの、むきゅーをもっと聞きたいんだ)
私は現在SE職。会社の仕事で得ることの多いプログラミング上のノウハウ公開について、他社での勤務や個人の方が時間や労力を割いて得た知識や経験を私も教えてもらっているし、私も公開することで私自身のメモにもなって自分の作業もはかどるので、ちょくちょく公開している。当然、書籍どころか販売元からも得られないような情報交換に発展することもある。Wikipediaに明らかな誤りを見つけると、私も世間も困るので修正したりする。
ビジネスモデルやロジック自体、会社と部門の業務をいかに有用なエンジンとしてシステムに落とし込み、日々安定運用と更新をさせるかがSE職の勝負。本業をさぼっているならともかくも、プログラミングのノウハウ公開投稿程度で、職務時間で得た情報がどうだの時間がどうだの言っているようでは、日本の産業全体が落ち込んで、ひいては自社や自分たちの収入がしぼむのだぞ。と私は思うので。。
と、表明させてもらいます。
夏ですね。セミでさえも繁殖してるのに干物である自分はセミ以下かと自虐に苛まれる季節がやって来ましたね。DEATHい。
駄菓子菓子。ここにアカウント作った所で、サイト固有の事情になじまないと、出会いはたぶんムリです
ここ、男性ユーザ向けの画面はポイント制になってて、男性から女性にメール送るのに、2通目からは\200分のポイントがかかるのですよ
そして、デジカフェとしては男性にポイントを買わせる、そして搾り取る必要があるので、女性アカウントのサクラ・業者がいます。「デジカフェ 在宅」で検索すると出てきます
男の方からは「在宅の業者」か、「出会い求めてる人」か、もしくはワリキリ・売春希望かなんてわからない状態なのです
ポイントを気にしない(アタマと財布の紐が緩いか、向こう見ずな)人間しか積極的にメールしてこないのです。こまったね
(1) まず、フリーメールでメアドを新しく作っておく。今すぐ。別名を10個まで持てるoutlook.comがおすすめ
(2) 1ヶ月ほど、週1・2回でいいから写真付きで日記を書いて、コメント欄での仲良しを増やそう。外部非公開の設定を忘れずに
・日記についたコメントには「返信する」を押して、名指しでレスしてあげてください。そうするとレスしてくれた人に通知メールが送信されるので、再度見にきてくれます。名指しで返信しないと、次から来なくなる人が多いです
・おもしろい人の日記はフレンド登録して、日記新着通知を受け取れるようにしておくといいよ
(3) 数週間ほど時間をかけて、友達になりたいなーという人を数人選ぶ。選んだらメールで、コメント欄の続きの雑談をする
(4) メール2,3往復で「この人と、デジカフェの外で仲良くなるかどうか」を決める
(5) 仲良くなりたければ、まず、フリーメールのメールアドレスを教えてしまう。そこからメールで雑談して、リアルに会うかどうかは判断しましょう
(6) 運悪く、変な人だったら、フリーメールのメアドを捨ててしまいましょう。場合によっては別のを作る。あとデジカフェ上でも拒否ユーザーに設定します
と言った感じでステップを踏むのが安全だと思います。頑張って自分のアカウントを育てて下さい
LINEだと(6)でのアカウントの作り直しがめんどくさそう。Skype etc..を使う場合も出会い用にサブ垢作ったほうがいいよね
オモコロで記事になっていたので少し書きたいと思う。
何故テキストサイトが消えていったか?というのは、ブログやmixiが普及した結果、テキストサイトの管理人たちは時間の経過とともに環境が変わり忙しくなりhtmlを更新するのが面倒になり飽きたから、消えていった…という風に捉えています。
侍魂はおそらくテキストサイトという世界を有名にしたひとつの事件です。
しかしながら、それまでテキストサイトを見ていた人たちにとってはイマイチ面白いものではなかった。
テキストサイトで人気があったのは色々とこじらせている自虐系シュール日記だったと思う。
それとフォントを色々な色を使ってでっかくするのは「ダサい」とされ、顔文字は使わずフォントの大きさはよほどの事がない限り変えずに日記を書くという雰囲気があった。だからこそフォントの大きさが変わることには効果があったのだ。
侍魂を好きだ面白いと言っているのは、当時侍魂が爆発的に人気が出た時にインターネットをしはじめた層なので、それまでシコシコオナニー日記を書いたり見ていたりした人たちにとっては「やめろ、俺たちの隠れたオナニーを陽のもとにさらすのはやめろ!」という雰囲気もあった。
自分は何度かアクセス数の多いテキストサイトの管理人と会ったことがある。
そのことから、当時あの管理人たちは若くて独身だったり、学生だったりで暇だったのだ。
中には女子中学生なのにハッカーとして日記を書いているイタズラっ娘もいた。
ネカマとして出会い系で男を釣り、そのメールを晒す…という内容のものですね。
2chで祭りになったネカマ作戦記、ネカマ道というサイトが有名だったと思います。
それが時間の経過とともに卒業し就職して忙しくなりサイトを構っている暇がなくなったり、ある程度昇進をして仕事が忙しくなったり、結婚をしてテキストサイトをしていた黒歴史を闇に葬ったりしているうちに、少しずつ面白いサイトが更新をしなくなっていき、いつしか消えていったのではないかと推測する。
また、アクセス数の増減だの掲示板のコメントやメールでの感想等に相手をすることに疲れたという部分もあるだろう。
そうしているうちにブログが普及しだすので当時日記サイトをやりたいと思っていてもhtmlを知らなくてできなかったという人たちが日記をはじめた。
テキストサイトというのは日記というよりは管理人によるネタ的文章だったのだけれど「日記サイト」という呼び名だったもので、ブログをはじめた人たちが本当に「ただの日記」を書きはじめたのだ。
本来のネタ的テキストサイトである「日記サイト」よりも「ただの日記」であるブログの数が増えはじめ、当時は「ウェブログを略してブログだからただの日記を書くやつはわかっちゃいねえ」なんて文句をたれる人もいたけれど、結局は「ただの日記」の数に負けてしまい、そうした声も消えていった。
テキストサイトは自分でサーバを借り、htmlで作成したファイルをアップロードし、コメントを書くための掲示板はcgiを設置して自分で設定しアップロードする。
いずれも簡単な素材が無料で配布されていたとはいえ、ブログに比べると非常に面倒くさい作りだったと思う。
広告が嫌だからと自分でレンタルサーバを借りる人も少なくなかったし、その頃一部のサラリーマンはパソコンをいくつか買ってレンタルサーバという副業をしてお小遣い稼ぎもしていた。
でも面倒くさかったんだ。
インターネットを常用するようになってからこっち、SNS(と言うかWebの流行みたいなもの)は、常に存在し続けてきたような気がする。日記サイト、2ch、mixi、blog、はてな、モバゲ、Twitter、Facebook、LINE、もっと以前からしたらばやあやしいわーるどパソコン通信でも何でもいい。とにかく何かしらアツいサービスは常に存在していたという皮膚感覚がある。
現在、LINEが新しいソーシャルかと言うと別にSkypeと変わらないじゃん、と言うのが正直な感想であり、特に何かが優れていたから流行ったとも思えない。みんなが使っているから、という理由(しかしそれは重要な理由だ)以外には。
電車でのスマホ使用者を見るに、大体、Facebook、LINE、Twitter、2chを見ている人が多い。次点でmixiだろうか。
全く個人的な印象として、2chは昔からあるのでこなれた感じがあるし、LINEは先に書いたとおり新味はない。Facebookはリア充ツールという揶揄もあるように「意識の高い」ツールに成り下がり、有益な人生を送っていることを主張する人たちが溢れウンザリさせられるばかり。Twitterはバカッターであり悪ふざけのバカを可視化するためのツールになった。はてブはメタぶった意識の高いヘイトスピーチが蔓延し新規参入ユーザーには敷居が高い。つまり、どのツールも、使うに値するインセンティヴが働いていないように思う。強いて言えば連絡を取るのにLINEが(実用上)便利、という程度。
用途に応じて使い分けるフェイズが訪れているとか、スマホ普及でネットがコモディティ化してマジョリティ層が大量に流入した事によってネットそのものが変質したからむしろ今の状態こそあるべき状態だとか、それなりに理由は付けられるけど、そういう事ではなくて、やはりその時その時に「このサービス使いたいなあ」とか「これ新しいな、使い方よく分からないけどスゲーな」と思わせるワクワク感を感じさせるサービスはあった訳で、今後そういうサービスって出てくるのかな?出てくるとしたらどんなものなのかな?と薄ボンヤリと考える今日この頃。出会い系的な要素(インセンティヴ)って観点もあると思うけど、それはTwitter、LINEあたりで補完されていそうなので、省略する。
昔はよかった、今のネットはつまらないというアーリーアダプター気取りの自意識過剰なアホの繰り言。別に誰もそんな風に感じていない。そうかもしれない。ならば、もっと簡潔に言うなら「私をアーリーアダプター気取りにさせてくれる新しいサービスないですか?」という事なんだろうと思う。
http://www.f7.dion.ne.jp/~moorend/
「あんな新聞書いてる人間なんか、神経図太いに決まっているだろう」とツイッターで書いていた人がいたけど、神経図太かったら、僕の人生どれだけ楽しいやら。本当なら今日は藤井のラーメンを食べに行くつもりだったのだけど、食欲は出ないし、朝からずっと手が震えてるし、とてもじゃないけど外出の気分にはなれず、ずっと家でぼーっとパソコン眺めてました。今も軽く吐き気を催しています。
ただ食欲だけは戻らなくて、今回の騒動で1.5キロくらいやせました。
同情を引かせたいんですかね?
そんな話題になるのが嫌ならまず記事を消せばいいのに。
しかも虚構新聞とは直接関係のない弱小日記サイトに書いてるっていうのが、これだと人には見つからないだろうとか思ってそうで腹立たしい。
あとこれ。
つまらない記事を量産しといて何を言ってるんでしょうかね。
ttp://type99.net/2010/03/kodokunikki.html
20代後半の童貞無職の書き手が、血反吐をはくように己の日常を綴る、ある意味初期の「最強伝説 黒沢」のような日記サイトだった。
閉鎖と移転(と改題)を繰り返し、『孤独日記リローデッド again』までは追っていたが、更新チェックにRSSリーダーを使うようになった頃に見失ってしまった。
久しぶりに、はてなアンテナのメンテナンスでもしようと思って探してみたら、復活しているのを発見した。
孤独日記から始まった俺の日記は、孤独日記リベンジやら孤独日記リローデッドなどと意味不明に様々なタイトルに変遷して、今、ここに、孤独日記レジスタンスとして復活することを宣言する!
かつての俺は、大学を中退し、ニートや引きこもりや派遣やバイトを繰り返し、20代後半で、正社員歴なし、童貞、友人ゼロ。絶望のどん底にあった。ある日一転、バイトから大企業の正社員に登用され、俺のこれまでの人生は180度大きく変わった。結婚もした。子供もできた。娘は1歳になった。両親以外に、俺だけの「家族」というものを持つようになった。ここは、そんな俺の、他人にとってはどうでもいい人生(?)を公開するウェブサイトである。
おお~…。
…なんというか、時の流れを感じる。
借金があって虫歯の治療にも行かれず、バイトを辞めたり、頭皮旅行で婆ちゃんちに車で会いに行ったり、つらくて涙したりしていた頃を思い返してみると、感慨深い。赤の他人なのに。
いっちゃあなんだが、彼女は遊び人の気があった。いわゆるフラフラする体質でも言うべきか。
彼女は、好きな人ができたといい、俺の元から1年前に1回去った。
しかし、彼女は俺から離れることが出来なかった。そして俺も彼女から離れられなかったのだろう。
そしてよりを戻した。
毎日つけていた日記サイトを見、こんな声だったんだ(ハートマーク)と綴ってあった。
嫉妬深い俺は、彼女の連絡先すべてを着信拒否した。
次の日、雨の中、彼女はずぶ濡れになってやってきた。
俺は許す気がなかったが、絶対に離れたくないと泣きつかれ、彼女には俺が必要なんだと思った。
頭がパニックになった。
彼女いわく、浮気したのは俺がかまってくれないからついたウソだということだが、このころから俺の精神状態はおかしくなった。
初めて精神が体を蝕んだ。胃が痛くなり、不整脈が出るようになった。そしてあまり泣くことのない俺が号泣する日が続いた。
彼女の言動がおかしかったので、浮気はウソだということは薄々感じていたが、彼女のことが信用できなくなっていた。
それでも俺は信じたかった。
彼女に俺が必要だったと思っていたから。
6月某日、浮気をしたというメールを送られてきてから初めて会った。そして何ヶ月かぶりに抱いた。
彼女は俺だけだよといった。初めての相手も、最後の相手もずっと俺だよと。だから離れないでと。
男のメールアドレス全部消すよ、もう男と連絡とらないよ。
それからはメールと電話だけの日が続いた。毎日メールはしていたし、彼女は俺を失うのが怖いだろうと感じていたので心配することもなくなっていた。
8月、彼女がたくさんバイトしたからお金たくさんあるの。カラオケおごってあげるとメールをしてきた。
俺は嬉しかったのでOKをした。でももう会う日はこなかった。
8月中旬頃から彼女のメールが減っていった。色々忙しいんだろう。
そう思って11月になった。
7月に治ったと思っていた不整脈が俺を襲った。そしてなぜか、Googleで彼女の名前を検索した。
すると、10月に削除されていたプロフと日記(リアル)が出てきた。
プロフの好きな男性のタイプには、2ヶ月(ハートマーク)と記されてあった。
2ヶ月???俺の頭は混乱した。俺とは3年3ヶ月ではなかったのか??
そしてリアルを見ると、彼女と見知らぬ男が手を繋いでいるプリクラが貼ってあった。
また、これから旅行も、お出かけも、クリスマスも一緒に過ごしたいと日記に綴ってあった。
頭が真っ白になった。
「何か隠していること無い?」
「特別無いよ?」
「本当のこと言っていいんだよ?」
「他に付き合っている人いるでしょ?」
「何を根拠に(笑)」
「前略と日記みたよ」
「私が二股したのは悪いけど、
そんなの必至に探している姿想像するだけ怖いわ」
「さびしかった。」
「あなたのことが忘れられないから連絡とっていたんだよ。」
「あなたが別れろって言うなら別れるよ。」
「彼は友達に紹介されたの。貴方に似ているの。」
俺は、
「もう俺が君と会うこともメールすることも無い。かかわらないでくれ。
電話番号は当分変えないから、死にそうになったときだけ電話してくれ。
君に贈ったプレゼントも、何もかも捨ててくれ。」
といい、相手に電話を切らせた。いつもは俺が切っていたから相手に切らせた。相手が俺をだまし、捨てたのだから。
散々だまされてきた。顔もスタイルもそこまでよくない。でも俺は彼女の声が、そして俺にだけ見せる表情が大好きだった。癒されてたんだ。
俺も彼女とのつながりが欲しかったのだろう。着信拒否はしなかった。
もしかしたら何かあったのではないかと思い電話に出ると、
ただ寂しいというだけの電話だった。
俺の言葉は届いていなかった。俺が辛いのも悲しいのも分かっているだろうに。
俺は、もう迷惑だといい、相手に電話を切らせた。
最後の言葉は「わかった」だった。
俺の初めての恋人、童貞と処女同士はこうしてあっけなく終わりを迎えた。
ぽっかり心に穴が開くというのはこういうことなのだろうか。
3年前、俺はまだ今の職についていなく、夢見る青年だった。
彼女は学生。俺には顔も身長も地位も金も無かった。それでも彼女は好きになってくれた。
今でも思い出すのは、彼女がずぶ濡れになってうちにやってきた日のこと。
「捨てないで」
「ずっとそばにいて」
「絶対離れない」
絶対なんてこの世に無いというのを実感した。
俺が彼女と付き合っていた日、いつものように口にしていたのはその言葉だった。
「この世に絶対なんか無いよ。」
でも絶対なんて無かった。
もう恋なんてしない
今日はてブに出てきていたシニア女性のブログを見て、7〜8年くらい前、しばらくの間見ていた、やはりシニア女性の日記サイトをふと思い出した。
たしかメモライズで、たわむれに年齢検索を70代とかに設定したら引っかかって見つけたのだったと思う。
記憶違いでなければ74歳くらいで、年若い知人から勧められて日記を書き始めたようだった。糖尿病を煩っていて、そこから目にもきていて、足も弱り、転んで怪我をしたという記事もあったような気がする。生活には辛い事も多いようだったが、ネットの繋がりにすがるようにして懸命に更新していた。何だか気になって、定期的にチェックしていた。
しばらくするとやはり限界がきたようで、一時更新が途絶えた。ああ、もうダメなのかなと思っていたら、少し後になって更新が再開された。内容は文章ではなく、その日食べたものを記録しているだけ。どうやら知人にそのように勧められたらしかった。それでも、ああ生活しているんだなと分かって、淡々とした食べ物の羅列を眺めるのが嬉しかった。
日記の主の名前はたしか「うみ」といった。海と、あともう一文字の漢字を組み合わせてそう読ませていたと思う。今日話題になったブログ主の名前と似ているけれど、おそらく別人だ。
そうこうするうち、自分の生活の変化に取り紛れてチェックしなくなり、ふとしたきっかけで思い出したら、こんなに時間がたってしまっていた。
検索してももう辿り着けないけれど、あの日記、まだどこかに残っているのだろうか。そして日記の主は、今もどこかで生活しているのだろうか。
一緒に生活できなけりゃ別れりゃいい。嫌いになった男と一緒にいるのは本人や子供に毒だ。
生活できないなら保護してもらえばいい。子供がいるならなお苦しいだろうからどんどん援助してもらうべきだ。
でもね。金の使い道は考えるべきだと思うんだ。貧乏人は一切趣味を持つな!なんて言わんけど趣味に使う金のどれか一つくらい、もう少し削ってもいいと思うんだ。同人活動も外食も漫画買うのも金かかるんだよ。
同人活動やってる人は分かると思うけどすごく金がかかる。本の印刷代、サークル参加費、交通費、交際費etc...
彼女はサークル活動だけでなくサイトも持ってる。非ヲタ向け日記サイト、漫画801サイト、アニメ801サイトなどなど。独自ドメイン取ったり複数サーバ借りるのも結構だけども維持費結構かかるよね。ついったとか無料のサービスもたくさん使って精力的に活動してる。
週1回ひとりきりでファーストフードでくつろぐのが楽しみって1回につき500~1000円使ってたら1ヵ月にどれだけ金がかかるやら。
漫画・アニメで同人活動してるから同然関連グッズも買うわけで。オリジナルも読み書きするから商業BLも定期的に買ってるみたい。
楽しみがないと生きる気力湧かないから、どんな赤貧の人でも貧乏金持ち関係なく楽しめる趣味は必要だと思うんだけどね、これは自分の趣味だけに使いすぎだろうと。
「もうちょっと趣味に使うお金減らしたらいいんじゃない?」って言うと「貧乏人が趣味を持っちゃいけないの!?」と怒られる。趣味を捨てろって言ってんじゃなくて減らせって言ってるんだよ。私も旅行が好きだけどお金ないから、回数減らしたり行く場所も近場にしたり安い時期にしたりって自分なりに工夫してるわけ。
自分の好きなことだけして生きていけるわけがない。