はてなキーワード: 戦士とは
私は恋人を責めるのが大好きだ。
恋人が感じてるのを見ると興奮する。
別に私はSじゃない。責めること自体は、大して好きじゃない。挿入の方が好き。
ではなぜ興奮するのか?考えてみたことがある。
男らしいなんて言葉、もはや最近使うと一部の人からしたら不快かもしれない。
確かに、時代はより男女平等、いやなんなら男女もなくLGBTQとか、ジェンダーレスとか
世界は多様性を受け入れて、男らしさ女らしさなんてクソくらえー!みたいな世の中になっているなと感じている。
私もこの考えには賛成だし、一人ひとり自由に生きたら良いし、とらわれた考えを持つ必要はないと思う。
とは言え個人的には、男は女の前では男らしくいてほしい。
会社でバリバリ働いて成果をあげて、愛した女の前ではスマートにかっこつける。
そんななんとも隙がない、完璧な男が好きだ。
ここまでは、あーはいはい夢見ちゃってまちゅねいたた…となるかもしれない。
でも、私はこの完璧な男にオプションでよわよわ乳首が実装されていてほしい。
よわよわ乳首?
完璧な男たるもの、ベッドの中でもスマートに女を抱く…それは大層素敵なことだけれど
私はベッドの中で、男らしさを失くしてほしい。
会社は戦場、まさに戦士。とは言え、戦士でも鎧を外す時は必ずあるわけで、それはセックスの時であってほしい。
私とセックスするときは、かっこつけないでほしい。死ぬほどダサくて良い。乳首でばちこり喘いでほしい。
ここまで責めるのが好きになったのは、今の恋人との初セックスがきっかけだった。↓
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セックスをするのだ。
その時、声は出ていなかったけど
魚みたいに、ビクビクッと腰が身体が動いたのだ。
身長が高く身体もがっしりしているので、動き自体が大きくてびっくりしたが
それより衝撃だった。こんな乳首で感じる人だったのかと。
あの!普段ギラギラバリバリ働く隙のない戦士が今!乳首で感じてる!!
普段の恋人と今、目の前にいる恋人が別人に感じた。ギャップだった。
もう完全にスイッチが入ってしまって、乳首ロックオン、ガチ責めしようと思ったけれど
そこはさすがに第一線にいる戦士、ベッドの中でも隙を見せなかった。
何事もなかったように、やんわり手をどかされた。私を責めようとしてきやがった。
が、ここで諦めたら試合終了。結局紳士セックスで終わってしまう。そーんなのはいーやだ。
ベッドの中じゃ私が戦士なんだよ!
恋人の手を無理矢理押さえつけて、右乳首舐めしつつ左乳首さわさわ!!
困惑してたのも一変、ビクビクに加えてまあまあでかい声で喘いでくれた。すき。
往生際が悪いなと思いつつ、きっと恋人の頭の中に
女に乳首触られてあんあん喘ぐなんてもってのほか言語道断!!恥!!という男塾の塾長がいたんだと思う。
耳元で、
と言ってキス。
もう何故か私もアヘ顔してたんちゃうかと思うくらい恋人の姿に興奮して
「もっと甘えて」
「可愛い」
「いっぱい気持ちよくなろうね」
「挿入せずにこのままイっちゃう?」とか
気付いたら、湯水のごとくじゃぶじゃぶセリフをぶっかけていた。
そういえばこれらのセリフは、過去に付き合っていた人から言われた言葉だった。
当時全く刺さらないどころか、キッショと思ってしまっていたが思わぬところで役に立った。
最終的に「乳首気持ち良すぎるから無理ぃイくイく」まで言わせて
そのあと挿入して即イキ。
ビューティフル。
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てな感じで
男は甘えたい生き物だとは前からよく耳にしていたけれど
それはその通りで、男は戦士だから疲れているから甘えたい、当たり前だよねと。
ストレスに比例して甘えたい欲は増幅している気がする。
自分の中にあるプライド、男らしさ…それらがあるから甘えることに躊躇いがある。きっとそんな気がする。恋人もそうだったんだと思う。
私にはそんなとこがいじらしく思えてしまった。
初めての感情だった。
そんな考え崩して甘えさせたい。
私の前では、全部脱ぎ捨てて何にも考えなくさせたいのだ。
テストステロンダダ漏れオス味が強い男が、私に責められて女の子みたいになるのが見たい。
これはあくまで、本人の意思ではなく甘えさせられたという過程が大事なので
いわゆるMはあまり好きではない。
Mは思ってる以上に注文が多いし、わがままなのだ。知らんけど。
だから、簡単に甘えたくはない人間を甘えさせたいが正しいのだけど、プレイだけでみたら痴女プレイというかそんな風に見えてしまうのもわかっている。
イメージは、膝枕して頭なでなでしてるだけなんだけどなあ…イメージは。
だけど性感帯として機能できてる人は、間違いなく責められ向きなんですよね。例え、責められるの苦手でも。
やり方で変わると思う。
乳首なしでもいいけど、乳首責めながら〜のながら責めができるから、責めにも彩が生まれる気がする。楽しいんです。
長くなってしまったけど、私は私みたいな女が他にも増えたらいいと考えている。
男は外ではバリバリ働いて成果上げて女を守る
帰ったら、外では守っていた女に乳首責められながら甘える
という構図が成り立てば世界は確実に平和だし、経済も回るし夫婦間の性交回数だって増えるんじゃないかなーって思う。
そんな世であれ。
追伸
可愛いオスたちへ
こういう私みたいなのは甘サドというジャンルに当たるみたいなので、同じ性癖の方はAVで甘サドと検索し購入してみてください。
なんか表自戦士の中には「『表現の自由戦士』が蔑称だと言う奴はおかしい」とかいう珍説を唱える奴がいたけど、増田は、憲法21条1項の明文で掲げられてる「言論の自由」について「戦士」を付加すれば蔑称になると主張してるのだから、増田は前述のような一部のキチガイ表自戦士とは違う立場を採るってことね。
今後「『表現の自由戦士』が蔑称だと言ってる奴の方がおかしい」みたいな世迷言を言ってる表自戦士が出てきたらよろしく頼むわ。なんかさっそくブコメにも出てるし。
「ネット上の誹謗中傷は迅速削除、SNS大手に義務付けへ」のニュースで、被害者発生を予防することより、言論の自由を絶対視して反対するブコメ複数がスター集めて上位になってる。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.yomiuri.co.jp/national/20240111-OYT1T50187/
いわく「言論統制ダー」「誰が判断するんダー」「明確な基準がない」「そんな事より広告規制が先だ(←矛先逸らし、典型的なwhataboutism)」と。
お気持ちで確たる根拠なく、OK/NGの明確な基準も示さず、具体的な被害者すら存在しない「ふしだらな二次元イラスト」に対して「不適切、表に出すな」と規制したがってた連中が
「見た人(アテクシ)の気持ちを害した」(しかもそう主張してる連中は掲示されたその場で現物を見たわけではなく、ネットで後から知っただけ)の二次元イラストと違って、ネット上での誹謗中傷では実際に具体的な被害者が発生してしまうんですが。
草津町長をレイプ犯認定して口汚く叩いたり、草津町を「セカンドレイプの湯」「地獄の町」と誹謗中傷したり、
19歳と結婚したハライチ岩井(女性のほうから猛アタック)に「キモい」「ロリコンじゃん」「グルーミングだ」と誹謗中傷したり、
東出昌大と3人の女性タレントが大人同士で同意して当人が好きにやってる共同生活に「カルト宗教みたい」と誹謗中傷したり、
今だとダウンタウン松本を片側の証言だけで性犯罪者のごとく叩いたりしてきたものね。
これまでは相手は多くの誹謗中傷を受けてる渦中の人で、いちいちはてブのブコメにまで目くじらたててこないからやりたい放題だったのが、運営事業者ごとに削除されてしまうことになるから困るよね。
確たる証拠もなく「正義の棍棒」を振り回してリンチして加害欲を満たせなくなるのが怖い?
https://anond.hatelabo.jp/20220127133753
↑ここで指摘されてるような無茶苦茶な「規制論」をぶってる連中がいう「言論統制だ」って??
「ふしだらイラストを自主規制しろ」と「特定個人への誹謗中傷を規制するな」が両立すると思ってるなら凄いし、しないと思いながら両論使い分けてるなら単なる卑怯者じゃないか。
指輪物語(The Lord of the Rings):1954年。
小説、映画。それまで妖精として使われていたエルフ、ドワーフを亜人類として登場させたファンタジー小説の原点といえる作品。
ホビットの名称は権利関係のため他の作品では使われなくなった。
ダンジョンズ&ドラゴンズ(Dungeons & Dragons、D&D):1974年。
世界最初のRPG。テーブルトークという紙とサイコロを使い会話で遊ぶスタイル。人間、エルフ、ドワーフなどの種族、戦士、魔法使い、僧侶などの職業がある。
ロードス島戦記:1988年。ライトノベル。パソコンゲーム雑誌「コンプティーク」に掲載されたテーブルトークRPGのリプレイから派生した
日本のファンタジー長編小説。ディードリットはエルフのパブリックイメージと言えるキャラ。
ウィザードリィ(Wizardry):1981年。コンピュータRPG。3Dダンジョン探索型ゲームの原点。転送失敗や蘇生失敗でキャラが消えるペナルティがある。
ダンジョンマスター(Dungeon Master):1987年。コンピュータRPG。魔物を食べる要素が登場。パソコンゲーム雑誌「コンプティーク」でコミカライズが連載されていた。
令和6年能登半島地震とガザ人道危機が痛ましかったので、それぞれに1万円ずつ募金した。
以前調べたけれどヒットしなかった気がするな。そう思いつつ、「училищен час по физическо възпитание 1970」、つまり「体育の授業 1970年」と検索したところ、次のサイトがヒットした。
https://uchiteli.bg/interesting/chasovete-po-fizichesko-vyzpitanie-prez-80-te-godini/2508
明確にブルマー姿の女の子が確認できる。そして、時期は1980年代と書かれている。
記事にはこんなことが書いてある。
Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.
翻訳するとこうなる。
このように、ブルガリアでは黒か青のブルマーが着用されていたことがわかる。また、ロシア語語などの他のスラブ系の言語のように、レオタードとブルマーを区別する語彙が無いのかもしれない。ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉で表現される水着を翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツを意味する。「бански」だけでも水着を意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。
https://www.bgspomen.com/2016/07/4-80_19.html?m=1
グーグルで画像検索すると、類似した画像が出てくるが、それをたどっているとこういうサイトを見つけた。
冷戦時代、ブルガリアの学校ではブルマーが採用されていただけでなく、ビキニで泳いでいた生徒もいたようだ。日本の学校では考えられない。
https://ouhristobotev-mezdra.com/sport.php
(男の子にみえる子がブルマーをはいているようにも見える写真があるが、画質が荒いのではっきりしない)
こちらはブルガリア語のサイトだが、ソ連というかロシアについて扱っているようだ。
まだ見つけられていない。戦間期の運動について扱った記事がヒットしたくらいだ。
ttps://adevarul.ro/stiri-locale/alba-iulia/educatie-fizica-si-sport-in-romania-interbelica-1713747.htm
「学校」「体育の授業」「古い写真」「チャウシェスク」「共産主義」「1970年」などのキーワードで探しているが、なかなかヒットしない。youtubeの動画も特にない。
コマネチの生まれた国なので(現在は米国に亡命)、体育は盛んだと思うのだが、情報はないのだろうか。
次で見るように、大学の大会での短パンは見つかったのだが、ブルマーそのものではない。
https://blog.udn.com/fuping3713/15062824
https://nicecasio.pixnet.net/blog/post/559456641
https://opinion.udn.com/opinion/story/11664/3198840
https://www.sohu.com/a/409071189_482071
JK体操服(排球服)としているのはこちらだが、純粋に服装フェチの文脈だ。おそらく当時の名称ではないだろう。元来JKという言葉はアングラ用語だったのに、いつも何かカジュアルに台湾人も知っている言葉になってるってのが何とも言えない。
ttps://zhuanlan.zhihu.com/p/112147262
排球燈籠褲、つまり「バレーボールのブルマ」としている例もある。
何かが「無い」ことを証明するのは難しい。
韓国にはブルマはあったが、訳語が一定していない。訳語のなさそうな台湾だが、スラブ語圏はブルマー固有の名称がないにもかかわらず、ハイレグのショーツ型ブルマーがあったので、これだけで何の証拠にもならない。
同じ英語圏ということで、南アフリカでのブルマーについても調べようと思ったのだが、ヒットしなかった。だが、「south africa physical education 1970」で検索すると、当時の「June and School Friend」という当時の英国の少女漫画雑誌がヒットした。
現在世界に残っているブルマーが写真だけでなく、当時の小説・漫画・イラストでどのように表現されてきたかを調べるもの面白そうだ。
それにしても、性的な意図がなく表現されたブルマーのほうが、なんだか色っぽく感じてしまう。
日本女性向け漫画ではおかざき真理「セックスのあと男の子の汗はハチミツのにおいがする」に出てきたブルマーが何となく好きだった。
これはエロ漫画ソムリエの友人が言っていたのだが「男性のエロ漫画が服の上からでもわかるように書いたおっぱいよりも、女性のエロ漫画家の描くおっぱいのほうが魅力的だ。というのも、女性の場合はおっぱいを特に性的でない身体の一部分としてしか描かないのだが、そこにかえってリアリティがあるからだ」そうだ。似た理屈を感じる。
漫画の中のブルマーと言えば、ブラックジャック第232話『虚像』の中に、明らかに黒く塗り忘れた白いブルマーが出てきたのを思い出す。先生の周辺に楽しそうに子供たちが集まっている場面だ。
手塚漫画、ときどき誤植らしいものもあるよね。角川文庫版の「火の鳥 未来編」のラスト近辺も、すべてのものが生きているという言葉と共に星々や惑星たちが映る場面で、おそらく文字を入れ忘れたと思われる空白があった。閑話休題。
過去の写真のアーカイブの量は、言語によって全く異なっている。
また、ブルマーの形も国によって違うし、採用された広さも違う。
前に書いたように、フランスのブルマはややだぼだぼだが台湾ほどではない、短パンに近いブルマーだった。しかし、ドイツではよりパンツの形に近いし、ソ連や日本ではほぼ下着に近いハイカットになる。
これだけ広いと、ブルマーという言葉で一括りにしてしまっていいのかも、かなり疑わしくなってくる。
他にも、採用されていたスポーツも異なっている。バスケットボール、陸上、ネットボール、バレーボールなど特定のスポーツでのみ使用されていたこともあるし、体育の授業全般でも使われている例もある。
ブルマーの画像だけでなく、こうした経緯についても知りたいのだが、本気になったら外国の図書館にまで出かけなければならない気がしてきた。ひょっとしたら書籍としてまとめられていない類の知識かもしれない。
これだけ長く調べていられるのなら、大学を理系ではなく、服飾史にしておけばよかったとちょっとだけ思う。今の仕事は理系の素養を全く要求されないし。
とはいえ、僕が学生の頃には東欧の言葉を自動翻訳で来ていたかは疑わしい。
本当に不思議なのだ。男はズボン、女はスカートという流れに対抗して生まれたはずのブルマーが、なぜ女性の身体を強調するような、そして下着のような形へと、世界各地で変化したのか。そして、ショーツ型への接近への度合いが地域によって違うのかが。
これは国ごとの倫理観と性規範に原因を求めてもいいのだろうか。
台湾や韓国の女性がブルマーコスプレをしていて、かわいらしくて似合っているんだけれど、ただの紺色の短パンや、白いラインの入ったドルフィンパンツのこともブルマーと呼んでいるのはいただけない。確かにきれいな脚が見えて素敵なのだけれど、フェチの人はそういう際にうるさいのだ。
それとも、ブルマーの下着のような形状にドキドキするのは、日本だけの感性なんだろうか?
とか文句は垂れつつ、youtubeの短パン姿のチアはかわいいと思ったりしている。
Youtubeは(政治的に偏っているとか陰謀論とかそういうのとはまた別に)結構無法地帯で、全裸の女性にボディペインティングをしていく様子とか、アマゾネスの戦士という設定でお尻丸出しで戦う女性とか、ドイツ語圏の祭りらしくぐるぐる回る遊具でふざけてパンツ丸出しになる女性とか、ほぼ全裸の台湾のコスプレとか、乳首だけ隠して踊るカーニバルの女性とか、前衛的過ぎて全裸でやる現代演劇とか、隠す場所が丸出しのファッションショーとか、アニメのパンツ丸出しのシーンとかが載っている。
そういう場所では、「men of culture, we meet again.」というコメントが散見される。英語では変態紳士のことを「man of culture」と呼ぶことを知った。
あと、ときどきオススメ動画にジュニアアイドルが出てきて、すごくかわいいと思うと同時に不安になることもあるんだけれど、ブルマについて調べている人が批判するのは難しい。
性を感じることと、かわいいと感じること、もっと知りたいと感じること。その境目がどこにあるかは、人間の心に対する深い理解が必要だ。
例えば小学生の競技ポールダンスを見ると不安になるけれど、それは僕のポールダンスという文化に対する偏見かもしれない。不安に感じては、真剣なスポーツをやっている人に失礼かもしれない。じゃあミニスカートのチアダンスならいいのか、日本舞踊ならいいのか。ではアイドルはどうか。問題は際限なく拡大する。
そうなると、幼い頃からスポーツをやらせるのはどうか、能や狂言を覚えさせる家柄はどうなのか、受験はどうなのか。判断力の未熟な子どもにどの程度人生を選択させるのか。
完璧な答えを求めようとすると、完全に倫理的にふるまうことが僕らはできないと気づく。少なくともこれだけはやってはいけないと法で制限する以外の方法を、今日のところは思いつかない。
誰かを推すこと・応援することへの責任が問われていくのかもしれない。
それからもう一つ。昔投稿した記事の参考資料とした動画やサイトが消えていることがたまにある。動画や写真は難しいとしても、せめて文章だけはweb魚拓を取っておくべきなんだろうか。
ブルガリアでもブルマーが採用されていた写真を見つけることができた。ただし時期は1980年代。
今後は旧ユーゴスラビアやコーカサス地方のブルマーについて調べるかもしれない。
以上。
↓
楽しい?
股間を強調したプリントのスラックス(GUで買える)を履いたり、
乳首や腹筋を強調したプリントのシャツ(Amazonほかで買える)身に付けたりして、
性器を見せてないし肌を見せてないし特殊な店で買ってもいませんよね?
でもこんなんで出歩く人おらんやん
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アクロバティック過ぎるんだが?長かったのか?
キャンペーンイラストで特に問題となった作品
😡「なんでこんなイラスト作ったの!!」
🥺「悪気は無かったの。一部イラストの監修が漏れてたの」(イラストレーターが勝手に描いた)
じゃけん嘘はいけませんね〜
イラストレーターと齟齬があったわけでもイラストレーターが暴走したわけでもないよ
最初の『みるタイツ』のアニメコラボから女子高生の黒タイツ伝線パンツ見せでカッ飛ばしてたが、クレームが入らなかった
https://originalnews.nico/216814
フェチエロ画集(黒タイツでマングリ返し・黒タイツでM字開脚)を公式垢で画像RTで褒め称えても、クレームが入らなかった
https://twitter.com/atsugi_jp/status/1310797873752072193?s=21
この路線で行こう → この路線で行ったところ絵師の影響力でオタク女までフェチ絵ツイートが届く → オタク女怒りの引用RT → 一般人女もおこ → 炎上 だぞ
なぜなら、個人レベルでできる少子化対策は経済力のある家庭を作って子供を産み育てることだから。
それなのに、表現の自由の保護を少子化対策と叫ぶ戦士がぼちぼちいる。
表現の自由が少子化対策になるなら、彼らはすでに結婚して子供をもうけているはずだ。
表現規制にうるさい既婚子持ちのババアの方がよっぽど少子化対策に貢献してる。
でもさ、別に少子化対策などと言わずに独身子なしの立場で表現の自由を叫んでていいんだよ。
悪いけどエロ方面の表現の自由を少子化対策というのは単にバカ丸出しだ。
ただのウスノロになるくらいなら潔く好きなものを好きと言ってほしい。
ぶっちゃけエロ方面の表現の自由を叫ぶ男がいたら女からみて気持ち悪いけど、それをわかって叫んでるんだよね?
気持ち悪いと言われつつもスキのために戦うのはひとつの生き方だ。
少子化対策なんか君らにとってどうでもいいんだろう。
だったら少子化対策なんか言わんでよいよ。
表自戦士さんチィース!