はてなキーワード: 家事とは
やあ、アラサー人生初一人暮らし一ヶ月の日記でけっこうブクマいただいた増田だよ。
二ヶ月前は色々なアドバイスや温かいコメントをありがとうございました。
とくに同じような境遇の人からもコメントをいただけたのが嬉しかったです。
その方は元気に一人暮らしをしているだろうか? していたらイイな。
私は残念ながら精神を病んで、メンクリ通い&休日は頻繁に実家に避難する生活になってしまいました。
端的に言えば、一人暮らしが自分の気質に合わなかった、それだけ。
家事はそれなりにちゃんと回せているので汚部屋になっているとかではないし、独身男性としては健康的な生活ができている方だと思うし、仕事はちゃんと行けてるので、おそらく傍から見たら何がそんな辛いのか分からないような状態だと思う。
なのに、精神的なモノ──内側から来る不安や苦痛が際限なく湧いてきてメンタルがダメになった。
医者からは不安障害の傾向があると言われて、薬を出され、カウンセリングに通ったり、認知行動療法をやったりしている。
「一人暮らしが合わない、嫌い、辛い」っていうのはあるんだけど、個別的な問題については別に耐えられないようなモノではないんだ。
内容自体はたぶん、一人暮らしなら仕方のないことや、一人暮らしビギナーなら多くの人が直面するような、その程度のモノだと思う。
ただ、そこから「今の合わない生活をいつまで続ければ良いんだ?」、「結婚もできず両親も亡くなって天涯孤独になったらこの寂しい暮らしが死ぬまで続くのか?」、「日々の暮らしはちゃんとできているようだけど、実はなにか致命的な見落としがあって数カ月後にそれが噴出するんじゃないか?」みたいな長期スパンの問題を考え出すと、四六時中頭の中で不安が渦巻き出して、今の暮らし全てが辛く感じるようになってくる感じがする。
さらに、ずっと不安や苦痛が積み重なっていくと、そこから派生して、今の暮らしで目に映る自分の部屋や周囲の街にまで嫌悪の感情が張り付いて、「ここにいること」そのものが嫌で嫌でたまらなくなっていく感じ。
もともとけっこう気質に偏ったところのある人間なので、まあ完全に内的な要因なんだよね。
だから、外的な要因から改善を図ってもあまり効果がないのも辛い。
例えば、苦痛の一つに「孤独感」があるんだけど、それに対処するために、旧友に声をかけて縁を繋いだり、婚活イベントに申し込んだりはしたんだ。
でも、やってる時は気分が良くなるし、確実に現状改善の方向には進んでいるハズなのに、だけど結局、活動が終わって家に帰れば不安が蘇って来てしまう。
そんな感じで、内側から半ば無根拠に無限に湧いてくる負の感情に耐えられず、医者にゴーすることになった。
個別的な問題については耐えられないようなモノではないといったが、せっかくなので自分にとって一人暮らしで合わなかった点を書いて行こうと思う。
基本的には二ヶ月前に書いた辛かった点と同じだけど、三カ月も暮らすと何が嫌かの解像度が増すね。
・孤独が辛い
なんか何をやっていても虚しくなる。
家で、誰も自分のために何かしてくれないし、自分が誰かのために何かしてあげることもない。
他愛ない雑談で「こんなことしたんだ」と報告することも、されることもない。
それが凄く生活を味気ないモノに感じさせる。
(医療費がかかったり、実家避難時の交通費がかかったり、逆に実家でタダ飯を食わせてもらったり、平常な一人暮らしなら発生しない+-があるのでアレだが)二ヶ月間、家計簿を付けてみた。
その結果として、やたらめったらドケチ生活を送る必要があるほど余裕がないわけではないことが分かった。
というか、わりと余裕はある。
特に食費。
理性と計算では「もっと良いモノ食っても大丈夫だよ」、「嗜好品とか買っても良いんだよ」と答えが出ているのに、感覚がそれを否定してくる。
……家賃なんかは出費としてはもっとも大きい項目だけど、精神的にダメージにはならないんだよな、日付や金額が決まっているから。
食費や日用品代みたいな、日々少しずつ財布の中身が削れていく感じがダメで凄いストレスになる。
生きていくのに金がかかるのなんて当たり前のことなのにね。
例えば、掃除をどのくらいの頻度でやれば良いのかみたいな話。
単純な綺麗・汚いの話で言えば、俺は特別、潔癖でも、大雑把でもないと思う。
ただ、どの程度までやれば問題ないか基準が分からず、こんなもので良いのかな? 不衛生じゃないかな? 逆に神経質になり過ぎではないかな? と常に不安が付きまとう。
もっと実家で家事をやっていれば、その時の感覚を適用するだけで良かったので、親に甘えていたツケが回ってきたんだろうなぁ。
その他、何につけても全部自分で物事を決めないといけないことが辛い。
昔、なにかの本で「発達障害傾向のある人間は一つ一つの決断に非常に精神エネルギーを使う」みたいな内容を読んだことがあったが、まんまそんな感じ。
実家にいたら「朝起きる」という行為に「朝起きて自分の部屋を出てリビングで家族におはようと言う」というようなプロセスがあってそれで目が覚めたけど、今は1K住まいなので、部屋の移動もほぼなければ、誰かにおはようということもない。
実家で飯を食べるなら時間が決まっていたけど、一人だとそういう強制的に時間を縛られることもない。
後者に関しては、それが自由でハッピーという人の方が多いのだろうけど、でも私は行動でも時間でも外的に区切りを与えてもらえないとなんか落ち着かないタイプだったりするので、家での生活がのっぺり続いていくのがけっこう苦痛だったりする。
……この中で一番辛いのは、圧倒的に孤独感。
これも短期スパンで見ると、「あ~、寂しいな~」レベルの話でしかないんだけどね。
少ないながら時々会って遊ぶ友人もいるし、LINEで連絡すれば応えてくれる家族もいるので、孤独から逃れる術は今はどうとでもなる。
ただ、何十年か先の未来、自分が天涯孤独になる想像がふと湧いてくると、耐えがたいほどに辛い気持ちになる。
私は兄弟も同世代以下の親戚もいないし、友人とだっていつかは疎遠になってしまうかもしれない。
結婚はしたいが、彼女いない歴=年齢の上、一人暮らし程度でこんなに精神がボロボロになるメンタルポンコツ野郎なんで、できる自信もあまりない。
だから、天涯孤独はわりと現実的な未来としてあり得るイメージだ。
そのイメージが頭にこびり付き出すと不安で不安でたまらなくなる。
今はそれが一番辛い。
不幸中の幸い、メンタルの方は、生活が立ち行かないとか、仕事にも行けないとかになるほどの重症ではないので、とりあえず薬やカウンセリングで騙し騙ししてこのまま一人暮らしを続けるつもり。
これもまた幸いなことに家族もメンタル系の病気に理解がある方なので、マジで生活できないほど重症になったらいつでも実家暮らしに逃げ帰って来て良いとは言われているけど、まだそこまでではないので。
ただ、一人暮らしの当初の目的が、親が死んで天涯孤独になっても生きて行けるようにor結婚した時に奥さんに迷惑をかけないように、自力でも生活できる能力を身につけることだったので、(メンタル問題はともかく家事とかのスキル面で)十分な能力が身に着いたら、実家に帰りたいなぁとは思っている。
とりあえずの目標はオールシーズンの家事を経験するため、一年を乗り越えること。
本当はもっと一人暮らし続けなきゃ自立もへったくれもないとは思ってるんだけど、ひとまずゴールテープを用意しないとやってられないので、まず一年を乗り越えて、そこから先のことはまたその時に考えるつもり。
でも、この家や街にはもう負の感情が染みつきすぎているので、どんなに長くても二年後の賃貸更新までには今住んでいるところからは出て行くだろうな。
その時、まだ一人暮らしを続けることを選んだとしても、他の街に移り住むことだけは決めている。
結婚したいなら、一人暮らしを続けていた方が当然優位なんだろうなぁとは思ってるけど、ただ、本気で結婚したいならまずメンタルの健康を人並みに治さないと話しにならないと思うし、これも未来の自分の精神状況次第だなぁ。
長子が来年18歳だが「育て上げた」という感慨を抱くことはこの先もないだろう。
どのように育つか観察しながら世話をしているというところだ。
それなりに大変だったのは確かだけど辛かったという記憶がまったくない。
自分はずっとフリーランスで在宅ワーク。妻はひとりめを妊娠してから産休に入ってそのまま退職、その後ずっと専業主婦である。
妻は働きたくないわけではないがフルタイムで働くのは疲れるから無理というタイプで、
自分は家族を裕福に養えるほど稼ぐ自信はないが妻が家でのんびりしてるとやる気が出るというタイプなので自然とそうなった。
基本的には自分は仕事、妻は家事育児をすることになっているが、仕事場が生活空間と一緒なので役割分担は曖昧である。
妻は常に自分が仕事してるところを見てるし、自分は妻が家事をしたりのんびりしたりしているところを見ながら仕事をしている。
学生時代付き合ってる頃からずっとそんな感じで、それが気楽に感じるような関係性ということだ。
妻は普段は料理も掃除も子供の世話もそつなくこなしているがたまに
突然1日中パジャマでゴロゴロしたりドラマを全話一気見したり趣味に熱中したりして何もしなくなる。
そうなると自分はにわかにやる気が湧いてきて、部屋を片付けたり料理したり子供を遊びに連れて行ったりする。これで大体うまく回っている。
両親とも家にずっといるというのは特殊なんだと思うが、二人家にいればこれで適当に回せるのである。
役割分担やルールを決めすぎるのはウチには向いていない。利他的動機づけというものが自分と妻にはデフォでインストールされているようだ。
一番大変だったのは、ひとりめが生まれて数年だった。夜泣きがすごく、寝てもすぐ起きる、寝かしつけも大変、毎日深夜におんぶして階段を何往復もした。でも若かったので二人なら体力と根性で乗り切れた。赤ちゃんを抱いている多幸感がすごくて辛いとは思わなかった。ただ同じことの繰り返しで面倒くさいとは思った。今日に至るまで、育児とはほとんどが同じことの繰り返しである。
子供の頃、母親の友人が生まれたばかりの赤ちゃんを連れてきたことがあった。目の前に寝かされた赤ちゃんを見て胸の奥から湧いてくる切ないような愛しさを感じて、手を握って飽きずに1時間ぐらい赤ちゃんの表情を見ていた。赤ちゃんが帰った後、何度も自分に弟や子供が生まれる夢を見て、目覚めてから自分には赤ちゃんがいない現実が寂しくて泣いていた。
一人目の赤ちゃんが生まれた時、あの時と同じ切ない愛しさが胸に満ちて、涙が出るほど嬉しかった。あの多幸感を思い出すだけで大体のことは乗り切れそうだなと思う。自分には赤ちゃんと接する才能があったのかもしれないと思う。赤ちゃんの表情を見ているだけで、勝手に感情移入してしまい、何をしたいのか、何をして欲しいのか読み取ってしまうのだ。こうして赤ちゃんは常に甘えたいのはママ、遊びたいのはパパ、という関係性で楽しくかつ面倒くさい関係を築いてこれた。
ふたりめが生まれた時、勝手に寝て一人で遊ぶ子で、一人目と比べて楽すぎて拍子抜けした。これなら人数増えてもいけそうだね、と新たな赤ちゃん見たさに3人目も作ってしまった。3人目でも赤ちゃんは可愛かった。自分は3人生まれた時にもうやめとこうと決意したが、やっぱりもう一人ぐらい赤ちゃんを見たいと妻が言ったとき、決意を翻して本当に良かった。
4人目の赤ちゃんが生まれた時が多幸感のピークだった。あまりに幸せなお産すぎて「こんないいお産があるんですね」と助産師さんも感動していた。
そしていままさに毎日面倒くさい子育てに直面している。仕事が忙しいのに夏休みで4人もの子供たちが家にいるのである。何度今忙しいからダメと言っても幼児が膝に乗ってくるのである。
膝に乗ってくるのもあと数年、シャットアウトするのは忍びないという思いが仕事を遅らせ、本当に困っている。
赤ちゃんの頃一番楽だった二人目は思春期で今一番苦労している。絵を描いたから見てくれ、本を読んでくれ、自転車に乗れるようになったから見てくれ、カードゲームを一緒にやってくれ、一緒に自転車でスーパーに行こう、夏休みの課題をやってない、朝起きれない、夜寝ない、テスト勉強だ、塾の送り迎えだ、受験だ、進路を決めなきゃいけない、本当に面倒くさい。他人と関わるのが苦手だった自分が、妻を含め、5人もの人間と濃密に関わる人生になるとは思っていなかった。
宮崎駿が言う通り、人生において大事なことは全て面倒くさいのである。
育てているつもりはない。濃密に関わりながら、育っていく様子を観察しているだけである。
クリエーター()のワイの嫁はんは月に80時間作業して月1.5万円稼いできて、それで共働き認識やからな。最賃で働くとか全然まし。
なおワイはクソ激務で年収2000マン稼いでいるが、死ぬ思いで起きて朝食作って、深夜帰宅してから家族分の皿洗いしとるで。男親が家事するとこ見せるのは子供の教育のために有用から納得してやっとるけど、毎日泣きそうやで。
産後ほったらかしおじさんの記事をきっかけに、子どもが産まれる時、産まれた後の数年の行動が、その後の結婚生活にもあとを引くぞ、みたいな話が出てきて、その流れで産後夫はどうすると良いのか?という話が盛んにされてる気がしてる。
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上の子が生後半年の頃、ワイフが産後うつになったので、専業主夫を交代して半年子どもを見た。夜は眠れず子どもの調子でいつ終わるか分からない世話をやり続ける。仕事で言えば超我儘顧客を抱える個人事業主って感じ
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こんなコメントを書いたら、そこそこ反応があった。
ここに関して、僕は男性にしては珍しく、生後半年の子どもを1歳になるまでの半年間、専業主夫としてみてきた経験があるので、他の女性/男性とは違った目線でコメントできるかと思う。
・どうして生後半年の子どもを専業主夫として見ることになったのか?
これは、ワイフが生後半年のタイミングで、明らかに産後うつな症状になり、様子がおかしかったから。
当時、僕自身、できるだけ子どもを見ているつもりだったが、子どもが産まれたくらいのタイミングで、ちょうど仕事が滅茶苦茶忙しくなり、家に帰りが21時を超えることもしばしばあった。
デスマなプロジェクトみながら、可能な限り子どもの面倒を見るのには、正直限界があり、当時は自分自身で一生懸命みているつもりだったが、あくまでも仕事や日々の疲れの隙間で、ワイフの手伝いをするのがせいぜいだったように思う。
生後半年でワイフが産後うつ、と書いたが、実際には僕自身の仕事がやっと落ち着き始めたタイミングで、周りを少し見渡せる余裕ができ、異変に気付いたから本当におかしかったのはいつからかは分からない。
産後うつに気付いて何か手を打たなければ、と思い、実家に助けを求めることも考えた。
ワイフの実家は遠く両親のパワーは足りず僕らを助けるほど余裕はない。僕の実家は近く親は保育士で子どもに慣れてる。
それを考えると、僕の親に協力を求めるのが現実的だったが、実際にそれをやってしまった場合、ワイフと僕、僕の実家との将来的な揉め事の火種になりそうな雰囲気をビンビンに感じた。
この状況下で、両方どうにかするの、もう無理やろ、って感じになった。
何かを諦めるしかない。
デスマプロジェクト、ちょうど落ち着いたし、もう良いやろ……頑張れる気はもうしなかった。
僕自身、うつの症状は出てるのは自覚してたので、心療内科に行ったら、あっさり診断書をもらい、それで休むことにした。
世の中で言われてるようなキラキラとした育児のための育休でなく、完全なる精神疾患による休みである。
しかし、これで家のことだけをやれる状況は作ることができた。
最初の2週間は、僕自身、実際にうつで診断書もらっただけあって、やる気が出ず、まともに動けなかった。
3週目あたりから、少しずつ家のことをやり始められるようになり、それを続けていたのだが、ワイフの調子が良くならなかった。
僕が何をやっても、ワイフは「私がやらなければ……」という強い強迫観念で落ち着かず一向に休まることがなかった。
家にいて僕の家事や育児を見てるから気になって落ち着かないのだ、ということになり、ワイフにはなんでも良いから昼間の間、外で働いてもらうことをお願いした。
ワイフ本人が落ち着かない、というのもあるが、急遽休職したので、経済的に助けてもらうと大いに助かる、というのもあった。
ワイフが仕事を見つけて、働き始めたことで、生後半年の息子を育てながらの専業主夫生活がはじまったわけである。
・本当はここまでが前置きで、ここからコメント書こうと思ったのだが、ここまでで、力尽きてしまった………
なので、ここからは適当に短めに。もしリクエストなどがあれば、別途。
手伝いとそうでないのには、大きな隔たりがある。
単純に休みや睡眠が自分の意思や計画通りに決まることがほぼないので、蓄積された疲れがボディーブローのように効く。
手伝いには、この疲れの蓄積が無いので、手伝いだけで全てを知った気になって、簡単な仕事だと揶揄するのは、仕事だけみて自分を見ていないのだ、と相手に勘付かせてしまう。
仕事でいえば、平日土日24時間関係なく急に電話するから電話あったら30分以内に対応せよ、手伝いの人がやってくれる間は休んでても良いから、その代わり手伝いの人がやった失敗はちゃんとリカバリ頼むね、やったほうが良いこと駄目なことはたくさんあるから自分で良い感じにやっといてね、できなかったら君の責任だから絶対に失敗しないでね、みたいな状況。
それが続いて、こっちはピリピリしてんのに、その仕事を軽視する発言や態度、非協力的な姿勢をされたら、そりゃキレるだろう。
結婚式とかで誓いの言葉として「健やかなるときも、病めるときも……敬い、慰め合い、共に助け合い……」というのは良く言ったもので、その言葉を裏切るか否かを突きつけられる最初の場面がここなのだと感じた。
何やるか否かの前に、とんでもなく大変でつらいのだから、敬い、慰め合う、というところから、まずは始めてほしい。
猛獣どう扱うか、みたいな雰囲気のテクニック集みたいなのが出てきて、コレじゃ未婚者が結婚したくなくなる/子ども欲しくなくなるじゃん、と思った。
つらいときに、敬い、慰め合い、助け合えば、良き伴侶、良き相棒となり、前よりずっと上手くやっていけるよ。
………続きはやるかも……
https://anond.hatelabo.jp/20240828220034
この増田は男だけど、育児を何故か仕事と同列視して被害者面するタイプはワーママにもよく見られる。つくづく理解出来ない。
子供を作る事は本来別にやらなくてもいい事だから。人生に本来不要な娯楽を、自ら好き好んで始めている。
家事とも違う。家事は単に生活の必然性からやらなきゃならない行為であって、そこに娯楽や自己実現の要素はないからな。
自分が好き好んでこの世に誕生させた、愛する我が子とすごす時間を、どうして仕事という苦行と同列視するんだ?
疲れるなんてのは理由にならない。
例えば推しのライブに行ったり、ディズニーやユニバに行ったりしてて楽しんで、くたくたになって帰ってくるのと同じ事だから。
肉体的疲労を上回る充足感がある筈なんだが?
共働きで二人ともほぼフルタイムで働きながら3人ほど子育てしたけど、
何も大変じゃなかった。それは妻とも常々話している。
まあ、当たり前だ。子育てなんて何万どころか何億も行われている作業だ。
家事も同様。前例がある仕事は基本的にノウハウが固まっており、大変な要素がない。
断言する。何も大変ではない。
「産後はボロボロであってほしい」「子育ては大変であってほしい」という謎の共感を求められても困る。
育休制度等は「子育ては大変だから社会で負担しよう」というコンテクスト、共通感覚の元に行われているからな。
でも、それって建前でしょう?
追記:
奥さんだけが問題あるというよりお互いの噛み合わなさって気もする
よく「女が男に尽くしてせっせと(ただの恋人なのに)家事をしてあげたのに、男の方は感謝もしない、
女がブチギレたら『好きでやってたんじゃないの?』と抜かす」、
「女が男のデリカシーの無さに必死で耐えて良かれと思ってきつくは言わないでいたのを後になって『なんでその時言ってくれなかったんだよ?!』と言い出す男」
みたいな話あるじゃん
それの男版というか
・自分の感情を適切に吐露する方法を知らず、ただただ溜め込んでストレスになっててそれを相手だけのせいだと思ってる
(一方奥さんはわりと自分の感情を小出しにできる、良く表現すればそういうタイプでもある→だから増田が我慢に我慢を重ねるタイプだとわかっていない、言わないならその気持ちはないとみなすタイプ)
・「相手に言わなければ自分の気持ちは伝わらない」ということをわかっていない
(これは増田にはきっつい言い方だと思うが…増田は重荷でも笑顔で「わかった、やっておくよ」と言って引き受けたりしてそう、そうなると相手は特に負担はないんだなと受け止めがちなので齟齬が生じる)
(「自分はこれだけ尽くしている」と思うのは本人は本人の負担がわかっているからだが、他人はわからない。子ども時代、母親がどれだけ家事に労力を割いてくれていたか一人暮らしになって初めてわかったって人多いだろう?あれだ)
増田はもっと手を抜いたり、会話して”ワガママ”になる術を覚えてもいいかもな
もしかして長子かな
自分さえ我慢すればいいっていろいろしょい込みがちだからな、そのうえ良かれと思って自分の負担を増やしたりする
共働きで二人ともほぼフルタイムで働きながら3人ほど子育てしたけど、
何も大変じゃなかった。それは妻とも常々話している。
まあ、当たり前だ。子育てなんて何万どころか何億も行われている作業だ。
家事も同様。前例がある仕事は基本的にノウハウが固まっており、大変な要素がない。
断言する。何も大変ではない。
「産後はボロボロであってほしい」「子育ては大変であってほしい」という謎の共感を求められても困る。
育休制度等は「子育ては大変だから社会で負担しよう」というコンテクスト、共通感覚の元に行われているからな。
でも、それって建前でしょう?
・ぼくのパパ
高卒 家事育児まったくしない 気が向いた時に子供が全く無関心な父親が興味あるだけのイベントに連れ出すが子供からすると休日潰されたという思いしかない
暴力は振るわないが怒鳴りだして意味不明なことを延々まくしたてる 何を言われたか記憶にないがすぐ怒鳴られた記憶だけは残っている
イベント連れ出しなど嫌だったけど、嫌がると怒鳴られるのわかってるからついていくしかなかった
ぼくが奨学金で一人暮らしするようになってからも突発的にイベントに連れて行こうとするのは変わらず、断ったら部屋の前で怒鳴り続けて近所迷惑だった
女性蔑視が激しくて母のことをよく馬鹿にする 姉が思春期になったら姉の体をさわったり品評するようになった
・ぼくのママ
高卒 フルタイム非正規 攻撃的な、子供にわざと聞かせるようなため息をよく吐く
子供に家事の手伝いなどなにかさせたい時に「指示をされなくても察してこっちにこい」という意図でため息を吐く
高校時代は頭が良かったけどお金がないから大学行けなかったと高校時代の自慢をよくする
そのくせ稼ぎの悪い男と結婚して自分は非正規で子供に奨学金を背負わせないと進学させられない状況を作る
父親の姉への性的虐待を黙認していて、姉は怒りの矛先を一番若年のぼくに向けてぼくが大学進学したら「この程度の大学じゃどこにも就職できない」とかぼくをしょっちゅう罵った
家族のことが嫌になってぼくが家族の電話を全部ブロックして連絡を絶った時期には、母はしばらくしつこく公衆電話から留守録を残して泣いて被害者アピールしてきた
まぢでこの親見てきて結婚とか無理でしょ。。。
答え出てんじゃん。
中間管理職のようなストレスだらけの職業以外で、家事育児に追われなくて、自分の時間が無限にあるっていう生活をしたいんだよ。
何のために生きてるかなんて知らねー。40超えてまだ見つかってないの?
っていうか、なんのために結婚して、子供産んで、働いてんの?これに生きがいを感じてない時点で、やりたくないことやってるってことじゃん。
まあ、まだ40歳とも考えることができるよね。さっさと転職して単身赴任するなり、退職休職して、ひとり暮らしするなりすればいいよ。それとも、家族のため、自己犠牲の精神で今の生活続けたかったら続けなよ。
あんなの結果論。努力しても、その努力を踏みにじられたら水の泡。適当に生きて、運良く大金と美女、優秀な子供、最高の職場が手に入ったら超幸せ。ね?こんなの考えるだけ無駄。
おっさんの言うことは正論だし自分としてもお疲れ様とは思うが、
正論とは全ての正論を包括するわけではないというのがミソなんじゃないのか
裏返すとそれは配偶者に「育児から逃げない(逃げられない)」を全面的に任せた役割分担でもある
そこを忘れて「自分は家族を養うために仕事から逃げられなかった」だけクローズアップすると
お互い話し合い、すり合わせ不足にならないか
だってこのおっさんの奥さんはある意味では「家族のために育児から逃げない」だけにクローズアップした結果、いらん恨みを募らせているわけだろう
だが親になると言うのは子どもの心、人格に触れ、その健全な形成に心を砕くという部分がどうしても必要だ
そしてそこには確たる正解がなく、人生経験を積んだ大人でも悩み苦しむような難題が次から次へと降ってくる事業でもある
大人でも同じ知恵を持った大人と問題を共有し、分かち合い、解決のために協力し合いたいと思うものだ
奥さんはそれができなかったために、共闘してきたという実感を持てないでいるんだと思うよ
たとえ「働くのは夫・家事育児は妻」の役割分担があったとしても、父親としてあるためには金を稼ぐ以上に心を砕くことが必要な場面があったはずだ
そしてもしかするとだが、一生の恨みおじさんにはそこに何か思うべき部分があるのかもしれない
3人の子どもを何不自由ない生活を与え全員を大学に放り込むために飲んだ苦汁は1杯や2杯ではなかったはずだ
母はそこの想像力が不足するような人間には自分たちを育てなかった
だが…
何と言えば伝わるのかわからないが…
父と子どもたちとの間には長年の「ふれあい」というものがないのだ
聞けば父は自分が幼少期にパパ〇〇と言った、というようなことをよく覚えているのだが、
自分にとっては映画かドラマを見ているみたいな感覚にしかなれない
自分なりにいろんなことがあった、その中には苦しいこと悩むこともあった、
つまづき、悩む、今思うと子どもならではの視野の狭いアホらしい限りの悩みだが、
だがそれら当時の自分には大きな問題を打ち明けられる関係を築いているのは母だけだった
だから父には金銭的には支えてくれた感謝を持っている、成人した今では和やかに世間話をできる関係でもある、
だが
だが何と言えばいいのか、自分にとっては内面をよく知らない心の距離が遠い人でもある、
限りなく「自分たちを育て上げるために苦労してくれた父(同じ家に住んでいる設定の近所のおじさん)」に近い感覚がある
母に対するのと同じように自然に心を寄せることができない
父の癖や好みは知っているが、だがそこに共感や好意というものはあまりくっついていない
本人には言えない
気持ちはよくわかる。
同じく40代既婚子持ちだけど、仕事やって帰って家事育児すると自分の時間って驚くほど取れないよな。
かといって、たまに空き時間2時間とかあっても特に何かするわけでもなく終わってしまう。
惰性で生きてる感じがすげーある。
人生に対してある程度の見通しが立ってくる年齢だからってのもあるのかもね。
んで、このままじゃ良くないなって思って最近はなるべくやりたいことがあったらやってみることにしている。
って言っても、気になった店には入ってみるとか、出先のサービスエリアで普段買わないけど気になる食べ物あったら食べてみるとか、昔やってたスポーツをもう1回やってみるとかその程度だけど、自分のちょっとした欲望を無視しないで行動するのって意外と悪くないよ。
増田の父は、家事も育児もほぼ全くしなかったらしい。そのように母が、増田が大学生ぐらいになった頃からグジグジ湿っぽく言っていた。
私たち子ども(兄と姉と私の三人兄弟)たちも「保護者はお母さん」 「お父さんは遅く帰ってきて晩酌を要求したり、夏休みに海や山に連れってくれる「レアアイテム親」」」みたいな感じだったので、まぁそうだねーと思っていた。
とはいえ、母や私たち子どもが父をATM扱いしていたわけでもなく、父がボーナス山ほど持って帰ってきたり昇進するととお祝いをしたり。子供たちが小さい時は夫婦喧嘩は恐らく子が見ていないところでやっていたんだろうと思う。お父さんが約束してたお出かけに一緒に行けなくなって拗ねた時は「お父さんもお仕事大変なんだから仕方ないのよ」と叱られたり。
そんな風にしつけられて育ったので、子供のころにいとこたちと遊びに行く時など、いとこの家はパパもママもいるけどうちはいつもお母さんだけだなーでもうちのお父さんは忙しいからしょうがないよなと納得するようになっていた。授業参観や大会の応援とかも一度も来たことがないが、まぁそういうものだと思っていた。まれに仕事が早く終わって夜早くに父が帰って家にいると気恥ずかしいような嬉しいような。
要するに、父親にも育てられた自覚はちゃんとある。が、が一方で「夫婦で協力して子育てをしてもらっていた」という感覚はない。
面倒見てくれたのも、学校でトラブルがあった時に話を聞いてくれたのも、習い事の送迎も、どの塾にするかもどの学校を受験したいかも全て母だった。接する時間が長いのは圧倒的に母だったから、まあそれは仕方がない。増田が育った時代・地域は分業夫婦が多数派だったので、不満はないわけじゃなかったが違和感もあまり感じていなかった。
母が、父が子育てにコミットしてこなかったことにグジグジ言い出したのは、前述通り増田が大学生ぐらいのころからなのだが、それは増田が大人になったからではなく、兄が結婚し子を授かったからだと思う。
兄は、時代のせいもあるし、父を反面教師にした面もあるだろうし、なんていうか優しいタイプの男だったこともあるのだと思うが、しっかりと育児をする男だった。
それでたぶん母は自分が夫からされた仕打ち、子供たちが小さいころにした色んな苦労をぶわわーっと思い出してしまったみたいだった。そのせいか母はその頃は少し嫌な母親になっていて義姉を疎んでイヤミを言ったり、孫をかわいがろうとしてしくじる父にグチグチ言い出したりし始めたのだろうと思う。
産後~乳幼児期の子育ての苦労は「子供が死ぬかもしれない」を中心に精神的・物理的・時間的な苦労が大きいから、そこで負担が大きかったりすると辛いのは何となくわかるが、まぁこんな風にトラウマが噴き出すみたいになるもんなんだな…と驚いた。ずっと溜めこんでたんだな、それが息子の嫁と子が大事にされているところを見て吹き出しちゃったんだと今ならわかる。
父は、母からそのように責められるたびにバツの悪い顔になって、怒ることこそなかったがとても不機嫌になる。せっかくかわいい赤ちゃんまでいるのに空気が悪くなるのは嫌だったので、「お父さんが孫にあんまり好かれないのは子育てしてこなかったからでしょうがないね!おむつも変えたことないなら、お兄ちゃんが教えてあげたら」と父と兄を焚き付けて、父は息子から教わる形で「夫婦で協力する」を後から学んでいったんだと思う。
そんなこんなで何となく実家の様子は時間とともに落ち着いていき、並行して、私が社会人になり家を出て、結婚する報告をしに実家に帰ったらその2年弱で父は家事分担ジェントルマンに変貌していた。一緒に買い物に行き荷物を持ってやる、父一人でスーパーに買い物に行って適切なものを買って帰ってくる、家の掃除は父の分担になり、母が出かけている間に洗濯物を取り込んで畳むことまで出来るようになっていた。母が寝込んでも何もしない男だったのだがおじやを作ってたのには心の底からびっくりした。私たちが子供のころ、母が寝込んだ時に母方の祖母を電話で呼び出して妻と子供たちの看病を命じた男が、会社の飲み会がある予定をきちんと一週間前には母と共有するようになっていた。父は後天的に学習ができたのだろう。そのおかげで母の「嫌な義母ムーブ」も少しずつ収まっていったみたいだった。
もう父も母も亡くなったのだが、父が死んだ後の母はとても悲しんで落ち込んでいた。その程度には夫婦は関係を修復で来ていたのだろうと思う。
母が亡くなって遺品整理をしていた時、叔母から、母は子育てが本当にしんどそうだった(産後うつ?)と聞いた。兄・姉と生んだ後に、幼稚園前の兄と生まれたばかりの姉をつれて家出して実家に帰っていた時期があるんだという。全然知らなかった。私たちは母方のいとこたちとしょっちゅう遊んでいたのだが、それは叔母が母を気遣ってくれてのことだったらしい。兄はうっすら覚えているらしく、兄が家族にとてもやさしい男になった理由の一つなのかもと思った。
子供側から見ると「父親から育てられてない」とは全然思わないけど、例えば私が成人式の時に、父が母に向かって「俺たち育て上げたななぁ」と相槌を求めてきたとしたら私なら「やだお父さん、育てたのは大半お母さんだよ」ぐらいは言っちゃいそうだ。私の母が、息子のイクメンぶりに刺激されてトラウマがよみがえったように「あなたは「育て」にはコミットしてないでしょ!」ってなっちゃったのかもなぁ奥さん。
せめて「俺たち頑張ったなぁ!」とかだったらパンドラの箱は開かなかったかもしれない…だろうか、どうだろ。まぁどのぐらい地雷を埋めたか分からないから何とも言えないね。幸いなことに私の父はびっくりするほど学習能力が高くてジェントル協働夫になって仲良し夫婦で夫々旅立っていったから、まぁよかったなって思ったし、私も改めて夫を大事にしようと思った次第。
俺フリーランス、専業主婦の妻から「全然家事育児を平等に負担してくれない」とかいう舐め腐ったことを言われる
曰く、「家事育児の負担が 妻5:夫5 なら平等だけど、現状 妻7:夫3 くらいにしかなってない」という認識だそうです
勘弁してくれよと
俺はフリーランスだから仕事無いときは積極的に家事育児も分担できるんであって
会社員夫の妻とか、共働き夫婦とか、もっと厳しい状況に置かれてるんだぞ
そもそも、家事と育児が専業主婦の仕事であって、自分の職責の範囲内の事は最後まで泣き言言わずに単独で完遂するのが基本だと言うことが分かってない
俺が仕事で「モウ無理ー!」ってぴえんして仕事投げ出すことが許されてると思うのか?なぜそれが専業主婦には許されてると思うのか?本当に甘やかされすぎだろ専業主婦
しかも、専業主婦の仕事内容は俺でも手伝えるし、なんなら俺の方が手際良いまであるから、仕事の合間に手伝ってるんだが
妻は俺の仕事を手伝う意思もなければスキルもないわけで、あまりにも状況が非対称的に不公平だと思う。
夫でも担当できる範囲内の家事育児の仕事をしてる専業主婦のほうが圧倒的に有利じゃん。「手伝えるのに手伝わない!」ってわめけるから。
リタイア後に、俺が仕事で本当に辛かったとき、妻は仕事を手伝ってくれなかった!ってわめく夫を想像できるか?できんだろ。それが非対称性よ。
もっと言うと、じゃあお前俺の仕事手伝ってみろよ簡単なexcel作業くらいできるだろってやらせたら役に立たないカスみたいな表作りかけて「わかんない!」で終了〜、お気楽でいいですねハハハ
まあ、俺が何かをお願いしたとしても、それを やる/やらない は相手固有の判断だから、もし断られても相手の意思を尊重したいので、俺は全然不機嫌にならないし
相手がその作業を やれる/やれない も相手固有の問題だから、期待したような成果が上がってこなくても、全然不機嫌にならないし、表面上「ありがとう。助かった。」って言って流したが
専業主婦の妻は「お願いしたのにやってくれない!思ったとおりにやってくれなかった!」ってキレることが当然だと思っている。こどもか。
更に家事育児で寝不足だからもっと家事育児手伝ってほしいと言った同じ口で、フリーランスの夫に子供を預けて最低時給のアルバイトに行きたいとか言ってきて、まじでコイツ〜ってなったりしている。
毎週とは言わないが、それでも余裕があるときは子供を連れて遊びに行っていたし、妻に負担がかかりすぎないように、ある程度は家事も手伝っていたと思う。
ワンオペじゃねーじゃん
嘘つくの止めてもらえます?
賛同しかないですが、3か月~半年の育児休暇を取れる職業も限られるでしょうし、このままだと少子化へ直行だとも感じます。
そもそもあまりに普及していない無痛分娩に始まり、あまりに制約を強いる保育園、
そしてその先の先の大学まで、子育てするのなんて、金と時間と精神・身体の負担の連続で。
その上、時代とともに
・仕事の複雑さ・大変さ
・夫と妻の両方へ要求される正しさ
が全部上がっていくんです。
でも何というか、このままだと本当に少子化は当然だなと思うんですよ。
元増田発端の議論とは多少ずれるんですけど、もっと子育てを楽にしていけないですかね。
一家族大人3人、というのは夫婦自身が嫌だとは思うんですけど、それぐらいやらないと楽にならないってレベルで辛くて、本当にどうしたらいいんですかね?
今の日本でこんな気持ちにならない家族ってごく限られていませんか?
正しさを正しさとしてやれる家族ってすごい余裕ある人達だけじゃないですか?
だからって妻や夫に何やっても許されるとは一切思わないですけど。
1. 「独身の同年代の知り合いが余暇を自分と同じように過ごしている」という観察から「独身のメリットがなさそう」という観察を引き出しているように見えます。あなたは、何人に聞いたのかは分かりませんが(文の感じからすると一人のように読めますが)、知り合いの生活スタイルを聞き、そこから独身一般に対する知見を引き出している。これはかなり乱暴です。少し落ち着いて考えればわかることですが、アラフィフの独身は国内だけでもかなりの数いて、多様な生活スタイルが間違いなく存在します。
2. 現在の余暇の過ごし方が同一だから、相手と自分は同じ「位置」にあるという考えもよく分かりません。そもそも「20年アド取ってて同じ位置ってどうなの?」の「位置」が何を指すのかがよくわかりませんが、文の感じから推測してみるに、独身の有り余る時間と金でディープでマニアックな趣味を深められたはずなのにそれをしていないのはしょうもないみたいなニュアンスではないかと思います。これについては二点。
一点目は当たり前のことながら、余暇の過ごし方で人は決定づけられるものではありません。例えば週末にゴルフをして過ごす中年男性は、趣味レベルの実力しかない人に限っても多数いると思いますが、全員をひとまとめに類型化できるほど一様な集団ではないことは明らかです。また人にとって、余暇以外の部分(大抵は家事・仕事)も人生の重要なパートであり、そこに強いやりがいや充実を感じている場合もあるはずです。だから余暇の過ごし方の種類で人の「位置」を決めるのは粗雑です。
二点目は、これまた明らかなことですが、現在の余暇の過ごし方が同一だからといってこれまでの余暇の過ごし方が同一とは限りません。知り合いの独身が現在、あなたのようなありふれた余暇を過ごしているとしても、それはずっとそうだったことを意味しません。というか、普通、誰でも過去には熱狂的にハマっていたが、今はそうでもない趣味をもっているものです。だから、現在の余暇の過ごし方で人の「位置」を決めるのはかなり雑です。特にアラフィフなら、体力の低下で、余暇の過ごし方が穏やかなものに変わるのも自然なことです。
3. 他にも色々言いたいことはありますが、ここでやめておきます。ともかく、独身者というのは多様な生活スタイルをもつ人々の集まりなのだから、全体に対して言えるメリットなんて、既婚者に比べて時間や金の自由がききやすいとか、そういうありふれたことしかないと思いますし、そんなことはあなたもわかっているでしょう。
なのに、知り合いの話を無理に一般化し、「位置」とかいう曖昧な基準を持ち出して独身全体を小馬鹿にしている。さらには「独身のメリットって何? 」と質問を装っていつでも逃げられるようにさえしている。あなたは独身を小馬鹿にする文章を書いた。それだけは自覚してください。