はてなキーワード: 区切りとは
人にオススメされたセレステ、とりあえずエピローグまで終わった。
エンドロールを見ているときの満足感がすごかった。やっぱこういうティーンエイジャーが悩みを超えていく物語は洋ゲーによくみる(※自分がプレイした中では)ストーリーでかなり好きだ。セレステの主人公マデリンはうつやパニック障害といった心因性の症状に苦しんでいて、自分を映し出す鏡であるセレステ山でこの悩みに立ち向かっていくことになる。
ゲームシステム自体はジャンプとステップを利用してステージをクリアしていくアクションゲーム。かなり死ぬけどすぐ手前から復活できて全くイライラは感じなかった。アクション自体は終盤まで対して変化しないけど、チャプターごとに独特のギミックが存在するので最後まで飽きもこなかったなあ。ステージの攻略には2段階あると思っていて、1段階目が解法をつくること。ここでジャンプして壁掴んでからステップを斜め上に入力・・・みたいな方針が立てば、後はそれを達成できるまで何度もプレイする。この考え方はAtCoder(競技プログラミング)みたいだな、とか感じたり。適切に解法を立てて攻略できたときに正解(AC)として認められる感じが。区切りの間隔が短いから途中まではできるのにどうしても最後のここで失敗する・・・みたいなことも無く、サクサクと集中してプレイできた。
ステージは一本道ではなく、高難度の寄り道があってクリアすると♡をもらえる。ただこの♡、集めてもあんまり意味がないみたいだからステージをしらみつぶしに探すのが嫌で積極的には集めなかった。そしたらチャプター8(エピローグの後の章)!!!!♡が無いとプレイできないっぽくね???特別集める必要はないんとちゃうんかい!!!!!!それだけ思いました。
ストーリーはざっくり言うとセレステ山の山頂を目指していくというもの。山登りは頂上っていうゴールが明確にあるからゲームのストーリーの柱として相性がいいなと思った。というのもストーリーだけで見ると「A Short Hike 」によく似ていたから。どちらも山頂に行くことで悩みを克服するんだけど、その悩みというのがA Short Hikeなら母親の手術、Celesteならパニック障害。どちらもなんかリアルで嫌な不安感でそれが山頂での景色を見たときの達成感を演出するためにものすごく効いてると思った。
エンドロールは山頂に到達した後のその後がずっと後ろに流れていて雰囲気がとてもよかった。ちょっと置いて行かれそうになった”もう一人の自分”が慌ててマデリンに走って追いつくところとかは、近付く別れを惜しんでるのかなとか考えてしまって悲しかった。エンドロールにこういったその後を描くのは「洞窟物語」と似ているな。自分が攻略したステージを背景に各NPCが思い思いに過ごしている様子はNPCとしてではなくその世界の住人として生きているようでなんか嬉しい。
チャプター8以降はやるか分からないけど、アクションとストーリーどちらもかなり好きなゲームだった。
Epic Games Storeの無料配布でプレイ
エロ表現規制の話になると、それが犯罪を助長するかどうかっていうのが争点になりやすいけど、十一歳ぐらいからネットに触れ始めた元少女の私としては、エロ表現自体に傷つくんですよということを言いたい。
エロに慣れてる人は(今の私もそうだけど)気づきにくいよね。あれ、無垢な子への衝撃としては猟奇グロと同じだよ。
グロがなぜ一般的に受け入れられないかというと、なんか残酷で痛そうで怖い、っていうのがだいたいの人の感覚だと思うのね。
もちろんグロ愛好家はいるしそれは全く悪いことではない。何故なら彼らは基本的にはそれを誰でも見られるところにばら撒かないから。
ツイッターとかで突然グロ絵にいきあたってビクッとする、って経験はしたことがない。
でもエロは何故か大手を振ってあちこちに進出するし「むしろ性欲をこれで解消できるんだから犯罪を抑止してる!」とか言い出すんだよな。
「このエロ絵に描かれてるのはあくまで絵の美少女でお前じゃないのにどこがセクハラなの?」とか言う人は、「この四肢切断されてるのはあくまで架空の人なのになんでお前が怖がるの?」って言うんですか?
ホラー映画猟奇映画で怖がってる人に「ナイフで切られてるのはお前じゃないのに『痛そう』ってww」って言う? だいぶ無神経だな。
エロ絵の場合、エロいめにあってる属性が女の子で自分は安全圏にいるって確信できるから嫌じゃないだけだと思う。
私が小さい頃にネットでエロ絵を見てしまったときは、とにかく凄い衝撃を受けて、強い悪意を感じた。
今思えば別に描いた人に悪意はなかったと思うけど、なんだろう、なんか、人間をモノとして見れるんだな、っていう気づきを得たというか。体の部位に対する執着が可視化されてるのが怖かったのかも。「鶏のモモ肉はぷりっとして美味いよね」みたいな。「女の胸はぷりっとしてエロいよね」。
あと女の子の感情が見て取れる場合羞恥とか絶望が多いのも大分キツかった。総じて人格を無視して『肉の塊』にされてる感じ。
露出そのものというよりは意図が嫌なんだな。裸のマネキンには何も思わないし。
成長してからは自分の中で区切りがついて、エロ絵を自分から見に行くこともあるけど、でもやっぱり『エロ見たいとき』『エロ見たくないとき』というのがあって、見たくないときにエロ絵が出てくるのはめちゃくちゃ嫌。
情緒発達中の子どもに見せるものではないし、大人だって見たくないときはある。
ゾーニングはしてください。
ここの「森戸英幸, 『プレップ労働法 第6版』, 弘文堂 (2019). 」は著者名から書くのが適切なのかな?区切り文字はカンマでいいの?
ま た だ よ (笑)
こいつに資料の確認なんかをさせると、必ずこういうクソどうでもいい指摘が入る。
しかも、「この形式に直せ」と言うならそうするまでだが、対案を示さないから無駄に時間がかかる。
ちなみに、論文等を日常的に読み書きしていれば常識だが、この形式で引用文献を明示するのは至って標準的なマナーだ。
要するに、こいつは大した能力も経験も無いがこだわりだけは強くて、その場その場の思い付きで無駄な仕事を増やしてるクズってこと。
蕨変電所の火災でJR線が止まってる問題だが、これは直ぐには復旧できない。恐らく世の人が思っている以上に大きな事故なんである。
何故なら蕨変電所は普通の変電所と違ってハブになる変電所なので東京の1/3の路線に送電できなくなるからなのだ。
その影響は過去の事例から見て不通の解消に1日程度、つまり明日の朝は東京北部のJR線は走らないと考える。
そしてダイヤの大幅な乱れや並行私鉄線の殺人的な混雑は1週間程度続くと思われる。
まず、送電というのは発電所--変電所--変電所--変圧器(電柱の上)--家 となってるのだが、鉄道の場合はちょっと違う。電車が直流で走るからだ(関東以西)。
電力会社の変電所--鉄道会社の直流変電所(ここで交流→直流化する)--架線
国鉄はコストダウンの為に大需要地である東京での電力の自家調達に努めた。因みに見る角度で本数が変わる「千住のお化け煙突」っていうのは千住の国鉄石炭火力発電所の事だったのよ。
それが
・川崎火力発電所(火力/ガスタービン式、燃料はパイプライン供給の天然ガス/鶴見線扇町駅近く)
・信濃川発電所--武蔵境交流発電所(中央線武蔵境駅近くで見える巨大変電所)--沢山の直流発電所--架線
・川崎火力発電所--鶴見交流変電所(湘南新宿ラインで東海道線から分かれて直ぐに見える巨大変電所)--沢山の直流発電所--架線
となっている。そしてもう一つが今回問題の蕨で
・東京電力(パワーグリッド)鳩ケ谷変電所(岩槻街道沿いの超巨大変電所)--JR蕨交流変電所(蕨-西川口間にあるが少し線路からは離れている)--沢山の直流発電所--架線
となっている。
そして各系統間で電力を融通する為の「連系線」というのが、蕨--武蔵境--鶴見と各交流変電所間にあるんである。蕨交流変電所の隣を電車で通ると「JR蕨」って書いた鉄塔が見えるが、あれが蕨--武蔵境の連系線の鉄塔だ。(東電鳩ケ谷-JR蕨間は地下ケーブル)
因みに福一原発事故で外部交流電源途絶といった時の外部電源はこの連系線の事だよ。
ここで重要なのは、電気は各系統のを混ぜて使うって事は出来ない。
何故なら発電所は交流で位相(+と-が入れ替わる周期)が合っていない。それを「混ぜ」ようとすると打ち消しあって電力が減るし、それ以前にショートと同じだから送電線が爆発する。
だから連系線の電気を使う時は交流変電所から直流変電所への系統ごと切り替えるんだな。
こういう訳なので、架線も直流変電所ごとに区切ってある。その区切りが「エアセクション」ってやつ(架線が変電所系統ごとに平行に張ってある)。よく「エアセクションで電車が止まって立往生」になるのはこういう訳で、変電所毎の区切りをゆっくり進んでしまうとパンタグラフで各系統をショートさせた形になるから過熱して溶けたり燃えたり爆発する訳だ。
ここまで読んでもらったら、蕨交流変電所の復旧が2ステージに分かれる事が判るだろう。
過去に新宿直流変電所が爆発してとんでもない混乱が発生したことがある。山手線が中央線と合流する直前にその間に挟まるように白青の変電所が見えるが、あれが新宿直流変電所。事故以前は小さくてぼろっちい建屋だった。
1994年12月11日は冬の嵐で、多摩地区などでは雷が発生して交通網が混乱していた。そんな中、新宿変電所が漏電により出火。消防隊が臨場したが電気火災なので水を掛ける事ができない。そこでJR社員が遮断しようとしたがもう破壊され尽くしていて不可能。
すると上流の武蔵境交流変電所で遮断するしかありませんな。変電所火災は放っておくと変電器などが破裂して中の絶縁油に引火して大火災になっていきます。
ハブになっている武蔵境で遮断したら当然、東京中の路線も駅も停電して大混乱ですわ。因みにJRの場合は新宿にあるJR病院や本社ビルまで停電しちゃうのな。
それでやっと消火したけど新宿変電所は20万Vで溶接機振り回したような状態で建屋も完全破壊。復旧不可能ですわ。
仕方ないので新宿変電所を切り離す工事をして仮復旧。これで武蔵境から他の変電所に送電できるようになった。これに一日掛かってる。でも電力が足りないので相当な間引き運転で、振替先の私鉄地下鉄各線殺人ラッシュに。
次に新宿が受電してた送電線を他の変電所につなげる分散工事をして復旧。これで普通の運転間隔に戻せた。これが1週間。
話の脱線なんだが、新宿変電所を立て直す際にJRは送電の容量アップ、冗長化を進めたのね。それはインフラ企業として正しい事。
でも冗長性は普段は遊びになっちゃう。そして蕨からの送電は東電への電力料金が発生する。鶴見の発電は天然ガス代の支払いが発生する。信濃川はタダだ。連系系フルに活用できるだけのインフラも増強した。但し取水制限がある…。
という訳で「冗長化した設備の有効活用」が動機になってああいう不正をするようになっちゃったって面があるのよね。
新宿発電所の事故はこんだけ大変だったのだが、新宿はスター型結線の末端(少しハブの機能もあった)。
それに引き換え、蕨は大本のハブなのだ。今回の自体の深刻さが判って頂けただろうか?
望みは連系線フル活用できるように冗長構成がされていて信濃川でインチキしていた頃の取水をすれば被害を減縮出来そうってところ。
明日あたりに国に「蕨壊れちゃった…」と言って取水量大幅アップの許可取るのでは?それと川崎火力のタービン全開にしたら運転間隔半分までにはしないで済むかもしれない。
増田の家は東京北部なんだけど、昼過ぎに2度瞬停があって一瞬暗くなり、デスクトップパソコンは落ちなかったが電子制御の扇風機は動作不安定になった。
今考えるとあれが蕨での事故の瞬間と東電鳩ケ谷の遮断の瞬間だったのかなと。
蕨交流変電所の役目知らない人は「何時復旧するの」とイライラするが、知ってたら諦めた方が良いと判るね。
それでも会社に行かねばならない人は線路脇の送電装置類を眺めてその機能を調べて時間を潰したらどうだろう?電車撮ってる鉄オタは白い目で見られるけど、送電系が気になる銅オタは白眼視されないのでおススメです。
あるのはどす黒く染まった虚無感。そしてそこに沈んだ6年間。
晴れて大学に合格し、キャンパスライフに夢を咲かせた8年前の春。大学生活を過ごすこととなるサークル選びの時間だ。
高校時代に演劇を少しやっていたこともあり、大学でも演劇を続けていきたいと思っていた。
舞台に上る前の高揚感、あの感覚は一度味わったら忘れられない。
自分の大学の中でも一番大きな演劇サークルの新歓公演では、大学演劇とは思えない規模の舞台に圧倒された。
そしてそこに、アイツは、あの魔物は居た。
取り巻きには優しいが、その支配スタイルは仮想敵を作ることで取り巻きを結束させるタイプのヤツだ。
今まで男子校でのうのうと暮らしていた自分にその危険さを察知する能力はなかった。
役者で男は一人だけ。役柄としてもおそらく30過ぎで、男子校上がりの18歳童貞が生半可な気持ちでインストールできるものではない。
率直に言って下手だったと自分でも思っている。
癪ではあるが能力は認めざるを得ない。
うまく歯車が合えば多くのものを盗めただろう。しかしそうはいかなかった。
最初のすれ違いがどこで起こったかは分からない。自分の記憶はもうターゲットにされたことしか残そうとしていない。
他の役者も取り巻きで話せない。今思うと1人は引いた視点で見ていたが、そのことは3年ほど経つまで気がつけなかった。
同じ学年と話す機会も少ない。そうして、どんどん自分だけで抱えていくことになった。
舞台上で自分の役がアイツの役に怒るシーンがある。公演の中で1つ、アイツへの思いを全力で乗せて怒鳴った。
その回のあと、アイツはそのシーンを良かったよと一言言った。それだけだった。
生身のアイツへの気持ちを載せたモノですら躱された。ああ、コイツはなにもわかってない。本物の魔物だ。
自分は結局、大学生活を通じてサークルで役者に戻ることはなかった。
何があったのかわからないまま精神をズタボロにされた自分は、何が起こったのかを結局解決できないままに大学5年間を過ごすことになった。
鬱というのは初動が大事だ。
それが一人暮らしを始めたばかりの18歳に降り掛かったときに、いったい何ができようか。
大学にも行けず、一日家で布団にくるまって泣くしかできない日々。
完全に負のスパイラルだ。
外に出ようとしても身体から力が抜けて、文字通り崩れ落ちてしまう。それが「日常」だった。
その日常が異常であることに、大学を出るまでついぞ気がつけなかった。
助けてほしいというだけのことに自分自身でも気がつけないまま、他人からも理解されることを拒んでいた。八方塞がりだ。
アイツと出会わなかったら自分の人生がどんなだったかと、気分の重いこんな日には考えてしまう。
確かに自分の自堕落さに依るところもあったろう。すべての原因をアイツ一人に帰せるわけはない。
地獄の中で嫌というほど記憶を反芻するたびに悪魔化されていっただろうことは否定しない。
それでも、その最初の奈落を作ったアイツは、自分の視点の中ではすべての咎を着せられるべき存在なのだ。
それほど深い絶望がそこにはあった。
信号を待つとき、道路からできるだけ離れて待つようにしていた。
ふとした拍子に飛び込まないという確証がなかった。
郊外のショッピングセンターにあるような吹き抜けの通路でも吹き抜け側は避けるようにしていた。
飛び降りないという自信がなかった。
一番死に近かったのは3年前の夏。
当時共同制作していた作品が全く進まず、締め切りまで残り1週間となってもほとんど出せる状態になかった。
おまけに制作の外側でも人間関係をこじらせており本当に限界だった。
延長コードを切断し銅線を剥き出しにする。感情もないままただ機械的に胴体に貼り付ける。
端子ごとにオンオフを切り替えられるタイプのコードなのであとはスイッチを入れたら電流が流れる。
心臓を狙って電極を貼っていたので実行していたらほとんど助からなかっただろう。
最後に好きだった曲を聴いて終わらせるつもりだった。
「芥の部屋は錆色に沈む」、テーマも曲の途切れ方もピッタリだ。
もう2,3曲試したところでようやく正気に戻った。
一呼吸入れたあとに実家に電話を掛ける。そうしてしばらく一人暮らしを離れることとなった。
実家に連れ戻されたとき、父と二人で近所のファミレスに行った。
これからのことを父が話していたように思う。
やがて注文した料理が運ばれてきた。おいしそうなハンバーグだったか。
しかし箸を手にして食べようとしても、気持ちが食事をするのを頑なに拒んだ。
自分にはこれを食べる資格はない。何度も掴んでは離し。うつむいたまま食事を転がすのみ。
いつしか目には涙が浮かんでいた。
家族の理解、そして当時の恋人の支えがとても大きかった。いくら感謝しても足りないほどだ。
こうして自分は大学を去り、少しの休養の後社会に出ることができた。
大学1年目で一生分の不運を使い切ったのかとすら思えてくる。逆にこの幸運がなければ、今頃どうなっていただろうか。
自分はあの時にもう死んだと思っている。
だからこそ、今ここに三回忌として、一つの区切りとして、こんな取り留めもない文を認めているのだ。
6年間の悪夢に、形だけでも終止符を。
ここからは今まで一度も書いたことがない、テメエへの黒い感情だ。
テメエがこの文章を自分ごととして受け止められるような人間でないことは知っている。
自分のこととも気づかず酷いヤツだと怒るか、こんな場所にしか書けない臆病なヤツだと嘲笑うかだろう。
大学院を卒業して高校教師になったそうじゃないか。その指導で何人の信者を作り、何人の屍を生んだか。
杞憂だったらよいが、あいにく自分はテメエのことをそんな綺麗ぶれる人間だとは素粒子一つほども思っちゃいない。
これまでそうして生きてきたように、テメエは幾重もの屍の上に仮初の楽園を作っていくんだろうな。
テメエの名前を聞いただけでヘドが出るのに、やたらと一部にはウケがいいから嫌でも風の噂で流れてくるんだ。
なにせテメエの子だ。大層リッパな、スクールカースト最上位の陽キャに育つことだろうな。
テメエ自体への憎しみは消えないが、テメエにも家族ができたんだろ。
流石に恨みのない人間を悲しませることはしたくない。逃げ切れてよかったな。
何度痛い目を見せてやろうと思ったことか。
ガソリンをぶちまけて喚くテメエを見ながら高笑いしたいと何度望んだことか。
なあ。
頼むよ。
これだけ願ったところで、アイツの記憶は消えない。
「二、三日」というのも見るが、これは周囲の普通の読点と区別がつかず「二、」のところにセンテンスの区切りがあるように見える。
「2~3日」と表記できればいいが、小説中における数字の表記は、レーベル等の方針で算用数字は使わず漢数字で表現されることがほとんどだ。
「二〜三日」は漢字と記号のミスマッチ感があり、あまりこの字面を見たことがない。
「二三日」はたまに見るが、二十三日みたいで誤解を招く。
「二、三日」というのも見るが、これは周囲の普通の読点と区別がつかず「二、」のところにセンテンスの区切りがあるように見える。
もはや書き言葉において「にさんにち」は実質的には非推奨の日本語となっている気もする。
かと言って「数日」だと感覚的には5〜6日くらいで、ニュアンスが変わってしまうし、なかなかいい言葉がない。
「二日ほど」くらいが妥当な落とし所か……。
そりゃ勿論ちんこを持ってるってところですよ。
いや大真面目に。
幾つか良さを語っていくので、世の男性諸君はそうかぁちんこってやっぱ良いよな~~と思う契機にしてください。
興奮すると勃起する、単純ながら実によくできた仕組みだと思う。非常にわかりやすい。
一応女も濡れるっていう印があるっちゃあるんだけど、勃起に比べるとかなりわかりにくい。
自分は今結構冷静なはずだ...と思ってても脱いでみたら思ったよりめちゃめちゃ濡れてたりして、うっかりそうなってしまった場合は下着を手洗いする羽目になる。
まぁおりものシートとかしてればいい話なんだけどね。でも濡れるかも...と思って予めシートしとくのって不可能じゃないか?
濡れるかもと思った時には既に濡れているのであって毎回後手に回っている。洗濯がめんどいんじゃい!
もっと今濡れてますよ!みたいなわかりやすい通知がほしいんだよな。
自分が今めちゃめちゃ興奮してることがわかると自慰にも身が入るってもんですよ。
外についてるものと中にあるものを触るんじゃ断然外の方が心理的ハードルが低いわけ。
中に指入れるのはこう...腰を据えて自慰をするか...という覚悟がいる。
エロ漫画読んでるとかわいい女の子が頬を染めて背徳感に浸りつつゆっくりと指を挿れてたりして、見る分にはエロくていいんだけど実際自分でやるとなると話が違ってくる。
普通に怖いし。触りかた間違えるとかなり痛いし。
挿れたら即気持ちいいとかじゃなくて、圧迫感や挿入の恐怖に耐えつつ良い所を良い感じに触る訓練が必要なんだよね。
検索すると『女性が中でイくのは難しい!オナニートレーニングで心地よい快感を』みたいなページいっぱい出てくるけど、
トレーニングなんかしたくないんだよ~~~!!!もっと気軽にうわ気持ちいいなにこれ!!って感じのやつをやりたいわけ!!!!
その点男性はとにもかくにもしごいてればある程度の快感は保証されてるわけで、そこは心の底から羨ましいです。
クリ触れよって話だけど、でもやっぱここが一番気持ちいいとされるところに辿り着けないのはなんか負けた気がするだろうが......
やっぱりこの点は欠かせないですね。
気持ちいいだけじゃなくて射精した後は萎えるのではい、自慰が一区切りつきましたよというメリハリがある。
女の場合イく前後で見た目は何ひとつ変わらないのでちょっと面白みがない。
女の方がイく快感が持続するのは良い点かもしれないけど、でも男はやろうと思って練習すればメスイキができるじゃんね。
男はメスイキに到達できるけど女は射精に到達できない......悔しい。射精してみたいよ~~~
禁じた分だけ射精量も増えるだろうし、達成感半端なさそう。やりたい。
これも若干上で書いた外と中の心理的ハードルの話になっちゃうけど、女性の自慰グッズの1位としてイメージされるものってやっぱりバイブなんだよね。
どこを見てもバイブは売ってるけど、バイブはもう既に形がかなり性のイメージ。
一発で挿れるやつだ!!ってわかる形をしてるので、エロい気分じゃない時に目に入るとうーん...っていう気持ちになってしまう。
あと個性を出そうとするとどうしても独特な形(長かったり突起が生えたり)に進化しがちで、エロさよりも痛そう!の方が勝ってしまう。
今TENGAのHP見てみたけど物凄く良い。おしゃれ。全然アダルトグッズ感がない。かっけ~~~!
それにバリエーションも中がふわふわだとかスクリュー型だとか、なんだそれ...気持ちよさそう...触ってみたい...と好奇心が刺激される。
モノを受け入れるのとモノに突っ込むのとではやりやすさも違うしね。いいな~~オナホ。
ざっとこんな感じ。
実際の男性におかれてはそんないいもんじゃない、めんどくさいという意見もあるのかもしれないけど、ちんこっていいな~~という気持ちが抑えられなかったので書きました。
性転換したいわけじゃないよ。
背が高い人ってかっこよくて憧れるな~視界よさそうだし似合う服多いだろうな~~って感じ。
やめたと言ってもずっとやってたわけではなく、この数ヶ月やってたのをやめただけなんだが。
はてなは昔から使っていた。それこそ、しなもんが健在だったり、コンビニ店長が人気だったり、オヤカタサマーが部屋に閉じ込められたり、そんな時代から使っている。(例に挙げたものに他意はない。なんとなく覚えてるだけ)
こう書くとはてな老害丸出しだが、昔のはてブは良かった。牧歌的な中でもトップブコメには切れ者が現れたり、時には手斧を投げ合ったり。
昔の良きインターネットサービスだったな。
俺はそんなはてブを眺めてるのが好きだった。
別に自分がコメントをつけなくとも良いと思ってたんだな。面白いブクマカによって埋め尽くされたブクマを今更自分が何か書き込むのも野暮だなと思っていた。
ホッテントリに入る記事の傾向も変わってきたし、かつての有名ブクマカもだいぶ減ったように思う。
まあそれでも良いなとは思っていたんだ。常に同じ状態を保てるサービスなんて無いし、時代が求めているものに変化しているんだろうと思っていた。
しかしだ。
ただでさえ頭のおかしい持論を展開するフェミニストだが、それだけなら良いとしても、自分たちの主義主張をゴリ押しするためにはてブをそういう形で使われるのは許せなかった。
それで、今年の頭くらいからかな、ついにはてブにコメント付け始めたんだ。
主には、スター工作を指摘したり、思想誘導記事やコメに対抗するためにという理由で。
幸いなことに運営も重い腰を上げてくれて、現在は少なくともスター工作は消え始めていると思う。
なので、そこでまた見る専に戻っても良かったんだが、しばらくブコメし続けて見ることにしたんだ。
一応の区切りとして1000ブクマを目標にして、そこでまたやめるかどうか考えようと思ってブコメを続けた。そうして先日ほぼ1000ブクマに達したのでやめた。
しかしたくさんスターがついても、トップブコメになっても、かつてはてブを見ていて楽しかった頃の気持ちには戻らなかった。
なんでこんな(悪い意味で)くだらないコメントつけてるのにスターが集まるんだろうなとか考えてしまった。
そうしたらもう辞めるしか無い。
しばらくブコメつけて改めて認識したけど、やっぱり今のはてブつまらんわ。
ホッテントリにあがる記事は、やれ誰が差別しただの、密になって騒いでるだの、ポリコレだの、クソつまらん記事ばっかりだし、
ブクマカはクソみたいな聖人気取りの偽善者みたいなのばっかりで、自分のこと棚に上げてダブスタ満載で誰かを叩いたり、怒ったり、
クソフェミは相変わらず湧いてきてるし。
何が面白いんだこれって思うわ本当に。
この前、中国がSNSでデマ流して工作してるって記事を見かけたけど、中国人かどうかは知らんけど、はてブもそういうのに汚染されてるんじゃないかと思うことたくさんあるんだわ。
日本死ねって書いたら国会で取り上げられるようなプラットフォームになってしまったんだから、そりゃ工作もするよな。
まあそんあ感じでもう見てるのも疲れてきたので、つけたブクマは非表示にしたし、ホッテントリをチェックするのもやめた。
お前らが楽しいと思って続けてるんなら、別にそれを止める気はないし、そのまま続けてればいいと思う。
俺はもう降りる。
とか言って、またすぐに戻ってくるかもしれんけどな。はてなは好きで使ってたわけだしな。
まあ、とにかくしばらくはお別れだ。
じゃあな。