はてなキーワード: 劣化コピーとは
ボーカロイド衰退論が先日賑わっていたけど、ボーカロイドブームが音楽業界のビジネス的な側面において与えた影響で恐らく最も大きいのは、ワカモノ層にとって音楽はネットで無料でフルで聴けるのが当たり前、という感覚が完全に定着してしまったことだと思う。
初期のボーカロイドブームにおいてはランキングを毎日チェックして新しい音楽を求めるワカモノ層の行動が顕著だったけど、それは90年代のオリコンを追っかけていたワカモノ層と同じ行動で、ただ決定的に違うのは、それがレンタルショップにすらおカネが落ちない、完全に無料の世界で完結してしまったということ。
結局ボーカロイドの音楽シーンも、アイドルやジャニーズの劣化コピーの様な歌い手のために作られた楽曲が主流となり、CDも彼らがライブや即売会で握手を伴って提供されるものしか売れないという、J-POPと全く同じシーンの終焉を向かえることになった。
振り返って、この無料でフルで聴けるのが当たり前の時代は、商業でやっているアーティスト達にとっては深刻な影響をもたらした。
ボーカロイド全盛期に活動のピークを迎えたサカナクションは、本来であればもっとワカモノ層に聴かれるべきアーティストだった。
ただ、彼らもまだマシな方で、ワカモノ層への関心を繋ぎ止められた最大の要因は、楽曲をYouTubeに無料でフルで聴けるようにしていたからである。
(個人的にはYouTubeで公式でフルで聴けるようにしているのであれば、ニコニコ動画にも公式に提供すべきだったと思う。)
その時代にYouTubeにショートバージョンの公開でお茶を濁してアーティストの権威を保とうと努力していたワカモノ層向けアーティストは、今一体どれほど残っているのであろうか?
この時代にブレイクしたきゃりーぱみゅぱみゅも、当然ながらフルを公開している。
以降、ONE OK ROCK、SEKAI NO OWARI、back number、ゲスの極み乙女。等のワカモノ層に人気なアーティスト達も共通してフルを公開している。
むしろ、フルで公開しなかったら、ここまで人気が出なかったのかもしれない。
ここで重要なことは、ワカモノ層にとってフルを公開するのが当たり前であって、むしろショートしか公開していないことに意味を見出せない。
なぜ自分達の楽曲を不完全なカタチで届けているのだろう?意味ないじゃん!という感覚なのだろう。
今年は定額制音楽聴き放題サービスが各社から提供され、音楽を聴くことが有料であるという文化を取り戻そうと音楽業界が必死にもがいているが、ひとつ忘れてはならないことは、音楽の最大の消費層である今のワカモノ層にとって、ネットで音楽をフルに聴く行為は完全に無料が当たり前であって、有料で聴くという文化そのものがそもそも最初から存在しないということである。
YouTubeで最新の聴きたい楽曲が無料でフルで聴けるのに、わざわざ有料でマニアックな洋楽を聴くワカモノ層がどれほどいるのだろうか?
アーティスト性への拘りや大人の事情で、ワカモノ層からの支持と楽曲でのビジネスの成立の二兎を追うアーティストは、ボーカロイドブーム時代に埋もれてしまったかつてのJ-POPアーティストと同じ道を辿るのであろう。
最近見かけるコンテンツの大半が10年以上前に出尽くしたネタの使い回しのように思える。
ネットとは疎遠だった層のユーザが続々と流入し、一昔前に流行ったネタの劣化コピーをSNSに拡散するだけで非常に多くの人に承認してもらえる時代になった。
その結果、他人のコンテンツをパクって手軽に承認欲求を満たしたいというライトなユーザ層が極めて厚くなったのだろう。
これは大多数のユーザにとって、手軽に満足感と依存性を味わえるシステムが構築されたともいえる。
おそらく、新規に参入してきたユーザにとっては、それなりにハッピーな環境なのだと思う。
そもそも、一人の人間が一生の間に消費できるコンテンツの量は(非常に大きいが)有限である。したがって、ある程度までコンテンツの総量が増えてしまえば、コンテンツの新規性を判別することすら極めて困難となる。
新規性の判別が困難である上、新たなコンテンツを生み出すインセンティブが小さい社会がひとたび到来すれば、コンテンツの増加は非常に緩やかになり、再利用コンテンツの拡散速度にかき消される程度になるだろう。これから将来に渡ってコンテンツの異なり数が増え続ける必然性など存在しないということだ。
とはいえ、今はまだ過渡期である。今やマイノリティとなりつつある古参ユーザたちは、「新たなコンテンツ」を求めてネット上を徘徊する「老害」となった。
はるしにゃん君がセクハラやら暴言やらで話題になっている。長らく彼をヲチしてきた者として、これから彼をヲチする者のために、彼の人物像を紹介するよ。
殻辺(@hallucinyan)さん | Twitter
もともと彼は立命館の経済だかに通っていたアイマス好きのオタクで、東浩紀や宮台真司への憧れを募らせながら、ゲンロン界隈に溶け込もうとがんばっていた。そういえば昔はハルシナと名乗っていたな。
むりゃかみゆうとは (ムリャカミユウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E3%82%80%E3%82%8A%E3%82%83%E3%81%8B%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%86
むりゃかみゆう@非公式(@muryakamiyuu)さん | Twitter
https://twitter.com/muryakamiyuu
ゲンロンの前身にあたる合同会社コンテクチュアズのマスコットキャラクター、むりゃかみゆうをモチーフに女装なんかやってた頃は、彼にも可愛げがあった。
ニコニコ動画に歌ってみたなんか上げちゃって、東浩紀への目配せがいじらしい。
組曲『あずまん動画』 - ニコニコ動画:GINZA
で、彼はそのままゲンロンのホモソーシャルで姫をやってりゃよかったものを、欲っ気を出して同人誌の編集を始めてしまった。
Amazon.co.jp: イルミナシオン: 松本 卓也, 黒瀬 陽平, 上祐 史浩, 佐藤 雄一, 有村 悠, はるしにゃん, 藤城嘘: 本
この『イルミナシオン』所収の「イルミナシオンは愛を求めて」は、はるしにゃん君が不幸な家庭で育ち、エヴァにハマり、友人の自殺を経て、童貞卒業への闘志に芽生え、デリヘルで失敗し、メンヘラ女を食い漁るようになるまでを描いた自分語りで、彼の批判者はまずこれを読んでおいたほうがいいよ。
これは劣化版『超人計画』みたいなもので、はるしにゃん君も「滝本竜彦の劣化コピーのごとき実存」とか自分で言っている。
これだけを見るとゲンロンに擦り寄っていた哀れなオタクがなんか覚醒したっぽいというだけの話だけど、覚醒した彼は『イルミナシオン』の刊行と前後して、アニメ批評にちょっかいを出すようになった。
杉田悠の「『けいおん』の偽法――逆半透明の詐術」という論考に準じて、はるしにゃん君はブログに「けいおん!の「内面」について」という記事を載せた。今は削除されちゃっているけど、ブコメから雰囲気は伝わってくる。っていうかなんで削除しちゃったんだろうね。そんなに批判されたくなかったのかな。
けいおん!の「内面」について - A Mental Hell’s Angel
http://b.hatena.ne.jp/entry/hallucinyan.hatenablog.com/entry/2012/07/25/200631
で、この記事に、泉信行や岩下朋世なんかの『ユリイカ』系の漫画研究家たちが反論を加えたことでちょっとした論争がおこった。
はるしにゃん君によると、日常系・空気系アニメである「けいおん!」には内面がなく、むちむちとした身体性によってそれが覆い隠されているんだそうだ。
その結論に至るまでの不備を指摘されているわけなんだけど、泉信行が「研究と批評は違う」みたいなことを言っちゃったせいで、はるしにゃん君は「じゃあ批評は適当でもいいじゃん」みたいなスタンスをとってしまった。これは良くないよね。
泉信行は「研究と批評は違う」とは別に「たとえ研究のような厳密性が求められない批評であっても、媒概念不周延の誤謬には注意しようね」ということを主張している。これをはるしにゃん君はガン無視し、杉田悠に助けを乞うた上、俺が批判に応えてやってるのに、みたいなことを言い出した。
当時、杉田悠が寄稿した『アニメルカ』を中心に「アニメブロガー総合スレ」というスレがあったんだけど、はるしにゃん君の大立ち回りはそこそこ話題になった。
953 :名無しさん名無しさん:2012/09/14(金) 22:52:30.49
・テンプレ
@sugita_u 生活上のストレスとかあるんでしょうけど、礼儀って素朴に重要なんじゃないですか
@sugita_u 僕は杉田悠さんがアニメルカの中では相対的に優秀だと思っています
@sugita_u 僕はあなたの原稿をトゥギャッターで乗り越えました
@sugita_u 少なくとも、擁護しようとした立場の人にいきなり「カチンと来た」「仲間だなんて思ってくるな」という発言したことを謝罪する気はないんでうすね。それは失礼です。その失礼が謝罪によって解消されるか病院の薬で解決されるか、ということでよろしいですね
@sugita_u 僕としては優しかった頃、余裕のあった頃の杉田さんが好きでした。でも変わられてしまった。しかしそれが良い展開に向かう可能性もある。僕は杉田さんの幸福を数年間祈って来ました。
@sugita_u 疑問なのはどうしてそう喧嘩腰にしか喋れないんですか。「カチンと来た」「仲間だと思わないでくれ」もそうですが。人格障害だと認めますか?
892 :名無しさん名無しさん:2012/08/31(金) 23:37:02.97
こういう奴は裏では嫌われてるって自覚ないまま消えていくよ
人の褌で相撲を取ろうとしておいて、なかなか図々しいね。でも、そこがはるしにゃん君の可愛さでもあるんだ。
https://twitter.com/hallucinyan/status/230988133540458497
僕はディベート部の部長だったので、議論と喧嘩の区別をつけています。今回の議論で僕はいずみのさんに悪印象を持ったりはしていません。むしろマンガ論の沃野の広大さを教えてくださって感謝しています
http://togetter.com/li/349401#c643714
「虐待される美少女ブヒィィィすっぽんぽんブヒィィィ」と同人誌で萌えサカッた後、「いやこれは『実在性』を剥ぎ取られた『キャラ』に『身体性』と『精神性』を『補完』する『試み』に興味を抱いたわけで」などといった「普段の僕は頭いいんです」アピールで己の「ゲスな身体性」への言い訳をするのが現代の哲学や評論であるのなら、ンなもんさっさと死ねばいいのに、と思いました。
散々な言われようのはるしにゃん君を擁護しておくと、「けいおん!内面論争」での「内面」は「ポストモダン的成熟」の有無によって判断されるもので、一般的な意味での「内面」とは別物なんだよね。でも、その辺りを理解できなかったラノベ天狗なんかはいつまで経ってもグチグチ言ってるみたい。
じゃあ「ポストモダン的成熟」って何だよって話だけど、やっぱり意味不明なんだよね。定義を明示せずに言葉を振り回しているところが、いかにも批評家くずれっぽくて微笑ましいね。
さてさて、はるしにゃん君はその後も批評をがんばり続けてきた。と同時に、メンヘラを食いまくってきた。
はるしにゃん君のメンヘラの食い方は、「俺はメンヘラなんだよぅ~つらいにゃんつらいにゃん~」ってメンヘラを引き寄せ、「君はラカンも読んだことがないの?ザコ?」みたいなことをいって罵倒し、依存させるって感じかな。想像だけど。
そうやって彼はメンヘラ女を集め、ヤりまくり、一方で、彼女たちを批評で救うみたいなスタンスのもと、同人誌を作っていった。
ところが、メンヘラはメンヘラだから、適切な治療を受けなければ死んでしまう。
はるしにゃん君の仲間で、一緒に同人誌を作っていたメンヘラ神は、メンヘラであることをコンテンツにしていくうちに、自殺してしまった。
メンヘラ神の死は、それはそれは多くのメンヘラに影響を与えたんだけど、ウェルテル効果というまではいかなかった。
でもまあ、メンヘラを集めてコンテンツ化していたはるしにゃん君は、メンヘラ神を死に追いやった一因として、散々な批判を浴びることになっちゃった。かわいそうに。
そのせいか、はるしにゃん君はしばらく燻っていたんだけど、2014年の秋ぐらいから元気になってきたみたいなんだよね。
彼の文章も、東浩紀やら宮台真司やら千葉雅也やらに褒められるようになってきた。よかったね。
で、また最近は批評をやってるみたいだ。
あれこれ思想家を引用してるけど、言ってる中身はシンプルっていうか、一般的な意味での内面がないのはご愛嬌。まだセカイ系とか言ってて、まさしくゼロ年代の亡霊だ。
東浩紀の『存在論的、郵便的』『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』『動物化するポストモダン』について - Togetterまとめ
東浩紀についてなんか、かなり熱心に語っている。
ちなみに東浩紀自身の言説には内面がないどころか、自己矛盾の塊だ。
で、はるしにゃん君の文章をいくつか読めば分かるけど、彼は思想家や哲学者の名前をジャブジャブ出しまくって権威付けを図ろうとしているよ。
けれど、本人が何か新しいことを言っているわけでもなくて、権威付け以外の何かに発展している例は今のところ見当たらないし、そこはがんばって欲しい。しんかい35と正面衝突してくれないかな。
さて、はるしにゃん君の権威付けは、複数の哲学者や社会学者が共通して言っていることを抜き出して言い換えることによって成り立っている。
はるしにゃん君が「ルーマンはラカン以下」なんて言っちゃった時は、ルーマン研究者の酒井泰斗がげっそりしていたよ。
https://twitter.com/contractio/status/197244430338633729
前者は「似てるよね分析」と呼んでいますが、後者はなんと呼びましょうかね。
RT @sskyt: 「Aは……Bと……似ている!」とか「Aは……Bを……読んでいた!」みたいな研究て全然興味持てないんだけど。
https://twitter.com/contractio/status/197247900085002240
組み合わせると、「昔の人Bが言っていたXは 最近Aが言っているYに似ているのでB偉かった」のようなかなり高度な主張が可能となる。
https://twitter.com/hallucinyan/status/547789378999681024
ルーマンの言ってることって大概ラカンが述べてるしラカンを超えてる部分があまり見当たらないというのが個人的な見解で、じゃあ「ポストモダニストより社会学者から引用したほうが叩かれにくい」という政治的効率性以外の点でルーマンの卓越性ってどこにあるんだろうって思っている
https://twitter.com/hallucinyan/status/547790901955670016
そしておそらくオートポイエーシスもコンティンジェンシーもシニフィアン連鎖や対象aの問題であり、そして後期ラカン的なサントームや、男女間のセクシュアリティの差異、大文字の他者の享楽についてルーマンが叙述できているかといえばできていないと思う
https://twitter.com/hallucinyan/status/559584058137538560
単にルーマンがつまんないって言っても面白くないから「じゃあラカン先生のどこを超えてるんですか? どこも超えてないでしょ?」って煽ってるのわからないのかわかったうえでなにも言えないのか
https://twitter.com/contractio/status/559588003417296896
煽ると何が面白いんですか。
https://twitter.com/contractio/status/559588541454233600
「どっちが強いですか」で語る現代思想。
https://twitter.com/contractio/status/559590072593309698
「つまんない」場合の対処は、面白い読み方に変えるか 読むのを止めるかのどっちかではないですかね。
はるしにゃん君は「越えてる」「越えてない」で思想家を語るのが好きなんだ。すぐにブロックするところは、師匠の東浩紀譲り。
そんなこんなで、批評をがんばっているはるしにゃん君は、同時にホストとしてもがんばっているみたい、と思ったら、最近言及してないし辞めたのかな。
その代わりに、イベンターやら何やらでがんばっているみたい。高円寺のカフェバーでいろいろやるみたいだよ。
ところが、はるしにゃんの努力を邪魔する連中が現れてしまった。
成上友織, はるしにゃん君の暴言・差別発言について
これは、はるしにゃん君と交友があったセイジョウ君からの批判だ。
はるしにゃん君の言葉を用いると、彼の言動を理解できない者は「ザコ」であり、彼に疑問を呈する者は「アスペ」であり、彼に反発する者は「ボダ」になる。
そして、はるしにゃん君はその広範な知識と、お得意の言い換えによって批判を封殺しようとしたよ。
メンヘラとレイシズムについての所感と応答 - A Mental Hell’s Angel
http://hallucinyan.hatenablog.com/entry/2015/02/07/134950
まず第一に私は大学で精神病理学を学んでいた。もちろんクラインもラカンもドゥルーズも読んだうえに、さらにアメリカのDSM的な診断マニュアルについても目を通している。そして最新の精神療法についてもサーヴェイしている。
大学で精神病理学を学んでいたからといって、学位を持ってるわけでもないのだから、別にはるしにゃん君の言動は正当化されないんだけど、はるしにゃん君は批判者に病識があるという一点のみで批判を潰そうとした。批判の内容についてはほぼ耳を貸そうとせず、俺はメンヘラと正しく交流しているから、って理由で自己正当化を図っている。
そして私は単に批判しているのみならず、いわゆる弁証法的行動療法であるとかメンタライゼーションといった理論と療法については高額な医学書を大量に購入してサーヴェイしているし、また、それを人口に膾炙させるために活動しているつもりである。
でも、実際。
メンヘラ神は死んじゃったよね。
はるしにゃん君に全く落ち度がなかったってわけじゃないだろう。
っていうか何でメンヘラと交流するんだろうか。やっぱりヤレるからなのかな。
精神医学の知識をばら撒き、メンヘラとセックスするメリットを享受しておきながら、メンヘラを批判し、メンヘラを善導しているから俺はオッケーってどういうスタンスだよ。メンヘラとセックスできることがメリットなのかどうかはさておき。
さらにさらに、はるしにゃん君の行く手を阻むものは次々と現れる。
はるしにゃん君は2月11日に、マネージャーを務めるカフェバーで「インテリイケメンツイッタラーによる一日限定ホストクラブ」というイベントを開催しようとしていた。
明らかにメンヘラを集めて搾取しようというイベントだけど、さっきの「メンヘラとレイシズムについての所感と応答」によるとはるしにゃん君は「私としては一方で啓蒙的にコンスタティヴな文章を書き、他方でパフォーマティヴには「ボダはあまり私に関わらないで」といったパフォーマンスをせざるをえない。」らしい。ホストイベントにボダ来るだろうし、キャストもボダっぽいじゃねーか。
で、はるしにゃん君はイベントのキャストの知人友人にセクハラを働いていたみたいで、団結したキャスト達にそれを暴露されてしまったようだ。
ところが、このキャスト達ははるしにゃん君からドラッグを貰っていたようで、はるしにゃん君にそこを突かれると逆らえないようだ。
便乗して、同人関係ではるしにゃん君と揉め事があったホリィ・センがはるしにゃん君を批判しようとしたけれど、私怨だし、アスペだしで不発に終わってしまった。
きっとはるしにゃん君のセクハラは事実だろうし、暴言を取り消すつもりはないようだし、そして自ら公言しているように彼はドラッグをやっている。
だから、彼を批判したければ、その3点を攻撃すればいいというのに、批判者はザコばかり。
だからはるしにゃん君は怒っている。
はるしにゃん君の論法は、ジャーゴンに次ぐジャーゴン、パラフレーズに次ぐパラフレーズ、そして脈絡なくホストクラブやドラッグの話を持ち出し、相手の理解が追いつかないところが一点でもあれば封殺するというものだ。
宮台真司譲りのこの論法をどうにかできる人が現れるまで、ヲチを楽しみたい。
http://twitter.com/hallucinyan/status/562904272363614208
【無限への飛翔 集合論の誕生 (大人のための数学 3)/志賀 浩二】を読んだ本に追加 →bookmeter.com/b/4314010428 #bookmeter
http://twitter.com/Back0126/status/562961572063375360
@hallucinyan こうやって、数学にいい加減な哲学かぶれが生まれると思うと感慨深い 数学に関しては、じっくり真摯に読むことをお勧めします
http://twitter.com/Back0126/status/562975033807884289
@hallucinyan おお、ブロックされた その程度か
http://twitter.com/Back0126/status/562978566921793538
@hallucinyan 高校数学を勉強したからと言って、集合論を含む専門的な数学を斜め読み程度で理解できるといういい加減な考えをバカにされてるわけです
http://twitter.com/hallucinyan/status/562971657800024064
馬鹿はすぐにソーカルがどうとか言い出すが、そもそもお前どの程度ソーカル読めてて理数的に優秀でそのうえで人文社会科学への理解あるんだという話。
http://twitter.com/Back0126/status/562978789643550720
@hallucinyan ソーカルの言明程度なら、大学数学をきちんと理解していれば誰でも理解できますよ わからないんですか?
http://twitter.com/hallucinyan/status/562972324442681344
日本におけるサイエンスウォーズでは浅田彰と山形浩生の位相幾何学問題があったわけですが、それも浅田は間違っていなかったという形で終焉を迎えましたし、彼もそもそも経済学部でゲーム理論やっていたわけです
http://twitter.com/Back0126/status/562979281123684353
@hallucinyan しかし、浅田氏が理解していたわけではない、概ね菊池先生のフォローによるものだ、という考えが一般的なようですね
http://twitter.com/hallucinyan/status/562972928057561089
hallucinyan:そして日本において最も早くソーカル事件を紹介したのもポストモダン系の人間でありそして一定以上はきちんと真摯にそれを受け止めたように思われる。
http://twitter.com/Back0126/status/562979357300641793
@hallucinyan え?
http://twitter.com/hallucinyan/status/562974083143704578
そして「××は間違っている!」とばかり声高に言いたがる奴は大概自分から生産的なことを言えないので、きちんと内容のあること言ってその次に批判すると良いんじゃないかと思います。当事者含めた全員のために。
http://twitter.com/Back0126/status/562980233218109441
@hallucinyan 間違っていることを間違っていると指摘することは、当人が生産的かどうかと無関係に指摘していいんじゃないですか?少なくとも、真偽の判定が比較的易しい数学においては
http://twitter.com/Back0126/status/562980757292191744
@hallucinyan というわけで、とりあえずこの辺りでやめておきましょう 貴方が数学に関していい加減なことを言わない限り、今後リプライしません
http://twitter.com/Back0126/status/562981991889784832
はるしにゃん(@hallucinyan)という人物が、数学をいい加減な理解に基づきいい加減に発言しているということが、概ねはっきりしたようだ
ディベート部と同じで、高校数学をやっていたからって乱暴に数学を語っていいということじゃないけど、はるしにゃん君の勢いは止まらない。
うちは明治時代からの東京住民。江戸時代からって自慢したかったが、そうではなく残念。
でも、関東大震災も、東京大空襲も経験していて、それに纏わる話が聞こえてくると背筋を正して反応してしまう。
子供の頃は、親が地方出身でおばあちゃんがいる田舎に連れて行ってもらう、って話を聞いたりして、羨ましかった。
代わりに箱根や富士山に連れて行ってもらったけど、お金持ちの友達は京都や九州、あるいは外国に連れて行ってもらえたりして、
ジェーン・スーさんは、地方の人から「東京はみんなのもの」と言われたそうだけど、ここが田舎で帰るところがない人もいるんだよね。
よく山形とか長野とかの人に旧藩時代からの対立意識みたいなのを聞かされるけど、
実は、東京23区内だって、口に出さないだけで東と西で微妙な関係だったりする。
東京初代の人や親の代からの東京人には分からないだろうと思う。
で、こんなことを書くと、結局自慢したいのか、という顔されるんだけど、そうではなくて、
ということが言いたいだけだったりする。
NEVADAちゃん2世事件を受けて、はてブ界隈では「なぜ人を殺してはいけないのか」議論が少しだけ盛り上がりを見せている。
http://www.open.sh/entry/20140728/1406552151 とか http://azanaerunawano5to4.hatenablog.com/entry/2014/07/29/092214 とかがホッテントリ入りしてるし。
だけども、そんなのは大昔から議論されてきたわけで、ホッブズの「万人の万人に対する闘争」とか「リヴァイアサン」とか「社会契約法」なんてのは中学や高校の社会の教科書の最初に載ってる。
「崩せば良いだけ」って、絵に描いたモチは食えませんよー
無理に決まってんじゃないですか
出来たら苦労ないってお話ですよね
仮にものすごい奇跡が起きて、それが出来たとしても更に悲惨な未来しか待ってないしねー
妄想って簡単だよねー
金持ちの金持ちによる金持ちのための資本主義はそうそう崩れないっすよ
大体その、ブルジョワジー憎しの思想だって一世代前のバカどもの劣化コピーじゃないですか
マルクスすら読んでないだけ、もうあの時代のバカどもより更にゴミじゃないですか
そんなんでなにをしようっていうのかねー
まぁ、資本主義が崩れることを祈って一生を終えるってのも良いと思いますよ
カネの稼ぎ方を考えてもどうせ無駄なんだし、どうせそれくらいしか出来ないしね!
祈って祈って祈りまくれば金の鎖と女の子が降ってくるかもね!
・電撃文庫
タイトルから新しくしようと意気込みを感じる。ただししょんぼりな作品はタイトルから判るのもしょんぼり。
登場人物のせりふのような一文。印象的ではない。白湯みたいなタイトル。
おじいちゃんが今風のタイトルを無理してひねり出してる感じ。ゆえに「今風」。
古典芸能のようなタイトル。蔦葛木曽桟、みたいな。必ず奇数じゃないかな。とはいえカバーデザインを変えてお父さんがメンズナックル風みたいになってる。
作中用語のルビをふるう。好きな人には強力に魅力だが、用がない人には地雷除けとして機能している。
どっかでみたことある。人の想像力には限界があるのだと教えられる。
ジャンプっぽく、その作品をつたえる雰囲気用語。「あー、タイトル言われたら思い出したわ」と言われるタイプ。
・GA文庫
決めゼリフっぽい。
・HJ文庫
常に二番煎じ。タイトルでジャンル分けされてるので、これはこれで。
丁寧な一文。ちゃんと声に出して読んでからタイトルを決めてるような印象。タイトルは記憶に残るんだけど中身が記憶に残らないことが多い。
がんばってるんだけど、結果が出てない。いいタイトルを付けようとして、どんどん内容から離れて行くのを止められない。
長い。ここの場合、背表紙のデザインが致命的に悪い。フォントが重すぎる。
独自路線で頑張りましょう。キオスクで売ればいいのに。
http://anond.hatelabo.jp/20140715152459
今さら言うのもなんだけど、やっぱり、よりによって「オフ会」だなんて、一番取っちゃいけない方向性だと思うんだよね。
はてなはもっとギークで無機質でクールなサービスであって欲しい。淡々とITやプログラムやライフハックのブクマを集積しつつ、時折、10か20記事に一つの割合で時事やネット関連のネタが盛り上がってコメントを交わし合う、ぐらいの。
例えてみれば、学生街の雀荘か田舎町の碁会所のごとき、淡泊ながらどこか静かな熱気とそれとない絆を感じる程度の雰囲気がはてなには似つかわしい。
今のはてなの状態は、それこそはてなユーザーがリアルでは一番嫌悪しそうな地方の新興住宅地の自治会のようだ。大半のライトユーザーや新参の住民は置いてけぼりで、一部の古参や顔役だけが内輪で張り切ってそれぞれてんでに盛り上がってるだけ。
いや、これははてなに限ったことではないだろうが、今回のオフ会でその状態が傍目にも露骨に可視化されてしまったように感じた。
今の状態だと、はてなは今後ますます2chと小町とmixiとクックパッドとnaverその他の劣化コピーの寄せ集め化だけが進んでいくんじゃないだろうか。今年の大河ドラマみたいに過去の名作のエッセンスをそれなりに取り入れて、演じている役者もそれなりに質は揃ってるはずなのに、肝心のストーリーや演出に纏まりがなく役者の個性や演技の方向性がバラバラなので、全体に凡庸で没個性という。
もっとも、はてなも目下山ほどあるWebサービスの一つに過ぎないわけで、嫌だというなら止めてしまえばいいだけの話なんだけどね。
ブログとかツイッターとかで少し前までブイブイ言わせてた人が、いつの間にかはてブに一言コメントを残しまくるだけの存在になってるのを見ると悲しくなる。
そういうのははてブにコメントを残すことしか出来ない人間だけがやればいいことなんだと俺は考えてる、そこそこ出来るアカウントがやることじゃない。
だってそうだろ、とある人が「ワイドショーの劣化コピー」なんて行ってたけどまさにそれじゃないか。
かってにじみ出ていたお前のオリジナリティーや「俺が俺のネタでお前らを楽しませてやる」って情熱はどこに行ったんだよ?
そりゃ元から大したことがないし、大したことがある振りすらしてこなかったどこぞのアカウントがはてブで世間話ばかりするようになるのは特にかまわんよ。
だけど、「お前は違っただろ、お前は世間話をするにも他人の褌借りて一回シコ踏んでそんじゃ次の褌ってやるようなアカウントじゃなかっただろ?
他人の褌借りるにしても横綱相撲とは言わなくても常にある程度以上格好の付いた立ち回りをして見せてくれてたじゃないか」って、
そう言いたくなるアカウントがただの一言コメンターになるのは、人間が隙あらば簡単に劣化してしまう存在なんだとまざまざと見せつけられてるようで辛くなる。
「福田パンが好きです」という人が苦手だ。
福田パン自体は好き。菓子パン系、調理パン系問わずに、人と対面で注文することは非常に楽しいと感じる。
福田パンが好きな人に共通しているのは、知らない人に自分が知っているメニューを教えて一緒に食べるのが好きということ。
そういう連中が集まると、まずその場にある福田パン全種類を確認。
そして嗜好が許す範囲で「一番誰も食べたことのないモノ」を選ぶ。
君はまだ知らないけれど、僕はこんなに面白いものを食べてるんだよ。共有してあげるよ!さぁ!
売り物である以上、値段がつく。調理パンであれば菓子パンのだいたい倍になる。
ただ、なぜかその値段には強くこだわらない人が多い。
値段にこだわる人は「福田パンが好き」とは言わない。上の例なら「あんバターが好き」となる。
僕の知っているこんなに面白いものを君に教えてあげられたことがプライスレスなんだ。
人に教えるのも好きだが、自分も、少しでも知らない味があれば頼みたがる。
自分が知らない味があると事前に調査して、財布が許せば購入なりして試食をする。カウンター向こう中の味を知りたいんだ!
もちろん購入していればみんなで集まる場所に持っていくよ!
あと、君も知らない新製品を知りたいでしょう?僕は君の知らないこんなものを買ってるんだぜ?
たくさん購入したあと次に考えるのは「ぼくのかんがえたさいきょうのふくだぱん」だ。
「あのクリームのあの要素と、このクリームのこの要素があれば」
「その調理パンはここだけが悪いんだよね、ここを外してそれに対応する調味料をちょっと追加して」
「中身はそのままでいいんだけど、オリジナルでパンを食パンに変えたの作ってみよう」
完全にオリジナルのものをイチから作り上げる人はまずいない。いつも何かの劣化コピー。極々極々希に良いものが出来ることもあるが本当に希。
http://anond.hatelabo.jp/20140108170658 のコピペ改変だから、似てるのは当たり前。
実際のところ、マリオ、ゼルダ、マリオカート、スマブラ、そいつらは面白いゲームというだけじゃ許されないからなぁ。
革新的、そのジャンルで最初の作品にして最高傑作、誰も思いつかないし、パクろうとしても、劣化コピーにすらつくれない、そういうレベルのクォリティを要求されてる気がする。
一世を風靡したストリートファイター2以降、スト2ライクな格ゲーがあっちにもこっちにも出てきて、けっこう肉薄するものがあったけれど、ゼルダライクな作品がゼルダに並んだかというと、かなり疑問符がつく。
聖剣伝説はゼルダにあこがれて作ったのがはじまりとかなんとか。
なるほど、だから初期はムチを向こう岸の杭に向かって振って、川を渡ったりする仕掛けとかがあったのか。
呪文乱発するだけのFFになり、殴り倒すだけのファイナルファイトになり、ゼルダとは全く別方向のよくわからない作品となり、ついに4でシリーズごと黒歴史としてなかったことになってしまったのは残念だが。
大神、ワンダと巨像、いずれも悪くない作品ではあるけれど、頭ひとつ以上ゼルダが上だったと思う。
面白いことゲームを考える人というのは、それこそ呼吸するように面白いゲームを考えられるのだと思う。
子供が新しい鬼ごっこのルールを考えるように、なにもないところから、唐突になにかが生まれる。
面白いだけでいいなら、今すぐに作れるんじゃないかな。
スーパーマリオブラザーズ3を思い出してほしい。
例えば自分が開発者だとして、「ファイヤーマリオで火を出したから、次は水とか雷でも出させるかなぁ」って思っちゃうと思うんだ。
そこを、しっぽマリオとか、クツマリオ、地蔵マリオ、凡人には考えつかないし、俺が上司だったら企画書破り捨てるね。
悔しいことに、スーパーマリオブラザーズ3は超面白かったんだけどさ。
話を戻して、ニンテンドウ64以降、ただ面白いだけじゃ済まされない、レジェンド級のソフトであることを要求されてる。
64、GCではゲームを変えること、Wiiでは遊び方を変えることを宿命付けられていた。
WiiUでは、リビングを変えたり、生活を変えるほどのなにかをしたいんだろうね。
残念ながら、僕みたいな凡人には、そんなゲームが思いつかない。
ボードゲーム自体は好き。完全情報、不完全情報問わずに、人と頭脳で対戦することは非常に楽しいと感じる。
趣味がボードゲームの人に共通しているのは、知らない人に自分が知っているゲームを教えて一緒に遊ぶのが好きということ。
そういう連中が集まると、まずその場にあるボードゲーム全種類を確認。
そして時間が許す範囲で「一番誰もやったことのないモノ」を選ぶ。
君はまだ知らないけれど、僕はこんなに面白いものを知ってるんだよ。共有してあげるよ!さぁ!
ゲームというものである以上、勝敗がつく。人狼であれば村人か狼のどちらかが勝つ。
ただ、なぜかその勝ち負けには強くこだわらない人が多い。
勝ち負けにこだわる人は「ボードゲームが趣味」とは言わない。上の例なら「人狼が趣味」となる。
僕の知っているこんなに面白いものを君に教えてあげられたことがプライスレスなんだ。
人に教えるのも好きだが、自分も、少しでも知らないゲームがあればやりたがる。
自分が知らないゲームがあると事前に調査して、財布が許せば購入なりして所持をする。世界中のゲームを知りたいんだ!
もちろん所持していればみんなで集まる場所に持っていくよ!
あと、君も知らないゲームを知りたいでしょう?僕は君の知らないこんなものを持ってるんだぜ?
たくさん所持したあと次に考えるのは「ぼくのかんがえたさいきょうのぼーどげーむ」だ。
「そのゲームはここだけが悪いんだよね、ここを外してそれに対応するルールをちょっと追加して」
「ゲームはそのままでいいんだけど、オリジナルでデザインだけ変えたの作ってみよう」
完全にオリジナルのものをイチから作り上げる人はまずいない。いつも何かの劣化コピー。極々極々希に良いものが出来ることもあるが本当に希。
「人に教えたい」「自分もなんでも知りたい」「所持したい」「自分も作りたい」
この増田を読んでる君みたいな人が僕は嫌いだよ。
外に出なよ。