はてなキーワード: 初詣とは
この15年くらい賛成と反対を揺れ動いてきたが,反対に落ち着いたので書くよ。
政治の責任ある立場にある人がデモ活動するのは本当にやめて欲しい。特にみんなで行くヤツ。
つばを吐く必要は無いし,許して良い。ただし戦死者でもないA級戦犯を顕彰するのは平和に対する行いと異なると思うよ。
思わない。でもキチガイ右翼みたいな死んで欲しい人も結構来ているよね。
思わない。初詣も欠かしたこと無い。
思わない。でも平和にそれほど興味があるとは思っていない。
あれは代々相続したお付き合いの範囲だと思う。一般人的な感覚程度には中韓政府のことは嫌いだと思う。
そもそも自民党の考えというものは実は無いんじゃないかと思うがそれは置いておいて。自民党は戦争や決定的な対立を望んでいないと思うけれど,戦争や決定的な対立も辞さないという人はいると思う。
戦前の日本社会と同じ状況で,望みもしない戦争や決定的な対立を招くことはありうると思う。
靖国神社の参拝は多くの意味が含まれた行為だが,究極的には国家の名誉を回復したいということだと思う。
名誉の回復というのは要は評判の問題であるのだから,少なくとも国内の極めて多くの人から支持を受けられるように,日本国民ですら受け入れ難いと思う人が一定数いる要素を除去した形で行われる必要がある。その観点で靖国神社への参拝は不適当(お手軽すぎ)で,天皇陛下が靖国神社へのご親拝を取りやめたというのは本当に重大な事実だと思っている。総理大臣が正月に伊勢神宮に行くことに文句を言う奴はいない(少数)わけで。
http://anond.hatelabo.jp/20131226225317
>知りたいのは反対を押し切ってまで参拝するモチベーションは何かということです。
→
http://ja.wikipedia.org/wiki/A%E7%B4%9A%E6%88%A6%E7%8A%AF
ここでの安倍首相のじーちゃんの扱いを読んでくれ。一歩間違えれば自分のジーちゃんも靖国に合祀されてたかも。
>初詣や親の墓参りさえ積極的にしない世代なので得るものがないのに神社に行きたい気持ちがわかりません。
→世の中には「自分の価値観ではわかり得ないことを大事にする人がいる」のです。
ただ、現在生きている60代の世代が墓参りをとても重視しているということはわかります。
なぜ重視しているかは知りませんし、しろうとも思いませんが、その人たちの価値観は死ぬまで変わらないだろーなーと思います。
また、日本では選挙で当選するためには、「ジバン(地盤)、カンバン(看板)、カバン(鞄)」の3つのバンが必要であるとされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E3%83%90%E3%83%B3
以上から、靖国参拝は、地盤、看板の関係を考えてみるのがいいかも。
>はっきり書きます。この状況で参拝なんてしちゃうのは、バカだと思います。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130819/stt13081922320003-n1.htm
>産経新聞社とFNNの合同世論調査では、新藤義孝総務相ら3閣僚が終戦の日の8月15日に靖国神社を参拝したことについて51・3%が「妥当だ」と答え、「妥当でない」の38・5%を上回った
価値観の違う人たちが世の中にはたくさんいて、その人達の投票率は安定していて、数が多い。
を誰か書いてくれ。
政治家はここまで叩かれながら靖国を参拝することに何の意味があるの?
参拝したら誰かがお金くれるの?
それともイスラムの人がメッカ巡礼するような単に宗教的なものですか?
教えてください。
追記:知りたいのは反対を押し切ってまで参拝するモチベーションは何かということです。本人に何のメリットがあるのか。
追記:初詣や親の墓参りさえ積極的にしない世代なので得るものがないのに神社に行きたい気持ちがわかりません。
追記:はっきり書きます。この状況で参拝なんてしちゃうのは、バカだと思います。
追記:「靖国参拝するなら票を入れてやる」みたいな取引があったということですか?
追記:俺が無知なだけで、何か明確な理由があるのかと思ったら反応見る限りそうでもない(意見が割れてる)みたいですね。どういうことだ…。そういう事か。
日本人はとかくファッションの一貫性に欠けると叫ばれる。確かに日本文化は和洋折衷、何でもありの文化であるな。例えば、仏教国の1つでありながら、年末になると突然「ジングルベ~ル」などとバカ騒ぎしだすwそしてどういうわけか年明けには神社で初詣。おめでてーな正月。
で、世界的に見れば一貫性がない、主義主張の曖昧なことは「ダサい」「気持ち悪い」とみなされることは知っておいて損はない。これは単なる主観ではなく明確な根拠がある。日本のような画一社会(個人単位では一貫性に欠けるくせに社会単位ではある意味一貫性がある)では想像つきにくいだろうが、欧米は基本的に多民族社会であって、国内の民族間対立や隣国との民族間対立が深刻な問題であるから、こと人間関係においても相手がどんな人間か知ることが差し迫った課題になるわけよ。だから、「はじめまして」の次には「あなたの宗教は何ですか?」などといった話題がポンポン出てくるのが常なわけ。日本じゃ「ご趣味は?」などと言えば「お見合いかよ」と思われる始末で、相手のことはある程度「お察し」するのがお約束になってゐるが、海外のほとんどの国ではまず初対面の人には最初に相手の思想区分を分類する作業がお約束なわけだね。そんなわけだから、日本人のようなスタイルのよく分からない謎タイプのキャラというのは、文字通り「えたいのしれない」人間として扱われるのよ。だから、もし貴方が日本人でこれから国際社会で活躍したいなら、まずスタイルを一貫させること、そこから始まると言って良い。ビジネスで信頼を勝ち得るには、もちろん人間性やコミュ力も大切だが、実はそれと同じくらい明確なスタイルを持っていることが大事なんだ。そもそも日本文化とは何なのか?自分はどんな人間なのか?そこから考えてみたらどうだろう?
それとは別に、一貫性を持つことは実を言えばとても気持ちの良い生き方だということも知っておきたい。一貫性がないとは裏を返せば裏表があるということで、表の時に裏が気になり裏の時に表が気になるという状態だ。遊んでる時に仕事が気になり、仕事の時に遊びが気になる。そんなんではダメだろう?いくら仕事ができてもダメ。遊びがいくら楽しくてもダメ。仕事も遊び、遊びも仕事と思えて初めて一貫し、そこで初めて心の平安が訪れる。断っておくが、ここまで来ると日本人だけの問題ではなく、全人類の存亡がかかった問題とさえ言えるものだ。この先人類が生き残るには、スタイルの一貫性いかんにかかっていると言っても過言ではない。というのも、今の情報社会において「気になる」ことが大きな文明衰退の原動力になっているからだ。最近スマホでソシャゲをやっている人をよく見かける。ソシャゲも一貫したスタイルの一部に組み込まれているなら良いが、多くの人はそうではない。「気になる」から続けてるのだ。古くは「mixi中毒」と言われた社会現象に始まる。本人は「遊び」「気分転換」でやってると主張するがその内実は全くことなる。「気になって仕方ない」のだ。GMailのinboxも気になって仕方ない。ケータイメールも気になって仕方ない。神経症は現代人共通の病と言っても過言ではなかろう。心の整理が我々人類の急務なのである。1つのことに落ち着いて集中できず絶えず気になることに囲まれた生活が本当に健全と言えるのか。それを今こそ問い直すべき時期に来ている。
問題を叫び立てるだけではあまり意味がない。ここに解決策を提案しよう。その前に一貫性の定義を確認しておこう。勘違いされがちなのだが、一貫性とは無駄なものを削って1つに絞ることではない。一貫性一貫性と繰り返していると、近視眼的なイメージを持つ人もいるようだから、このことは強調しておく。例えば、目標を1つ決めてそれに自分の全てを費やす人生はいかにもアメリカ的成功哲学で受け入れられないと拒絶反応を示す人がいるが、そういう話ではないんだな。それはむしろ最初から一貫性を諦めて、一貫性から外れた「気になる」ことがあっても気にすまいと頑張る行為だから、一貫性とはある意味真逆とさえいえる。「仕事一筋」「柔道一直線」と言えば聞えはいいが、それは微粒子レベルのシビアな見方をすれば一貫性とは言えない。なぜなら簡単なことで、厳密には仕事のことだけ、柔道のことだけ考えていては、生きていけないから。もう分かっただろう。そんなまがいものの一貫性を目指してはならない。一貫性というのは、既にあるものに「統合性」をもたせることでなくてはならない。
であるから、解決策もおのずと見えてくる。統合的な目的を持てばよいのだ。目標ではなく目的。低いレベルでは相容れないものどうしを高いレベルで統合させるにはそれしかない。ウメハラが著書において「目標はもたない」と書いている。目標をもたないのに何故彼のスタイルは一貫しているのか?それは高いレベルの目的があるからである。彼の場合、日々の成長がそれにあたる。とても簡単なことにみえる。だが、考えれば考えるほどやればやるほどこれが簡単ではないのが分かってくる。先ほど一貫性の定義を確認したのはそのためだ。ただ単に、成長のために全ての人生をなげうつ、持てるエネルギーの全てを投入するだけではダメ。それだけでも難しいじゃないかと思うかもしれないが、それだけ出来ても1%も出来たことにはならないという話である。無駄な努力乙というやつで、まるで方向性が違う。早い話、今日から成長という統合的な目的のために生きてウメハラになるぞと思った時点で、君は自分の多くの「無駄」を捨てるだろう。それは自分を削って見せかけの一貫性を作っているだけで、実際一貫性でもなんでもない。ハリボテのエレジーである。ハリボテだから必ずしわ寄せがくる。今日からソシャゲをやらないと決めた所で気になるものは気になるのである。ソシャゲ自体は気にならなくても形を変えて繰り返し噴出してくる。だから我々は「捨てずに」統合する必要がある。捨てて統合出来ましたと言ったってそんなの出来て当たり前であって統合でもなんでもない。
さらにもう一点、オレの目的は毎日の成長だといくら声高に主張したところで、中身が伴ってないと意味がない。我々のしないといけないのは広い目的のもとに自分という人間を「再整理」することであって、大風呂敷を広げることではない。何を整理するか?自分の全ての行動と状態である。それをパソコンのファイルを整理するように整理していく。ルートディレクトリにあたるのが先ほどの統合的な目的だ。そこに全部入れてそれでおしまいというわけにはいかない。それでは整理にならない。なぜ整理しないといけないかというと、殆どの人は自分の行動と状態を支離滅裂な判断でしか決めていないからである。人間完全に合理的な生き物ではないが、少しは整合性を持たせないとダメである。それが出来て初めてスタイルが一貫してくるのであって、単に「オレの人生は全てカネのためだHAHAHA」といったところでまるで一貫性は保証されないわけよ。だから、自分の(行動と状態の背後にある)考えを統合的な目的のもとに整理しなきゃ。そうして初めて、1つのことだけを考えれば良くて、他に何も気にしなくて良いタノシイ状態になれるのである。また、「君のこの行動はどんな意味あるんですか?」と聞かれた時につねに論理的に説明ができるので、「ああなんてスタイルの一貫した美しい生き方をした人なんだろう」という感動を呼ぶのである。これを少しゆる~く解釈すると、人生の限定的な場面において一部の価値観しか扱わずに済む時があって、そのときは一時的に1つのことだけを考えれば済むこともある。そういうときは、柔道一直線が真の意味で実現して、一見美しい生き方に見えることもある。ただしそれは一時的であって、まやかしの一貫性だということだな。これを永続化させるのが我々日本人の責務いや人類の責務と言えよう。
そういう人間が居ることを認められないの?
例えば葬式でお焼香3回移す、みたいなのって100%知識だろ?それによってどうこうなるとか神がどうこうとか思ってる人間殆ど居ないだろ?
むしろ、単なるマナー、常識として知ってないと恥ずかしい、やらなきゃ、ってだけでやってるだろ?
正月に餅食うのと一緒。
そういう、習慣とか儀式とか、全部宗教心からやってる、何かを信じてるからやってる、って無理矢理繋げて来るならもう勝手にしろ、ッて感じだけど。
そこに、一切の宗教心もなく、ただただ他のイベントに行くのとおなじ感覚でやってる奴も居るってことを認められないの?
神様にそこでお願いするってんももはや単なるアトラクションなんだから。
それとも、もはや、信じる、とか願う、とかそういう心が全て「宗教心」というか?
人を信じるとかそういうのも全部?自分を信じても宗教心?なんなのかね?
で、結局お前はキリスト教徒なの?
下手な所にツッコミ入れてなんとか頑張ろうとする前に、まず質問に答えろよ。
宗教とか信仰とかの話題や、2ちゃんまとめは定期的にホッテントリに上がってくるが
http://www.tokuteishimasuta.com/archives/7385048.html
なんでみんなそんなに興味あるの?
ホッテントリにあがったりSNSでバズってる話題はたいてい興味深く読むけど、
わたしは特になんの宗教でもない17歳女(Fカップ)だけど、初詣行って願い事したりするし、
バチが当たるとかよく言う。
それを「信じてるんじゃん」とか言われればそうかもしれないけど、どうでもいいわ。
わたし自身が無宗教だろうが神道だろうが、八百万がどうとかどうでもいい。
その日その時、やりたいと思ったこと、正しいと思ったことをやっていくだけ。
それを「その行動は神道の思想からくるものだね(キリッ」とか言われても「は、はぁ」としか言い様がない。
神道と言われようがキリスト教や創価と言われようが心底どうでもいい。
学者さんがそう言うなら多分そうなんだろう。
〜 http://janesuisjapanese.blogspot.jp/2013/08/vol14.html を読んで感じたこと。
父は木挽町で生まれ泰明小学校、銀座中、塾高から慶應大学に行った。
だが、父は木挽町が好きなようで本籍はいまでも木挽町だし、僕も生まれた時から初詣は家族揃って鉄砲洲に行っている。
また、父と仲の良い小学校の同級生はいまでも銀座で店を構えてる連中が多く、父は今でもスーツは銀座の同級生に仕立ててもらっているようだし散髪も同じくである。
目白駅から祖父の家まで行く目白通りは、いまでも好きな道の1つである。
母から地元での話はあまり聞いたことがなく、言うのは学校の近所の話だったり、就職してから出来た友人の話の方がよく聞く。
僕はと言えば生まれたのは小石川で、その後、馬喰町、恵比寿、一番町、南青山、東麻布と都内を転々としている。
転々としているのは父の気まぐれだと思う。同じ町に住んだのは一番長くて7年程度だった。
また小学校から大学まで私立なので同級生も皆、住んでいる所がバラバラだった。
家が近所の奴もいたが、多くは電車で数十分で、遠い奴は葉山とか佐倉、三島などもいた。
住んでる所が一緒、ではなく学校や習い事、塾が一緒という点でのつながりしかない。
たしかに、今でも出身校の近くを通る時、弁当屋の親父は元気かなとか、
授業抜け出して行った定食屋はどうなったとか考えるし、
南青山のみゆき通りに外国のブティッグが増えたなあと、変化したことに感慨があるし、
軍艦パジャマは相変わらず下品だなと、逆に変わっていないことに安心感みたいなものはある。
でも、それぞれに取り立てて愛着がある訳でもなく、それに昔から転々としていたから、
いつの間にかよく通っていた店や建物が、久々に行ったら無くなっているというのも当たり前のことだ。
また、ある種の観光地の近くに住んでたこともあり、田舎者に囲まれて育ったこともあり田舎者に対して特段の思いも無い。
そもそも田舎者とは要は東京者に対するヨソ者という感覚だけれど、僕には地元が無いのだから田舎者という概念を持ち得ない。
東京は本当に巨大で、とてつもないマチの集合体だと思う。
よく地方の人が「マチに遊びに行く」という意味での「マチ」が東京には無数にある。
白金台の裏の方のお屋敷ばかりのあの空気、後楽園の雑多な仲にも昭和的なにおいがある空気、一番町は空気がキリっとしているし、麻布は昔からの重みを感じる。
マチの空気はそうそう変わらない。(表参道の同潤会を壊したのは駄目だと思うが)
東京とひとくくりにするから、毒を浴びるんだと思う。地方出身者にレイプされた気になるんだ。
うるせーから調べてきたけど
鷲宮神社においては、彼らが絵馬に『らき☆すた』の登場人物の絵を描いて奉納する、
記念撮影を行う、コスプレ姿で参拝するなどの行動がマスメディアを通じて報じられた[13][14]。
初詣の参拝客も、2008年にはこの年の埼玉県内第3位となる約30万人、
こうした「巡礼」を受け、鷲宮町商工会(現・鷲宮商工会)は、町独自のオリジナルグッズを制作、
同会青年部の運営する大酉茶屋わしのみやや町内の複数の商店にて発売し[17]、
作者や出演声優の鷲宮神社への公式参拝イベントを開催した[18]。
その他にも歳末セールで『らき☆すた』のキャラクターをあしらったスクラッチカードを用いるなど、
様々な地域振興策に取り組んでいる。
地元商工会や町まで巻き込んだビッグビジネスになってるみたいよ。
…っていうことを調べて教えてあげたところで
君は感謝するどころか不機嫌になるだけなんだろうけどね。
その通りで神仏の違いは一応心得ていまして、行ったのはお寺だったので仏様ってしとります。
それなのに初詣に寺をチョイスするの?
会いたい人のところへ行く。ただそれだけのこと。でも。2週間だ。2週間前から会う約束をしていた。それを、クリスマス寒波などに邪魔されてたまるか。
本当なら、会うその日に行けば良かった。でも、それだと天候の関係で行けなくなるかもしれない。恐かった。あの人に会えなくなるのが。
だから、会う前日。職場の忘年会を、幹事の人に本当にすいませんって言って、出ないことにした。ほとんど定時に職場を出て、あの人の住む街に向かった。
夜通し車を走らせて、着いた街は明るかった。文明の灯だ、とも感じたが少し大げさかな。天候はそのあとから悪化した。タイミングは良かったと思う。
いい時間が過ごせた。そういうクリスマスイブ。おそらく、今までの人生で、一番素晴らしい時間を過ごせたと思う。満足だけど、来年はもっといい時間を過ごせたらと思う。
贅沢な望みかも知れないけど、更に高みを目指すのは、人間の欲望としてあまりに正直なことだと思うし、それを否定する気はない。少なくとも、今のところは。
あの人と過ごせることが何より今は、自分の人生で大事なものになっている。またあの人に会いたい。ただただ、そう思う。でも。
普通の日になかなか休めないあの人。自分と休みがなかなか合わないあの人。それでも何とか合わせてくれるあの人。たまに、こっちも合わせるけど、合わせてくれる。
嬉しいけど、悪い気がして仕方がない。だから、会える日、会える時間は大事にしている。大事な時間を一緒に過ごしているときの、あの人の笑顔や仕草が、本当に愛おしく感じる。
初詣は行こうよという話にはなった。行けるかどうかは少し微妙だけど、これは何とか実現させたい。今度はこちらがあの人に合わせる番なんだ。
雪はまだ降っている。今度あの人と会うときは、晴れていますように。冬だから難しいかもしれないけど、どうかどうか、晴れていますように。
たぶんいろんな側面の話がまじりあっててこの話は面倒。
あと、初詣に行っても信仰心は芽生えない、ってのは必ずしも正しくないと思うよ。日本人の宗教観は柔軟だけど、信仰心がユビキタス(宗教用語としての)に存在するため見えづらいだけだと思う。内心どうでもいいと思ってるなら、初詣なんかいかないよ。
国旗国歌への敬意の示し方ってどういう方法があるんだろう。国旗国歌の前で立って歌うのは本当に敬意を示しているんだろうか。個人の心の中を覗くことはできないのに、どうして敬意を示していると解釈できるんだろうか。
「立って歌わないと先生になんか言われるし、そういうことにうるさい人がいるし、とりあえず立って歌っておこうか」という子どもがいてもおかしくない。最近の判例をみて、「いやどうやら立って歌わないと大変なことになりそうだ」と思って立って歌う子どももいるかもしれない。はたまた「いやみんな立って歌ってるからやらないと」っていう子どももいるかもしれない。どこにも「敬意」は存在しない。
まぁこれは僕の勝手な想像だから、当てはまらないのかもしれない。でも、この国ってそういうところが寛大というか、むちゃくちゃな気がする。
ベタで申し訳ないけど、初詣に神社に行っても、そこの神様を信じてるわけじゃないし、クリスマスを祝ってもキリストを信じてるわけじゃないし、葬式を仏式でやっても仏を信じてるわけじゃない。日本って行動=内心を表すわけじゃない、ってことが社会的合意を得ている国だ。
立って歌ううちに敬意が芽生える、というのなら、毎年初詣を神社に行く人はそこに祀られている神への信仰心が芽生える、というのと一緒だと思う。で、現実は信仰心なんてこれっぽっちも生まれていない。
ほとんどの子どもたちは敬意だの何だのって、そんなこと考えていないんじゃないだろうか。僕らが初詣の神社の神のことを考えないのと同じように。
もちろん敬意を示す一番の(追記:方法は)立って歌うことだ。でも今まで述べてきたように、立って歌う=敬意を示しているとも限らない。
だから、(追記:教員に)立って歌わせることを強制することが子どものためになるという理屈がいまいちわからない。だれか理屈を教えてください。
2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。
昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。
様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分も増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。
筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。
仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年秋からとりくみはじめた。
基礎体温は2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。
夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常。
仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。
そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。
夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、
「顕微鏡でためしに自分の精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。
私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。
基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。
記録をまとめて印刷することもできるので、医師に妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。
上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。
挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。
夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。
年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。
とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。
20代で子供を産み、子供を小学生に育て上げてから、仕事をはじめた友人や、
私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。
たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……
冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?
妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、
お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい。科学的根拠は不明?
そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。
カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。
夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。
私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。
夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。
年末年始、大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした。
いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮やおせちをたべてゆっくりした。
その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、
妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。
子宮のなかに小さな黒いまるがうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮外妊娠ではない事がわかりほっとした。
妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ に夫婦で登録し、
2月の半ばに2回目の検診にいった。
先生がカーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。
黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。
赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。
調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、
あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。
つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。
つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。
回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした。
3月の初めに3度目の検診に行った。
この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。
ちょうど夫の仕事が休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。
いつものように、エコーの検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。
何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。
先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。
稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。
夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。
ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。
丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかわからなかったけど、
とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した。
待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。
「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。
あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した。
母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。
義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。
夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。
未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。
誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。
これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。
前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。
義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。
海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。
手術前夜からの入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、
夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。
手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯でおむすびをつくり、
病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、
夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事がギリギリで、とても忙しい時期だ。
そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、
何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、
「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんだから、耐えよう」と思った。
当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟のナースステーションに行き、書類を出して手続きをした。
病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボン、Tシャツ、パジャマの上着、フリースの長いコートで、
家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。
ナプキンをつけてから、担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。
赤ちゃんは最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。
この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。
それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。
午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。
多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。
担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、
計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。
台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。
肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、
思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、
先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます。子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、
器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。
事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。
しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。
もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景をイメージしてみた。
だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリとピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノみたいな音楽(フロアに流れるかすかなオルゴールの環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリとピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。
しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。
「お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。
顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。
ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。
すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。
麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。
時折、看護師さんが来て出血を確認していった。
いつの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。
持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。
重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。
なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。
麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。
病室でズボンをはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。
夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした。
夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるから、おむすびいらないよ」と言うほど、
手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。
私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。
夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびとお茶を持ってきてよかった」と言った。
薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。
看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。
子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。
来週に検診があって、また病院にいく。
元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家の土地のいい場所に植えようと思う。
その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。
・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵と基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。