はてなキーワード: 余暇とは
本来ならば、今の職場で自分の仕事の増減を制御するべきところだ。起業は自分の作ったものを高く売って、先方の言い分をなるべく聞きつつ、割に合わないのは断る交渉力が必要だ。
何より、悪い案件を断っていっても、まだ案件が豊富にある状態にしないとならない。案件が断れないから悪い条件でも引き受けざるを得ずにさらなる地獄に落ちていくのだからな。
あくまでも余暇で何か自分で作ってみて、客をつかんで、自分で作れるもので自立できるかが基準だ。
せめてまず考えるのは今の職場で、周りに掛け合って、仕事を減らすことだ。その次に転職だろう。
そうして余暇が取れてしっかり休めるようになってくれば、つらさも減ってくる。辛さって、疲れてるからつらいっていう側面も多分にあるからな。
俺の母校の学費は1400万円。俺の頃はもう少し安かったかもしれんが同レベル。不惑を数年超えてやっと年収1200万円。子供いるのに平日しか休めない。高給っていうか長時間労働なだけ。残業代がしっかり出るだけマシなんだろうけど、残業代が出るのは当たり前だからな。
子供は2人。妻は専業主婦。離婚なんてする気はないが、離婚した場合の養育費の目安って自分の最終学歴らしい。子供たちには俺が受けた教育投資をしてやる義務があるわけよ。
大学の学費だけで2800万円。そこに行き着くためには当然塾とか、高校も私立かもとか、浪人するかもとかあるのですよ。
だからうちは家は建売だし、車は10年落ちなのに買い替えられる気がしない。
サラリーマンのままでは辛すぎるので、もうやめて起業するけど、辛いってのはそういうことだ。
自分の子どもへの教育に金をかけたいわけだから、それは低所得者から見ればわがままに見えるのかもしれない。
ただ、年収が高くても生活レベルは低い場合もあるんだよ。お前らの方が良い生活しているんじゃないの。
幸せって何なんだろうな。
でも使える金はないし、体力ないのに忙しすぎて余暇の楽しみというか趣味というかそういうのは何もない。働いて働いて、休みの日は子供の習い事の送り迎えとか、持ち帰り残業とかで潰れる。
ベンチャーだとか、ベンチャーにもなってない応用研究はなかなか続けられる環境がない。だってすぐ金にならんから。
頑張ってなんとかこうすればいけますよ!と周りを励ましなが着実に歩んでいくと、特に上層部が暴走しだす。仕事を増やす。優先順位考えない。時間を減らそうとする。それになんとか抗おうとすると、首を匂わせたり外すことを狙う。
流されてては確実に失敗する。過重労働と、後で俺の責任にしてという爆弾付きでな。かと言ってなんとか押し通そうとしてもつまみ出されるだけ。罰ゲームしかない死の2択。
本当にやるもんじゃないわ。安定企業で、ちょっと余暇でできるものをやるぐらいが正解なんだろう。自分で完結する音楽とかお絵描きなんかのほうがいいよな。
今まで頑張ってきたことが、こいつやりがいあるから無理強いできるわ+弱い立場だからはめ込めるわみたいなこちらに悪い結末しか及ぼさない展開を何度も何度も繰り返してばかりだわ。本当に日本は腐ってる。
物心ついた時からゲームが好きで今も暇さえあればゲームをしている。
明治や昭和といった時代に発行された物が数多の人の手に渡り巡り巡って私の手元にあるという事実に
表現が難しいがその時代に生きていないのにも関わらずノスタルジーを感じてしまうのだ
しかし、古銭や古紙幣の蒐集にかかる時間など大したものではない
オークションを眺めるのがほとんどで新着の物だけ見れば十分な事もあって1日1時間もかからない
この間、妻に「収集癖あるのにゲームのグッズは買わないよね、フィギュアとか」と言われた。
「いや、ゲームはパッケージ版しか買わんのだが」と答えたが確かにフィギュアは一体も持っていない。
考えてみれば手に取ったことはあれどついぞ人生で一度も買ったことは無いし、欲しいとも思ったことが無いのだ。
いや、厳密に言えば買ったことはある。ゲームの初回限定版の予約特典なんかで何回も付いてきた記憶がある
しかし場所を取るだけだから、ゲーム本体だけ残してまんだらけだのブックオフだのですぐさま手放してしまうのだ。
なぜだろう好きなキャラ・モンスターだとしても全く欲しくならない…
調べてみるとメーカーによって特徴があったり原型師と呼ばれる個人にファンがついていたりと奥が深い
細かいディティールにも各所こだわりを持って作成しているようで凄いなとは思った。
しかしやはりと言うべきか凄いなと思うだけで一向に欲しくはならない。
古銭や古紙幣なら何でも興味がわくのに…
フィギュアを蒐集している人は何に駆られて求めているのだろうか
そして私はなぜフィギュアに魅力を感じないのであろうか…
非常に悩んでいます。。。。
彼女とは2年ほどのお付き合いがあり、そろそろ結婚するかーという雰囲気になっています。
2人での余暇は、俺の家で過ごすことが多いです。
ただ、昨日は地震の影響もあり、彼女の家に泊めてもらったのです。
(彼女の家にはこれまで何度か行きましたが、30分ほどの短期滞在ばかりでした)
お風呂に入ってまったりしていた時、ふと立派な木箱が目に留まり、
何だろう?という思いで手に取ろうとしたところ、
それは彼女が信じる宗教の宝玉?なるもので、他人に触らせてはいけないのだそう。
その話を聞き、正直ぶったまげました。
(もちろん冷静を装ったが)
彼女はまだ20代前半であり、今風のちょい派手目の女性あり、バリバリ働く女性でもあり、それなりに美人であり、世間からはリア充と呼ばれる人種です。
宗教からはもっとも遠い人だと思っていたし、そうした雰囲気を感じたこともありませんでした。
え。。。まさか。。。彼女が。。。。嘘だろ。。。。という思いです。
その夜は寝付けませんでした(セッ○スはしました)
伊豆に巨大な宗教施設があり、信者はそれなりにお金を献金させられていそうな感じです。
で!
どうするか!?
でも宗教は。。。。
俺はどうすべきだと思いますか?
「結婚しない若者問題が実はそんな単純じゃなかった→実際は「したくてもできない」「しない人生を尊重されない」」ってまとめ
https://togetter.com/li/1858961
これさあ、「そんな単純じゃなかった」とか言ってるけれど、2つに「切り分けて」考えようとするこの人こそよっぽど単純化して捉えてるよね…。
ごくごく大雑把に分けてもこの4パターンがある筈で。
でも①だと思っている人だって全員が全員本当に信念を持って結婚しなかったのかというと必ずしもそうではなく
結婚したいと思えるような相手に巡り会えなくて結婚しなかっただけであって
それは低賃金で十分な余暇もなく働かされて、職場外で適当な相手に出会う機会もなかった事が理由かもしれない。
つまり①の「結婚したくないから結婚しなかった」と③の「結婚したかったけど結婚できなかった」の間だって
本当は明確に切り分けられる問題じゃないんだよ
そして「しない人生を尊重されない」ってのは②の事だと思うけれど
だけど②のパターンは少なくとも婚姻は両性の合意のみで成り立つとされた日本国憲法施行後のこの70数年ではほぼゼロといっていいでしょ。皇族とかのごく僅かな例外はいるかもしれないが、けして主流ではない。
でもネットで異様に声が大きいのは「しない人生を尊重されない」なので、まさにノイジーマイノリティだと思う。
ネットで目立つ「しない人生を尊重されない」という人達の声は、別に結婚を強制された訳でも何でもないのに
自分は「結婚できなかった」出来損ないとは違うんだ、意思を持って独身を選んでいるのに尊重されてないんだ、という被害妄想の塊で本当に迷惑。
③のパターンは就職氷河期世代以降の貧困化や教育費の高騰で、実際は一番問題にすべき層だと思うんだけどネットではほぼほぼ存在を無視されてるんだよなあ…
ゲーム筋肉が温まるまでに15分(目的を思い出したり操作のカンを取り戻したり)、
筋肉の動きがピークになっておもしれー!って没頭できるのが1時間30分、
筋肉のクールダウン(買物したり装備整理したり大祝福の様子見たり)で15分、
大体2時間ワンセット。
帰宅して子供の相手してメシくって風呂入ってそのあと…ってなると、自分の余暇時間の結構な部分をエルデンにもってかれる。
まあそれは他のゲームとか趣味とかでもそうなんだろうけど。なんか負荷の大きさが全然違うっつーか。
やりたいんだけどやりたくない。
昔、吉田戦車が「やらずに済むゲームはないか」って4コマ漫画描いてたけど、ちょっと気持ち分かるようになってきた。
ゲーム好きなのにな。衰えが悲しい。
困っている人がいれば参考に。
俺:30代前半会社員、週2在宅
嫁:30代前半会社員、週4在宅、ややメンヘラ気質(結婚前に精神科で入院歴あり)。料理が上手。
子ども:保育園年少組の女の子、イヤイヤとかもそんなになく、育てやすい子だと思う。一人遊びはできない、昼寝もしない派。一人っ子。
あと世帯収入は1,000万円(俺:嫁 = 4:1)くらい、都内によくある、子どものいるホント普通の家庭。
これは特に悪く言われるかもだけど、セックスレスです(嫁への性的な興味がないです)。
俺(夫)側の視点です。
子どもがちょっとイヤイヤモード入ったりすると、嫁が激昂するので、その予防法とか書きます。
その場しのぎなのはその通りなんですが、快適に暮らすためと子供と幸せに暮らしたいのでこんなことしてます系の話。
子どもにものすごく怒鳴って、そしてそのあとはずっと無言になり、休日だろうが外出中だろうが、その日の行事は終わりになる。
この前は車で2時間掛けて遊びに行ったところで子供がぐずる→嫁がキレる、でその場で引き返した。
こういう「その日が台無し」系のことが多い。
だいたいの方針として、嫁と子どもが過ごす時間をなるべく減らす。定期的に顔を会わせないタイミングを設ける。これに尽きます。
お湯はって長めに遊んでるのがベスト。服脱がすところから引き取るので泣いても嫁はノータッチ。逆にそのほうがいい。
遠くの公園とか嫁も同伴ですが、彼女はだいたいベンチでスマホ触ってる。
個人的には奇妙な光景と思うが、まそれでええんちゃうんかなと。
これもかなり歪に見えますが、嫁は何するにもだいたいスマホから目を離さないので、必然的に俺と遊ぶことになります。
この辺でわかると思うけど、休日の日中、それから在宅勤務の夜、俺の余暇時間というのはほとんどないです(体調悪い時に少し寝させてもらうくらい)。
嫁的には「自分もない!」と言うとは思うけど、まぁお察し。
これは食材とかではなくて、コンビニのちょっとした買い物とかクリーニングに服を出すとか、そういうタイミングね。
15分とかちょっと家を空けるだけで、嫁の激昂可能性はかなり下がります。
これと外遊びのコンボで、日曜はだいたい嫁が自宅、俺と子どもが外出、みたいパターンが成立する。
コロナでアレなんだが、嫁が友達と月1ぐらいで遊びに行くんだけど、そういう場合は(も?)俺と子どもで過ごすことになる。
ちなみに逆はない。俺にそんなに友達がいないとか、まぁいろいろ理由はあるんだけど、本音を言えば自分の時間は超欲しい。
これは在宅勤務と休日だけ。子どもも俺と寝たがる(たぶん居ないときに嫁がキレてる)。これやると嫁の余暇時間が劇的に増えるんだよな。
(別室に一人用のベッドがあって、嫁はそっちで寝てる)
これTipsというより反省点なんだけど、車で移動中(俺が運転)の時に、タブレットで終始動画見せてます。
個人的には、せっかくの外出なんだから、子どもとおしゃべりでも絵本見せるでもしたら良いと思うのだが、、たぶん面倒なんだろう。
車の運転中だけは、事故ったら困るので、嫁が子どもの相手をせざるを得ない、得ないのだが・・ここはかなりもやっとしてる。
終わりにというか、根本的な解決として「(嫁に)そんなに子どもにキレなくていいじゃん」的なことは週1ぐらいで言ってます。
が、あんまり効果はないようで、まぁそのうち離婚しちゃうのかもしれない。子どものために避けたいが。
それから俺が居ないときに子どもと嫁でどう過ごしているかはよく知らないです。案外楽しく過ごしているのかもしれない。もう少し子どもが大きくなったら聞いてみようと思う。
俺視点なのでこんな感じですが、公平な視点で見れば、我が家では「子どもの相手するのを押し付けあっている」のだと思う。
嫁のキレ具合とか、自分が思い描いていた(妄想)子育てとはかなり違っていて、そういう現実にフィットさせる形で今のスタイルがあります。
けどこれが正しい形とも思ってないです。
今回、誰かの参考になれば、と思って書きましたが、
俺んとこではこうしてるよ、とか、私の旦那はこんなことしてくれるよ、とかそんなのがあれば教えてください。
最低限のタスク
(簡単)
皿洗い 食洗機に入れておくだけ
(ちょっと面倒)
ごはん フライパン調理は30分程度。ホットクック使えば楽。その日によって難易度が異なる。
(面倒)
買い物 赤ちゃん連れながらの買い物だと散歩も含めるから2倍近くの時間がかかる。楽しいけどね
(真面目にしだすと面倒)
風呂掃除・トイレ掃除・台所周りの掃除 どれも10分程度だけど、しゃがんだりするから面倒。頻度を高めると面倒。
総計3時間もしてない。
急用で大きな街に出かけたくなったら、子どもが寝てる隙に、在宅ワークの夫に子どもを任せて買い物してくる。
余暇時間は、部屋の整理整頓と、復職のときに活かしたいスキルの勉強をしてる。
ちなみに整理整頓は会社の事務作業と同じで、やり出すと無限におわらないから、1日2時間までって決めてる。
文書とか持ち物整理の作業をしなければ、私の主婦業は本当に楽すぎてる。
子どもがどんどん成長して、さらにもう一人子どもを産んだら、忙しくなるのかな。
・西欧は割とマジで自分たちが歴史を作り神を作ったのだから私たちが神の代理人なので自分達がルールを作るのは当たり前と思っている。電気自動車しかり再生プラしかりGDPRしかり。罰金は神へのお供えである
・自分が35才なのだが10個以上上の人が障害者をフランクに差別する感じがジェンダーギャップなのだが多分25くらいの新入社員からは俺の世代もLGBTQやら男らしく女らしくみたいな視点ではドン引きするのだろう。そういえば自分が地方の大学生だった頃はホモは気持ち悪いよねと普通に当たり前のように話していた。
・資本主義やら税制やら法律などのルールは時間が経てば経つほどルールをハッキングする奴が出てくる。格差が広がるのを食い止めるにはルールのアップデートが必要だがそれができた例は思いつかない。人類が破壊的創造を構造的に欲してしまうのは悲しい
・俺がなんとなく余暇に積極的になれないのは地方の進学校出身で大学に行って夢を叶えようと刷り込まれていて未だその途中という認識だからかもしれない。社会人になって知り合ったシティボーイ達の優雅な余暇の過ごし方には死ぬまで憧れ続けるのかもしれない
・センスがよくて見た目もよくて休日のキャンプの写真も素敵で…みたいなアカウントを好きでフォローしていたのに、同じ東京にいて自分も立派な仕事をしているのにどうしてこの人たちみたいに幸せそうに生きれないのか見てるとどんどん辛くなってくる。俺は自分のミスでは無い信頼性トラブルを進んでフォローしたのに誰からも感謝されずただ自分の時間を無責任な人に奪われている
・いつからかアメリカ映画やらドラマの悪役がイスラム系テロリストだったのが最近は中国人が悪者になっている。ナチュラルにプロパガンダコンテンツが世の中には溢れている。宇宙外少年少女は日本の衰退国ネタが多くて世相は反映されるものだなあと思う
詳しくは調べてもらえればと思うが、クリエーター目線として気になるのは
何らかの創作をする上で「○○をさせたい」「こういうストーリーにしたい」という思いから科学的事実を無視したとき
専門家や有識者から受ける批判をどう打ち返すべきか、もしくは創作に対する「科学的事実と異なる」「リアリティーがない」という評論や「評論者自身のビジネスに弊害をもたらしている」というコメントにどう心構えしておけばいいかだ。
おそらくタイトルだけ読んだ人は「いやそもそも向き合う必要はない」「そんなツッコミをする人間はこちらからお断りだ! 対象者じゃないんで見なくて結構!」「そんなの自分で考えろバーカ」と言っておけばいいと書き捨てるとは思うが、
創作をする上で専門家や有識者に届いてしまうのがコンテンツ、ひいては情報社会の常でもあるので、そこは抜きにして考えてみたい。
考えてみたいとは言ったものの、前向きに言い返そうとすると労力がかかる。創作に対する批判は古代から行われているはずであり、19世紀以降の○○主義(忘れた)や「テクスト論」のような「作者」と「読者」の関係とか
読書論というような話を持ち込めば、前向きな議論は可能だろう。だが、クリエイターはいちいちそんなことで議論する暇はない。その余暇時間は創作のための知識を学ぶか、創作に当てたいものだ。そこで無視するという心構えだ。
また専門家や有識者が創作を否定するとき、たいていのケースで専門家や有識者はその創作が描くジャンルで飯を食っている可能性が高い。こうした煽りやプロレスを仕掛けることで自分たちのビジネスの知名度を高めたり、
例えば創作物を否定したりした後で謝罪、和解の形に持っていくことで関係性を築き、自分たちのビジネスに引き入れるというような選択肢も取れるだろう。こうした面倒事を回避するなら「無視する」は優秀な選択肢の一つになる。
とはいえ、無視するのはどうだろう?と考える人もいるだろう。少し考えてたが、結局はこの一言に尽きてしまうのではないかと考えられる。創作、とりわけプラネテスのようなSFは科学的事実と演出を織り交ぜたフィクションなのだから、
ウソだとか間違ってるとかそういう批判はちょっと知らないなという答え方だ。これは手塚治虫がブラックジャックの描写について東大医学生から批判を受けたときに似たようなコメントを残している。
本作には、医学的リアリティと大胆なフィクションが並存しているが、これは医学的事実よりも物語性を優先した、手塚の作劇術の一環である。異星人やミイラ、幽霊、感情と自我を持つコンピュータを手術するなどという突飛な設定の話も存在する。架空の病気も登場したほか、ブラックジャックやピノコの医学的設定も現代の医療技術を超越している。ブラックジャックがスターシステムで登場する別作品『ミッドナイト』では、ブラックジャック本人に人間の脳交換手術について「その様な事は漫画だから可能だ」と言わせている。手塚治虫自らが語る所によると、当時東大医学部の学生から嘘を書くなと抗議の手紙をもらったとの事である。それに対して手塚は、東大生ともあろうものが、漫画に嘘があることすら知らないのかとコメントしている。
また今回話題になった評論に対してプラネテスの原作者も同様にウソですよとコメントしている。まさに模範解答といえるだろう。
(もう少し踏み込んで書こうとすればそもそも「創作とは何か」とかプラネテスの件に合わせて考えると「SFとは何か」(19世紀ごろの宗教と科学の歴史を振り返るところから始まると思われる)のだが、それは大変面倒なので割愛する)
初心者向け、中級者向けにもちょっと納得できない人にオススメしたいのが「そもそも世の中の9割は弊害である」という「スタージョンの法則」の応用だ。
スタージョンの法則はSF作家が大学の先生から「やっぱりSFってクソでしょ?」という疑問をぶつけられたときの返しで「そもそも世の中の9割はクソだ」と答えたものから作られた。
「最低の作例を引っ張り出しては叩く」という悪意の攻撃に対して、自分から直接反撃しているのだ。90%のSF作品をゴミカス扱いするのと同じ基準を用いれば、映画、文学、消費材などその他あらゆるものの90%も同様にゴミである。
言葉を変えれば、「SFの90%がカスだ」という主張ないし事実のもつ情報量はゼロである。なぜならば、SFは他の芸術/技術の産物と同様の質的傾向を示しているに過ぎないからである
現代において創作は媒体を通じて消費者に届けられる。創作それ自体もこのプロセスも結局はビジネスの質的傾向を示しているのに過ぎないのだから「創作したものがビジネスの弊害になっているというが、
そもそも世の中の9割はあなたのビジネスにとって弊害でしょ」という正論で攻撃し返すのである。
上級者向けを利用した場合は大変面倒なことになると思うので一般的には初級・中級の心構えでいくべきだとは思うが、出るところは出るべきなので最終手段として上級者向けの考え方を知っておくと良さそうだ。