はてなキーワード: 仕事とは
アラフォーでたまたま仕事関係の繋がりからお付き合い開始→初婚した者だけど、結婚後に同僚から
「増田さんってやっぱりまともな人だったんですね。未婚だからどこかおかしい人なのかなって勘繰ってました」
と言われたのは今でも忘れられない。
いい区切りだったので乱文になるけど吐き出させてほしい
8年ほど前、まだ20代後半だった自分が今の会社に中途採用された際に同時入社の同期が1人いた
自分とは歳の離れた40代後半であった同期である彼こそが後に、時限爆弾を仕掛ける人物である
入社した会社はその時期に基幹システムの刷新を考えていたらしく
その募集でシステム部として採用されたのが自分とその同期であった
当時のシステム部の社員は2名体制で1人が60代で定年間近の上司A、もう一人は50代の上司B
2人でなんとか基幹システムの維持だけを行っている状態であった
会社としては基幹システムの刷新以外にも社員の世代交代を徐々に行っていくための採用だったと入社直後に言われた記憶がある
60代の上司A、50代の上司B、40代の同期、そして20代の自分
確かにそのまま行けば年齢層は順調に推移して、10年単位で20代を採用することを繰り返せばいい感じにも思えた
入社してからの仕事としては60代上司Aの定年退職が控えているため、まずは稼働中の基幹システムの仕様理解に日々の業務の引継ぎ
そんな多忙な業務をこなすなか同期と話すうちに彼の人柄が徐々にわかってきた
箇条書きでまとめるとこんな感じだったと思う
・今の会社に採用される前、同じような職を転々として現在8社目であること
・受託システム開発ばかりやっていたが、そろそろゆっくり仕事ができる社内SEでまったり過ごしたいこと
・年齢と経歴の割にプログラムが雑なこと(※これは自分視点だがそう的外れではないと思う
また、今の会社に対してのスタンスや不満が溜まってきていることも伝わってきた
・システムを作る自分たちのチームが上で、運用するチームを下だと見下していること
・その運用チームから稼働テストの際にミスを指摘されると不機嫌になること
中々怪しい気配が漂ってきたと当時の自分は思った
残業に関しては、毎日という程ではないが20時頃までは働いていたと思う、遅くても21時までだったはずだ
ただこれはシステムの刷新が終わるまでという明確なゴールがあったのでそれまでは申し訳ないが対応してほしいと事前に説明があったし残業代もきっちり出ていた
自分は前職が完全にブラックで終電帰り、残業代なしが当たり前という環境もあったため特に問題なく仕事ができていたが同期はかなりストレスだったようだ
給料については会社の方針として勤続給ではなく年齢給であったため同時入社であるものの同期は自分よりかなり貰っていたはずであるが、それでも不満だったようだ
トラブルといってもただ上司Bが打ち合わせ中の同期の態度について不真面目だと切れて説教したのだ
この上司Bと同期の彼は相性が悪いようで度々小さな衝突はあったが上司Bが声を荒げて説教するのは始めてのことであった。
しかしこのことがきっかけで上司Bは同期に対して我慢がきかなくなったのかこの後もおよそ2ヶ月に1度のペースで業務のミスといったことから朝に挨拶をしなかったといった細かいことまで説教は続いた
この状態に嫌気が差した同期はある時を境にプライベートの予定があるからと基本残業はしなくなった
たまにどうしても必要がある際は業務命令という形で残業を依頼していたが、それでも19時くらいまでであった
しかし同期はそれもかなり不満だったらしく
残業した日は会社の最寄り駅と会社の間にあるビジネスホテルに泊まり
翌朝、ホテルの前を出勤中の社長や役員の前を偶然を装ってチェックアウトして遭遇し上司Bが無茶な残業を強要するせいでホテルに泊まる羽目になったとアピールするということもあったという
そのため、ちょくちょくシステム部にたいして過度な残業に関する指導が入っていたと後に上司Aから聞いたことがある
そして入社からおよそ3年が過ぎ、なんとか新システムも完成に近づいた時
しかしこの時は同期も相当機嫌が悪かったのか、それとも今まで積もり積もったストレスが限界だったのか、もしくは両方か分からないが
上司Bも同期もお互いに売り言葉に買い言葉で収集が付かず、上司Bが一旦頭を冷やすといって席を離れた際に同期はPCを少しいじると私物をまとめ無断で早退として帰っていった
なおこの時、上司Aは有給で休み、自分は電話応対中であったため止める者がおらず気がついたら終わっていたといっていいスピード感だった
そして同期は翌日、人事部に退職すると電話するとその後出社することはなかった
新システムの作成中データを取り出すために起動したがそれ以降はそのまま一度も起動することなく放置という状態であった
上司Bは撤去したい様子ではあったが、ある役員から戻って来るかもしれないからとりあえずそのままにしておくようにと指示があったので触れることもしなかった
その後、同期の担当分を自分が引継ぎ新システムの作成にとりかかるが彼の担当していた機能はなんとなく察してはいたが、かなり雑な作りな上
運用部門の要望をまったく聞かなかったため、とてもリリースできる状態でないことが発覚
改めて要望に沿った形で修正をする方針で進めると彼が作成したコードで残った部分は30%も残らなかった、ほとんど作り直しと言っていいレベルだ
そのときには定年から雇用延長となっていた上司Aは区切りがついたと退職
会社の業績もあまり安定しない時期でもあったため追加人員の採用は見送られシステム部は上司Bと自分の2名体制となった
その際に新システム作成が評価されたのと2名体制で苦労をかける事情からか自分は課長に昇進した、4年目のことである
新システムはその後、小さなトラブルはあるものの順調に稼働を続ける
なお小さなトラブルの大半は同期の彼が作った部分が関わっていることが多く
その度に彼が作ったコードは修正され、今では機能の殆どに彼のコードは残っていない
残っているのはせいぜい彼が名付けた関数名や変数名くらいである、中身はもう別物だ
そして6年目のある日、上司Bが突然亡くなった
腹痛を訴え病院へ、で即入院してそのまま復帰することなくという形だ
癌だったらしい
その時の会社の上層部はかなり大慌てであったらしいがシステム部としては正直あまり変わりがなかった
というのも新システムを作る際に運用部門の要望をほぼ取り込んだ結果
システム部の基幹システムに関する仕事はほとんどなくなったといっていいレベルとなったのだ
しかし周りはそうは思っていないらしく、システム部は1人しかいないのだから極力負担をかけないようにと各部門には通達がいったらしい
しかし実態はあれだけ忙しく残業していた日々が嘘のように毎日定時で帰っても問題ないのだ
同期の彼が望んでいたゆっくり仕事ができる環境がここに完成していた
そんな中、同期のPCを残しておくよう指示を出した役員も退職する時期となり
そこで改めてPCを起動して中をいろいろ確認していったのだが、そこであることに気づく
起動回数は1回限りで未実行、起動予定はかなり過去の日付が指定されており、とっくにその日付は過ぎていた
バッチ処理の内容を詳しく見てみるとPCの全ドライブの消去コマンドが書かれていた
同期の嫌がらせだったらしい
起動予定の日付を良く確認すると彼が退職を連絡した日の翌月が指定されていた
しかし実際は彼が退職した翌日以来、PCを起動した事はないしバッチも動作していない
※今回は不発だったから良いけど実際にやると損賠賠償になるから
このことは報告していないが、業務でバッチ処理に関わる度に同期のことを思い出す
もし彼が残っていたら昇進したのは自分ではなく同期となり、彼の言う満足いく給料を貰えたかもしれない
もし彼が残っていたら上司Bがいなくなりストレスがない職場で彼は働けたかもしれない
もし彼が残っていたら運用部門からの要請はなくなり、残業とは無縁な仕事が出来たかもしれない
いや最後のは無理かな
作ってたコード雑だったし、人の話聞かなかったし
ふと彼のその後が気になって調べてみたことがある
世間話で同期がSNSをやっていると聞いたことがあり検索してみたのだ
アカウントは知らなかったが彼の話していた世間話の内容で検索してみると意外なほど簡単に見つけることができた、アイコンも自身の顔写真にしており間違いないと思われた
また次(の次?)の職場で残業がらみのトラブルを起こした愚痴が書いてあった
うちの会社を退職したときの事は何を書いていたのか過去の在職期間の投稿を見てみると大半は案の定愚痴の羅列が並んでいた
そして、その連続した投稿の中で退職直後の時期に面白い投稿があった
要約するならこうだろうか
社内システム作っている自分に無茶ぶりばかり、データ全部消去して退職してやった
直してくれと謝罪の連絡してももう遅い、既に新しいホワイトな職場でまったり仕事中です
彼の中でうちの会社は有用スキルを持った人間を無能と決めつけ追放したギルドのように写っていたらしい
しかし実際はデータ削除の時限爆弾は不発であったし、仮に成功していても
現在彼の書いたコードはほぼ残っていないから直してくれと依頼することもない
そして彼の新しい職場は現在のSNSの投稿を見るに彼基準ではホワイトな職場ではないと自白をしている始末だ
ところで実際彼に連絡した人がいたのかという話だが
上司Bは既に亡くなっているので分からないが、おそらく連絡はとらなかっただろう
彼が退職の連絡をしてきた後、残っていた有給を消化したくらいのタイミング(大体1か月後)で退職に伴う書類の送付先の確認で何度か電話をしたが繋がることはなかったという
どうやら彼はこの連絡を会社からの謝罪の連絡だと思っていたのかもしれない
10年間休まず一人で書き続けて連載してる漫画家の記事に「そこまで仕事して釣り合う額貰って無いだろうに漫画業なんて割に合わないよな」みたいなコメント書いたら
ヒット作だから儲かってるんだとか漫画家業ディスんなとかマンガ大好きキッズ達にボコボコ叩かれて心底ムカついちゃった。
印税抜いたら年1000万も貰って無いし印税頼りの水商売な事位、ちょっと計算すりゃすぐ判るだろ。何言ってんだこのクソガキ共が。ホント青葉の気持ち判るわ。
再投稿は甘え。
GW終わって仕事だ。転職したばかりの会社、合わなくて辞めたいのに出社しないといけないの苦痛すぎるな。
多分辞めることになるんだが、無職かー。会社員という立場に安心感を持ってる人間だから、無職期間ってただただしんどいんだよな。またあれになるんかと思うときつい。きついが今の会社に希望がないから今の会社にいつづけるよりかなりマシ。転職活動?そんな気力ねぇよ…
発表が得意で、面白おかしく、周りの様子を伺ってはクラスの雰囲気を盛り上げようとする、そんな人を私は好きになった。
なんとなく、向こうから好意を感じる時もあったけれど、思春期真っ只中の私は何か行動に出るわけでもなく、ただただ席替えで近くになることを祈っていた。
サマースクールの話題で盛り上がる夏休み前、彼の口からはちょっと頭が良い学校の名前が聞こえてきた。
怠け者な私の内申点では厳しかった。同じ学校に通えそうになかった。
残念に思ったけど、進路で別れてしまうのは分かっていたから、悲しくはなかった。
特に行きたい学校がなかった私も、サマースクールに参加したことで、入学したい学校、入りたい部活を見つけることができた。
その学校はそこそこなレベルだったけれど、当時の私の実力では乗り越えなければならないハードルがいくつもあった。
不馴れな勉強に勤しむ秋頃、彼の口から私の目指す学校の名前が出た。
志望校は違うと思ってたから、当時は本当にビックリしたし、嬉しかった。
妄想も、それはもういっぱいした。
あとは私が頑張れば、その妄想が現実になると思うと、大嫌いな英語だって覚えてやろうという気になれた。
塾長からは「険しい道のりだ」と言われたり、模試の成績が酷かったり、などなど色々あったけれど、なんとか仕上げ、受験当日を迎えた。
試験会場には、もちろん彼がいた。
当時ハマっていた乙女ゲームのグッズである天然石を握りしめながら、試験に挑んだ。
試験の出来はなかなかのもので、塾長からも合格だろうと言われた。
安心した私は、受験からの解放を大いに楽しみ、あっという間に、合格発表の日がやってきた。
私の中学校は、結果を確認した後、報告する決まりで、受かった生徒と落ちた生徒は別の教室へ行くことになっていた。
無事に合格通知を受け取った私は、意気揚々と受かった生徒が集まる教室へ行き、先生に報告をした。
そのまま私は帰らずに教室に残って、受かった子達と高校での過ごし方を語らった。
受かった嬉しい気持ちを共有したいからではなく、彼を待っていたのだ。
しかし、彼が来ることはなかった。
私は受かって、彼は落ちたのだ。
家に帰って、私は一人で泣いた。親、塾の関係者、先生、友人、皆喜んでくれていた。それなのに、私は涙が止まらなかった。
もちろん、嬉し涙ではなかった。
同じ学校に通えると思っていたのに、4月からはもう別々になってしまう。春を感じさせる暖かな日差しが、より胸を苦しくさせた。
結局、その後は彼と距離が出来てしまい、連絡先も交換できずに卒業式を迎え、卒業。
高校に通うも、彼のいない高校生活を思い描いていなかった私の日々は淡々と過ぎていった。
どこかですれ違えないかと、駅に行っては姿を探した。見つけることはなかった。
彼の進学した学校は、体育祭も文化祭も非公開。繋いでくれる友人もいない。どうにもならなかった。
途中、気になる人もでき、初めてお付き合いすることもできた。それでもやっぱり、初恋の人は特別なのか、忘れることはなかった。
色々あって、その人と別れた後も、特別なままだった。
ただ執着しているのだと分かっていても、忘れられなかった。
疲れている時は、彼と幸せになる夢を見たりした。起きた後、更に疲れたことは言わずもがな。
この頃になると、思い出すことは僅かで、どんな仕事に就いているのだろうか、幸せな日々を過ごせているといいな、などの思いを馳せるだけで終わっていた。
結局、当時の彼とは遠距離がトリガーになり、振られてしまった。
相当なショックを受けた私は、忘れるのに随分と時間がかかった。
忘れるために、私は昔のことを良く思い出すようになった。
当然、彼のことも懐かしむように思い出した。
すっかり失恋から立ち直った頃、私はふと彼の名前を検索しようと思った。でも、勇気は出なかった。ストーカーチックな気がしたからだ。というか、たぶん、ストーカー。
それから数ヶ月後の昨日、中学の友人、高校の友人と立て続けに会って疲れた私は、いつの間にか眠りにつき、そして久しぶりに彼の夢を見た。
変な時間に寝た私は、変な時間に起きてしまい、妙なテンションになってしまった。
履歴に残るのが恥ずかしかったので、シークレットモードで検索した。
すると、彼らしき人物がヒットした。
作風を見る限り、本人に違いなかった。
私が何度も思い出し、夢で見た姿は、過去のものでしかないのだと、ようやく頭でも心でも理解できたのだ。
一緒に登校をしたかった私、一緒に文化祭を楽しみたかった私、告白をしたかった私。これらも、もう随分と前の私がしたかった、見たかった光景で、今の私が欲するものではないのだ。
初恋の人の名前を検索したら、恐ろしいことになるような気がしたけれど、そんなことはなかった。
きっと、これからも私は彼のことを思い出してしまうし、切ない気持ちになるだろう。
けど、今までとは違い、適切な距離をもって振り返ることができる。
けれどもお互い、可愛げに出来ないときでも温かく許し合える関係がいいかな
そういう事情をお互いに理解できる関係がいいんじゃないかと思う
そういうなんというか適正価格とかじゃなくてさ。
絶対値として高額だから独身中年男性のパーマネントなレジャーとしてやれる人すくなくね?という意図なんだけどなあ。
そりゃ俺だって1000円とか2000円でちんちんしごく仕事しろ言われてもやらんよ。だから言ってるとおりだとは思うよ。
けど定期的に何万円もだしてちんちんしごいてもらうかっつうとそれもやんないじゃん。
仕事はできて周囲からの評価が高いおばさんではあるが、デブだしおばさんだしで女性としての魅力はかなり微妙。
その若い男からしてみれば仕事上では尊敬できる上司にあたるので気を使わざるを得ないわけだが、デブおばさんはそれを好意と勘違いしているよう。
7年くらいゲーム業界の隅でエンジニアやってきたけど、最近仕事のモチベーションがなくなってきた。
子供の頃あれだけ憧れていた職業なのに、今はモチベがゼロ。ゲームなんて作ってないで、もっと世のためになる仕事をしたほうが良いのか?って気持ちが日に日に大きくなってくる。具体的に何をやりたいがあるわけじゃないのに。
上司も分かってるんじゃないの?
大プロジェクトがあって、都内某所に場所を取って「協力会社」を一次請けとしてエンジニアと称するチー牛を集めたんだけど
そのとたんに発生したのが男子トイレの個室がいつも満室で使えないという現象
支持がまとまらない元受け、成長する気のないチーム、改修されない運用。
専門学校で曲がりなりにも勉強をして資格を取り調子に乗っていた私はここでは何も成長できないと不満を持っていた。
療養のため半年以上仕事を休んだがその時に怠け癖がついてしまった。
復職後、上司の気遣いでリモートワークが主になったが怠けてしまう。
「今日はやる気がでない」
「本気を出せばこの程度のタスクは数日で終わる」」
そんな思考を繰り返し続けた結果、成果物は上がらず、評価を落とし現場を何度も転々とする負のスパイラルに陥ってしまった。
成長をできないことをストレスに感じていた自分は何処に行ってしまったのか。今は仕事のできないチームのお荷物がここにいる。
GWが明け業務が再開するが休み前に依頼されたタスクは何もできていない。しかしできているテイになっている。
きっとそうではない。
はじめに、文章を書くのは久しぶりのため少し読みづらいかもしれません。
・女に声かけたら警戒された、脅かしたら逃げた。
あの時の男側から見たらこの程度の話。あとから状況を伝えた時、旦那にはこの恐怖が伝わらなかった。私が何でその程度の事で怯えるのか理解できないみたいだった。
だからどこが嫌で何故怖かったのか、吐き出しながら纏めてみようと思う。
駅から家まで歩きで15分、仕事終わりの19時ごろ。普段は人と車通りのある大通りだが、その日は人もまばらだったので早足で帰っていた。
10メートル先、男が道端でスマホをいじっていた。男は半袖でキャップをかぶっていてB系の服装、体格はそんなに大きくなかったが腕にワンポイントの刺青が入っていて『怖い』と思った。
男は私に気がつくと顔をあげ。こちらへ向かって歩き出す。自意識過剰かもなと思いつつ、不審な動きが気になって避けるように端を歩いた。
男と接触しなくて済むように歩道の右端に寄ったのに、やたらとこちらを見ながら向かってくる。
仕方がないのですれ違う数メートル手前で道路植栽のゾーンに仕方なく足を踏み入れた。
まばらな植栽の土を踏んで歩くと新品のスニーカーが汚れた、大きい車道に挟まれ反対の歩道へは逃げられない。
通りすがる瞬間も警戒していると男が突然腕を広げて通せんぼのような事をしてきた「ねぇお姉さん」と声をかけ、携帯をちらつかせた。笑いながら。
私は唐突に道を塞がれたのが怖くて、植栽を越えて車道に出て走って逃げた。
逃げ切って姿が見えなくなっても、不快感や唐突に腕を伸ばされた恐怖は続いていた。
寄る必要のないコンビニとスーパーに寄って追われていない事を確認してからようやく家に帰ることができたが、旦那が帰るまでは落ち着かず安心できなかった。
1ヶ月ほど経ったけど、あいつがどこかから見ているんじゃないかと帰り道は未だに気が気じゃない。呪いみたいに付き纏ってきてある日私の人生を壊しそうな気もする。帰り道のたびに警戒しなければいけない、そんな漠然とした不安があいつの気軽な声かけで私に刻まれたのが本当に嫌だった。
補足するが、私は長袖のヘビーウェイトパーカーとパンツで身体のラインや肌などは出していなかった。
そのうえで何かをされる前に警戒していたとしても、こんな仕打ちをうける。これが自衛でなんとかなる筈がない。
出先で声をかけられる事は正直言ってとても不快だ。
自分より背丈の大きい生き物が品定めするようにこちらを見て、さも「選んでやったんだから光栄に思え」というような尊大な態度を取る。
無視すると舌打ちされたり「ブスのくせに」と聞こえるように言われたり、ある時は聞くに絶えない卑猥な言葉で罵倒されたこともある。
これらは全て別の男からだ。
自分や友人のためにお洒落して出かけた帰り道、駅前で声を掛けられる。それで無差別に舌打ちや暴言を聞かされて嫌な気持ちにさせられる。
大切な人の為のお洒落な装いが、昨日たくさん考えたお洋服がそいつらに汚されたように思えて、唾でも吐き掛けられたような気分になる。
でも物理的に勝てないことを知っているから殴りかかることもできなくて、そいつが私のことなんて忘れた後も延々心の中で呪い続けるしかない。
ずっとずっとずっとずっとその男たちを呪ってる。
大切なひとと会った後のあったかい心を殺したのに、あいつらはのうのうと生きてる。
「ナンパされて嬉しいだろ?自慢できるだろ?」
嬉しいはずないだろ、なんでそんな奴のために無料で笑顔を振りまかないといけないんだ。
なんで見ず知らずのお前の為に嫌な思いを我慢しないといけないんだ。
嫌な思いをする一部の奴が我慢すればいいじゃんと押し込められる。
ナンパくらい大したことじゃないとも言われる、あなたにとってはそうでも私にとっては大した事だ。
自分より大きい生き物から唐突に、理不尽に高圧的な接しかたをされたことがないからそう言えるんじゃないか。
不快を示して殺された例だってあるから思うがままに罵詈雑言を返すこともできない。それを知ってて声掛けしてくる卑怯者と弱者の忖度を知らずに声掛けする愚か者。
そもそも恋人が欲しい人同士でのマッチングの手段が存在するのに、わざわざ道端で声をかける時点でズレている。時代遅れだ。
でも男達の中にいるナンパ推奨派はそれを気づかせず、ナンパのメリットを並べ立てる
好きな女を選べるだとか金がかからずどうこうとか、色恋を売ってない穏やかに生きてる一般の女までモノのように扱う。そのノウハウが金になるから時代遅れなのを隠して薦めようとしているみたい
そうやって数打てば当たる戦法で相手に尊敬もクソもない最悪の声かけが起こる。
思うがままに色んな愚痴を並べてしまったけど、上記の理由でナンパや声掛けは大嫌いだ。
時間を奪った上で、不快を被らなきゃいけないってどんな嫌がらせ?駅前に陣取ってストーキングして声を掛ける事がどれだけ自己中心的な事なのか考えたほうが良い。
その軽い行いがどれだけ相手を傷つけるか、そして相手から恨まれているかをちゃんと考えるべきだと思ってる。
でも皆はそんなに気にしてないのかな、女の子はもう諦めてるのかな?こういう奴らに対してどう思ってるの?良かったら教えて欲しい。
あのナンパ男たちは私の気持ちを台無しにして怖い呪いをかけたから、そのお返しをしてあげる。
私は駅前で声をかけて嫌な思いをさせてきた男の顔を覚えてる、何をする訳じゃないけど。
棘でスポーツクラブはなぜ続けられないのか?がスタッフのコミュ力の高さだとバズってるけど、業界的に継続率とか何ヶ月で辞めるかはとっくに把握しているし、なんなら会社は退会した人のアンケを取ってるからその分析結果として「新規ほどすぐ辞める」し「仕事終わりに行くのが面倒、高いモチベーションが無いとジム通いを継続するのが面倒、初めてだからワケワカラン状態で放置故心理的ハードル」っていう結論に帰結してるのよね。何年も前から。スタッフのコミュ力の強さ、とか言われてもそもそも新規入会者はスタッフコミュ力以前の問題。スタッフのフォローもなく1-2回来てフェードアウトするから。
だからどうすれば良いか?→新規会員は来館の度に手厚く声掛け気にしましょう。まずは来てもらう事を褒める(仕事終わりで帰宅後来るの面倒…というハードルを乗り越えた事に対して)、運動の楽しさを理解してもらう(短い時間でもレッスン等に参加してライトに楽しむ)、みたいなフォローの大事さが課題だと何年も前にすごい口酸っぱく言われた。
永井豪の漫画家としての功績とフェミニズムについて言うならば、それは「少年漫画における少女像の変遷」について語る必要があります。
少年漫画には歴然とエロ枠があり、その中からも常に漫画史に名を残すべき作品が生まれてきたことは間違いありません。日活ロマンポルノが多くの映画人を輩出してきたのと同様に、少年漫画のエロ枠からも多くの才能が巣立っていきました。しかし、その枠内で当時の漫画関係者のもっていた女性像自体の変革を試み、実際に成功した人と言えば、それはやはり数少ないと思います。永井豪は、間違いなくそのうちの一人です。
永井は、1970年前後に少年4誌で同時連載を実現したほどの売れっ子漫画家でしたが、彼の出世作が「ハレンチ学園」(ジャンプ,1968~)であることは間違いないでしょう。この作品で彼は「柳生十兵衛」という少女をヒロインに設定しました。十兵衛は、侍ガール(!)であり、そして、男のエロ攻撃に対して敢然と戦うヒロインです。もちろん、エロ枠ですからいろいろな目に遭うわけですが、それでも永井の中にある「凛々しく強い女性」への憧憬が原型として誕生したわけです。続く少年チャンピオンでの連載で彼は、それまで少年漫画では御法度とされていた「少女が主人公」で連載をやりたいと編集部に訴えます。が、却下されました。そこで彼は「では悪党一家が主人公ということで」と言い抜けて、実際は一家の長女を主人公として連載をしました。それが「あばしり一家」(1969~)です。菊之助は、強くて悪くてセクシーで、そして底抜けに明るい戦う少女です。以後、彼の代表作の数々において、このような女性たちが大活躍することになります。(「デビルマン」のヒロイン「美樹」は、登場当初から主人公を圧倒する気の強い少女として登場し、終盤では前に立って戦う……そして……姿まで見せます(それまで少年漫画であんな目に遭うヒロインがいたでしょうか?)。「キューティーハニー」はエロ枠でありながら、遂に堂々と少女を主人公としかつヒットを飛ばしました。また、「デビルマン」の後に書かれた永井の代表作といってよい「バイオレンスジャック」では、頼りない主人公(男)を守る「戦う女性たち」が凄絶な美しさをもつ存在として、そして、ジャック自身も性別を超越した存在として描かれます。)
実際、一般的に言ってエロ枠における女性像というのは、1980年代以後の超有名作で言えば「まいっちんぐマチ子先生」にみられるように”セクハラを許容する都合の良い無力な聖母”みたいな所にありました。そういったものと比較すれば、永井作品がいかに先進的であったかが理解できると思います。
強く、カッコよく、セクシーな戦う女性たち、そして何よりも、主人公として活躍する少女。今日の少年漫画に女性主人公、自立した強い少女、守られるのでなく前に立つ少女、戦う少女は少なくありません。彼女らはどこから来たのか。また、プリキュアなど「戦う少女像」がどこに源流をもつのか。もちろん全てがとは言いませんが、永井をはじめとする多くの表現者が、女性をエロネタ扱いすることに飽き足らず(表現者の良心として)挑戦を続けてきた結果であろうと思っています。
私は、永井の作品が、1970年代から以後のガールズ・エンパワメントの一翼を担い、その後の同種の作品の先鞭をつけたという点で、フェミニズム史に大きな貢献をした人物として評価してよいと思っています。まあ、彼自身は「単に女の子が好きで書いてただけですよ」というだけかもしれませんが、彼の仕事は大きな意義のある仕事でした。
そんな永井先生の仕事の意義も当時の時代状況も理解せず、ただ単に身の回りの身内に受けのよさげなことを口走る自称「フェミニスト」がいるとしたら、それは歴史についてもフェミニズムについても理解の精度が低く、底が浅い存在と言うしかないでしょう。残念なことです。増田の書き込みが、ただの風聞に過ぎないことを祈ります。
それまで定時時間内にこれだけの事をするために出社させて拘束する
だったのが
に変わった。
すげー働くのが楽。
顔を見せないとチームワークがって言ってる層ってぶっちゃけグループLINEでコミュとってなかったり
オンライン会議でも人に迷惑かけてたりする連中ばっかだったからなぁ。
普通に仕事用のDiscordで同僚とかと通話しながら仕事したりしてるし、分からんことはすぐに他部署の人に連絡もつく。
はっきり言って出社するより圧倒的に良いコミュニケーションになってる。
で、一番変わったのが「この仕事終わったんですけど他詰まってる仕事無いっすか?」って発言が出る様になった。
それまで出社&拘束だった時はとにかく自分の時間を仕事時間内に作る事が大事になって、誰一人として他の仕事の手伝いなんてしなかった。
というかそんな事言ったらどんどん他の仕事も渡されてお前は今後もコレをやれと増やされていたから。
こういう意見あるのはありがたい。
でもやっぱ世の中には「甘ったれた理由はけしからん!」って人が一定数いて、老害と言われるような世代じゃなくて20代30代にもいる。
最近、テレワークとかフレックスタイムとか週休3日とか時短勤務とか、柔軟な働き方に向けて色々な制度が導入されている。
うちの会社にもそういう制度が導入されているけど、どうやら人によっては、「一般常識」として「理由」が無いとこういう制度は使ったら「ダメ」らしい。
例えば、「子供が熱を出してしまって…」「子供の送り迎えのために…」という理由だったらテレワークやフレックスタイムはOKらしい。
しかし、「朝もう少し寝ていたいから」とか「遊びに行きたいから」という理由だとダメらしい。
こういう制度って自分で仕事の効率を上げたりワークライフバランスを向上させるものだと思っていたけど、実際はやむを得ない事情に対応するためのものなのだろうか?
仕事さえこなしていれば制度を自由に使って調整すればいいと思っていたけど、その考えは甘いのだろうか?
あとなんだか、子供がいるかどうかでだいぶ変わってくるのは違和感がある。子供がいれば産休、育休、時短勤務とかもあるのに。
私の考えって甘いのだろうか…