はてなキーワード: ベネフィットとは
発達障害を疑ってテスト受けたけど診断名つかなかったやつの経過報告です
かかりつけだった先生の退職を期に新しい先生の所で今までのことを話したら、
ADHDですね手帳とって障害者雇用枠を目指してみてもいいかもしれません。話してみた感じあなたは真面目です。だけどミスや紛失やタスク管理の困難があるのは発達障害の可能性が高いです。と言われて半信半疑でADHD症状を抑える薬をもらったら、夜どれだけ寝ても治らなかった昼間の猛烈な睡魔がなくなった。あと、衝動的に外食することがなくなった。副作用についても話は聞いて身構えていたけど今のところベネフィットしかでてないみたい。
ただ、話では思考がクリアになると聞いていたのに相変わらず脳内で音楽が流れ続けて集中できなかったりする。
ずっとアスペルガーだと思ってたけどADHDだったらしい。もしくはASDとの境界にいるのかも。注意欠陥と衝動性に心当たりはあるけど他動はないから違うと思っていた。
以前の投稿にコメントしてくれた人ありがとう、その通りだったみたいです。そうだったらいいのにと希望でした。言われたように手帳に予定と結果と思ったことできるだけメモするようにしてます。すっぽぬけがましになったと思いたい。
俺からすると電車通勤/通学する限り男女とわず無関係な人って厳密にはいないと思うよ
いつ痴漢に遭うかもしれないし、痴女に遭うかもしれないし、痴漢冤罪ふっかけられるかもしれないしな
もしかして増田って男子校だったり女のきょうだいいなかったりする?
うちは姉と妹いたからスカートにぶっかけられたりセーラー服の胸のとこ切られたりとかあったし
共学だからときどきクラスの女子が痴漢に遭って遅刻して来たりしたの見て知ってるだけだけど
痴漢は実際かなりの頻度でやらかしてるし痴漢から逃げられる車両は必要だろうなと思ってる
増田はそれが不公平だって話だから、さしあたって公平にするためには鉄道会社にかけあって
男性専用車両も同数作らせるってのが現実的だし男の方にもベネフィットあるから言ってみた
★前提条件★
•小中学校にエアコンは導入すべき.30度を超える環境でどうして子どもをエアコンなしの環境で学ばせるのか?日本は教育環境に投資をぜずに利回りがマイナスで住民サービスの向上に寄与しない箱モノばかり作ってきた.インフラ投資の優先順位がおかしい.
•公立小中学校は管轄が自治体であるため,基本的には市長村が環境整備を担う.学校にエアコンを設置する際には,いくつかの条件を満たすと,国から3分の1の補助金が出るが(学校施設環境改善交付金),残りは自治体が負担する.
•学校や子どもにエアコンなんて贅沢だと考えている人(主に高齢者)は一定数いる.だがそれを老害だ!などと指摘しても何の意味もない.自身の時代に手に入れなかったベネフィットを,後の世代や他社が得ることに抵抗感を示すのは仕方がないことではある.だから丁寧な説明とコストパフォーマンスが重要であると考える.
•大多数の日本人(中流階級)の所得が増えない現実を前に,将来に希望を描くこともできず,日々の家計が苦しい中で,他者が税金で得をすることに嫌悪感を抱くのだろう(日本人の所得が20年減り続けるという絶望的な構造欠陥なので本稿では指摘しない).
• 職員室にエアコンがあることをヒステリックに否定的に叫ぶ人々がいるけれども,学校の先生はエアコンのない教室で授業をしている時間が長いわけで,教員の勤務環境が劣悪であるという現実は共通認識として持つべき.つまり,職員室にエアコンがついているので,先生だけ涼しい環境にあるというのは完全な勘違い.中学校の部活が問題になっているが,不要不急な報告書やアンケートの対応など,教師の労働環境は劣悪.だから志望者も激減している.
•決められた業務(ルーチンワーク)をきっちりこなすことに関しては行政や公務員は優秀であるが,経済合理性や費用対効果の視点や意識は皆無である.だから,良い製品やサービスを導入しようというインセンティブは働き難い.
•公務員や学校の先生のひとりひとりは基本的には真面目であるが,合成の誤謬で組織になると絶望的なほどに無能力になる.なぜか? 公務員組織は基本的に完全年功序列制であり,モチベーションとインセンティブの設計が機能不全を起こしている.働いても働かなくても報酬(待遇)は変わらない中では,楽をすることばかり考える.外注することが仕事になり,知識もノウハウもストックされない.成果を出しても評価されない世界で頑張るのは難しい.この国の行政機構は旧ソ連の社会主義の失敗からあまり学んでいない.
★問題点★
•行政は苦情(クレーム)に対して敏感であり,公正性を重視しない割には公平性や平等を重んじる傾向があるため,公立小中学校にエアコンを導入する際には市内全校に一斉に導入するのが一般的である.10万人弱の自治体で中学校で5校前後,小学校で10校前後の大規模工事となる.規模と納期の要求による工費増を考慮することはない.
•どれくらい行政や自治体にスピード感がないのか?公立学校にエアコン(空調)を導入するためには一般的に2年~3年かかり,次の進行となる.エアコンを導入するのに調査や設置の手法の検討が必要らしい.仕様を確認したり,メーカーや業者に最適な設計を提案させればわかることをカネと時間をかけて調査する.生産性の観点がないのだ.
•行政には経済合理性や費用対効果の視点や意識はない.だから,自治体が学校にエアコンを導入すると1台200万~300万円以上になる.信じられないことに1教室(1台当たり)300万円以上もの費用をかけてエアコンを導入している.オーバースペックで必要以上の大規模工事を実施して,結果ランニング費用も膨らむ.
•他人の財布で他人のためにカネを使うときに人はもっとも無責任になる.これは構造的欠陥なので別の機会に記すこととして,学校へのエアコン導入に限らず行政が事業を実施する際に考えることは,手間やトラブルを避けることである.前例踏襲(他の導入事例に倣う)ことを何よりも優先し,面倒なことは避けたいという意識が根強い.
•コストパフォーマンスの視点は欠片もなく,業者に楽に発注することを考える.丸投げ外注できてトラブルがなければ価格が高くても関係ないのだ.そして業者側も官公庁(公共機関)の仕事は稼げる,儲けられる,つまり利益率の高い製品や必要以上の稼働費用を請求できることを知っていて味を占めているため,安値の提案(利益率の低い受注)をすることはない(時に談合や癒着が起きる).
• 建築年数が30年以上の小中学校では,そもそも教室の断熱や空調効率が悪いので,エアコン導入時には遮熱対策を実施するのが合理的であるが,合理性の観点はないため,エアコン工事だけ導入して,冷気を外に垂れ流す事態となり,結果,光熱費(ガス代・電気代)が過剰になる.全体を見てどうすれば省エネで運用できるかを考えることもない.なぜなら自分の家の光熱費ではなく税金で払われるカネだから節約するインセンティブが働かないのだ.
★導入案★
•小中学校のエアコン設置に基本設計など必要ない(空調設備工事設計委託は無駄である).工業製品を各教室に導入するのに基本設計が必要か? 電源の問題は別途電線を引くことで解決できると考える.
•一刻も早いエアコン導入のために各学校・各教室ごとに導入計画を立てるべき.日本の悪しき平等文化.
•簡易な仕様書を各社に提示して,公募型プロポーザルを併用した競争入札を導入するのが望ましい.つまりXX室の教室(例えば100台)導入するから提案をして欲しいと依頼する.仕様を満たして一番安い価格で入札した事業者と契約する.その際に提案稼働(提案費用)を払う,提案契約と施行契約を分ける,これを怠ると癒着や割高な契約が発生する温床になる.
•仕様書を複雑にして,指名競争入札するのは最低の選定方式.にもかかわらず,ほとんどの自治体が形だけの指名競争入札をする.仕様書に入れ知恵するのも業者だから質が悪い.競争入札するなら一般競争入札とすべき.繰り返すがエアコン導入に複雑な仕様書は百害あって一利なし.仕様書を書いた業者が指名競争入札に参加するってプロレスか? 見せかけの公平性のためにいらぬ稼働をかけて実際は意中の業者と契約するのは本当に汚い手法だと思う.設計と施工は必ずしも分ける必要はないが,一括りが前提条件になってはならない.
•物品(エアコン本体)調達と,施工(エアコン設置工事)を分けるのもありだろう.各社が自社製品のエアコンの良さをPRできる.工事業者もどれだけ効率的に施工できるか腕の見せ所であろう.
•Panasonicや日立,三菱電機,ダイキン,富士通ゼネラルなど大手メーカーだけでなく,ハイアールなども価格競争力があるので声をかける.
•導入工事は地元業者を下請けに活用することを要望しつつ,ヤマダ電機やヨドバシカメラなどの家電量販店も活用できるのではないか?
•完成検査(施主検査)を分けるのも一考.施工業者に完成図書を提出させる必要性は必ずしもないし,第三者の視点でチェックするのが有用ではないか? そもそも公務員にチェックを任せるのは難しい.
•個人的には学校のエアコンは,天井埋め込み型のエアコンやセパレート型のエアコンではなく,ウィンドウ型エアコン(室外機と一体型エアコン)が合理的ではないか? と考える.教室は窓に面している場合がほとんどであり,費用対効果が高い.PanasonicのCUBEのような製品 は費用対効果が高いのではないか?
•2018年補正予算を計上して,2018年年度の冬休みや春休みに順次導入すべき.行政のスピード感のなさと危機意識のなさは絶望的.
•地方債をもっと柔軟に発行できると良い.学校環境整備債権を発行して利回り1%にすれば購入者に困らないのではないか? 富裕層のカネはタブついているんだから.年利1%でも買い手はつく.地方債の引き受け手がなくなった時点でその自治体は破たんしているに等しいから,指標にもなる.必要な公共事業は国債(地方債)でやるべき.
•ゼロかイチかの議論は本当に無駄で,イチに近づくように限られた予算の中で最大のアウトプットを目指すべきなのに,自治体の現場では生産性のある議論はほとんどない.意思決定過程ばかりを指摘して,政策形成を良きものにする議論ができないのは日本の教育の欠陥なのか,組織的欠陥なのか.学級委員会よりも酷いレベルの民主主義で日本の行政の現場はまわっている.
技術はあって当たり前→勉強しとけよで済ますべきで、その上で生き残るには調整能力とか説明能力のほうが大事なんだから、そっちを伸ばすなり埋め合わせるなりすべきなのに、やってないプログラマが多いのは何故?
「俺の現場の周りのプログラマは~」とか知らん。もっと一般的な話。
実際、無資格であっても調整能力があるプログラマは現場で非常に重宝されるし。
更に「この変更や実装がどれだけのコストに対してどれくらいベネフィットがあるか」という説明ができれば言うこと無い。
でも実際は「なんでこの見積もりこんな高いの?」程度のツッコみで「えーあーうー」になって、挙げ句不機嫌になる奴が多くて話にならない。
これだと、開発経験無い上司の下ではまともに働けないってことじゃん。
悔しかったら、上司は最初と最後だけ関われば全てうまくいくように仕事回してみろよ、てかそういう仕事取ってこいよって話だろ?
そこまでやれて初めて「あの上司役に立たねー」となって「今日からお前が上司だ」ってなるんだから。
プログラマまじ使えねー。
https://anond.hatelabo.jp/20180211143402
どうでもいい事で時間をつぶして休養すべきだ。
と、脳が判断したのだから、君は黙ってそれに従っていればいい。
まるで凄腕経営者のように、損益を判断し優先順位を決定していく。
取得することでどのようなベネフィットが得られるのだろうか?
給料が5千円アップしたり
「増田君すごいね!」と周りから褒められて少し良い気持ちになったりするのだろうか。
分からないが、少なくとも君の脳は、疲れた君の心身を癒すこの貴重な時間を
何十時間・何百時間も奪ってまですることではない、と判断したのだ。
そしてその判断はおそらく正しい。
> 脳は必ず楽な方向に逃げ場を見つける
どうも勘違いしてる人が多いのだが、これは何も悪いことではない。
人が使えるエネルギーには限界があり、脳はその限界を超えないようにしているだけだ。
休みの日は部屋の掃除どころか、好きな趣味を楽しむ気力も沸かなかった。
「ちゃんと睡眠は7時間取っているのに、なぜこんなに体が動かないのだろう」と当時の自分は思っていたが
なんのことはない、平日に使ったエネルギーが限界を超えていただけの話だ。
『有意義な休日』を過ごしていたら、自分はきっと鬱になっていただろう。
どうでもいい事で時間をつぶす。
正々堂々とどうでもいい事をするが良い!
そして当たり前だが、使えるエネルギーの限界値は人によって違う。
前々から思ってるのだけど、本当にリスクに対してベネフィットが釣り合わないのかな?今やめるべきなのかな?
自動車だって(最近こそいろいろと安全になってるみたいだけど)、
一つ一つの被害が小さいだけで毎日どこかで事故が起こって人的・物的損害があるけど、手軽に速く移動できるというメリットがあるから使っているわけで。
原発だって一応二酸化炭素だって出さないわけだし、廃棄物に関しても今頑張って超ウラン元素とかを加速器をつかって半減期が短い元素に変えようとする研究があったりする。
表現は悪いが、人類の進歩の歴史は常に犠牲を伴って安全になってきたという面があるから(自動車然り)、
事故が起こるのは当然で、そこへの補償はもちろんだがそこを乗り越えることで安全性は高まるのだろう。
教えて。
1.プロローグ
今日、私の財産の一部について久しぶりに確認を行ったところ、とんでもないことが起こっていたので紹介したい。
事の発端は8年前の入社の時に遡る。当時、就職難ではあったが何とか今の会社に入り、将来のためにと思い毎月10万円ほどずつ頑張って貯めていった。1年7ヶ月かけてやっとの思いで貯めた200万円を2010年11月にゆうちょ銀行の定額貯金に預けた。
これには訳があり、当時利率がだんだん低くなっていたのと、親父が『今使わない金は定額にでも預けておいた方がいいぞ。』とよく言っていたので、それを真に受けてしまったためである。
2.起死回生の策
1年後の2011年11月に一大決心をした。
まず、前年に預けた200万円を全額解約したのだ。3年以上預ければ、年0.05%の利息が付くが、1年で解約したので利率は0.04%となり、利息は手取りで640円であった。これでも、現在の定額貯金の金利に比べれば4倍にもなるのかもしれないが、親父のころとは比べものにならないほど少なかった。
親父は就職して6年ほどかけて200万円貯め、郵便局で定額貯金をしたといっていたが、当時の金利は年8%の半年複利で、さらにマル優とやらで税金は全くかからず、10年後の満期日には438万円以上受け取ったとのことであり、要するに200万円を預けて238万円の利息を受け取ったらしい。
今現在、定額貯金に預けるとすると、年利率は0.01%であり、200万円を10年預けたとしても、税引き後の手取りの利息は1,600円にも満たないことになる。生まれた時代によってこんなに違うなんてやってられへんな〜。
話を戻して、当時私は、利息がこんなに少ないのなら別の運用をやればいいのではないか、株式なら配当や株主優待があるものもあり楽しみも増え預貯金よりもずっとお得なのではないかと思い、一世一代の大決心をし、解約した200万円をすべて株式に投資しようと考えたのです。
購入したのは、近所に店があったり、配当が良かったり、優待が良さそうだったものをピックアップし、ハイデイ日高とクリエイトレストランツを500株ずつ、神戸物産を100株、ペッパーフードサービスとベネフィットワンを10株ずつ購入し、5社で手数料込みで194万円弱支払った。
当時ハイデイ日高は、年に1万円分の日高屋の優待食事券がもらえた。また、ペッパーフードサービスは年に1万5千円分のペッパーランチの優待食事券がもらえ、当時は500円ランチをよく食べたものだ。
さらに、ベネフィットワンは、ホテルが1500円で泊まれたり、食事の割引きがあったりして非常に重宝している。これらの優待があるだけでも定額貯金の利息に比べはるかにうまみがあり良かったとぐらいに当時は思っていた。
株式を購入してちょうど70ヶ月(6年弱)になるが、今日その分析を行ったところ、とんでもないことに・・・・・。
まず、現在年間10万1千円の優待食事券や商品券をもらっており、これだけで投資額の5%以上になる。さらに、ベネフィットステーションでホテルが安く泊まれたり、多くの特典を受けている。これらだけでも銀行の預貯金の利息とは雲泥の差である。
つぎに、今期の年間配当は、税引き後の手取りベースで21万円以上となり、1年間で11%以上の利息を受け取っていることになる。これは、親父が定額貯金をしていたときの年8%よりもさらに多い運用となっている。すでに受け取った税引き後の配当は全部で73万円を超えており、投資額の3分の1以上が配当金として戻ってきた格好である。
最後に、評価額であるが、その前に株数であるが、株式分割が行われたことにより、ハイデイ日高は500株が1,243株になった。同様に、クリエイトレストランツは500株が4,500株に、神戸物産は100株が400株に、ペッパーフードサービスは10株が6,000株に、ベネフィットワンは10株が2,000株になっている。
今日現在の評価額は5社分の合計で44,424,260円であり、たとえばこれらすべてを今日の終値で売っていたとすると、売上手数料と税金を支払った後の手取りで3,578万円余りとなり、投資額を引いた純利益額が3,384万円余りとなる。これに、今までに得た配当金を加え投資期間の70ヶ月で割ると、200万円を預けたときからずっと元本とは別に毎月49万円以上の現金をもらっていたのと同じことになる。これは、私の税引き後の月給の3倍ほどであり、もしこのような状況が今後も続くのなら、仕事を辞めて株式で運用しながら遊んで暮らすことも夢ではないように思える。(今のところ仕事を辞める気はないが。)
別の見方をすると、ハイデイ日高の半端な243株と神戸物産の200株だけを売却した場合、その手取り収入と今までの配当金を合わせた合計金額は220万円余りとなり、当初投資した194万円弱は年利約2.4%の利息付きで回収できたことになり、それとは別に4,262万円余りの株式が財産として残り、また、それらから今までと全く同じ株主優待が受けられることになる。
これって、もしかすると昔あったとよく言われている『バブル』じゃねぇ。給料も上がってきたしバブルはすでに来てるんじゃねぇ。
でも待てよ。物価はそれほど上がってないし、超低金利だし、要するに企業が余剰金をため込み、また、日銀が量的金融緩和政策で株等を多量に買い込んだことによるアベノミクスマジックなのか?。もしそうなら、日銀が放出するときに、株価の大暴落が起こることも考えられるのか?。ならば、仮想現実的な現状から脱却するために、株をすべて売却しておいた方が良いのだろうか?
6年ほど前に定額貯金を解約し株式を購入していなかったなら、このような検討は全く必要なかったし、その方がある意味幸せだったのかもしれないが。
コツコツ働いてお金を貯めるだけでは老後の年金生活は苦しいようだし、今のうちに資産を増やしておいて、退職後にそれを活用してより快適な生活をするのが一番現実的なのだろうか?
最初から精神科ダメ!抗うつ薬ダメ!って決めつけないで、まずは専門家に相談し、リスクとベネフィットを十分に検討したうえで今後の治療について考えてみてはいかがでしょうか。
(p.14〜15)
母体が抗うつ薬を内服しながら母乳を授乳する場合、セルトラリン・パロキセチン・フルボキサミンは母乳移行が比較的少ないとして、それらの使用を推奨する意見もある(Fortinguerra et al, 2009) が、日本では薬剤添付文書に「投与する場合には授 乳を避けさせること」と記載されていることを考慮する。
治療者として留意すべき重要点は、妊娠・授乳中のうつ病とその治療に関して、何がどこまで明らかになっているかを明確にしておくことである(Chaudron, 2013)。その上で、個々の患者・家族の個別性を十分考慮に入れ、治療によるベネフィットとリスクをできるだけ早期から患者とその家族と十分に共有・検討し、 真の shared decision-making(患者・家族と治療者による双方向性の治療方針決定法)にいたるよう努める。
http://www.secretariat.ne.jp/jsmd/mood_disorder/img/160731.pdf
治療というのはなんでもベネフィットとリスクがあって、そのふたつを天秤にかけて「どちらがマシか?」を考える。
ていうか副作用の大きな治療法はふつう副作用対策を考えることもセットになってる。そんなの調べればすぐに分かるはず。
ロキソニンとムコスタ同時処方しかり、ステロイド内服療法にだって胃薬やビスフォスホネート製剤が同時に処方される。
閉経まで毎月子宮がねじれるほど痛くて泣きたい状態を耐えるか2000円払ってピルで症状を和らげるかGnRHアゴニストで擬閉経状態を作り出し月経自体を止めるか、どれが一番マシかを真剣に考えたら?
こういう自分の女々しいところが嫌になる。
ここ最近、頼むよりも頼まれることばかりが多い気がして、実際は同じ社会に生きているんだから自分だって同じぐらい誰かに何かを依頼しているはずなのに、「〇〇から頼まれたあれを」「△△から頼まれたこれを」「××から頼まれたそっちを」で、自分が分配できるリソースの大半が費やされているような錯覚を覚える。
引き受けたのは自分だし、なんらかのベネフィットがあってそれを引き受けているのだし、しかもそのベネフィットの中には「楽しい」さえも含まれているのに、今はただただ余裕がないから「なんで私ばっかり頼まれるんだよ」と自暴自棄な気持ちになってしまうのだろう。
これから〇〇に頼まれているあれを進めつつ、△△に頼まれたこれの準備をし、××から頼まれたそっちの段取りをするのだ。明日は□□に頼まれたなんやかやでほぼ1日が潰れる。夜には〇〇に頼まれているあれを終わらせないといけない。月曜には△△に頼まれていることのために何件かはしごして、そのあとに●●に頼まれているあっちを……
それでもこぼれていく依頼がある。私は失敗しているんだろうか。毎日楽しくやっているけれど、余裕がなくなると、途端につらくなってしまう。せめて美味しいものを食べたい。でも▲▲が「ダイエットして下さい」と依頼してきている。
ただ今は山場なだけで、乗り切れれば気も落ち着くはず。あと少し。あー、早くお休みほしいです。
…と。私は「ちゃんと自分のことばで人にわかるように」書いた。あれで分からないなら説明する。
「生きている人のための葬式」というのは当然前提。だが、生きている人の中にも死者の一部は含まれている。死んだからといってたとえば遺産がゼロにならないのと同じで、形あるものも形のないものもその人が現世に残したものは当然「ある」。父親が死んだからといって元増田やその母を「あの人の娘や妻」と思う人はいきなりゼロにはならないし、それらの人の中に残るその人に対する思いもあるのだ。そして、それらはあくまで「他人の思い」であり遺族の所有物ではない。たとえ思い出一つであっても、それは他人の財産とも言える。それに泥をぶっかけるように台無しにしたら、そりゃ少しくらい腹を立てられても当然だ。
人というのは、たとえば一軒の店のようなものだ。顔があり関係があり、そこにつながる様々な利益があり、そこにつながる思いがある。常連客がいて、地域においてもその店があることには様々なベネフィットがある。もちろん、一軒の店には当然オーナーがいて、店を開けるも閉めるもオーナーの勝手だが、それでもそこに関係する様々な人はいろいろな思いを抱く。だから、閉店するとなれば告知をするし、「閉めるなら最後に思い出に」とか、その店が閉まるなら一度だけきておこうとか、なごりを惜しんで写真を撮ったりもするだろう。常連客が集まって最後に思い出を語りたいかもしれない。オーナーやその親族が、そういういわば店の「葬式」的営業をせず、いきなり「閉店」の紙切れ一枚貼って電話で連絡も取れないようにして夜逃げ同然に店をたたんだら、そりゃいろいろ言う人も出てくるだろうし中には気分を害する人もいるだろう。オーナーが「そんなの知ったことじゃないです」と思うのも勝手なら、気分を害するのも他人の勝手だ。勝手と勝手で社会的にマイナスが発生するなら、そうならないように利便を図るのも知恵だ。まして今後も社会の中で人との関係を続ける意志があるオーナーなら、普通そういうことはしない。そういうことだ。
というわけで要約産業。
客「紙切れ一枚で閉店とか、長く続いた店のカンバンに最後に泥塗るようなことしなくてもなあ…」