はてなキーワード: ファストフードとは
娘に愛情を抱えつつ殺害したかのような報道だが、実はそうでない説がある。
https://news.yahoo.co.jp/articles/d14dc3a4ae208d852841e604706cb8d7a0afdf24
貧乏で外食など一切できないような苦しい生活をしている印象になるが、そうではない。
そんな自然派に染まった価値観にとって、最悪の行為とは自然でない食品を与えることだ。
俺も自然食品派の毒親育ちなので、この母親の考えが理解できてしまうのが恐ろしい。この母親は子供たちの笑顔を最後に見たかったのではなく、子供たちと決別するために、自分のオーガニック価値観において最も残酷な仕打ちとして、マックのパンケーキを食べさせた。そこに愛なんてない。ただの虐待だ。
ヴィーガンにとって最悪の食の虐待な何かと言われれば肉食なように、自然派にとっての非自然食品は大敵だ。
娘たちに見切りをつけて殺す前の最後の儀式として非自然物を与える虐待を行い殺害する。
おかしな価値観に準じたものだと考えるとごく自然な行為だろう。
警察も理解度が低いので取り調べで「最後にファストフードを食べさせました…」に合ったストーリーを作ってしまったんだろうか。
いつも混んでてゆっくりできないんだが
調度よいところない?
タリーズとかスタバじゃなくて、席同士の間に余裕があったり店の雰囲気がファストフード的じゃなかったりで、落ち着けるところを探しているってことだよね。
ttps://maps.app.goo.gl/S8ZC1qmKLC8fbCR8A
UNI COFFEE はジョイナスにもあるけど、こっちは五番街のドンキの通りを抜けた岡野の交差点の方。
寒くない季節ならテイクアウトしてすぐ裏の岡野公園で過ごすのもおすすめ。
PERCH
ttps://maps.app.goo.gl/bo7DwPYg5CXHcnjW9
僕はよく前述の UNI COFFEE を覗いてみて、無理だったらその足でこっちに流れるという道順を辿っている。
roku cafe
ttps://maps.app.goo.gl/LEfgXkou6Yq9zziz9
横浜駅から徒歩7分 / 11:30~21:00(土日 ~22:00)
駅から少し離れていて穴場的だけど、それでもランチタイムはめっちゃ混んでる。
北幸エリアで時間を潰すときはここを狙って行って、満席だったらイアスのそばの上島珈琲を覗いて、そこも無理だったらルノアールに流れる。
GRASSROOTS
ttps://maps.app.goo.gl/zuywSDDD4rdFAXC89
鶴屋町で夕方以降だったらここが一番いい。ダイニングバーだけどカフェ利用でも歓迎してくれる。
喫煙可だけど、天井が広いので非喫煙者でも気にならない。地下だからキャリアによっては電波が入りづらいけど、スタッフに言えばWiFiを教えてもらえる。
えんどう豆
ttps://maps.app.goo.gl/iyhfnrRcuzAD99C19
横浜駅から徒歩5分 / 8:00~19:00(月 13:00~、日 〜18:00)
鶴屋町エリアで GRASSROOTS が空いていなかったらそのまま奥に進んでこちらに。
カウンターに案内されると窮屈だけど、テーブル席が空いていれば◎
ttps://maps.app.goo.gl/Pb1PLcG2yUWND3yB8
東口側だと商業施設内以外の店舗はないと思う。ここもオフィスビルの中なんだけど、席数が多くて比較的空いている。土日休みなのと閉店が早いのが残念。
ただ金港町を抜けるならベイクォーター内のカフェにワンチャンかけたほうがいい説はある。
備考 :
(追記)元増田のトラバでネカフェに関する言及があるけど、横浜駅周辺のネカフェだったら西口のパルナード通り(ドンキのある通り)にある「俺の部屋」っていうところがおすすめ。完全個室で落ち着ける。
この度、節を曲げてNovelAI(以下NAIと呼称する)のサブスクを契約してしまった。
筆者はバチコリの生成AIユーザーであるが、あまり特定のサービスプラットフォームに依存することをよしとはしていない。
いつ何時ユーザーに不利な形で仕様の変更が行われるかわからないし、サービスが終了してしまえば利用の術は失われてしまう。
よって、NAIと契約するのは正直に言えば業腹である。この円安の時代、何が悲しくてわざわざドル決済の外国サービスなどサブスクして国富を流出させなければならないのか。
しかし悲しいかな、現状満足度はとんでもなく高いのである。以下、その理由について分析していきたい。
なお、本稿では生成AIに関わる法的、倫理的議論は行わないものとする。一消費者としての意見を述べるうえでは、あまりにも意見が取っ散らかりすぎるからである。
言うまでもないことだが、skebにせよ他の手段にせよ、イラストを依頼するということはその向こうには人間がいる。
生身の人間相手に自分のえげつない性癖をさらけ出すというのは、かなりハードルが高く業の深い所業ではないだろうか。
性的欲求というのは三大欲求の中でもっとも表沙汰にしにくいものである。
見も知らぬ相手であろうと望むところを赤裸々に語るのは憚られるし、知っている相手に対してはなおさらそうである。
別に健康な成年男女が互いに好き合ってイチャラブおせっせしてるだけなら大したことはないのだが、残念ながら欲望渦巻く快楽の園こと現代日本に生れ落ちてしまった我々はそうはいかない。
性癖は枝分かれし細分化してヘンテコな方向にひねくれねじ曲がってしまっている。浮気NTR快楽堕ち程度ならかわいいものだ。
平たい胸族にスイカサイズの乳をぶら下げさせ、原作のキャラを無視して脈絡なく尻軽ビッチギャル化させる。
下手をすると(生命の有無を含めて)人間でなくなる。ゾンビ化とかキョンシー化ぐらいであれば人間の形を保っているからまだいいだろう。
筆者は大体何でもいける口であるが、ただ蟲化だけはどうにもいけない。好きな人がいるというのはわかるので否定するつもりはないが、ただ個人的にはどうにもあれでは致しかねる。
なんにせよ冒涜的ではあるが、それで興奮するというのはわかってしまうのでどうしようもない。中にはそのキャラである必要は果たしてあるのか?くらいの物もあるのだが、何と仰る兎さん。そのキャラでなければ駄目なのだ。
たれさえ旨ければ別にかば焼きにするのは鰻でなくてもよさそうなものだが、鰻のかば焼きだと思うからこそ旨いという一面は間違いなくあるのである。
閑話休題。ともあれ、人間相手に依頼をする場合にはどうしても一定のブレーキが意識的にであれ無意識的にであれかかってしまう可能性がある。
というかそもそも、人間相手に一定の節度と形式を保った文章を書くのは疲れる。相手の気分を害さないようにしなければと考えただけでキーを叩く指がおぼつかなくなる。
他方で、NAIに画像を出力させようとしてプロンプトを打ち込むにあたっては、そこに遠慮を差し挟む余地はない。
ただただ己の欲望に忠実に思い付く限りのリビドーを込めて単語を羅列すればよいのである。
別にNAIは内容を考えて画像を生成する訳ではないのでヘンテコな画像になることも多々あるが、少なくともそこには遠慮も忖度もない。互いの本音と本音のぶつかり合いである(NAIに意識はないので本音も何もないが)。
あとはNAIがいい感じの画像を出してくれるようにプロンプトを調整していけばいい。
「大和国はそんな事しねぇ~~~...!!」というシチュエーションの時ほどこれは効く。
上等の料理にマヨネーズと醤油をぶっかけて旨い旨いと言っているようなものなのでそのキャラが好きな人に依頼するのは憚られるし、かといってミリしらな人に話を持っていくのも完成度という点で不安がある、というような場合にNAIはうってつけなのである。
なんといってもNAIは絵が出てくるのが早い。確かSDXLベースのモデルだったと思うが、1024×1024のサイズで生成にかかる時間というのは10秒程度だろうか。
ローカル環境ならもっと短い時間で作れるという話はあるだろうが、ベッドの上でスマホぽちぽちするだけでいいという点ではNAIにアドがあるといっていいだろう。
人間相手とはもう比較すべくもない。下手をすれば既存の絵をPixivやらで探すよりよほど手間がかからない。
息子はシコりたくなったときがシコり時である、という事実を考えた時、プロンプトさえあれば見たいものをそれなりに再現した画像がほぼ即時に作れるというのは実に実用的であると言わざるを得ない。
早さという点では特にこれ以上言うべきことはないため、早々に次の項目へ移りたい。
現在筆者がサブスクしているのはOpusプランである。これはNAIのプランの内では最も高額であり、月額25ドルかかる。ぶっちゃけサブスクとしては安くない。
例えば動画配信サイトのU-NEXTは月額2,189円(税込)であり、電子書籍の読み放題を提供しているAmazonのKindle Unlimitedは月額980円(税込)である。
月に4000円弱(筆者決済時点の実績値による)というのは明らかに高い。
……が、こうしたサブスクとNAIとではサービスの種類が異なる。動画配信や電子書籍の読み放題というのは、つまるところ既存のコンテンツの中から自分が観たり読んだりしたいものを探して、(運よく)それがあったら楽しむ、というタイプのサービスである。
楽しめそうなものがなければそれまでだし、探すにも時間はかかる。
キンリミの場合は複数冊あるシリーズのうち最初の1巻、もしくは数巻だけ無料で続きが気になったところであとは購入してね♡というものも多い。
最初の1巻だけが無料ならまだいい方で下手すると最後の1巻だけ有料という場合もある。起承転まで読ませて結は単品で買えということであり、そうすると最後の1巻だけ買っておいてもしょうがないので他の巻も結局揃えることになる(ずっと借りっぱなしにしておいてもいいのだがそうするとその分だけ読み放題で借りられる枠が埋まることになる)。まったくもって商売上手だ。これだからビッグテックは恐ろしい。
いや、キンリミの商業戦略の話はこの際どうでもいい。要はこうしたコンテンツ提供型のサブスクにおいては契約者は受け身の立場だということを言いたいのである。
ちなみにFANBOXなどもこうした受け身型のサブスクと言ってよいのではないかと思う。クリエイターの創作活動を応援云々とは言い条、実態としてはどう考えてもイラスト等のコンテンツを見たいがために支援ボタンを押している人が大多数ではなかろうか。
それに対し、NAIは契約者自らがコンテンツを作り出す立場である。実際に作っているのはNAIだが、どういうコンテンツを作り出すか、指示するのは契約者である。結果として、提供されるコンテンツは常に契約者が見たいもの、もしくは少なくともその方向性に沿おうとしたものということになる。
更に、Opusプランの場合一定の大きさ以下の画像については作り放題、つまり生成に必要なポイントであるAnlasを消費しない。本プランでは一か月につき10000Anlasが付与されるが、ぶっちゃけ使わなくても十分実用性のある画像は作れる。普通サイズ(1024×1024の正方形を基本として、832×1216の縦長や横長を含む)のAnlas消費量が確か20だったと思うので、500枚作れば元は取れる計算である。500枚も作らないだろ!と思うかもしれないが、このくらいはすぐに消費してしまう。ちなみに本プランで付与されるAnlasには一か月の使用期限があるので、ラストエリクサー症候群に陥らないよう余裕を持って消費するようにしておきたい。
さて、25ドル……日本円換算で4000円としよう。4000円を500枚で割ると、1枚あたりの金額はいくらになるだろうか。そう、8円である。1枚あたり8円である。安い。今調べたところ緑豆もやし200gのパックが19円(税込8%)だったが、それよりも半額以上安い。某もやしパーティーアイドルも納得の価格であろう。こんな低価格でオカズを賄えて家計も大助かりである。
まあ上記はあくまでも計算上の話であって25ドルの支出は25ドルの支出なのだが、リターンを考えればそれだけの意味のあるサブスクということにはなるだろうと思う。パッケージングされたサービスではなく利用コンテンツに対する金額ということで考えればこれほど費用対効果の高い課金はそうはない。
AIによる画像生成サービスを提供しているプラットフォームはNAIに限られない。国内でもAIのべりすと(本来は小説執筆がメインというところでNAIと似ている)が有名どころだし、筆者は使ったことはないがPixAIやそれ以外にもなんかいろいろとサービスは存在する。CivitAIでも生成は出来る。
が、こと既存キャラの二次創作という点ではNAIを超えるものは現状ないのではないだろうか。よくも悪くも他のサービスを使う場合には一定の習熟が要求されるが、NAI、特に現状の最新モデルであるv3は概ね直感的な生成が可能である。キャラ名と登場作品名、シチュエーションあたりをぽちぽち入れて生成ボタンを押せばそれでいい。不要な要素が出てきたらそこで初めてネガティブプロンプトを使用するくらいであろうか。逐一LoRAを作ったり探したり適用したりせずともいいのは実に強い。なんだったらいい感じの画像が見つからないキャラはNAIで作った画像でLoRAを作ったらいいんじゃないかと思えるくらいにはいい雰囲気の画像が出る。
無論、画像生成AI、もしくはSD系の現時点での宿命として、あくまでも出てくるのは「それっぽい」キャラの画像に過ぎない。例えばニニンがシノブ伝のシノブの画像を生成しようとすると、シノブの鉢巻きの顔マークがなんかよく分からない点が4つくらいある黄色の丸になってたりする。人間、特に熱心なファンや「神絵師」による二次創作には及ぶべくもない。しかしそんなことはどうでもいいのである。シノブの二次創作なんぞ今日日誰がどれだけ描いてくれるというのか。最近PixivでもTwitterでも流れてくる絵と言えばVTuberかブルアカか、ぐらいの感じである。なんか一時期飽きるほど見たアズレンの絵も最近はさっぱり見ない気がする。単に筆者のTL構築のせいかもしれないが。
いや、別にそれが悪いというつもりはない。みんな好きなものを好きなように描けばよいのである。ただ、筆者のように最近の流行に今一つ乗れておらず、さりとてSkebでわざわざ依頼したり自分で描いたりするには熱量も根気も足りないというような者にとって、NAIv3は確かに一服の清涼剤であり、また福音である。ギャルのパンティーよりもドロワーズが好きな者は間違いなくいるのだ。
つらつらと駄文を書き連ねてきたが、つまるところ、NAIというのはファストフード、もしくはジャンクフードなのだ。早くて安くて、それなりのクオリティのオカズが出てくる。スマホ程度の画面で見るなら画質も十分である。多少瞳がぐちゃってようが服と髪が癒着してようがどうせシコるときに見てるのはちちしりふとももと全体の雰囲気くらいのものである。なんならよく出てくるセリフとか擬音っぽいなにかですらシコリティを高めてくれる。つくづく人間の業は深い。
息子は正直である。実用に足る、自分の性癖に正直な絵をいくらでも出せるとなれば4000円弱の月額課金などはした金に過ぎない。
ケトションのコピペ見てから自分ち以外の電気ケトルを使えない。別に菌がどうのという事もないだろうし、単なる気持ちの問題なんだけど。
そんな事する奴もそうそういないだろうとは思いつつ、「かもしれない」が無限に増大して穏やかな気持ちでいられない。パノプティコン的というかパラノイアというか。
テロ行為の本質は直接的な危害もさることながら、公共空間が安全であるという意識を揺るがせる点にあるという話を聞いたことがある。今まではそんな事意識してなかったけど、あんな事があったから今後ももしかしたら……っていう。醤油差しペロペロとかも比喩ではなくテロそのものだよなって思う。あれは万が一の実害に警戒するというよりは、「かもしれない」の不快感を植え付けられる程度のものだけど。
まあそんな事言い出せば電気ケトルだけじゃなくてコンビニ弁当もファストフードも製造ラインで気がかりな点なんていくらでもあると思う。ネットじゃその手の噂はゴロゴロあるし、研究データみたいなのも出てるんだろうと思う。
でも実際そういうもん食ってて問題あったかって話だし、「かもしれない」に振り回される不合理さは知っているから出来るだけ気にせずにいたい。でも何かの拍子で知ってしまった以上は気にせずにはいられない。
電車の椅子だって染み込んだ吐瀉物が残存してるかもしれないし、ガキが汚い靴で踏みつけた直後かとしれない。それでも立ちっ放しはダルいし座りたいから、世間の良識への適度な信頼と意識的な忘却を以てして「かもしれない」に蓋をする。
妥協出来るラインのボーダーがどこかにあるらしく、電気ケトルは我慢出来ないっぽい。高校の頃、トイレのハンドソープのボトルに尿が詰められる事件があったのがデカい気がする。経験がもたらす実感は理屈を軽く飛び越える。
1. 素手で握ってて不衛生
酢飯だから殺菌されているとか、裏ではどんなレストランも素手で触られてるとかどうでも良い。見ていて不快感を感じることを堂々と目の前でやらないでほしい。
2. 良いネタを切って乗せてるだけでシェフとしての能力がほぼいらない
お前は寿司握りに対して込められたエネルギーを感じ取れないのか?と批判されると思うが、正直わからないし感じ取りたくもない。そんなに自信があるなら、職人歴30-20-10-5年と並べてブラインドテイスティングしてみろよと言いたい。誰もやらないし、やろうともしない。だってわからないから。
3. 謎の文化がたくさんある
素手で手渡ししたり、カウンターの付け台に直接寿司を置いたり非論理的で不衛生な文化を謎に残してる。それ江戸時代に皿洗えないからやってたことじゃないの?
4. 謎の姉弟制がうざい
握らせるまでに何十年も下積みさせることが、論理的に正しいと思っているのがキモい。これは単に寿司職人にはシェフとしてのノウハウはそんなに要らなくて簡単にコピーされてしまう自信のなさの表れ。だから何十年も無駄な下積みをさせてマネされないようにしている。
こういう批判をすると、寿司が大好きなおっさんやおばさんから、お前は本当の寿司を食べたことがないだろと言ってくる。その感じが超うざい。仲良しコミュニティでお金を落とし合って、どんどん世間から離れて廃れてしまえよと思う。寿司は手渡しが1番とか、寿司の順番はどうとか、そういううんちくもウザい。聞きたくもない。
自分からしたら寿司屋は不衛生で特にシェフとしての能力も必要としない、接客能力もそこまで高くない、リラックスして食事を楽しめない、なのに謎に高いお金を払う場所でしかない。
和食やイタリアンやフレンチの料理人はみんなノウハウをYouTubeやレシピ本などで公開して交流もしているのに、寿司職人って出てこないし、交流もしない。すごく閉鎖的だし、出てきたとしても教えることなんて何もないからね。こうやって切って握ります、終わり、そんなもん誰が見たいかって話。あとは簡単にマネされちゃうから怖くて絶対公開しないよね。
寿司の食文化は素晴らしいと思うけど、もともとは江戸時代のファストフードなんだから、悪きところは見直すフットワークの軽さを持ってほしい。訳わからない職人を神格化して祭上げたりするコミュニティもダメだと思う。全体的に自浄作用がなさすぎると思うよ。
どこかいいお店ある?酒飲みだから行ってみたいお店は無限にあるんだけど
加齢とともにお酒を控えるようになってきてどんなお店に行っていいかわからない。
以下の条件に当てはまるようなお店があったら教えてくれ。
牛タンのお店は結構いい感じなんよね。1500円ぐらいで満足度高いご飯食べられる。
焼肉は1人で入れる店が増えてきたのでありだな。
カフェ系はちょっとご飯が弱い。雰囲気は悪くないけど晩御飯には向かない。
こう考えると魚介系で酒を飲まないお店は少ないな。
干物の定食を出すチェーン店みたいなのあったけど最近は見かけないね。
イタリアン、ビストロ系はワイン飲みたくなるし1人で飯食う雰囲気でもない。
1年ほどで20㌔減ったのか
顔パンパンだったのがマシになったというか戻ったというか、これは1日に飲むコーヒーの量をごりっと減らして水と茶を飲むことによりだいぶすっきりしたんじゃなかろうか
あとは美容系のあれこれも平行してやったので単純に体重へらしてだるんだるんではないのがありがたいだいぶすっきりした
それと一番すごいなと思ったのが服のサイズマジ変わるんだな…XLだったのがLでよさげ もうちょい減ったらMでいいのかな
去年の10月に83㌔→11月の終わりが見えて62㌔くらいになったけど体感ずっとデブよりかは確かにむかーしのまだマシだったころに戻った感はある
何で増えたかについては、ごりごりに晩飯フルでファストフード系でもりもり食べていた、アイスも食ってた、在宅化して出前食ってた辺りが一番ピーク
そこからリモワ終了して外でたら肉塊クリーチャーだった自分に自分が一番ドン引きしたんですよね…
でまあ栄養士(笑)に言われるまま食事変化ていうか改善んん?て言われるとうへるので
ていうか40後半に入ってそも食えなくなった 食べてる途中でうえってなる
となるとなんでもかんでも食べたいだけってのができなくなったわけだ
それに伴い油もんやら量あるもんがダメになり自然と高たんぱく低カロリーになるってわけ おやつはいつだって食ってたがな
がりっがりな美容系の人に何食って生きてんすかって聞いたら、豆腐、卵、鶏肉、キノコ類、野菜…とどこの修行僧だ…ってのはあったけど
栄養士曰くそもの大方削れてればドレッシングは好きに食っていい論だったのでそこは楽だった
元々自炊してたし㌍もだいたい脳内のと計算と一致してたから適当に
80↑の時に内蔵筋肉40㌔↑あったのも、そこまで減らしておらず38㌔くらい いい線行ってると思う…
腹ぷよは年にあと数回ずつでいいので脂肪冷却しようかなってところ
80㌔くらいのときはこの肉と一生付き合っていくのか…?とおもってたけど減りましたは
でその服ね、ウエストが何よりずるんと下がり、肉で支えてた布が余ってだるだる
ちゃんとサイズ合ってる服着ろってそういうことなんだなあとまだ着れるのでダメになるまで着るけど
前に着てたけどちょっとキツいなあがジャストではなくほどよく緩みがあるらくちんに
前に着てたゆるめががばゆるずり落ちそう 買い替えか…そういうのもあるんだな
靴もそう、足マジしぼんでサイズオーバーのサンダル無理だになって、他のブーツもせっかく買ったのにいいに厚手の靴下はいたらいけないかな
手指足首手首全体的に人の形に戻ったというかぷっくらふっくらしてたのがスンとしたというか
ある程度ダイエット食は通常食に戻して維持しないとって言われてるけど
別に今の食事で楽だし困ってないし続けてみるけどどうなんだろうね
ちな体調はなかなか悪くないと思いきや生理の波で意識を失うように寝たりなんだり、痛くはないんだよなあ不思議
貧血なのかもしらんね 気圧影響がひどくなりましたな
QOL的な面でいえばよかったと思われるのでもうン十年は生き延びられそう
感情的な判断と論理的な判断という区切りがいまいちピンと来ない。
一般的な感覚として、例えばジャンキーなものが食べたいのでファストフードを食い漁るというのは感情的、ファストフードも食べたいけれど健康を気にかけてバランスの良い食事を適切な量摂るのが論理的な判断ってことになると思う。
やりたいからやる、とこうすれば目的達成のために合理的であろうという選択肢を取る、という事なんだと思う。
でも合理性という概念は目的が設定されていなければ発生しない。何の目的や条件も示さず、ピッチャーをやるのと外野をやるのはどちらが合理的かと言われても意味不明だ。例えば足が速い人が担当するなら、とかそういう条件が設定されて初めて合理性の比較が成立する。
そして仮言的ではなく絶対的な目的は感情からしか発生し得ない。人類を存続させたいという前提があれば種を保存させるのは目的たり得るけど、そうでなければそうする義務なんかどこにもない。幸福に生きなくたって別に良い訳だけど、そうなりたいからそれに向けて行動するという人は少なくない。
食事の例で言えば、両者とも健康と快楽という二つの(あるいはその他の要素も含めた)欲求を秤にかけて、前者は当座の快楽、後者は健康という目的を選び取ったまでの話だと思う。その違いは理屈の問題ではなく両者とも価値判断、感情的な判断によってされているはず。手段ならいざしらず、絶対的な目的を比較するのに合理性が挟まる余地はない。
ドカ食いして気持ちよくなりたいという目的を果たすためにドカ食いをするのも、合理的といえばこの上なく合理的と言える。合理的でない判断というのはステーキを食べたいので海で泳いだ、とかそういう支離滅裂な事を言うのではないかと思う。
では「感情的な判断」と「論理的な判断」を分かつものは何になるのか。何かしら自明というか公理のような規範が用意されているかもしれない。
それこそ健康に生きるだとか幸せに生きるみたいな目的を当たり前のものとして、その大きな目的を果たすためにどれだけ合理的な判断を下せるかという事を以てして区別しているのかもしれない。
めんどくさい事や嫌いな事を避けたいという当座の欲求よりも、その大きな目的の糧となる選択肢を選び取れる事が合理的であるとか理性的であるとかいって良しとされているのかもしれない。
世の中の人間はこんな事を当たり前に踏まえた上でそういった言葉遣いをしているのかもしれないけど、ほなもうちょっと言葉選んだらって思う。感情的というか、直情的とでも言ったほうが正確な気がする。判断なんか全部感情によって定められた目的ありきのものなんだし。