はてなキーワード: パトロンとは
コロナ禍でメンタルがひどく落ち込み、承認欲求で埋めるために裏垢女子を始めた
最初は自撮りを撮っていたものの、元々の顔は上中下でいえば下に近い方だったので諦め、身体を晒していくまで時間はかからなかった
裏垢女子はやはり胸が大きい人のほうが人を集めるのだが、自身はそこまでスタイルが良い方ではなく貧乳に近い
それでもカメラや加工アプリを使ったり、衣装や下着に気を使うと見栄えがよいのかより承認欲求がみたされた
やはりセンシティブな自撮りはいいねもRTもたくさんもらえるし、リプもくれるので楽しかった
クソリプも来るが変な奴はミュートやブロックすれば見えなくなるのでそれによってメンタルにはきていない
さすがに凍結は怖かったので局部は晒さずにいた
持っていた安い下着よりは新しい下着のほうがたくさんいいねがもらえるし、よりセクシーな下着を買うのにも慣れていった
衣装も裏垢女子界隈でよく着られているものをAmazonで探して買って撮る、、、ということを繰り返していた
しかし、コロナの状況での給料は下がりに下がってしまい承認欲求を満たすためとはいえ生活を切り詰めるわけにもいかなくなってしまった
結果、そこまで買ってもらえたわけではないが、買ってもらった衣装が届き、衣装を着て自撮りするというサイクルが生まれ
そしていよいよ欲が出てきてしまい、ファンティアでファンクラブらしきものを立ち上げるようになった
ファンティアというのはいわゆるパトロンサイトで、月額いくら払えばでファンクラブ専用のコンテンツが見られるようなサービスだ
そこに仮に月額500円、2000円、10000円のようにプランを設定し、それぞれで見られる画像や動画も掲載していった
500円はTwitterに載せていないボツっぽいものを中心に
2000円は動画も含め、Twitterでモザイク付きのものを投稿してファンティアに誘導していた
10000円は2000円プランと内容は変わらないものの、お金を出したいとか貢ぎたい人用に設定しているもので、ネタとしていたらいいなというものだった
これが予想以上に契約者が多く、給料が下がり続ける中大いに助かった
10000円プランも2人くらいいたのは驚きだったが
2つ目は税金
雑収入であれど20万は超えているのでその分は納めなければならない
これが思いのほか面倒そうなのでもうやめておこうと思った理由の一つ
3つ目は彼氏に裏垢を知られたくないこと
新しい下着は趣味ということでセーフかもしれないが、衣装はさすがに持っていると怪しまれるのでメルカリで売った
ところで、フェミニストは性的消費されることに敏感だけど、性的消費されることを価値に換えることに関しては圧倒的に女性が有利なことは変わらない
コロナ禍などで経済的にピンチとなっても容姿が良ければパパ活や風俗で、容姿が良くなくても技術次第で裏垢女子で稼ぐことができる
女性が性的消費されることを価値に換えられる、この一点のみで男性を大きく勝るメリットに他ならない
ただ、短期間で多くの承認欲求と金を稼げてしまったし、彼氏もできたのでさすがにもういいかとなってしまった
今、ファンティアやpaypayを送ってもらって稼いでる裏垢女子も、性的消費による圧倒的有利で男どもに貢がせるのもいいけど
イギリス人のブルマーの調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線に脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエのチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。
これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望を喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望の暴走をコントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性像から自由になる手段であり、政治や広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。
前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。
https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu
これは、クラシック・バレエのチュチュの基本的な構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである。
しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代のチュチュとして、次の4つが挙げられている。
短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキ・チュチュより長い。ドガの作品で多く見られる。
これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログの写真では普通、スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。
https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/
http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg
世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201
さて、ウィキペディアのチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュのパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナは下着としてステージ・ショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。
また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエ・ファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュ系である」との記載がある。
要するに、レオタードみたいになっている場合は普通に下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツをはいているわけである。当たり前ではあるが。
ロマンティック・チュチュは1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパンの起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。
また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリルは横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリルの趣味の時代的変遷だろうか?
Wikipedia英語版のballetの記事でバレエの歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。
まず、バレエの起源はルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。
17世紀の頃は、女性の衣装は重たい生地と膝丈のスカートで構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャーに制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面から数インチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンなスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀の絵画だ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg
19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体のラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg
そして20世紀、バレリーナのスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである。舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀の作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年の写真を貼る。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg
画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。
さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである。
ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装も存在しているらしい。確かにbunkamuraに食事に行ったとき、バレエの衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッションの衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。
ブックマークのコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケートな話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。
僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガの作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。
エドガー・ドガがバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサーは現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサーは薄給で生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサーを娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスのバレエ界から男性ダンサーはいなくなり、フランスのバレエは低俗化することになる。
もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在を表現しようとしたドガの作品の価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサーの意志だったのか、と。そして、女性が身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか。
もちろん、過去のことだからわからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代の文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的に判断したかの判断は難しい。とはいえ、過去の人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。
しかしながら、現代に生きる僕らは、自分が主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代の文化に支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分のフェチの起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。
身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係でパワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。
スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易に善悪を論じることが困難だ。バレエも例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情や欲望と混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。
今までこうした社会的な側面から女性のファッションの歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装そのものの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である。
何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術やスポーツに励む女性に性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。
今回の調査では、見せパンの起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。
そこから、メイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスやバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマーに回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。
とはいえ、しばらくは休みたい。自分の欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化は妖怪に名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的なものとして把握できるようになった。
つまり、増田に欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的な意見、ねちっこく不快だという否定的な意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝の言葉を述べたい。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg
今こんなクソ駄文を書いている余裕はないのだが、吐く
ご存知の方も多かり、私は二次創作とかfaとかイラストをながめまわすのがBlueBirdでの日課の一つなのだが、悲劇が起きた(自分にとって)
ここ二ヶ月で、5人ほど憧れていた絵師さんが次々とアカウントを消した、もしくは活動を停止した
いやまあね?諸行無常はこの手のSNSの常識よ?んな事は承知の助
おおよそ理由は皆同じで、要約すれば「自分の書いた作品に対しての評価や批判が」あとは察してくれよな
これは絵師さんを攻めるために書いてるんじゃないんだな
実は推し絵師が消えてしまうのはこれが初めてじゃないんだな その時も嫌な兆候があったんだな いなくなっちゃった時もう「ああ」だったな
私が今exam前の貴重な時間を割いてまでこんなとこに拳を叩きつけなきゃ気が済まないくらい鼻持ちならなくなったのはそのうちの一人のツイートのおかげさ
その御方は匿名のお題箱を開帳なさっていたのだが
そこに罵詈雑言が書き連ねてあったのだ それも一度や二度ではない
絵の批評でもない それは私にはただその人を否定しているようにしか見えなかった
もともとその御方日常ツイと下ネタが多かったのだがそれが気にくわない人が多々いたようだ
当然の事ながら絵は死ぬほどうまかった 私がメディチの人間だったら絶対パトロンやってた
もちろん自分宛に匿名の場所を掲示するという事はそれなりのリスクがある
当然の事ながらそれに便乗して言いたいことを自由におっしゃる方が出て来る 彼らに悪意があるのかどうか知らないが確かにそれは彼らにとっての自由である 発言の自由は全ての人にある それを咎める事はできない
しかしそれによって誰かの自由を奪う事を考えないのだろうか?どうして何も知らない相手のことを曖昧な表現で殴ることができるのだろうか?ソースを出せ、ソースを。あなたの主張にはソースが足りないのだ。
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そりゃパトロンが没落して人脈も失ったとかなら
まだわからないでもないけど
悪評流れてないもんなの?
それとも錦ひっさげればその時その時で色々寄ってくるの?
邪魔になった時点で高く売れそうなら売り、売れないなら捨てる
芸術家の親戚がいる。
昔、この人が若かった頃は全然作品が売れなくて、うちの両親はご飯を食べさせたり作品を買い取ったりして支えていた。だけど何があったのかは知らないが、いつの間にか連絡も取らなくなってそれっきり。最近、風の噂でこの人にアメリカ人のパトロンがついて大成功したと聞いた。この人の名前をローマ字でググったらアメリカのアートギャラリーのページやらアート系の英語のインタビュー記事やら出てくる出てくる。作品は、私が知っている数十年前からあまり変化していないっぽい。作品を扱っているアートギャラリーのページでは、作品に数万から10万ドルの値段がついていた。アメリカ人のお金持ちはこういうのを家に飾るのかな。あまり想像がつかないな。
アートギャラリーのページにあった写真によく似た作品とか初期の作品(私はこっちの方が好き)が実家の押し入れにたくさんあるのだけど、これ、どうするのがいいのかな。
PatreonというとらのあなFanboxのパクリ元があるのだが、ある時から決済代行会社の規約に違反するから日本風マンガは非エロでも規約違反だとか言ってアカウントBANで売上没収するようになった
そんで使わずにいたんだが海外は割れ厨時代がまだ続いてるのでぶっこ抜きサイトがあるらしいと聞いた
「販売厨に渡す金が勿体ないから一人が契約して自動でぶっこ抜いてシェアしよう」というよくある泥棒ロジックらしいが代理ログインして自動的にスクレイピングするようだ
そしてそれが横行するので痴女系コスプレイヤーを中心に値上げの上に配布をGoogleドライブやDiscord(10年前のSkypeの地位にあるツール)経由に切り替えてPatreonは配布対象者管理だけに使うようにシフトしつつあるらしい
驚くのが価格設定で日本のパトロンサイトは月100円、500円、1000円といった価格が普通なのだが二次創作惨事や無料CGデータの無断改造などで月100ドル、500ドル、1000ドルといった額を取っていること
ファンティアとかそういうのなんだが。毎月1000円払っている。
止めようと何度も思っているが、応援しているだけに止めてしまうのはファンを止めるのと同じではないのだろうか?と考える。
もちろんファンは続けていきたいが、投資を止めることによってファン扱いされなくなる気がしてならない。
そんな風に考え込んでしまうので、結局止めようと思ってから半年すぎた。
クラウドファンディングみたいに物理的バックがあるわけでもなく、毎週何枚かのイラストがアップされるくらいなんだが…それが見られなくなるのは悲しい気もするし
だからといって、投資を続けることによって何か得するのかというと微妙だったりする。
というのもパトロンサイトで公開されているイラストが大型掲示板にアップされていたりと金を払って見ているのに、なんだこれは…と思う事が増えてしまった。
そして最初の悩みに戻るのだ。
止めたいのに止められない日々は、まだ続く。
かつて資本家による労働者への搾取、と言う対立軸で頑張っていた左翼たちはいつのまにかフェミニズムに来ていた。
でもなんでこっちにきたのか?
多分資本家対労働者の場合、国は法整備をしてしまい、パトロンに迷惑がかかるからではないかと思った。
そこで左翼は考えた。
国も介入できない上に
容易に分断を進めることができる
そんな軸はないか?と。
そこで男女の軸に目をつけた。
男は女にならないし女は男にならない。
この軸に対立の構図を持ち込めば永遠に解決することのない闘争が可能だ。
女性は永遠に差別され続けて、男性は永遠にルサンチマンをためこんでくれる。万が一うっかり解決したらマスキュリズムに移行し、それが解決したらフェミニズムに戻る。永遠に闘争ができる。すごい戦場だ。大佐ですらお腹いっぱいだ。
そう思ったのかな
手弁当で作られ、作り手がノルマを持って知り合いを呼び寄せ開催し、収益は箱代で飛ぶ。不動産屋や、精々元締めが儲かるくらい。
もちろん遊びは文化だし、必要なことだけど、パトロン集めて頑張ってもらうしかないんじゃない。もちろん中小企業自営業にじゃんじゃん税金回しているなら、他にも回してもいいかもしれないけどね。つーかベーシックインカムやれば売れない俳優は生き延びれるんだからそれでいいんじゃない。
愚痴です。
タイトルのとおりの展開があって、否が応でも2つのファンの間につながりができてしまった。
Twitterではそれぞれのファンによるクロスオーバー的な妄想やツイートが行き来してる。
それはいい。
その中で2.5ファンが「歌劇団ファンがチケット戦争に参加してますますチケット取れなくなる?」等の不安を口に出してた。
それに対して、歌劇団ファンが「我々は奪い合うのでなく譲り合います」的なことを言ってた。
歌劇団ファンはマナーがいいので安心してね的な話をそこかしこで見かけるようになった。
ちょっと調べてみたら、歌劇団の独特な風習がわんさか出てくる…
中にはいかにも女の集団って感じの、自由と言いつつ参加しなかったら村八分だよね的なものもあって正直ドン引き。
これ絶対2.5次元、というか他のファンには馴染まない文化でしょ。
これを持ち出して「マナーがいい」とか言ってたのか。
ていうかあれだけ大きな団体がこんな旧時代的で排他的でコネクション命みたいな活動を黙認して儲けてるのか……
昔いた職場に仕事ろくにしないくせに高級取りのお局おばさんがいて、そのおばさんが歌劇団の役者のパトロンごっこしてたこと思い出した。
こんなシステムの中にズブズブだったならさもありなん、と思った。こういう人が牛耳ってるんだな……
控えめに言っても関わりたくない…
2.5次元のファンにも思うところがあるので、ファンが入り乱れるのは怖いな。
いやもう面白いかもしんない。