はてなキーワード: キツネとは
そしたらね、揚げ玉はいったうどんが「はいからうどん」って表示されてるんですよ。
でもね、こちとら子供の時から「揚げ玉が入ったうどんはたぬきうどん」と聞いてるんで、「もしかしたらなにか一歩先にいった揚げ玉がはいったうどんなのかもしれない」とおもってはいからうどんを頼んだんですよ。
そしたらね、そのまんまたぬきうどんが出てきたんですよ。
こちとら、メダロットで「キツネは好物が油揚げだからキツネ型メダロットはア・ブラーゲ。たぬきは好物が揚げ玉だからたぬき型メダロットはア・ゲダマー」っていわれてるのに、揚げ玉がはいったうどんが「はいからうどん」って呼ばれることを受け入れがたい。
「中華そば!」って頼んだのに味噌ラーメンだされるぐらい受け入れがたい。
「たぬきうどん」だよな?
モリアオガエル:要注目種※庭の池に毎年卵を産みにくる。シュレーゲルより産卵時期が遅い
コテングコウモリ:絶滅寸前種※去年家に飛び込んできて何日かぶら下がっていたが、具合が悪そうだったのでミールワームなどを与え数日鳥かごで世話をした。その後元気に飛び去った
コキクガシラコウモリ:絶滅危惧種※普通に屋根裏に住んでる。時々座敷の天井にもいる。だいたい2匹でいる。
シロマダラヘビ:要注目種※先週、台所の土間に現れた。ニュースになるくらい珍しいヘビ。一回しか見たことない
ホンシュウカヤネズミ:準絶滅危惧種※毎年庭のカヤに球巣をたくさん作っているが、姿を見たことはまだない
ヤマカガシ:普通に庭にいるけど準絶滅危惧種※なんだってマジ?
ジムグリ・ヒバカリ・ニホンマムシ:要注目種※普通にいる。家の中にもいたりする。マムシは困るけど動きが鈍くておとなしいのが救い。
再投稿です。
そして人の愛し方が分からない。
親からも誰からも愛されたことがない人間なのだから仕方がないのかもしれない。
そもそも、私が、性同一性障害で他者から恋愛対象として見られず、また、女性に惹かれることが多いため、女性として過ごしてる私は、出会いがないからなのか。
私が発達障害やBPDの症状を軽度ながら持っていることがいけないのか。
死ねば楽になるのかな?
助けて欲しい。
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以下は、乱文であるが、私の過去を書かずにはいられなくなったので、ここに書こうと思う。(多少のフィクションは含んでいるが。)
日常生活は女性として暮らしていて、初対面の人と話したり、ショッピングや空港等で元男性と見抜かれることはほぼ無く、また容姿もそこそこいい方であるという自負はある。(ガタイが無駄にいいのはコンプレックスだが。)
幼稚園児のときに母と父が離婚した。その時の母と父の喧嘩を記憶していて、私にとっての一緒に暮らしていたこのろの父親像は母親に向かって怒りをぶつけているところと、仕事で疲れて寝ているところしか残っていない。そして、離婚後、親権は母親に移った。
そして、仕事に一辺倒になった母からは面倒を見てもらえず、妹と共に子供会の保護者と祖母に面倒を見てもらっていた。
祖母は優しい人ではあるものの、愛情表現をする人ではなく、また同じ家にいたわけではないので一緒にいる時間は限られいた。
私はこの頃、植物に興味があり図鑑をよく読み漁っていた。また、ピーターラビットシリーズを好んでいたことを記憶している。
小学生に上がったとき、ピアニカの色やランドセルの色が"私の望む色"出なかったことを記憶していている。
小学生2年生になると強迫性障害の症状を起こすようになった。ともかく、家の外のすべての物が不潔に思えた。1度病院に連れて行かれた記憶がある。幸い、小2のうちにだいぶ良くなり日常生活に支障をきたさないレベルには回復した。ただし、潔癖症自体は中学生くらいまで強い意識が残った。
また、この頃から学校でオカマとヤジされることが増え、友人は決して多いとは言える状況にはなかった。
この頃でも父親とは電話を通して時々話しており、またたまに合うことがあった。(よく上野の国立科学博物館と鉄博に連れて行ってもらった。)
ただ、一度、ファインディング・ニモに連れて行ってもらった。はじめての映画館で見た映画だったのだか、個人的に楽しめなく、父はそれに対して非常に怒っていたのを記憶している。
また、この頃から母親と父親の間で伝言を伝えるような役割となり、お互いの悪口を聞かされ、また経済状況についてと揉め事を聞く立場となっていった。
相手は子供が3人いたが1人はインフルで亡くなっていた。(ただし、継父に親権はなく未だに継姉・兄と顔を合わせたことはない。)
母はTVを厳しく時間を決める人であったが、継父はそうではなくよく妹や従姉妹にテレビを見せていた。それについて、母親と揉めることが多く、私がママっ子であったため母親側についた事により、私は継父から見せてもらえなくなり、次第に顔を合わせるだけで睨まれるようになった。
小4になると母と継父の間に子供が生まれ、何もしない継父と仕事しかしない母の代わりに祖母と私と妹がよく面倒を見ていた。
そして、この頃から、継父と私の関係は更に険悪になり、私が継父から身を隠すように家で過ごすようになった。
幼稚園児のころから高いところから飛び降りたらどうなるのだろう、という気持ちはあったものの、この頃には明確に死にたい、という気持ちがあった。
また、夢の中で継父を刺し殺す・絞め殺す夢を見るようになるようになった。(この夢は大学生1年の頃あたりまで続いた。)
小5になると母親の仕事が軌道に乗り始め、経済状況は一気に良くなるが、継父との関係は最悪になり、一度私が勉強机の下に逃げたところを継父に顔を蹴り飛ばされたことがあった。(ここらへんの記憶は曖昧で正確な時期を覚えてない)
また、私は元々書物を読む子供であったが、学校で男子からはオカマや(容姿を指して)キツネと呼ばれ、女子からは女子の中心グループと犬猿の仲だったため、更に書物を読み漁るようになった。(ハリーポッターを1日の放課後で2冊を読みきる勢いだった。)
小6では学校はだいぶ落ち着いてきたもの、継父との関係は相変わらずだった。
また、妹もこの頃から継父との関係が悪化してきており、不登校気味となっていった。
中学では寮生の少人数の学校に入った。これにより、家族とも同級生とも離れることができ、私にとっての人生の転換点てなった出来事であると思う。
ただ、男子は野球部に、女子はバレー部に強制的に入部であり、内心でバレー部に入りたいと思っていたが、叶わぬ願いであった。(幸い丸坊主は避けれた。)
中2になると寮の中で私が最年長となったためリーダーシップを取ることとなった。
完璧主義だったため自他ともに厳しく、今では後輩にもっと優しく接すればよかったなと感じる。
中3では男子として野球することが嫌で地元の中学に戻り、そこで小学校の時の数少ない友人と家庭科部をしていた。
またそれ以外については受験勉強をする日々であった。受験に関してはもともと勉強はできていた為もあってか、地域の公立高校の2番めに良いところに合格できた。
家での生活はこの頃、継父は単身赴任であったため、実家が一番平和な時期となっていた。(また、妹も私のいた寮にはいった。)
寮で過ごしたことにより、色路学べたおかげもあってか、継父と小学校の時ほどは酷い関係ではなく、お互いに最低限以外の会話をする程度にはなっていた。
高1では理系クラスであったため、いわゆるオタクが多く、私にとって天国のような環境であった。また、寮の時の後輩と文通をよくしていた。(寮は電話・メールは基本禁止だったため。)
また、中学生の頃から留学に興味があり、そのための準備をし始めた。
高2,3ともそれなりに優秀な成績で学校生活も楽しめたが、学校が福音派の学校でありLGBTに対して差別を行うというほどではないものの、聖書を引用して厳しい態度をとったこと、食事が不味いこと、男子寮で生活すること(アメリカで大学では基本寮生活)にストレスを感じ、アメリカの大学を受験はしなかった。
進路は迷ったものの帰国した年度中に大学の工学部に合格しそこに入学することとなった。(親元にいたくなかったので実家から通えない距離の大学のみ受験した。)
大学の学業については、アメリカの授業の進度が遅く苦労はしたものの、なんとかついていくことができそこそこの成績を収めることができた。
ただ、1年目に男子寮に入ることとなり、それで精神を病み、このままでは学業に支障が出たり自殺しかねないという事で、精神科(ジェンダークリニック)を尋ねた。
また、この頃に同じ性同一性障害の彼女が遠距離であるができた。(ただし、どちらかというと共依存のほうが近い関係であったと思う。)
B2になるとアパートぐらしに移り、またホルモン注射をするようになったため、見た目も女性的になりつつあったため、精神的に非常に安定するようになった。
学業についても学科の上位1割に入っており、勉強の遅れを鑑みれば非常に良い結果出会ったと思う。
ただ、この頃に彼女との関係が共依存に近いものであったこともあり、それが崩壊し分かれることとなった。
大学3年生の現在、自己の労働力や頭脳以外の"人間としての価値"を自分自身で見出だせなくなってしまった。
他大の友人との交流もあり、より良い環境の院に行きたいし、自分のやりたい研究・仕事もある。けど、それ以外の人間的な将来について何も想像ができないし、強い希望を持つことができない。
自分自身の事なのに自分だけではにもできない事でつっかかかってしまった。
来年までに戸籍の変更もできるだろう。だいぶ恵まれている方だ。
けど、戸籍を変更したら私は結婚という選択肢を捨てることとなる。(そもそもパートナーなぞできないが)
変更しなければ就活で奇異の目で見られ苦労し、キャリアに影響が出るだろう。
なのにどうしたらいいのか分からない。
ホルモンバランスの崩れのせいもあるのだろうが、また自殺願望が湧いてきてしまう。
薬物への知識も多少あるため合法な乱用の仕方も知っている。そこに逃げてしまう可能性が否定しきれない自分が怖い。
精神科・心療内科に行ったところで薬が出るだけだろう。それで一体何になる。
どうしたらいいのか。
助けて欲しい。
これは、今に始まった事じゃない。キズナアイと名乗るキャラクターがYoutubeで2016/11/29に動画投稿して活動した所からはじまる。
動画の内容は、二次元キャラクターが3Dで動いていて、VRを使った仮想現実を基に自分が思うままの動画を投稿していた。
傍から見れば、ユーチューバーが3Dのキャラを通していろいろやっているだけだ。
2017/6まではいわゆるオタクと言われる人に大方騒いでいるだけだった。
現に、キズナアイの動画からも伺えるが、再生数も基本10万再生である。(記載日頃の再生数)
2017/7~2017/12にいわゆる四天王のと言われる人が活動を開始し始めた。
だが、ここでねこますというバーチャルユーチューバーに着目する。
見た目はキツネを擬人化した女の子だ、だが再生すると声が男性だったのである。
彼は、自分の3D技術を動画にして頑張っているところをYoutubeに投稿することで意欲を維持したかったようだ。
そして、クリエイターはお金が無いという事を嘆いていたねこます氏は、
突然仮想通貨のモナーで融資が降ってきて今後の自分のクリエイターとしてのスキルを上げる事が出来てるようだ。実際に動画にその節がみられる
ここで、ようやくクリエイターも自分が頑張りで報酬が出るかもしれないと思うようになったのだろう。
次々とバーチャルユーチューバーが増えてきたのである。
クリエイターだと絵を描くVtuber、声優をするVtuber、歌を歌いたいVtuber、作曲をするVtuber
3Dを作りたいVtuber、自主制作ゲームを作りたいVtuber、アイドルになりたいVtuber
ほかには、特撮系、擬人化系、LGBT系、ゲーム実況系、宇宙人系、ロボット系、執事メイド系
ナース系、薬剤師系、兄弟姉妹系、学生系、ロリショタ系などなど、上げると限がない。
そりゃ既に3000人も居るわけだから仕方ない。
だが、こうやって増えていく中で非常に残念なことに、自分に迷走する人が目立ってきた。
何故Vtuberを始めたのか、そして、始めていく上で何か目標があったはずだ。
挑戦することは何も悪い事じゃない。だが、まだ周知もされていない程度で自分の実力の無さを嘆くのはどう考えてもおかしな話だ。
そもそも、ゲームクリエイターだってゲームをリリースして、初めて人々の目に映り、人気へと繋がるはずだ。
作曲者だって、曲を発表して販売してからファンの動向を知ることができる。
ユーチューバーはYoutubeに動画を投稿して初めて完成するのではないだろうか?
人気や利益を動画投稿する前に気にしている人は抑々、Vtuber界隈の人に失礼だと思ってほしい。
ちゃんと行動し、頑張りがちゃんと帰ってくる所、それがVtuberの世界だと思ってほしい。
フェミはfelpurr minorの略な。要約すると「猫耳限定」とかそんなところ。
ネット上にも増田上にも人間の尊厳をないがしろにして猫を称えろとかそういう猫原理主義者みたいな人々がいるだろう?
その猫原理主義者たちの一派閥がフェミ。一般的な猫原理主義者が動物としての猫を愛してやまないのとは別に、フェミは「猫耳娘」を主に愛好するのが特徴な。
猫耳は一般的にケモミミにカテゴライズされるが、猫耳とキツネ耳は別物であることに注意だ。キツネ耳娘は種族的にはrawulfになるので、最近流行のVtuberケモミミのじゃロリおじさんなんかのファンである場合はフェミではなくラウミノールとかそんなところ。
アズールレーンっていうゲームのファンにはフェミが多いってのがよく言われるところだな。
どう? フェミについて分かった?
表題の通りなのだが、自分はどうも好意を好意として伝えられないタイプのようだ。
そのため昔から「偉そう」「生意気」「上から目線」「何様のつもりだ」と、この手の類の悪口は散々言われてきた。
指摘されて素直に改善できるなら世の中警察はいらないんじゃないか?とすら思う。
それに敵がいればそのぶん少なからず味方もいるわけで、自分はその人間関係を大切にしながらここまで生きてこれた。
じゃあ外野のヤジにいちいち耳を傾ける必要もないだろうよ。そのスタンスで三次元の推しを応援してきた。
推しが何の界隈なのか、どうやって出会ったのか、などは全て省略するが、
自分はともかくある推しに興味を持ち、接近したくて現場へ通うようになった。
その現場はまだまだ過疎な場所だから、何度か顔を出せばすぐ認知され、推しと二人で絡む時間がどんどん増えた。
推しはいつも丁寧に、それでいてフレンドリーに声を掛けてくれる。
客とパフォーマーの関係を飛び越えて、時に友人のような、時に恋人候補のような接し方で夢を与えてくれる。
そんな甘い蜜を吸って期待しない人間がいるんだろうか。いや居ない。
自分はいよいよ「推しの為に尽くしたい」と願った。そして布教活動を始めた。
ツイッターの応援垢を作り、推しの知名度が上がるような投稿をする。
現場の様子をレポートし、撮影許可が出ている場所なら自費で投資した良い機材で撮影し、無料で閲覧できるようにする。
差し入れは小袋包装の分けて食べられるものを。或いは推しのロゴ入りオリジナルグッズを。推しだけでなくスタッフや関係者、現場を共にする他の演者にも。
物販も当然、推しのグッズを大量に買い、顔を売るために配る。推しのアカウントにリプをして士気を高める。
そうこうしている内、推しとの距離感はどんどん縮まっていった。現場へ行けば向こうから歩み寄ってくる。プライベートな話もする。
他の客の所へ行って構わないと告げても、なぜか側を離れない。それどころか推しは日常の弱音などを聞かせてくる。
推しの好意はひしひしと感じていた。また推しの周りにいる関係者からも同様に、好かれているのが分かった。
他の客と自分とでは明らかに接し方の差があった。言ってしまえばVIPだ。
そこで自分はもっと推しを売り出すためにはどうしたらいいか、推しのパフォーマンスを高めるにはどうしたらいいか、持ち得る限りの知識を全振りしてアドバイスをした。
更に関係者達へのリプを積極的にするようにし、推しを宜しく頼むという気持ちで冗談をかましながら場を賑やかせた。
今考えるとこの頃から少しずつ、推しの様子が変わって来ていたのかもしれない。
ツイッターの投稿は途絶え、自然とリプやファボを出来なくなった。時々ふらっと投稿がありここぞとばかり応援リプをすると、以前のフレンドリー感はなく、明らかに事務的な対応。
現場へ行けば会話はするが、以前の活気がない。何か悩んでいるのか、元気を出してくれと声を掛けても手応えがない。
そんな日々が続いたある日、公式アカウント上で不特定多数へ通知が放たれる。要は、スタッフ気取りの迷惑行為をやめろ、周囲に迷惑をかけるな、無礼な発言をするな、特別扱いを期待するな。
それに対する推しや関係者のコメントはどう見ても自分を指しており、はっきり言ってカッとなった。
なぜ今になって爆発させた?まずそれが最初の感想だ。なぜ、嫌なら嫌だったとその場で言わなかったのか。お前のそれは迷惑行為だから、有害行為だから慎めと、なぜ言わなかった。
そしてそんなに不愉快だったのにも関わらず、だったらなぜ接触したのか。推しもその周囲もだ。VIP席に座って期待しない方がおかしいんじゃないのか。
テキストで喧嘩をしたってラチがあかないと、次の現場へすぐさま乗り込んだ。そして件の知らせについて話がしたいと上へ伝えた。
関係者曰く、グッズ作成も撮影もその他なんやかんやもこっちは頼んでいない。ファンとパフォーマーの線引きを勘違いされたら困る。改善されないなら現場に立たせられない。
また、年下からアドバイスや指示をもらうのも気にくわない、そんな趣旨の事も。
結局推しとは直接話せなかった。
それ以上のオチは特にない。自分はすっかり熱が冷めて、出禁にならずとも自然と現場からは足が遠のいた。キツネにつままれたような心地は少しする。
勿論自分が舞い上がって熱心に通っていた、ただそれだけの話と言えばそうだ。だが、そうさせたキッカケはパフォーマー側にあるというのはどうしても書き添えたい。
なお内容はフェイクをまじえている。
初投稿、下書き無しなので文に乱れがあったり読みにくかったりすると思うけど許して欲しい。
友達と「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメか?」と言うことを話していて考えたこと。
個人的な性と半生の話が出てきてあまり公には話せないのでここに書くことに。もしかしたら似たようなこと考えている人がいるのかなって希望も少し。
性の目覚め
最近、どうもエロいので自分の中にあるエロのかたちを一つ一つ考えている。
その体験っていうのが幼い頃見た夢なんだけど、その説明のために一応当時のことを書いておく。
当時保育園の年長組だった僕は、おゆうぎかいで確かダンスを踊ることになっていた。男女別で、女子はモーニング娘。の「ラブマシーン」だった。衣装は黄色いフリフリの服だった。
夢の内容は、その「ラブマシーン」を自分が女の子に交ざって踊っている夢だった。
そしてそれを見る両親を僕が見ている夢だった。
「あれ、○○(僕)じゃない?」と母が言い「そんなわけ無いだろ。○○は男の子だよ。」と父が言う。それを僕が見ている。
そんな夢。
あまりに強烈だったので起きてからも夢の内容を覚えていて、そしてその事を考えているとなにかドキドキすることに気がついた。
何となく床に下腹部を擦り付けると言い様の無い快感があって、そこからは特に話すこともない。
ともかく、学校で性教育を受けるまで、僕のエロのすべてがその夢だった。というわけでもない。『ぷよぷよ』の「アルル」も、『ワンピース』の「ナミ」もエロい!と(感覚的に)思えたし、事実それらの女性キャラクターでオナニーもした。なんなら同人誌を調べるために新しいマンガに手を出した。乱暴だがその辺から性教育を受けたと言えるだろう。行為や言葉の意味はわからないけど何となくおっぱいはエロかった。
小学生のころ「オナニー」とか「セックス」の意味を辞書で調べるノリがあった。自分の「オナニー」とは違ったのでピンと来るのに時間がかかった。自分のしている(た)「オナニー」がおかしいと感じ、“あの夢”は悪夢になった。
時は流れて大学生の頃の話。
親元を離れて独り暮らしを始めた僕は、おそらく多くの童貞がそういう道を通っているように、ただれた性生活を始めた。片端からエロサイトを見て、pixivと2ちゃんねるとTwitterを行き来した。エロ本やオナホールを買ってきては友人たちにレビューを聞かせた。よくいるエロいやつだ。多分普通と少しだけ違ったことは、いくつかの特殊性癖にも精通したことだと思う。
ケモノ、男の娘、ペドフィリア、みたいなある程度メジャーな特殊性癖でヌけるようになったところで、大学の先輩から「なんでそんなもんでヌいてんの?」と聞かれた。
しばらく先輩の「なんで?」が引っ掛かっていた。先輩には悪いが、遅効性の毒みたいだった。最初はただの好奇心とちょっとした虚栄心だったと思う。自分の知らないエロの世界に触れて、粋がりたかったのだろう。男の子の世界には「面白いやつとエロいやつが強い」という不文律がある。特殊性癖は「エロくて面白くなる」上で大きな武器だった。
「なんで?」の毒が回りきった頃、自分の性癖の分析を始めた。その性癖を初めてエロい!と感じた画像や動画を覚えている限りもう一度インターネットから探してきた。そしてそれらの要素を抽出して、どこがエロいのか?を考察していった。
すると大学に入ってから意図的に開発した性癖に関して興奮のポイントに二つの共通点を見つけた。
・犯される側に感情移入している
・弱さ、危うさを無意識に感じている
心理学とかはやってないので精神分析とかではないけれど、当時はただドMなだけだと思っていた。
ふと思い出すと“あの夢”は女装と両親との関係の崩壊を“エロく”感じる夢だった。
「女体化」にであったときに強い憧れに似た興奮を覚えたのも、露出・赤面した少女の画像ばかり集めていたのも、当然の成り行きみたいにMに目覚めたのも多分深いところであの夢に繋がっているような気がした。
今思えばエロくなろうとしたのは仲間内の地位をあげるためじゃなくて、あの夢から逃げていたんだと思う。でも結局お釈迦様の手のひらの上で飛び回る孫悟空みたいに、僕は“あの夢”に囚われていた。良くも、悪くも。
まとめ
性癖に故郷があるなら僕は女装とか羞恥とかの村に生まれたんだと思う。少し一般から外れてはいるが“なんとかなる”部類だ。
これが食人とかスカトロの村だったら、多分とっても大変だったんじゃないかなって感じる。
最近は同性愛が認められててうれしいけど、性的指向と比べ性的趣向は未だに犯罪者枠だ。
性被害を受けた人や性癖を持たない人が訳のわからない性癖を気持ち悪く思うのも理解できるし、特殊性癖をもろ手をあげて歓迎しろ!なんて言うつもりはない。だって気持ち悪いし。
でも痴漢の村に生まれたおじさんはお金を払ってイメクラに行くべきだし、ネトラレの村に生まれた兄ちゃんはエロ本を買うべきだと思う。それだけじゃなくて彼らが村から出ようとするなら恋人がそれを助けてあげてもいい。でもその努力って絶対隠れてするし、なんなら持ってることすら気づかれたくないから「エロ本を買った」「風俗に行った」だけが表面に出て崩壊しちゃうんじゃないかな。
普通にグラビアのおっぱいで目覚めて、部活のマネージャーと付き合って、大学の後輩と結婚するタイプの友達には理解されない話だけど、僕みたい(いわゆる「普通」の)異性愛者の村に上京することができた、そこ以外の村の人ってけっこういると思うし、「彼女がいるのにエロ本を買うのはダメだ」という人は一夫一妻の異性愛者村に生まれた人の価値観なんじゃないかなぁ。