はてなキーワード: お土産とは
8月は繁忙期でお客様作りやすいのでたくさん出勤しようと思う。今月は20日出勤のりきる。目指せ、指名延長40ポイント。
今日は8月の出勤1日目。覚えている限りのお客様を書き残しておく。思い出しては追加していきます。
ひとり目のお兄さん、喋るだけ。名刺の裏が白紙のことについて指導を受ける。指名たくさんとってる女の子は書いてるでしょ?君も書きなよー、、などなど15分に渡り仕事に対する心意気を語る。キャバ嬢にモテると豪語。うるせぇけど、カリスマ性を感じた。言い切るので信者が出来そうな風貌。わかる、モテそう。
2人目の塩顔お兄さん。いつも指名できてくれた方がフリーで入っていた。残念無念。時間の入れ違いらしい。本当に久しぶりだったので会えるだけで嬉しかった。この前の豪雨で電車が止まっていたらしい。前回、お土産もらったお礼言うの忘れていた。お触りして終了。もうちょっとおだてたら、場内指名取れてた気がする。
3人目のおねえ風お兄さん。ヘルプ。半年くらい前に席ついた気がするけどお兄さんは覚えていない。口調がお姉さん。よく他人のことを見ている。私のことも地味でどこにでもいそうな女の子と言ってくれた。いいな、そこがいいな。お兄さん本当は、身体はおっさんだけど心は乙女のレズじゃないのかなとかいう設定をつくって接客。ちょっと萌えた。めっちゃ濡れたので指入れられた、痛いわ。また来てくれそうな雰囲気だったので会えたらいいな。
4人目お触り激しめサラリーマンおじさん。ワキガ。周りが見えなくなってガシガシ触る人はお店的には地雷。でも、激しくされるの嫌いじゃないから、まあ、よかったなぁ。指名で帰ってきてほしいな。
5人目は香川から出張マン。声と雰囲気に覚えがあったので「お久しぶりです!」って名刺渡したら全くの初対面だった。
6人目、●田さん。常連。ヘルプ。ヘルプの席ではキスせんのも一つのポイントやでって言われた。ちんこめっちゃ触らせるやん。めっちゃ力強く揉ませるやん。丸っこくて可愛いって言われた。褒められた時のうまい返しをしたい。
7人目、店長の元上司。デブすぎて私のま「」こに手が届かない。キスも中途半端にしか出来ない。
8人目、大人しめおじさん。ヘルプ。お喋りだけ。似顔絵描くのが趣味らしくて、デジタルで描いたのを見せてくれた。人が心開く瞬間ってあんな感じか。
あと10人くらい接客したけれど、もう覚えていないし、思い出したくもない。指名のお客様が2人帰ってしまったらしい。お見送りの出来るラスト回転に入れてもらえたのに、延長も取れなかった。もっと頑張らねば。。累計0ポイント。本指名のお客様が来てくれないのはオープンと同時に出勤していないからなのか、もうすこし気合い入れて出勤したほうがいいのか。次の出勤は明日、金曜日で来てくれる方も多いと思うのでがんばる。生理じゃないのに血が出て来た。せいりじゃないから大丈夫、せいりじゃないから大丈夫、ダイジョウブ。明日は積極的に行動をするのを目標にする。
仕事がうまく行った旦那が上機嫌で行きつけの居酒屋に飲みに行こうという。
飲み屋の大将が聞き上手な方で、旦那の仕事の話にいちいち感心してくれるので、旦那もどんどん饒舌になっていく。
私はもともとそんなに喋りたい方じゃないから、いつも聞き役に回っているし、それはそんなに苦じゃない。
ただ、その聞き上手の大将の店にいくと、横で旦那がどんどん増長していくのが分かる。それがしんどい。
謙遜風のほんのり自慢話。
無邪気な上から目線。
こうなると私は、一切喋らなくなってしまう。
食事が終わって会計後、大将が差し入れのお礼にと、お土産に日本酒をくれたんだけど、それでますます気を良くした旦那が、周囲の常連客に「みんなで飲んで帰ろうか」と振る舞い酒を提案。
私としては、大将が私達にくれたものだし、お店の売上も下がるから、そういうの辞めといた方がいいんじゃないかなーと思ってたら、大将が「家で飲んでください」と断っていた。
そういう、浮かれて周囲が見えなくなってる姿をみて、これはやばいなーと思っていた。
案の定、帰ってからもテンション爆上がりで、終始ご機嫌。声がでかい。
ちょうど読みかけの本があったから、これはありがたいと、私は読書に集中。
すぐ横で携帯見ながら、ご機嫌に笑ったり驚いたり。
本読んでる私に「ねえ!これみて!」とか。いや私今、あなたに勧められて本読んでるから。
でもここで何か、水を指すようなことを言うと、おそらく旦那は拗ねると思うので、「ふーん、面白いね」と相づち。私は今、本を読みたい。
「ねえ!知ってる!?」「…そうなんだ」
「◯×△!?」「……。」
「△△◯!?」「……。」
「◯◯△!?」「……。」
本に集中したかったのと、いい加減うるさいな、という気持ちを断つため、深いため息を一つつくと
「ごめんね!本読んでるのに!うるさくて!悪かったね!」→旦那ブチギレからのふて寝。
今朝起きてもまだ機嫌悪かったです。あーあ、途中まで結構楽しかったのになー。
私がどこかでストップかけないといけなかったのかなー。今日はそろそろその辺でってタオル投げなきゃいけなかったのかな。でもそうしたら絶対拗ねるだろうしなー。
私、悪評高い「不機嫌で他人をコントロールしようとする人」になってたのかなー。そんなつもりなかったんだけど結果的にそうなってたのかなー。
と、もやもやしたまま過ごした午前中でした。
嫁は友達の結婚式でアメリカに呼ばれそれに合わせて一緒にお呼ばれする友人と旅行を兼ねてアメリカに行っていた。
しかし当初嫁は乗り気はなかった。1人でアメリカで旅行を兼ねることの費用を考えると後ろめたいものがあったようだ。「友達の結婚式、しかも友人もいるという状況なんて今後ない。お金は大丈夫。楽しんで行っておいで。」と伝え決心がついたようだった。
嫁がアメリカ行っている間、家が汚くならないように細心の注意を払った。アメリカに行って、2日…3日……4日………と日が経つが結局あちらから連絡はなかった。
そんな嫁が今日帰ってきた。私は仕事でいつもより少し遅く帰ってきた。嫁はもうすでに寝ていた。
なんだか寂しい気持ちになった。机の上にあるお土産を見て「この話は明日だな」と思いながら1人夕食を食べた。そのときの気持ちは寂しかったし、話したかった。お土産話を聞きたかったな。
でもそれは明日の朝にしよう。
嫁は疲れている。遊びでも仕事でも疲れるもんだ。明日机の上のお土産とともに話を聞こう。気がつくかなー机の上のお土産を1つ食べてしまったことに。
夏休みに最終の追い込みをかけている。
この夏が勝負だ。
大学受験並みのスケジュールで朝食後からプリント、体操、制作、過去問題等と親子で向き合っている。
あと1か月の辛抱だ。
■ドラマ■
「名前をなくした女神たち」http://www.fujitv.co.jp/b_hp/megami/
「マザーゲーム」http://www.tbs.co.jp/mothergame/
「スウィート・ホーム」http://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0410/
ドラマより壮絶かもしれない。
長文になるが、地獄の内容を箇条書きにしておく。
・幼稚園内すべて監視カメラがあり死角なしで常に職員が園内を監視している
・毎月一週間₍5日間₎の連続参観日がある
参加しているか毎回確認されており、行っていないと電話で叱れる
朝の9時から夜の19時半までみっちり缶詰で幼児教育について語られ洗脳される
参加しないとボロクソにdisられる
ご親切なことに親の分の昼食まで用意しロックオン
酷い月は3日連続で開催される
その場で立たされ、お宅のお子さんが可哀想だ等と叱られる
・小学校受験をしないなら、退園勧奨を促される
我が子は体が小さいから肉体労働は向かないから脳みそに金をかけろと言われる
・夫婦の職業、学歴。乗っている車。戸建てかタワマンかアパートかのマウンティングが当たり前。
年少で隣の席のママの最初の言葉が「ご主人はどちらの会社にお勤め?どちらの大学出身ですの?うちは京大ですの。」
運動会では乗っている車のチェック大会、ご主人のルックス品評会
小学校受験に失敗し、公立に通うことになったら幼稚園併設の幼児教室に通い続けろ
・毎月の教育費が16万 幼稚園と併設する幼児教育教室を含めた代金
金使え。日能研は糞。うちに金使え。
中途半端にやるならやめちまえ。
公立で野生児に育てろ。
・幼稚園、併設の幼児教室以外にお受験専門の教室に土日行かないといけない
担任から会うたびに受験専門のお教室決まりましたか?と聞かれる。
・県内、都内の有名小学校パンフレットがコンプリートセットで渡される。
毎年食育勉強会があり、自宅でも国産無添加指定の砂糖、塩、醤油などを使うよう指導される。
・育児の手抜きの重さを一生背負って生きろ!とかの格言プリントが定期的に届く。
白眼ンゴ
色々ありすぎて書ききれない…
近隣の公立で自殺者が出たニュースを見たのと、義母の勧めもあり2歳からA園へ入園させた。
A幼稚園は関東にある英才教育に特化した幼稚園で、幼稚園に入るのも受験がある。
外車に乗っているため駐車場の場所が優先的という謎のルールもある。
幼稚園に入園するには1~2歳に併設しているA園に入園していなければ入園は出来ない。
幼児教室に通って、就職活動並みの願書を親が書きテストを受ける。
一般で幼稚園から入園希望するなら、願書を受け取るには夜中の3時から並ばなければいけない。
3年間さぼりながらも続けてきた。
名指しで叱られて言い返したこともあった。
ママ友は一人もいない。
孤独だ。
子供は洗脳されているためチックなどは出ていないし楽しんで取り組んでいる。
夫は上の子はこの幼稚園でもう続けるが、下の子は現在通っている保育園にしようと言っている。
頼む!受かってくれ…
普段は「趣味は人それぞれ」とか「コンテンツに対価を」とかいうブコメが多い中、
「社会で認められてない人が〜」「課金ゲーに来る人は異常」とか言い出すのなんで?
あ、このページのことね
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1973536.html
サービス終了したら何も残らないって言うけど、それだったら映画や旅行だって「モノ」として残るわけではないよね?
CDを買わずに配信で音楽を買ってるのはおかしい事じゃないのに、
これがゲームとなると、Free to Playにお金払ってるやつアホみたいな流れになるのはほんとなんで?
皆さんお望みのコンテンツの対価では???なんでお金払ってる人が悪く言われてるの???
それなら課金してる人じゃなくてゲームを批判すればいいし、本人が納得してお金払ってるなら別に良くないって思うんだけど。
借金してまで課金する!なら批判されても仕方ないと思うけど、そういう話は聞かないし。
でも更にわからないのは艦これみたいなブラウザゲームFree to Playに課金してる人は悪く言われないのに
その時欲しいと思ったものをお金を払って手に入れるのは一緒だと思うんだけど
それがゲームの時だけボロクソに言われるのほんと謎。
女子高生時代、オーストラリアへホームステイに行った。2、3日程度だったと思う。
ホームステイは出席番号順。運よく仲の良い友達と一緒に行くことになった。
2人でペアになり、ホームステイ先の紙を渡されて、何をプレゼントするか等を話し合う時間が設けられた。
え?弁護士!?色々美味しいもの食べさせてもらえるかも!ひゃっほー!!!
扇子やドラゴンボールのオモチャ(海外では結構人気らしい)、折り紙を持って行くことに決めた。
空港にて。
何をするのかも全然分からない状況で、とりあえず美女の前に立った。
そうするとニコリと笑ってサムズアップ。GOODサインをしてきた。
美女は何も話さず、にこりと笑って親指を立てるのみ。私も同じように笑顔で親指を立てた。
鬼のような形相になったと思ったら、親指をカウンターに押し付けるジェスチャーをしてきた。
――あ、指紋認証??
英語で話してくれれば何となく理解できるのに、何故無言だったのか。
オーストラリアについて、ホームステイ先に行くと 夫婦の他に溺愛していると思われる愛娘が居た。
面倒になってきたので淡々と書くと、
翌日、「弁護士の仕事に行くから車に乗れ」と言われて車に乗り込み、そのあと訪問先の広いお庭(森)で待たされること3時間。何もなし。
友達と「あ、お馬さんだー、ぱっかぱっかー」「あの鳥、ぴーーーぎょぇえ、ぴーーーぎょえぇって鳴いてる!うあははは!」
「ねぇねぇ、ここ木で穴掘ってみようよ。うへへへへ」と、とち狂った。その動画は今でも手元に残っている。
晩御飯はピザだった。オーストラリアに来てピザ! 正直、ピザー○の方が美味しいなと思ってしまった。
おっさんと話していると「前に来てくれたミキちゃん(?)は英語上手かったのになぁ」と嫌味を言われた。
その翌日、また「弁護士の仕事に行くから車に乗れ」と言われて車に乗り込むと、ショッキングピンクの建物に詰め込まれた。
2時間待たされた時に痺れを切らし、友達と外に出かけてホットドッグを食べた。美味しかった。
弁護士の仕事が終わったから迎えに来たあと、「お昼ご飯はコレだ」とチョコバーを渡された。
帰り際に何故かケーキを奢ってもらい、家に帰ると「晩御飯食えないだろ?ステーキ食うか?」と言われ
二人して「ステーキ!?食べる!!ください!」って言ったら笑われた。
ステーキ食うかって言ったのはオーストラリアジョークだったのだろう。許さん。
準備している間に気が済んじゃった?
まず普通の人はディズニーランドのことを「パーク」とは呼ばない。
ホテルに泊まって8万。
チケット代が2万。
かなりウキウキで準備したね。
8万ならヴェネチアサイドかポルトパラディーゾサイドか。予約頑張ったね。
チケットや食事を別立てで金額出しているってことはバケーションパッケージではなく素泊まり?
ホテルの食事は部屋の予約に紐付けただろうから、予約が取れてまず喜んで、そのままハイな気分でどんなもの食べようかな、子供が小さいとコース料理なんて滅多に食べに行けないもんな、とか考えながらお店見るのが楽しいよね。
チケットは1デー?
2デーだと夫婦子供の3人で3万超えるから、2万ってことは1デーだよね。
書いた順が行程なら、1日目は泊まるだけにして、2日目がパークかな。ランドとシーのどっちかは書かれてないけど。
どっちのパークに入るのか、ホテル特典のアーリーエントリーで入るのか、効率よくどう回るのか、何時には起きないととか嫁さんと相談しながら決めていくのが楽しいよね。
この様子だとパーク内のお昼もしっかりPS取ったんでしょう?
パーク内の回り方とかFPの時間とか考慮して、何時くらいが良いとか、何を食べたいだとか、子供と一緒にメニュー見るのが楽しいよね。
タイトル通り。
サッカーに夢中でまったくニュースに気づかず、さっき知ったばかりで混乱している。
2chのほっこり書き込みの選別が好きだった。まとめサイトの一種であるにもかかわらず、淡々とした掲載方式に読みやすさと好感を覚えていた。
ちょっとそれは、ダメでは?って角度もあったけどまっすぐに持論を展開する姿勢が好きだった。
年に1回あるかないかの、猫先生写真の差し込みも楽しみにしていた。
著作も買って読んだ。
そしてセミナーにも参加した。
長年ブログを楽しませていただいているお礼に、ささやかなお土産を渡したら
それがほんの一ヶ月前のことだ。
信じられない。どういうことなんだよ。
ここ数年他界した祖母や親戚は、病気や老衰で一年以上前から覚悟できていたから受け止められる死だった。
ここのところLineではお疲れの様子が伺えたけど、元気だったんだよ。
今日はマイケルジャクソンの命日で朝からちょっと憂鬱な気分でもあったのだ。
そこに畳み掛けるような出来事で、友達でもないのに、一緒に仕事したことすらないのに、
氏の命が奪われたことが悲しくて仕方ない。
帰ってきてよお願いだ…
私は怒っています。私は純粋な一般的在日外国人ですが、私の怒りを日本を代表するテクノロジ会社であるはてなに告発します。私の感じた、あたかも燃え立つもみじのような怒りに聞き耳を立てて頂きたければ幸いです。
私は日本が好きです。東京の外資系テクノロジ会社に勤めています。日本は良い国です。アニメが好きですし、和食、コスプレ文化も好きです。日本の女性は熱い情熱的で好きです。あたかも羽であるかのように軽い体重を保持する女性が多いことです。私は日本文化に深い興味関心をお持ちですので、日本語の勉強をしました。私は日本語検定準一級を取っており、私の日本語能力は立て板に水です。
私は先日、友達を伴って熊本に観光に行った時のことです。私共は熊本城を観光しました。すばらしい体験でした。夜は地元寿司を食べることもできました。
私の怒りの体験は、大好物であるウニ軍艦を食べている時のことです。なんと、私の右隣に腰かけていた男性が、寝耳に水を刺すがごとくに話しかけてきたのです。
"Good afternoon."
これはどういうことでしょうか。私は日本語で日本の板前に寿司を注文したのです。彼の目は節穴であるのか。あるいは目に鱗がはさまっているのか。どちらか分かりません。繰り返しになりますが、私は日本語検定準一級を取っており、私の日本語能力は立て板に水です。「こんばんは」を聞き取ることなど、などお茶の子さいさいです。彼は私の驚きなどどこ吹く風で続けます。
なんと愚かで気の利かない質問でしょう。旅行の中で好きではない寿司を食べようと思うでしょうか。彼の得意げな得意げな顔が癇に障りました。
その後もくだらない会話をいくらかしましたが、私にとっては苦痛そのものでした。京都人であったらこう言ったでしょう。
「あなたの英語はほんまに流暢ですね。私はあなたのほんまに流暢な英語を聞き取れませんどすえ。」
彼女は八つ橋をお土産に差し出す必要もあるでしょう。あたかもロリポップキャンディであるかのように甘い笑顔と共に。
東京ではこのようなことはありませんでした。彼はきっと、ガイジンがめずらしいのでしょう。彼が友人のインドネシア人には決して話しかけないのにも怒りがこみ上げました。
私は観光をしていたのであり、英会話教室をしていたのではありません。また、私の日本語能力は立て板に水で日本語で話してくれてもいいのです。ガイジンには日本語ができないという強い偏見は侮辱でありました。
数年前の話になる。
会議が深夜から始まることが多く、日本の家も寝るだけの場所だったので、解約した。
実家が近かったけれど、ウィークリーマンションを借りるか、ホテルに泊まるようになっていた。
会議で帰りが深夜2時くらいになると、そこでご飯を食べるようになった。
私は飲めないのだが、申し訳なかったので、ビールを一杯か、ノンアルコールカクテルだけは飲んだ。
彼女は、50代くらいのシングルマザーで成人したお子さんが3人いる。
彼女のまったりした雰囲気に癒されていた私は、自分の話はしなかったけれど、
子育てがひと段落し、バーで出会ったらしい彼氏と、恋を楽しんでいるようだった。
彼女の生い立ちや恋バナを聞いていたら、連絡先を聞かれた。
「こういうの私、普段しないのよ、今度ご飯に行こう、会わせたい人がいるの、気があうと思う。」
若いバーのマスターが「あの人はいい人だよ」と言うので、ご飯に行った。
誘われた場所に行くと、彼女より10歳くらい年上の男性がいた。
彼氏というその人は、かなり上下関係に厳しい人で、上司とその奥さんと飲んでいるようだった。
地元と言うのは面倒で、
その彼氏ともれなく共通の知人がいたり、若干の仕事上のつながりがあったりで
無下にも出来ず、深夜に呼び出されたら、行くようになった。
イエスマンと化して、ただ時を過ぎるのを待ち、飲めもしないのに、飲むふりをして、
そして、少しずつ、彼女に対して、疑問に思う事が出て来た。
「小さいお金持ってる?」と言ってくる。
もちろん、大した額でもないので、最初は気にせずに渡していた。
と思いながらも、そう聞かれたら、半分下さいとは言えなかった。
働いている様子はあったが「携帯代払えないから、息子に連絡しよー」とか平気で言う。
「私もあなたくらいの時にやりたい事がたくさんあった」
と言うのが口癖で、海外の話をよく聞いて来た。
実際、仕事なので、観光には縁がなく、あまり答えられなかったけど
苦労したんだろうなと思って聞いていた。
すると、「母親が具合が良くないんだけど、息子たちが旅行に連れてってくれるよ!だから頑張ろうって言ってるの」
と言った時「自分が連れてくんじゃないんだ」とかなり引き気味になっていた。
もうだめだ、やめよう。と思っていたが、
なぜか、その時は、2人を無視出来なかった。
ある時、同僚と入った出張先のホテルのバーで、その話をしたら、
「バーでは珍しい話ではありません。水商売の人も不倫も多いしですし、
と言われた。
そして、「バーに入る時は、ある程度、高級なところに入った方がいいですよ」と忠告してくれた。
同僚も「金づるとダシじゃん、バカなの、お前」とキレた。
その時、初めて、それに気づいた。
2人は、別々に来たし、別々に帰って行っていた。
彼女から、子供の話は聞いたけど、彼氏から家庭の話は聞かなかった。
私は、アホだった。
それから、速攻で電話番号を変えたので、その後のことは知らないが、
2人はかなりの有名人だった事がわかった。
そして、件のバーは、マスターがクズで、女の子に手を出しまくり、犯罪で捕まって、潰れた。
彼らにあっていた時、かなり苦痛だったのに、
全く状況を理解出来ず、使命感のようなものに囚われて(うまく言えない)
今でも、何がどうなって、そうしていたのか、よくわからない。
何から何まで話す人もいないし、聞いたりもしない。
深入りした人間関係ばかりでなくても、それでもいいと思って来た。
でも、こう言う形で、人間関係の勉強するとは思っていなかった。
2人が悪い人かどうかは、わからないけれど、
読んでいただいた方、ありがとうございました。
学生の頃によく通ったバーがなくなったという報せを聞いたのは、出張で東京から大阪に向かう新幹線の中だった。
新幹線。大学進学を機に東京の西の方へ引っ越したぼくの出身は新潟県で、当時のぼくにとって、新幹線といえば、東京都と新潟県をつなぐ上越新幹線のことだった。新潟。海沿いの街ならばともかく、山に近い町では、一年のうちの半分以上が雪と雲に閉ざされる土地だ。
冬に東京から上越新幹線に乗ると、日本海側が「裏日本」と呼ばれるのが納得できる。携帯電話の電波の入らない、長いトンネルを抜けると、そこはたしかに雪国だ。トンネルに入る前の、抜けるような青空からしてみたらまるで異世界のような、モノクロに塗りつぶされた街が見える。たまにしか来ない旅行者にとってはそれは心踊る風景かもしれないが、「裏日本」の住人にとっては、長く続く冬のあいだ、ほとんど太陽を見ることができないという気の沈む現実をそのまま描き出したような光景だ。
新潟県に住んでいるころの生活は、そんな冬の憂鬱な景色と似たり寄ったりだった。中学校のクラスメートの多くは、ぼくに猿山の猿を思い起こさせたし、教師たちだって、そのうちのほとんどが想像を絶して想像力のない無神経か、生徒へ媚びては「人気の教師」というくだらない肩書きに執着する俗物のどちらかだった。
ぼくにしたって、そんなくだらない学校生活から颯爽と抜け出せたわけではない。自分も、くだらない生徒のうちの一人であることには違いなかった。そんな鬱屈をぶつけるかのごとく、音楽を聴いて、小説を読んだ。音楽や小説は、ぼくの肥大した自意識をなぐさめながら、同時に、その自意識をさらに肥大させた。
ひとことで言えば、ぼくは、音楽や小説に自分の存在そのものさえを仮託する、盆暗だった。そうして、ぼくは中学高校をやり過ごしていった。
◆
車内販売のワゴンを押しながらお土産やコーヒーを売る販売員の声で、ぼくはふと我に帰った。いつのまにか新幹線は名古屋駅をすでに過ぎていたらしい。車内販売員からぼくはコーヒーを買った。熱いコーヒーを飲みながら、ぼくは高校を卒業した年の3月のことを思い出していた。
大学進学に伴って、上越新幹線を使って上京した。まだ雪の深く残る街から、荷物を抱えて新幹線に乗り込み、トンネルを抜けたときの空の青さにせいせいしたのをよく覚えている。これからは、猿山の猿や無神経や俗物に付き合わなくていいんだ、そんな気持ちを、青い空は祝福してくれたように思えた。
そうして手に入れた大学生活にも慣れ、過剰な期待もなくなり、肥大した自意識ともうまく距離をおけるようになった頃のぼくに、ほんとうのお酒のおいしさを教えてくれたのが、件のバーだった。学生街にありながら、その店はいつでも静かだった。生まれて初めて、本や音楽の話が心からできる友人とも、そのバーで知り合った。マスターは、少し背伸びをした学生に、いろいろなお酒を教えてくれた。酔うためではないお酒を、リラックスしながら飲む日々は、ぼくにあの新幹線で見た青空のような解放感を与えてくれた。
◆
そのバーがなくなったことをメールで教えてくれたのは、当時の友人のうちのひとりだった。大学を出た後、ぼくとはまったく違う業界に進んだ彼と会うのは、3年に一度程度の頻度でしかなかったけど、会うたびにぼくらは、リラックスできる店で静かに酒を飲んだ。そんな彼の名前と一緒に携帯電話の通知に表示された、「あの店なくなったの知ってる?」という文字列に、それほどショックを受けていない自分に少し驚きながら、ぼくはヘッドレストに頭をあずけて目を閉じた。
ぼくたちが店に通っていたときから、もう8年が経つ。東京で就職し、大阪に頻繁に出張に行くようになったぼくにとって、新幹線といえばもう、あの長いトンネルを伴う上越新幹線ではなくて、東海道新幹線のことになった。ぼくはもう一度携帯電話の通知欄を眺めてから、また目を閉じて、新幹線の規則的なゴトンゴトンという音に耳をすませた。