はてなキーワード: 霧散とは
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/42509
そして「こんなのリンチじゃないか、本当かどうかも分からないのに」というブコメもついている
おそらく、ここで「いじめ許さない」と言っているブクマカは別に
「小室さんが虐めをした、許せない」とは言ってない
「小室さんが虐めをしたなら、許せない」と言っている
途中でめんどくさくなったのでやめるが、この手のブクマカの書き込みがちらほら見ていて思うのが、てめーら幸せな人生だったんだな、と。
虐め加害者は基本的になんの罰も受けずにのうのうと生活しているから
なのだ。
別に人を殴ったり殺したりしたら普通は捕まって罪を償う。だがいじめは人の人生をぼろぼろにして精神を破壊するくせに、なんの罪にもならない
いじめていたからといってリンチが許されるか、というならば、人をいじめてもなんの罪も償わず、人の人生壊して平和に生きていくのが許されるのか?
他人を傷つけたことがあるだろう、っていじめって傷つけるなんてレベルじゃないよ、あれは破壊だよ虐殺だよ
学生時代のいじめの悪辣なところは、逃げ場がない学校生活で行われることだ。仕事してたら転職という手もある。余りに酷いことをしたらパワハラになったり会社も味方になってくれる事もある
だが虐めで被害者が取れる対策はだいたい家で引きこもるだけだ。
勉強は遅れるし学生生活はできないし、ただでさえ被害者なのになんのメリットもない。なぜか加害者は学校に来るので加害者だけが普通に教育を受け、友達と遊び普通に卒業する
性悪な過去をずーっと引きずった人は幸せになっちゃだめ、じゃないんだよ、性悪な過去を何一つ償わずにいるから幸せになるなっていじめ被害者は思ってるんだよ
お気楽に「リンチは~」とか言ってるブクマカ達は、そういう正論やご立派な性善説が通用するレベルを通り越して、いじめられっ子は憎悪を持っていると考えた方がいい
ブクマカの正論はいじめられっ子には全く届かない。そんなレベルの憎悪じゃない。憎しみで人が殺せるならいじめっ子はみな爆発霧散している
そーゆー議論?とかみたいな話みたいなのがふってわいては泡沫のように消えて
まただれかがそれを前提にしたり関係ない事例をみてそうだといったり
そこから古典だの歴史だの原典だのを探るとかいってまとめてはまた
都度でてきた単語を重ねてまとめて主義だとか理論だとかいうのはさ
いわゆるゲリラ戦法 どこにでも表れてそこに落ちてる環境を武器にして
反撃を食らうと霧散して様子をみては残骸を拾って小競り合いをするの
ゾーニングってのはちゃんと試合を組んでルールの上で戦おうねってこと
そういう話ならどの性別がどの人種がどの局面においてどういう部分においてのみ問題があるのか
デザイナーで女性なら女性を代表していいのかデザイナーはその候補の要因たりえるのか
自分語りをできるだけ重ねれば主義主張に正当性を加味できるのか
試合に上がるボクサーは頑張ったのだから体重がすこし重くても同じ階級にいれるのか
賞金を期待している貧しい子供たちがいるから判定を甘くすべきなのか
新天地という自分が暴虐を揮えるゾーンに来たからゲリラに参加してみる威勢はいいけど
問題をややこしくて情勢をひっかきまわしてるのは
君たちゲリラだよ
自爆装備で自分は一般の村民ですがって両手を上げて入ってくるのは
暇な時「もし今をもって世界中のインターネットが停まって二度と復活しなくなったら?」という妄想をする
・本屋が元気を取り戻す
・ファンロード復刊
・ツタヤがまた増える
・YouTubeはTSUTAYA的な実店舗のレンタルビデオ店やるのかなとか更に妄想膨らませても楽しい
・GAFAとか規模デカ過ぎてどうなるのか検討もつかなくて妄想が楽しめない
・一長一短あるけど無名の一般人が上げる声とかが通りにくくなるのは怖いかも
・このモデムを使うだけでまたインターネットが利用出来るようになりますみたいなのとか、
書ききれないのでこの辺で
缶チューハイを一本飲んだだけで翌日が台無しになるくらいに酔うのでほとんど下戸つってもいいくらいなんだが、そのくせ酒を飲むという行為に憧れがある。
ギョーザや唐揚げなんかを食うと「これで冷えたビールをやれたら最高!」と思うし、ちょっといいチーズを食うとワインがあればなあ!なんて言ってみる。実際にはビールもワインも全然飲まないし、飲めない。
酒に弱いし大してうまいとも思わないってことは経験的に知ってるはずなのになぜか頭のなかに「最高の酒盛り」みたいな概念があって、ツマミ的なものを見るたびにそれが鎌首をもたげる。
エビスビールなんかを買って、自作の餃子をたくさん焼いてグワーッと一発やってみようかな。でもそうすると頭の中の酒盛り幻想がいよいよ本当に実現可能性をなくして泡と消えてしまう気がする。
缶チューハイをまれに飲むくらいがいいんだろう。アルコールの雰囲気だけ覚えておいて、あとの部分は想像力で補う。揚げ物を食うときはビールの喉越しや冷たさを想像して楽しみ、牛すじを食うときは日本酒の玄妙な味を思う。それが俺にできる最高の酒との付き合い方なんだろう。
本当の酒盛りをすると「最高の酒盛り」が霧散してしまって楽しみを失ってしまう。人生で初めて買った宝くじで一等当選!って夢を無くさないために宝くじを一枚も買わないでいるのと少し似ていて、悲しい気もする。
ある程度読んでいる人前提の記事であり、ネタバレの要素が含まれています。
もしこの記事を先に読み、興味が湧いたという方がいらっしゃいましたら、是非漫画も読んでみてください。
タイムパラドクスゴーストライター/ジャンプ本誌新連載マンガ試し読み - 市真ケンジ/伊達恒大 | 少年ジャンプ+
週刊少年ジャンプにて連載中の漫画。2020/24号から連載開始。
2020/07/17時点(2020/32号)で9話まで連載されている。
漫画家志望の青年・佐々木哲平は週刊少年ジャンプ編集部に何度もネームを見せるもボツ続きの日々を送っていた。
ある日、落雷の影響で電子レンジから10年後の未来の週刊少年ジャンプが送られてきて、
そこに載っていた新連載漫画「ホワイトナイト」に感銘を受ける。
それを盗作し、連載を勝ち取るが、そこに本来の作者である藍野伊月(PN:アイノイツキ)が現れ、
ひょんな事から藍野伊月が哲平のアシスタントに加わることとなる。
ホワイトナイトが未来のアイノイツキからの盗作である事を隠しつつ、哲平は毎週送られてくる未来のジャンプを参考に連載を続けるが、
そこには
という旨が書かれており、哲平は戸惑いながらも藍野伊月を救う決意を固める。
未来からのメッセージから半年後、藍野伊月はANIMAの連載をスタートさせるため、アシスタントを卒業する。
佐々木哲平vs藍野伊月がついに始まろうとしていた。
第3話 同類
第4話 贋作
第5話 本物の偽物
第6話 ストップ!
第8話 メッセージ
第9話 白紙の続き
未来のジャンプは1の世界線から2の世界線に向けて送られてきている。
で未来から佐々木哲平に向け、砂鉄を利用したメッセージが送られてきた。
送っているのが人なのか何なのかはまだわからない。
哲平がお前は誰だ?何者だ?と聞いた時、
√144や藍野伊月が頭に付けているヘアピンのマークが表示された。
・ ANIMAを藍野伊月が連載する事を知っている
・ 佐々木哲平が藍野伊月に負けると藍野伊月が死亡することを知っている
この事から
・ すでに藍野伊月の死亡を一度は確認している
・ ホワイトナイトを失った藍野伊月がANIMAを執筆する事を確認している
・ 藍野伊月を救う方法を分かっている
さらに
「藍野伊月を救う方法を確認しているという事は、すでに何度か藍野伊月の死を経験しているのではないか」
という事も推測できる。
と逆説を考えると
ANIMAを知っているはずの未来からのメッセージを送っている人と、ホワイトナイトの連載がある未来のジャンプを送っている人の世界線が異なるため、別人である可能性がある
ということも付け加えておく。
現在は死因について全く触れられていない。
どうしたら辻褄が合うか考えてみる。
・ホワイトナイトを執筆し続けた場合、10年後に熱狂的なファン(ストーカー)に殺される
・ANIMAを執筆した場合 人気投票1位を取る ー> インタビューに答えるなどをし作者の顔が世間に知られる ー> 熱狂的なファン(ストーカー)に殺される
こんな死因ではないか?と考えると
「漫画の人気投票で1位を取ることが無ければ、世間に注目される事が無く、殺されないのではないか」
とも導き出せる。
この推測があっていた場合は佐々木哲平がANIMAに勝ち続ける必要はない。
ANIMAが一位を取ったとしても世間の注目さえ浴びなければいいので、個人情報は絶対晒さないなどでも回避できるが、
美少女漫画家などマスコミからすれば良いネタなので藍野伊月の性格から考えると難しいだろう。
佐々木哲平が勝ち続けると注目が佐々木哲平に移るという事も考えられる。
その場合、
なんてという展開も考えられる。
もしその時は
ジャンプを腹にでも入れていて命が助かった
という展開でジャンプをヨイショするのもアリだろう。
事故や病死だった場合、漫画の勝敗は余り関係がなくなってしまうし、別の要因を排除するのが自然だろう。
過労死という展開も考えられるが、漫画が描きたくて漫画家になり、漫画を描いて人気絶頂で死ぬ。
これを止める権利は誰にもない。人気で勝ち、萎えさせろ!なんていう後ろ向きな死の止め方はため息しか出ない。
この藍野伊月の死因については不明な点が多いため、さらなる情報を求めたい。
ハッキリとした理由は不明だが、現在までの哲平の想いを羅列すると
などがある。
藍野との関係性は漫画家-アシスタント(現在は作家仲間)の間柄程度で、
良くて友人レベルまではあるが、恋仲といった描写は今の所無いようだ。
2030/24号から2031/21号まで佐々木哲平の手元に存在している。
月曜日の16:59に毎週届くが、例外として合併号の翌週は届かない。
また2031/20号はホワイトナイトの掲載がなかったため、届かなかった。
また、最初に届いた2030/24号は一度消えたと思っていたが、隙間に落としただけで残っている。
その他の号はコピーしていたり、本棚に置いてある描写があることから保管しているものと思われる。
10年経っているため、哲平の知っている作品は一つも無いとのこと。
ホワイトナイトは2031/19号の45話が最終話になるという旨が合わせて記載された。
時が進むのがめちゃくちゃ早い。(9話にして劇中ではすでに一年が経過した)
存在しないホワイトナイト46話以降のネーム苦労していたような描写があったが、
霧散してしまったり、別の漫画のキャラみたいな下目にクマが描かれるようになったり
と親指噛んだりとツッコみたい所一杯ある漫画ですが、憎めない。
超えてくるような展開をしてほしい。
龍の身体には力が宿る。
角から削り出した槍は山を穿ち、爪を研いだ剣は一振りで城郭を断ち切る。龍鱗の鎧は稲妻を霧散させ、龍血の薬は万病を癒す。
龍の身体に捨てる所なし、というのはよく言ったもので、骨も革も眼球も脳も、果ては腸までもがとてつもない高値で買われていく。龍一体で国がひとつ買える…とまでいうと少々大袈裟だが、村落のひとつやふたつが買えることは紛れもない事実であろう。
しかし、そんな龍も糞はする。長い眠りから目を覚ました龍は霊峰のねぐらを出て千里を駆け、気まぐれに街を焼き、糞を垂れる。
龍の身体には力が宿るーー龍の身体の内部にあったその糞も、決して例外ではない。
ドラゴンうんち。力ある糞。
名もなき冒険者たちは、今日も密林に、砂漠に、雪山に、洞窟に旅立っていく。龍の糞を見つけ出し、その力の恩恵に与るためにーーー
コスプレ系喫茶とか、そういうイベントの時の話じゃなくて、日常生活でゴスロリ系ファッションしてる方の話ね。
俺は仕事で接客やってるんだけど、ゴスロリ系ファッションのひとへの接客に苦労してる。
着物系とか現代アート的ファッションの方は何の苦労もないんだよ。一般ファッションの人たちとほとんど変わらないし、こちらも経験量が多いから、それなりに振舞える。
しかしゴスロリ系の方となると、皆目わからない。団体さんとかを案内してきたが、いずれもなんか、こう、とらえどころがなくて正解がわからないまま煙に巻かれた感じで接客が終了してしまう。
愛想悪いってわけじゃないくて、反応が薄いんだよ。おもてなし業務の中で、例えばお食事は洋食にしますか和食にしますかみたいな質問をするときが必ずあるじゃない。そういう時、反応が「~~……------…」という感じで、ぼんやりとしちゃっていうか、ふわ~っと質問が宙に散るというか。聞き方が悪かったかなとか、和食はないだろ空気読めという圧力なのか、分からないわけだよ。でもゴスロリを身にまとっているとはいえ和食は食べたいときもあるよね?中には和人形的な方もおられるわけで、「やはり洋食でございますね」とか勝手に進めちゃいかんわけで。じゃあ大正浪漫系統は和なのか洋なのかとかさ。
ゴスロリ系と書いたけど、ロリータ系ゴスロリではなく、ゴス系ゴスロリかな。特にわからないのは。配色黒多めというか、そういう感じの。怖い系。
リピートしてくれるゴス系の方もいらっしゃるので、こちらの接客に致命的な問題があったわけではないのかなぁと予想はしてるんだけど、やっぱり質問が宙に舞うわけだよ。「今回もご利用ありがとうございます」と言っていいものなのか。どうなんだろう。読めない。それがゴス系のスタイルなのだろうか。
前回は洋食(たとえの話ね)だったから、やはり今回も洋食?とか、いや、逆に和食か?とか、今回はお人形さんも同伴なので、料理に何か気を付けるべきことはあるか?椅子は増やすべきか?とか、いろいろとこう…知りたいわけだよ。あるいはさっとメモ用紙と羽ペンを差し出すべきなのか。そもそも質問をするなということなのか。
これが着物系とか先生系とかカミサマ系とかヤンキー系とかアゲアゲ系とかお勤めご苦労様でした系なら、割と対応の仕方は経験として持っているんだけど、ゴスロリ系は経験値がない。
仕事の誇りは持ってるつもりなんで、別にゴスロリだから「うひょー、なんか変なのが来た」とかは全く思わないんだけどね。
とにかく、ゴスロリ(特にゴス系)のひとへの対応のしかたというか、空気の読み方を知りたい。NGな行動はあるのかとか。
ゴス系の方が来店されると「やったるで!」という気持ちになるんだけど、その緊張感までもがふわ~っと霧散していく感じなんだよ。
ちょっと前まで掲題のような空気だったのに、いつの間にかそんな空気は霧散しちゃったね
TeamsとSlackは機能が競合してる部分もあるから誤解をされやすいけど、収益の競合は一方通行なんだよね。
Teamsを提供するMSにとっては、顧客がTeams使おうがSlack使おうがOffice365契約してる限り収益は変わらない。
Slack使うためにOffice365切り捨てます!って企業もそんなにないのはOffice365の契約数の推移からいっても明らかだし。
けど、Slack側としては自社製品を採用せずにTeams使われると収益が損なわれる、という一方的な収益競合状態。
Teamsというチャットツールを既存のOffice365製品群をつなぐ糊のような位置づけにして、製品単独での収益を目指さなかったMSが上手かった。
ちがう,そういうことではない.思考をまとめるのに短文の連続が適していて,それが簡単にできるのがTwitterであるというだけで,それを見てほしいというわけではない.
という反論するタイミングも合ったかと思えば,時流に沿ったなんらかにコメントしたいときもある.
トレンドだったり,事件事故だったり,天気だったり体調だったり,空リプだったり直リプだったり.
そもそも,キーボードでの入力とフリックでの入力にはその出力過程で思考がまるで変わってしまう.
人を傷つけたいわけではないが,自分の思いを正直に言葉にして昇華するとなぜか人が傷ついてしまう.
ネガティブな自分を戒める思いを綴った文は否定文以外の部分だけみて敬遠される.
こうやって匿名で文字を書いてみても,ほんとうにいいたいことはもうすでに蒸発している.
じゃあやってみよう。何事も挑戦だ。
まず摘み取られるところから。森林ヒーリング系のBGMでいきましょう。
爽やかな葉擦れの音。突如現れる足音。ブチッ。鈍くて強烈な痛み。空を飛んでいる。意識を手放す。
ここでBGMを居酒屋のような喧騒に切り替える。騒がしい音が四方八方から攻めてきて、ちぎれた部分に響く。
刹那、短く鋭い痛みのあと、全身が細かく分割される。意識が霧散していく中で、体にねっとりした何かが纏わされてる気配を感じる。
そしてそのシュワシュワパチパチという音は、自分の右耳でも左耳でもなく内側から発生しているのだと想像する。
その音は心地よいだろうか? 不快だろうか?
そんなことを考えているうちに固められ動かなくなった自分が硬い皿に置かれ、何者か――それはきっとキミだ――の前に晒される。
山菜だった自分はすべてを手放し、キミの歯によるダメ押しの一撃、いや十撃くらいを食らった後、キミと一つになる。
死にた過ぎて。
私ってJKだけど友達もいないから、ストーリーに死にたいって書いても見た人を困惑させるだけで、大丈夫の一言も言って貰えないだろうから、しない。
私の周りの人間は、わたしが軽薄で、お気楽で、なんにも省みない態度をとってる時だけ優しい。
実際の私って、そういう生き方しか出来ないし知らないから、周りの人々の私の扱いは正当といえば正当なんだと思う。
基本的に人間って他人の中に自分に与えてあげるような真剣さを、切実さを見い出せない生き物なんだから、私みたいな共感性もない自堕落なだけの人間に共鳴して自分の何か一つでも与えてやる価値なんかない、使い捨ての暇つぶしの人間なんだ。その面においても需要が少ない。それでも私みたいな人間を求めてくれる人がいるって有難いことのはずなのに、求められることがたまに重荷になる。なぜなら、私を求める人があるとき、その人には必ず私に対して、私の先に何かを「求め」ているからだ。私が彼らの要求を破棄すれば、彼らも私を気味悪がって棄てていくだけだ。今私を知る誰しもの記憶から消えて、私が必死で私を守るために取り囲んで人達からスパンと切り離して貰えたら、誰にも少しも必要とされない人間として世の中に放り出されたらどれだけ楽だろう。最初から居場所を持たない透明人間として、都市を浮遊する。やがて夜が開ける前に霧散する。たまに死んだ人はすぐに忘れられると言うけど、私はそうやって忘れらることにこそ喜びを感じる。誰も私を思い出さなくなった時、現世での私は完結する。指をパチンと鳴らしたら、それを合図に私がこの世から消えて、誰も私のことを思い出さなくなったらいいと思う。17年この地球でこの日本で生きた私という生命体が一瞬にして消え、存在していたはずの事実が消え、人々の記憶からきれいさっぱり消える。私という存在がこの世にもたらすことが出来る事として、これ以上に美しいことは無い。
さっき、死にたいと検索して出てきたサイトではただ逃避したいという思いから来る死への欲求と鬱からくる死への欲求は別だと、書いておりましたが、私は死のうとして死ねなかった人のブログや文を見て大抵ガッカリしますよ。
だって、生きていることに感謝しているし生き延びられたのも何かの運で、今死にたいと思っている人は.......と続くともう読めない。勧誘の電話をガチャン!って切るみたいにうるさい!と撥ねつけたくなる。私が今必要としてるのはやっぱり「本当に死んでしまった人」の言葉なんだ。でもそれをなぞっていくのは苦しい。なぜなら自分の死への欲望も加速度を上げてしまうから。それも途方もなく。
最近、品川同性愛者殺人事件の記事を読んだら、犯人のこういう供述が載っていた。「当時の私は自由気ままで……我慢、忍耐、努力とか、ありませんでした…」
私は記事を読みながら、この言葉に大いに共感しました。私もそうだからです。
はっきり言って犯人である彼女はめちゃくちゃな人です。やっぱり、人間ある程度我慢や忍耐や努力出来ないとまともには生きていけません。彼女の場合は彼女自身は生きていますが、その過程で人を1人殺してしまっています。
でも悲しいことにそのために頑張れません。
甘えと言われるかもしれないけど、ふざけるなと打たれるかもしれないけど、本当にそうなのです。
1番最近泣いた時は、私は、私は何にもなれなかったと思って泣きました。
私はずっと何者かになりたかったのです。でも、それに意味が無いことを知ってしまいました。世界に意味が無いことを知ってしまいました。
だからもうこの世の中の「何か」にはなれない。そう思うと何者かになりたかった自分が、自分の好きだったもの全てが、自分というもの全て何もかもが溢れていくようでした。私にそれをせきとめることは出来なくてただ声もあげず泣いていました。
最近はふと、バスの窓などから見える、自分の生活のために勤しむ人々を見ると寂しくなります。
そのような所謂「普通の人々」は私の悩みなど気にもかけないでしょう。そういう人達にとって私のミジンコのような価値のない、弱々しい、自暴自棄でクズなだけの悩みなんて鼻くそ同然です。
しかし、私が勝手に普通の人々と見なしている人々の中にも私と同じような悩みを抱えている人がいるかもしれません。
でも、絶対に私たちは、それを本質的に共有出来ない。それが分かっているなら、自分対世界と切り分けて自分だけがオカシイんだ壊れているんだと思う方が楽でしょう。耽美な悲観に酔いしれることができるから。
ああ、できればみんな私のことを可笑しい可哀想な人に仕立てあげてよ。そしてうんと優しくして欲しい。今でさえこんなに優しくしてもらっているのに?
これ以上優しくされることって、赦されることって死んでるも同然なのに。