はてなキーワード: 軽蔑とは
インターネットは空っぽの洞窟が出版されたころ、ダイヤルアップ接続でウェブ空間に来た。
きっと世の中にとってプラスに働くだろうと感じた。
それから早四半世紀。
2ちゃんがリンチ装置になったのは21世紀になって比較的早い時期だったし、
高尚な理想があったはずの日本語版Wikiがインテリ崩れの自己顕示欲発露の為だけの空間になったのも早かった。
どんなサービス、サイトが生まれても数年もしないうちに2ちゃん化し、
かつて隣組や五人組を連想させる息苦しい空間へと変質し日本語ウェブ圏は底質化していった。
スマホが現れ一億総ネット社会になったこの7-8年はもう語るに落ちた感がある。
この間テレビを見ていたら、
その原因の一部を担ったであろう西村博之はとうの昔に仏国暮らしと聞いて呆れると共に、
無責任と匿名の暴力というパンドラの箱を開けた当事者なんだから責任取れよと思う反面、
当事者が逃走するほど制御できない流れになったんだなと感じてる。
どこを見ても暴言、人種差別ワード、消えたはずの差別単語だらけ
国営放送が有象無象のツイカスの戯言を下部に表示するようになったのも何時だったか
真面目に長文を書けば罵られ、おちょくられ、人格を否定される。
炎上は毎日のように起こり、どこかで誰かが人生を破壊されてるこのウェブ空間。
もうたくさんだ。
もううんざりだ。
商売柄ウェブから離れられないが、損害を被ってもいいから日本人相手にネットでビジネスするのはもうやめよう。
そう感じて数年前からウェブは極力英語やドイツ語などに限定して使用するように心掛けた。
ここどこよ?
確かにトロールと呼ばれるキチガイや粘着はいるが、同時にそれを許さないという人達もいる。
「長文はバカ」と言い放つ底辺ツイカスもいない、自己顕示欲丸出しの勘違い顔本バカもいない。
「日本人の倫理意識は他人に見られることを前提に成立しているからじゃないかな」
神と自分の関係で倫理が成立する欧米と集団の中での位置関係で倫理が成立する日本人とでは
一人ぼっちで誰も見てないウェブでのモラルには根底から違いがあるじゃないかと話していた。
実際彼の親世代(日本語がわかる日系二世)の顔本は、三世の息子が見たら軽蔑するたぐいの内容らしい。
日本人が、日本文化が悪い・劣っているとは言わない、言いたくない。
ウェブと私達はあまりにも相性が悪かった・馴染まない文化を持っていた。
俺達は欧米人のような民主主義国も、言論の自由も望んではないなかった。
圧倒的大多数の人は、ウェブに憂さ晴らしと快楽、暇つぶし相手程度のものしか求めていなかった
マスゴミと罵るネットクズは顔出し名前出しのテレビ関係者よりも一億倍もゴミだと言うことに気づかないレベルの馬鹿だった。
日本語のウェブ空間は終わった。国が中国みたいに規制をかけたほうがいい。
匿名リンチの文化を止めないと、早晩悲劇が続発して社会不安に一役買うのは間違いないだろうなと思う。
でも俺はもう知らん。日本人同士で憎み合って殺し合って社会不安を煽り続けなさい。参加することをえらんだのは貴方だし
そう遠くない将来、ウェブは悲劇を生み出す装置となって多くの人に襲いかかるだろう。
結局21世紀の共産主義だったんだろうな。
この間ウェブアーカイブやグーグルも含めて。日本語圏での自分に関係する情報は全部消し終えた。
さよなら日本のインターネット。二十年近くの間夢を見せてくれてありがとう。
俺の日記に反論を書き込むヤツ、お前は精神病だ。狂う前に病院へ行け。
賛成して書き込まないヤツ、英語を勉強しろ、英語が使えればまだウェブへの希望を捨てるのは早い。
たぶん「病気」というほどではない(曲がりなりにも毎日会社に行っている)けど、私自身としてはかなりつらい。
死んでしまいたい、自分を傷つけたいという考えが頭から離れない。でも痛いのは嫌いだから、剃刀で切ったりする勇気はない。
実際は切ってないし、不眠でもない。食欲もある。むしろ寝すぎてしまうし食べ過ぎてしまうくらいだ。だから病気とはみなされないと思うんだけど、私はつらい。
そして私がつらいあまりに不安定になったりいきなりライングループ抜けたり猜疑心に満ちた言動をしたり爆発したり泣いたり喚いたりするので、周りも困っていると思う。
全然情緒がコントロールできない。元気なときは強靭な意志の力で我慢して、自分を騙して前向きに考えさせているけど、今元気がないから自分を騙せない。たとえばみんな私を軽蔑しているんだけど、元気なときは「そんなことない、仕事でも評価されてるし役にも立ってるし普通に接せられてる」って自分を騙せるけど、今は元気がないから軽蔑され疎まれ居場所がないように思うしそれが真実でそう考えないことは現実逃避だと思う。苦しい。でもみんなに私のこと軽蔑してるか確認するとみんなが困るし短気な人にはキレられる。苦しい。
私は悪人側でやっつけられる側なんだよ。みんな理にかなっている。正しい。私はわるいものなんだ。でもやっつけられるのは苦しい。屈辱だ。戦いたくなる。私は悪くないんだと言いたくなる。それでまた摩擦が起きる。つらい。わるいものはやっつけられても我慢しないといけないのに私にはそうできない。
それでなんかこの前ヤケクソでドラッグストアの更年期用の漢方飲んだらめちゃめちゃ心の中が透き通った。心の中でしとしとと静かな雨が降るようで、心の中のセリフや声が全部聞こえなくなって、何かあっても遠い海鳴りのようで。
いつもならずーっと考えることがやめられず、考えないと罪悪感があったのに、薬を飲んだらそれ以上考えるのが面倒くさい感じになった。でもそれでよい。とてもよい。考えなくていいなら考えたくない。他の人間はこんなに静かなところで生きているのかとおもった。私も元気になった。でも2日くらい元気になったらまた落ちてしまった。落差が激しいので元気にならない方がよいようだ。
でも、薬を飲んでいるときのあれは、よい心だなとおもった。薬を飲むとよい心が手に入るということを知った。でも更年期ではないのに更年期の薬を飲んでいるからか、ちょっと頭が痛くなるようだ。心が静かでよいのになぁ。でも頭が痛いのは困る。
現状あの薬を飲んでさらにバファリンを飲むという解決をしているが、糖尿病の薬も飲まないといけない。糖尿病は落ち込んだときや腹が立つときに暴飲暴食をしていたらなった。薬が四種類もあって体に悪そうだ。心が静かになって、考えが止まって、かつ頭が痛くならないものが世の中にないかな。
医者に行って聞こうかな。でもあなたは努力が足りないとかあなたはつらくないのに大袈裟なことを言って忙しい医者の邪魔をしに来たと言われると思う。きっとあなた自身が変わらなければ何も変えられませんよとか言う。それはそうですね。考えるのをやめればいいですよ。それもそうですね。つらい。医者になるような人はとても理にかなっているので、私は結局よく精神科医の本に現れる今流行りの自称うつで休みたがってる悪い人間ということになり、心が静かになるよい薬も得られない。そしてお金は払わされる。そのようになることが分かっているので医者に行きたくないな。不眠でも痩せてもいないから病気ではないから医者には来るなと医者もおもうだろう。どうせ死ぬ勇気はないのだから死にたいと思うのは勝手にどうぞと言う感じだろう。そうおもうとかえって死んでやりたいとおもうよね。私のつらさを証明し彼らが誤っていることを見せつけるためには死ぬしかない。医者に限らず全般的にそうなのだけどそんな勇気はないから、私はやっつけらる側から脱出できない。正しくなるには死ぬしかないのに死ねないから正しくないものとして軽蔑されながら生きている。
今日は調子がよいのでこれくらい冷静に書けるが調子が悪い日は何倍もの速さでずーっとつらくて胸がつかえる。でも糖尿病以外体は悪くないから医者は…もうさっき書いたから繰り返さない。
それは「他責」にしやがるとこなんだよね。
「関係部署の提出物が遅れたので~」とか「システム不備の対応に情シス部門が時間かかって~」とか「今回は通常よりも業務量が肥大して~」とかとかとかまぁまぁ出るわ出るわ外部環境要因がさ。
はっきり言っててめぇの仕事が遅いだけなんだよ。余裕がないから少しでもイレギュラーが起きようものならスケジュールがあっという間に破綻する。
それなのに今後の遅延対策が「関係部署に提出物の締め切りを守ってもらうようにします」だとか「システム不備が起こらないよう情シス部門に徹底してもらいます」だとか「業務量の標準化を要求していきます」だとかだとかまぁまぁ他人の変身を願うものばかり。
で、また同じことを起こす。
仕事ができなくても、できるようになるためには自分がどう変わればいいのか模索してのたうち回ってる奴はまだ救ってやろうかという気持ちもわく。
でも他責野郎はそんな気持ちが起きるどころかもはや軽蔑もん。大きい組織であれば、そう遠くないうちに"排除"されていくので放っておくに限る。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/kir_imperial/status/1492381222701797378
男どもから見ると、あの漫画を批判している女性たちのことが、タダ飯にありついておいて文句を言う浅ましい乞食のように見えてるんだろ?
まずそこが勘違いなんだわ。
あのな、異性を誘ってデートにこぎつけたってことは、相手の時間を自分のために使って頂いてるんだよ。そうである以上、その時間を使って精一杯アピールして、相手を魅了しようと努力するのが礼儀なんだわ。
努力してるのが伝わりさえすれば、それが空回りしていようと馬鹿になんかしないの。
サイゼリヤ女の絵をもてはやす男どもが軽蔑されてるのは、なんか「ありのままの自分を見てほしい、それで好きになってほしい」とか言ってやっすい居酒屋に連れて行くような、昭和の甘えきったオジサン的幻想が透けて見えるから。
そもそも、若い彼らは目上の人間や年上の人間から、やれ「焼き鳥の串を外せ」だの、やれ「お酌をしろ」なんて"モロ"な抑圧なんて社会風潮的にまずされてない。
されている人が実際いるとしても、今どきそんな被害体験受けること自体が超レアケース。
「本気出したらお前ら年上社会人なんてねじ伏せられるけど、育ちも頭も良いから大人しくしてます」
とでもいいたげに"敵に回したらヤバい人"感出してくるけど、なんかもうその精神性が不健康。
周囲の人に毒を撒き散らかすメンヘラが出てる。
一般的に職場の人間って若い人にかなり気遣ってるし、親切にするし、楽しく働いて欲しいと思ってるし、悪感情なんてそうそう抱いてないもので。
一方で、そんなふうに気遣われてる当の本人は、仕事忙しかったり、そもそも朝起きて出勤して9時間拘束されてみたいなルーティン自体が嫌すぎて、勝手にイライラ生きて、
「抑圧される我ら無辜の新人社会人」みたいな被害妄想こじらせたりするけど。
あと、
弱者感出すけど同世代感で積極的にカースト作ろう作ろうとするよねこういう人たち。
あと、
人生のレールに乗れないんじゃなくて、そもそもレールに興味示さずにさっぱりスッキリとマイノリティ的身の振り方をする同世代(たとえば就活をはなっからせずにAV男優になるとか)に害意を向けたり、小馬鹿にしたり、噛み付いたりするのもこういう人たちだよね。
強いしなかなか悪党だよ。
勝手にイライラして、ありもしない被害妄想膨らまして、恋人・家族・友人以外の人間に対しては特に何かされたわけじゃなくてもぼんやりと敵愾心と軽蔑心抱いて、波風ないところに波風立てるようなウソ臭い歌を聞いて勝手にスカッとジャパンする。
ノンフィクションな出来事からちょっと言葉を変えたくらいでフィクションを謳ってる。
フィクションと言うことはこの創作劇を見たところでそれで現実を知った気になって実在の人物を責めるのはお門違いだし、なんならあれはフィクションだからで片付けられる。
それはリアルに被害を受けた方々にとって一番の侮辱じゃないか。
なぜここまでリアリティをなぞるだけの作品にしながらノンフィクションのドキュメンタリーにしなかったのか、甚だ疑問だ。
主題にある通り、新聞記者とはたる正義を語りたかったがためなのか?
それでもせめて被害を受けた遺族が承認してるならと流していたところだったけれども、最悪な形で悪い予感は的中した。
ネットフリックス「新聞記者」プロデューサーが制作経緯巡り、森友遺族に謝罪
https://news.yahoo.co.jp/articles/9a5db9d82991d9948da9392fa549275b8c8ec557
この創作話は被害者家族の要望を無視してフィクションだからと強行されたらしい。
じゃあもうこれ立派な報道被害じゃん。どの口で政府に国民の声をとか言ってるの?
そのタイトルを冠するならさ、『新聞記者』の酸いも甘いも曝け出せよ。
何食わぬ顔して私たち正義です弱者の立場ですみたいな趣旨が気に食わない。
報道が現在進行形で巻き起こしてる立派な社会問題があるじゃん。その一つがわかりやすく報道被害。実名報道。
そう言う自分達の非には一切向き合わず新聞に携わるものを格好良く描いて終了と言う欺瞞に吐き気がする。
報道の自由度ランキングでもよく政府ガーって言いながらちゃっかり記者クラブが名指しされ続けてるのは記事に書かずに塞ぐじゃん。
なるほど『新聞記者』様だよ。
フェミニストが女性が職場に入るとお客さんか二級市民扱いで、ろくに仕事をもらえないし、男性と同じ働きをしても同じように評価されないというけれど、ここではその逆バージョンを体験できるね。
知識不足や配慮不足に対して軽蔑と侮蔑のまなざしで見てくる小児科医。この辺、女医のほうがカジュアルにいわゆるマンスプレイニングしてくる。
「よくお手伝いしてくれていいねぇ」とパパをお手伝い扱いする児童館職員。
女性だけの気を使わない集まりだから...と、パパの参加が拒否される会合。
ママが来ることしか想定されていない児童館や幼稚園での呼びかけ。
こういう状況を子供が生まれてからずっと経験していると、「もういいや二級市民で」と思うようになった。
逆に、ママさんたちのべたべたした付き合いが面倒くさいみたいなときにパパ言ってーと便利に使われてるよ。
もうさ、それでいいじゃん。男なんてそういうポジションでさ。
最近は専業主婦希望の女性が増えていて、フェミニストの方々が「女性が二級市民扱いされているから意欲を失ってこうなっているんだ!」というけれど、まあ、逆の立場でいて思うんだよね。
たしかに、パパであることでママだったら当然やるよねみたいな義務が外れていて、それは楽だなって。
最初から期待されていないから、周囲のプレッシャーみたいなのはママさんに比べると軽いと思う。
子供が生まれたころに持っていた「僕が一番、育児をうまくできるんだ」みたいな気をはった時に比べたら、ほんと楽です。今の期待されていない感じが。
普段好き勝手はてブでクソコメント書いといて反論されたら匿名はやめろと言い出すアストロニキがダサいという点には全面的に同意する。
だが、ダサいからといって、匿名の公開質問なんてものに答える必要など皆無だ。
匿名で公開質問などと抜かすやつは全力でバカにして無視すればいい。そこからnoteやブログに出てきたら敬意を持って接すればいい。
卑怯という言い方がよろしくないならより正確に書こうか。 無責任だ。一方的に人を殴りたいだけの人格が腐ったやつだ。 社会人として最低限の責任能力を認めることができない以上ガキと呼ぶのがふさわしい。私含めて増田で他人に何か意見をぶつけようとするやつはただのクソガキだ。 ガキがいきなり大通りで他人にケンカを吹っかけているのだから「なんだこいつ」という顔で軽蔑され、無視されるのがお似合いである。
まず公開質問に対して返答があり、それに対して自分が応答したとしてもそれが自分の回答と証明しにくい。ただしこれは本文中に直接追記するなど工夫次第ではなんとかなる些細な問題なので置いておくとする。
厄介なのはなりすまし及び匿名の野次馬だ。自分になりすまして自分の意図と違う回答を勝手にしたり、匿名だからと愉快犯的に極論を言って話題をそらす人間がわんさか湧く。はてなユーザーはIDという縛りがあってもキチガイコメントをやってる人間がいることを考えると、キチガイはどんな場所でもキチガイなので匿名でもはてなブックIDでも変わらないのだが問題は世間体は意識できる知恵はあるが人格が腐ってるやつだ。完全匿名になるとID付きの状態では一応自重してる輩までキチガイコメントを演技としてやりだすので収集がつかなくなる。
発信して終わりという無責任な人間でなく、ちゃんとその後の議論を本気で考えているのであれば、絶対に増田はつかない。例の公開質状増田は前者だ。卑怯という言い方が悪いなら無責任だ。一方的に人を殴りたいだけの人格が腐ったやつだ。
真摯な問いかけならせめてはてなブログとは言わないがnoteでやるか、セルクマで自分が書きましたと証明する手段を示した上でやらないとだめだ。そうでなければ、本人がどれだけ真面目に書いてるつもりだとしても愉快犯として扱うべきだ。
そもそも、なんで公開質問状を書いてるやつが増田でやってるかって話だよ。ちゃんとログが残るnoteで記事書けばいいのに長い間文章書いてたらぼろが出るのが怖いから増田でやってるだけなんだよ。増田だったら都合悪くなったら黙って退散すればそのうち忘れてもらえる。頭はいいからそういうセコい計算だけは働くんだろうけれど、増田で書いてる限りは自分だけいつでも逃げられる状態を担保してケンカを呼び掛けてるようなものでセコい。
9月20日正午頃、
「20日昼頃、結城容疑者が自宅へ帰宅する際にマンションロビーに入ったところへ、麻薬取締官が声をかけました。そのまま家宅捜索をすると覚醒剤を発見し、覚醒剤取締法違反の疑いで逮捕しました」(捜査関係者)
結城は2020年3月にAVメーカー「プレステージ」から女優としてデビュー。デビュー前に、元交際相手に対し《何故私がAVデビューしたかって…? お前への復讐》と、ツイートしたことが話題を呼び、デビュー前からTwitterのフォロワーが5万人を超えていた。
2020年3月10日には「文春オンライン」編集部のインタビューにも応えている。インタビュー開始直後は、なぜAV女優デビューをしたのか、という質問に対して核心に触れようとはせず歯切れの悪い受け答えをしていた。しかしインタビューが進むにつれ、覚悟を決めたのかこう本音を語った。
「すみません、本当のことを言います。私、セックスが好きすぎるんです」
その後は
などと早熟な少女時代を明かし、「性欲が強いことを自覚してはいても、軽蔑されるのが怖くて、周りにはずっと隠していました」といった悩みも吐露している。
小学3年生の頃、どうしても犬を飼いたくて仕方がなかった。
何度親に頼み込んでも、即座に却下される日々。
ある時、俺に天啓が降りてきた
犬を飼えないのなら、ぬいぐるみを飼えばいいじゃない。
ぬいぐるみの犬に、ひもをつけて飼い始めたのだ。
母親はきっと呆れ顔だったと思う。
それでも、サイヤ人的理論を信奉し、季節が変わるたびに骨を折っていることに比べれば、物を散歩させるくらい、まだマシだったのかもしれない。
地面をずりずり引きずるので、やがてぬいぐるみはボロボロになり、いつしかどこかへ行ってしまった。
手首のスナップをきかせることで、お手やお座りなど簡単な芸を覚えさせることもできた。
クラスの男子の中では、ヒモの素材や見た目によって暗黙の格付けがなされ、ビニール紐は最下層、ラメ入りの金の紐を連れた者は最上位に君臨した。
生真面目がすぎる委員長的女子の問題提起によって、これがクラス会の議題にのぼる。
果たしてヒモはペットなのか否か、狂気の話し合いの開始である。
長く混沌とした議論の末、「生き物でないとしても、ペットを学校に連れてきてはいけない」という謎ルールの制定に至る。
しかし、我々は屈しなかった。
物の不足は、心で補えばいい。
ある者はドラゴンを飼い、また、ある者は101匹のチワワを飼った。
美少女顔の人面犬7匹を飼っていた彼は、今頃どうしてるだろうか。
我々は、互いに自分のペットの素晴らしさを自慢し合い、時にペット同士の交流も行われた。
今思えば、元々飼いたかった犬にしてもよさそうだが、そうはしなかった。
かつて犬の代替品でしかなかったヒモは、イマジナリーペットになって初めて、本当のペットになったのだ。
しばらくすると、みな飽きてきて、空想ペットは話題にあがらなくなってきた。
それでも、俺は、こっそり頭の中でヒモを飼い続けた。
それから三十余年。
俺はといえば、ヒモ太を看取り、ヒモ太の子の1人を嫁に出し、もう1人の子とその妻を看取った。
いや、本当は、飼ってなんていないのかもしれない。