はてなキーワード: 認知的不協和とは
http://anond.hatelabo.jp/20161010225537
1.何かに優れているパターン
あるいは自分をカテゴライズして、こういうことが好きな人間だと認識する
ただしこれが行き過ぎると、ガチ勢を目の当たりにした時に心が折れる
2.無償の愛を注がれる
家族や恋人、友人、ファンなど、周りの人間から必要とされ愛される
これが一番いいらしい
持ってる人は普通に持ってるけど、持ってない人は全く持ってないもの
お金みたいだね
今はアレだけど、前進してるから将来きっと良くなる、という考え方
とにかく1つずつ歩を進めていることを拠り所にする
30代過ぎたあたりから徐々にきつくなってくる
年をとっても最後までこれで行く人もいる
3と似てるが、前進すらしていない
しかし持ち前の頭の悪さで「でも俺は」と言って認知を曲げてしまうパターン
オタクやこじらせたやつに多い
1があればギリギリセーフ(「俺にはこれしかないから」とか言い始めるけど)
1も2もない人は厳しい、
昨今は2を得るためにまず1が必要だったりするのがきつい
1も2もない人は3か4を選択するが
経験則だけどね
犯罪係数高い人って、まだ捕まってない人の中にも結構居るので自覚ができたほうがハッピーだと思う
「これは犯罪になってるけど、理屈では納得できない。別にやってもいいんじゃないか?」
とか考えてる人
「あいつら最悪だよ。俺らなんて、ちょっと金をいただいてるだけだからね」とか
裁判では反省してる風を装うらしいが、実際には全く反省せず、次の手を考えている
その人にとっての価値観というのは驚くほど揺らがないのだ
これの反対は「犯罪なんだからやっちゃいけないと頑なに信じている人」
要はよく教育されたお利口ちゃんか、いろいろ考えた結果、現状の犯罪のすべてを「やるべきではない」と考えている人
例えば、ほとんどの人がやっててほとんどの人が捕まらない犯罪などは、揺らぐ人が多いし
数年前まで合法だったものや、会社法みたいに難しくなってくると、信念が持てなかったりする
他の人より「こうやったら上手くいく」「こうやっても捕まらない」ということに気づきやすい
ちなみに実際は、単なる罠であることも多い
1と組み合わせると
この犯罪はそこまで悪く無いと思う → 抜け道に気づく → 抜け道を探すのが楽しくなる
てな感じ
ぶっちゃけ1と2だけならネットユーザーの2、3割が当てはまってしまうのではないかと思う
ただ、普通はそこで思いとどまる
考えただけでやらない
でも、そこで「試しにやってみようかな」と行動に起こす輩がいる
想像してみてほしいが、多くの犯罪は、実行までに色々と準備が必要だ
普通は準備する前に面倒くさくなったりするのだが、一部の人はやり遂げてしまう
(もちろん衝動的な犯罪もあるし、組織化・マニュアル化されると状況は変わってくる)
難しい問題にチャレンジしたり、積極的に発言したり、起業したり
個人的にこれをチェックできる一つの例として「ネットでコメントを書き込むかどうか」があると思う
特に日本人はROMが多く、コメントを書き込む人はせいぜい1割とかそこらだ
さらに言えば、HPを作ったりブログを書いたり、何か作ったりしてる人もそこそこ犯罪係数は高いと思う
これだけ、内的要因と外的要因の中間にある原因で、性格とは言えないかもしれない
まじめに働いたほうがずっと儲かるし、自由に色んな事ができる(一部の規制を除く)
たとえば、ある店に窃盗に入ったら100万円得られるとする
すると額/リスクは、100万/0.5年=200万/年となる
そうすると、普通の会社員だと割に合わないとなるが、ニートなんかだと割りに合ってしまう
そんなわけで社会的弱者や底辺、守るべき家族がない者などは犯罪に走りやすくなる(いわゆる無敵の人)
※ちなみに、「割に合うか」まで計算し始める人はかなり犯罪係数高いので注意
アメリカなんかではまた別だが、日本においては社会的制裁でほとんどの益なんて吹っ飛ぶし
犯罪者の間でも過当競争が起こっていて、勝ち抜くのがきついという状態になっている
内的要因は以上の4つでいいと思うが、もう一つ重要なのが環境と理由だ
2.こんな風にやったらくっそ儲かる
3.よし、いっちょやってみっか?
4.「そんなに儲かっちゃうの?」
ここまできても
「でも警備が厳しくてムリだぁ」とか
「今別に金に困ってないしなぁ」とかがあると、行動に至らない
これらの逆をやればいい
2.抜け道を潰す
3.とにかく犯行を面倒くさくする。組織化やマニュアル化を防ぐ
5.警備強化
何度考えてもまじめに働くのが一番なのだ
実はこの性格は新しいことをやる人(イノベーター)にすごく向いていると思う
1.現状のルールに縛られず、柔軟な発想ができる
3.実行に移し、完成させることができる
4.損得勘定が得意
何しろ法整備が追いついていないので、グレーゾーンの中をギリギリまで攻めなきゃいけない
お利口ちゃんではマジで勝てないんだ
でもその時、やり過ぎると炎上して、株価がウォール街したりする
だから、何が皆にとって良くて、何が悪いのか、どこまでやったらリスクになるのか
きちんと考えられる人は貴重なんだ
※ ちなみに私は単に人間観察が好きなだけで、法学部卒とかじゃないです
___
ちょっと書き忘れ
もう一つ条件に「心が弱い人」がある
これはほとんど1なんだけど
「これは犯罪でよくないことだ」「でもやりたい」と、認知的不協和に陥った人が「これはそんなに悪いことじゃない」という結論に差し替える人
ちなみにちょっと別枠で、「悪いとは分かってるがやる」というタイプも居る
屁理屈が好きなタイプで、2chとかいくとたまに見かける。俺もこのタイプ
例えば殺人も、「自分が死ぬ覚悟で、家族に死ぬほど迷惑かけても良いと思えるくらい殺したい相手なら殺して良いんだろ?」とか、損得で考えてしまうので
行動には気をつけている
「こいつはここで殺してよかったのか?」みたいなね
優生学は社会正義的に存在しちゃいけないことになってるから、他人事でとやかく言う市民の皆様の心の健康を保つために、優生学無しでなんとかしなきゃいけないんだよね。
そんで現実的に何とかするのは当然無理だから、なんとかできないなら見なかったことにすればいいんだっつって、社会的に隔離して少数の「運が悪かった」人にその運営を任せて市民の皆様はそれらが存在しないかのように人生を送るようにしてる。「臭いものには蓋」というニッポンの伝統文化だな。
そんでたまに「臭いもの」が溢れだしちゃうんだけど、それの存在を認めちゃうと市民の皆様の認知的不協和が起こるから、「犯人が特異思想を持った異常者だった」ということにして全ての矛盾を犯人に押し付けて死刑かなんかにしてメデタシメデタシするための動きが起こってるのが今現在。
落ちました。
色々あってこの後、基本情報技術者試験、応用情報技術者試験、情報安全確保支援士試験と取れました。
その、ありがとうございました…。
感情がない、何も感じない、それを出せない。
ヒントを一応文章という形で羅列します。しかし、ヒントの羅列と捉えてもらえるとありがたいです。
自分が必要だと思う部分を掻い摘んで読んでみてください。直訳したような文章になってしまいました、悪しからず。
●『好き・嫌いの嗜好すらそもそもない人』
次に、例えば、モノの好き嫌い。
それは何かを感じるからです。で、こいつはこうだから好き、こいつはこうだから嫌い。
自分の意見も出ます。この感受性を高めて下さい。そのためにはもっと「触れる」「知る」ことです。
で、ここで言いたいこと。その肝心の「感情」とは、「喜怒哀楽」。
何か物事が起こった時、それに対して「感じる」力が弱いのです。
自分の意見が言えない人は特に、「怒り」の感情が弱いと思います。
自己肯定感が低い、自己否定感が強い人は、何かあった時にそれを全て自分に帰属しやすいです。
それはあいつが悪いんだろ、って普通思う局面で、僕が●●だから悪いんだ。
これはいじめとか虐待とかされてた人、周りから否定されてきた人に強いと思います。
理不尽な否定に対して、認知的不協和が起こるために、自己否定感を持ってしまう。
これを止めるコツ。それはべき思考を消し、自分の感情を素直に受け止め、それを一旦出すこと。
怒っちゃいけない、怒りの感情がある時は、それを一旦出す(自分の内にはそれを認めること)。
たとえ、自分が一方的に悪いことでも、怒られればムカつくし、情けなくもなります。
それは逆ギレという形で出せ!というのではありませんが、怒りの感情を抱いたことは事実でそれは認めてあげることです。
その上で、冷静に考える。これをちゃんと出来て初めて、「感情のコントロール」が出来るようになるのです。
怒りを抑圧すれば、いずれ爆発します。感情を抑えれば爆発するか、何も感じなくなります。(失感情症=アレキシサイミア)
酒飲んで暴れる人間とかはこの典型です。
しかし、これも有効に活用出来ます。酒を飲んで吐き出したくなる感情が普段抑圧しがちな感情です。
・心揺さぶられる(擬似)体験をする・心揺さぶられるものに触れること。映画、音楽、TV、スポーツ。なんでもいいです。
自分が好き!!と言えるものを探して下さい。泣いて下さい。笑って下さい。笑いが出たらわざと大げさに笑い、涙が出たらもっと泣こうとして下さい。
・その時に出来れば、感情豊かな人の真似をして下さい。
「芸能人、DQN、幸せそうな人、失恋した人、外国人。それらの真似をすることで感情が出やすくなります。」
芸能人のようにわざとらしく泣き、笑い、DQNのように怒り狂い、ウエディングドレスを来た新婦(新郎)のように幸せに身を委ね、失恋した人のように悲しみにくれ、外国人のようにオーバーリアクションをしてみてください。感情は感情ありきでないというか、笑顔になるから楽しい、眉間にしわを寄せるからムカつく、と表情に牽引されて出るものでもあります。
※わざとDQNと書きました。
自分が嫌いなもの、苦手なもの、こうなりたくないというもの、をイメージして下さい。
それは、そうなれないもの、では無いですか?? それが自分のコンプレックスを刺激するものでは無いですか?ある意味羨望。
だとしたら、一旦それを真似して下さい。地面につばを吐いて、店員に悪態をついて、街を肩で風をきるように、歩いてみて下さい。
自分がなりたいイメージがある、変わりたい場合、あえて真逆を言ってバランスを取るのも手段の1つです。
アサーティブとは、自分も相手も台頭ということです。(詳しくは、「アサーション」等でググって下さい。)
自分が何者であるか、そのバックグラウンドがあまり関係ない場です。ネットとかもそうですよね。
●『恋愛をしてください』
…ここまで書けば、何をすればいいか分かりますね??
そう、『恋愛』をして下さい。
アサーティブな関係で、自分の絶対的な「好き・嫌い」、「喜怒哀楽」を出すことの許される関係です。
そして、自分を忘れ、恋に走り、歓び・傷ついて下さい。理性を忘れ、自分の思うがままに相手を求め、SEXして下さい。
『恋愛』…ああ、言いたいことはそういうことね。俺には無理だわ。クソ記事乙ww
こういう自己否定的、斜に構えて物事を見るのを止めて下さい。こういう人はYESマンになって下さい。
物事をそれをする前から、自分には向いてる/向いてない、意味がある/ない、出来る/出来ないで判断しないで下さい。
そんな「効率」や「要領」なら捨てて構わないです。それを誇って生きられるのは、ネットの世界だけですから。
コストパフォーマンス・仕事の効率化…熱量を失った人間ばかりです。それは死に物狂いで何かをして、何かを得た人間がやればいいことです。
あなたは、ネットで難しい言葉で相手を言いくるめ、論破し、罵倒し、勝ち誇った気持ちになれるかもしれません。
自己を肥大化させて万能感でもって、愉しく生きているのかもしれません。
だからこの記事の中にも、批判しやすいように「餌」を何個か用意しました。それを叩いてくれてもかまいません。
しかし、実態は「感情」を持った、人間なのです。感情を失ったら機械です。理性を失ったら動物です。
人間が素晴らしいのは、感情も思考能力(理性)も持っているからなのです。しかし、ベースは感情です。
感情があるから物事を考えることが出来るのです。感情、それは「あなた唯一無二のもの」です。
我思う故に我有り。思うのは、考えられるのは、感じることができるからなのです。
客観性・妥当性だけで生きていたら、平凡な人間にしかなれません。
その平凡さを否定するために、人を蹴落として自分の価値を高めるつまらない人間にしかなれません。
内容はともかくとして反応ありがとう。君の怒りはほぼほぼ想像がつく。おれもそこまでお人好しじゃないから自己解決をたのむよ。
それはそうと「一触即発の矛盾」って概念があってね。一種の手口だな。人間はアンビバレントな感情とか認知的不協和といった
ものにまことに弱い生き物だ。平たく言えば我々は「気になる」ことにとても弱い。気になる刺激に弱いとも言える。
メールの返信が気になる、ドラマの続きが気になる、ネットの掲示板が気になる、とかな。心当たりあるだろうが。
この「気になる」同士が衝突することで気持ちに「対立」が起きてそこから論理矛盾を抱えた認知に行き着くわけだよ。分かるかな?
そしてどう頑張っても論理矛盾のあるものは理解できないから、攻撃行動に出たり見て見ぬフリしたりするわけ。心理学では闘争か逃走と言う。
なるほど確かに闘争か逃走するのがその時は妥当かもしれない。けど未来永劫それを先入観として抱え続けるのは果たして正しいことなのだろうどうなのだろうか?
これらを見事に解決する魔法の言葉があってなそれを教えよう。「こまけえこたぁいいんだよ」。これである。もう1つ。「まいっか」。これもである。
どんな困難に陥った時も「気になる」対象に対して頑張るのではなく、逆に「気にしない」ことを頑張れば未来への扉が沢山見えてくる。
その扉に飛び込めば解決できるかはわからんよ?けど解決できないとも断定できまい。行けば分かるさ。お互い頑張ろうじゃないか。
先日、初めて作った有料のiOSアプリを無料にするキャンペーンをやってみた。
それまでは数えるぐらいのダウンロード数で、レビューもフィードバックも何も無い日々だったけど、
無料にしてみた事で1万ダウンロードぐらい落とされて、レビューもちょっとだけ付いた。で、なんとなく分かったこと。
直感的には、身銭を切って買ったものは批判的、無料な物に対しては寛容的と思うかもしれない。だが、実際は逆のようだ。
金を出したものに対しては、自分の判断が間違っていなかったということを裏付けようとして無意識にポジティブなバイアスが掛かる。
逆に無料なものについては、気楽に手に入れた分だけ、気軽に非難する事が出来る。説明や注意も読まず、すぐにゴミ扱い出来る。
おそらく、手軽に手に入れられる物はきっと手軽に作られたのであって、尊重するに値しないという、一種の認知的不協和があるのだと思う。
この辺は、高級ブランドのメーカーが無駄に高い価格を設定する戦略にも通じている。
これは上と似たような話ではあるし、多くの人が既に知っている事だけれど、無料ユーザーのリテラシーの平均値はちょっと低い。
それもそのはずで、iOSで購入をしようとするなら、クレジットカードを持っているか、iTunesカードを買ってそのコードを打ち込むという操作が必要になる。
キャリア決済出来る国もあるのかもしれないけど、基本的にそれらを完遂するには結構なリテラシーが必要だ。
一方、無料なら単に落とすだけ。それこそ幼稚園児でも可能である。
なので、何らかの知識を前提としていたり、操作が複雑に見えるようなアプリをその手の人達に渡してしまうと、
あっさり「使い方がわからないので星一つ!」みたいな反応を食らってしまう。
レビューシステムについては色々な意見があるとはいえ、未だに多くの人にとってアプリを見定めるフィルターの第一段階になっていることには変わりない。
なので、星一つをいくつも付けられると無名デベロッパーの無名アプリなんかはあっさり殺されてしまう。それってかなり怖いことだ。
自分は知らなかったのだけど、世の中には多くのアプリ値引き情報を扱うサイトが存在していて、
単に値引きしただけで情報をキャッチしてクローズアップしてくれる。
そこで自然流入してくるユーザーは有料ユーザーにはなってくれないと思うけれど、アプリ好きのアーリーアダプターである可能性は高い。
なので、レビューをしてくれたり、今後のアップデートでのバイラルの起点になりうるという点で貴重なユーザーベースになってくれるかもしれない。
特に海外展開もしている場合は、アピール方法が全く思いつかないような国にも自然流入が発生してくれる。
これは語弊があるのかもしれないけれど、例え親しい間柄であっても、それが仮にビール一本分の値段だったとしても、有料であると分かった時点でシャットアウトしてしまう人種が居る。それもほとんどの人が。
開発者の目線だと、どんなアプリにも作る苦労があって、機能から判断して割高に感じるアプリなんてそうそう無いと言えるんだけど、消費者の目線はそうじゃない。
自動販売機やコンビニでは気軽に散財しても、100円のアプリを買う事には慎重で賢くあろうとする人達が存在する。
この辺は作り手と消費者の越えられない壁みたいなものだし、分かりあえない前提で立ち向かわなければならないんだけど、
作った苦労に対価を認めてくれないという現実に無感覚で居られるようになるためには、ちょっと訓練が要る。
無料か有料かということよりも、開発者として何よりも重要なのはフィードバックを得ること。
無反応で消えていくよりかは、バラ撒いて反応を得て学習をしていく事で改善する方が遥かに生産的で、次の企画にも繋げられる。
なので、無料化はマーケティングの一つの手段として、基本的にはかき集めたフィードバックに応じてイケてるアップデートをしたり、どんどん新しい物を作っていくだけである。
どんなアプリであっても、裏にはこんな事を考えて日々試行錯誤している生きた人間が居るという事なんだけど、
自分も含めて、消費ばかりしていると時々そういうの忘れがちだよね、ということで。
エイプリルフールは企業のサイトなども含めてもはやネット上では恒例のお祭り状態であり、今さら気合いを入れて嘘をつくことに新規性を見出せない。そこで、趣向を変えて、巷でよく見かける嘘にツッコミを入れてみる。ほとんどが非常に主観的な意見であることを念頭に読むべし。長文なので覚悟を。
はい、来ました、古典芸能レベルで繰り返されてきた嘘発言。別に「金で買えないものもある、それは愛だ」とか反論するつもりは無く、別アプローチから。この発言は「金でどうにかなる程度のことが私の世界の限界です」と言っているに等しい。発言者の世界が金で塞がれてしまっているだけ。
はい、ダウト。昔の若者が年上を尊重したのは、生きていくために必要となる知識へのアクセス方法が「先人に頼る」ぐらいしかなく、年上から色々聞かせてもらうことが有益だったから。今は年上から聞かせてもらわなくても色々な方法で知識は得られるので、尊重するメリットは少ない(無くはない)。そもそも「当たり前だ」って言い方がすでに思考停止の証拠。こういう発言をする年上とか、「苦労は買ってでもせよ」と言いながら笑顔で苦労を売りつけてくる人には気をつけた方が良い。
笑止。嫌なことを一生懸命我慢して耐えながら前進することをもって「頑張る」ことだと決めつけている人は多い。「頑張る」ってのは最良の結果に向けて努力することであって、我慢するかどうかとは別問題。逃げるのは悪いことではないし、時間が解決してくれる問題も多い。
まともに扱うのも馬鹿くさいレベルの嘘なので、↓のリンク先のコピペでも読んでくれ。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51183524.html
個人的に、世の中が甘いってことを、全存在をかけて証明したいと思っているし、そういう世界であって欲しいと思っています。
ちょっと待て。本来ならみんなに使うハズのリソースを、問題を起こす生徒にだけ使っているのでは無いのか。教育を扱った美談には素行不良の生徒の更正をテーマにしたものが多すぎる。その影響を被っている真面目な生徒の損失は語られない。
これを嘘と言ってしまっていいのかは議論の余地あり。その感謝の正体は、自分が受けた嫌な思いを無駄だったと思いたくないだけの「認知的不協和の解消」です。それでも認められずその意見を主張するのも結構ですが、同じ行為を後進にするのだけは勘弁。体育会系の、自分が受けた理不尽を後進にも同様に押しつける伝統はこうして作られる。
それ自体がポジショントーク的な嘘。これを言う人は子供に「政治家の偉い人たちだって嘘をついているよ?」と素朴に問いかけられたら、どうするのでしょう。きっと無理矢理押し潰すのでしょうね。ドヤ顔で子供のわかりやすい嘘を指摘して悦にひたる大人は多いけど、次は彼らはもっと上手く嘘をつこうとするだけであり、伝えるべきは「嘘をなんかつかなくても良い」ということではないのか、と思う。
学生に勉強させたい気持ちはわからなくは無いけれど、大嘘である場合がほとんど。今からでも勉強すればいいだけの話。若い頃は未来に転嫁して逃げ、年をとったら過去に後悔して逃げ、結局今から逃げ続けているだけ。
相手のために何かを「してあげている」自分に酔っているだけ。自分のために生きろよ。何考えてんだ。
お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな、としか言いようがない。これも言っている本人は嘘だとは思っていないのだろう。ただ、無責任の極み。大切なのは、学生のうちしか遊べないような人生にならないようにするにはどうしたらいいか、ということだろう。私は大人になっても遊び続けます、と言い返せるぐらいの気骨があって良いと思う。
思いついた色々な嘘を扱ってみたが、まだまだいくらでもありそう。教育に関連する仕事に就いているので教育に関連するものが多くなってしまった。大人は無自覚に子供に嘘をつくものであり、それが現れたものだとご勘弁願いたい。
はてなだけに限らずインターネットにあるありとあらゆる場面で話されてることにはポジショントークが含まれすぎてると思う。
議論の勝ち負け、自分のルサンチマン、色んな事にとらわれて客観的に物事を語れなくなってる人が多すぎる。
そのくせその半分ぐらいは「僕はいたって冷静だし、様々な視点から総合的に物を見てるよ」って顔をしている。
もちろん開き直って「俺は自分の立場に都合がいい事だけ大声で喚かせてもらうぜ」となればいいってわけじゃないけど、
それでもステルスマーケティングじみたことをされるよりはどこの人間がどういう意図を持ってやってるのか分かる方がマシだ。
それと自分ではまともな意見を言ってると思い込んで認知的不協和に陥ってる人も多すぎる。
社会は大変だけど~~、俺は頑張ってるけど~~、お前らは~~だけど、みたいな話がネットでは結構人気だけど、
そういう所で話をしてる人や、話が終わった後に一言コメントしてる人の中には認識が歪んでる感じの人が本当に多い。
大きく間違っている。
ブラック企業に所属している中の人物が、声をなかなか上げない。これは事実だ。
だが、それはその人がブラック企業しか頼る場所がないからでは無い。
ブラック企業に入った理由は何だろうか。
例えば雰囲気を読み違えた、例えば企業側に入社前に聞くべき事を聞けなかった、例えば情報を集めるのを怠った。
ブラック企業に入ったのには何らかの理由がある。だが、好き好んでブラック企業に勤務する人はいないであろうことは間違いない。
ではなぜブラック企業に入るのか。それは何かしらの判断ミスがあったからと考えるのが妥当だ。
しかし、ここで自分の判断ミスを認め「俺はブラック企業に入ってしまった!」と声を上げるのはなかなか出来ない。
なぜなら人間は自分の判断ミスを認めることに多大なエネルギーを費やすからだ。だから、自分の判断ミスを認めるのではなく、自分は何らかの理由があってこの企業にいるのだと“話を作る”。そして社畜が出来あがる。
http://anond.hatelabo.jp/20130401110018
これを見て呆れた。物の見方が浅すぎる。
そんなことはない。むしろそこには自分の弱さに対するルサンチマンと、認知的不協和が見られる。
彼らは無自覚なのだろうが、モテないという言葉に本音が出ている。つまり、受容されることに飢えているのだろう。
垣間見えるのは他者から被拒絶感であり、その合理化が表出しただけである。その結果が「キャッキャウフフ」を愛でる箱庭療法的なアニメ鑑賞だ。
本音はモテたいである。受容されたい、承認されたいである。平和の象徴というのもセカイ系的なすげ替えだろう。
ところが彼らは自分の内面に閉じこもる。それは恋愛という他者理解とは真逆のところにあり、現実と妄想の区別が弱い発達障害的だ。(鉄オタにアスペが多いという話が最近話題になった)
このような内面性から発せられる性欲の解消ありき、女性蔑視と暴力性に他ならない。
対象が百合というのも象徴的である。彼らはホモソーシャルなのであり、アニメという性欲の対象に投影しているに過ぎない。
ようするに草食系というのは「内面に閉じ篭って」「自らを暴力的でないと思い込み「内面では女性に対する身勝手な決め付けをやめない」男なのである。
それを紐解けば、暴力的な欲求を抱くことを決して止めること無く、他者に対する無理解と、自省の無さが見えてくる。