エイプリルフールは企業のサイトなども含めてもはやネット上では恒例のお祭り状態であり、今さら気合いを入れて嘘をつくことに新規性を見出せない。そこで、趣向を変えて、巷でよく見かける嘘にツッコミを入れてみる。ほとんどが非常に主観的な意見であることを念頭に読むべし。長文なので覚悟を。
はい、来ました、古典芸能レベルで繰り返されてきた嘘発言。別に「金で買えないものもある、それは愛だ」とか反論するつもりは無く、別アプローチから。この発言は「金でどうにかなる程度のことが私の世界の限界です」と言っているに等しい。発言者の世界が金で塞がれてしまっているだけ。
はい、ダウト。昔の若者が年上を尊重したのは、生きていくために必要となる知識へのアクセス方法が「先人に頼る」ぐらいしかなく、年上から色々聞かせてもらうことが有益だったから。今は年上から聞かせてもらわなくても色々な方法で知識は得られるので、尊重するメリットは少ない(無くはない)。そもそも「当たり前だ」って言い方がすでに思考停止の証拠。こういう発言をする年上とか、「苦労は買ってでもせよ」と言いながら笑顔で苦労を売りつけてくる人には気をつけた方が良い。
笑止。嫌なことを一生懸命我慢して耐えながら前進することをもって「頑張る」ことだと決めつけている人は多い。「頑張る」ってのは最良の結果に向けて努力することであって、我慢するかどうかとは別問題。逃げるのは悪いことではないし、時間が解決してくれる問題も多い。
まともに扱うのも馬鹿くさいレベルの嘘なので、↓のリンク先のコピペでも読んでくれ。
http://alfalfa.livedoor.biz/archives/51183524.html
個人的に、世の中が甘いってことを、全存在をかけて証明したいと思っているし、そういう世界であって欲しいと思っています。
ちょっと待て。本来ならみんなに使うハズのリソースを、問題を起こす生徒にだけ使っているのでは無いのか。教育を扱った美談には素行不良の生徒の更正をテーマにしたものが多すぎる。その影響を被っている真面目な生徒の損失は語られない。
これを嘘と言ってしまっていいのかは議論の余地あり。その感謝の正体は、自分が受けた嫌な思いを無駄だったと思いたくないだけの「認知的不協和の解消」です。それでも認められずその意見を主張するのも結構ですが、同じ行為を後進にするのだけは勘弁。体育会系の、自分が受けた理不尽を後進にも同様に押しつける伝統はこうして作られる。
それ自体がポジショントーク的な嘘。これを言う人は子供に「政治家の偉い人たちだって嘘をついているよ?」と素朴に問いかけられたら、どうするのでしょう。きっと無理矢理押し潰すのでしょうね。ドヤ顔で子供のわかりやすい嘘を指摘して悦にひたる大人は多いけど、次は彼らはもっと上手く嘘をつこうとするだけであり、伝えるべきは「嘘をなんかつかなくても良い」ということではないのか、と思う。
学生に勉強させたい気持ちはわからなくは無いけれど、大嘘である場合がほとんど。今からでも勉強すればいいだけの話。若い頃は未来に転嫁して逃げ、年をとったら過去に後悔して逃げ、結局今から逃げ続けているだけ。
相手のために何かを「してあげている」自分に酔っているだけ。自分のために生きろよ。何考えてんだ。
お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな、としか言いようがない。これも言っている本人は嘘だとは思っていないのだろう。ただ、無責任の極み。大切なのは、学生のうちしか遊べないような人生にならないようにするにはどうしたらいいか、ということだろう。私は大人になっても遊び続けます、と言い返せるぐらいの気骨があって良いと思う。
思いついた色々な嘘を扱ってみたが、まだまだいくらでもありそう。教育に関連する仕事に就いているので教育に関連するものが多くなってしまった。大人は無自覚に子供に嘘をつくものであり、それが現れたものだとご勘弁願いたい。
だいたいあってるじゃん。 他にも色々あるな。「楽しい仕事なんて無い」とか「与えられた仕事の中に楽しみを見出すべきだ」とか 「3年は辞めるな」とか、「**歳になったらダメ」とか...