はてなキーワード: 未来への扉とは
大学を休学したときに、自分の未来は明るいんだ、これからより自分の望んだ未来に近付くんだ!と晴れやかな気持ちで学部の校舎から出ていった。
外は晴れていて、工事中の校舎の仮設玄関は安っぽい引き戸がついていて、出口に向かうと外から強い光が差し込んでいた。
「これこそ未来への扉だ、この光景を生涯忘れないかもしれない」とテンションが上がりまくった脳で思った。事実、その頃のことはけっこう忘れているけど、その光景は頭に残っている。
しかし休学中の活動はうまく身を結ばず、数年後に復学をすることになった。そのまま退学する選択肢もあり得たが、今思うと卒業はしておいて良かった。
自分の心情、人生における物語的な盛り上がりと、その結果は必ずしも一致しない。
心は自分自身を騙すことがある。
あの輝かしい光景はそういう教訓を示していたのかもしれない。
内容はともかくとして反応ありがとう。君の怒りはほぼほぼ想像がつく。おれもそこまでお人好しじゃないから自己解決をたのむよ。
それはそうと「一触即発の矛盾」って概念があってね。一種の手口だな。人間はアンビバレントな感情とか認知的不協和といった
ものにまことに弱い生き物だ。平たく言えば我々は「気になる」ことにとても弱い。気になる刺激に弱いとも言える。
メールの返信が気になる、ドラマの続きが気になる、ネットの掲示板が気になる、とかな。心当たりあるだろうが。
この「気になる」同士が衝突することで気持ちに「対立」が起きてそこから論理矛盾を抱えた認知に行き着くわけだよ。分かるかな?
そしてどう頑張っても論理矛盾のあるものは理解できないから、攻撃行動に出たり見て見ぬフリしたりするわけ。心理学では闘争か逃走と言う。
なるほど確かに闘争か逃走するのがその時は妥当かもしれない。けど未来永劫それを先入観として抱え続けるのは果たして正しいことなのだろうどうなのだろうか?
これらを見事に解決する魔法の言葉があってなそれを教えよう。「こまけえこたぁいいんだよ」。これである。もう1つ。「まいっか」。これもである。
どんな困難に陥った時も「気になる」対象に対して頑張るのではなく、逆に「気にしない」ことを頑張れば未来への扉が沢山見えてくる。
その扉に飛び込めば解決できるかはわからんよ?けど解決できないとも断定できまい。行けば分かるさ。お互い頑張ろうじゃないか。