2020-08-02

もののけ姫を観てきた(ネタばれ

学生の時に何度も映画館で観たけれど、最近また観てきた。

やはりこの映画は、映画館で観ないと人生の大損と思う。

開始早々の祟り神戦は、アニメ映画の中でも屈指の爽快なアクションシーン。

激しい動きのようでいて人間の目の動きをよく押さえていて、ただ画面を揺らして画面酔いさせるようなものとはレベルが違う。

音楽も画面と完全にシンクロして印象的な金属音ともあいまって脳汁バドである

その後、アシタカ西国へ赴く場面は多くの人が言うように素直に号泣するしかない。

一見のどか田舎風景でも病や飢え、戦が絶えない非常に厳しい世界であること、シシ神の森の不思議さやタタラ場の異様さなどが自然と配置され、複雑な背景を解説無しですっと飲み込ませる演出はまた最高。

思うに、エボシは、高級遊女か何かで上流階級とツテがあり、そこから師匠連とつながって石火矢の技術や、もしかしたらタタラ技術も手に入れたのだろう。

ただし、おそらくきちんとした後ろ盾はなく、師匠連やその上の人たちから見て使い捨ての手駒でしかなく、地侍などと組んでも主導権を奪われかねない危うい立場であったと思う。

そこで、手っ取り早く勢力を築いて生き延びるための手段として、自分を裏切らない捨てられた女達と病人を利用し、そのことに本人も自覚的だったと思う。

から、「曇りなき眼」発言で大笑いしたのには、意表を突かれたこともあり、また多少は青二才に対する嘲笑もあったと思うが、自嘲の成分もある気がして目頭が熱くなる。

結局、神々たる自然に向かっていくのは、人間の地から追われた弱い者たちであって、「最初に人が自然を侵したのだ」としたり顔でいう人間に限って、人間の地の真ん中でのうのうと生きているという欺瞞に気が付いたから、エコを前景から引っ込めたのではないかと疑っている。

ジコ坊というのも面白い人物で、徹底的に現実的前線指揮官であるにもかかわらず、結構な遊びがある。アシタカのようにやけに戦闘力の高い不審若者を、自分関係先に送り込んだりする。

作中に天朝様の御文が出てくるが、基本的師匠連の目的神殺しとそれによる更なる権威の増大である

ジコ坊のセリフで「神殺しは怖いぞ」というのがあるが、彼は以前にも神殺しに関わっているともとれる。

怖いのは神による祟りだけなのか。神殺し英雄は、権威を求めるものにとって邪魔なのではないか。ジコ坊は神殺しに関わったために、いい年して最前線に送られているのでは。ことが済んだとき、エボシの立場は非常に危うい。

たぶん、ジコ坊が「神殺しは我々でやろう」と部下に言ったら、その時点でエボシは殺されてしまたかもしれない。

また、神殺しの後、シシ神の首に部下を集中させることで、エボシの存在をうやむやにしてしまったように見える。

ラブリーである

いやー本当に映画っていいものですね!

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