はてなキーワード: 憲法記念日とは
例えば武器輸出にしても「日本が今更参入してコストや信頼性の面で勝負になるんか?」というのは正直俺でも疑問だ
でもこの手の議論ってだいたい東京新聞あたりが「日本は平和国家なのに! 国際社会の信頼はどうなる!?」みたいなのを前面に出してくるわけ
んなわけねーじゃんね
「日本製の武器が戦争に使われて人を殺す!」ことがそんな大罪だっていうんならさ
あのスイスとかスウェーデンとかも、ちゃんと死の商人としてエンガチョしてなきゃ絶対おかしいでしょ
毎日のように人権が先進的でヘヴンみたいに持ち上げてるアメリカやEUなんか、もう悪の枢軸そのものじゃねーかよ
そして日本が同じこと始めようとした時だけいきなり悪みたいに言い出す
なんなんですかねこれ?
だいたい「武器輸出で信頼を失う」なんて言ってる連中って、最初から日本のことなんか全然信用してないんだから、やろうがやるまいが一緒だろうが
処理水と一緒で単に理屈に持ち出してるだけって全部バレてるでしょ?
9条にしたって同じ
左派や中国北朝鮮にしてみりゃ、今の日本は完全にアメちゃんの下請けで、「平和国家」なんか聞いて呆れる状況なわけじゃん?
憲法記念日と原爆2回と終戦以外は、まるであってないような扱いしかしてない
ところがそれを改正しようとした時だけまあ大騒ぎ
普段信じてもいない、認めてもいない、褒めもしない、そういう理屈を「敵がいい加減引っ込めようとした時だけ」都合よく持ち出してくる
朝日新聞の小泉今日子「政治的発言」記事とプリキュアのふたご先生による政治的ツイートの話題。
[B! 芸能] 政治に任せれば日本良くなると…若者ごめんよ 小泉今日子さんは誓う:朝日新聞デジタル
[B! 憲法] 上北ふたご on Twitter: "5月3日は【憲法記念日】 #憲法改悪反対 #緊急事態条項反対"
「もっと政治について発信していい」「意思表明は自由」と擁護する反応も多いが、私はこうした著名人には政治的な発言をしてほしくないと考えている。
それもある。
しかしなによりも彼女らの発言が注目してもらえるのは─「著名」な存在になることができたのは─ファンの存在もあってこそだからだ。
政治的な賛成と反対に分かれる発言をするということは、喝采を浴びせる声の一方で同意できず切り捨てられることになるファンが必ずいる。
あなたの大好きな俳優や漫画家や推しが例えば「改憲して先制攻撃できる国にすべき」と言ったら?
「戦争反対。ウクライナは降伏を」や「LGBT法案は不要。隣にいるのも嫌」だったら?
作者の思想と作品は別などと口にするのは容易いが、もう以前のようには楽しめなくなってしまうだろう。
政治的な思想信条から離れて、時に敵同士であっても共に楽しめるのがエンタメだ。
作り手側からそれを棄損して楽しめない人を増やしてしまうのは残念なことだと思う。
自由な発言をするなと言うのか!と思った人は落ち着いてほしい。
彼らには自由がある。
プライベートで周りに言ってもいいし裏垢でツイートしてもいい。
あるいは初めから関わる作品でその思想を前面に出したっていい。
ただ政治とは無関係なエンタメで得た知名度で、ファンの存在を忘れて政治的な発言をするのはどうなのか。
要するに公私を分けてほしいという話なのだ。
個別に返信はしないけどたくさんのトラバやコメントに感謝。とても勉強になる。
私自身は小泉今日子さんにもふたご先生にも近い考え方の側です。
それでも反対側にいるファンのことを思うと居た堪れなくなってしまう。
大好きな推しや作品からある日突然切り捨てられるのはとてもつらいはず。
ふたご先生に反応したTwitterのプリキュアファンの人も動揺したのだと思う。
だから右だろうと左だろうとやめてほしいと思ってる。
小泉今日子さんの「普通に生きていればこう感じるでしょっていうふうに思うんですけど」はすごく残念な発言だった。
反対側の人もよく「普通の日本人」と自称するのを知っているから余計に。
自分たちは普通=あいつらはおかしい・異常というのはほとんど攻撃に等しいし、それでは歩み寄れることはなく問題の解決も遠ざかる。
本日は世界報道自由デー、日本においては憲法記念日、博多では博多どんたくをやってる、らしいです。
憲法についての話は相変わらずよくわかんないまま進んでおりますが、まぁ自分達の生活の基本を見つめ直すのは大事なことですね。
それが良いにしても悪いにしても、時代の変化に対応できるのか、してきたのか、変えるべきなのか、なんとかインチキできんのかというのはよくある話みたいなので、それをどのようにして対応してきたのかを知るのも大事なんだろうなぁと思います。
結局契約で結ばれたものの範疇をどこまでとするのかも含めて自由や豊かさという奴なのかもしれません。
ということで本日は【範囲の掌握よいか】でいきたいと思います。
憲法擁護の人々は外ばかり、いわゆる外国に対しての武力行使権ガーを叫ぶ外国保護機関で
国内側の人権差別や、異教からの人権保護や一般人の人権保護の話は一切しないですねえ
「人権擁護局」「弁護士会」は、法曹を保護する機関であることを増田は知っている
違法行為に触れた法曹を一定の期間、かくまうための組織になっているんだが
まぁ普段からまともな憲法議論なんかできず、「守れ」としか言えない人たちが、憲法記念日になったら急に建設的議論をするようになるなんてあるわけもなく...
そもそも自衛隊が合憲なのかすらはっきりしない(合憲だというならその「解釈改憲」は認めることになる)し、第9章に改正の取り決めがある以上、憲法を適切に改正する事もまた「憲法を守ること」になるはずで、「守れ」と念仏のように唱えるのもまた憲法軽視というものだが
私が読んだ新聞社の論調は、政権が憲法9条を素通りしながら敵基地攻撃能力保持を進める現状への批判。だが何故、政権が防衛力増強を進めようとするか?について背景の分析が全く無い。単に平和憲法を守れと主張されても説得力が無い。
左派は平和憲法を叫び、右派は憲法を無視して戦力の増強を進めていて議論が噛み合っていない。日本の安全保障が今のままでは危ういなら(たとえば中国による台湾侵攻など現実的な脅威がありえるなら)憲法よりも国の安全の維持が大切。すぐにでも9条を改正・加筆して自衛隊を憲法に明記すべき。逆にそれが杞憂なら防衛費増額や敵基地攻撃能力は不要。左派右派とも耳が遠い老人の様に相手の話を聞いてない。(だからシルバー民主主義と呼ばれるのか?)
日本国憲法の平和主義は、第二次世界大戦で日本がアジア諸国を侵略したとの反省に立脚している。日本が悪いことをしなければアジアの平和は保たれる立て付けになっている。しかし、今はその状況が変わってきているのではないか?日本以外に悪さをする意思と能力を持った国がいると認識するべき。(論点はその意思をどう判断するか?)
元々、4月入り予定だった収入が5月入りに遅れたせいでの実入りが思ったよりも低くて
クレジットカードの支払いを分割にして乗り切ろうと思ってたんだよ。
で、4/28に支払方法の切り替え手続きしようと思ったら「未確定分があるのでダメ」って出たのね。
ふーん、じゃあ後日だなと思って昨日4/30に切り替え手続きしようとしたら「もう確定したからダメ」って出てんの。
で、見てみたら「支払日の5営業日前まで切り替え可能」って書いてあるのね。
俺の契約が15日締めの翌月10日払いだから今月支払い分は5/10払いなの、で、今月GWあるじゃん。
5/9(火曜)、5/8(月曜)、日曜、土曜、こどもの日、みどりの日、憲法記念日、5/2(火曜)、5/1(月曜)
ギリギリ払える。家賃光熱費と合わせてギリギリ払えるけどこれを払うともう3万しか残らん。
1日の食費1000円に抑えたとしても、緊急の支出があったらもう終わり。病院にも行けん。
なぜだ。なぜ4/28まで未確定分の計算をしていた。まだ間に合った、入金がないっていう連絡もクソ遅かったけど気づいた時点ではまだ間に合ったはずなのに、なぜ、なぜラストチャンスの4/28を潰した……
ぐああああああああああああ、1か月3万はマジでキツい。
ドンタクーッス
改正だの、改正反対だの色々揉めに揉めてるところに大陸の方で戦いが始まっちゃってる訳ですね
今はまだ比較的小規模な強い火がどこまで続くのか、その終わりがどこにあるのか
先月末の船の件にしても彼らが彼らなりにやれることをやってくれていたりする訳だから、侵略している国に属してる彼らとて一枚岩になりきれないというところもややこしいところです。
結局、そういうものなんでしょうね。
どちらが負けたとか勝ったとかは当事者同士の問題で、それを見て最悪な気持ちになったのならそれもそれで感想として持てばいい訳ですけれども
ただ、実際に行動に移すのはまた別の話になるんですよね。
それで危害が加わるのもまた、それまでの立ち位置に引き戻しづらいところの話になる。
まぁややこしい話です。
実際に起きたからこそ、倫理的な部分の大事さが問われるという。
そこは本当に人それぞれ持ち合わせてるもの次第になっているからこそ、ルール作りの段階でつまづくのは敵わんのでしょうね。
ということで本日は【規律の把握よいか】でいきたいと思います。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee
共同通信社は30日、憲法記念日の5月3日を前に憲法に関する郵送方式の世論調査結果をまとめた。新型コロナウイルスなどの感染症や大規模災害に対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人が57%、「必要ない」は42%だった。内閣権限強化や私権制限が想定される緊急事態条項新設を容認する声が反対意見を上回った。長引くコロナ禍が影響したとみられる。
改憲なくとも法を生かせば緊急時に行政権限をフル活用できるはず、と思ってきたが、過去の公害の教訓を思い起こしてみると立法・行政の不作為が目立つ。
憲法の制約で権限がないのではなく、あっても使わないのが問題だった。そこにメスを入れるには、行政立法を指導する上位の規律が必要で、「今まさに緊急時だシフトチェンジしろ」
と行政や立法に促す仕組みが必要なのでは。それはひょっとすると憲法の役割なのかもしれない。
という趣旨。
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「内閣権限強化」、これは橋本行革の結果、小泉政権が内閣官房の強化の恩恵を受け、その後、安倍がめちゃくちゃにした経緯から
公害立法の歴史を振り返っても、現行の規制権限は決して弱くはない。立法の余地もある。
実際60年代から70年代にかけて、深刻化した公害に山ほど立法を制定、70年はとりわけ公害国会などと呼ばれた時代もあった。
そうやって公害を克服しようとしてきた歴史の教訓をみても、現在の感染症コントロールの問題が、憲法改正でしか解決しえないとは思えない。
だから、問題はできることをしない、立法不作為・行政権限の不行使のほうで、それを改憲論議にすり替えるのはおかしい、という意見も納得できる。
しかし。
改憲の世論が盛り上がるのは、だからこそ逆に、一理あるのかもしれない、とも思う。
もちろん、行政・立法の性善説に立てば。。という留保はつくが。
というのも、水俣病を例にとって、公害の被害を振り返ってみると。
なぜ今日に至るまで長年、放置されてきたか。長年の放置もさることながら、振り返ると、初期の対応のまずさが際立つ。
漁業法による禁止措置と漁民への補償、食品安全法による有機水銀に汚染された可能性のある魚類の販売禁止、
すべて見送られた。つまりすでに対応可能な法的ツールがあったにも関わらず、被害が拡大した。
こうした行政権限の不行使が最終的に裁判で争われ、最終的に結審したのは2004年。
国は高度経済成長をとめたくないがゆえに、規制権限を行使しなかった、というのが結論。
1970年代、公害の社会問題の深刻化を受けて山のように公害立法が制定されたが、それ以前の問題として
そもそも1950年代、すでにある水質二法等で権限行使できただろが、という。
法の不備ではなく、繰り返すが、すでにある法を使いこなせなかった行政の責任が厳しく断罪されたわけだ。
ここから導き出される本当の教訓というのは、規制権限があったにもかかわらず
なぜ初期の対応がこれほどまでに、被害者をないがしろにしたものになったか、という問題。
そこには、何か異常な事態が発生したときに、立ち止まって物事を考え直す、
シフトチェンジの仕組みが欠落していたともいえるのではないか。
かつて辺見庸は、地下鉄サリン事件の際に、丸ノ内線の駅構内で、人々がバタバタと倒れているなか、
通勤している乗客が枕木でもまたぐかのように出口へ向かった光景について
非日常的なことを目の前にしても、脳が適切に処理できず、
惰性で日常の論理で動こうとする「慣性(イナーシャ)」が働いているといったが、
ここ一年を振り返ってみると、そういう政治的な意思決定がかなりよくみられた気がする。
この問題が解決されない限り、改憲による緊急事態条項の検討など、全く意味をなさない。
日本は、意思決定の仕方、会議の仕方を根本から見直したほうがいい。
いや、だけど一方で、
緊急事態条項のようなシフトチェンジのトリガーがないからこそ、漫然と経済優先で動いてしまうのか?という疑問も頭をもたげる。
どっちなのだろう。
そんなことを思い出したのは、さっき、尾身会長のインタビュー記事を目にしたからだ。
尾身茂氏が語った「マスクを外せる日」「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」への意見 | 文春オンライン
――東京都墨田区や長野県の松本医療圏など、基幹病院と支援に回る地域の病院や医師の連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師や民間病院に強い指示が出せないものか。
尾身 医師や病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本の厚労省というのは公立や民間などさまざまなステークホルダーの意向を尊重する必要があって、上から目線ではいわない。平時はそれも大切ですが、危機の局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります。
――医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?
尾身 それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います。
これが明確な意思決定メカニズムとして組み込まれていないことが、水俣病の初期対応の問題ともつながっているように思えた。
それを可能にするのは、規制権限の強化と行使、という既存の立法・行政機構のあり方の、もうひとつ上段の制度として構築する必要があるのかもしれないといえなくもない。
改憲への渇望というのは、案外、そういった視点で考えることも可能ではないかとふと思った。
危機対応専門の省庁を創設する、というのもひとつの方法。非常時のガバナンス体制を整備する。
米国のFEMA(アメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)のように。
そうすれば、現在の河野太郎のような感染症の素人が新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣として奮闘する、といった話もなくなるはず。
彼はおそらく、急に任命されて困っただろうが、実質やれることを模索した結果、
ロジ担当となり下がってしまっているように見受けられる。住民の心配に答えるのは基礎自治体の役割だ。
危機管理のプラットフォームができれば、アメリカのファウチ博士のように、
集団免疫獲得に向けた仮説を立て、何%の接種があればOKで、ワクチンの効果が切れる前の接種完了を逆算してスケジューリングする。
目的とロードマップを国民に示したうえで協力を仰ぐという、専門家による意思決定がベースとなったリーダーシップが重要だ。
ガバナンスの基本は、法、規則基準、科学的な予測を明示した意思決定を行うことだ。
これは世界銀行の借用だが、世銀では途上国の行政改革支援の際に、ガバナンスを以下の4要素で因数分解して
説明責任(財政とリソース)、予測可能性(法的枠組み)、透明性(情報公開)、参加(連携)の4つ。
テーマ出しした瞬間、近年の日本がどの分野でもガタガタになっていることがわかる。
いずれにしても、緊急時のガバナンスの訓練を積んでゆくことが大切で、こうした組織を立ち上げることには意義があるだろう。
現在の菅政権は、こうしたガバナナンスの観点から落第点であり、
首相が何を考えているかわからず、結局、リーダーの一挙手一投足に注目が集まる意思決定となっている。
急に決心して、緊急事態宣言を発出したりやめたりする。このように国民から予測可能性を奪うやり方は国民から自由を奪うのも同然だ。
国民からすれば、知らず知らずに国のリーダーシップに注視せざるを得なくなり、いつの間にかリーダーシップの問題に錯覚してしまうが
本当は危機管理はリーダーシップの欠如の問題ではなくて、ガバナンスの問題だ。リーダーが誰であれ、ある程度、やるべきこと、基準が決まっていて
どのように対応するかが決まっていること、この予測可能性が確保されることが大切。
国民にとって予測可能でなければ、国民自身が計画を立てられず、急に決断されても、ついていけいけない。
(水木しげるの漫画で、上官が急に玉砕を決心したので部下の大半が付いていけず、結果として敗残兵として生き残った兵士に、すでに全員立派に玉砕したことになっているのだ、として、ラバウルの本部が改めて玉砕を命じる、という話がある。日本人のリーダーシップを象徴する話だと思う。)
緊急時へのシフトというのは、なにかしらリーダーとして発動するトリガーが必要なのではないか。
そこに非常時へのシフトチェンジが記載されることにも意義があるのかもしれない、という考えに傾いてゆく、そういう世論の動きもわかる。
もちろん、そんな非常時に平和ボケして判断の鈍いおっさんが首相だったらなんの意味もなさないが、誰かがシフトチェンジを発動しなければならない、
それが立法や危機管理のプラットフォームづくりだけでうまく機能しないのであれば、ある意味、大統領的な権限を期待する傾向が出てくるのは自然なことのように思う。大統領の権限というと、合衆国建国当時まで振り返ると、当時の議論のなかで、リーダーの聡明さ(アリストクラシー)というのは、欠かせない条件だったように思う。
日本の政治社会にそんなことを期待できるのか、と考え始めた瞬間、改憲には激しく首を横に振らざるを得ないのだが。
そんなことをインタビューの印象として持った。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200503/k10012416421000.html
<新型コロナ>便乗の改憲論議に与野党から批判 憲法審、今国会未開催
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202005/CK2020050302100018.html
草。
そりゃこのコロナ禍と言うどう考えても下手な有事よりもヤバい事態なのにそのコロナ禍を悪用し、ある意味火事場泥棒的にこの様な発言をすれば非難が出ない訳がないよな。
緊急事態宣言を出して延長した当人が一番理解していないのだからマジでやばいと思う。
本当の意味で今は平時ではないのだから与野党共に批判意見が出るのは当たり前だし、そのコロナ対策すら、安倍総理や政府は決断能力の無さや判断の遅さ、そして対応の悪さを見せつけたのだから、改憲派ですら、この政権の下ではやらせてはいけないと言う人がいるのも当たり前だよ。
普通に今はコロナ対策以外全ての政策や法案を凍結すべき時なのにこんなの平時にやるべき事だからね。
ただでさえ、政府の対応の悪さや何もしなささのせいでコロナ禍に付随した問題が経済面、医療面、学業面等々、雪だるま式で増え続けてしまっているからね。
それにその当人や政府自体が国内の企業補償や国民の補助と言った本来すべき資金的援助を蔑ろにして、IMFを通じて海外支援をしでかしたり、アベノマスクの配布と言ったものを勝手に決めたりしたからな。
その上、一律支給の面でも自党の若手の意見は無視して、公明党に連立解消を材料にされて、判断したと言う体たらくぶり。
有事であればそれこそその決断能力の無さや判断の遅さは破滅的自体しか招かないし、今回に関しても余りにも破滅的な事をやらかしているので、もはや憲法とか関係なく、当人や政府の資質の問題で却下される段階だよ。
そしてその憲法改正の緊急事態についての条項の話自体、どう見ても個人の自由の制限と言った内容から政府批判封じに使いたいと言う思惑まで丸見えだからね。
そもそもこの様な発言を今する時点で、総理自体が危機感が皆無であり、平和ボケしている証明にもなってしまったからね。
場合によってはこれ以降憲法改正の熱自体低下して、低迷する可能性も十分あるだろうよ。
その程度にはこのコロナ禍においてやってはいけない事をやってしまったし、その議論自体に大きく今回水をぶっかける事になったのは事実。
安倍はコロナ危機を利用して本性をあらわした。
もし今、憲法に緊急事態条項が有れば、安倍の言う事が法律になる。現金給付も休業補償も一切しない、命令に従わない者は逮捕だと言えば即逮捕される。国民は何でも安倍に従わなければならなくなる。そんな条文はいらんでしょ😡
https://t.co/LMi5RRzcDn— 俵 才記 (@nogutiya) 2020年5月2日
緊急事態条項関連の取材が増えているのだが、「憲法上の緊急事態条項と言っても、各国、内容は様々で、2012年自民党改憲草案が言うような、憲法秩序を一切排するような内閣独裁権条項を定めた憲法は、先進国では存在しない」という前提が共有されていないので、なんだか話がスムーズに進まない。— 木村草太 (@SotaKimura) 2020年5月1日
https://t.co/Vd6FgXdglE”大規模災害時に内閣の権限を強め、個人の権利を制限できる緊急事態条項を憲法改正し新設する案に賛成51%、反対47%” 自民党改憲案の緊急事態条項は、事実上、議会や選挙を停止し、内閣が永続的に独裁が出来るトンデモ。トルコでも緊急事態条項で、大統領の独裁が強化された— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) 2020年5月2日
どちらにしろこのコロナ禍ではっきりしたのは安倍総理や麻生大臣と言った政府がケチ臭く我欲を優先し、国家や国民を蔑ろにした体たらくさであり、今回のコロナ禍と言う緊急事態の対処を見た所で、有事で何かあったとしてもこの人達じゃ例え改憲をした所で何もできないし、更に事態を悪化させかねない事が明白になったと言う事だけどね。
特に麻生大臣の国内のコロナ禍対応をおなざりにしたIMFへの支援は最悪だったと言える。
それと個人の権利の制限とか言い出しているのを見てもそれこそ政府批判の封じ込め等に使いたいとか言う思惑もあるんじゃないかな?
何しろ現在ですら特措法を使って当時懸念されていた事象であった事が起きているからね。
それこそ指示とか言う命令を民間であるパチンコ店に対して行い始めているのだから。
要は自身の批判を逸らしたいから憲法改正にもどうにかしてこのコロナ禍を利用したい腹で憲法記念日に言い出したって所でしょう。
どちらにしろコロナ禍の遅すぎて根本的な解決に至っていない対応をみても安倍総理等の政府の人間は有事云々を言う資格すらなくなったとしか言えんけどな。
何にしろこのコロナ禍を利用して、安倍総理等は憲法改正を行う動きを作りたがる行動に出て来る事は前々から指摘されていた事だしな。
そもそもこの手のアンケ自体、元々望む様な答えに誘導できるトリックは前々から指摘されているし、多くの人は恐らく憲法9条は改正すべきと考え、それ以外については詳しくない人が大半なので、この件に関してもコロナ禍対策においてとか言われて賛成したとかそう言う様な回答のもって行き方をされたと言う所だと思うよ。
しかしこのコロナ禍において、あってはいけない事ややらないだろうと言う事が平然と政府や行政がやらかしている辺り、色々な意味で末期だなと思う。