はてなキーワード: 性愛とは
対人性愛の特権維持のためセクシュアルマイノリティを弾圧する、という宣戦布告ですか?
やっぱりここからコケてるんだよな。自己決定から逃避している。他者に強要されたと。
一応確認だけど この増田(anond:20210313190848)であってる?
それとも横?男女厨ちゃんとは話したくないよ?
一度に詰め込んでも読まない・読めないと思うので、ここでは『セックスは義務ではない』と
下記の2つの概念、『アセクシャル』、『デミセクシャル』があることだけ理解できればいいよ。
他者に対して性的欲求(や恋愛感情)を抱かないセクシュアリティ
→ 誰に対しても性的な魅力を感じないし他者に向ける性欲がない
他者に対して基本的に性的欲求を抱くことはありませんが、強い愛情や深い友情を持った相手に対してなど、
ごく一部の場合に性的な欲求を抱くこともあるセクシュアリティです。「半性愛」とも呼ばれています。
[WIRED] セックスを拒絶する若者たち──アロマンティック・アセクシャル
https://wired.jp/2016/05/08/aromantic-asexual/
「手を握る以上のことは、わたしにはとても奇妙に思えました」。高校に入ると、人生は厳しさを増した。
周囲にアンドロイドだとか血の通わないやつだと呼ばれ、いつも自分が変人であるかのように感じていたという。
彼女は、自分に異常があるのではないかと考えるようになった。医師にも診てもらったが、君はかわいくて若いんだから心配しなくてよろしい、と笑われた。
「情報が何もなかったんです」と彼女は言う。「真っ暗闇のなかにいるようでした」
そこで彼女は、自分が唯一愛せるものである音楽に身を捧げることにした。17歳のころまでに、彼女のバンドは少数ながら熱狂的なファンを獲得し、
本物のロックスターたちが出演する大きなイヴェントの前座を務めたり、そのバックステージに出入りできるようになったりもした。
スターとグルーピーたちのふしだらで乱れた世界に10代で投げ込まれたにもかかわらず、彼女はそんなことにはまったく興味が湧かなかった。
反セックスを誓っていたわけでも、眼前の光景に道徳的に反発したわけでもない。ただ単に心惹かれるものがなかったのだ。
しかし、いずれ自分もそれに調子を合わせることを期待されると彼女は知っていた。よりセクシーなイメージをつくるために、
スカートを短くし、トップスをタイトにするといったようなことだ。幻滅した彼女はロックの世界から距離を置いた。
そんなとき、彼女はネットでジェイムズと知り合った。数カ月の間親しく友達付き合いをしたあと、1年間の遠距離恋愛を経て、
「性衝動という点では、わたしたちは一致していませんでした。でも彼は、わたしには欲情しないようにしてくれたのです」。
ジュヌヴィエーヴは言う。彼は我慢していた。ずっと我慢していたのだ。彼らが出会ってから3年後、彼女はようやく初めて自分のなかで欲望がうずくのを感じ、
彼と性的な関係をもつようになった。
「彼のことを十分に知って、わたしの心が『彼こそがソウルメイトだ』と判断したときに、体のほうもそう判断したんだと思う」。彼女はTumblrにそう綴っている。
大学の友人でぺドを名乗る男性がいるので、思い切って話を聞いてみることにした。
彼は正直典型的な非モテ男性と言っていい。覇気のない、あまり気を使っていない外見。コミュニケーション能力も高いわけではなく、気が利くか否かと言ったら、まぁデリカシーはないタイプだった。
彼は中高は男子校で過ごしており、今現在通っているのも理系の学部なのでほぼ男子校のような環境に身を置いているといえる。人生の半分が男子校コースだ。
性的指向(嗜好)の話に戻るが、彼曰く、彼は「小学生くらいの女子」しか恋愛対象として見れないそうだ。敢えて性愛対象ではなく恋愛対象と言ったのは、彼がしたいのは性行為だけではなく、デートや同棲生活など、そういう恋愛一般をその年齢の女子と達成したいと言っていたからだ。
最初は彼が先天的なペドフィリアなのかと思って聞いていたが、途中でどうやら違うらしいということがわかってきた。
彼は今でも淡い恋の夢を見るそうだ。相手は小学校の時の片思い相手。同級生だった彼女の姿は成長しておらず、性欲に自覚的になった今でも彼女のことが忘れられないのだそうだ。
……なるほど。
彼は先天的にどうこうというよりも、「女性像」が小学生の時から更新されていないのだと感じた。
漫画などの影響が取り沙汰されることも多く、私個人としてはその可能性もゼロとは言えないが、異様に男女別学が多いこの日本社会では、こう言った事例も少なくないのではと思った。
白人が逮捕された実例をいくつ上げようが、「黒人の方が逮捕されやすい」という事実に対する反論にはならないのよ。
逆にオタクが叩かれた実例を上げたところで「オタクが叩かれやすい」ことの証明になるわけでもないけど、一つ象徴的な事実としては、たかが「献血ポスターにほんのちょっとえっちな絵が使われた」程度のことを批判するのに、「売血だ」とかいう”過激な”論理が用いられたことは記憶にも新しいよね。主観的なストーリーでしかないけど、そのようなストーリーは強者の側からは見えないのよ。
私のようなアセクシュアル(フィクトセクシュアル)の人間からすれば、フィクションの表現なんかよりも、人格のある生きた異性を性的対象として、あまつさえ性交渉にまで及ぶような人権侵害行為が許容されている社会にこそ恐怖を覚えるのだけれども。こうした対人性愛の特権性が批判されることは無いのだから、いくらなんでも「オタクばかり叩いてるわけじゃない」という言い訳はいつまでも通用しないよ。
自称腐女子のフェミって、中立ぶっても結局「男性ばかり責めていないで私たち腐女子も反省しよう!」って方向に行き着くんだよね。
いや、現実ではそんな目で見ないから言い返せるんだけど、二次元でやってることを三次元でやらない保証はあるのかと聞かれたら、ない。
私は二次元性愛者(フィクトセクシュアル)なので、二次元と三次元を混同するようなことは100%ありえないと言い切れますけどね。(この世に100%などないと言われたらそうだけど、まあ「ゲイ男性が女性をレイプする」確率と同程度と考えていただければ。)
フェミにかぶれた結果、対人性愛の罪をフィクションに押し付けるようになるなら、やっぱりフェミが諸悪の根源なんじゃないですかね。
「二次元ばかり叩いてる訳じゃない!オタクの被害妄想!」というのは所詮「黒人ばかり逮捕してるわけじゃない!黒人の被害妄想!」というのと同レベルでしかなかったわけよね。
あ、私は女性差別には反対です。
想像していた以上に反応をいただけて嬉しいです。全て読みました。
私がとっ散らかった文章を書くのが悪いのですが、記事への反応が論点バラバラで笑いました。読みづらい文章にご返事頂きありがとうございます。
以下抜粋して返します。(それでもかなり長くなってしまった…)
良い返事だ。タイトルの疑問に答えてくれてありがとうございます。それならそれで良いです。
私も二次元だったらそんなこと考えなくても良いだろ派なのですが、観測対象のアカウントたちが現実社会の事もどうこう言ってたので今回の疑問が湧いてきました。
一番ツッコミが多かったのがここ。ただの持論を当然の摂理、みたいな出し方するのは良くないですね、申し訳ありません。生存本能的な事を言いたかったんですけど、日本語が下手で辛いわね…
私自身『遠い将来人間が宇宙の仕組みとか全部を解き明かす事ができるようになるまで我々世代が命のバトンを繋いでいけるよう努力していきたいよね〜』みたいなフワフワした考えで『人類を存続させる』ことをやたら重視してしまっている自覚はあります。
はてなにいる層では『個人が尊重された結果として少子化になり人類が滅びるならそれでいい、子供を産み育てよう!といった圧力は発するべきでない』という意見が多いみたいですね。私も別に圧をかけたい訳では無いんですけど、上手い表現が見つからない。
それもそうですね。
観測先が受け攻め等の話も積極的にしていたので性愛を含んだ恋愛について考えているつもりで、そして性欲は生殖をスムーズに行うための道具としての面があるから…という連想ゲームで疑問を抱いたのですが、ここの前提が間違っているのでしょうか。
当方ほぼ恋愛経験が無く、他人に性的欲求を抱いたことも無いので余計に頓珍漢な事を書いてしまった感があります。色々と不勉強で面目ないです。
ここの感覚が一番違うんだなという気付きを得ました!
私は『基準から外れている』事に対するマイナス感情は全く無いです。ただ単に、『基準に沿えた側』がすごいよね〜っていう感覚でいます。(この違い伝われ)
「社会の仕組みが円滑になる為の基準はこう」「基準でないこともまあ普通にあり得るしそれらを蔑ろにしてはいけない」は両立する話じゃないですか?
同性愛に関しては結婚等のシステムで明確な不利益を被っているのでそこの制度を調えるのは急務だとは思うんですが、その為のカウンター(?)として「異性愛はスタンダードなんかじゃない!」と主張することに違和感があった次第です。なんか色々逆では?という。
少数派を定める≒奇異の目で見る≒差別 ってパターンが多いからかなあ〜人間何かしらの分野でマイノリティに属するものなのにね。
そうかもしれません…(私は差別者ですの札を首から下げる)ただ、「そうなったら」は『同性愛』に対してではなく『子供を作らない』に対してかけた言葉のつもりでした、文章が下手ですみません。
ここまで長ったらしく書いてようやく気付けたのですが、
二次元だから容易に成り立つ大して深くない思想を現実にも振りかざしながらカップリングを消費するTwitterオタクの悪口を書きたかっただけみたいです(最悪!)
私は二次性愛者(アセクシュアルの一種)なので、増田のような異性愛規範擁護者も、「異性愛規範批判」をフィクションに持ち込む人も、等しく対人性愛規範擁護者として軽蔑してますね。
「恋愛や性愛は異性同士」という規範と同じくらい、「恋愛や性愛は人間同士」という規範も批判して欲しい。
生殖に対する姿勢を明らかにした上で異性愛をスタンダードとするなという主張をするならば全く問題ないのだが、してないのにそう言われるとモヤるというか不誠実じゃないかと思ってしまう
「異性愛規範」と生殖は「無関係」(増田自身が例を挙げているように、人それぞれのスタンスがありうる)のだから、それを表明するのは別に義務ではない。
ただまあ、それとは別に、「生殖に対するスタンスを決めあぐねている人が、その選択から逃げるために異性愛規範を批判することで安心を得ている」という事例も少なくはないだろうなとは思う。
増田はその辺を言語が出来てないから、異性愛規範を擁護することしか出来ないのだろうな。
なんなら貴方たちがフィクションの中で同性愛を消費するのを合理化する為に反異性愛規範を名乗っているだけなんじゃないのか……と邪推すらしてしまう(性格の悪い人間)
まあそういう事例も少なくはないだろうなとは思う。
増田も含めて人類は頭が悪いから、自分が何を望んでいて、その為には何をしなければならないのかを言語化することが出来ていないのよね。
ちなみに私自身の生殖に対するスタンスは「現象としてはなるようになる。それ自体は善でも悪でもない。それはそうと個人的には人類には繁栄して欲しい」くらいですね。
「じゃあどうやって人類を繁栄させるつもりなの? やっぱ異性愛規範が必要じゃないの?」という問には、(別に答える義務はないが、答えなければ卑怯というそしりは免れないと思うので、提案という形で答えると、)そろそろ人工子宮も実用化されそうなので、そちらで対応可能じゃないかなと思う。
最初に言っておく。俺は「花束みたいな恋をした」が大好きだし、元カノのことも嫌いとは思ってない。大筋は実話だが、バレ対策で所々の事実は曲げてる。この文に厳密に該当する個人は多分いないが、20代の童貞のノンフィクションだと思ってくれて問題ない。
タイトル通り。「はな恋」を見て俺が思い出した元カノは、「はな恋」を見ても元カレ(=俺)とのことなんか全然思い出さなかったらしい、という話だ。
当たり前やろと思った人、盛大な独り相撲が好きなら読んでくれ。
どこかにショックを受けた人、その幻想をぶち殺しにきたから読んでくれ。
はな恋の中身の話もするから未見勢は早く観に行け。行って情緒に九頭龍閃されてこい。
まずは思い出話。
高3のとき、親密ってほどでもないけど話すと楽しいクラスメイトの女子がいた。傾向は違うにせよお互い二次元のオタクだったし、かといって自分の世界に閉じこもり続ける訳でもない、それなりに真面目でそれなりに社会性があってそれなりにリア充を僻んでいるタイプだった。派手に迫害される訳でもなく、かといって異性にチヤホヤされる容姿でもないし浮いた話もない、そういうバランスの男女。たまに話が弾むうちに、お互いにちょっとくらい好感情が出るのは、ヘテロの若者だったら自然だろう。
とはいえ高3だ。少なくとも都会ではない立地の(自称)進学校で、大学が近くなる奴はまあまあレアだ。少なくとも俺は「最後だし気になる人には告白しよう」って思えるほど自己肯定感が高い高校生じゃなかった、遠距離の面倒くささを押しつけるのは気が引けるんだよ。だから例の彼女とも、別の大学行ってそれっきりなんだろうと思ってた。
幸運なことに、あるいは不運なことに。俺も彼女も、違う専攻ながら志望校が一緒なのが分かってきた。一般試験を前提に難関(扱いの大学)に挑む勉強ガチ勢どうし、「一緒に受かろうね」という共闘意識はすぐに共有できた。
共闘意識に加えて。「珍しく気の合う馴染みの女子(男子)が」「同じ大学にいるなら」「お付き合いもできるのでは」という妄想だって始まってた。多分、彼女もそうだった。
娯楽も限られ、空気の閉塞してくる受験期。これだけ利害の一致する人間がいたら頼りたくなる。教室やら予備校やらで顔を合わせる中で、少しずつ距離は近くなっていった。並んで歩いた、肩が触れた、バーガー店に寄り道した、ハイタッチした。ギリギリ友達の範疇の、しかし交わす異性なんていなかった、そんなスキンシップがひたすらに幸福だった。リア充が高校のうちにベッドインまで済ませている傍ら、ちょっと手が触れ合ったくらいで舞い上がるような高校生だった(今さらだが男子校勢には謝っておく)
そうやって、言葉にはしないまま意識だけが積み重なって臨んだ試験で、めでたく二人とも合格した。地方の自称進学校で、ちょっとした快挙になるような大学だった。引っ越しの手続きが落ち着いて、二人で祝勝会カラオケをして(君じゃなきゃダメな健全ロボがレスキュー!したのはうさぎですか?)、そのときに彼女から交際を申し込まれた。告白が叶った女の子が泣くんだって知った。
親も応援してくれた難関大にカップルで進む、進研ゼミもかくやという出来すぎた滑り出しで。お互いの好きなことは邪魔しないようにという(主に彼女の)方針だったから、サークルやバイト優先で、一緒に過ごすことはそんなに多くなかった。それでも連絡は頻繁に取り合っていたし、相手が歩く新しい世界の話は純粋に好きだった。たまにファミレスで喋って、帰り道にキスするくらいで十分だった……俺がセッしたかったのは確かだったが、彼女からその手の話をされることがなかったぶん、踏み込みづらかった。まだ未成年だし、付き合いが長くなればそのうち、くらいの気分だった。自分を好きでいてくれる女の子が近くにいる、それで十分だった。
そんな距離のまま後期になって、学業もサークルも忙しくなってきた。お互いに真面目に取り組みたいのは分かっていたから、彼女からの連絡が少しずつ減るのも気にならなかった。
試験期間が終わって、久しぶりに遊びにいって。そこで「別れたい」と言われた。納得もできないまま地獄に落とされて、それでも受け容れるしかなかった。水泳のときはプールの中で海パンを脱がされるような日常だった小学校の頃以来、久しぶりに自死を考えかけたりもしたが、そんな気持ちまで彼女にぶつけるのはどう考えても間違いだったし(H誌のI田の件は絶許)、何とか立ち直った。カルチャーでつながった相手に振られてもカルチャーで立ち直ったオタクだ。気分転換の得意なフレンズなんだね。
あんまりな別れ方をした直後は絶縁状態だったが、数ヶ月もすれば傷も癒え、少しずつ彼女との交流も戻ってきた。そのときは明言していなかったが、サークルの先輩に心変わりしたのが大きな理由だったらしいし、今ではその彼と良好な関係が続いているという。俺自身、無害な友人としてはともかく、性愛の対象としては魅力に乏しいと自覚してるし、そのくせ意識的にビジュアルを磨こうとも思っていなかったから、他の男に負けるのも無理はないと考えられるくらいになった。以前ほど親密ではないし直に会うことはなくなったが、たまには最近の推しコンテンツを布教しあうような関係になったし、それが結構な打率だった(というか言われる前から気になってる率が高い)ものだから、シンプルにオタ友として付き合えるようになった。何より、秘密を共有する相手というのは大きい。
俺は俺で、学年が上がるにつれて人間関係にリソースを割けなくなってきたし(だから新しい相手もいないまま)、あそこで別れなくてもいずれ、という予感を抱くことも多かった。何より、その先が破局であったとしても、彼女との思い出には励まされてきたのだ。ひとときでも誰かに愛された記憶は尊い、続かなくても間違いじゃなかった、違う道に幸あれ。本気でそう思えていた。別れたときに言えなかった「楽しかったね」だって、もう皮肉なしに言えたのだ。
という風な経験を踏まえると。
「はな恋」がビシャビシャに刺さる人だな、というのは察してもらえると思う。
絹と麦が惹かれあっていく様子は高3の淡さを思い出した。初対面で作家の話ができるの最高だし、「電車に揺られる」と言っていたら気になる。
同棲中の過ごし方は進学当初に描いていた理想そのものだった。同じ本で泣いたのは知っていたから、今度は一緒に読みたかった。
環境が変わると内面が変わるのを誠実に描いてくれたのも良かった。別れてからだって心は通じ合う、そんな関係性に自分たちもなれたと思っていた。
「はな恋」のキャッチコピーにまんまと乗せられた、これは俺たちの映画だ――という直感を抱いた頃、彼女も観る予定だとリア垢TLで見かけた。ただでさえコロナで人と会えない今、久しぶりに喋りたくなって、通話での感想戦を取り付けた。
期待通り、映画の話は大いに盛り上がった、それはそれでちゃんと楽しかった。それは良いんだ。
ただ、何を感じたか――というより「自分の経験のどこに響いたか」は正反対だった。
あらゆるシーンが彼女との思い出に接続されたと、缶ビールを片手に俺が語るのを聞きながら、彼女は段々と歯切れが悪くなっていた。顔は見えなかったが、多分げんなりしていたんだろう。
やはり今が優先されるのが当然か、彼女が主に考えていたのは今カレとの馴れ初めや前途だったらしい。それは分かる。社会人なりたてとして当然。
そこからが致命打だった。「君のことも思い出したけど、それは趣味が合う人がいる楽しさであって」「君と付き合っていた頃のことなんて全然思い出さなかった」「4年も経つのに君に思い出されて、ちょっとビックリしてる」
つまりは、4年以上も前の恋人期を鮮明に思い出している俺に戸惑っていた。そんな言い方はしなかったが、完全に引いていた。
俺から復縁を申し出たことは一回もないし、知らないなりに彼女と今カレの関係は(少なくとも言葉上では)祝福している。よりを戻せるだなんて全く期待していない。君の運命の人は僕じゃない、否めないというか今さら否定する元気もない。
それでも。どうやら俺は、終わった恋に甘えすぎていた。彼女が「思い出」のフォルダに整理した体験を、ずっと大事に抱えたまま、昨日のように覚えたままでいる。
新しい恋人が出来たからだとか、そもそも男女で思い出し方が違いやすいとか、そういう話も分かる。それでも俺は、かつての恋人の中で自分がどれだけ小さくなっているかを示されたのが相当にショックだったのだ。それだけ小さくできる存在が俺だ、そのことに今さら傷ついているのだ。
また好きになれとか、振ったことを後悔しろとかじゃない。こんな映画を観たときに思い出してくれる、そんな存在ではいたかった。絹と麦に憧れたのは、あれだけ幸せな現在を過ごしていたから以上に、幸せな過去を大切にできているからだ。パンフレットの一枚目のフレーズに号泣したの、俺だけじゃないだろ。
薄桜鬼もヘタリアも黒バスも、見かけるたびに彼女が話していたことを思い出す。SAOもゆるゆりも麻枝准も、彼女は多分もう気にしていない。
ラジオの映画評で宇多丸さんが言っていた、「別れた後でも、その思い出がある人生は素晴らしい」ことを描く映画じゃないかと。俺自身がそうだった、それを確かめさせてくれる映画だった。柔肌の熱き血潮は夢のまた夢、それでも、そんなに寂しい訳じゃなかった。あの頃に積み重なった初めての温もりは、どれだけ経っても心を温めてくれていた。そんな粘着質な感情なんて誰にも言えない、言えないけれど。彼女だってそうだったと信じていたのだ。別れたとはいえあんなに分かり合えていた。別れた後も上手く折り合いがついた、それはあの頃への愛着があるからだと思い込んでいた。
あんな未来が待っていた、それは一方通行の夢だ。ずっと知っている。
あんな日々もまだ温かい、それも一方通行の夢だ。知りたくなかった。
それでも好きになってくれた自分が誇らしい、そんな幻想だって、確かに明日への糧になっていたのだ。いつかそう思ってくれる人が現れる、それまでちゃんと生きようと自分に言い聞かせていた、それだって幻想だといよいよ痛感した。
とはいえ。精神に多大なダメージを食らったとはいえ。モラトリアムから目を覚ますには良い機会でもあったのだ。「自然な」出会いなんか一生来ない、やるならちゃんと金をかけてシステム使ってやるしかないし、ひとりで生きてく覚悟を決めたっていい。いずれにせよ、あの頃みたいな出会いなんて一生ない。少なくとも「俺には」ない。
色褪せてきたことに気づかず、花瓶に飾ったままにしていた花束を。そろそろ片付ける頃合だろう。
「今回の件からお前が得るべき教訓は」別れた後の恋人に思い出話なんて、大抵の場合はするもんじゃない。胸の奥の花束は、陽に晒したときには枯れていく。
別れた後も思い出話に花が咲く人がいたら、それはそれで尊敬も応援もする。けど、俺は違った。
かつて恋仲だった俺たちへ別れを告げる、いい機会だった。嫌いにならないまま、後悔まではしないまま、背を向けて手を振ろう。数年の時差はあったが、麦と絹の再演だ。
……ということを書きながら、段々と思いはじめたんだが。
「秒速5センチメートル」を作ったときの新海さん、こんな気分だったんじゃないだろうか。ポスト宮崎駿というか終身名誉レぺセン童貞の誠くん、さっき「はな恋」も観たらしい誠くん、大丈夫? 話聞くよ?
タイトルそのまんま。
恋人のような人は過去何人かいたことがあるけど、最終的に友達みたいになって終わった。全部。
当たり前だ。私が性愛と家族愛と友愛のうち家族愛と友愛しか知らないのだから。
性愛をそれら二つでなんとか繕っているうちにいつも終わりがやってくる。
大学生の頃に私を好きになってくれた人ともやはり結婚しか考えていなかった。
院生の頃も仕事をはじめてからもどの相手とも最初のデートの段階で結婚しか考えていなかった。
正直、それまでのなんやかんやに一切の興味が湧かなかった。
でも根が真面目でかつ博愛主義なので知り合った人には幸せになって欲しいと願っていたから色々頑張った。
恋をしている振りもした。一度も上手くできたことはないのだろうけれど。
恋をしている振りをするために恋愛ハウツー本を読むというあべこべな方法論を採用した。
または情を恋心と勘違いしていたから鬱傾向の強い人と付き合うことも多かった。
そう。
自身に恋愛感情というものが一切ない、ということを受け入れたのはつい最近だ。
はじめての彼女には「俺は初恋ってなかったんだよね」とは言った。そして泣かれた。
けれどそれでもどこか、信じていたのだ。
私は恋をしている、と。
そして情、友愛、そして家族愛を恋心の代用品として使用していたら20代が終わっていた。
迫られたことはある。それでもなぜか手を出さなかった。いや、その時は「なぜか」と思っていた。
今考えてみると当たり前の話だ。性欲がないのだから。
年収 750 万。
東京大学卒。
この情報を使えば婚活すればどうにでもなるのだが、やはりどうにもならない。
恋心も性欲もないのだ。
今、私を好きだと言ってくれている女性がいる。
私はその人と結婚したいと思っている。
でも、恋はしていない。そんな状態の私が彼女をどう誘えばいいのか、それが分からない。
ただそれでもやはり結婚がしたいんだ。
私は人を愛することはできる。
ただその人に対する独占欲が一切なく、その人に入れ込む心情が一切ないだけなんだ。
だから今でも、そう今でも自分がアセクシャルなどとは認めていない部分がどうしてもある。
恋している人を見るとどうしても気持ち悪く感じてしまう自分から目を逸らしながら
せめてホモセクシャルやトランスジェンダーに生まれていれば良かったと何度思ったことか。
自分がそれらではないのか?と疑いひたすら女装をしていた時期もあった。
またはロリータコンプレックスではないかと疑いアイドルを追ってみたりもした。
熟女好きなのではないかと疑い年上にちょっかいを出したりもした。
だから私の知人は、私と主に一緒にいた時期によってどう私の性的指向を把えているかが変わる。
ただそのどれでもなかったのだ。
そしてこの年齢になってやっと受容してしまった。
ただそれでも結婚して、家庭を持ちたい。