はてなキーワード: 学歴偏重とは
Disdain for the Less Educated Is the Last Acceptable Prejudice
https://www.nytimes.com/2020/09/02/opinion/education-prejudice.html
より一部訳
重要なことは殆どのアメリカ人(3分の2近く)が4年制大学の学位を持っていないということである。彼らの悩みの原因は不十分な教育にあると労働者に言うことによって、エリート (meritocrats) は成功と失敗とを道徳化し、知らず知らずのうちに学歴偏重主義を広めている―大学の学位を持っていない人々に対する陰湿な偏見を。
学歴偏重主義者 (credentialist) の偏見は、エリートによる傲りの症状である。2016年までに、多くの労働者は高学歴のエリートたちが自分たちを見下しているという苛立ちを感じていた。この訴えには根拠がないわけではない。調査研究は、多くの労働者階級の有権者の直感を裏付けている;人種差別や性差別が好ましいとされない(排除されはしなくとも信用はされない)時代にあって、学歴偏重主義は最後まで残る偏見である。
アメリカ合衆国とヨーロッパでは、他の嫌われがちな集団 (disfavored groups) に対する偏見よりも、教育水準の低い人々に対する軽蔑は、より顕著であるか、あるいは少なくともあっさり認められている。アメリカ、イギリス、オランダ、ベルギーにて実施された一連の調査のなかで、 Toon Kuppens 率いる社会心理学者のチームは、大学教育を受けた回答者は、他の嫌われがちな集団に対する偏見よりも、教育水準の低い人々に対して、より偏見があることを発見した。この研究者たちは、典型的に被差別者とされるさまざまな人々に対する態度を調査した。ヨーロッパでは、このリストにはイスラーム教徒、貧困者、肥満、視覚障害者、低学歴の人々が含まれていた;アメリカでは、このリストにはアフリカ系アメリカ人、労働者階級が含まれていた。これらすべての集団のなかで、低学歴者はとりわけ嫌われていた。この研究では、大学教育を受けたエリートたちによる教育水準の低い人々に対する軽蔑的な見解を明らかにしただけではなく、エリートたちがその軽蔑を恥ずかしいと思っていない (unembarrassed) ことも発見した。彼らは人種差別や性差別については非難するかもしれないが、しかし教育水準の低い人々に対する否定的な態度については弁解しないのだ。
2000年代になると、大学の学位を持たない市民は見下されるだけではなくなった;アメリカと西ヨーロッパでは、彼らはほとんど公選職に居場所を失うようにもなった。アメリカ議会では、下院議員の95%と上院議員の100%が大学を卒業している。資格を持つ少数の人々が、資格を持たない多数の人々を統治するのだ。
これまでも常にそうだったわけではない。十分な教育を受けた人々は常に議会で不釣り合いに代表されてきたが、最近では1960年代初頭には選出された議員の4分の1が大学の学位を持っていなかった。過去半世紀の間に、議会は人種、民族、性別に関しては多様化したが、学歴と階級に関してはそうではなかった。
学歴分断の一つの結果として、公選職に就く労働者階級が極めて少数であることがある。アメリカでは、労働力人口の約半数が、肉体労働、サービス業、事務職と定義された労働者階級の仕事に従事している。しかし、選挙前にそのような仕事に従事していた下院議員は2%にも満たなかった。
NHKニュース「転勤なら辞めます!厚労省が企業に制度見直し指針活用呼びかけ」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190330/k10011866601000.html?utm_int=news_contents_news-main_002
いや、どれだけ転勤制度や指針を見直しても、解雇規制に手を付けなければ手先のごまかしに過ぎず、根本は解決しない。
今の日本社会に様々課題がありますが、最も社会の根幹の改善を妨害しているのは雇用の流動性の無さでしょう。
これが、生産性の低さ、過労死、企業ぐるみの不正、天下り、役職定年、パワハラ、雇止め、非正規の貧困、女性の再就職困難、男性の育児不参加、学歴偏重による大学の質の低下を生んでいる。
さらに、過度な部活信仰やいじめなど、子どもの問題も、終身雇用の反映と言えなくもない。
流動性を高める制度としては、なによりも解雇規制の緩和、そして厚生年金、退職金、配偶者控除の廃止が必要。
(退職金は報酬の一部を取り上げて、「数十年後に返すからそれまで辞めるなよ」という人質制度)
高プロや同一労働同一賃金は、上記の制度が進めばその結果として浸透してくるでしょう。
逆に言えば、流動性を作る前に高プロなどを先に導入するのはごまかしだ。
安倍政権では時々話題になっているが、結局は残業規制とか有給休暇育休産休の義務化とか最低賃金増とかプレミアムフライデーなどの小手先の悪手に逃げて
流動化そのものはまったく進んでいない。
かわいそうな非正規にも正社員と同等の待遇を与えよう、という戦術でごまかしているが、
その結果は、雇止めなど非正規にとって不利な方向に働いている。
労働力を確保しつつ都合よく使いたい企業と長期雇用の安定性を得たい正社員が既得権をガチガチに守ってるからでしょう。
和式リベラル政党は、正社員組織の労働組合の後押しを受けているので、当然流動化には反対だ。
というわけで与野党ともに、本気で推し進めようとする政党が無い。
非正規の味方を売りにして、 この4割を取りに行く政党があってもいいんじゃないかな。
リベラルは正社員と高齢者の方を向いていて、決して非正規層(や 若者)に力を入れていない。
リベラルに合流してくすぶっている若手議員は、方向性を変えてはどうか。
非正規にも、事後の正義を理解できない層がいるだろうが、一部でも支持を得られれば、支持率1%の野党よりマシだろう。
ある程度の支持率が得られれば、与党も無視できなくなり改革が進む。
非正規向けとは言ったものの、流動性には正社員にもメリットがある。
転勤やサービス残業など望まない仕事を押し付けられにくくなる。
定年退職が無くなる。
ポイントは、制度の移行期間に解雇される正社員の保護制度を手厚く適切に設計すること。
正社員のメリットと保護制度が、充分に説明されれば正社員層の支持も得られる。
雇用の流動化は、非正規の保護救済のためではなく、日本社会が豊かに成長するために必要。
党名は「非正規の党」「自由労働党」「労働者の党」「弱者の味方」でどうか。
誰に頼んだらいいの?
高度経済成長期以降、私が生まれたバブル崩壊の頃までは、今から考えれば旧態依然とした…というか古い考え方が主流で、肩書や資格、権威、過去の実績などが重視された。
高学歴は高学歴というだけで安泰だっただろうし、大企業に入りさえすればそれだけで安定していた。
特定の資格(医師、弁護士など)は取得さえすればやはり安泰だったのではないだろうか。
それが2000年代に入り、起業・ベンチャーブームともいうべきか、権威や実績はなくとも結果さえよければ評価される、大切なのは表面じゃなくて中身だ!みたいな価値観に変わった。
それまでの時代の価値観に対する反省みたいなものもあったのかもしれない。
恋愛において見た目(いわゆる三高)重視から中身重視に変容したのもこの時期ではなかったか。
就活で学歴偏重から人物重視がうたわれ出したのもこの時期ではなかったか。
そして2008年のリーマンショック以降、経済を中心に人々は(色々な意味で)「守り」に入ったように思う。
ITなど様々な面で技術革新が起こり、少ない労力で手軽に質の高いものを利用し楽しめるようになった。
1~数枚の写真と短文のみの情報で、非常にたくさんの「いいね!」を獲得できる「インスタ映え」するものが高く評価された。
多くの人が一目見て「いいね!」と感じるものが評価される…それはあたかもかつて権威や資格、過去の実績など「誰が見てもよいと思うもの」が評価されたのと酷似しているではないか。
1これが無いと学歴あってもダメなのは就活や会社で明らか。よって学歴至上主義は否定
2IQ mensaを見れば分かるようにIQだけ高くても社会的成功に結びつかない。IQは特定のパズルを解くのが得意な集団。よって項目から除外
3語学が使えれば仕事のパイが増える。これは学歴偏重社会より広い集団で戦えることなので、学歴をオーバーライドする
4ITスキル。腕のいいプログラマは中卒でも食える。もっと平たく言えば頭が良ければ食える。
5EQ.非常に大事。短絡的でリスクの大きい失敗をしないで済む。他の能力が高くても、これが低ければ手痛い失敗をするかもしれない。
6他がなければ生きる。他があれば要らない。あった方がいいが、このために他の自分の長所を犠牲にするかどうかは人次第。
よって学歴偏重主義は否定され、かつ1,5が必須。そして3~=4>6の順で準必須のスキルであるので
このようにパラメータを振るように。
2015年就活なのでちょっと古い上に俺自身がたいした大学出てないからレベルが低くてすまん。
一応は、第一志望だった人気とされる職種で割と楽しく働いている。
業界によるところが相当大きいが、基本的にはMARCH以下は人間として認められない感じ。
他のトラバが「無名Fランでも世界旅して、ウェブサイト開いて閲覧数10万超えだったら即採用だし」と言っていてその通りなんだが、それはモンスターであって人間ではないし、
逆に、ブラックじゃないとこにそんなに苦労せずに就職できればなんでもいい、くらいなら浪人してまでMARCHより上に行くのはパフォーマンスが悪い気がする。その時間で1年社会人経験積んで転職したほうがキャリアアップできそう。
業界や職種、企業で話は全然変わって来るから、もう少し具体化して聞いた方がいいと思うよ。
学歴偏重ではあるけど、単に頭よければ頭いいほどいいってことじゃなくて、どういうルートをたどったか、が重要なんだと思う。
俺が受験生に戻れるなら、志望業界にOBが多い学部に入ってバイト紹介してもらってもぐりこみたい。教授の人脈も重要。
実際一緒に働いてると、MARCH下位あたりから能力の差が歴然としてくる。仕事の能力と言うよりキャパシティの差かなあ。やっぱり旧帝の人とかは脳みその容量が全然違う。
受験勉強ちゃんとやってりゃ鍛えられたのかもしれんなーと思う。受験を頑張った方がいいと思うのは、就活のことよりこっちが理由だな。
<現状>
1.戦後、日本は経済発展を続け(高度経済成長)、高等学校進学は当たり前となり、さらに上位の
高等学修機関(大学・短期大学・専門学校等)への進学率も上昇してきた。
2.上述の高度経済成長の最終期であったバブル景気(崩壊)までの約20年間(1972年~92年)
は、女性の社会進出の影響もあり、女性の進学率は上昇傾向にあったが、全体としては30%
台で推移してきた。(それ以上は上昇しない20年だった)
http://www.mhlw.go.jp/toukei_hakusho/hakusho/
http://www.garbagenews.net/archives/2014387.html
3.バブル崩壊の影響が出始めた1993年以降、進学率は急速に上昇し続け、2000年代中期に
は50%を超えた。(大学進学率も2009年に50%を超えた)
4.一方で、少子化の勢いは加速する中で、主に私立大学が急激に増加しており、上述の進学率の
上昇とも相まって、近年では大学進学が当たり前という風潮が生まれた。
5.しかし、これも上述のように長引く不況や非正規労働者の増加といった雇用環境の変化により、
親の教育費への負担感は一層増大し、奨学金の乱立により、貧困状態に陥る学生が増加する
という社会問題も出てきている。
6.また、日本の大学は、「入学しにくいが卒業はしやすい」、「唯一学生らしく遊べる時期が大学生
時代」という独特な文化もあり、企業の就職面接においても、本業であったはずの学んだ事や
研究してきた事は重視せず、「部活動でリーダーを務めた」、「ボランティア活動をやった」など
7.上述の大学進学率の上昇の原因をしっかりと研究した者は少なく、ネット上にも諸説あるが、
バブル崩壊後の長い不況と雇用環境の変化(失われた20年)により、それまでは高等学校卒業
で就職していた層が、「大学卒業」という資格を得るためだけに大学に進学するようになったと
考える事ができる。
8.大学数が増加し、いわゆるフリーパスで入学できる大学(Fランクの語源)が増加した事も背景
にある。
9.企業においては、採用時にも、採用後にも、学生時代に学習してきた事を活かそうというシステム
になっておらず、新入社員研修でその会社の社風に合致した人材の育成を開始する。詳細な業務に
ついては配属先に丸投げという文化が定着している。
<提言>
1.仕事を創出している企業の経営者・人事部門などの採用する側の意識から、学歴に対する昔の
イメージをなくし、高等学校卒業者、短大・専門学校卒業者、大学卒業者を、それぞれの年代
ごとに、何を学んできて、どういった成績だったのか、しっかり確認する。
2.「リーダーシップがある」、「コミュニケーション能力がある」、「ストレスに強い」などと
3.上記にも言える事だが、人事は「思考停止」してはならない。そして、真の意味で多様性を求
めるべきである。即ち、高等学校卒業者、短大・専門学校卒業者、大学卒業者、ひいては大学
細かい格付けは面倒だしそういうことにしてくれ。
「いいな~、就活余裕じゃん」だのと言う。
そんなことは断じてない。
でも、スタートがいくら良くても、転んだり、脱線しまくったり、そもそも走る気が無かったら。
当然ゴールできないよね。
ていうか学歴が悪いといって嘆く奴らは、どっかで手ェ抜いてんだよ。
ESの段階で落されたら、すぐに学歴を逃げ場にするだろ。
学歴がある人間は学歴のせいに出来ない。今まで踏ん張ってきた自分に対するプライドもある。
過去の自分を裏切らないように、早いうちから動いて本気でやってる人間の割合が高いんだよ。
それをこっちが学歴だけで勝ち上がってるように言って来る自称低学歴連中。
学歴偏重の社会を恨むんじゃねーよ。今日日高校生でも知ってる現状だろ。
本当に社会変えたかったら下から吼えるんじゃなくて、頑張って偉くなっとくれ。
そして、肩書きは無いがポテンシャルがある人間を見分ける目を養ってくれ。出来る?笑
話が逸れまくった。
ここまで読んでくださった優しい皆様方は、もうお分かりだろうか。
私はカメだ。
優遇された位置からスタートさせてもらえ(るはずだっ)たのに、3歩歩いてそこに座り込んだまま。
だって、やりたいことがないんだ。
そりゃ、趣味はある。
昔から絵や漫画を描くのが好きだったし、今は宅録にハマってる。
だけど、それが仕事になるなんて到底思えないんだ。
自分の創作活動が、他人を拒絶するための壁を構築する手段だって、分かってるから。
人間が嫌いなんだ、関わりたくない。
他人と関わらないためにやってる生存活動で金を稼ぐなんて、出来ると思えない。
なんとなく広告業界を志望してみたりなんかして、
落ちた。
基本的にどの段階まで行こうと、「受かった」か「落ちた」の二択しかないのは分かってる。
でも、「とりあえずここまで来たってことは、そんなにコミュニケーション能力(笑)が無いわけではないのかな~」と確認して、ちょっと安心した。
(しかしその後、選考方法に非難ゴーゴーのなんちゃらの学校の最終面接で落されたので、「やだ、私のコミュ力、低すぎ?!」と傷つく)
ああ、これでまだ働かなくて済む、といった感じ。
でも生きていくためには稼がなきゃなんないね~。
うだうだ言ってもしょうがないしね~。
とりあえず、考えます。
私は、子ども向けの演劇の役者を志望していたり、大学で教育学を学んでいた。
家が、学歴偏重だったし、親も高学歴だったので、やはり偏差値が取れないと生きている意味がない、
結局、こんな生き方をしてしまったので、自分は一体なんのために生きているのか、
大学にいきたい人はどうやら、そういったことは深く考えないらしい。
ただ、生き残るために進学し、就職活動をしていくのだ、ということに疑問を持たず、
目の前のことをただこなすだけの人間、社会の一員としてその機能を果たしていきたい、と、
無意識に思っているのだろうか。
私は、勉強ができないと、家族という社会には認めてもらえなかったが、
だからすごく救われていたと思う。
しかし、家族という社会にだけ認めてもらおう、と努力したことは、
学校という社会でどうしたらいいのかを、理解していくのが人より遅かったと思う。
***
勉強は、理性を鍛えるもの、していない人はその分、感性が非常に発達していることがある。
演劇の研究所で、周りの人間が、初めて出会う高卒や中卒、フリーターの人だらけで、
ああ、みんな学歴がなくても普通に生きるだけならできるじゃないか、と思った。
高卒は高卒のコミュニティ、中卒はそれに見合ったコミュニティで、生き残るしかないのである。
でも、その社会の中で普通にお金が稼げて、仕事をしていればいいのではないだろうか。
別にだれしもが、広くてきれいなワンルームに住まなきゃいけないわけじゃない。
本人がかまわないなら、何も問題がないじゃないかと。
仕事だって、やるからには社会のどこかで役になっているのだろう。
私が、すごい思うのは、「社会的に認められる」という言葉の曖昧さである。
社会ってなんだ?と。
人が2人以上いればそれは社会だという。
Aさんに認められてれば、Bさんに嫌われたってかまわないのと同じように、
何事も、主観の方がいいのではないだろうか。
そりゃ、学校のクラスだとか、会社の部署、とか、そういうのも社会である。
でも、この学校のクラスと会社の部署はそれぞれなんの関係もない。
その所属している場での、ふるまいとかを考えればいいだけなのに、
何故か、「社会人として世の中、世界全体共通で自分は認められるようにしなければならない」
という錯覚に陥ってはないだろうか。
挨拶をする、時間を守る、マナーを守る、というのは、単に無用な争いを避けるための
形式なのであって、
その人とコミュニケーションをしていくというのは、
お互いに外面だけよくしてれば、そりゃお互いにそれくらいの興味なんだから、
距離感は取れてるだろう。
しかし、上司と部下、友達関係、といった、長く続けていかなければならないもので、
外面だけで耐えられる人は、本当にすごいのだろうか。
そういうのは、休みの日に自分自身を出して認めてもらえているから、なんとかなるのだろうか。
でも、心をないがしろにし続けている人は、どこかで不具合や病気を起こしている。
ある意味、この増田みたいなネットの付き合いというのは、外面気にしなくてよいから、
外面だけで、付き合いを続けている人よりは、ケンカをしたり意見を言い合う方が、関係性としては仲が良いような雰囲気があるw
***
とかいうのは、つまり人間は、外面も内面も多層的な存在であるということの表れだと思う。
だから、みんな同じiPhoneを持っていたって、ケースのデザインは違うし、入れてるアプリが全て一緒なんてことはない。
共有できるものは共有し、自分の好きな物、オリジナルにしたいものだってあるのだ。
「あんた、そんなんじゃ社会的に認められる人にならないよ!!」
「人に好かれる人になれ!!」
という、人で、私は周りの人に嫌われてない人を見たことがない。
皆、あいつって、我がままで自分のことしか見えてないよね、って言っている。
学歴重視の企業ばかりだと、低学歴の人には均等にチャンスが与えられてるはずもなく、
ただただ学歴偏重社会の波に押しやられて泣き寝入りするしかないって事よね。
学歴が必要だってことを学校教育で全然教わらなくて、ただ勉強の虫だった人が高学歴を手にして
そうじゃない人が低学歴だとすると、当然のように就活でも差別化されるって思ってる人多いみたいだけど、
それは嘘だよ?
単純に学歴重視の企業というのは、こうした勉強の虫なだけの人間が欲しいのならともかく、その学校に入ってる事が重要だとしたら
学歴が大事って言う割にそいつが本当に勉強して入学したのか、親のコネとか体育系推薦で入学したのかってそれだけで大分人間性がくっきり別れるんだけどね。
要は、そういうのを全く気にせず、〇〇って学校卒業してるから、ここからあそこまで1ダース貰うねって感じで全然人物で選んでる感じがしないよ。
そりゃ・・・、学歴重視の企業って学歴があるだけの人間を欲してるから全員がそうじゃないけど、ソルジャーになれない頭の弱い子とかがいて、そういう人たちが
3年以内に安易に辞めてるのを見てたらさ、安易に学歴重視した結果が毎年のように離職者が出てる事に繋がってる事をそろそろ理解しなきゃだと思う。
折角学歴重視して低学歴を弾いて全員が超人クラスの人間を入れたはずなのに、実際は企業の社風に合わなくて辞める人が続出すると採用側の企業の質が低く見られるよ。
考えたら学歴重視するだけの企業って辞められるリスクを考えないのかな?
毎年2~3月位になると、内定辞退者が出て追加募集してる企業なんかを見ると、リスクを全く考えてないんだろうなって思う。
実は学歴偏重してる企業の方が、求職者にあまり好かれてないんじゃないかと。
事実、内定辞退者が出るって事は学歴重視が裏目に出てるってことでしょ?
本当に入りたい人を入れてるのなら、学歴重視であろうとなかろうと離職率が高くなる事はないし、まして内定辞退なんて絶対ないはずなんだけど・・・
横からですが、学歴主義や官僚主義を否定するわけではありませんが
2 復興して今の日本を築いた人たちの中には 松下幸之助さんを始め、学歴の低い方の多くの台頭があります。
3 その後、東大・お受験の時代がやってきて 大学歴時代となったわけですが、今の失われた10年をはじめ、経済を失速させた時代です。
こうやってみると、学歴時代と呼ばれるものは 直近の日本経済ではマイナス要因であり 学歴が関係なかった時代というのが特需の影響であると考えても無学歴でも時代を動かせたということが出来ると思います。
これらの事から、無学歴でも能力がある人間を上部に採用できる会社・社会が伸び 学歴偏重する社会は破綻をきたす という事が直近の事実かと思います。
また、日本以外の海外での一流大学は 一芸主義などもあり 岡本太郎なども入学できるが 東大は不可能 という側面もあり、日本の高学歴はやや、世界的な高学歴とは方向を異にしているという事情もあります。
海外の高学歴は貴族の子などの、リーダー育成学校、トップ育成学校という側面が強いのに対し、日本のそれは、兵隊幹部養成学校であり、誰かに付いていくという側面でリーダー育成の概念が薄い。もしくは、反乱・革命を恐れ、従順であることを吉とする部下育成学校であるという側面を持つのもひとつでしょう。
そういった中で、日本の失われた10年を創り上げたと言っても良い、現在の学歴偏重主義を、この不況のどまんなかで掲げるにはそれなりの理由が必要かと思います。>元増田さん
大学に行かないと、普通の企業の正社員になりにくいという、学歴偏重の日本の雇用がどうにかしている。
いわゆる、働くスキルという意味では、大学で教えることと、実社会で必要なスキルが、乖離して久しすぎる。
理系で研究職ならともかく、大学で学んだことと、実社会で就職する会社が必要とするスキルが乖離しているなら、大学なんて趣味じゃないか!
化け学部卒で趣味でITやってるわけでもないのに、就職がIT系とか。そんなものが普通に1流大学だからで採用されて
子供の頃からITやってきて、Fランクだけど情報系 というのを 押しのけて、 IT系の会社に採用された日本のITがどうなったか?
IT業がクリエイティブ業じゃなくて、単なる肉体労働の土木作業になったのは、いったい誰のせいなのか?
とか、とりとめもなく、思いました。さようなら。
横だけど。
学歴偏重主義の親が言うことなんかほっとけばいいよ。
東大にいけることが子どもの才能だと思ってるおばかさんなんだから。
中卒だって高卒だって財を成し社会的にも認められてる人もいる。
子どもに芸術的な才能があったとしても何もしてやれない(気が付かない)こともあるし、
そもそも何が経済的な成功に繋がるかなんて一定の法則があるわけじゃないし。
子どもにも自分で自分の幸せを見つける力を持って欲しいなと思う。
そのためには親が幸せに暮らしていることを行動で示すしかないんじゃないのかな。
教えることなんて出来ないんじゃないの、って思うよ。
全員が全員元増田が言ったことに対して返信してるわけではなく、途中でいわゆる横、そのことについて別な角度から考えるとこう思う。という横にたいして、元増田の命題をもってきて、(横なのに)真だ偽だっていっているから、話がおかしくなってるんだと思った。
元増田と
よく判らないんだが、今のプログラマに求められてる仕事って「やりすごす」レベルじゃ絶対にダメって事?※と
テストの点うんぬんぬん
の関係は主旨だけ見ればそれぞれ横だと思うよ。
※に関してはすでに、就職云々じゃなくて、就職後の話にもなるし。
ただ、全体的な風潮としては、今までは活況で人が不足していたし、育成を前提に青田買いだったから、学歴偏重だったけど
今は不況で人が余っているし、育てる余裕がないので、即戦力重視にシフトしてるから、
学生は今までのエスカレーター式就職は無理で、泥臭い泥仕合の就職戦線になるって事だろうし
転職組は、本当にいままで積み上げてきた、人脈とかスキルとか実績とかが総動員で、会社の格とか名前とかが通じなくなった。
というおおよその傾向はあるとおもうし、だいたいみんな、だいたいなら、そんなことを言ってると思うよ。
一般的なテストの点がよい が 偏差値60程度で上位2-3割という事だとすると
だって、それ就職戦線における長所と見なせる『良い』に含まれないもの。
個人的には、それは、テストの点が良いじゃなくて、テストの点が悪くないだなぁ。
テストで推薦受けられる程度の優秀な点が取れる奴:就職できる ※S1
テストの点に関係なく、なにがしかのスキルを高いレベルで身につけた奴:就職できる ※S2
テストの点は推薦受けられる程度ではなく、スキルも高くない(どちらも良い~平均 以後平均と表記);就職氷河期なので就職困難 ※A
両方低い:就職超困難
ここで、※1>※2 で就職困難と考えるか、※2>※1で就職困難と考えるかだけど
テストでいい点すら取れないような奴 という 表現を見るに、※1の方が※2よりも就職しやすいという前提で
※2が言いたいんだろうなぁと。
その前の、テストで良い点が取れれば就職できると思ってる(のは間違い) という表現はこの表全体のことを言いたいんだろうなぁと
元増田については※Aが言いたいんだろうなぁと。
一般的には、大学時代にスキルを即戦力レベルで身につける人って少ないから、大体が、※2に含まれるんだよね・・・
ただ、学歴偏重だったから、※2>※1だった。今は氷河期だから※1>※2
だったら、テストの点を削っても、時間をスキルに割いて※1になったほうが有利と考える考え方はあるし。
大学を1つ下のランクに下げて推薦ねらう※S1とか、大学のランクは無視してスキル重視の※S2とかが賢いよねぇ?
変に大学のランクを無理してあげて、ついて行けなくてカツカツで※2とかその下になっちゃうと結構大変だと思う。
というあたりで、ここまでの増田たちはみんな、同じようなことを行ってるけど、良いとか、テストの点とかが指している物が微妙に違う性で食い違っているによねぇと思う。