はてなキーワード: 上方とは
人間というものは面倒くさいもので、目の前に明確な危機や危険が現れないと、容易に重い腰を上げないものだ。今の日本全体を覆っている行き場のない閉塞感を打ち破るトリガーになりえるのは、おそらく弱者男性の存在だ。リアル社会でもネットでも叩かれる傾向が強い弱者男性であるが、この弱者男性の増加によって社会は変わってきている。だからこそ、今声を上げて言いたい。弱者男性が増えることこそが、日本を変えるのだ!
弱者男性の存在がもたらした最大の功績と言えば、「男社会」の社会通念を現在進行形の形でぶち壊していることだろう。今までは男は女を守って当たり前、男は女よりも金を持っていて当たり前の価値観があったが、今の若い男にはこんな古い価値観は通用しない。女も経済力を負担して当たり前、女も社会に責任を持つのが当たり前という価値観が主流になってきている。しかし、肝心の社会の仕組みが昔の「男社会」のまま変わらなかったので、女性の社会進出も男女共同参画社会の実現も頭打ちの状況だった。
このこう着状態を打開するのが、今以上に弱者男性が増えていくことだ。女側からすれば、もはや男の経済力を頼ることはできないので、自らが主体的に働いていかざるを得なくなる。結婚して子供が欲しければ、自分から男を探さざるを得なくなる。今後、女の上方婚志向はおそらく消滅する。実際問題として、経済力のある男がいなくなれば、物理的にそうなるだろう。弱者男性の増加の結果として、女性の社会進出は今以上に進むことになる。
今の日本で数少ない強者男性も、内心では「男社会」をぶっ壊したいと思っている。今のままでは、日本そのものが持たないことは強者男性自身が一番よく理解している。その点においては、強者男性も弱者男性も思惑は一致している。
この間のねほりんぱぽりんをようやく録画で見た
前半は「ヒモと暮らす女」で、年収1500万の外資女がヒモを飼ってるって話なんだけど、この「ヒモ」ちゃんと家事してるし(真のヒモは家事などしてはならぬ)、バイトも100万ぐらいしてるわけです。で、女の方も「癒されるから」ってんで、満更でもない。
でヒモはヒモで金引っ張っといて「彼女のお金で僕が幸せにしてれば彼女も幸せ」みたいなこというわけですよ(そのために遊びに行っちゃうんだけどね)。
でもこれって、全く専業主婦やってる連中と変わんないじゃん。男女逆だったら全く問題ない、よくあるケースなわけでしょ? これを嘲笑するってのは、まなざし村民総出でひっぱたきに行くべきなんじゃないの? 正しくジェンダーロールの話じゃん。
どうしたのフェミニスト?専業主夫笑われてるよ、シャカイシンシュツして上方婚止めるんでしょ? なんでお前ら秒で食いつきにいかないの?
都内の大学卒業し就職して、大分経った。さえないので未だに独身だ。
ふと地元を見ると、昔、一緒にいたような連中が、みな幸せそうに見える。
結婚して子供も中学生くらい。家庭はなんというか、いわゆるマイルドヤンキーみたいな感じのようだ。
なかなか羨ましい。
しかしもう少し聞いてみると、幸せそうに見える連中が、目に見える形で地元に残っているだけで、
あんまり良い境遇じゃない人はやはり、住まいを移したり、地元にいてもあまり目立たないような暮らしぶりらしい。
たまたま帰省中に中学時代学級委員長だったクラスメートとコンビニの駐車場でバッタリ。
その大学の近くでIT関連企業に進んだが、激務に体を壊し退職。
きちんとしたクラス会はまだ先だけど、地元に残った連中に声をかけていて、
気が向かないけど、人柄のいい彼の気持ちもむげにできず出席を約束した。
チェーンの居酒屋に着くと、幹事の彼と自分以外に、女子3人、男子6人。
近況報告や、同級生の消息だのよもやま話だので、まあまあ盛り上がる。
女子は皆子供がいて、高校生を育ててる人もいた。三人とも落ち着きがあって、お母さんしてるし、素敵な感じも残ってる。
男子は地元高卒組4人が幹事をよそに仕切りたがり、幅を利かせたがる感じ。彼らはときおり連絡し合ってるという。
自分と幹事の委員長以外のその他二人の男子は、大卒の地方公務員。高卒組の仕切りになんとなく任せている。
そういえば、その高卒組は昔からよく群れて集まり、幅を利かせ、裏で密議し、
それでいて表立って責任をもったりはやらないし、できない連中だった。
酔いが回ると高卒四人組は、自分の低学歴を卑下し、大卒組をうらやみ、なぜか責め始める。
その話が進むにつれ、その内一人が仕事で大卒に負けてるわけじゃない、大学なんていかなくてよかったと言い始める。
女子が、でも自分の子が勉強出来たらうれしいでしょう、と言うと吠えてた高卒男子が、うん、塾に行かせてる、と可愛い。
人柄が悪いわけじゃないけど、高卒組の考えや世界の狭さを感じてしまった。
上方婚というやつか、女子は自分よりスペックの高い男を捕まえるのだろうか。
小金を稼ぐようになった女が相変わらず上方婚願望を捨てなかったり、結婚しなかったりする
それは本人の自由だし非難するつもりもないけど、そこでつまらん言い訳を持ち出すのが汚い
「だって男のプライドが傷つくし」「下方婚とか噂になったら恥ずかしいし」とかぬかすアレ
どこの藤崎詩織だお前は
そりゃもちろん、人の結婚にケチつけるような風潮はクソだと思うし、なくなった方がいいよ
でもそれを非難しつつ、結局自分の行動の理由にしちゃってるのが実にズルいと感じる
だいたい社会的な圧力で言ったら、「結婚しないのか」という圧力の方が(嘆かわしいが)まだ強い
で、結婚しない女というのはその圧力は蹴飛ばしてるのに、下方婚への圧力にはなぜかあっさり屈し、
いやそんなわけねえだろ
どう考えたって外圧に屈したんじゃなくて、そもそもお前が下方婚とか嫌なだけじゃねえか
いやもしかしたら東京の港区あたりじゃ、結婚に対する圧力はなくなったけど、
下方婚だけは相変わらずバカにしてるのかもしれないな、ぜってぇ嘘だけど
たぶんこういうのは女の処世術ってやつで、とにかく人のせいにした方がうまく行ったんだろうね
それで困ってるポーズや泣いたフリすれば、周りが同情して何かと世話焼いてくれたんだと思うよ
でもそれじゃ自分が本当に欲しいものは手に入らないかもしれないんだぞ
「金が惜しい」って言ってるケチの方がまだ潔いわ
『葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。
目次 [非表示]
1 概要
1.2 書名の由来
2 脚注
3 刊本
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。
文中、鍋島藩祖である鍋島直茂を武士の理想像として提示しているとされている。また、「隆信様、日峯(直茂[1])様」など、随所に龍造寺氏と鍋島氏を併記しており、鍋島氏が龍造寺氏の正統な後継者であることを強調している。
当時、主流であった山鹿素行などが提唱していた儒学的武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義は山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。赤穂事件についても、主君・浅野長矩の切腹後、すぐに仇討ちしなかったこと[2]と、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央が病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別に相手に突っかかることはできないのである」と評している。
この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩の朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身の大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。
明治中期以降アメリカ合衆国で出版された英語の書『武士道』が逆輸入紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという菅野覚明の指摘がある。
また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしまう気概と覚悟が慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。
白雲やただ今花に尋ね合ひ 陣基
葉隠の記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。
しかし山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ない。葉隠の記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナーの指南書や礼法マニュアルに近い記述がほとんどである。また衆道(男色)の行い方を説明した記述等、一般に近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。
戦後、軍国主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士の生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術のマニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。
戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、純文学の三島由紀夫は『葉隠入門』を、大衆文学の隆慶一郎は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠の入門書として知られ、各新潮文庫で再刊された。
書名の由来[編集]
本来「葉隠」とは葉蔭、あるいは葉蔭となって見えなくなることを意味する言葉であるために、蔭の奉公を大義とするという説。さらに、西行の山家集の葉隠の和歌に由来するとするもの、また一説には常長の庵前に「はがくし」と言う柿の木があったからとする説などがある。
前回 http://anond.hatelabo.jp/20170215150122
届いて、使用した話する
午前中指定の配達にしたんだけど、朝9時くらいに宅配の人が来た。
荷物を開けると、
試しに振動させてみると、ぷにぷにのかわいらしい見た目とはちがう、ちょっと凶悪な音。
早速試してみたいのをこらえて、コンドームとローション(一回彼と使ってみたけれどやっぱり血が出たときの残り)。
そして、「興奮させて見境なくなったら血が出てようがなにしようがセックスするのでは?」と思って買ったエロ下着(血が出た瞬間に急降下で萎えたのを初めて見た)と鏡。
部屋の明かりを暗めにする。バスタオルを引いたベッドに寝転がる。
胸を触ったりしながら、ゴムをつけたバイブをなめまわす。確かに彼のものよりずいぶん小さい。
彼はこの部分が弱い、とか思い出しながら舐めるとさらに興奮してくる。
ひとしきりなめまわしたあとに、体のいろんなところに当てて、痛くない振動を探る。一番小さい振動でも結構くる。
いよいよパンツの上にバイブを当ててみる。外性器の気持ちいいところに刺激を与えながら、中をほぐしていく。
いつも以上に滑りがよく、「今度一回これを持ち込んでセックスに挑戦してみたらうまくいくのでは」とぼんやり思っていると軽い絶頂に至る。
一通りほぐした後、いよいよ入れてみようと体を起こす。場所の確認のために少し部屋の電気を明るくして、鏡を体の前に持ってくる。
コンドームを新しいものに付け替えて、ローションをたっぷりかけて、いつも以上に貪欲そうなソコにスイッチを切ったバイブをあてがい…そして…
入らない。
角度を変えてみる。
入らない。
ぐっと手で入口をひろげる
入らない。
かれこれ四半世紀以上自分の体と付き合っている私ですら、異物を迎え入れることに難しさを覚える。つまり彼なんかはもっと大変な思いをしているのでは。
なるほど、これからはちゃんと位置を教えてあげなければならないのだな、童貞は面倒くさい、などと自分のことを棚上げしながら思った。
二本指を入れた後に、そっと入口にあてがう
入った。
思っているよりももう少し上方向に入れないとうまく入らないんだな、と感じながら中に進めていく。
入口は全く痛くない。処女膜は裂けてないんだろう。まあもともとから指でオナニーしてたしタンポン派だからある程度広がっているだろうけどさ。
もう一つ大事なことに気づく。
どこまで入れるものなのだろう。異物なので距離感が全くつかめない。きっと気持ちいいところで止めればいいのでは。そう思い普段オナニーの時でも彼に触られる時でも今のところ一番気持ちいい、浅いところで動かしてみる。
膣口は痛くない、でも膣内が痛い。
慌てて抜く、血は出ていない。
でもなんか、指をガシガシ出し入れしたときみたいに痛い。
途端に、さーっと今自分がしていることを思い出して、慌てて膣口を鏡に映す。
相も変わらず、膣口をもったりした処女膜が覆っている。血も出ず、裂けもせず、膣口を隠している。
前回、ステータスは何も変わらないじゃないか!と思ったけれど、膣口にも特に影響はなぜかなかったようだ。やはりタンポンとか日頃のオナニーで広がっているんだろうか。
やっぱり血が出ても彼の指の方が気持ちいい。新たな知見を得た。
けれども、確かにクリに当てるととても気持ちがいいし、なにより疑似フェラしているときの興奮は、とてもいいものであった。
自分なりの空の飛び方(浮き方?)をメモ的に書いておきます。コツ、というか飛び方のやりやすさは千差万別だと思いますしそもそも体の構造が人それぞれちょっとづつ異なるので読む方がいたとしてもあくまで参考程度に。
まずこれは私の中でのオーソドックスな飛び方ですが、宙を蹴る方法です。宙を蹴ると言っても通常の状態だと人体は重力によって地面や床に足が着いているので宙を蹴ることが出来ません。なので一回ジャンプします。大きめにジャンプして下さい。ジャンプすると体全体が空中に触れている状態なので(厳密に言うと体は下着や衣服や靴に触れていて、それ越しに空中に触れている)、そこからもう一回ジャンプする感じで宙を蹴ってください。するとふわっと今いる所よりすこし上の方向へ体が動くはずです。それを繰り返しているとポワンポワンと上方向へ体が移動していき、空を飛ぶことだ出来ます。スーパーマリオUSAでルイージやピーチ姫が空中を飛ぶように足をダダダダっとさせてジャンプしていますが、あれの感覚に近いです。カイの冒険でカイが空中を浮遊するように移動するのにも近い。アクション系ゲームで二段ジャンプができるキャラとだいたい近いと考えて良いかと。ただ、ビシっとシャキッと行く感じではないので、感覚としてそこがかなり重要だと私は考えています。
もう一つの飛び方としては、裏声で高い声を出すことです。これも最初は地面及び床に触れている状態で一回ジャンプします。空中に体が触れている状態で高い声を裏声で発声します。「ア”ァァァァァァァァァァーーーーー」という激しい感じではなく、「ァーーーーーーーー」というキレイな高い一定の裏声を発声するのがコツです。発声している間だけ体が上の方向へ浮いていくはずです。RPGの聖属性敵キャラが全体攻撃をしてくる時に出す声のイメージです。こちらの方法は宙を蹴る飛び方より成功確率が低いです。具体的に言うと宙蹴りは百回に一回、発声浮きは千回に一回くらいの確率です。難しいぶん、発声浮きは声を出している間にそのぶんぐんぐん浮いていくので宙蹴りより上昇率が高くスムーズな印象です。何度も何度も試して頑張るしかありません。私は最近ようやくコツ?というかやり方が慣れてきたのでメモ的に記してみようと思った次第。
あまり、というかほとんどおすすめできませんが飛ぶ方の確率を上げる方法があります。それはジャンプして宙に浮いてる状態をつくってそこから宙蹴りや発声浮きに移行するのではなく、あらかじめ高いところからえいっと落ちて、その落ちている状態の時(体は下着や衣服や靴に触れていて、それ越しに体が空中に触れている)に宙を蹴ったり、裏声で高い声を出して飛ぶという方法です。アパートに二階や三階など、高めの場所から試すと成功率はけっこう高い印象ですが、公園のジャングルジムや滑り台など、手頃な高さの場所から飛び降りて試してみても試行回数に対して成功割合が明らかに増える感覚はあります。7階や10階以上のビルの屋上から飛び降りて試すとかなり成功確率が上がるのではないかと思いますが、これは失敗すると確実に地面に身体を強く叩きつけることになり、死ぬので、そういった願望がある方以外は試さないほうが良いと思います。これはあまり書くべきことではないかもしれませんが、私は以前そういった願望に支配されてどうに気もちが駄目駄目な状態だったのですが、成功したことでかなり色々なことが楽になり、大丈夫になりました。これは本当に数少ないパターンだと思います。
高いところから飛び降りて飛ぼうとするとなぜ飛びやすいのかについては、地面に近い状態だと飛べる確率が低いのではないか?という仮説を考えたことがありましたが、ビルの屋上でジャンプして飛んでみても確率があがることはなかったので、より長い降下時間がもしかしたら重要なのかもしれません。いずれにせよ、身体と重力の関係が重要なのは間違いないかと。
ホットエントリを見てると「本当にオススメする3DSのゲーム10選」みたいなタイトルの記事をよく見る。見始めの方は楽しく読んでたけど、オススメできる良作なんて有名どころしかないし、そもそも絶対数も少ないから、どうしてもマンネリ感がある。そして、ちょっと前に増田の記事であったけど、あの手のランキング記事はゲームを紹介して、アフィでそのゲームを買ってもらうことを目的としている場合が多いから、どうしても買ってもらうために面白いゲームしか紹介しない。
でもね、ゲームって、良作ばかりじゃないし、かと言ってクソゲーばかりでもない。
どうにもこうにも、多少は面白いけど、う~ん……と思ってしまうような微妙なゲームのほうが圧倒的に多いハズ。そして、微妙さ故に話題にもならないし、クソゲーみたいに突き抜けてもいないからネタにもされない。紹介したって、買って貰えるはずもないから、前述のアフィ目的の記事で紹介されるわけない。
前置きが長くなったが、ないなら書いてしまえ、というわけで、この増田が今まで遊んだ3DSのゲームの中で、微妙なゲームを紹介する。
あくまでも、良作でもないし、クソゲーでもない、そんな語るに困る微妙なポジションのゲームについて、さあ語ろう。
2012~13年にスクエニがメディアミックスを仕掛けていたコンテンツ『超速変形ジャイロゼッター』の3DS版。同名のアーケードゲームもあるけど、そちらとはロボットに変形した車で戦うという内容は同じだけど、こっちはRPG。アニメの40年後の世界が舞台になっている。
車が題材のゲームなので移動は全て車になっているという変わり種で、ポケモンのノリでジャイロゼッターを集めながら、世界を滅ぼそうとする敵を倒すというまあそんな感じ。アニメの40年後が舞台なので、アニメを知っていると色々感慨深いシーンも多い。とくにエンディングはアニメと同じ内容かつ、アニメの第一話につながる内容になっているので、アニメを知ってれば、「おっ!」となる。
でもアニメを知らなきゃ、移動が全て車の変なRPGだし、中盤以降のゲームバランスも何かおかしいし、そのくせガイドが妙に丁寧だったり……。ジャイロゼッターに関心のある人なら、とっくに購入済みだろうし、そうでない人なら何とも微妙に反応に困るRPG。パッケージの時点でアニメイラストなので、知らない人ならまず買わないだろうけどね。
逆転裁判シリーズの番外編。明治時代の日本、イギリスが舞台で、時代故に指紋判定などの科学捜査ができない状態での裁判となっていて、メインシリーズとは趣がぜんぜん違う。とはいえ、基本的に犯人扱いされてピンチ状態の依頼人を逆転につぐ逆転で、勝利をもぎ取るという基本スタンスは全く同じ。
で、ここで紹介しているということは、このゲーム、つまらんとは言わんけど、面白くない。
捜査パート、裁判パートにおいてメリハリがなく、終始グダグダした進行が進み、とにかく長い。そのくせ話の核心にはあまり触れられずに、話が終わるエピソードが2本もある。続編が発表されたとは言え、ラストのぶん投げた感じの締め方は本当に酷い。続編が出たら、評価は多少は変わるかもしれないけど、それでも終始グダグダした空気が流れてる裁判はちょっとね。もうちょっと何とかならんのか。
逆転裁判の番外編では、レイトン教授とのコラボもあるけど、そっちは本編ほどではないけど、結構面白いよ。
Farming Simulatorシリーズの3DS版。VITA版やPS4版もある。
農場を運営するゲームだけど、うん、地味。淡々とトラクターで畑を耕し、淡々と種を巻き、淡々と刈り取って収穫し……を淡々と続けるゲーム。シリーズが何本も出てるし、ハマる人にはハマるゲームなんだろう。
でもあまりにも淡々とした内容には結構面食らった。一昔前の洋ゲーみたいに、説明が乏しくやたらと不親切だったり、挙動が妙にリアル(だそうだけど、実際のトラクターに乗ったことはないからわからん)だったり。そのおかげで慣れるまで操作しづらい。
こんな淡々としたゲームだからか、公式サイトはやたらハッチャケた内容になっているから、そっちはオススメ。サイトを見て、どんなものかこのゲームを買ったんだけど、本当に地味で淡々としたゲームでねえ。どうせならグラのいい、PS4版の方が良かったかも。
聞いたこともないような地方のローカル鉄道ばっかりで、どこに需要があるのかサッパリわからなく、そういう意味でも微妙なソフト。自分の中ではまだ知名度のある「叡山電鉄」がテーマになっているソフトがあったので、とりあえず購入。
基本的には『電車でGO!』とほぼ同じ。ただ、予算がそれほどないのか、それとも時代の流れからなのか、運転席から見える風景は実写映像が流れる。そして、車内放送が妙のリアルというか、たぶんこれ実際の音声をそのまま流しているような気がする。
まあ興味のある鉄道が舞台なら、買ってもいいんじゃないの。現在出てるのは、叡山電鉄の他に長良川鉄道、鹿島臨海鉄道、近江鉄道、ゆいレール、上方電気鉄道、会津鉄道、大井川鐵道の7本。
アイカツっぽい何かだった前作とは違い、アーケード版を一応再現したようになっているけど、キャラが無表情、リズムゲームの判定がやたら厳しい、キーの割り当てがおかしい、という中々頭を抱える出来。遊べる曲を増やすには特定のコーデは必要だけど、そのコーデを作るためにはミニゲームを延々とやって材料を集める必要があるってのも、けっこう面倒な感じだった。
とはいえ、アーケード版っぽいアイカツが家で遊べるのは良かった。人気絶頂時に頑張って出してきたのは良かったと思う。
最終作の『My No.1 Stage!』はアーケード版をほぼ完全に再現した内容になっているから、今『2人のMy Princess!』をわざわざ遊ぶ理由はとくにないかな。でも人気絶頂時に発売されたこれと、最終作では売上が1/5くらいにまで激減しているのは物凄く悲しい。
[算数の問題「円周率を3.14とするとき、半径11の円の面積を求めよ」の解を379.94とするのは誤り?(togetterまとめ) https://togetter.com/li/940931]
このリンク先の議論が見落としていること。それは、「面積」という言葉についてもまた複数の定義が可能であるということ。これだけで、スムーズに問題は解決できる。
具体的な導入方法としては、たとえば算数の時間の(教科書の)はじめに、「算数のじかんに『面積』っていうのは、計算で出た結果のことだからねー。」と確認させることにする。つまり厳密には
「小学校 算数」において「図形の『面積』」とは、算数の指導範囲内で計算される式の結果求められる数で表されるもののこととします。
という風に「面積という言葉を再定義」させればよい。これによって、円周率を3.14とするという条件下で半径11の円の面積を求める問題の答えは「379.94」で無事正解となる。「非ユークリッド幾何学ガー!」とか(理系の)斜め上方向に吹き上がらなくても「円の面積」という言葉の定義の方を広げれば問題は解決。【現状問題ない・無駄に指導内容増やすな派】に対しても、特に莫大な手間や子供の理解を求めることでもないので受け入れられるだろうし、【有効数字ガー派】に対しても、「あ、面積って言葉の意味が違うんで」で終わり。教員の方に対しては、なんでそんなことを言わないといけないかということについて研修させることで、レベルアップを求めることができて万々歳。
以上から言えること。理系の皆さんはもう少し人文系の学問(たとえば言語学、哲学、歴史、政治学、文学)を真剣に学ぶべきだということです。よろしく。