はてなキーワード: ミニマリズムとは
必要なものだけを持つ暮らしを実現する、というミニマリズムなる考え方がある。
そういう生き方をすることを否定するわけではないが、少し前から気になっていることがある。
それは同居する家族の持ち物について干渉することがあるのか、ということ。
もっと具体的に言えばミニマリスト同士による子育てにおいて、子供の持ち物をどう取り扱うかということ。
ミニマリストの男女が価値観もぴったりということで意気投合して結婚したとする。
そしてこの二人が大変な子供好きで、自分たちの生活において「子供は必要だ」と考えたとしよう。
めでたく子供を授かった二人は、これからこの子供の持ち物といったいどう向き合っていくのだろう。
自分の子供時代を振り返ってみると、あらゆるものを収集していたことが思い出される。
公園に落ちていたBB弾とか、形のいい小石などを瓶の中に詰めて眺めるのが好きだった。
ある夏には勉強机の引き出しいっぱいにセミの抜け殻を溜め込んでいたこともあった。
こういう場合、子供の持ち物には特に干渉することなく両親だけが「持たない暮らし」を実践していくことになるのだろうか。
気になって、子育て中のミニマリストを自称する人たちのブログを読んでみたりもしたが、このあたりの事情についての記述が見つけられない。
ミニマリストとして持たない暮らしを実践し、その日々をブログに綴る人々が「セミの抜け殻がみちみちと詰まった引き出し」なんて目撃したらどうなるのだろう。
私の両親は整理整頓にかなり拘りがあるようだが、それはものをたくさん持って暮らしたいために身につけた技術だった。
そういう家庭で育ったからこそ「持たない暮らし」を重視する家庭の子育て、育っていく子供のことがまったく想像できない。
だからこそ興味がある。ミニマリストの方々は同居する家族、特に子供の持ち物について干渉したり、ものを持たない生き方を指導したりするのかということを。
ぜひご教授頂きたい。
清潔感というとモテキーワードみたいになるので嫌なのだが、それは絶対に必要だ、
1、とにかくいらないものを捨てる、
ひとりぐらしでつまづくのが、いらない物を買いあさるということである。
はしをとにかく買ってみたり、食器をとにかく買ってみたり、気持ちはわかるぞ!!!
買い足していく事が楽しいのだでも、
使ったものを処理しないで新しいものを使いだす→洗い物やらが増える
という負の連鎖に陥るので、いる分以外はすぐ捨てろ。
そのほこりのかぶったフィギュア本当にいる?誰にも見せないのに?捨てろ。
ひとりぐらしして最近の流行だなと思うのは自炊してますよ、アッピールだ!
料理→片付けという作業が発生する、それをほっておくと汚部屋になる。
『たまに自炊しますけど、忙しいときはコンビニです。』←これのほうがモテるし、部屋もきれい。
時間があるときに、自炊して、あとはコンビニで安いものを替えばよい、
3、乾かすな!
乾かしてもう一度利用するというのは、当たり前のようで、
とても難しい技術だという事が分かってきた、全国の主婦を尊敬する。
ぞうきんを乾かして使おうもんなら、絶対臭くなる。
なので、俺はぞうきん、ふきんをすべて捨ててキッチンペーパーに切り替えた。
ふく→捨てる。
なので、服を乾かすのももっぱらコインランドリーだ、乾いてくる衣服は気持ちがよい。
乾かすということにお金をかけても良いと思う。
コツはこれだけだ!
全国の部屋が汚い男どもよ。
自分の部屋を見回してみよい、よけいな物はないか、
よけいなものがあったら捨てろ。
ミニマリズム????みたいなものを推奨しているわけではない。
私が言いたいのは自分のキャパシティを知れということだ、部屋に飾ってるフィギアが
埃一つなく飾ってあるならそれはよけいな物ではない!立派に必要な物だ。
しかし、ほこりかぶっていて、見向きもされないなら、残念ながらそれは必要ない。
部屋というのは、自分に帰ってくる。
清潔そうな奴の部屋はぜったい綺麗だ、
隠しとうそうとしても、部屋が汚い奴はわかるんんだ、いくら表層を装っても
多かれ少なかれミニマリストに対しての嫌悪が皆無の人はいません。嫌悪感を抱くなと言っているわけではありません。おk?
では問題になる反ミニマリストとはなにか。以下の3つを同時に満たす場合などは「問題のある反ミニマリズム」であると言えます。おk?
・「ミニマリスト」を一括りにして嫌悪感を語ること(主語がでかい)
・「公の場」でその嫌悪を表明すること
更に、反ミニマリストを指摘された時に「貧乏臭い」と主張するのは無意味です。節約術や自己啓発っぽいオフ会の稚拙さをいくら指摘しようとも、今問題になっているのはその人が反ミニマリストであるかどうかです。いくら風の姫姉様の人やビックカメラの人の批判をしてもその人が反ミニマリズム的な発言をしていたら反ミニマリストです。おk?
ミニマリズム関係なく「ミニマリスト」が胡散臭い理由 - 泡沫サティスファクション
ここで書かれているミニマリストに対する指摘はただしいと思う。
「ミニマリストだからとか関係ねえ。うさんくさいやつがうさんくさいことしてたら胡散臭いって言われるのは当たり前だろ「おまえらが胡散臭いのは、意思を持たずにネクロマンサーに使役されるゾンビみたいな動きしてるからだ。批判にたいして向き合う気概もなしに仲良し集団やってるのはよくいってもカルト教団のようで気持ち悪いしお前らのレベルまで行くと同じ人間とも思えない。ゾンビにしか見えない」これは私も同意する。でもこれちょっとごまかしが入ってるよね。
ミニマリストがうさんくさいのははてなに限った話ではない。そして、はてな外でもポロポロ批判記事をみかけるからその胡散臭さが叩かれるのは共通である。それでも、やはりはてなでは極端に叩かれ過ぎである。やはりそこにははてな独特の事情があるのが妥当である。はてなは、普通の感覚でいえばやはり異常な場所なのだ。これにたいして「はてなは修羅の国だ」といいつつ、どういうところが修羅の国なのかというと「いいことを書けば褒められ、悪いことを書けば批判される」としか説明がない。これはあまりフェアではないような気がする。「いいことを書けば褒められ、悪いことを書けば批判される」だけではてなをサバイブできるのはある程度頭のいい人だけであって、話題になっている自称ミニマリストさんたちのように頭の悪い人間にはそれだけでは不十分ではないだろうか。
炎上の理由の7割は自称ミニマリストさんたちがバカだから、それは間違いない。あの人達バカだからどこいってもいずれ炎上するだろう。だけど残り3割ははてなが変だからだ。その3割をごまかしてはいけない。
はてなブックマークという仕組みの異常なまでの脆弱性(ハックしやすさ)とそれゆえに培われてきたはてなブックマークに対する過剰なまでのモラルの高さは、初心者には理解し難い。3ブクマで新着カテゴリとしてトップページに載ることができてしまうこのシステムは、新陳代謝を促しやすいという意味で優れてきたが、ちょっとした不正や工作、および慣れ合いによる組織票にたいしてすら脆弱である。はてな運営は、そうした不正にたいして自ら積極的に介入することを避け続けてきた。多少アルゴリズムが変化して組織票に対しては対策が取られたようだが根本的に新着のハードルを上げるつもりはないようだ。その結果、はてなブックマークに関しては、各ユーザのモラルに委ねられるところが多い。実際まだ破綻してないので高いモラルが維持されているといってよいと思うが、一方で高いモラルが行き過ぎて暴走する人間がいる。つまらない記事を書いた上で慣れ合いや工作によってはてなブックマークに載る行為ははてなブックマークを汚す行為とされ「しばき隊」が黙認される傾向がある。
「賛同」以上に「批判」(モヒカン族)が結束しやすいシステムに問題はないのか。はてなブックマークのヘビーユーザーは10年プレイヤーがゴロゴロいる。そういう人間は目が肥えすぎている。10年間はてなに存在したあらゆる自意識の血を飲み干したシロクマや、炎上後で焼き殺された人間の肉を食い漁って生き延びてきたヨークシャー・テリアなど妖怪化しているものも少なくない。そんなわけでブロガーに求めるハードルは、他のブログサービスよりかなり高い。特に、目立つつもりがなく書いても、たまたま影響力のある人間によって拡散されてホッテントリした記事などに対する評価は激辛である。そういう人間はいきなり脳天かち割られて即死する危険がある。また「はてなモヒカン」という言葉があるように、欠点や落ち度に対しては容赦なく群がってヒャッハーしていく人が多い。 初心者狩りはよくないと思うぞ。
これに関しては郷に入っては郷に従えって言うべきなのかどうなのかわからんが。とりま、「つまらない記事を書いて目立とうとする奴は殺されても文句は言えない」「良くない記事にブクマをつけるやつは馴れ合い集団として排除する」などなど、理解しておかないと痛い目にあう暗黙のルールがたくさんある。はてな独自の暗黙のルールに嫌気がさす人は、はてなは村社会であるかのように感じる傾向にある。
他にもいろいろ気をつける点があるので、今後も修羅の国はてなでサバイバルしていきたいと思うのであればガイドブック「はてな村奇譚」をよむといいよ!
id:c_shiika 増田実は奇譚読んでないだろ。本当に読んでいたら結論は奇譚読もうじゃなくて、人力検索に相談しようになるはずだ。
ならない。あれの最後は発祥たる人力検索のことも思い出してあげてください、であったはずだが。あなた実はこの文章読んでないだろ。本当に読んでいたらこんなブコメはしないはずだ。ネタの感覚で面白いと思って書いてるんだろうが、私はお前のコメントすごく不愉快だからな。俺煽り耐性低いからな。俺今すごく顔真っ赤っ赤だからな。ミニマリストもたいがいだが、お前みたいな身内のノリで不快なコメントするやつだって同様にむかつくからな。ちょっとはコメントを自重しろ。feitaちゃんを見習え。feitaかわいいよfeita
人体には不必要な部位が少なくありません。除去して快適な生活を送りましょう。
まず足の指、猿ならいざ知らす人間は木の上で暮らしたりしないので不要です。
眼と鼻の穴も一つで十分。
クソしてオナニーして寝るだけのお前らには脳みそも無用の長物だ。
性交しない生殖器も存在意義がないよね、そうなると手淫用の腕もいらなくなるし足ピンする脚もナンセンスだ。
さっぱりして気持ち良いのだ~。
彼らがスタバでMacBook広げる感覚でブログでミニマリスト名乗ってるのは、概ね間違ってないだろう。
「MacBook好きなのはいいけど、なんでわざわざスタバで使うの?」
「スタバ好きなのはいいけど、なんでMacBook広げてるの?」
そういう指摘が出てくるのは、まあわからなくもない。
俺も「スタバでMacBookとかネタだろ」と思っていたが、本当にスタバでパソコン使ってる人はほとんどマカーだった。
完全にドヤ目的でそうしてる人もいるのだろう。
でも、これって受け取る側の独り相撲であることも多いんじゃないか?
多くの「スタバでMacBook」は、別に意識してやってるほどのことではないのかもしれない。
スタバとMacBookをはじめとするアップル社製品の親和性が高いのは、上手く説明できないが否定する人もいないだろう。
明らかに他人のライフスタイルをディスる目的でミニマリズムを持ち出してくる阿呆は確かに存在する。
今までアニメ見てなかった奴が突然京アニ絶賛し始めたあれと同じだ。
彼らには信念がなく経験が不足していて、ある価値観に触れたときの反応が強すぎるのだ。
ものを知らないので、いま自分がハマってるものが世の中で一番すばらしいと思ってしまう。
これをこじらせると、何かにつけて「あのころはよかった」と自分の世代最強論者の老害になり果てる。
話がそれたが、一部の粗悪なミニマリストの根本はこんなもんである、という偏見を提唱する。
大事なのは、そういう自分の価値観を絶対だと思う人をたしなめるとき、その人の好きなものまで否定するのはやりすぎってことだ。
あるいは、その人と同じものが好きな人間はみんなこうなんだ、と十把一絡げにするのもよくない。
坊主憎けりゃ袈裟まで、なんてたちの悪い思考停止アンチでしかない。
ミニマリストは貧乏なんだとか、ミニマリストは病気なんだとか、批判のやり方としては最悪の部類である。
ミニマリストは群れてて気持ち悪いとか、「なんかあいつ調子乗ってね?」という気の大きい中学生のような発言だ。
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!
なーんちゃって。
もし『魔女狩り(魔男狩り?)』に遭ったとしてもコメント欄を閉じていた場合のネガコメ数は、、、、
1
たった1つだけです。
と本文中に書いていても1つだけ!!!
他のコメントはやっぱり『いつものブロガー』からのコメントばっかりww
これでわかったと思います。
やっぱり『ネガコメ』は単なる
だったということです。
同調現象が起きると、異論は歓迎されない。ただ、「みんな」の意見を補強する意見のみが歓迎される。そして、異論に対しては、論理で反論するのではなく、個人攻撃・人身攻撃で反論され、沈黙を強制される(同調圧力)。
はぴらきさん、ありがとうございます!
いやー、わざわざミニマリズムカテゴリに入るために『ミニマリズム』『ミニマリスト』両方の単語をタイトルに埋め込んだかいがありました。
昨日の「バズってどうする!?」も思わせぶりだったでしょ??w
『いつものブロガー』ははてなブログアプリやtwitterのブログ更新つぶやきからブログを読んでそのまま『B!』アイコンからコメントするから、他のはてブコメントを見ることはほとんどない。
逆に『ネガコメ』する人は▼他のネガティブなコメントを読んだうえで、それに影響されたコメントを書く。
人間の体は『食べたモノ』で出来ている。人間の心は『読んだモノ』で出来ている。 - A1理論はミニマリスト
なので、はてなブロガーは自分の記事に『ネガコメ』が多くついた時に、
「こんな多くの人から批判される自分はなんて悪い人間なんだ、、、」
と自分を責めがちですが、、、
単なる社会心理学の『同調現象』です。本当にありがとうございました。
勉強になりましたね!w
そして、
怪しいtwitterアカウントも即ブロックです!!
▼『ダメな人の国』の住民と関わる人生の貴重な時間がもったいないです!人生は有限!!
実際の世界にはもう一つ『ダメな人の国』があるんじゃないだろうか?絵本『ペンギンの国のクジャク』 - A1理論はミニマリスト
『はてなブックマーク村』
と、
『はてなブログ村』
に分かれます。
まず『はてなブックマーク村』の住民はブログを書いておらず、単なる『同調現象』『スタンピード』でネガコメ書いているだけ、これはコメント欄閉鎖で対応。
『はてなブログ村』には強烈な「反ミニマリストブロガー」が5人ほどいるかな、と思ってます。その記事が『魔女狩り』の起点になる。
その人たちはおそらく半永久的に「反ミニマリスト」「魔女狩り」な記事を書き続けるでしょうけど、これは完全に無視です。関わってはいけません。
現実世界でもいきなり道端で命令口調で突っかかってくる人と仲良くしたいでしょうか?したくないですよね??
クレーマーと同じです、相手にするから余計にややこしくなるのです。
結局、嫌いな人どうしは分かり合えません。
いや、こっちが分かり合おうとしても、向こうがこっちを嫌いなんだから分かり合えるわけないじゃんww
クラス全員と仲良くすることなんて、原理的にも時間的にも無理でしょ。
ましてやいきなり命令口調で突っかかってくる人なんて足切りです。情報処理試験でいうところの『午前1問題』で足切り。
だからお互いの為に付き合う『コミュニティ』を分けるほうが賢明。
ま、しかし今回の『魔女狩り』騒動で、一般のはてなブロガーの中にも反『魔女狩り』ブロガーも出てきつつあります。
いつまでも世間から『気持ち悪いブログサービス』と思われたままでも、ねぇ、ってことなんじゃないかな?まぁどうでもいいけどw
で、今回の目的はもう一つあった。
第3回ミニマリストオフ会の参加メンバーから目を逸らさせるため!!
今回は過去最高の人数&人気ミニマリストブロガーが全国から大集結なんです!!
こんな大事な日に札幌オフ会メンバーを『魔女狩り』させてたまるかよ!!!ww
だから今日は、なんとしてもつつがなく、オフ会を成功させないとダメだったんだ!!
後日、北海道新聞にも載るようです!!
と今後も末永くお付き合いしていけばいいんだよねぇ?
いちいち突っかかってきたり、言葉の揚げ足とって炎上させる『はてな村』の人たちと関わるためにブログを書いてるわけじゃないよねぇ???
それは、とれいCさんを元気づけるため。
今日は札幌オフ会が3次会、4次会まであったとしても、完全に終わるまでこの記事を書けないと思っていたので、日中はとれいCさんをずっとくだらないネタで笑わせてましたw
「ね、炎上中でもたいしたことないでしょ?ポジティブでいられるでしょ?」
という感じで。
炎上しようが、退職しようが、そんなことはたいしたことではないんです。
人間が心身ともに健康で、ポジティブに生きていくこと以上に大事なことはないんです。
彼女、だいぶ元気になってきたのでゆとりオフ会の皆さんはじめ、また皆さん仲良くしてあげてください♪
ちなみにいろいろ細かいご報告をば。
炎上してもPVは若干増えましたが、アドセンス収入はほとんど変わりませんでした。
やっぱり▼『自分の意見』を言うと反対する人もいるけど、賛成してくれる人もいるということですね。
作者: 岸見一郎,古賀史健
発売日: 2013/12/13
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか (青春文庫)
作者: 岡本太郎
発売日: 1993/08/01
購入: 58人 クリック: 968回
そういう少数の人たちと▼『ドラクエ4』的人生を送っていくのが僕がブログを書く最大の目的ですw
『持たない幸福論』を最速読破した「今、苦しんでいる人」へ絶対にオススメするブログを使った『ドラクエ4的人生』。 - A1理論はミニマリスト
◆過去の記事のはてブコメントも1クリックで非表示にできる機能
を追加していただけるよう、是非是非お願いします。
現在、特に危ない20代女性の方には手動で1記事ずつ過去記事のコメント欄非表示にしてもらっていますが、かなり時間がかかっています。
生活に何が必要かを突き詰め、必要でないものを捨てているのだから豊饒さは犠牲にならない。
生活に何が必要かを突き詰める過程において、何に生活の豊饒さを感じるかを選択することになる。
当然ベクトルが変わるし、価値観が合わなくなることもあるだろう。
多かれ少なかれ禅に影響を受けているのだから、宗教的であるのは仕方がない。
現代人がフォーカスしているという重要なことというのも所詮は欲望
手に入れる困難さの基準で取捨選択したに過ぎない。
重要なのではなく、優先なだけ。
仮に何でも手に入れることができる究極の富豪状態であればフォーカスする必要がない。
フォーカスできていた重要なことも簡単に手に入れる、維持できれば欲望は次の欲望を生む。
無限に渇く欲望。
夢も希望もすべて叶うなら、すべての輝きがメッキだと気付いてしまう。
どう解決するのか。
欲を理解し捨てる。
こういう自称ミニマリストは放置するのがベターなのか、きちんと構ってあげるのがやさしさなのか。
http://okite.hatenadiary.jp/entry/majyogari
この村では『ミニマリズム』思想を持っているだけで目をつけられ、
村民の中の声の大きな人間のたったひとつの記事で『魔女』『赤』と認定されてしまうのです!!
野蛮過ぎるだろ!!!www
で、僕が出した答えは非常にシンプルで、
②それに関してこちらは感情的にならずにテクニカルに対処してリスクをミニマムに押さえよう!
ということです。
感情的にならないでというわりには草生やして煽ってるよな。
そうか。
はてブは手斧を持ったモヒカンが背景全無視で「行為」を断罪する論理荒野のパラダイスだが、
手斧を投げつける手法が「個人攻撃」に見えることが多くのドラマを生み出しているとも言える。
平たく言えば「オマエの主義は知らんが、その論理展開の主張は気に入らん」という投擲だ。
「オレの生き方サイコー」なら良いが、それに「他の生き方はダメだ」と続けてクサスのが良くないってのを観て
なんかそれもまた違くね?と思ったのが、この批判を書くに至った理由だ。
自分の主張を補強するつもりで、他の論を持ってくるなんてことは、良くある。
論文は大抵「過去の研究ではこう言ってる」「が、俺は違うと証明した」「が、俺は新たに良い手法を見つけた」みたいなのばっかりだ。
つまり、比較することそのものは、別に批判の対象になるようなことじゃない。
比較が雑だったり、優位を主張する部分に誤りがあるから、批判の対象になるわけだ。
コレは結局のところ「スタートの立ち位置が変だから、組み立てが変」なんじゃなかろうか。
例えば、「菜食主義者」の「菜食主義」そのものは、「手段」だ。
宗教上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者と、健康上の理由から「肉食を避ける」菜食主義者とは、
外側から見える行動そのものは変わらなくても、その思想的な背景である「目的」は、大きく異る。
例えばミニマル・アート(Minimal Art)は、視覚芸術におけるミニマリズムだが、これは縛りプレイと呼んで良い。
徹底的に削ぎ落としたその先にも表現はあるはずだという、抽象美術の一つの縛りプレイの形といえる。
これも目的は「アート」の追求であり、色数を減らすのは手段の一つにすぎない。
手塚治虫のブッダで覚えている人も居るだろうが、コーサラ国にスダッタという富豪が居た。
ブッダの説法を聞いて感動し、ハコモノを建ててブッダを誘致しようとした人だ。
ジェータ太子の土地を譲ってもらう条件の「土地を金貨で敷き詰めたら」を素で実行しようとした人だ。
必要最低限のモノだけを残して全ての財を金貨に変えて土地に敷き詰めまだ足りないと実行し続けた奉仕の人だ。
「目的」が明確で、「手段」としてミニマリズムを実践した人、とも言える。
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「目的」が見えない。
知り合いのヒンドゥー教徒は、結構ユルイヤツが多い。日本に来てる時なら酒は飲む、とか。
手段である「主義」は、厳格な人間でなければ、そう厳密に守ることでもない。
(もちろん厳格な人が、厳格でない人を批判する事は、ままある)
本人の主義に関してアレコレ言うことは(同じ主義を持つ集団でなければ)、無意味な干渉にしかならないだろう。
ただし、それは「相手もまたそうであろう」という暗黙の了解に基づくから、そう言える。
ヒンドゥー教徒の知人は、仏教徒に仏教の戒律に関して「バカげている」という話はしない。
当然、仏教徒の知人も、ヒンドゥー教徒に対して「その食の制限は意味が無い」という話はしない。
お互いに違う宗教を信じていても、相手のことを尊重しているからだ。
(敬意を持った上で、教義上の疑問点を話す、なんてことはある)
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「他者の主義に対する敬意」が見えない。
結局のところ、目的も無く、自覚的に自身の主義を捉えることもないので、想像力が無いのだろう。
そうした場合、「自分もそうだから、相手もそうだろう」と想像してしまっても、無理はない。
というよりも、想像することそのものが出来ないのだろう、と想像できる。
全く知らない宗教団体と事前知識無く出会うことになった時に、何がタブーかなんて想像も付かない。
自分以外に配慮出来ないのは、何も「最近はてブを騒がすミニマリスト達」に限った話では無いと思う。
あれは「症状」みたいなもので、クシャミと同じたぐいの「結果が目に見える形になっただけ」では無いか。
それは「自身の立ち位置に無自覚」で「他人の思想的背景を理解しようとしない」という、結構怖い人達なんではないか。
つまり、インド人のベジタリアンに向かって「夏バテなら肉を食べれば元気が付くじゃない」と無邪気に言える怖さだ。
きっとその個々の無自覚さは、ソコココで小さな軋轢を生み、全体としてその母集団の信頼が失われていく。
最近はてブを騒がす「ミニマリスト」達には「自分の主義に対する思い入れ」が見えない。
自分の正しさを証明するために、他人の主義を引き合いに出すのは、それそのものは別に悪く無い。
他者に敬意を持っていれば、引き合いに出す際にぞんざいに嘲ったりすることは、出来ないだろう。
もうやめよう。この土地には何も実らない。
最初のミニマリストの人は、他人の生活の様態や、商業施設に対してむやみにケンカを売りにいった。
それは良くない。なので怒られた。もうやらないでしょう。
なのでもう終わりでいいんじゃないか。
あと、個人的にスティーブ・ライヒなどのミニマリズム芸術が好きなので、「ミニマリスト」と聞くとそっちを連想してしまう。
どうせ適当な新語として使うなら、断捨ラーとか適当にダサい言葉使って欲しい。
もしくは、ブログの文章もミニマリズム芸術の様式を自分なりに展開した文体にして欲しい。
喪男を迫害したいフェミナチがこれ幸いと弱者男性がモラハラやってることにして叩いて回った
これと同じことがミニマリズムでも起こった
お手軽に個性を得たい、周りを見下したい、ブログで注目されたい
そんな私欲にまみれた連中がミニマリストを名乗り始めた
そこにミニマリストってちょっと鼻につく、でも批判は無理筋だという自覚はある
そんなことを考えてた人たちが「こいつらなら叩ける」と立ち上がった
「ミニマリスト的な考えは嫌いじゃないよ」みたいな予防線も忘れない
「この人はミニマリストだけど考え方は賛同できる」という冷静な姿勢が、批判のときはできなくなる
「この人の考えに賛同できないから、この人が名乗るミニマリストってやつ全体を否定する」となってしまう
賛同できるミニマリストは名前も挙げないわりに、賛同できないミニマリストは該当記事をリンクして名指しで批判する
だから批判をほとんど見かけないミニマリスト界隈が気持ち悪くてしかたないだけだったんだ
彼らはミニマリストなんてどうでもよかった
だって現にそうなってるし。
ミニマリストを叩きたくてしかたがないときにちょうどいい的が現れただけなんだよ。
だから「それはミニマリズムではない」ではなく「ほら、ミニマリストはこういうやつなんだ!」
という的はずれな批判になる。
静かに暮らしてるミニマリストを叩くのは分が悪そうだから、あんな似非ミニマリストをミニマリストの代表として担ぎ上げるしかない。
ミニマリズムは金持ちの道楽だとか、貧乏人の現状肯定だとか、両極端な批評がされているが、実際のところどちらも正しいのだろう。金持ちも貧乏人も旗を掲げられるのがミニマリズムである。金持ちは清貧をアピールできるし、貧乏人は物が買えない自分という現実を忘れることができる。各層にそれぞれのメリットがあり、だからこそ広がりを見せているわけである。
ここで思い出されるのが細川護煕元首相である。彼はしばらく前に「足るを知れ」と大衆に清貧の思想を説いた。広がる貧困から目を背け、没落する日本を前に、あらゆる全てを手に入れ優雅な隠居生活を送る彼が、もういいじゃないか満足しろと言い放ったのである。満ち足りた者が何も持たない者に、もう何も欲しがるなと言ったのである。こんな戯言に耳を貸すのは世間知らずだけだろう。これは、本来為政者が正さなければならない経済の問題を、気持ちの問題にすり替えることで無かったことにしようとする質の悪いプロパガンダである。彼が自覚的にそう主張しているかは定かではないが、盲目的に清貧を良しとすればその帰結として大衆は経済の諸問題を甘じて受け入れなければならないのである。
ミニマリズムは、この清貧の思想の系譜だろう。同様の構造を持っているのである。ミニマリズムは芸術分野に主軸を置き洗練されており素晴らしいが、それを個人が生活様式として実践するとき、芸術という皮を着た清貧の思想が浮かび上がってくる。これを上手く利用する者もいれば、振り回される者もいるということである。清貧の思想は一時的には経済の問題を気持ちの問題へとすり替えて見せるだろうが、長い目で見れば経済の問題を放置させる要因となり、それはやがて弱いものへと向かっていくことになるだろう。ミニマリズムを信奉する貧しい者はゆっくりと自殺していると言えるのである。
ミニマリズムって行動だけじゃなくて思考法をまず変えるものだと思う
ミニマリストがブログやってるだけで突っかかる人もいるけど、そうじゃない
自らの思考をすっきりとさせる手段としてのブログなら決して無駄ではない
一方ブログを書いているがために、自己顕示欲や差別の欲求を膨らませてしまうようなら
そんなのは人種差別をする自分への言い訳のために愛国者を気取るネトウヨと同類だ
自分の暴力性の正当化のために、だれかの知識や思想を検証もせず借りるべきではない
しょせん付け焼き刃だから、振り回すとぼろが出る
安易なミニマリスト批判をしてる人にも言うが、人の考えがある主義主張から一歩も外れないことなんてない
何者かになりたいがために自分を騙して主義主張に染まったりしなくていいし
はてブでも暮らしのページのサブタグに「ミニマリズム」って単語があるくらいで、流行ってるなと思う。
でも、それってミニマリストじゃ無いだろ!ってブログすらミニマリストってタイトルでちょっとおかしいと思う。
持たない暮らしって言って、家に光回線引かないで、WiMAXやら携帯で過ごすのがミニマリスト?
モノを持たない生活がミニマリストなの?ガランとした部屋を眺めて幸福になるのが?
リュックサック1つに生きていける最低限のモノをつめて、生活するのがミニマリスト?
少し前に流行った『フランス人は10着しか服を持たない』を読んで結構面白かった記憶がある。
『彼女は、高品質な服を何度も何度も、繰り返し着ていました。私は、そんな彼女をとても素敵だと思いました。私たちは本当に、同じ服をいつも着るのは恥ずかしいことだという認識を変えなければいけません。』
つまり、モノを減らすのではなく、手に届く最良のものを手に入れて、それと一緒に生きていくこと。がミニマリストだと僕は思っている。
だから、お金をちゃんとかけるべきところはお金をかけるのがミニマリストだと思う。
服や、食べ物や、身に付けるものや、ネットサービスまで、丁寧に自分の哲学に従って本当に大切な物だけ手に入れることができれば、人生は豊かになるだろうな。