ミニマリズムは金持ちの道楽だとか、貧乏人の現状肯定だとか、両極端な批評がされているが、実際のところどちらも正しいのだろう。金持ちも貧乏人も旗を掲げられるのがミニマリズムである。金持ちは清貧をアピールできるし、貧乏人は物が買えない自分という現実を忘れることができる。各層にそれぞれのメリットがあり、だからこそ広がりを見せているわけである。
ここで思い出されるのが細川護煕元首相である。彼はしばらく前に「足るを知れ」と大衆に清貧の思想を説いた。広がる貧困から目を背け、没落する日本を前に、あらゆる全てを手に入れ優雅な隠居生活を送る彼が、もういいじゃないか満足しろと言い放ったのである。満ち足りた者が何も持たない者に、もう何も欲しがるなと言ったのである。こんな戯言に耳を貸すのは世間知らずだけだろう。これは、本来為政者が正さなければならない経済の問題を、気持ちの問題にすり替えることで無かったことにしようとする質の悪いプロパガンダである。彼が自覚的にそう主張しているかは定かではないが、盲目的に清貧を良しとすればその帰結として大衆は経済の諸問題を甘じて受け入れなければならないのである。
ミニマリズムは、この清貧の思想の系譜だろう。同様の構造を持っているのである。ミニマリズムは芸術分野に主軸を置き洗練されており素晴らしいが、それを個人が生活様式として実践するとき、芸術という皮を着た清貧の思想が浮かび上がってくる。これを上手く利用する者もいれば、振り回される者もいるということである。清貧の思想は一時的には経済の問題を気持ちの問題へとすり替えて見せるだろうが、長い目で見れば経済の問題を放置させる要因となり、それはやがて弱いものへと向かっていくことになるだろう。ミニマリズムを信奉する貧しい者はゆっくりと自殺していると言えるのである。
生きるべき本質をおれだけはわかってるというキチガイは構造主義以降バカにされるのは当然なのに 教養のないバカはなぜか個人の思想の選択を経済と結びつけマクロ政策やインセン...