2024-06-14

「一緒にいて恥ずかしいからやめてくれ」って難しい感情だなって思う。

基本的におれはそういうパターナリズムというか、最小単位コミュニタリアニズム的発想というか、とにかく自己領域他人にまで拡大するようなマネは徹底して嫌悪してる。

自分ではやらないし、されれば不快だ。

おれがおれの領域内で何をしようが勝手だし、それが気に入らないならどうぞ離れていってくれと思う。逆も然りだ。

そもそもそういうタイプ人間とは付き合わないようにしてるけど、とはいえ自分でもたまに素朴な感覚としてそういう感情を抱くことだってある。

実家に行けば、母は公共空間でもデカい声でベラベラ喋る。勘弁して欲しい。

とはいえこのパターンなら話は簡単だ。「連れ」として

恥ずかしいからやめろ、ではなくその場を共有する一個人としてうるせえと言えばいい。

レストランなりに行けば、説明が書いてあるだろうがって感じの事でもすぐ店員に聞きたがる。もっと言えば常識的に分かるだろって感じだけど、そこはまあおれの常識を強いるのも気が引ける。

店員バイトが要領を得ずまごつく事もあって、その得も言われぬ空気の中でなんだか自分まで気恥ずかしさを覚えてくる。

そんなんわざわざ聞かねえでも分かるだろっておれが説明しつつ制する事もできるけど、後でグチグチ言われるのは明白だしおれがそれを引き受ける道理もない。ので静観。

まあ説明要求するのは別に妥当権利だとは思うし、それを受け入れるか突っぱねるかは店側の都合であって、外野のおれがとやかく言うことではない。

そんな事を思いつつ、おれにも「迷惑教」だったり自分の見栄に他人を巻き込もうとする感覚がしっかりインストールされてんだなあ、って嫌な気分になる。

  • 「公共空間でもデカい声でベラベラ喋る」とか「レストランなりに行けば、説明が書いてあるだろうがって感じの事でもすぐ店員に聞きたがる」程度のことも許容できないくらい狭量だ...

  • 「お前キモいよ」ってはっきり言わないための方便なのかもしれないな

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