2024-04-02

強くなければ優しくなれない 優しくなければ生きていく資格がない

まり、強くなければ生きていく資格がない

現代社会の基本構造はコレに尽きる。

弱肉強食自然界とはまた別の地獄、弱悪強善の世界だ。

こんなにも余裕なくアクセクと動く社会の中で、他人を気遣える余裕をもてと声高に誰もが叫ぶ。

弱者は手を差し伸べぬ者達を罵り、強者は当たり前を守れぬ無能を蔑む。

正しくあるためにはまず強さが必要であり、強さがないがゆえに正しくないものは悪として断じられる。

まりにも社会は窮屈だ。

この社会弱者が生き延びるすべは強者から「生き延びる資格」を譲り受けるしかない。

アルツハイマーの老人であっても介護者がいれば、生きることが出来る。

どんな人格破綻者であっても大人しく牢屋に入っていれば死ぬことはない。

強者の設定した枠組みの中に己を押し込めることで、かろうじて生きる権利が手に入る。

自然界に比べれば何千倍もマシなのは分かっている。

生きるために必要コスト、それが奪われないために必要コスト大分軽くなった。

まれつき強者であることが人生幸福に生きるための絶対条件なのは変わらないが、弱者なりに生きることはそこまで難しくはない。

だがまだまだ貧しい。

絶対的に貧しい。

はいだってこのことを社会に訴えたくて仕方がない。

人類社会はまだまだ全然貧しいじゃないか、と。

一部の勝利者たちが語る「豊かになりすぎて我々は何かを見失った」という言葉が本当に嫌いだ。

お前らはまず「この世界が豊かだと感じることが出来ない弱者がまだまだ無数にいること」を見失うのをやめろと叫びたくて仕方がない。

そのための武器を探している。

文学なのか?

デモなのか?

革命なのか?

  • だから強い者が弱い者を庇護する文化があったんだけど パターナリズムだジェンダーだって文句言うから じゃあ廃止しましょうかってなってるんだけど

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