さてさて、みなさんの頭の中からエンブレムの話題が一切消えたころでしょうか、
私の中でデザイナの強さと弱さを感じましたので、ここにいる美大生にひとこと。(いるかな?笑)
佐野さんの出身校である多摩美では「野菜と両手」などという課題が出されます。
もちろん手は皆さん持ち合わせていますから、手を見て描きます。しかし、野菜はイメージで描かなければいけないのです。
私は美大生でもないですが、美大生の過去問を見る機会があり、とても驚きました。
美術を学んできた人は、野菜を見ずに野菜を、缶を水に缶を詳細に描けるのです。
美大はあまり勉学は重視されず、のいわゆる一般受験は私からみるととても簡単です(最近は一概には言えませんが)。
しかし、美大生は形に関する信じられないくらいの知識を身体に染み付かせているのです。
彼、彼女たちに手で描かせると、無意識の内に最善のカタチを手から出してくるのです。
でも、何故こういう形にしたのと尋ねると、曖昧な答えしか返ってきません。
身体の中に確実に正解を見いだして、目の前に形に出来ているのに、言葉にするのが少し苦手な印象があります。
これは、とてももったいない。身体に無意識に貯えた知識というのは、体調、気分などに左右されます。
言葉にして、いつでもその知識を引き出せる準備をしておくべきです。
さて、長くなりましたが、佐野さんの話です。
佐野さんももちろん美大出身で、身体に貯えた形に関する知識はものすごいことでしょう、
しかし、佐野さんも同じような問題を抱えているように思います。
言葉にする能力に興味がないのです、これはMr,desinのメディアに対する対応時に確信しました。
彼の事務所はメディアに発信するプレスリリスを画像という形で掲載していました。
しかも、フォントはA1明朝というデザイナーにとても人気のある書体です。
誰もが扱い易い情報にしなくてはいけないプレスリリスでさえ、彼はカタチ(見え方)にこだわったのです。
ここまでやる、カタチへのプロ意識は尊敬すべきことろがあります。
しかし、相手はカタチへのこだわりがない人であるのですから、皆が共有しやすいカタチにするべきでした。
エンブレムの件もそうです、彼は自分の身体の中にあるカタチを最大限に引き出して、作成したのでしょう、
しかし、似ているとは思うのです。カタチにこだわりがない人に対して配慮して、似ているということを認めてから、
でも、私の考えは、こうであるという詳細な言葉にして世に出すべきでした。
それができないのであれば、彼らの知識の塊である、その作品に至までの過程をすべて出すべきでした。
美大生には、自分の身体に貯えた知識を言葉にする意識をしてほしいと、切に願います。
彼、彼女たちの能力は世の中をよくします。それは自分たちの周りを見渡すとわかると思います。
しかし、世間と少し隔たりがあるように感じるのは、言葉にする能力にあまり興味を示さないからです。
苦労自慢、俺はこれだけ頑張ってデッサン力を手に入れたのだ、という文章ではありません。
何故貴方が無意識にこのカタチを選んだのか、貴方の経験の中で何故このデザインにしたのか、
ということを言葉にしてください。
http://anond.hatelabo.jp/20151010091337 例えば美大落ちたとか非美大出クリエイターならわかるが、それ意外の人でもけっこう美大コンプがあるのに驚く。 「美大生は子供の頃に頭を強く打った経...
その手の言語化は批評家の役目だからなあ そして批評家は創作者として大成しないというのもよく言われることで
言葉が足りないとサルになる