はてなキーワード: 言論の自由とは
日本を社会主義国家、になったとはいわない。見事に「社会主義の国」になれたんだ。ほんとすごいことをやってのけた
だから、社会主義国家を理想に掲げている社民党は、もう必要ないから議席数もなくなったわけさ
年収は低いけどさ、大量生産の適度な食品や品物が手に入るから生活にも困らない
国民皆保険制度、生活保護もあるし、過去のどんな社会主義国家よりも理想的な「社会主義の国」だよな
そのうえで、言論の自由もあるし、投票も誰に気兼ねなくできるし、しなくてもいい。徴兵制もないんだぜ
もう、日本共産党も解党しちゃえ。いらないよ。あんたらの方法論とは違うけど、あんたらの目指す理想よりはいい国になったんだから
niwakano18124 地方議員有志の集まりにすぎない団体を「公権力」と言っちゃうのはなんだかなあ・・・ 社会 行政
pinkyblue 議員の公権力と言うならそれは立法や条例制定であって、これは法案・条例案でも何でもないあくまで抗議声明の域を出ないと思うんだが、フェミ議連の声ってそんなに強制的な影響力あるの?
esbee 自称オタク兼フェミニストとしては、抗議もまた表現のひとつだからね?と。抗議自体を表現規制と言ったら言論の自由に反するわけで、問題は反論せず取り下げた松戸警察だし、採用した責任持って妥協点探れよという
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210910031736
softstone 議員連盟が警察の決定を変更する権力があるとするなら、このオタク議員集団の権力で再度公開するよう圧力をかければ良いのでは。それが出来ないなら、公権力による圧力で削除されたのではない証左になる。
esbee 議員連盟=公的権力と考える側にズレがあるよなー。憲法前文にも『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動』とあって、議員の行動は市民の行動とイコールになると思うのだが…… フェミニズム表現規制興味深い
RRD まず根本から絶望的に間違ってるのは議員=権力、という部分。国語辞典の通り、権力関係とは法的優越性に基づく支配と服従の関係。例の議連にはそれがない。市外の野党議員が警察を支配してるとか爆笑もんの話。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20210912075351
Sometako 地方議員による実力組織への抗議をアプリオリに「弾圧」「圧力」とする法文上の優越性ってなんだろ?/追)入管の非人道性を国会議員が批判したら弾圧になるんだろか?/追)あっ!!まんだらけの件は警察による弾圧だろか? 性差別 考え方 フェミニズム
saiyu99sp 毎度面倒な目に遭いたくないから警察も引っ込めたんだよね。そうする力を権力というのかは知らん。おぎの議員は警察に面倒かけるな!という立ち位置なんじゃないの?
RRD 権力とは端的に言えば法的な強制力のこと。こんな当たり前の話すらカルト化したオタクには通じずに、権力権力と大騒ぎして権力の手先になってる。コメディだとしても極めて悲惨。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/matsudosimasuda/status/1439747781795606529
usi4444 地方議員がどういう力を使って警察を従わせたと萌えオタは考えてるの?この手のマスコットはゆるくないと万人受けせず、外部からの指摘でトゲがあることに気付き警察が自身の判断で削除したと考えるのが妥当。 警察増田政治社会
https://note.com/mshin0621/n/n7330a7f9f398
”悪しき文化から脱却しようと主張しているが、その悪しき文化とは何なのかについての説明が明瞭でない。
題目は「女性差別的な文化を脱するために」(OL)だが、本文では女性差別だけでなくマイノリティ差別全般も問題にされており、その差別にしても単体でなく繰り返し「中傷と差別的発言」「中傷や差別的言動」(OL)というように中傷と並列され、最後は「女性差別的な文化」でなくより広い「中傷や差別的言動を生み出す文化」(OL)から脱しようという一文で締め括られている。
また、中傷と差別が並列されているのだから両者は別個のもののようだが、しかし中傷は差別の一部であるかのような「中傷を含む性差別的な発言」(OL)という表現もあって、やはりよく分からない。
先日来、OLが何を言って何を言わなかったのかについて、ああでもないこうでもないと意見が飛び交わされている。
そういう混乱が生じている原因は、読んだ人たちの読解力以前に、公表された文章にあったと考えるべきだろう。”
もちろん、私も今年4月の記事「呉座界隈問題と私のTwitter夜逃げ(その2)」で書いたように、女性蔑視は深刻な問題だ。
女性は全人口の半数を占めているが、「日本のアカデミア」(OL)では今なおマイノリティであることが多い、などについても異論はない。
だが呉座たちは、有名大学教授や政治家、資産家などのことも、自分たちの気に食わなければ男性だろうと手当たり次第に、「フォロワーたちとのあいだで交わされる「会話」やパターン化された「かけあい」の中で」「「お決まりの遊び」として仲間うちで」(OL)誹謗中傷揶揄罵倒していた。
呉座はOLが出る前にystk氏と北守氏に謝罪しており、男性被害者が複数いることは明らかだった。
OLはわざわざ「このような呼びかけに対しては、発言の萎縮を招き言論の自由を脅かすものであるいう懸念を持つ方もいるかもしれません」(OL、「あるいう」ママ)と言及してそのような懸念の払拭に努めたのだから、男性被害者の存在にも言及するとか、マイノリティ差別だけが問題でないと表明するとかのことはあってよかっただろう。
率直に言って、私がこのOLを読んだ時、「私のような男性被害者のことはどうでもいいんですか」という疑問が浮かばなかったと言えば嘘になる。”
”以上の2つは、文章に少し言葉足らずなところがあったというだけのことで、あまりとやかく言うべきではないのかも知れない。”
”私がOLを実にクソだと思う理由は、何よりもその的外れな再発防止策にある。”
”日文研が今年10月15日付で公表した「国際日本文化研究センター研究教育職員に対する懲戒処分等について」にしてもそうだ。
全教職員に教育プログラムを受講させ、本センターの所信を周知徹底させると言っているだけで、日文研はあれだけの大事件があったのに未だ教職員の鍵垢利用について規制を設けておらず、通報窓口すら見当たらないままだ。
仮に今も呉座のような有力研究者から鍵垢で誹謗中傷揶揄罵倒され、悩み苦しんでいる学生がいたら、一体どう声を掛けるつもりなのだろうか。
もしかして、「多くの人が何らかの形で「距離を取る」ことを表明し実践するようになると、いつかこういうこともなくなるよね」だろうか。
鍵垢で不適切なTWを繰り返すような教員はどこの大学、どこの研究機関にいてもおかしくない。”
”このままではいつか第2、第3の呉座界隈問題が起こるだろうと思っている。
その時、もし誰かが「どうしてあのOLを出したのに同じような問題が繰り返されてしまうんだ」と嘆いたら、私は「どうしてって、そりゃああのOLを出すくらいしかしなかったからでしょ」と思うだろう。”
さえぼー氏が批判されていたのは事実だが自分からすれば安倍晋三やドナルド・トランプや川谷絵音より批判されているとは思わなかった
だがさえぼー氏は相当ショックを受けているらしい
さえぼー氏は北海道の新聞社の創業一族の一人として生まれ東大へ入りロンドンへ留学しシェイクスピアの論文を書いて大学で講師として働いている
これほど優秀な人がこの程度の批判で騒ぎ出すのは自分は違和感がある
違和感としては2つ
一つは言論の自由を認める以上相手の言い分にも一定の理を認めるられなさそうなところ
2つ目はそこまで勉強を重ねていても言論の自由の大切さを理解していなさそうなところ
さえぼー氏程の人間でもこの程度で大騒ぎするなら
大元の増田は「削除要求があったから削除した」と証言しているのに
はてなブックマークコメントは「言及された当事者が削除申立てを行ったに違いない。言論の自由侵害だ!暴挙だ」と
「言及された当事者」を一斉に罵倒する、誹謗中傷ブコメを大人数で行っていたので、これは決して小さな問題ではない
はてな匿名ダイアリーの削除に関する運用ルール上
そういうの無しに削除が行われるわけ
こんな基本的なことも踏まえずに、大人数で謂れなき誹謗中傷行為を行う
ブクマカ大丈夫か?と批判されるのは当然で、逆ギレはみっともない
私がここでしたのと同じような意見を、私とは別のブクマカがした際についた反論(とは言い難い無理筋)コメントだったわけで
だから何言ってんだ?とつっこませてもらったのだ
人は誰しもダブルスタンダードを使い分けて都合よく生きている。というより、現実は数学と違って「どちらとも言えない」ものが沢山あるため、そうせざるを得ない場面がある。
例えば「人間は殺してはいけないが、動物は殺しても良い」というのはある意味ダブルスタンダードなのだろう。キメラのような中間の存在は今のところ発見されていないが、仮に発見されたとすれば、それを人間とするか動物とするかで議論は別れるだろう。人間のように思考し、言葉を発するゴキブリがいたら、あなたはそれを殺せるだろうか?
saebou氏に対する誹謗中傷で呉座勇一氏が批判されることについて、「批判されて当然だろう」という気持ちと、薄らとした違和感が、私の中に同時にある。
もしもこれが、会社の同僚に対する誹謗中傷という話であれば、多くの人は「批判されて当然だろう」と言うだろう。私も全く同じ気持ちである。
一方で、これが例えば百田直樹氏のようなメディアにも出演する言論人と、特に名もない一般人であれば、あの程度の「批難」を「誹謗中傷」として扱うのは、政治的言論の自由を著しく脅かすことになるのではないかと思う。これもまた多くの人が同じように感じるだろう。
では、saebou氏と呉座勇一氏の場合、どちらにあてはまるのだろうか?
彼らは会社の同僚などではない。しかし、研究者界隈というのは狭いもので、彼ら程度の分野の隔たりであれば、「同僚」と呼べる関係にそこそこ近いというのも事実だろう。
saebou氏はメディアにも出演する言論人である。しかし、それを言うなら呉座勇一氏も同様だろう。ただし全く同等とも言えず、saebou氏の方が「活動家」としての顔を若干広めに持ち合わせているだろう。
「どちらでもある」し、「どちらでもない」というのが、本件の実態ではないだろうか。少なくとも、どちらか一方に断定するためには、慎重で繊細な議論が必要になるだろう。
人は誰しもダブルスタンダードを使い分けて都合よく生きている。それはもう人間が生まれた時から抱える原罪だと思う。白黒つけられない灰色を、白だ黒だと振り分けることを、(政治的)イデオロギーと呼ぶのだろう。それ自体は何も悪くない。必要なのは、それぞれが自身の政治的偏りを自覚し、互いに歩み寄ることでは無いだろうか?
例えば以下のようなケースを考えたんだけど、法律よく分からないので詳しいひとに聞きたいな。
ケース(1)
記事の肩書きには「ソニー(任天堂でもMSでも可)○○部所属」とあった
(記事自体は相変わらずガチャゲー批判だが、さすがに普通の批判記事の範疇であった)
このアカウントについてユーザからのクレームがあったこともあり、名指し批判されたゲームの開発元は、所属と思われるソニー(もしくは任天堂もしくはMS)社に対し、発言者が社員であれば発言に注意するよう申し入れを行った
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ここで問題となるとは以下の点だと思う。
良く似た筆名で良くよく似た主張をしているだけであり、Twitterアカウントからの記事への言及があったとしても、なりすましという可能性はゼロではない。
単なる疑いでしかないのに、同一人物という予断で会社に問いあわせをしても良いのか
雑誌に問い合わせてもプライバシーを理由に回答は得られない可能性は高いが、
まずは本人に同一人物であるか問いただすべきではないだろうか。
それで回答がない、もしくは不誠実な回答だった場合はどうか。
ある程度の関係性は認められる以上は、会社宛に断定でない形で問合せをしても良い可能性はないのだろうか?
雑誌記事は社名をのせている以上は会社が無関係とは言えないが、Twitter上は会社名を名乗ってはいないし、匿名で活動している。
つまりプライベートの活動であると考えられるにも関わらず、会社に申し入れるのは不当ではないだろうか
ただ、Twitterアカウントと記事寄稿者が同一人物でれば、それらの言論活動は外観として地続きに見える点も考慮すべきで、完全なプライベートの活動と言い切れるものなのだろうか。
どれくらいの連続性があれば(なければ)、会社宛の申し入れを正当化(不当化)できるのだろうか。
このケースではTwitterの攻撃対象はスマホゲーユーザなど不特定多数、もしくはゲーム会社に限られている。
しかし侮辱罪が成立するような暴言はほぼスマホゲーユーザなど不特定多数に向けられていて、ゲーム会社はひたすらこきおろしているだけである。
「意見論評型の名誉毀損」は法人には適用されないだろうし、「侮辱罪」も不特定多数相手には成立しないだろう。
その状況で所属会社を通じて発言を封じるような行動に出るのは、不当な言論封殺にあたるのではないだろうか。
とはいえ所属会社の社会的信用の低下を防ぐため、社業に関わる方面での社員の発信を制限すること自体は珍しいことではない。
そのような理由で社員の発信を掣肘できる範囲とはどのようなものなのだろう。
何らかの侮辱罪に問えそうな発言があったとして、まずやるべきは発信者開示請求などを経て個人への訴訟であり、所属会社を巻きこむのはそもそも禁じ手ではないか。
所属会社は寄稿記事で社名を名乗らせ、間接的にTwitterアカウントの社会的評価に影響を与えたという点で全く無関係とはいえないかもしれないが、直接的な関係はない。
ただ、個人の紛争を無関係な会社に知らせるような行為は論外としても、(4)で挙げたように会社は全く無関係とも言い難く、会社の名誉を守るためには情報提供は有益とも言える。
Twitterアカウントと記事寄稿者が同一人物でれば、会社を巻きこんだのは本人の意思とも言えるのではないか。
所属会社の当事者性というのはどういう理路で判断されるのだろうか?
ケース②「特定人物(開発者)への侮辱が含まれる場合」も書こうと思ったけど、力尽きたので一旦止める。
全般的に不勉強なので判断基準がよく分からないのもあるし、見落としている視点がきっとあるんだろうな、と思う。
元ネタの方は、事業会社と違い大学には「大学人の言論の自由を保障する」使命が在る点、問題が主に個人への侮辱であるところが大きく違うので同じ結論には当然ならないはず。
ただ、そこまで簡単に白黒つくような話とも思えないんだけどなあ……。
ハラスメントとされる行為の中には「それは一般社会でも犯罪だろ」というものもあれば、「それは別に一般社会では犯罪ではないだろ」というものもある。無断で尻を触るなどは一般社会でも強制わいせつ罪にあたるし、服を破くとか持ち物を壊すとかの嫌がらせをしたら器物損壊罪になる。しかし、では例えば「無視をする」というのはどうか?
一般社会において、私が誰かから何度か声をかけられて無視したとしても、それ自体はなんの犯罪にもならない(それが犯罪になるならこの世はナンパ師の天下になってしまう)。しかし、若く健康で聴覚障害を持たない大学教員が、自分が指導している学生からの再三の礼儀にかなった問いかけをガン無視したとしたらどうか。これはハラスメントではないか。
一般社会において、二人きりで食事をしようと持ちかけることや他者に愛を告げること、あるいは「セックスしよう」と誘うことは完全に自由である(それがダメなら親友に「おい、今度サシ飲みしようぜ」というのもダメになってしまう)。しかし、たとえば上司が(とりわけ異性の)部下にこれらを持ちかけたら紛れもないハラスメントということになる。
つまり、「一般社会では自由だが、職場などの特殊な環境では処罰の対象となる行為」というのがあるわけだ。それらは本来自由な行為であるのだが、一定の条件下では処罰の対象になってしまう。ということは、その範囲はなるべく厳密に設定されなきゃいけないということになる。だって、本来自由であるはずのものを罰するんですよ? その条件はきちんと決めておく必要があるでしょう。
アカデミックハラスメントは、「研究・教育機関、および学会等の学術組織において、立場が優越的な者から下位の者に対して行われるもの」と定義されるのが一般的だ。
たとえばある人物の公表された論文に「くだらん論文だ」「こんなのなんの価値もない」「こんな非生産的な研究にカネと労力が注がれているのは嘆かわしい」ということはまったく自由である。公開された論文については誰もが言及する権利を持っているからだ(表現の自由)。しかしそれを指導教授が受け持ちの院生に言ったらアカデミックハラスメントになる。
もしこの定義を崩せば、たとえば大学教授であるナンパ師が見ず知らずの女子大生に声をかけるのもアカデミックハラスメントということになってしまう。それはどう考えてもおかしいだろう。アカデミックハラスメントというのは、あくまで学術的機関・組織での権力関係に基づいて設定されるべきものだ。
では、大学でも学会でも縁がない非常勤講師やテニュアトラックの助教に誹謗中傷された任期なし准教授は「アカデミックハラスメント」の被害者なのか?
誹謗中傷の被害者ではあるだろう。それは正々堂々裁判に訴えて賠償金をもぎ取ればよろしい。それについてはなんの異存もない。しかし、同じ大学の同僚ではなく、学会で顔を合わせているわけでもなく、直接の権力関係があるわけでもない(むしろ被害者の方が立場が強い)場合には、それはアカデミックハラスメントとみなされるべきではない。
そしてアカデミックハラスメントではないのなら、自ずと罰されるべき発言の範囲も違ってくる。上に挙げた「くだらん論文」の例を考えてほしい。これを指導教授が院生に対して執拗に言ったら学内でお叱りを受け、場合によっては戒告などの処分に発展するだろう。だがもし、これを評論家が大学教授に向けて言ったのだとしたら、地裁から最高裁までのすべてで「単なる論評であり誹謗中傷とはいえない」との判決が出るはずだ。論文を読み、それをどう評価するかは自由だからだ。「こいつは無能な研究者だ」というのはどうか。指導教授が院生に言ったら一発でハラスメントだろうが、評論家が具体的に論文を引いてこいつの言ってることはおかしいと指摘した上での話なら、自由な論評の範疇ではないか。「彼女はどうしようもないバカな極右だ」「彼は救いようがない愚かなフェミニストだ」というのはどうだろう。「某教授のやってることはニセ科学だ」「某教授のジェンダー研究なんてまともな学問じゃない」はどうか。さすがにこのへんになると裁判でも危ういかもしれない。しかし、これを評論家が言うことすら許されないのだとしたら、言論の自由とは、表現の自由とはいったい何なのか。
https://twitter.com/kayuumaatsui/status/1480342841734070274
表自連中って、「犯罪に繋がるという数値やデータを出してくれ、出してくれれば規制に従う」という、全然、「表現の自由」でも何でもない事をよく言うようになったけれど、それってPSYCHO-PASSのシビュラシステムみたいなのが出来たら無批判に従うって事を意味するんだけどいいのか。いいんだろうね。
「データや数値さえ出してくれれば唯唯諾諾と従う、その数字の確実性や真実性は問わない」っていうのは、「表現の自由」を求める人の発言ではない、「思考停止」を欲する人の発言だよ。
右翼連中が、原発の汚染水の海洋放出に無批判なのとまるで同じ。
大元のデータに誤魔化しや隠蔽があるのではないか、まで思考が届かない。
民主党政権だったら批判できても、与党自民党だと鎖のついた犬のように従う。
それは、【思考停止】の【口実】が欲しいだけで、科学的態度ではないね。
コロナ禍での東京五輪強行の際に、与党自民党がスパコン富嶽に「開催に都合が良いデータ」を出させたように、数値やデータってのは誠実でない人が扱えば簡単に歪められるってわからないかな。わからないんだろうね。こうした諸々を無視して、数値やデータに盲目的に従うのは、要はマチズモの一種だよ。
何度も指摘している事ですけれど、彼らは表現の自由の1丁目一番地が権力批判である事を理解したがらない。
理解すると、彼らの大好きな与党自民党と戦う必要性が出て来てしまうからです。
なんで英語版Wikiでは【言論の自由】の項目に【表現の自由】が含まれるのか、など、考えた事もないのでしょう。
改憲されたら、【公共の福祉】が【公益及び公の秩序】になるわけで、比較にならないほど危険ですね…【公共の福祉】ですら散々悪用されてきて、【一元的内在制約説】に現在は落ち着いているのに。ちなみに日本版Wikiは与党自民党の改憲が正しいかのようにミスリードしています。前はもっと露骨でした。
どうして、こうも表現の自由や言論の自由といった権利をないがしろに出来るのか
もう何回こういう話をするんだよって本当にうんざりする。
そうだね、全然オッケーだと思うよ
ただそれなら「子供に悪影響」とか「性犯罪を誘発」とかいう嘘をつくなよ。
それならよっぽど話が建設的になっただろ。
表現規制派はそこで延々と嘘をついてきたんだよ。
子供を盾にして、犯罪とかどうとかでまかせを並べて、エビデンスを求められると顔真っ赤にして被害者ヅラになって逃げ回る。
まず嘘つくのやめろやってどんだけ言われてきた?
俺も宇崎ちゃんの絵とか見てて良い気分は1ミリもしねーわ。安っぽいし下手糞だし。
ああただの感想ではなく規制や他者の抑圧をお求めなら、それはそれなりの理由が必要ですね、どういう理由ですか?って言われて
性犯罪誘発~みたいなでまかせを並べて、エビデンス求められたら鼻水垂らして逃げ惑う。
これをずーっと繰り返してきてるわけじゃん。
「不快だ」「クソだ」などの批判を言う権利なら全然あるよ。どんどん言えよ。
でもお前等が求めてるのはそこじゃなくて、抹殺したいわけじゃん。
何回も何回もここを行き来して話を混ぜようとするよな。
俺は宇崎ちゃんのポスターが自室に貼ってあったら嫌だから剥がすわ。
けど道に貼ってあるのはしょうがねえわ。
道に貼ってあるのすら許さないつもりならなんかそれなりの理由が必要だろ。
「私が不快だから」で他人の空間や公共空間まで自分の思い通りにしようってのはビョーキだよ。
お前の家の色が嫌だとかお前の家の匂いが嫌だとか町からノータイムで出ていけとか言われたらどうするんだ?
それは俺も不快だし萌えオタの人達の多くも不快がってると思うよ。
それにしたってどういう理屈で戦うのかはよく考えるべきだと思うけどね。
エロ広告はエロだと思うけど、萌え絵=エロっていうのはどっからきたの?
突然飛躍した気がする。
俺は多分それは証明できない徒労だと思うけど
社会的に萌え絵を抹殺したいならそれぐらいの労力はかけてちゃんと調査するしかないでしょ。
はっきり言って
「あんたの脳がエロいだけ」みたいな調査結果出ちゃいそうだなーと思うけどな。
でも本気でそれを主張するならきちんと調査してみろよ。
なんでそこをさぼろうとすんの?
そういうとこに本気を感じないし、「萌え絵に耐えがたい苦痛を感じてる」って言うのも嘘くせ―な―って思っちゃうんだよ。
俺は宇崎ちゃんは不快だけど、他の不快なものと同じく我慢はできる。お前等もその程度なんじゃないの?
被害者気分でギャンギャン喚き立てて誰かを攻撃するのが気持ちいいってだけだろ?
本気で辛くてそれを取り去りたいっていう人間の真剣な感じを表現規制派から感じたことがないんだわ。
お前等要するにキモオタが調子こいてるのが気に入らねえ、イジメて楽しみてえ、ってだけなんじゃねーの?
繰り返しをまとめるけど
・「これは嫌いだ!不快だ!」はお前のお気持ちだけで叫んでOK。
・「社会から抹殺すべき!」にはもっとしっかりした理由がいる。
規制派だってそれはわかってるので「子供に悪影響」「性犯罪誘発」というでまかせぶっこいてきたわけ。
何回この話しなきゃアカンの?
お前等キチガイに対抗して宇崎ちゃん守ってる人間=宇崎ちゃん好きだと思うのもやめてくれ。
(追記)
「不快」という批判への批判は当然あってしかるべきだけど、そこで行うべきは、「自分にとって萌え絵がどれほど魅力的なものか」「萌え絵が好きな自分を否定されて傷ついた」という「お気持ち」を正直に示していくことであって、「表現の自由の侵害」とかじゃないと思うんだよね。
お前が「宇崎ちゃんは不快」「宇崎ちゃんはクソ」で留めてるなら、
反論も「何を言う宇崎ちゃんは素晴らしい」「宇崎ちゃんは最高だ」でいいだろうよ。
そういう言い争いなら俺はお前に乗る。宇崎ちゃんはクソだ。俺はお前と同じお気持ちだ。
でもお前が求めてるのはそういう話じゃないだろ?
お前が求めてるのは「宇崎ちゃんは不快だから社会から道から抹殺せよ」じゃん。
それに対する反論は「あーハイハイ表現の自由の侵害でーす」になるに決まってるだろ。
表現規制派ってなんでこの程度の話もわかんなくて
何度も何度も何度も何度も同じとこループするの?
いい加減にしてくれ。