はてなキーワード: 自発的とは
前から似たような感慨があった
『サマーウォーズ』の終盤、主人公がネット上の見ず知らずの多数の人間に助けられて勝利するという展開が、なんだか気持ち悪い
(申し訳ないけど同じ監督による元ネタ作品と呼ばれるデジモン映画は知らん)
あれ、「観客席にいる自分ら」と重ねられるように意識されてるんだろうけど
安全圏にいる観客はいくら感情的に戦ってる当事者に共感・同情しても結局は他人
(プリキュア映画で観客席から応援するのは純朴な幼児向けだから許そう)
自分が直接、機動隊にボコられたり警察に個人情報が漏れて消されるリスクは背負ってない
ただ
隕石の落下を止めようとするアムロを見て、なんだかよくわからんまま
次々とアムロと同じ行動を取ろうとしたモビルスーツパイロット達なら
嫌な感じはしない
つまり
他人様の正義に本気で共感するなら自分も同じリスクを背負う覚悟を持つ
ということが描かれてるから
そういうのを全体主義的と呼ぶこともできるけれど
逆に自分の身を安全圏に置いたままの口先だけの一致団結・一蓮托生・他人の正義への同感で感動シーンを作ろうという演出は、どこかわざとらしさが拭えない
もちろん
ただの個人の感慨っすよ
ただ「いいえ」と答えることに何の問題があるの? 自発的に所有したくて持ったわけでもない特典用のカードを持っていないといって一旦どんな困ることがあるの?
ふらふらさんの「単純作業にあたる作業を自動化してハッピーになった組織の話」を読んで、それを実践し続けたひとつの組織の話を書こうかと。
結論から言うと「能力がある一定以下のメンバーが(程度の差こそあれど)精神疾患に陥りやすくなってしまう」組織になってしまった。
自分が業務を自動化しはじめた当初は、元記事の方のように周囲からはとても好意的な反応を貰え
元記事の方と異なる点として、その業務は上司からも好意的な反応をもらえるようになった。
人間はミスをするが、ロジックさえ誤っていなければ機械がミスをすることはない。どちらがコストが安く、正確なのかは一目瞭然だからである。
上長を含め、周囲から好意的な反応をもらえるようになると、徐々に「これも自動化できるのではないか」と自発的に行動しはじめるようになる。
人によっては、教えてもいないのにPythonやGASを覚え、自身の業務をさらに自動化させていく。
1人あたりの生産性が数倍にも跳ね上がり、削減したコストで給与を上げやすくなる組織になる。(br)
その風潮が2年も続くとどうなるか。
すると組織には「新たな仕事を生み出せる人間」と「既存のタスクであれば自動化できる人間」の2種類以外が存在しづらい組織となってしまう。
今までであれば「教えてもらった仕事をそのままこなせば、贅沢しなければ食うに困らない給与をもらっていた」人間が、「自身が成長しなければ、組織の中で仕事を得ることができない」存在になってしまう。
そういった大多数の凡庸(失礼)なメンバーは、「自分ができる仕事がない」と感じるか、「求められている成長スピードについていくことができない」と感じ、徐々に精神を病み、辞めていってしまった。
多くの人間は、「自分が必要とされている」と感じない組織では、多かれ少なかれ精神を病む。自分にできる仕事がなくなるということは、そういうことなのだ。
優秀なメンバーだけでやっていくようなベンチャーだったり、組織自体を変えないと潰れてしまうような企業であれば良いかもしれない。
実際に、自分のいた組織は「組織自体を変えないと潰れてしまう」フェイズだったため、やったことは間違いではなかったと思っている。
が、「現状のままでも十分にやっていくことできる」組織であれば、大多数のメンバーの仕事を奪う変革を起こすことは正解なのだろうか。
そんなことを思ったりした。
ふらふらさんの「単純作業にあたる作業を自動化してハッピーになった組織の話」を読んで、それを実践し続けたひとつの組織の話を書こうかと。
結論から言うと「能力がある一定以下のメンバーが(程度の差こそあれど)精神疾患に陥りやすくなってしまう」組織になってしまった。
自分が業務を自動化しはじめた当初は、元記事の方のように周囲からはとても好意的な反応を貰え
元記事の方と異なる点として、その業務は上司からも好意的な反応をもらえるようになった。
人間はミスをするが、ロジックさえ誤っていなければ機械がミスをすることはない。どちらがコストが安く、正確なのかは一目瞭然だからである。
上長を含め、周囲から好意的な反応をもらえるようになると、徐々に「これも自動化できるのではないか」と自発的に行動しはじめるようになる。
人によっては、教えてもいないのにPythonやGASを覚え、自身の業務をさらに自動化させていく。
1人あたりの生産性が数倍にも跳ね上がり、削減したコストで給与を上げやすくなる組織になる。
その風潮が2年も続くとどうなるか。
すると組織には「新たな仕事を生み出せる人間」と「既存のタスクであれば自動化できる人間」の2種類以外が存在しづらい組織となってしまう。
今までであれば「教えてもらった仕事をそのままこなせば、贅沢しなければ食うに困らない給与をもらっていた」人間が、「自身が成長しなければ、組織の中で仕事を得ることができない」存在になってしまう。
そういった大多数の凡庸(失礼)なメンバーは、「自分ができる仕事がない」と感じるか、「求められている成長スピードについていくことができない」と感じ、徐々に精神を病み、辞めていってしまった。
優秀なメンバーだけでやっていくようなベンチャーだったり、組織自体を変えないと潰れてしまうような企業であれば良いかもしれない。
実際に、自分のいた組織は「組織自体を変えないと潰れてしまう」フェイズだったため、やったことは間違いではなかったと思っている。
が、「現状のままでも十分にやっていくことできる」組織であれば、大多数のメンバーの仕事を奪う変革を起こすことは正解なのだろうか。
そんなことを思ったりした。
自社でWebサービスをやってる社員数50名くらいの会社なんですが、今年入社したSIerから転職してきた人がプログラミングしなさすぎ・できなさすぎてもう辞めたい。
サーバーサイドをRuby on Railsで開発しているのだけれど、Rubyのメソッドを使えば3,4行で書ける所をその人は10行ぐらいで書いてくる(見づらい上にしかもバグがある)
うちの開発者、5人しかいないのでコードレビュー全員やるようにしているのだけどその人は自発的にしようとしない。
口頭でお願いしたら、2日間かけた結果「動いたので良さそうです」みたいなコメントつけてきた。コード読んでないでしょ。
採用時点でRuby未経験とは知っていたけど、Javaやってたと言ってたので大丈夫だろうなと思ってたけど大丈夫じゃなかった。
「土日とかに勉強すれば?」と言ったんですが、「やっても頭に入らなかった」とのこと。
当方 アラフィフ男性、中学生の息子あり。こいつが 宿題とかテスト勉強とか 全然やらないんだな、これが。
成績はそこそこだが、今手を抜くと後が怖いんだが。。。。三単現のS如き間違えるな、といいたい。
>うちのより偏差値低いくせによ。
うちの長男は 公立中から開成高なので、学力はかなりあるほうかと。で、中学以降学習面では手のかからない子だった。
そんな家族でも、下の子は、やらないんだな、これが。やっぱり一人一人の個性はあるよ。
内申点=体重減と置き換えると、世の中自分の体重コントロールできない人がいっぱいいるよね。
増田のお子さん個人特有の問題じゃなくて、そういうことが基本的にできない、というのは 多分広く一般的なんだよ
今宿題をやらないと将来大変なことになるからアクションしなきゃ、って自発的に出来るのって、実はこれは一つの能力だと思うのだ。
>同じようなタイプのお子さんをお持ちの人はどうしているんだろう
母親はよく頑張ってる。なので、無茶苦茶疲れている。嫁には感謝なり。
自分は、テスト勉強を一緒にやってる。テスト範囲を全部読み込んで、間違えそうな問題を口頭で質問したり紙に書いたり。
後 どうしても出せない宿題は、手抜きを指示している。とにかく出せと。自分で書かせる。
夏休みの最終週は会社休んで、となりで指示出してたね。作業だけはさせる。品質低すぎるので嫁の目の入らないところで、黙認してもらう。
公立中の場合、テストの点数の他課題の提出状況も内申点に影響するから いらっとするよ。
手伝わないとどうしても後で後悔する(子供が失敗したときに自分が後悔する)のが嫌なんじゃないかな。
いまとなっては(身内の中では)ほぼネタと化している2018年のアフタヌーンティーランドの思い出を忘れないように綴っておく。
乱文なので読むには値しない。
アフタヌーンティーランド(The Afternoon Tea Land)とは名古屋にある植田ラティスという店と日本リビングコーディネート協会(どちらも代表者は同じ)が主催しているイベントである。
ノリタケ社のカップ&ソーサー(以下C&S)を使用し、さまざまな種類の紅茶をいただく。また使用したC&Sはお持ち帰りが出来るという主旨のもと開催される。
2018年は第4回アフタヌーンティーランドとして11月3日、4日にノリタケの森で開催された。
チケットは
・返金不可
・小雨決行
・雨天中止
※中止時にはランダムで告知されているC&Sをチケット購入者に送る
という条件で事前に販売された。
配布されるC&Sは通常3種(カーニバル各色、AMIS各色、レースウッドゴールド各色)と抽選限定3種(1日目:エセックスコート、エイダン、オーチャードガーデン 2日目:ブルーソレンティーノ、花更紗、ジャルダン フルーリ)が告知されていた。
例年では2日間あわせて400人程度の参加だったようだが、2018年はこちらのツイート(https://twitter.com/tealandJP/status/1032761462614253568?s=20)がバズった為にチケット抽選への申込が殺到し、結局4000人にチケットをばら撒いたようだ。
チケットに日付指定はなく2日間どちらかに参加出来るという形式だったため、雨予報だった2日目を避け多くの人が1日目に参加する事になった。
4000人にチケットをばら撒いた割に仮設トイレは2つで手洗い場はなし、ゴミ箱は明らかに足りておらず芝生はゴミの山と化していた。
1日目は先述したとおり人が集中し、開始直後にフードは売り切れ続出&長蛇の列。
主催である植田ラティスが販売していたスコーン類は個数制限を設けていなかった為にお昼前には完売した。
保健所の関係上参加者が食べ物を持ち込むことを禁止されていたため、多くの参加者が空腹のまま紅茶を飲むイベントとなった。
肝心の紅茶も列形成に人員を割いておらず、善意の参加者が自発的に列形成を手伝うという始末。
また、スタッフ間で情報共有が一切出来ていなかった為スタッフに聞くよりも周りの参加者に聞くほうが正確な情報が得られるという事態に陥った。
目玉であったC&Sの抽選時には音響機器に不備があり、集まった人たちが聞き取れずザワザワすると主催から「皆さんがギスギスするならもう抽選やめますよ」という脅しとも取れるような発言も飛び出した。
2日目は朝から雨が降っていたが強行、1日目に人が多かったため現場判断により2日目分のC&Sを配っており2日目開始時点で通常全種が揃っていなかった。
午前の時点でチケット販売時に告知されていた通常C&Sは全滅、いつの間にやら文言が付け足されていた"シークレット"という名目の真っ白なリズモホワイト、コティホワイトのみとなる。
チケット購入時の条件と違うため当然返金を求める声が上がるも主催は対応しない。
人によって対応を変えていたことが明るみになり、また返金不可のチケットだったのにも関わらず開催前にイベントに関する不満をツイートした方に返金するといった旨のDMを送っていることが発覚した。
主催と話し合いをした方ももちろん数名おり、その方たちのツイートから主催の発言をまとめると
・想定外の客の多さだった
・3000円でやれるのはこのレベル
・こんなに荒れるなら来年以降は開催しない
というものであった。
そも3000円で4000人にチケットをばら撒いたのは自分たちなのにさも客が悪いと言わんばかりの態度には本当にあきれ果てる。
イベント終了後に公式ツイッターアカウントに非難が殺到するも当の担当者は主催店所属じゃないのでわかりません、広報担当だからわかりませんの一点張り。
挙句の果てにイベント参加者に捨てアカウントでの問い合わせには応対しないといった旨の発言をしていた。
結局4日ほど経ってから希望の方にC&Sとチケットの返送を条件とした参加費の6割ほどを返金するプランを提示したお知らせページが作られ当時のツイッターアカウントは更新を停止した。
お詫びといえるような言葉もなく(当該ページでは苦情が多かったためといった文言が使用されていた)、なぜこのような事態になったのかという経緯についてもろくに説明がないまま返金期間が終了し、お知らせページも年明け前に削除された。
もちろんツイッターで問い合わせのあった"2日目開始時点でのC&S残数の内訳はいかほどのものか"といったものにも返答はない。
そうして参加者の不満を押さえつける形で2018年のアフタヌーンティーランドは終結した。
ちなみに、"シークレット"という名目のC&Sだが、1日目はアンテプリマ(ダマスコ キアーヴィ)、2日目はロイヤルオーチャードが用意されていたようだ。
では2日目に配布されたリズモホワイト、コティホワイトはどのような位置付けだったのだろうか。疑問である。
リズモホワイト、コティホワイトも正式な"シークレット"であるというのなら、センスがないとしか言いようがない。
誤解がないよう付け加えるが、リズモホワイト、コティホワイトの品質が悪いという意味ではない。
通常C&S、限定C&S共に色や柄、金銀といった装飾がなされたものを事前に告知している中、遠目に見たら同じような真っ白のC&Sを2種も"シークレット"とするセンスがないという意味である。
1日目にもリズモホワイト、コティホワイトのどちらかが”シークレット”と出されるならまだしも、2日目だけに2種出した真意を聞きたいものだ。
ノリタケ社の製品は素晴らしい。しかし、このような運営の不手際で瑕疵がつくのは非常に遺憾である。
蛇足であるが、2019年6月に新規アカウントを取得しひっそりと次回イベントについて告知をしていた。
捨てアカウントで問い合わせるなと発言していた割に炎上したアカウントを捨ててちゃっかり新規転生しているのには笑うしかない。
今年は2018年と同じような日程の11月2日、3日に開催されたようだ。
3000円から5000円に値上げし、午前・午後のセクションごとにチケットを分けるといった工夫があったようだがあまりにもツイートしている方が少ないため当日どのような様子だったのかは分からない。
しかしイベント開催前にツイートをRTしてくれた方に茶葉をプレゼント!(ただしフォロワー1000人以上に限る)というキャンペーンをしていたようだがいつの間にかツイートが削除されているので、まあ、そういうことであろう。
いまからでもいいので2018年アフタヌーンティーランドについてのきちんとした経緯を説明し、イベントを主催したものとしての説明責任を果たしてほしいものだ。
蛇足の蛇足:2019年12月4日に前回の公式アカウントがContinue…Restartというツイートをしている。(https://twitter.com/tealandJP/status/1202025616020664320)
どうやら年明けに松坂屋で新たにCLUB TEA VALLEY(クラブティーヴァリィ)というイベントを開催するらしい。
よく語られる男らしさ・女らしさって
男だと、「女を軽く扱う、暴力的、粗野」で
女だと、「男を立てる、謙虚」だよね。
でもこれは嘘だと思う。
これってどちらも「男、女の弱者がやる行動」でらしさではないよね。
映画や創作の「男らしい」って、「女の為に粗野でラフマッチョな男が一生懸命動いて守る」事が男らしさで、むしろすぐナンパしたり女を軽く扱う奴は女々しくダサい行為として描かれるわけじゃん。
男特有だが、男らしくはない行為。例えば電車男はラフでマッチョではないけど、「女を軽く扱う男から女を救って『男らしさ』を見せ、恋心を持たれる」ってのがプロット。
映画で描かれる「女らしさ」ってのは「感情的だが頭のいい女が、色香を使って男を手玉にとって、自分を守らせる」で、男に媚びるような行為は女特有だが、ダサい行為として描かれる。円光とか。
少女漫画に出てくるような、「自分を虐めるキラキラ系女子が男に媚びるが、媚びる女は嫌いと言ってした自分の方に恋心が向く」ってのがよくあるプロットでしょ。
「男女特有ではあるが本能的にやってしまう欠点」ナンパや円光なんてのは押し付けられたものでも、役割でもないし、自発的に「やってしまう」ものだから価値観を変えようがなくならないものだろう。
「男女特有ではあるが本能的にやってしまう欠点」がらしさとして扱われていて、
本来の社会から押し付けられ重圧になっている「男は女を守らなきゃいけない」「女は男から守らせなきゃいけない」というらしさは手つかずになってる。
性役割から解放したいなら、「男は女を守る必要無いんだよ」「女は自分で自分の身を守らなきゃいけないんだよ」となるはずだけど、なぜか
「男は女性が性被害に遭わないように、声を上げて守るべき」「女は社会に守られなきゃいけない、積極的差別是正措置が必要」ってなってる
つまり何が言いたいかというと「男女特有の本能的にやってしまう欠点を抑止する部分こそが性役割」なのだという事。
性役割から解放された結果として「ナンパをしたり女性を軽く扱うようになる」し、「男に媚びて売春をするようになり、自分の価値を下げる」事になる。
電車で痴漢から女を助ける男も、痴漢はダメだと声を上げる男もいなくなり、女は守られず、男に好きなようにもてあそばれる社会になる。主体性の無い人間は生き残れない社会になるわけだよ。
流行りのフェミニズムと性役割の解放という言葉は共存できない。フェミニズムの本質は「女性としての価値の向上」であって、「女性からの解放」ではない。
anond:20191011152715 の続き。
その授業は全くといっていいほど、眠くならなかった。
先生は結局、自分の好きな作品語りで講義時間を使い果たしてしまった。ただ好きな著者や作品を語るだけの、講義と言えるかよくわからない時間だったが、俺は数式を写すよりも楽しくその内容をメモしていた。一番のお気に入りは三島由紀夫の「金閣寺」らしい。著者の切腹のエピソードなども挙げ、その不思議な人間性の話を、重く、楽しそうに語っていた。
終了時刻に近くなると、急に我に返ったようになり、先生はプリントをこちらに配った。一枚目はアンケート用紙で、二枚目は文学入門書の序章の写しのようだった。先生はアンケート用紙について「それ提出したら、帰っていいよ」と呟き、また入門書の写しは次回までに読んでくるように、と指示した。しかしこの入門書が、なんというか、堅苦しくて読みづらそうでげんなりした。その文章の塊を横目に、俺はアンケート用紙に手を伸ばした。
「文学とは何ですか?」初っ端からのこの質問に、俺は手も足も出なかった。
え、文学ってなんなの?
俺は文学という科目を履修登録したくせに、文学については何も知らなかった。「文学」と称されるもので自発的に読んだものといえば宮沢賢治の「注文の多い料理店」とか、三島由紀夫の「美しい星」とかだ。読んだは読んだ。でもだからといって文学が何かなんて、よくわからない。傑作とされた小説が、文学なのか?それともたくさん売れた、読まれた小説が文学なのか?普段本を読まない人間には、よくわからない。
そう思いながら俺は尤もそうな、うわべだけの説明を書き入れた。
他にも「好きな文学はなんですか?」「好きな言葉は?」「ノーベル賞を渡したい人は?」などと質問があり、モヤモヤする答えをひねり出しては、消しては書いてを繰り返した。最後の質問に関してはいくらか浮かんだが、著名人なのに漢字で書けないのは嫌という変なプライドが頭を持ち上げて、結局漢字が分かる三島由紀夫にした。先生みたいに強い思い入れもないのに、いいのか?なんて考えていると、終了時刻になってしまったので、結局そのモヤモヤを残したまま、アンケート用紙を提出した。
会社に入って3ヵ月くらいしたころ、新人研修がありました。「きっと、業界の歴史だとか、社会人としてのマナーだとかやるんだろうなぁ」と思ってたら、大きく裏切られました。待っていたのは「ランドマークエ〇ュケーションという自己啓発セミナーに3日間参加してこい」という指示。ちなみにこの集団、外国ではカルト教団認定されてるらしいです。調べてみると、「洗脳」やら「勧誘」やら「マルチ」やら、怪しい言葉が続々と出てきます。
初日のセミナー。日光も当たらない、外界と完全に隔離された部屋に誘導されます。「ここでこれから3日間過ごすのか……」と思うと、ちょっと憂鬱でした。まあよく考えると、この部屋に隔離して精神力・判断力をすり減らす策略なんですけどね。参加者は200人ほど。最終的には200人が同じ行動をし、同じ思いを持ち、わ~~っと盛り上がることを強制されるので、劇場かのような錯覚を覚えるんでしょうね。普通に過ぎた初日でしたが、「ん?」と思うこともありました。昼食は向こうが勝手に用意したクソ高い弁当を買わされたり、休憩中には経験者が一心不乱に話しかけてきて、「私はこのセミナーでこんなに変われたのよ!」と力説してきたり。一日の終わりには、「大切に思う5人に、それぞれ500文字ずつ手紙を書く」という面倒な課題を出されたり。この手紙も巧妙で、睡眠時間を削るとともに、後に行う「知り合いへの勧誘」の際に、この文章を利用して勧誘を行うので、あらかじめ文章を作ることでサッと勧誘の言葉が出てくるといった寸法です。
2日目以降に人格破壊が始まります。講師の指示で、過去のトラウマを発表させられます。僕にはそんなトラウマがないんであれなんですけど、自発的に高いお金を払って参加している人たちには何かしらの過去があるようで、皆さんトラウマをみんなの前で告白します。地獄か。
トラウマを発表したら、周りの人間は無条件でそれを受け入れます。講師が口を開きます。「あなたのそれは、"story"です」と。"story"というのは、作り話ってことなんですけど、例を挙げれば、「他人を殴ってきたら怒ってきた。ただ、他人の感情なんて分からないし、『怒ってきた』というのも、自分が勝手に相手の感情を考えただけで、相手は別に怒っていないかもしれない。自分は、相手の感情を『作り話』として作ってしまった」という感じです。無敵の論理ですね。
講師が「それはあなたの"story"です」を連発し、告白したトラウマを次々と片付けていきます。「あなたが今まで悩んでたことはしょうもない。無意味」「作り話に感情を支配されるな」と、個人が持っている悩みをどんどん矮小化していき、"story"の1単語で片付けていきます。ただ、もうこの時点で洗脳されちゃう人もいるんですよね。最終的には、受講生全員で、「人生は空っぽで意味なし!」と何度も大声で唱えさせられます。「人生は空っぽで意味なし!「意味なし!」「意味な~~~し!」と、泣きながら叫ぶ声も聞こえてきます。まあ3日間も極限の状況に押し込められて、心が弱い人は洗脳もされちゃいますよね。
後は、「非合理な行動」「ええかっこしい」「エンロール」「ペテン」なんかも、このセミナーでよく使われる単語でした。上の話も含めて、全部が勧誘につながっていくんですよね。
「非合理な行動」ってのは、そのままです。自分が非合理な行動を起こしたときに、そんな自分にもついてきてくれる友達が本当の友達だ、って論理です。セミナー中、定期的に「では今から30分時間を取るので、知り合い5人にこのセミナーのすばらしさを電話してきてください」みたいな時間が入ります。最初は参加者も抵抗するんですが、講師が「これは非合理な行動です。勧誘をして、離れていくような友達は本当の友達ではありません」と大声で叫びます。
「ええかっこしい」ってのもそのままですね。「人間はええかっこしいだから、勧誘なんて行動はなかなかとれない。ただ、感情なんて"story"なんだから、ええかっこしなくても別にいいじゃん」って論理ですね。受講者が、「ちょっと勧誘にはこういう理由で抵抗があります……」という話をすると、講師が「あなた!それはええかっこしいですよ!」と急に怒鳴り始めます。気持ち悪いのは、周りの洗脳済み参加者たちも、次第に講師と同じように、抵抗ある参加者を攻め立てます。魔女裁判かな?
「エンロール」ってのもそのまま「巻き込む」ってことなんですが、勧誘活動をこの言葉に置き換えています。「勧誘しよう!」はあからさまなので、「エンロールしよう!」に言い換えている感じですかね。このセミナーで得たものを「分かち合い」し、「エンロール」することは美徳とされるので、洗脳された人はどんどん宣伝と勧誘を行います。
「ペテン」ってのは「ペテン師」の「ペテン」です。自分に沸き起こる感情のことですね。勧誘をするときにも、「嫌だな……」って思いが沸き起こると思うんですが、それは「ペテン」です。似非の感情であり、気にしちゃダメな感情です。さっきの「ええかっこしい」と合わせて、ランドマーク〇デュケーションの勧誘を行わない人間は、「ええかっこしい」で、感情が「ペテン」に支配されている扱いになります。ファシズムかな?
以上の言葉を使った論理で、参加者を巧みに誘導し、勧誘活動をさせますちなみに、3日目の夕方には、参加者に対して「次のセミナーに参加しませんか?」という勧誘行為が行われます。何故かこれには90分ほどのたっぷりとした時間が割かれています。いくらかは忘れましたが、うん十万円する次のセミナーの申し込みを、その場で直ぐに行うことができます。確か分割も可能です。悪魔かな?
僕はそんなものに申し込むつもりはさらさらなかったので、その時間は椅子に座ってひたすらジッと待っていました。そんな僕にセミナーの人がめちゃくちゃ話しかけてきます。怖い。「あなたは素晴らしい人間だから、私もこんなに期待して話しかけてるんですよ!」「このセミナーはまだまだ不完全なところもあって、次のステップに進むことで完全な学びができるんですよ!」と、ありとあらゆる方法で語りかけてきます。セミナーの人と電話番号を交換するという時間があります。こんな奴らに電話番号を渡したくないので、適当に番号を教えたんですが、「確認しますね!」と言ってその場でその番号に電話をかけ始めました。もちろん通じません。「あれ?繋がりませんよ?もう一度教えてください」「電話番号はこうやったら表示できるので、表示して私に見せてください」と責めてきます。とうとう本当の電話番号を明け渡すことになってしまいました。死亡。ちなみに、翌日直ぐ電話が来たので、着信拒否しました。
セミナーの最後は、このセミナーに参加した人が、セミナーを紹介してくれた人を呼んで、「こんな素晴らしいセミナーを教えてくれてありがとう!」と感謝の意を伝えながらハグをする、という気持ち悪いイベントがあります。振り返ってみると、後ろにうちの会社の人たちが。気持ち悪いので、無言で無視していました。
希望者は4日目も参加できるんですが、僕はもう嫌悪感しか湧いていなかったので、強い意志で断りました。そんな感じで終わったんですが、細かいことを挙げればまだまだ気持ち悪いエピソードがあります。さすがに長すぎるので書きませんが。
教員採用試験が簡単ってよりも、教員を目指す人達にとっての学校は楽しい場所で、少なくとも学校に通えなくなるレベルの辛い経験はしてない人たちが大半なんだと思う。
それは悪い事ではないけれど、そういう人ばかりなのがまずいと思う。
多数の教師がそうなのだから授業や行事も陽のノリで進むし、一人でいることや真面目でいる事がまるで悪いことかのように扱われて、半強制的にクラス全員と仲良くしましょうみたいなクラス行事とか、授業中のおふざけに真面目な子まで巻き込まれたりとか。
でも先生たちはそれを苦痛に思う感覚が分からない人ばかりで、嫌だとか辛い思いを分かってくれる大人がなかなか居ない。
そしてそれがループしてくんだよね。てか今もきっとそれがループしてこうなってるんだよね。
おとなしく真面目でいること、一人で勉強ばかりしていること、友達を少数しか作らないこと、無口なことなどは悪だと思い込まされ、更には許せないことをされても、許したくなくても強制的に仲直りさせられるところ。
少し大人になって当事者ではなくなったからこそ気付けたけど、学校っていう社会しか知らない子どもが自発的にその異常性に気付くのは難しすぎるよ。
今思えばあれこそ正常化バイアスの権化みたいに思う。陽のノリこそが正常とされる世界。
そりゃ学校行くな!とも言いたくなるわ。