ふらふらさんの「単純作業にあたる作業を自動化してハッピーになった組織の話」を読んで、それを実践し続けたひとつの組織の話を書こうかと。
結論から言うと「能力がある一定以下のメンバーが(程度の差こそあれど)精神疾患に陥りやすくなってしまう」組織になってしまった。
自分が業務を自動化しはじめた当初は、元記事の方のように周囲からはとても好意的な反応を貰え
元記事の方と異なる点として、その業務は上司からも好意的な反応をもらえるようになった。
人間はミスをするが、ロジックさえ誤っていなければ機械がミスをすることはない。どちらがコストが安く、正確なのかは一目瞭然だからである。
上長を含め、周囲から好意的な反応をもらえるようになると、徐々に「これも自動化できるのではないか」と自発的に行動しはじめるようになる。
人によっては、教えてもいないのにPythonやGASを覚え、自身の業務をさらに自動化させていく。
1人あたりの生産性が数倍にも跳ね上がり、削減したコストで給与を上げやすくなる組織になる。
その風潮が2年も続くとどうなるか。
すると組織には「新たな仕事を生み出せる人間」と「既存のタスクであれば自動化できる人間」の2種類以外が存在しづらい組織となってしまう。
今までであれば「教えてもらった仕事をそのままこなせば、贅沢しなければ食うに困らない給与をもらっていた」人間が、「自身が成長しなければ、組織の中で仕事を得ることができない」存在になってしまう。
そういった大多数の凡庸(失礼)なメンバーは、「自分ができる仕事がない」と感じるか、「求められている成長スピードについていくことができない」と感じ、徐々に精神を病み、辞めていってしまった。
優秀なメンバーだけでやっていくようなベンチャーだったり、組織自体を変えないと潰れてしまうような企業であれば良いかもしれない。
実際に、自分のいた組織は「組織自体を変えないと潰れてしまう」フェイズだったため、やったことは間違いではなかったと思っている。
が、「現状のままでも十分にやっていくことできる」組織であれば、大多数のメンバーの仕事を奪う変革を起こすことは正解なのだろうか。
そんなことを思ったりした。
指揮する立場になるといろんな可能性を考えた上で判断していかなきゃいけないから大変だな
自動化関係ないんだが、組織の能力が低めな人の肯定感ってどうやって与えればいいのか悩みではある 秀でた人がいると秀でてない人が病んじゃうんだよな