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はてなキーワード: 絶対主義とは

2019-04-21

anond:20190420185658

KKO男尊女卑 → 俺に女を当てがえ!

高学歴エリート男尊女卑 → 俺は偉いんだからセクハラさせろ

昔は良かった論者の男尊女卑 → 非婚少子化フェミのせい

現実戦前なら体育会系価値観絶対主義。男の主流は農民軍人、オタは現代以上にモテない)

2019-01-21

anond:20190121155036

挑発してきた客でも殴ってはならない」ってのも批判されんじゃね、今となっては。

そういうお客様絶対主義は終わりつつあるのだ

海外マクドで客を殴った動画とか結構評価されたと思うぞ

2019-01-12

現在オタクと自他称される連中の行動原理

自分が好きなもの」を追い求める情熱というより

オタク文化」と何となく雰囲気認知されてるもの

無条件で全肯定する熱心さを競うカルト熱狂のようなもの

 

宮崎駿が「タッチパネルきもい」と言ったら絶対に叩かねばならず

「俺もスマホ嫌いだわあはは」とは決して言ってはいけない雰囲気

「新しいもの」「俺たちの時代のもの」は須く良いものでなければならず

それを否定するもの例外なく老害であるという脊髄反射拒否反応

こんな現状肯定しかできない連中に未来を作る若い力があるかと言ったら当然ノーだ

にもかかわらず本人たちはこれが若さだ柔軟さだと本気で信じている

多くはとうに三十路も越えて

 

ブイチューバーがテレビに出たからって何故みんなでお祝いみたいな雰囲気にならなきゃいけない?

エロゲ広告都心の駅に貼り出されることの何がオタク勝利なんだ?

教会幹部芸能人信者総出で買い支え宗教活動のもの

 

やはりというか、こういう連中の政治傾向は当然自民党絶対主義だ

労働環境に不満を言いながら福祉政策に不満を言いながらその元凶である政権は意地でも維持

理由はただひとつ自民党が「俺たちの政党」だから

ネット戦略煽動されただけのことを「ネットで盛り上がった政治運動」と簡単に信じ込み

「俺たちの政党」だから何が何でもついていく

オタク」というのは一時期「こだわりのある人」という意味ですらあったが

今では世の中でいちばん「何の芯もない引っ掛けやすいカモ」を意味する言葉に成り下がった

もう「オタク」なんて言葉自体が要らない

ただの「カモ」で十分だ

anond:20190112110257

まーだ「自分の」とか言ってんの?

本当に頭悪いわー

既存価値観おかしい」という提起と「既存価値観に反抗する」という宣言は全く別物だと理解できない非論理的脳みそ

さらに「全ての小児性愛レイプ」というのは現行法下の定義しかない

普遍的事実ではない。実際、旧時代にはそれなりにあったことだし、今でも文化として持ってる地域もある。

それを法で禁じるというのは「ロリコン人権児童のそれより軽視しても良く、故にロリコン人権を踏み躙って児童を守る」という差別的意思の表れに過ぎない。

ま、現行の価値観絶対主義者の差別野郎には論理は解さないだろうが。

価値観は不変ではなく、価値観を変えることが反差別LGBT黒人達の歴史から学ばなかったのかね?

ごめんなさい?する気は無いね必要も無い。

団体通報?してみると良い?ちゃんプリントアウトして持ってけよ

2018-10-31

今まではてサとか気にしてなかったけど

韓国徴用工のニュース韓国擁護してる人いて

左翼ではなく韓国絶対主義者なんだなと気づいた

2018-10-09

anond:20181009192949

営業力馬鹿にしてないけど、お気持ち絶対主義論理的でないところは馬鹿にしてる

2bit脳の人か?

2018-09-29

結局昨日のアンチKKOは逃亡したのか...

最後まで努力絶対主義公正世界仮説を振り回してほんとみっともない奴だったな

無意識か「病気」を運の範疇からあっさり除外してるのも語るに落ちてる感あって

2018-09-20

anond:20180920134003

公共の福祉はかつて、警察国家絶対主義権力による個人生活全体に介入する正当性として謳われていた。

ナチスドイツでも「公共の福祉個人利益優越する」との標語があった。

日本でも60年代半ばまで、基本的人権を制約する立法合憲性の根拠として公共の福祉が用いられてきたが、

その後は制限される基本的人権とその制限によって得られる社会的利益比較衡量する手法に変わった。

基本的人権相互間、基本的人権社会的利益矛盾、衝突を調整する公平性こそが公共の福祉と考えられるようになっている。


平たくいえば、かつては垂直的なトップダウン正当化する際に「公共の福祉」が掲げられたが

現在では水平的な紛争調停のための基本思想として「公共の福祉」が考慮されるようになってきている。

公共の福祉」を「公の福祉」に書き換ようという発想もこうした事情によるものだろう。

2018-09-09

科学主義原子力技術

科学主義と単に言う多くの場合ポジティブイメージで語られることはない。

科学主義科学絶対主義科学原理主義科学万能主義科学崇拝主義科学教などという別名もあるように、科学に対して盲信・狂信的な思考や行動・言論を指すからだ。

科学主義唯物論経験論・合理主義・理性主義実証主義などを備えた考え方で、対論として挙げられるべきは、それらの主義・論と対比される主義・論である

科学主義者に取ってみれば、よく揶揄されるディストピア論へ対しても「正しく科学運用されるとディストピアになり得ない」「科学評価基準科学である」と解釈するため、そもそも科学主義者の心理の中に「科学の誤った運用によるディストピア存在しても科学によってディストピアは生じ得ない」とされている。

誤解されがちなのは科学主義は冷淡で感情考慮しない」だが、科学主義者にとってみれば「感情科学によって判定し得るものであるため、本当に誤解でしかない。

昨今の日本では東日本大震災による福島第一原子力発電所事故によって原子力技術運用について懐疑的言論が目立つが、科学主義者は懐疑論科学の参考にしても懐疑論によって原子力技術運用をやめない。

科学主義者に取ってみれば万物の根源力たる原子力の究明や実証主義的な運用は言ってみれば聖書宗教原典の一編の作成へ非常に親しいものであるため、その手は止まるはずがない。

科学主義者は言う「原子力技術人類は扱いきれないのではない。人類がまだ科学を知らないだけだ」と。

このエントリを読み「科学主義者とは対話できない」と思った者は忘れちゃならない。

科学主義とは科学を盲信・狂信することなのだから

2018-07-23

anond:20180723125605

相互不可侵」なんてありえないでしょ。

現実的に、「多様性絶対主義」は「多様性認めない主義」を攻撃して滅ぼそうとしてるし、逆もしかり。

2018-06-24

anond:20180621033827

よりよく生きたいか自然資本主義になったわけで、民主主義とか社会主義みたいに人間が獲得したものではないので 資本主義崩壊するものではない気がする だからといってどうすればいいのか分からんけど

からと言って農奴制絶対主義国家に戻るわけにも行かないし

 

2018-06-20

血縁絶対主義おかしい。血がつながってなくても親と子だ。

何で子供と血がつながってることにこだわるんですかね

何で心がつながってると信じないんですかね

そういうのがKKOだといわれるんですよ

anond:20180620160300

2018-06-05

anond:20180605104220

まーた当事者絶対主義者か。

現状、ロリコン当事者が声上げられる環境かどうか、2秒考えてみろよ。

ロリコンが声を上げない理由が分からないのお前?

現状で満足してるからだよカス

俺が言ってる「ロリコン気持ちを考えろ」ってのは理解できてんの?

お互い合意の上で示談して納得したにも関わらず

セクハラだ!もっとちゃん被害を訴えろ!」

第三者が喚きだす事例と同じことしようとしてんだぞ。

anond:20180605104001

まーた当事者絶対主義者か。

現状、ロリコン当事者が声上げられる環境かどうか、2秒考えてみろよ。

人を加害したとは言い切れないが「心の殺人」は誰でも出来るんだぞ。

これは「強姦」の話ですね。

そうではない「小児性愛」のことを指さない以上、意味のない指摘だ。

2018-06-04

anond:20180604142812

過去議論があった」というだけで何もかも正当化できるなら、現状を変えることは何についても不可能になる。


「決まってる」ことを差別正当化根拠に挙げる以上、

「なぜ決まったのか」およびその正当性証明する必要がある。

でなければ、ただの権威主義と、ただの多数派絶対主義となんの違いがある?


それを「コスト押し付けすぎ」というなら、それはもう、「議論できない人」だよ。

現状踏襲絶対マン

2018-05-19

anond:20180519183441

物証もないのに、逮捕起訴されるのがそもそもおかしい。

物証絶対主義を導入し、人質司法

やめたら、冤罪リスクも大幅に軽減し、女性も訴え出やすくなる。

女性専用車両などという差別よりも、こちらを優先して進めるべき

2018-02-12

anond:20180212170859

物心ついたら親父がおっ死んでて、その後色々あって義理の親父と家族やってる身としては

こういう血の繋がり絶対主義はどうなんだろうと思うんですよね

2017-11-15

多様性民主主義破壊する

今、さまざまな場所多様性が叫ばれている。東京都は「2020年に向けた実行プラン」において、多様性意味するダイバーシティの推進を掲げている。

男性女性障がい者と健常者、日本人外国人お金持ちと貧乏人。

社会存在する様々な差異を強調するこの多様性が、現在民主主義破壊している。

そもそも民主主義とは何か。それは同一性だ。

ナチスドイツ法学者であるカールシュミットはこう述べた。

民主主義は、軍国主義的でも平和主義的でもありうるし、進歩的でも反動的でも、絶対主義的でも自由主義的でも、集権主義的でも分権主義的でもありうる。~それなら民主主義について何がのこるのか?民主主義にとって一連の同一性ということが残る(カールシュミット著『現代議会主義精神史的状況』)」

決定するものと決定されるもの支配するもの支配されるもの命令するもの命令されるものとの同一性

あれとこれ、われと彼ではない。私と私、私たちという同一性

私たちが決めたことに、私たちが従う。

その同一性において、自ら従うことを自らで決める自由民主主義本質だ。

まり民主主義妥当する社会において差異存在してはならない。

差異存在すれば、決定するものとされるものの間の同一性が失われる。

同一性が失われれば、民主的決定に正当性が失われる。

民主的決定に正当性が失われれば、それに従う理由がなくなる。

従う理由のない決定に従わずに済むために、自らが決定する側にいられるように、闘争が始まる。

政治闘争へ姿を変え、そこには戦争状態が出現し、民主主義崩壊する。

現在日本はその一歩手前にある。

かつて存在していた日本人という連帯感は、多様性の推進という言葉によって失われた。

その結果、政治の場は協調連帯によるものでなくなり、自己利益の最大化のための闘争へと姿を変えてしまった。

この傾向は今後も続く。

いずれ、こうした多様性民主主義を滅ぼしつくす。

2017-10-30

大体の話、どう生きるのかなんて説いたところで

上のいうこと絶対主義日本じゃ自意識なんて一生芽生えねえよ

「君たち」という言葉を使うなら今の老害たちにまず説教しろ

それこそ自虐意味を込めてタイトルはこうしろ

「君たちは早く退場しろ

2017-10-27

こんにちはこんにちは! イキイキ社内ニートです!

社員社長含め2名/実質作業員1名(当方)の、自分が倒れたら潰れる底辺ドクソ零細で楽しく働いているよ! 社長セミリタイアしちゃって殆ど会社に来ないから、持ち分のお仕事が終わった後はやりたい放題だよ! そのかわり年収は300万から微動だにしなくて健康保険国保年金国民退職金も出ないけど今のとこ何とかありがたく生かしてもらっているよ!

自分独り養えるだけのお給料をもらいながら、後の人生は全部趣味につぎ込んで独りで楽しく暮らしているよ!

主婦の人みたいに子供も作らなきゃ家事だってまともにやらないし、給料が低いからろくに経済を回すでもなく、会社が潰れない程度にしか働かないし、振られた仕事が無い時は基本遊んでるし、かといってほんとのニートみたいに親から見放されて一瞬で無一文になるリスクもなくて、日本のラクしてる成人ランキングではかなり上位にランクインすると自負しているよ!


専業主婦寄生虫だとかぶっ叩かれてる時も、今回でいうイキイキママみたいな共働き子持ち主婦がぶっ叩かれてる時も、「いやあ自分の方がもっとラクっすよ、どうして大変な人同士でそんなにぶっ叩き合っているんスかね?」っていつもいつも言っているんだけど、誰もこれっぽっちも耳を傾けやしないでほんとバカだねって思っているよ!

あいつは楽しててずるいって言いながらもっとラクして生きてる自分みたいな怠け者には何も言わないのってまったくおかしな話だけれど、おかげさまで平穏に暮らさせて頂けてて、いつも頑張っていらっしゃる皆様には感謝の念しかいね

繁殖絶対主義のぜぶら先生とかがたまに大脳の壊れたメンヘル恐ろしい恐ろしい大事にって言ってくれるくらいで後の人はほんとに見向きもしないんだもの。みんな本当は怠けてる人を働かせたいんじゃなくて何か違う事がしたいのかなってゲスい勘ぐりをするよね!


結論としては皆もそこそこ仕事してれば文句言われない楽な職場を見つけて、結婚出産介護など余計な事は一切考えず仕事だけしていると今の日本ではとても安全でラクな生活が出来るよ!(老後詰むのが怖い人にはおすすめしないけどね!)

頑張って勉強して就活していい会社に入ってすり減ってる人たちが何をするにも何を思うもボロクソに言われてるのに、ド零細にしがみついて大して社会の役に立ってる訳でもないショボイ仕事して生きてるだけの高卒が何にも言われず生かしてもらえてるってほんとにおかしな国だねえ。

2017-07-26

ニセ科学批判ネトウヨが結び付けられるようになったことについて

 最近、ニセ科批判とネトウヨの結びつき、みたいなのについてツイッターでよく見るので、思うところを書いてみることにする。

 先に、俺の立場について書いておくと、もともとニセ科学批判クラスタにいる(た)人間である。以下、いろいろと書き連ねたような事情もあって、最近はニセ科学批判クラスタを批判的に言及することが多くなってきたが、やっぱり世界科学だろう、という思いは変らない。

 余談だが、ニセ科学批判クラスタを批判する人、というのがニセ科学勢力とか、トンデモ勢力というのは意外に成り立たない。そういう連中を自分積極的フォローしてないというのもあるかもしれないが、その手合いはまず自分たちに批判的な人がいることについて詳しく言及すること自体不都合なので、あんまり触れないのではないかとも思う。クラスタの言説に詳しく触れながら批判する人というのは、何だかんだいって「ニセ科学は嫌い」寄りの人間が多いようだ。

 あらかじめ書いておくと、自分見解は、「ニセ科学批判とネトウヨ本来、つながらない」であるしかし、そう言い出す人がけっこういる、というのも理解できないではない。まして、「またネトウヨ連呼厨ガァー!」などと言い出す気にはなれない。なので、どうしてそう思われるようになってしまったのか、といういくつかの自分の思っている理由について書いてみようと思う。

 なお、あくま自分観測範囲ベースなので、それ以上のエビデンス統計的根拠はない。ほしかったら基盤Bでも持って出直してきたら調べてやらんでもない。

 あと、話は基本的ツイッター世界が中心である

3.11以後の動き

 ニセ科学批判とウヨの親和性、という問題が語られるようになったのは、やっぱり3.11以後が決定的である。いちおう、3.11以降について、特に放射能デマをめぐる後始末についていうなら、ニセ科学批判派がおおむね正しかった(細かいとこで間違いや軽口があったのは否定しない)というのは間違いないので、これはどんどん認めていくべきである。そして、その上で、致命的なレッテルを引き寄せる結果となったことについてもそろそろ考えるべきだと思う。

 3.11直後にデマ批判をする人が、今となってはかなり信じがたい形で「ウヨ」と手を結んでいたのは確かだ。これはひとえに、デマの流布をほっておくことが人権問題になりかねない状況だったことによる。一例としては、ゴリゴリ左派左巻健男石井孝明をRTしていたことがあるくらいである。それは、個人的にそこはRTしなくてよかったんじゃないかと思うツイートだったが(別にどうしてもしなきゃいけないRTでもなかった)、しかし当時はそれでも連帯できるところは連帯しないといけない事情だったのも確か。とはいえ、そのRTを見てニセ科学批判派の中にいる自分でも嫌悪感を覚えたので、その外にいて、かつ左派寄りの人がどうとらえたか想像に難くない。

 元々、デマ批判を発信していた人には政治的には左派が多く、その中には、事態が落ち着いた今は左派クラスタのなかへと帰っていった人も少なくない。今となっては、「福島差別」について関心が高いアカウントというのの少なから割合がただのウヨアカウントであり、人権問題危機感を抱いて近づいてきたというよりは単に「ダシにしにきた」ことも明らかになりつつあるのだから、この時期のことについては、ちゃんと後処理をしておくべきではないかと思う。一方で、安易にウヨレッテルを張った側も、そのレッテルについて再検討する必要がある。

多層的な「ニセ科学批判者」

 ニセ科学批判というのは多層的に発信される。最初の発信者、つまり、積極的に資料をあたったり文献をあたって、情報を発信していた人はもちろんいるにしろ、その人たちの話がどう広まっていったかといえば、メディアが広めた場合ももちろんあろうが、ツイッターなどネットではそれを再発信する人によって広まったわけだ。この人たちの中にも濃度がいろいろあって、「なんとなくRTした人」「そういう話を見たら積極的にRTする人」「RTして、自分でもそれをベース意見をいったりする人」「それがさらにバズって積極的ニセ科学情報を集める人」とまあ、いろいろだ。

 こうなると、ニセ科学批判クラスタといっても、もともとの「ニセ科学批判派」の声は流通する情報割合的にはごくわずかということになる。

 俺がやばいと思う層は、じつはこの水増しされた部分であるデマ批判が機能したのはこの部分あってこそなので、水増しという言い方は語弊があるのかもしれないが、しかし、ネトウヨニセ科学批判がむすびつけて論じられることに責任があるのはこの層ではないかとも思う。

 この層、とひとくちにいっても、いくつかある。

(1)善意悪用して、自分イデオロギーをのっける層

 まあこれは文字通りの「ウヨ」層だ。前述の石井孝明とか、池田信夫なんてのもそうだろう。この亜種(1A)としては、ウヨというよりは「左派が憎い」というイデオロギーをかぶせていくケースもある。佐々木俊尚とか、伊藤剛あたりがそうだろうか。そうそう、伊藤剛と昔仲良し今は犬猿の仲唐沢俊一も忘れてはいけない。君たちお仲間だよおめでとう。あるいは、こうやって膨らんだ層を客層にあてこんだ「御用文化人」というケースも亜種(1B)の一つだろう。いちえふの作者なんてのはそうだと思う。最初はけっこうまじめな信念を持って作業員のルポを始めたんじゃないかなー、とは思うのだが。

(2)人を叩くのが好きな層

 言っちゃあ何だが、科学正義であるしかも、ある程度実証が積み重なれば、相対化しようがない正義だ。本当は正義とか正しさなんて一ミリも興味はないのかもしれないが、とにかく人を叩く根拠がほしいならず者にとって、こんな都合のいいものはない。しかも、人権問題としての問題意識までくっついている。人権なんて一ミリも興味がないのかもしれないが、以下同文。

 正義暴走がデンデンという人はネットによく転がっているが、あまりこの点には言及しない、どころかこの正義だけは振りかざすのが大好きだったりもする。彼らの心情は、よくわからない。

(3)理系としての選民思想の持ち主

 一昔前のメディアに流れる文章には、理系に対する嘲笑偏見がいりまじったものというのが結構あった。それを見た理系人が、お前ら哲学で作った飛行機に乗れるのかよ、というような反発を持つのは想像に難くない。俺も昔はそうだったし。それは仕方ないところもあると思う。

 ところが、ネット理系研究者がどっぷりつかっていたり、エンジニアがどっぷりつかっていたりする場なので、そういう人が意外にマスをもてる世界である。それはいいことでもあるんだけど、結果、「理系カルト」のようなものが出来てしまうという面もある。その結果、「文系」をバカにするようなアカウントが出来上がる。昔、科学ネタアニメ談義が話が合うという理由高専生や理系大学生をけっこうフォローしていたのだが、どうもこういう方向に流れていく人が多く、非難がましいツイートが増えた結果リムられたりリムったりブロックされたりが増えた残念な記憶もある。

 これらの人が、放射能デマ批判、さらにはより広いニセ科学批判に群がったわけだ。どれもこれもあまり近づきたくないタイプである

 しかし、本来意味でのウヨはこの中では(1)か、せいぜい(1A)までに限られる。それが全体のうちどれくらいの割合を占めるかというと、あんまり高くないと思われる。おそらく、悪印象のかなりの部分は(2)(3)に起因しているのではないか。(2)と(3)は、本来的にはウヨ思想とは関係がない。しかし(2)はそもそもモラルを欠いている層で、ネットイナゴといわれる集団に近い。そういう人が、ネトウヨ思想親和性を持つのはまあ時間問題である。(3)は正直因果関係を断定しづらいのだが、確かに自分観測範囲では重なる人が多い。理系でもウヨ色の薄い人は理系絶対主義みたいなところには陥らない、みたいな雑な印象がある。

 そうすると、本来関係のない「ウヨ」と「ニセ科学批判」がセットで観測されるということが大量発生する。しかも、(2)(3)は人間性として最悪の、できればブロックしておきたいタイプだ。どこをどういじっても、ニセ科学批判がいい印象を持たれる展開がない。しかも、こういうアカウントに限って、やけにRTされる数が多く、ダメな方向にネットへ広がっていく。

 (この部分追記)「冷笑系」と呼ばれるような集団がともかなり重なっている、というのもいくつかの反応で見かけた。これはもっともだと思う。特に(1A)や(3)あたり。

 後出しじゃんけん承知で言うと、推敲前は言及していたのだけど、定義にやかましい人の怒りが二乗になりそうなのと、話がとりとめもなくなったのでなんとなく端折ってしまった。けれど、ニセ科学批判との関係について考える場合には、「いわゆるネトウヨ」より重要カテゴリーかもしれない。

こじらせびとたちの罪

 ネトウヨ定義というのは曖昧である。むしろ、厳密に定義したところで境界線附近人間大手をふって歩き出すだけなので、ある程度曖昧でいいと思う。ライトノベル定義みたいなものだ。物語シリーズラノベかとか三毛猫ホームズラノベかと言ってる分には意味もあろうが、そこにかこつけて「聖書はラノベでは」とか言い出す奴はつまみ出せばよい。

 しかし、世の中には問題児がいる。自分たちはつまらない理由ネトウヨ扱いされた、だからネトウヨを名乗ってトンチキなことを言い募ってやる!と言わんばかりの連中である。いまどき子供ももう少ししつけられていると思うのだが、そんないい大人がネットにはたくさんいる。被害者意識をこじらせているとしかいいようがない。本人はネトウヨ認定したほうが悪いと思い込んでいるのかもしれないが、申し訳ないが狂人の真似だと言い張って東大路通を走る人間京大生でなければ狂人である京大生でも狂人かもしれない。

 菊池誠氏があんなふうになったのは、一つのきっかけはここにあると思う。しかし、年齢的にも知性的にも社会的立場的にも、責任能力を逃れられる人ではなかろう。自分の不始末は自分でつけていただきたい。きっかけのもう一つの原因(と俺が思ってること)は、次の項で述べる。

 ジャンルは違うけれど、所謂キモくて金のないおっさん」を名乗りたがるネット住民、についても似たようなことが言える。

フィードバックはめぐる

 ツイッターにはRTとかふぁぼという機能がある。ふぁぼはまあいいとして(最近はこれもTLに流れてくるようになったが)、RTは誰が何をRTはしたかが、ある程度分かる。

 RTの基準は人によっていろいろだろうが、まあ第ゼロ近似としては「それに共感するんですね」だろう。直後のツイートで批判的に言及でもしておかないと、そう思われないほうがおかしい、と思う。

 ここでめんどくさいのは、「それに共感するんですね」の「それ」はツイート文章のものであるツイートしてる本人であるか、である。直感的には、前者だろう。後者は雑な見方に映る。ただ、発言属人的に見ない、というのはけっこうなことに見えるが、発言主と合わせて文意判断しない、ただの無責任な態度となることもある。見てる側が、いつも「こいつはどうしようもない奴だな」と認識していれば、それをRTする方も同類とみなされることもある。そんなのおかしい、という人もいようが、そういうものだ。

 さてここで上のニセ科学批判情報の発信の話になる。発信者する側も、自分が発信した情報を受けて賛同し、意見を述べたり非難したりするツイート自分のRTという形で放流するということをよくやる。別に発信者じゃなくてもやると思うからニセ科学批判に集まった人も、さらにそれをやるわけだ。

 ところが、その放流元が「札付き」であった場合、それを「ニセ科学批判に賛同してくれた」という文脈だけで読んでくれる人は、あんまりいない。ごくふつうアカウントなら、はいはい賛同者だね、ということになる。ところがそうじゃない場合問題だ。そりゃあ、ツイート単体ではいいことを言ってるように見えたりするかもしれない。でもそれを、みんな属人的に見ないでくれるだろうな、というのはおめでたい

 でもまあ、そういうことが一度や二度あった、というだけなら、まあどうということもないかもしれない。しかし、これを長く繰り返し続けていくとどうなるか。

 「お前はそういうやつなのか」で離れる人というのは離れられる側にとっても、分かりやすいし素直だ。だが、「お前のRTうぜえわ」で離れる人も出てくる。離れられた側は、もしかしたらなんだか事故にあったつもりになるかもしれない。自分はただ「賛同できるツイートを流しただけなのに」、と。

 それもそうかもしれない。でもそれが繰り返されるうちに、クラスタ自体が、濃縮されてだんだん汚染されていく。そして、やり取りをする相手というのは、本人も気づかないうちに影響を与えていく。フィードバックされちゃうのだ。

 2012年か2013年くらいまでは、きくまこ先生もそこまで変ではなかったが、その後加速するようにヘンな発言が連発されていくのは、こんな感じだったのではないかと考えている。

 ニセ科学批判そのものを凶器として振り回す層というのが出来た結果、その印象がネットイナゴ、あるいはネトウヨと非常に近いものになってしまう。あとは災害が広がるのみだ。子宮がんワクチン水素水、EM菌。本来ならネトウヨと関連付けられる要素なんてないものも、そのスジのアカウントが言及してはバズる、という光景は、「そこ」がイニシアチブを握っている、と認識されることになる。そうなれば、ウヨに批判的な人は近寄りがたくなる。もちろん、もともと発信元として活動していたような人は、自分左派であろうと発信を続けるだろう。でもそこまで中心にいない人は、距離を置くか、あるいはニセ科学批判派の語り口に疑問を持つようになる。

そして深まる左右対立

 このような先鋭化の過程で、本来なら近しいところにいるはずの、歴史修正主義批判や、反知性主義批判(本来意味も、日本独自派生した意味もどっちも含まれる)との溝が深まっていくことになる。めんどくさいことに、これらの集団原発や巨大科学のようなものには批判的で、甚だしい場合放射能デマに一定の親和性がある人もいたりするので、頭が痛い。

 よく、ニセ科学批判クラスタはこれらのニセ社会科学・ニセ人文科学問題には無関心だと言われる。発信する側については実際には必ずしもそうではないアカウントも多いのだが、群がっている層については確かに無関心…… どころか敵意を持っている人が少なくない。理系人が多いので馴染みが薄いし慎重な態度でいる…… というのはなくはないのだろうが、どうもそれだけで済まないところがある。歴史問題法律あたりに目をつけて観察していると、「馴染みが薄いからかかわらない」ではなく嬉々としてトンデモさんを引っ張ってきて何かつぶやいている、という光景を目にして頭を抱えることになる。

 「Aを批判しているのにBを批判しないのはなぜか」はほっといてくれというのは分からないでもない。ただ、それは本当にたまたまのこともあれば、党派性を後ろに秘めてみて見ぬふりをする場合もあるので、けっこう一概には言いにくい論点である状況証拠次第によっては、判断材料として持ちたくなる疑問であるのは確かだ。また、別にこういう「疑問」はニセ科学批判クラスタけが受けるものではなく、左派いちゃもんのように昔から言い立てられてきたことでもあるので、やはり状況しだいでこう問いたくなるのも当然だろう。

 しかしその結果、溝はますます深くなるのである

 こんなことが続いていくうちに、ニセ科学批判クラスタは「身内」に甘い、というような見方もされてくる。そんなことないよ、と言いたいところだが、最近たまにはてブあたりに上がってくるニセ科学批判批判へのブクマコメントなど見ると、妙にニセ科学批判サイドへの批判を矮小化しようとする「ニセ科学批判者」のコメントが見受けられたりして「ああこの人もかあ」という気分になってくる。

経済をめぐる対立

 先日ツイッター問題になっていたのは、これのようだ。mika_berry氏というツイッタラーリフレニセ科学批判とネトウヨのつながりについて言い始めてそれにニセ科学批判派やネトウヨ定義が気になるタイプが反発して少し炎上のようになったらしい。

 経済には明るくないので、具体的なところには踏み込まない。が、ニセ科学批判クラスタ、あるいはもしかしたら理系クラスタまで枠を広げてもいいのかもしれないが、けっこうな割合がいわゆる「リフレ」に近づいたのは確かにそうだなと思う。

 ただしここも距離の違いはけっこうあって、単に「反緊縮」に近づいた人もいれば、はっきり「リフレ」に近づいた人もいる。俺も反緊縮については多分同意すべきなんだろうな、と思う。

 なぜこういう動きが起きたかは分からない。単に、時代的に緊縮はもういい、という風潮だったのかもしれない。反緊縮は数字勘定してイメージやすい「ロジカル」なものからという、もっともらしい理由がつけられるのかもしれない。それはわからないのだが、しかしこの「リフレに近づいた側」の少なからぬ人が、その後決定的にウヨに近づいていくことになる。

 これも理由は分からない。反緊縮には賛同する、という程度の人は、あまりそっちへ動かなかったからだ。アベノミクスなるものがあったからといって、他の論点がいっぱいあるのだから、ウヨに近づく理由にはならないのである。むしろ経済で結果を継続して出せるように安定させるためにこそ、おかしな動きは徹底的に批判すべき、と思うのだが、なぜかそうならない人というのがいた。ニセ科学批判クラスタの外にもそういう人がやはり「なぜか」いて、新たな集団を作るようになる。リフレ経済的に豊かになることを期待するクラスタ、というよりは「政権を応援しマスコミを憎み野党のアラ探しをする」クラスタとなる。経済には明るくないのでよくわからないのだが、アベノミクスのような政策はほっとくだけだと企業が潤うだけだと聞く。こういう人が「再分配を求めるべき」「企業給料をあげよ」というような動きをしたという話を寡聞にして聞かない。本当に経済大事だと思っていたのか、いまいちよくわからないところがある。

おわりに

 昔ながらのニセ科学批判は、党派性から距離を置いているつもりの人が多い。これは「左派が多い」という、上で書いた話とも別に矛盾しない。もちろん、ノンポリもいる。俺だって党派がかるのは大嫌いだ。

 それはいいんだけど、そうありたいと思うこととか、自分たちはそうだと思い込むことは、あんまり何かを担保してくれることではない。

 ここ10年くらいのインターネット歴史は、ノンポリ政治的な層、特にウヨに振り回される歴史だった。

 1970年ごろの学生運動だって、多くは本質的にはノンポリだったという話はよく聞く。でも、左翼運動の迷走についての責任を問われないかといえば、そんなことはないだろう。

 俺が思うのは要するにそういうことだ。ニセ科学批判=ネトウヨというくくりは、なるほど雑だ。だけど、それを一笑に付せる無邪気さは、ちょっと俺には持てない。

(追記しました→https://anond.hatelabo.jp/20170802040735

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