はてなキーワード: 旧姓とは
あーじゃあほとんど意見は同じですね。自分も選択別姓には賛成です。
自分の妻は
以外は、仕事もプライベートも一貫して旧姓を名乗ってます。自分の目には、大きな問題はなさそうに見えます。もし参考になれば。
元増田です。
感情に任せて書いてしまったのでいろいろと不足している点が多かったですね。詳細に書いてくださりありがとうございます。
ミドルネームに旧姓を含めるという方法を取られてる方もいらっしゃいますね。私の上司もその方法をとっています。
おっしゃるとおり、業績の一貫性という点において論文だけではなく、名刺や著書、名札、周囲からの呼び名など普段の名前とも一致させたい、という思いがあります。
同じく研究職の私ですが、戸籍上の姓が変わっても、論文著者名の姓を変える必要は一切ありません。
ただし、同一人物の業績だとみなされたい論文については、同じ名前を使用する必要があります。
日本だと、むしろミドルネームを新たに付けて、個人識別性を高める人もいるくらいです。例えば takashi satoだけだと同一分野に同姓同名の著者がいて業績に区別がつかなくなる恐れがあるために、著者名としてtakashi "kitabeppu" satoを使用する、といった例があります。
この辺は研究職だと、常識とまでは言いませんが、多くの人が知っていることなので、まずは同僚や上司に最低限の相談をすることをお勧めします。
【追記】
下記ねほりんぱほりんの児童虐待回まとめを読み自分のことを書く。
https://togetter.com/li/1438906
私はこの家とほぼ同じ環境で育った。結論から言うと小学校二年の時に両親は離婚した。そこに至るまでの話をする。
母は結婚した時から父の暴力やモラハラを受けてきた。そしてセオリー通り貧困の中子どもを産んだ。
そのうち父はギャンブル三昧になり家に帰らないことが多くなったが、帰ってくると服のたたみ方が雑などイチャモンをつけ暴れるようになった。
これは別居する少し前の話。
姉と私は当時小学校二年と幼稚園年長。意思などあってないようなものだ。
ただ単に不安だったからだ。そして離婚した後の生活が何も見えておらず、安心が約束されていなかったからだ。
暴力を振るい気に入らなければ家でも外出先でも暴れ、大声で怒鳴る父を好きなわけはない。もちろんそんな生活から離れたかった。
ただ、離婚したらどうなるのかわからない不安の方が大きかっただけだ。
母は職歴などないに等しく妊娠を期にパートを辞め専業主婦になっていた。
子どもの私は言語化できる範囲が狭かったため、どうやって母ひとりでお金を得て家庭を保守・運用していくのかというところまで想像が及ばなかったが、つまりそういうことだ。今後の人生の安定が全く保証されていないことが不安の根幹にあったと今ならわかる。
また、遺伝子に埋め込まれた心理の作用で父と離れてしまう寂しさもあった。上で述べたように暴力やモラハラなど酷いことをされてもなお、ごく一部の普通の人に近い振る舞いを思い出し父を受け入れようとしていた。
怒鳴るし嫌なことたくさんしてくれるけどこないだクレヨンくれたし…とか。
(そのクレヨンは5色入りで絵を描けるカラーバリエーションはなかったしパチンコの景品だと何年か後に母から教えられた)
小学校一年の途中で母の実家に姉と3人で住まわせてもらうことになり束の間の安堵を得た。
その後母は離婚を決意し私と姉にこう言った。
「お父さんと離婚する。離婚したら苗字が変わっちゃうけど、法律で離婚しても今の苗字を使えるの。あなたたちどうしたい?」
と聞かれた。
姉と私は当時小学校三年と一年。やはり意思などあってないようなもので言語化する力も乏しい。
私の姉もいやだというようなことを言った。
理由はただ単に変化を恐れてのことだった。片田舎だったため名字が途中で変われば離婚したと周りにバレてしまう。恥ずかしい。いじめられるかも知れない。
みんなが持っている両親の揃った家庭を失っている時点で惨めなのに、惨めが可視化されることに耐えられなかった。
もちろん母の実家住まいという時点で大人からはお察しではあるが、子どもの狭いコミュニティでは名字が変わったことが決定打となる。
そしてこれは完全に子ども特有の理不尽なわがままなので理解し難いかもしれないが聞いて欲しい。
この時私は母に名字を旧姓に戻したい理由を述べて説得して欲しかったのだ。
悩んでいるが故に父のことしか見ていなかった母がやっとこちらを向いてくれるようになった。やっとかまってもらえる。うれしい。そういう気持ちだった。
しかし、共依存でハラスメントを受けやすい人間特有の自分の意志のなさで母はすんなりOKしてしまった。
(のちにわかることだが母は重要な決断を他人に仰ぎ、何か不都合なことが起こると他人のせいにするという女だった)
話は最初に戻る。
ねほりんぱほりんに出演していた女性は子どもの「離婚して欲しくない」という言葉に動揺しているようだがはたしてそれは子どもたちの本心なのか。
この場合、子どもの言葉を理由に楽な方へズルズルと行き離婚しないまま生涯を過ごすのかも知れない。わからない。
(楽な方というのは離婚は疲れるのでダメになっている人ほど決断できないという意味で使った)
もし同じように離婚しないで欲しいと言われている人がいたら、子どもの言葉を鵜呑みにするのではなくいま一度自分の頭で考え客観的な判断を下して欲しい。
そしてまた、あらゆる不安に苛まれ打ち明けられる人もおらず、言語化もできない子どもがかつて存在したことをできれば忘れないで欲しい。
以下は余談。
父の苗字は画数が多い上に書きづらい。私の名前は父が考えたものでやはり画数がとても多い。あれから30年近く経つが何かにサインをするたびに父のこと、受けた暴力、離婚後の貧困生活などを思い出す。
母は「あんたたちが苗字変えたくないって言うから変えなかったのよ、お母さんは変えたかったのに」と未だに何度も吐き捨てるように言う。
姉との仲は悪くなくごく普通といった関係だ。だが当時も、大人になった今も父の暴力や離婚後のつらさについて考えを分かち合ったことはない。
父が家で暴れ母に部屋に戻りなさいと言われ、二人で一枚の布団をかぶり息を殺していた時も私たちは何も話さなかった。
子どもの頃はクラス名簿に住所・電話番号と並んで両親の名前も書いて配られていた時代で「片親」(という言葉が当時あった)と面と向かって言われることもあった。
下記ねほりんぱほりんの児童虐待回まとめを読み自分のことを書く。
https://togetter.com/li/1438906
私はこの家とほぼ同じ環境で育った。結論から言うと小学校二年の時に両親は離婚した。そこに至るまでの話をする。
母は結婚した時から父の暴力やモラハラを受けてきた。そしてセオリー通り貧困の中子どもを産んだ。
そのうち父はギャンブル三昧になり家に帰らないことが多くなったが、帰ってくると服のたたみ方が雑などイチャモンをつけ暴れるようになった。
これは別居する少し前の話。
姉と私は当時小学校二年と幼稚園年長。意思などあってないようなものだ。
ただ単に不安だったからだ。そして離婚した後の生活が何も見えておらず、安心が約束されていなかったからだ。
暴力を振るい気に入らなければ家でも外出先でも暴れ、大声で怒鳴る父を好きなわけはない。もちろんそんな生活から離れたかった。
ただ、離婚したらどうなるのかわからない不安の方が大きかっただけだ。
母は職歴などないに等しく妊娠を期にパートを辞め専業主婦になっていた。
子どもの私は言語化できる範囲が狭かったため、どうやって母ひとりでお金を得て家庭を保守・運用していくのかというところまで想像が及ばなかったが、つまりそういうことだ。今後の人生の安定が全く保証されていないことが不安の根幹にあったと今ならわかる。
また、遺伝子に埋め込まれた心理の作用で父と離れてしまう寂しさもあった。上で述べたように暴力やモラハラなど酷いことをされてもなお、ごく一部の普通の人に近い振る舞いを思い出し父を受け入れようとしていた。
怒鳴るし嫌なことたくさんしてくれるけどこないだクレヨンくれたし…とか。
(そのクレヨンは5色入りで絵を描けるカラーバリエーションはなかったしパチンコの景品だと何年か後に母から教えられた)
小学校一年の途中で母の実家に姉と3人で住まわせてもらうことになり束の間の安堵を得た。
その後母は離婚を決意し私と姉にこう言った。
「お父さんと離婚する。離婚したら苗字が変わっちゃうけど、法律で離婚しても今の苗字を使えるの。あなたたちどうしたい?」
と聞かれた。
姉と私は当時小学校三年と一年。やはり意思などあってないようなもので言語化する力も乏しい。
私の姉もいやだというようなことを言った。
理由はただ単に変化を恐れてのことだった。片田舎だったため名字が途中で変われば離婚したと周りにバレてしまう。恥ずかしい。いじめられるかも知れない。
みんなが持っている両親の揃った家庭を失っている時点で惨めなのに、惨めが可視化されることに耐えられなかった。
もちろん母の実家住まいという時点で大人からはお察しではあるが、子どもの狭いコミュニティでは名字が変わったことが決定打となる。
そしてこれは完全に子ども特有の理不尽なわがままなので理解し難いかもしれないが聞いて欲しい。
この時私は母に名字を旧姓に戻したい理由を述べて説得して欲しかったのだ。
悩んでいるが故に父のことしか見ていなかった母がやっとこちらを向いてくれるようになった。やっとかまってもらえる。うれしい。そういう気持ちだった。
しかし、共依存でハラスメントを受けやすい人間特有の自分の意志のなさで母はすんなりOKしてしまった。
(のちにわかることだが母は重要な決断を他人に仰ぎ、何か不都合なことが起こると他人のせいにするという女だった)
話は最初に戻る。
ねほりんぱほりんに出演していた女性は子どもの「離婚して欲しくない」という言葉に動揺しているようだがはたしてそれは子どもたちの本心なのか。
この場合、子どもの言葉を理由に楽な方へズルズルと行き離婚しないまま生涯を過ごすのかも知れない。わからない。
(楽な方というのは離婚は疲れるのでダメになっている人ほど決断できないという意味で使った)
もし同じように離婚しないで欲しいと言われている人がいたら、子どもの言葉を鵜呑みにするのではなくいま一度自分の頭で考え客観的な判断を下して欲しい。
そしてまた、あらゆる不安に苛まれ打ち明けられる人もおらず、言語化もできない子どもがかつて存在したことをできれば忘れないで欲しい。
以下は余談。
父の苗字は画数が多い上に書きづらい。私の名前は父が考えたものでやはり画数がとても多い。あれから30年近く経つが何かにサインをするたびに父のこと、受けた暴力、離婚後の貧困生活などを思い出す。
母は「あんたたちが苗字変えたくないって言うから変えなかったのよ、お母さんは変えたかったのに」と未だに何度も吐き捨てるように言う。
姉との仲は悪くなくごく普通といった関係だ。だが当時も、大人になった今も父の暴力や離婚後のつらさについて考えを分かち合ったことはない。
父が家で暴れ母に部屋に戻りなさいと言われ、二人で一枚の布団をかぶり息を殺していた時も私たちは何も話さなかった。
子どもの頃はクラス名簿に住所・電話番号と並んで両親の名前も書いて配られていた時代で「片親」(という言葉が当時あった)と面と向かって言われることもあった。
朝から首里城が燃えてるのをニュースで見て陰鬱な気持ちになった。沖縄の方や血縁の方、首里城を訪れたことのある方はなおさらだろうと思う。
私もルーツを沖縄に持つ一人として、ほんの少し心が痛い。といっても、沖縄を訪れたことはないし、今となっては戸籍に証拠も残ってない。このまま消えてしまう私のルーツ、個人的な沖縄との関わりを書き残しておこうと思う。
私の母方の祖母は沖縄出身。母は昭和一桁生まれ、戸籍は大阪市内。小学四年生で父親が亡くなり、母ひとり子ひとりで苦労したらしい……と、母からは聞いていた。祖母が亡くなったのは私が三歳の頃。当時は沖縄はアメリカ占領下にあり、本土復帰が成されてから実の弟さんが訪ねて来られた。たしか夜だったと思うが、フェリーを見送りに行ったのか迎えに行ったのか、夜の港へ行った記憶はある。後に聞いた母の話を繋ぎ合わせると、ようやく連絡がとれたものの、祖母がすでに亡くなっていたので、分骨して持ち帰られたのだという。だからおそらく、祖母は生まれ育った土地に帰ったのだと思いたい。しかし、母はその後積極的には沖縄の親戚とは連絡を取らなかったし、向こうからも連絡はなかったと思う。今でも実家に手書きの電話帳が残っていれば、沖縄の『Tさん』の名前と電話番号が残っているかもしれない。
(私が、親が亡くなってから実家と没交渉なので確認するすべが無いのが残念なのですが)
……と、思っていたのだ。母の話は整合性あったし、墓には祖母の名前が刻まれていて、分骨はしたものの祖母の骨が入っている。沖縄から来たおじさんの記憶もぼんやりとながらある。
しかし、母が亡くなった時に確認した戸籍に、母親(私の祖母)の名前はそこにはなかった。
そこにあったのは、親戚より仲良くさせていただいていた、とある女性の名前が書かれていた。親戚よりも仲良くさせていただいてはいたけど、戦争直後に母子家庭同士で助け合ったから仲良かったんだろうなと勝手に思ってたんだけど、そうじゃなかった。
そこから遡って、いつぞや母から聞いた細切れの情報を繋ぎ合わせると、えらいややこしい話が出来上がってしまった。
母が生まれた頃(昭和一桁代)、沖縄は日本ではなかった。出稼ぎに本土へ来た人は、港湾関係、女性は紡績工場で働いてる人が多かった。沖縄出身者は差別を受けてたんで、コミュニティを作ってその中で生きるか、もしくは沖縄出身だということを隠して自活するかのどちらかだったと思う。
祖母は沖縄のコミュニティを離れたのだと思う。で、何らかのきっかけがあって、大阪のとある商家の長男の娘を授かることになる。が、ここで祖母の戸籍が問題になる。
たぶんここで、母の記憶にある『杖に長刀を仕込んだおじさま』が絡んでくるのではないかという推測ができるのだが、これはあくまでも推測であるので置いておく。とにかく、何らかのすり替えが行われて、母はH家の長女に納まった。『大事な一人娘に掃除なんかさせなくていい』と言われるくらいのお嬢様だったらしい。小学四年生で父親が亡くなったというのに、終戦直後の私立のキリスト教系女学校に入学して高校まで通っているので(同級生だった友人もいたし、写真も残っているので与太話ではないはず)、お嬢様だったのは間違いない。
母は小学校の学童疎開で生駒の方に行ったという。そこに時々、会いに来てくれていたとも、祖母が食料を求めて京都の奥だか北陸の方だかに度々買い出しに行ってたらしいという話も聞いた。
で、なんだかんだあって、次男坊だった父が婿入りって形で結婚したわけですが、祖母と母はずっと一緒にいたわけで。子供が二人出来て、下の子が1歳になるとほぼ同時に祖母が亡くなったんだけど、この時に葬儀ができないってんで大騒ぎになったとかで。
今考えると、戸籍がない、娘もその事実を知らないって、大騒ぎにもなりますわな。
でも、また何らかの大人たちの仕事により『H家のS子』として葬儀をあげて、H家の墓に収められたんですけどね。
小さい頃、祖母のことも知ってる知り合いに、よく言われたんですよ。黒々とした髪や、大きい目が祖母によく似てるって。
写真で見る祖母はすでにおばあちゃんなので、本当に似てるのかどうかは自分ではよく分かりませんが。でも、沖縄の血を引いてるから目が大きいんだって言われるのは、ちょっと、いやかなり子供心に嬉しかったのを未だ覚えています。
でも、祖母本人から沖縄の話は聞いたことがなかったし、祖母が沖縄へ行った(帰った)話は聞いていない。
私が知るのは、祖母の旧姓が『多和田』だということ。その苗字の弟が、亡くなった祖母の骨を沖縄へ持ち帰ったということ。
母は沖縄のどこに祖母の遺骨が埋葬されてるか聞いてるはずではあるが、それを書き残してはいなかった。その理由はわからない。ただ、電話帳に弟さんの名前と電話番号が書かれていた。一度も電話することはなかったけれども。
私には沖縄をルーツとする遺伝子があるはずなのだけれども、戸籍がなんだかよく分からないことになっているので証明する手立てはない。
ただ、無口で気が強いという祖母という、周りの人から聞かされる印象が『沖縄出身』というフィルターを通してみると違ったものに見えてくる気がする。
気が強いのは、強く在らねば生きられなかったから。沖縄出身者のコミュニティにいれば居心地は悪くなかったろうけれども、大阪の人達からは差別を受け続け、港湾付近の状態の良くない場所に住み続けるしかないわけで。それを抜けるには、そうするしかなかったのではないだろうか。
祖母は沖縄へ帰らなかった。母がいたから。沖縄が戦場になった時も、祖母は沖縄へ帰らなかった。帰れなかった。だから、戦争が終わったあとも帰らなかったし、連絡も取れなかったのかもしれない。
戸籍では繋がりがないけれども。でも、私の祖母なんだ。どこに埋葬されたのか、今の私ではもう探せないけれども。探すなら、母が生きてるうちに言いくるめてやれば良かったとは思うんだけど。今更言ってもしょうがない。
戦争中、首里城が燃え落ちた時、それを聞いた祖母はどう思ったのだろう。帰れない故郷を思って泣いたのだろうか。
私が3歳になる直前に亡くなった祖母の心を今更知ろうとしても難しいけれども。祖母が沖縄から大阪へ来て、何を考え、何を隠し、どう生きようとしたのか、もう少し考えてみたい。
不妊治療のため仕事を辞めさせられた増田は、「生産性がないものにお金を出せない」と主張する夫から経済的DVをうけている。独身時代の貯金の大半は共同出資のタワマンの頭金に消え、残りの残高とともに、増田の物欲も枯渇していった。
ご近所づきあいが一切ない新築入居のタワマン社会には、この状況を相談できる知り合いができにくい。同じフロアの8部屋のうち、顔を知っている人はひとりもいない。
ある日、同じフロア共用の24時間対応ダストステーションに、ゴルフバックが3つ、中身ごとおかれていた。「*粗大ごみです ごみ料金シールを貼って出してください(3Fのサンクスに売っています)」と赤字で書かれた紙が貼ってあった。その状態が、3日も続いた。増田はゴミ清掃スタッフに同情し、逡巡した。その粗大ごみを一度家に持ち帰ることにした。夫は毎週末に1週間分のレシートを照会して、1円も使途不明金がないことを確認する人だ。かわりに粗大ごみシールを貼って置きたいが、夫に却下されるだろう。
増田はそのゴルフバックを、4LDKの空き部屋に置いた。夫はまったく気づかないようだった。
翌朝、ポストに不用品出張買取の業者の広告が入っていた。増田はすぐに電話をかけ、「夫が叔父からゴルフセットを一式もらったのですが、いらないんです、でも処分方法がよくわからなくて」と説明をすると、業者の弟がやっている中古ゴルフ用品買取業者が見積もりにくることになった。見積もり結果は7万円。身分証明書の写しとの引きかえに、そのまま現金を置いて行かれた。増田は驚いた。ごみが7万円になったことにも、突然自由に使えるまとまったお金が降ってきたことにも。
翌週、偶然テレビでフィリピンのスモーキーマウンテンを特集するドキュメンタリーを見た。ゴミ山からお金に換えられるものを探し当てて生計をたてるスカベンジャーというひとびとを知った。金銭的には不自由でも、心が自由である彼らをうらやましく思い、増田は自分が心身不自由であることに自覚したのだ。そしてメルカリやヤフオク、フリルなどのフリマアプリの存在を知り、ある決意をした。
増田は、ほかのフロアのダストステーションにも出張するようになった。増田の住むタワマンは、58階だてで、6階以上が住民用フロアである。増田は1~8階、45~50階にとまるエレベーターに乗れる。
白いエプロンを着て「ボランティア」と書いた自作腕章をつけていくと、ゴミの分別ボランティアと思われるため、ほかの住民や清掃スタッフに会ったとしても、一瞥されるか、「お疲れ様です」といわれるだけだった。
・嵐のツアーグッズ 5万円
・ヒステリックグラマーのデニムパンツ5本 合計6万円ぐらい
・ヒステリックグラマーのTシャツ 10枚あわせて9万円
・浦和レッズのグッズ一式 7万円
・ヴィヴィアン・ウエストウッドのストッキングセット 7000円
・アムウェイのなべセット 16000円
・ウシジマくん 1~28巻 6000円
・ミニクーパーのグッズ 15000円
・コーヒー浣腸の付け替えパーツセット 14000円
51階以上はメゾネットタイプ、ペントハウスになっており、増田は入ることができない。しかし、増田は非常用階段からの闖入に成功。
メゾネットフロアには2階ごとに3部屋あり、非常用階段とつながっている各部屋ごとのゴミ捨て場がある。51・52階は3部屋とも人が住んでいなかった。香港の業者を経由して買ったマレーシア人かシンガポール人が持ち主であることを告げる書類の写しが捨ててあった。
53・54階も同様だが、うち一部屋には定期的に生活のにおいがした。ブルーボトルコーヒーの紙袋と、RF1のサラダの残飯と、コーヒーがしみ込んだ今治タオル、中国語か台湾語の新聞がスワンナプームエアポートの紙袋に入れて捨てられていた。外国人の別荘なのかもしれないなと思った。
・クリスチャンルブタンのキンキーヒール 2サイズ(箱あり)と空箱1つ 合計5万円
・SK=2のトラベルセット 7000円
・新羅免税店の密封パック入に入ったままのディオール化粧品セット 1万円
そのころ、メルカリの現金出品がニュースで取りざたされていた。
同時に、身分証明書と実住所と銀行口座の名義が一致しないと送金できないといわれる業者が増えてきた。
金額によってはマイナンバーカードの提示が求められるようになった。増田は潮時だと悟った。
増田はフリマサイトの売上金の受け取りを、唯一残していた旧姓の口座に指定していた。母の葬式にも来なかった父が、子どものときに開設してくれたJFマリンバンクの口座。この2年半で、7桁の数字が刻まれるようになった。都心では使えないと思っていたマリンバンクは、ここ数年でコンビニATMとの連携が進んでいたことに気付き、増田は大きな一歩を踏みだす決意をした。
離婚はすぐに成立した。「家、買った時より高い値段で売れてよかったですね」と弁護士は言った。来月頭には増田の取り分が入金されるらしい。売却手続きを進めてくれた司法書士は、増田の元夫が横浜に転勤になり、武蔵小杉にある新築タワマンを買ったと告げた。そのマンションはのちの
呼ばれると自分のことだと分かるが頭の片隅では「誰?」と思っている。
改姓したのは「かっこいいね」と言ってもらえるめずらしい名字。
前職では結婚後も旧姓で仕事をさせてもらっていたのだけれど、おそらくそのせいで自分に対する認識の移行に失敗したみたいだ。
友達や家族は名前で読んでくれる。でも働いていると名字で呼ばれる時間のほうが圧倒的に長い。
前の名字で生きてきた時間分、今の名字が自分だと認識する時間がかかるんだろうか。
そうだとしたら、慣れた頃には人生の残りの時間のほうが短くなりそう。
今まで結婚して「(別に嫌とかじゃないけど)まあ、(制度的に社会的に)そんなもんか」くらいのノリで名字が変わった人たち、どうやって気持ちの移行をしたんだろうか。どのくらいの時間かかったんだろうか。自分もいつか飲み込めるんだろうか。
ニコ百の犠牲者リストと映画パンフレットのスタッフリストを照合して作成しました.一部にペンネームや旧姓があったので苦労しました.
映画のエンドロールで,これらの方々に思いを馳せていただきたい───否,わたし自身がそれをするために作成しました.
• 明見裕子さん(29)、丸子達就さん(31)、池田(本名:寺脇)晶子さん(44)、
• 高橋博行さん(48)、岩崎菜美さん(31)、鈴木沙奈さん(30)、佐藤宏太さん(28)、森崎志保さん(27)、栗木亜美さん(30)、草野すみれさん(32)、渡邊紗也加さん(27)武地美穂さん(25)、西川(旧姓:壬生)麻衣子さん(29)、川口聖矢さん(27)、
• 佐藤綾さん(43)、宇田淳一さん(34)、石田敦志さん(31)、宮地篤史さん(32)、大野萌さん(21)、大村勇貴さん(23)、松浦香奈さん(24)、笠間結花さん(22)、時盛友樺さん(22)、
• 石田奈央美さん(49)、
仕上
• 津田幸恵さん(41)、大當乃里衣さん(26)、
• 渡邊美希子さん(35)
美術設定
• 渡邊美希子さん(35)
• 藤田貴久さん(27)、
• 横田圭佑さん(34)、兼尾結実さん(22)、松本康二朗さん(25)、
• 三好一郎(本名:木上益治)さん(61)、武本康弘さん(47)、西屋太志さん(37)、
本作とは無関係
• 村山ちとせさん(49):「響け!ユーフォニアム」で原画担当
自分は結婚してAV女優と同じ名前になったのが10年経ってもムカつく。AV女優は人とかぶる名前つけないでくれよ・・・。迷惑だよ〜
転職の際に 旧姓で仕事したい旨を人事に伝えたら「戸籍名でないと無理」と言われたので「AV女優と同じ名前でキャリアを続けたくない」と伝えたら受理された。
とはいえ、技術職なのだが特許は(2017年まで)戸籍名しか通らなかったので、自分の特許を検索するとき 結婚前の旧姓と新姓で他人みたいになってるのとかはやっぱりムカつく。
個人的には銀行の名義変更とかは長期休み時にやったからそこまで負担ではなかった。他のムカつきに比べればね。
じゃあなんで苗字を夫の方に変えたかというと 惚れた弱みで、夫の苗字に変えたがらない自分に対して夫が悲しんでるように見えるのが嫌だったからです・・・
幼馴染 「富田 真美」
10年以上も長い間名字で呼んできて、今更名前呼びに出来ない。
特に呼ばれる側が耐えられなかった。
お互いに結婚して名字が変わった今でも、名字呼びは変わらない。
そのことに妙な安心感がある。
とんでもない間違いだぁ…こんなの零点だ零点
【また追記】
すべてのコメントや言及エントリにお返事はできないけれど、少し追記したいです。
同じように結婚後の姓に馴染めない、みたいな既婚者先輩の声も多数聞けて、私だけじゃないんだー、と思えてよかった(小並感)。
n年経っても慣れない、みたいなのを読んで、逆に覚悟が決まったのかむしろ気が楽になりました。ありがとうございます。
あとこれは是非言いたいんだけど、ちらほら夫を責めるというか、夫が悪いみたいなコメントが見えましたが、それは違います。やめていただきたい。
現状は女性側が姓を改めるのが「一般的」とされていて、よって私がエントリで書いたような有形無形の負担を女性が負うってケースのほうが件数としては多いのだろう。でも、いざ男性側が姓を変えるってなった時には、(有形の負担は大差ないと思うけど)無形の負担は女性の比じゃないんじゃないかと思う。「なんで?」って話になる機会も断然多そうだし。そりゃ特別な主張がなければ夫側の姓にしますって。
妻側が姓を変えて負担を負いがちっていうのの裏側には、夫側が姓を変えた場合の、馬鹿にならない負担の大きさがあると思うんですよ。だとすればこれは女性差別だ!男が悪い!っていう話ではないですよね。
【追記ここまで】
少し前に結婚した。どちらの姓を名乗るか決めるにあたって、ごく普通に、夫の姓を名乗ることに決まった。
私は夫婦別姓制度については、まあ別姓にしたい人は別姓を名乗れるようになればいいんじゃない?そのうち制度ができればいいよね、くらいの考えで、言ってみれば「他人事」として考えていた。自分がもしも結婚したら、「普通に」夫の姓を名乗ると思ってた。そこまで生まれたときの姓に執着がある訳じゃないし。
むしろ、夫婦別姓のために事実婚とし、子どもが生まれる時だけ入籍、その後離婚する、みたいなスタイルを取っている夫婦の話をテレビで知ったときには、すごく率直に言って引くというか、白けたような気持ちになったりもした。
ラディカルに夫婦別姓を主張する勢に対しての評価は5ch(2ch)なんかでは私が観測する限りではまあ辛辣で、「姓が変わるとか別にノーダメ、名前変わるくらいでそんなに影響があるとか大げさすぎる、旧姓にそこまでこだわるとか頭おかしい」みたいな意見が多勢に思えた。私はそんな論調のスレを見るたびに、「でも別姓も選べたっていいじゃん?」と思うと同時に、自分に関しては「まあ普通に相手の姓でいいけど」と思っていた。すごく率直に言えば、「姓が変わるとか別にノーダメ、名前変わるくらいでそんなに影響があるとか大げさすぎる、旧姓にそこまでこだわるとか頭おかしい」と、うっすらと思っていた。
そんで時は流れ、結婚するということになり、じゃあ苗字どっちにする?という話になった。
(現)夫は、「俺はどっちでもいいけど」と前置きした上で、夫の姓を名乗ろう、と提案した。養子でもないのに妻の姓を名乗るということになると、夫側に何か名前を変えたいような疚しい背景があるのではとかあれやこれや勘繰られるからと。
私もせやな、と至極納得して、我々夫婦は夫の姓でやっていくことに決まった。
私は夫の姓でやっていくことに決まった。
言っておくと、私は元の姓と夫の姓どっちがいいか比べた時に、純粋に夫の姓の方がいいなと思った。まあまあよくある私の元の姓に対し、夫の姓はちょっと珍しい姓であった。なんなら「レア苗字ゲットだぜ」くらいに思っていた。もっと言うと今でもたまに「かっこいい苗字やん…」としみじみしたりする。
という訳で私は姓が変わることが決定し、あと結婚もまず間違いなく決まったと判断し、会社に結婚の予定を報告した。「名前は某に変わりますが、業務上では引き続き増田でお願いします」と伝えた。
私は一介のしがない事務員だが、いくつか特定の取引先を担当していたので、取引先それぞれに「結婚しましたので名前変わりました☆」と言って回るのがめんどくさかったのだ。
ずっと前になるが、今の会社ではなく、新卒で一番最初に入った会社の先輩社員で離婚された女性がいた。同じ頃に別の女性社員が結婚して「名前が某になりました」と通達があったので、私はおそるおそるその離婚した先輩社員に「名前どうなるんですか…?」と聞いた。先輩社員は「いや、苗字は変えない」と答えた(離婚してもそれまでの姓を名乗れる制度があるのはその少し後に知った)。
大して親しくしていていただいた訳でもないのに、今考えるとなかなか不躾な質問に、わりとさっぱりした表情で飄々と答えてくれた先輩の、その後に小さく「最悪だよね…」と呟いたその声を、上司に結婚を報告しながらなぜだか思い出していた。
パスポートを変更し、銀行を4行回り、思ったよりも時間がかかって携帯電話の名義変更はその日はできなかった。
何枚も書類を書いて、慣れてないので(あと私が大変粗忽者なので)名前の欄を旧姓/新姓で書き損じまくり、最初の何枚かは窓口のお姉さんも私も新婚に免じてって感じで「あらあらうふふ☆」ってノリだったのがいい加減私の表情も死んだ。
家に帰って夫に一日の苦労を愚痴ったら、「でも俺が苗字変えたらなんか疚しいことあるのかって思われちゃうからね」と姓を決定した時の理由を繰り返した。
まあ確かにな、と私も思い、とはいえ一日で(仕事休まなきゃ行けない所は)ひとまず手続き済ませられた訳だし、これでおおよそ済んだ訳だし、と、それ以上愚痴を言い募るのはやめた。携帯の名義変更は済んでいない。
ここまでですでに長いが、私が本当に言いたいことはまだ書けてない。
こんなに書いて本題に入れてないのに自分でもびっくりしているが、私が言いたいのは、「思ったより生まれ育ってきた苗字にアイデンティティー持ってました」ということなのだ。
結婚後もそのまま何も変わらず仕事をしていて、業務上は名前変えません宣言をしているので、私は平日の昼間という日常のほとんどを「増田さん」として過ごしている。新姓を使うのは、クレジットカードの署名(名義変更してるから)と宅配便の受領の署名(クレジットカードの名義変更したから通販のアカウント変更したから)くらいだ。
で、それ以外のふとしたタイミングで名前を使う機会があると、いまだに逡巡する。逡巡した結果、旧姓を使ったりもする。飲食店の順番待ちで名前書くときとか。
新姓を使ったっていいはずなんだけど、「クレカや身分証と紐付く場面でもなし、新姓使う必要ある?」と思うと旧姓を書いてしまうのだ。もっと言うと瞬間的に「私増田だもん!!」と思っているのに気づく。
きっと会社で旧姓使ってるから慣れてないんだ、と思う。私はわりと転職してきた人間なので、きっと今の会社もずっとはいない。転職活動の暁には新姓で履歴書を書いて、新しい会社では新姓で活動する。
でもそう考えると、なんか、胸が締め付けられるのだ。
という事実に、怖じ気づいている。
姓が変わるのは自分が自分でなくなる感じ、という言い方は、かつて私が引いていたラディカルな夫婦別姓論者さんたちの言い分ではなかったか。
結婚すると名前が変わるってのは「普通」のこととして広く受け入れられてきている訳だけど、しかしよくよく考えてみれば、名前にアイデンティティー抱くってのもごくごく普通ではないですか?
自分が当事者になってやっと分かったというのも至極トロい話で恥ずかしいけど、このアイデンティティー抱いてる対象が変わるっていう衝撃が「普通」の名のもと受け入れられてきたってのはちょっとすごいと思う。
名前変わるなんて別になんてことない。って言ってる人たちは、一度本当に変わってみて欲しい。って正直ちょっと思うけどこういう論法は反発を感じるよね。分かる。私もそうだし。っていうか私だって当事者にならなきゃわからない気持ちだったし。
まとまらないけど疲れてしまったため急だけどそろそろ終わりにします。姓を変えるってのは、有形(手続きの煩雑さ)無形(アイデンティティーの揺らぎ(こう言うと大袈裟に聞こえるけどそうとしか端的に表現できない))の負担があるんです、っていうのを吐き出したかった。