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はてなキーワード: 新聞配達とは

2021-10-19

ここがすごいよ共産党

選挙が近くなると無限勤務

朝9時から帰宅23時+朝5時から新聞配達

休憩時間は昼時のみで夕方以降はなし。昼も電話だなんだでゆっくり食事もできないか外食×

もちろん休日はなし。地方選挙の時は3~4か月無休当たり前。

人間らしく働くってすごいね

ひざを突き合わせて突然の会議

明日〇〇があるから19時から会議が当たり前。

リモート会議はできないやれないでやらない(地方特に

人と人で支えられててすごいね

毎日FAXが届いてくる

エコなんてなんのその。FAX無駄紙、無駄ポスターが山のように届いてくる

環境問題に力入れててすごいね

募金募金また募金

赤旗購読募金はもちろん、選挙募金選挙でなんかするから特別募金、また選挙募金

打ち出の小槌のような党員に支えられている。

募金で支えられててすごいね

ワクチン接種なんて後回し

いきなり始まった選挙で2回目のワクチンは打てなくなる。

打ってもいいけど、休みなんてないよ。

打ったらすぐ事務所に戻って帰宅23時ね。明日も朝から来てね。

コロナ対策すごいね

それでも若い人に

若い人に声をかけて雇おうとしている。

なお給与は少ないし遅れる。ボーナス雀の涙

毎日頭ふらふらになりながら通勤新聞配達に車使って

事故を起こしても本部は自損の保険に入っていないと自己責任

平等社会ってすごいね

10月31日投票だね

2021-10-04

anond:20211004131560

新井 由己(あらい よしみ、1965年 - )は、日本ライターフォトグラファーおでん研究家神奈川県藤沢市まれ

1991年からアウトドア雑誌などに執筆を開始。田舎暮らし資金稼ぎのため、1993年から2年間、都内タクシー運転手をする。

1997年、「芝居小屋から飛び出した人形師」で「週刊金曜日ルポルタージュ大賞」の佳作入選を果たし、

その直後、新聞配達用のホンダ原付バイクプレスカブ)で、日本縦断おでんの食べ歩きをして、

1999年凱風社から『とことんおでん紀行』を初出版

2021-09-18

ガチャっていうけど、実質的には家庭環境ガチャって言ったほうが正しいんじゃね?

家族関係円満? 大人大人として機能してる? 裕福? 貧乏? 都会? 田舎

基本的には貧富の差より家族関係がうまくいっていることや大人子供役割押し付けてないことのほうが家庭環境ガチャにおいては当たり。

よくうちは貧乏だったけど新聞配達して勉強頑張って今では年収いくらだぜ~! みたいな奴が湧くけど稼いだ金を搾取する大人子供の意欲を無意識にでも削ぐ大人が周囲にいなかった時点でそれは裕福でも未熟な大人に囲まれているより当たりなんじゃないか

まあそれでもやっぱり同じ親なら金が無いよりはある家庭のほうが当然当たりだと思うよ。

明日食事ができるかどうかみたいな家は論外だけど、(子供だけの)部屋とか小遣い(自由になる金)は子どもにはかなりの逃げ場になるから

現実には裕福な家庭ほど心に余裕があるから家庭も円満になりやすい傾向があって、単純な経済力以上に自己肯定感も得られるから本人もいろんなことに挑戦できるっていうポジティブループもあると思ってる。

逆にあんまりカネもなくて大人大人としての役目を放棄してるような家だと連綿と続くネガティブループから抜け出すのは大変って話だ。

まあ実はなんでこんなに親ガチャって言葉流行ってるのか知らないんだけど。

2021-07-11

ノストラダムスの大予言

最近ではもはや年配の人以外にはほとんど知られていないようであるが、1999年7月までは本気で信じていた日本人がかなりいた。

1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう」

アンゴラうさぎ様だか、アングラ演劇界王様がその時期になると世界中で暴れ回って、人類を笑い死にさせるとか、狂わせるとか言われていた。え? 違う? 似たようなものだと思うけど。

きっかけは、とあるベストセラー本で、思いっきり売れたので天皇陛下だって信じ込んでしまったとか、してないとか。

 

でも、すぐにそんなバカなことがあるわけねぇ、と思った。

一年が365日であるのも一日が24時間であるのもイエス・キリストの生誕が約2000年であるのも、単なる偶然である

火星金星に行けば、単位は変わってしまうし、「世紀」を地球一年を元にした100年単位で考えるのも、人様が勝手に考えたものである

その暦自体だって半グレ歴だとかなんだとか、何回か変わってるというじゃねーか。

なーにが世紀末だ、西暦だけで世の中回ってるわけではないぞ。うちの家系は、地球タンパク質が生まれた時からずっと続いているんだぞ。

 

などと、屁理屈をぶつぶつ言ってたら怪しく思われるので、表面上はあの血液型話題に加わるようにして、

「だよねー、あと一ヶ月経ったら人類滅亡かー、どうなるんだろうね? 政府は何か対策を打ってるのかなあ?」

村八分にされないように振る舞っていたのである

 

私が間違っていた。

絶対に何も起こらないと確信していたのに、確かに世界は終わりを告げたのだ、忘れもしない1999年7月11日。

アンゴラうさぎでもアングラ演劇でもなく、いやそれは表れたのではなく、消えたのであった。私の親父様。

経営していた会社破綻借金10億。

色々事情があって、破産は無理だと判断した残された家族は、利息をチャラにしてもらって、元金を長期にわたって分割支払い返済することになった。

それが払い終えたのが2年前だった。

 

本当にあのとき、それまでのゼータクな暮らしは突然消え去り、私は翌月から深夜2時に起きて新聞配達していたほどだった。

ねーちゃん大学を辞めて、水商売を始めて、一年位経った頃に行方不明になった。それでも毎月何処かから振り込みだけはずっとあった。10年ほど前に帰ってきてねえちゃんと再会したときには、どうやって作ったのか一切言わなかったが、ねえちゃんは二千万も一気に返済してくれた。

かーちゃん破綻した会社を再建し、従業員の全員を首にせざるを得なかったけど、小さな会社だけど必死で頑張って支店まで持つようになった。

昨年には、かーちゃん社長業を引退して、私が引き継いでいる。

 

本日7月11日は確かに世界が終わった日だったが、私たち家族は決して終わらなかったのだった。

2021-06-02

生活保護を受けて成功した人たち

NHKの「ファミリーヒストリー」で森進一が取り上げられてて母親シングルマザーでとても貧しく一時期生活保護を受けていたと放送していた。その結果が今の森進一成功日本代表する有名歌につながるのだから生活保護は偉大。

時代に私の祖母も同じ状況で周囲に生活保護を進められたそうだがそれを断り親戚からもらった小さな畑とリアカー引いての行商子育てしていたそうな

しかし貧しかった当時森進一新聞配達生活費稼いでいたといい立派な子供だったが申告ないならば今なら不正受給として社会から叩かれまくってしまうなって思った

2021-05-05

anond:20210505101425

今、20~30代の年収ボリュームゾーン中央値420万くらいで、300~500万の間に収まってる訳だけど、彼らの大多数は、大学に通ってんだよね。

それも学費が高い私立大学に親の脛かじって進学してると。

年間100万~+仕送り120万あたりを4年間使う程度の経済力を親も持っている。

塾にも通ってるだろうし、大多数は新聞配達など児童労働のために勉強する時間もなかった、なんて家庭ではない。

これで結果が出ないなら、本人が無能なだけ。

大多数は、親がインテリなら、親が金持ちなら、なんていい訳出来るほど苦しい環境で育ってはない。

増田は「大多数は」ってしきりに言うけど、日本大学進学率ってせいぜい55%なのよね。

参考)https://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2019/08/08/1419592_1.pdf

自分が貧しいのは社会のせいだなんて言ってる奴らの90%は、単に無能なうえに怠惰に生きて来ただけだよ。

「俺が貧しいのは社会問題だ。政治が悪い」と言ってる奴の圧倒的多数は、行くだけ無駄だった私立大学専門学校学費を払える家庭に育ってる。

それが専門学校大学への進学率や、現在年収など各種の統計から言える事だね

「俺が貧しいのは社会問題だ。政治が悪い」と言ってる奴って、だいたいは増田言及していない(無視している?)45%のほうにいるんじゃないかな。

大卒(55%)についても、「これで結果が出ないなら、本人が無能なだけだ」と増田は言うけど、日本人の平均年収って90年代前半をピークに減少に転じて、ここ数年少し持ち直した程度なんだよね。要するに、いつ育っていつ就職たか年収にあからさまに反映されている。

もっとはっきり分かる例を挙げるなら、このコロナ就職難になる新卒について考えてみればいい。その人たちはコロナ前に楽勝で就職していた世代よりも無能怠惰から就職難になるのかな?能力や勤勉さより、生まれてきたタイミング就職するタイミングあきらかに物を言っているよね。

参考) https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/kako/2017/documents/useful2017_21_p304-348.pdf


増田はなぜか日本他国比較しないけど、例えばミャンマーの人たちが日本の人たちと比べて相対的に貧しい傾向にあるのは、ミャンマーの人たちが無能怠惰なせいだと思う?おれはミャンマーの人たちと日本の人たちの年収多寡の違いを生んでいるのは、基本的に単に生まれ場所タイミングによるものだと思うけど。

日本人の20~30代が今の年収なのは、その人たちが20~30年前に日本で生まれ日本で育って就職たからで、結果としてミャンマーの人たちよりは裕福で、親世代と比べれば貧しい。それは無能怠惰が原因ではなくて、繰り返すけど、20~30年前に日本で生まれて、日本で育って就職たから、だ。個々人で見れば、それに加えて誰からまれて誰に育ててもらったかなどが影響している。

2021-04-02

バブル前まで低所得者でも上級国民エリア普通に家を買えたという事実

タクシー運転手だけど明石町に戸建てを購入。

新聞配達会社正社員だけど大崎駅徒歩圏内の戸建てを購入。

零細金物会社正社員だけど浅草に戸建てを購入。

父親仕事全然続かなくて貧乏だけど実家月島の戸建て(オードリー若林)。

こういう人ほんと普通にいた。

新宿御苑駅徒歩5分の1LDK新築マンションが1500万円で買えてしかも空室だらけだった時代

逆に都心会社に勤めながらこの時代にわざわざ神奈川埼玉千葉に家買ってた人はどういう意図があったんだろう。

しかし、オードリー若林子供時代チャリ銀座松屋に集合してそこのおもちゃ売り場や屋上で遊ぶのが日課だったってエピソードは衝撃だった。

今じゃ銀座キロ圏内の戸建てなんて20坪でも1億出さなきゃ建てられない。

2021-01-26

母子家庭からといって教育妥協したりしない

ふざけんな

うちは勉強も塾に行かせられない代わりに図書館で5時まできっちり勉強させてるし

男だからと言って家事しない人間にはなってほしくないから、食事弁当自分でつくらせてる

お金の大切さを学ばせる為に中学生時代から新聞配達高校の今もきっちりバイトやらせ家計に貢献させてる

両親いる家庭の子供よりもずっと教育いきとどいてますから

分かってない何も苦労知らないクズ他人の家に文句つけるな

2020-12-16

anond:20201216111857

それは「新聞配達」の非効率性であって「新聞」の問題とは違うのでは

2020-12-03

新聞配達

午前4時30分。

新聞配達カブの音が聞こえる。

新聞を取っている家が減って同じ200部配達するのでも、

以前よりも広範囲に配らなくてはいけなくて大変だと聞いたことがある。

一部配達するためだけにマンションの5階まで上がらないといけないとか。

本当に新聞って配達する必要があるのかな。

メディアとしての新聞意味はあると思うんだけど、

あの情報量を朝の忙しい時間に処理できるひとってそんなにいないんじゃないかな。

テレビ新聞の2択しかなかった時代には新聞必要だってのはわかるんだけど、

見出しリードぐらいしか目を通せないのならネットニュースのほうが効率いいじゃんって。

二酸化炭素排出量を減らす意味でも新聞配達、あるいは紙の新聞自体から脱却する必要あると思う。

新聞社とその関連会社メディアはこういうこと絶対書かないけど。

2020-10-19

anond:20201019131855

予約すると行動を制約されてしまうだろ

「ああ 明日夜は予約したお店にいかなきゃ」っていう感覚が嫌なんだ

俺は誰にも縛られることな自由でいたいんだよ

盗んだ新聞配達屋のバイク疾走しながら夜の校舎窓ガラスを濡らした新聞紙で拭いたりしたいの!

2020-10-07

天才が見たい 1/2

幼いころの記憶は、2歳ぐらいから残っている。初めて乗った三輪車、初めていった遊園地でのヒーローショー、流行に乗って買ってもらったローラースケートファミリーコンピュータ。皆覚えている。

幼稚園の頃には、既に自分他者とは異なる存在であることを認識していた。

幼稚園でやることは何もかもが退屈だった。何度同じことを教えてもらっても文字を読めない、たとえひらがなであっても自分名前を書けない。そんな同い年の園児達に辟易していたし、先生の言うことも最終的に言いたい・結論の読める、そんな通り一辺倒の話しばかりで、毎朝幼稚園に通うバスに乗る時には苦痛を感じていた。

ある日、そんな苦痛の発生源から「近所の公園落ち葉拾いをして、その落ち葉ちぎり絵を作りましょう!」と言われた。他の園児たちは落ち葉をかなり細かくちぎって、造形でギリギリ判別できるかどうかの「おさかなさん!」「おはな!」「おかあさん!」といったの作品を作って先生に持って行っていたが、俺は「いやいや、落ち葉で作るんだから落ち葉である事を活かせよ」と思い、少し捻くれた形をしたカエデ落ち葉を1枚と、他にも大量の落ち葉を拾って、「人喰いおおかみをやっつけた人が、その証としておおかみの右手バイクに積んで村に戻っているところ」という作品を作った。

作ったちぎり絵先生に見せた時、「これは・・・バイク・・・・・・手?」という反応をされたので、それは人の手では無く、怖くて悪い人喰い狼だと説明した。その際に俺は「これは他の人間にも説明必要だな」と何故かひとり勝手確信し、画用紙に黒のクレヨン物語を描き始めた。最初は延々と文字だけで説明していたが、文字だけだと寂しいので、余白に挿絵もつけた。

「悪くて怖い人喰い狼が現れて困っている村人たちのところに、腕利きの猟師がやって来て・・・」という、何とも陳腐な筋書きではあるが、画用紙を10枚以上使ったと記憶している。

俺のちぎり絵物語幼稚園話題になり、その年のお遊戯発表会の題材にもなった。先生は「やっぱり主役の猟師役は増田君がやるべき」と言ってくれたが、主役はガキ大将のS君に決まった。かけっこなどの身体を使う類いのことはからっきしだったので、俺はそれで良いと思った。

発表会は結構うまくいったようで、いつの間にか俺の「作品」達は、「画用紙に書いた物語と一緒に区役所に飾ろう」という話まで出て来ていた。

その事で幼稚園側と区役所側の担当者が何度か話し合いを持ったようだが、結局絵だけ飾る事になった。


区役所に絵を飾る事になるまでの一連の話を幼稚園から説明された両親は、たいそう喜んでくれた。

両親は平凡だった。見合い結婚し、中庸であることを良しとし、毎日を善良に暮らし、一人息子である俺にもしっかりと愛情を注いでくれる。そんな両親だった。

ただ、そんな両親が、幼稚園側が区役所絵画の話を交えつつ、「増田君は本当に優秀です。才能があります小学校は是非とも私立を考えられては・・・?」と強く推した途端、「いえ、結構です。ウチは公立小学校に行かせます」と、頑として譲らなかった。理由はわからない。金銭的な問題だったのかもしれないし、中庸を良しとする生き方に反していると考えたからかも知れない。

俺は単に「人間関係をリセットして、見知らぬ土地でまたイチからやり直すのは苦痛である」などとぼんやり考えており、小学校地元公立のほうが良いように思えた。

幼稚園の中に友達と呼べるような存在はいなかったと思うし、毎朝の通園バス苦痛ではあったが、それでも何とか周囲の人間為人を把握して対応方法ほぼほぼ確立していた矢先の話だった。小学校とやらに行く事になれば、公立でも私立でも「周囲の人間の数」は増えるのだろうが、私立ゼロから再構築するよりは公立のほうが幾分マシだろうと思っていた俺は、そのように両親に伝えた。


両親と俺の希望が一致していたので、当然小学校地元公立小学校入学することになった。

小学校に入っても、特に自身の変化はなかった。小学校に入ると本格的に「勉強」というカリキュラムがはじまったが、先生が言っている事を聞いて、板書をして、家に帰ってから宿題を済ませた後に復習・予習をしていれば、テストの点数は取れた。

この頃になると、自分状態客観的に捉えた上で、自身についての考察ができるようになっていた。

俺は結論として、「俺は天才である」と考えた。井の中の蛙どころの騒ぎではない。加えて、空の青さも知らないとなればもはや滑稽を通り越して害悪であるが、俺の周囲には俺より優れた学力を持つ者も、俺を諫めようとする者もいなかった。

言い訳がましいが、物差しが少ない小学生の時分である。「学力」という物差ししか持っていなかった俺は増長し、慢心し、周囲を哄笑した。将来は俺のような人間が、東京大学のような「賢い一流の大学」に入って、「でっかい一流の会社」に入社して、いずれは社長になって世の中を動かしていくと、本気で思っていた。

何より、公立小学校毎日がヒマだった。普段から見下している同級生とは、恐ろしいぐらいに会話がかみ合わなかった。俺にコミュニケーションスキルがあれば、「会話をあわせに行く」「自分の会話ができる場を作る」といった芸当も可能だったかも知れないが、ご多分に漏れず俺はコミュ障だったし、そもそも会話を合わせるという発想もなかった。

「名のある企業に入れる」「いずれは社長になる」などと思いこんでいるような人間コミュ障というのは、その時点でもう既に色々と破綻しているような気がしないでもない。

ともあれ、この頃の俺は毎日退屈な授業とかみ合わない会話をする為だけに、日帰りの監獄に通っていた。全国の小学生がこの地獄を味わっているとするなら、文部省は滅ぼさなければならないと本気で思っていた。その為に文部省に入って俺がこの国を変えてやるんだと、鼻息けが荒い小学生だったと思う。


─────「良い会社」に入るには「良い大学」に行かないといけないらしい。

─────日本一大学東京大学というところらしいが、真の天才であるならば京都大学に行くらしい。


そんな情報を入手したのは、忘れもしない、小学4年生の秋頃であるいかにも小学生摂取しそうな、狭い世界のテキトーな話である。だが俺は何故か純真無垢にその与太話を信じた。つまり、「将来は絶対京都大学に入ろう」と思った。

そこから俺は色々と京都大学情報収集しはじめた。「学部」など、小学生の俺の辞書には登録されていない概念に触れる度に興奮しつつ、どうやったら京都大学に入れるのか?という情報を求めて方々に聞いて回った。まず一番初めに、俺にとってもっとも身近な「大人である両親に「どうやったら京大に入れるのか?」と尋ねたところ、「知らん」と言われて会話を打ち切られてしまった。仕方なく学校先生などに尋ねたりしていたが、小学生調査能力などたかが知れており、当時はまだインターネットなども普及していなかったので、俺の京都大学情報収集はかなり早い段階で終止符を打たれることになってしまった。

しかし、京都大学に入れたとしても、大学入学までは今からでも約8年かかる。京都大学に入る方法とは別に、一刻も早くこの日帰り監獄から抜け出す方法はないもの・・・模索していたところ、どうやら「私立中学」というところに通えば俺の退屈な生活におさらばできるようだという情報を得た。

日帰り監獄の看守たる先生も、たいそう熱心に「増田君は灘中学東大寺学園に行かせるべきです。」と言ってくれた。特に小学6年生時の担当看守だったK先生は熱心で、何度も両親と懇談して、俺を私立に行かせようとしてくれた。

だが、ここでも両親は「ウチはあまり裕福ではなくて・・・。本人は成績も良いので、公立中学から北野高校にでも行ってくれたらいいと思っておりまして・・・。」と、俺を私立中学に進学させることは明確に拒否した。

看守は

給付型の奨学金制度などもある」

経済的に難しいと思っておられるなら、公立中学以下、なんなら増田君の学力ならおそらく無料で通える」

増田君には質の高い教育を受ける権利がある」

などと食い下がったが、両親は「もう公立に決めてますので・・・」と固辞した。

この頃になると、小学生の俺でもさすがに両親の言動に疑問を覚えるようになった。両親は「経済的に困窮しているか私立は行けない」の一点張りだったが、看守は「困窮していても通えます」という。イヤさすがにそれはちょっとヘンだろ、矛盾してるだろと思っていたが、当時の俺はそこまで頑なな両親を説き伏せてまで日帰り監獄から抜け出したいとまでの強い意志は持ちえなかったし、天才秀才・英傑達と机を並べて学びたいという願望も希薄だったし、それらの一連の俺の態度が招くであろう結果も、特に深くは考えてはいなかった。


当時の両親の真意が奈辺にあったのか、今となっては分からない。草葉の陰から、声は聞こえない。


そうして地元公立中学校に入学した俺は、特に変わり映えのしない日帰り監獄生活を送っていた。そんな俺だったが、中学生活の半ばに差し掛かろうという頃・・・具体的に言うと全国模試を受けたあたりで、「んん?あれ?・・・どうも俺って天才じゃないな、これは・・・」と薄々感づき始めた。全国模試偏差値が出るからである

そりゃもちろん、俺の偏差値は全国平均より遥か上には位置しているのだが、自分なりに努力をしてみても、偏差値的に灘高校にも東大寺学園高等部にも届かないという事実を突きつけられた。これは結構俺にとってはショックで、小学校の頃は「余裕で入れる」と言われた灘にも東大寺にも入れないという事実は俺に重くのしかかった。「このレベル高校が無理なら、こりゃ京大東大なんて夢のまた夢だろ、どうしよう・・・俺の人生、どうなるんだろう」と、本気で思い悩んだ。

悩みぬいた俺は中学2年の夏、両親に「塾に行きたい」と言ってみた。しかし結果はやはりというか順当というか、頑強に拒まれた。曰く

「成績がいいのに何故」

「塾はお金がかかる」

「家でも勉強はできる」

などなど、様々な言葉で塾に通うことを拒否された。

小学生の頃の俺なら諦めていただろうが、中学生になっていた俺は己の目標を達成する為に食い下がった。模試の結果を伝え、行きたい大学がある事、だが自分の今の成績ではそこに至ることができない事、自宅での自己学習には限界がある事などを説明した。

また、塾が無理なら定性的定量的評価可能代替案の提示をせまった。塾の代金は高校に行ったら必ずバイトして返す、なんなら今から新聞配達をして払うと、土下座までして塾に行かせてくれとせがんだ。

結局、中学3年の春から、塾に行く事を許してくれた。

半年ほど前に未亡人となった母はなんだかやつれて見えたが、当時の俺は塾に行けることが嬉しくて嬉しくてしょうがなくって、あまり母親のことを注意深く見ることはできなかった。今思えば、当時の母は様々な事に疲れ切って倦んでいたのだと思う。塾に行く許可も、根負けというよりかは思考放棄といったように俺には映った。

そんな母を尻目に意気揚々進学塾に入った俺は、成績順のクラス分けで上から2番目のクラスに入れられた。正直、体が震えた。自分よりはるか勉強ができる人間が、天才が、焦がれる存在が、今まさにすぐひとつ上のクラスにいるとリアルに感じられるのである。そして、その人間たちと同じ程度の授業を、自分も受けることができるのである。これがアニメだったら俄然燃えるBGMが聞こえてくるようだった。実際、あの時の俺には、何かが聴こえていたのだろう。俺は一心不乱に机に噛り付いた。机に歯形があるんじゃないのってぐらいには噛り付いていたと思う。

その甲斐あってか、入塾後すぐのクラス替えで、あっさりと一番上のクラスになれた。ここで俺は生まれて初めて、圧倒的な勉学の才能をもった人間、すなわち「天才」と直に出会った。それも一人や二人ではない。そんな輝ける才能がひとつ教室に雨後のタケノコのようにポコポコ存在している、そんな環境で学べるという喜びにも出会った。

毎日がただ楽しかった。自分天才ではないのかも知れないけど、努力すればちゃん数字が、成績がついてきてくれた。

幼少の頃、毎朝幼稚園に行くバスの中で感じていた苦痛や、小学生の頃に感じていた疎外感は、もう無かった。


高校公立北野高校というところに入った。維新橋下弁護士とか、日本マクドナルド創業者藤田田ふじたた、ではなく、ふじた・でん)とか、漫画家岡田あーみんとかが通っていた高校である

本当は東大寺学園に行きたかった。学力模試偏差値は足りていたと思う。赤本自己採点でも余裕で合格圏内だった。だが、中学3年時に入塾した際に母親と交わした「高校絶対公立高校にする事」という約束を守った。その約束をした時点では「受験までにどうやって説得するか・・・」などと考えたりもしていたが、塾での公立中学では考えられない授業スピードについていけたことや、並み居る才能たちと交わした会話の中で、「公立高校からでも京都大学は狙える」という感触を、俺は確かに掴んでいた。

中学の頃はあまりよく理解していなかった奨学金制度は、高校に入ると同時に申請した。家計理由に俺の私立進学を拒んだ母親は、中学時代に俺の奨学金申請していないこともその時に知った。俺はそんな母親を信用せず、奨学金申請手続きを自分自身で済ませた。

北野高校の授業の質は高いと思った。だが俺は油断せず、予備校にも通うことにした。私立中学入学組の連中は、少なくても俺より3年は早く走り出している。そいつらに追い付くには、そいつらと同等、いやそれ以上の勉強必要であると思ったからだ。

俺は詐欺師丸出しの口調で「高校学費が浮いたんだから、もともと払うつもりだった学費予備校に回してほしい。予備校バイトを完全両立させるのは時間的に難しい。学力的に、俺は中学までの借金がある状態プラスに転じるには積み上げるしかない」などと母親に申し入れたところ、すんなりと受け入れられた。

この頃になると、奨学金申請だけでなく、家の中の一通りの事は全て俺がやっていた。

自分でできるようになったから」というのももちろん理由としてはあるが、母親が炊事・選択家事全般を筆頭に、日常生活の様々な事をほぼ全て放棄してしまっている事のほうが、より比重の大きい理由だった。母親予備校行きを認めたのも、「認めた」というよりは「俺が『予備校に行きますよ』と報告した」といった表現のほうが正しいように思う。

俺が小学生中学生の頃には確かに存在していた、「理由なぞはよくわからないがとにかく自己の主張を持って論陣を張る頑強な”母”たる人間」は、もういなかった。朝起きて、TVをつけて、ご飯を食べて、夜眠るだけの人間がそこにはいた。

家計ほぼほぼ俺が全部見ていた。入ってくるカネと出ていくカネを計算して大幅なマイナスにならないと言う事だけを気にしていたので、一般的家計管理よりはラクだった。現に、今つけている家計簿よりは簡単だったように思う。父親の遺した資産が多少あったので、その管理も俺がしていた。

高校生活は楽しかった。学力差のある人間を十把一絡げにして地域ごとに押し込める日帰り監獄では味わえない切磋琢磨がそこにはあった。同程度の学力を持つ者同士が集まった結果としてのシナジーがあった。今までは暗い色で塗りつぶされていた「学校での生活」に色が付き始めた。毎日学校に行く事が楽しかった。対照的に、毎日家に帰るのが億劫になり、やがてそれは苦痛に変わり、それに伴い、家の中が暗い色で塗り潰されていった。

昔、母を名乗っていた人間は炊事もしないので、学校帰りは毎日スーパーに寄り、食材を買い、俺が晩ご飯を作った。予備校のない日は二人で食事をするようにしていたが、食事中に会話のようなものはなく、TVから流れるバラエティー番組の下らないやりとりだけがBGMだった。ご飯の味はしなかった。たぶん、母だった人も、ご飯の味はしていなかったと思う。


しかすると、家から目を逸らそうとして、無理に高校での生活が輝いていたんだ、良かったんだと自分自身に言い聞かせているだけなのかも知れない。我が事ながら、この頃の記憶は妙に混濁している。

大学入試は当然のように京都大学一本にした。学力模試結果も問題無いと判断したし、何より俺には京都大学以外の大学に通う価値を見出せなかった。入学できるまでは何浪でもするつもりだったが、幸いにも現役で合格することができた。

大学合格したこときっかけに、京都に引っ越す事にした。

ひとり身になったから身軽だったし、しばらく大阪から京都大学に通ってみたものの、さすがに京都の外れまで毎日通うのはちょっと辛いなと思った。何より、暗い色で塗り潰された、大阪のあの家に帰るのは嫌だった。もうTVの音は聞こえなくなったけど、あの家で目をつぶって眠るのが、怖かった。

大阪での様々な残務を片付けると、それらの結果や、これからの事、感謝気持ちなどを両親の墓前に報告して、俺は京都に移り住んだ。


後編に続く

anond:20201007170042

2020-09-23

anond:20200923224434

新聞配達してたときはけっこう転けたけど

今は最高速度標識を気にしてるしなあ

まあ重量バランス云々言っても転けるときは転けます

まあ重量バランス云々言う転け方なので受け身取る時間あったんでしょうね

擦り傷の痛みでしょうね

2020-08-08

カワイイネコチャン🐈

あなた事故物件

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⬛️⬜️💢💢💢⬛️

⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️⬛️

新聞配達の人が突っ込んでくる物件 です。

#事故物件恐い間取りメーカー #shindanmaker

https://shindanmaker.com/1001374


anond:20200808000329

2020-07-27

幸せだと言ってる人の人生悲惨だった

会社では他人に媚びへつらい

家では嫁子供に疎まれ

休日には一日中家の手伝い

たまに出かけるにしても嫁子供の足として

そんな人生なのに幸せなんだと

俺にはそう言い聞かせてるようにしか見えなかった

新聞配達やりつつ月に何度か風俗行ったり出会い系メンヘラ女とセックスしておっさんのほうが幸せに見えるね

2020-07-13

早朝、新聞配達で走り出すバイクみたいな音がした。

会社トイレで力んだら。

誰も居ないか気配を確認して個室を出たら、掃除のおばちゃんが小便器拭いてた。

「125CC」

「え?」

あんた125CCだよ。50じゃない」

「あ、ありがとうございます!」

ガンバンな」

はい!」

そう言うと僕は手を洗わずに走り出した。

2020-07-12

新聞配達やってるんだが

完全に認知症始まってんだろってじいさんでも新聞配達は出きるんやな

日常生活は難しくても

何十年と仕事としてやってきたことはボケてもやれる

お前らも、そういうことを前提に仕事選んでやらんと、年取って本当になんも出来んじいさんになると地獄やぞ

2020-06-17

残業自殺

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6362787

週5、8時間労働で139時間残業なら全体で310時間くらいかな。

週6かもしれないけど。

知り合いの某赤い政党勤務員は毎日12時間新聞配達、月1~2日休みと考えたら

350時間労働+早朝新聞配達を週5日2時間で合計430時間ほど拘束されている計算かな。

残業代なんて出ないらしいから430時間20万そこそこらしい。

ギリギリ生かして他に行かせないよう、労働時間新聞配達と集金で自由を奪う。

現代奴隷だね。

奴隷で成り立って正義面しているのがほんとアカって感じ。

あそこは過労で自殺してももみ消してそうだし、批判しかしないんだよな。

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