はてなキーワード: 恩恵とは
まじで大した話ではないんだが、バリカンですね毛を梳いたら驚くほど気持ちが楽になったので聞いて欲しい。
自分は下半身が毛深くて、特にすね毛はけっこうゴリラ。蟻んこが50匹くらい作れる。血を吸いにきた蚊が絡まって逃げられなくなるちょっとした藪である。
ちなみに腕は多少濃い程度で髭は朝剃って定時頃にはちょっとジョリジョリしているくらい。お約束のように頭部はその恩恵をあずかれず、額が後退しはじめている。
別に気にしなければいいのかもしれないけど、汚いし人に不快な思いをさせると思うと辛くなっていった。
嫌だ嫌だと思っているうちに10年以上経ち心底嫌になってきて、最近は風呂で足を見るのも気が滅入るようになってしまった。
だからといって全部剃るのはなんか気持ち悪いし、生え始めがチクチクするのも嫌だった。
というか、30にもなってそんなことで悩んでいる自分が嫌になった。
しかし悩んでいても埒はあかないし夏はクソ暑いしで妻に相談した。
んで、バリカンのアタッチメントを6mmにして剃ることにした。そしたらなんとまあいい感じに薄くなるではありませんか。
あんなにジャングルだったすね毛が秋の芝生のような落ち着きに早変わり。かなり自然な仕上がりで目に入っても全然気にならない。
そして短パンの涼しいこと!すね毛を剃った一番の恩恵がこれかもしれない。マジで人目を気にすることなく短パンが履けるのが嬉しい。
堂々と脚を出して子どもと水遊びができるし、サウナにいっても人と比べないで済む。
最近よく見かける「反応がないので創作活動やめます」っていうの、すごく悲しい話だなと思う。でも、「その気持ちわかんないな」とも思う。
なんか、だいたいこの手の話って「やっぱり感想送らなきゃ!」「続けてほしければ感想は大事だよね!」というのが多いと思うし、わたしもそれは分かるんだよな。わたしはあんまり声を出さないけど、声を出して感想を送ったくれた人によって恩恵を受けてきた側なんだとは思う。
ただ、わたしも一応たまに文字を書く人間としては、「反応がくるとかこないとか、そういう次元で悩んでしんどくなるのってやっぱ大変だな」と思う。別に僻みとか妬みとかではなく本当に。
わたしはかつてサイトも運営していたし、pixivにもたまーーに投稿してる。有難いことに感想をもらったこともある。感想ではなくブクマとかタグ付けとかみたいな反応をもらったこともある。サイトのときはアクセス解析とか見て、訪問者が多い日は嬉しかった。あと、リアルの友達に初めてサイトを教えたときにすごく嬉しい感想を直で貰ったこともある。ほんとうに嬉しかった。たしか、Twitterでもフォロバしたら「嬉しい!あのサイトから来ました!まさかフォロバされるなんて!」とか喜ばれたこともあって、そのときはは〜〜〜〜好き、楽しい、絶対一生文字書く!と思った。気がする。正直そのフォロワーが誰かはもう覚えてない。
ただ、ランキングでめちゃめちゃ上位になるとかもなかったし、投稿したら絶対毎回反応してくれる人とかがいるわけでもない(これはちゃんと確認してない。いたらごめん)。
だから、""評価されない""のが当たり前だと思ってるし、わたしは自分で文字書いてるときが正直一番楽しいし、ブクマ0のものも1年後とかに読み返して過去の自分最高書いてくれてありがとう!!てできるくらい自給自足の神というか過去の自分と趣味が合いすぎる。ので、感想とか反応は「ありがたい」「嬉しい」「また書きたいな〜」という気持ちにはなれど、「書こう!」という行動にはほぼ関与してこない。これが普通なのかちょっと他の人と違うのかは分かんないけど。
だからわたしは「評価されないからやめます」という話を見たときに、「一度すごく評価されたら、今のわたしには想像できない世界が広がっているんだろうな」と思ってしまうし、「評価されて違う世界に足を踏み入れたことで、『感想がないからやめよう』という発想になるのは悲しいことだな」と思う。
ランキング上位とかに入ってフォロワーとかめっちゃ増えたら嬉しいだろうな〜〜「すごく面白かったです」の一言だとしても貰えたら最高にテンション上がるだろうな〜〜〜〜もっと書きたいな〜〜とか思うんだろうな〜〜〜〜
でもずっと評価され続けるものを書き続けられる気もしないし、いつか他人からの反応の有無で創作をやめたくなるくらいなら、一生これくらいたまにブクマもらえるくらいでいいかなって思う。
まあ、読み手としては感想を送るっていうのはしたほうがいいんだろうなあとは思う。
でも、pixivとかでシリーズ登録されてると基本1話しかブクマしたくないし(ブクマが多くなるとわたしが見づらいし整理しにくいから)、全話に反応しなきゃ!ていう意識で読み手やりたくねえ。一回フォローしたらその人の作品よっっっっぽど好きじゃないとブクマしねえ。だってフォロー先のその人のホームから見れるし。なんか、反応ないし見てもらえない→だから書かないってまじでわたしには分かんないな、結局。書きたいから書く。それが素人の創作活動だろうが。一次でも二次でも同じだろ。商業はのぞくけど。
ごちゃまぜにすんなって言われるかもだけど、本質的には同じだよね
人種だろうが何主義だろうが右左だろうがなんだろうが、実質的に権力を握ってる既得権益層に譲歩させて、あわよくば倒して主張を通したいわけだよね
中国の大学生の意見がどうのってホッテントリも、大都市の大学生なんてそりゃあ既得権益層側だから意識的にも無意識的にも保守的になるに決まってるじゃん
なんとか今の立ち位置を守りつつ、海外の成長に負けないよう緊張感を維持し続けてるんだし
今後会うことも関わることもない奥地の農村で働く人達になんて気を配ってられないでしょ
日本だとピンとこないかもしれないけど、例えば人口2.7億人のインドネシアと連合組んで、全員で投票して政治家を選んだら
当然インドネシアよりの政治家が選ばれて、日本で集めた税金をインドネシアの成長のために使う訳で
インドネシアの人達の生活の質を上げるために、日本人は消費税20%で福祉も薄くなるけど我慢してね、とか誰も納得しないだろ
これって要は、誰かを助けるためとはいえ、できれば自分は不自由を強いられたりしたくないし、今の生活水準を落としたくないってことで
多かれ少なかれ既得権益層の考え方なわけじゃん
そうするとさ見えてくるわけよ。既得権益層を倒すための絶望的に高い壁が
既得権益層がマイノリティであれば、マジョリティ側が全員本気になればいいだけだけど、それすら難しいのに
恩恵を受けてる層がマジョリティだったりするとほぼ不可能だよね。性別問題とか人種問題とか都市VS地方がこれ
じゃあ歴史的に何か救いがなかったかと思って振り返ってみるとわかりやすいのは奴隷制の撤廃とかだよね
奴隷制はマイノリティがマジョリティに勝った事例だけど、もしかしてこれ唯一じゃない?
ここまで人権的に明白な問題でなければなかなかムーヴを変えるというのは難しいってこと?
それですら撤廃されるのにかなりの年月がかかってるし
まぁ多少は希望あるのよ。インターネッツとかSNSとかで情報の拡散が高速化してるわけだから昔よりも100倍くらいは加速して物事が進むだろうという希望は
でもさ、倒せないだろこれは
そもそも権力のある奴以外を男として認識してねえからそう見えるわけよ
家父長制を問題にする輩にとって、家父長や勝ち組以外の男のことはハナから眼中にないからどうだっていいんだろうね
別に無条件で男尊女卑があるわけじゃなくて、単に男社会で勝った奴や元々持ってる奴が強いというだけのことじゃん
でもフェミニストの皆様はそれを見ないことにして、ひたすら男女バトルに単純化しようとする
あるいはネオリベにかぶれて、自分が勝ち組の枠に入れさえすれば、弱者のことなどどうでもいいという素振りまで見せ始める
それに比べるとレディースデーなんかは典型的だが、女でありさえすれば女尊男卑の恩恵はだいたい誰でも受けられるように見えてしまう
もちろん例えば若い美人の女が同情されやすいということはあっても、ブスやおばさんはそうでなかったりするから、必ずしもそういうわけではない
しかしとにかくお互い見えてない部分が多すぎると思うんだよ
今の50代以上は自民党的な利権の恩恵に与れるけど、氷河期世代以降の若い世代はそうじゃないんだから、40代以下ぐらいの人たちから今の既得権益層に対抗する勢力が現れるのかと思いきや、そうした世代から出てくるのがN国とかそういう人たちだけなんで、もうダメだと思う。
新宿と渋谷と銀座と秋葉原とお台場行くのでは全然目的も違ってくるじゃん
なんなら街ごとどころか新宿東口と西口みたいな「駅の出口」ごとに目的変わったりするじゃん
でも地方は違う
車で30分も走ればすべてが揃うイオンがある
(そもそも子持ちにはいつでも自由に使える車があるってことが楽すぎる)
イオンを中心に家電量販店や飲食店も乱立しているので、脳死でとりあえずイオンに向かっとけば大抵の用事はこなせる
服買うなら新宿行って、電化製品買うなら秋葉原行って、バッグ買うなら銀座行って、飯食うなら渋谷行って、子供と遊ぶならお台場行ってとか考える必要ない
まあそれだけ選択肢があるってことなんだけど、現代人の欲望や可処分所得、時間対して東京はオーバースペックなんだよ
つーか実際上記の予定って本来新宿だけでだいたい片付くんだよな
でもそれぞれに特化した街があるからなんとなくそっちに行ったほうがいい
イオンモールくらいがちょうどいいんだよ
やっぱイオンモール最高ーー!
【追記】
俺は大学含む独身時代と二人目生まれる直後までは東京23区内で生活して
今は地方(東京には新幹線で片道2時間距離)に住んでるんだけども
東京の恩恵享受できるかは子供の有無(もしくは気軽に子供任せられる東京在住のジジババの有無)によって全然違うと思う
俺が独身だったら今でも東京サイコー!って言ってると思うんだけど、イヤイヤ期の2歳児含む未就学児×2持つ身としては、電車移動しなけりゃいけないって時点で「あ、もう無理っす」ってなっちゃうわけよ
最寄り駅まで歩くのすらめんどくせー
子持ちには東京を充分に楽しむだけの金も時間も体力もナッシング
そんな中だ、玄関出たら即チャイルドシートにブチ込んで、「動く個室」でたいていの用事は済ませられるイオンモールに行ける
子供が泣き叫びながら床ローリングしたとしても舌打ちするオッサンなどいない
「おうおう、やっとるやっとるw」くらいの扱いなのでストレスフリー
広大なイオンモールで一日暴れて帰りの車では兄弟揃ってスヤスヤ
東京と比べると博物館とか美術館みたいないわゆる「文化的資本」が少ないと言われるけど、ぶっちゃけ未就学児だとそんなとこいくよりYouTube見たり庭でビニールプールで遊ぶ方がよっぽど喜ぶしな
っていうかそれ系だと今まで一番喜んでたのはド田舎の山奥にある恐竜博物館だったし
保育園も余裕で入れるし、地方だと進学実績一番いい学校公立だからお受験の必要ないし
とりあえず大学で都市部出たいと言われても大丈夫な金を貯めることだけ心がけて、今はイオンモールのある生活に甘んじたい
東京がいいとこってのは否定するつもりないし、今でもラーメン二郎とか食いてーと思うけど、東京を充分に楽しめるのは金か時間か体力、あるいはその全てがある人間に限るよなと思う
(ラーメン二郎が行ける距離にあっても子連れで行けるわけじゃないしな)
【追記2】
バーリアル5本目だぜ
本物のビールには全然敵わないけど、「水より安いビール」ってコスパ良すぎだよな
でもあんまりバーリアルに触れてるトラバブコメいなくて寂しいぜ
何人か察してる人いるけど北陸在住だぜ
大手チェーン最高!
とにかくブコメでも言われてるけどマニアックな趣味って子供いると続けにくいんだわ
俺は元々ネトゲ廃人だから東京にいたときはオフ会しやすくてサイコー!って思ってたけど、子持ちになるとそもそもネトゲする暇すらないんだよね
だから趣味を満たすよりどれだけ楽に衣食住を満たせるかが優先されちゃうんだよね
そうなってくるとやっぱイオンモールが最強
うちは夫婦揃って陰キャオタクだからイオンモールで充分てのもあるんだけどね
あ、ちなみにどうしても行きたい東京のオタクイベントは実家のジジババに子供預けて泊まりで東京行ってるよ
せいぜい年に1〜2回だけどそのくらいの頻度なら孫と一日中遊べてジジババ嬉しい、孫廃課金のジジババ家で遊べて子供嬉しい、久々のオタクイベントで俺ら夫婦嬉しいでWin-Win-Winよ
1回行くのに夫婦で宿泊費込みだと結構な金かかったりするけど、年に数回のイベントのために東京住むほうがコストかかるし諦めてる
日本人が知るアメリカというのは海岸線に近い一部の地域(サンフランシスコとかニューヨークとか)で内陸部のことは知らないことが多いというのは定番ネタだろう
更に言えばネトウヨから出羽守なんて言われている人たちが思想的影響を受けているのは西海岸の一部の地域であることが多いのも定番ネタか
しかしそんな出羽守も実際のところ北米西海岸のリベラリズムをよく理解せず、なんだかんだで日本文化の尺度で北米西海岸のリベラリズムを解釈してはガチ勢にツッコミ入れられてしまうということが繰り返されてきた
何故そのようなことが起きるのか?
理由は単純で北米西海岸のリベラリズムの正体が「努力し続けることによって自分自身を磨き上げ人間レベルを上げようというマッチョな思想」であるということを理解していないからだ
北米西海岸のリベラリズムは個人が置かれている環境の影響によって努力することすらできない者のために努力できる環境を作り上げるということはする
これは言うなれば「スポーツジムが存在しないのであれば高性能なマシンが完備されているスポーツジムを用意する」というやり方であり、当然ながらそのジムでマシンを動かして筋力や心肺機能を高めるのは個人自身の努力によって行われなければ"ならない"のだ
口を開けていれば降ってくる恩恵なんていうものは北米西海岸のリベラリズムからすると資本主義をリードするステイツの敵である共産主義でありアカなのである
一緒に努力しよう!努力するアナタは素晴らしい!より一層努力することでアナタの人生は豊かになる!
四肢が欠損していようが、遺伝子異常を抱えてようが、難病に罹患してようが、アナタ自身が今できる努力をしてレベルアップしよう!努力するための環境サポートは任せろ!
もちろんその様子はテレビで放映し努力しようとする仲間たちに伝える!アナタは多くの人から称賛を得て名誉を獲得する!(北米の)社会に認められるんだ!
これはスタートに過ぎない、明日はもっと高いレベルへ挑戦しよう!!!
北米西海岸のリベラリズムは大真面目にこのようなことを考えており、自分の努力の結果をFacebookやInstagramで公開するのである
だからこそ鍛え上げられた引き締まったボディを高く評価し、そこには男女のエロシチズムすら内包する美しさがなければならないし、北米で活躍する俳優やモデルはそういう人物が選ばれる
北米西海岸のリベラリズムの表層に感化された日本の出羽守がいくら男女平等や人種差別反対を訴えようとも表層しか理解していないので(北米西海岸のリベラリズム的に)おかしなことを言い始めるわけだ
BLMだってシンプルに考えたら良い。白人が黒人の努力する権利を奪うなである
なぜ死刑反対なのか?死んだら努力できないからである。それ以上のレベルアップが見込めないからである
北米西海岸のリベラリズムは努力しない怠惰な者は想定されていない。それは共産主義だからだ
北米西海岸のリベラリズムへシンパシーを感じるのであれば、アナタは日本社会へ様々な分野のスポーツジムをたくさん作る訴えをし続け、アナタはそのスポーツジムで鍛え続けなければならない
昼も夜も寝ないし授乳の時以外は大体泣いていた。乳児期は1時間ごとに起きてわたしは気が狂いそうだった。
まわりの、同じくらいの月齢の赤ちゃんを見ては、その穏やかさに驚かされた。床に転がっていても、お母さんが友達とお喋りしていても泣いていない。
はじめての子育てでとにかく必死で、子育てサークルやサロン、支援センターなどに毎日通った。けれどどこに行っても泣いて暴れて、どうしようもなくなって5分で帰るなんていうこともザラだった。その度に、なんでうちの子だけ、と暗いリビングで泣いた。
周りの人達にたくさん相談した。配偶者、実親、ママ友、リア友、親戚。帰ってくるのはいつも同じ言葉。
「大丈夫だよ」
「子供なんてそんなもんだよ」
「うちもそうだったよ」
「1歳過ぎれば楽になるらしいよ」
「今だけだから。大きくなったら離れていって寂しいもんだよ」
そうなのか、これが普通なのか。わたしは、普通の子育てにすらこんなに疲弊している、ダメな母親なんだ。そう思った。
もっと頑張らなくては、みんな頑張っているんだから、そう自分に言い聞かせた。
3ヶ月、半年、1歳、2歳、楽になる日は一向に来なかった。
紆余曲折を経て3歳をすぎた頃やっと診断がおりた。
やっぱりなと思った。だって普通の子育てがここまで大変なわけがない、とわたしはどこかホッとした気分だった。子育てはこんなもんだとか、みんな同じだとか、無責任な言葉をわたしにかけたやつみんなふざけんなと思った。いっぺんうちの子を育ててみろ、お前のところにも障害児が生まれろ、そんな風に思った。今も思っている。
子供が生まれれば多かれ少なかれ親の人生は変わる。親が真っ当であればあるほど。子供中心の生活になり、自分の時間も自我も犠牲になる。子供というフィルターを通して自分の価値が決まる。日本社会は尚更だと思う。
発達障害児が生まれてわたしは変わった。子供に手を焼き、不眠と疲れで毎日キレ散らかし、夫や親、特に物に当たり、食器を割る回数が増え、メガネや窓ガラス、パソコンなど色んな物を壊した。体重は妊娠前と比べて8キロ落ちた。自分の怪我も増えた。失神して倒れて怪我をして、顔を縫ったこともある。慢性的な吐き気と下痢はもう2年以上続いている。胃カメラも大腸内視鏡も、ホルター心電図も脳のMRIも超音波エコーも、受けられる検査は全部受けたけれど異常は無い。全部ストレスのせいだね、と医者は言う。
息子は本当に少しずつだけど成長していっているように思う。
税金を使って療育して、税金を使って教育して、定型の子たちより何倍も何十倍も努力して、それでも定型以上にはなれない。
二次障害を起こして、犯罪を起こしたり、家庭内で問題を起こす可能性が定型より圧倒的に高い我が子。
「普通の進学」「普通の友達」「普通の就職」「普通の結婚」、そんな「普通の」未来さえ思い描けない我が子。
そんな子供を育てて何のためになるんだろう。
一体何のために子育てしてるんだろう。
誰か教えてほしい。どうしてわたしのところに生まれてきたのか。
何のために生まれてきたのか。
殺すなら今のうちだと思う。
わたしは誰の為にもならない息子を殺したい。
先に。これは人によっては嘘だと思うし、物語だと感じるものだ。
だから、何というのだろう。真剣に読まれるのも嬉しいけど、気楽に読んでほしい気持ちの方が強い。
僕は、身体的には女で、中身は「男」だ。
でも「女」である人もいるし、僕と同じ「男」もいるし、性別がいまだに分からない人もいる。
それが今、僕達を表す言葉だ。
僕が生まれたのはここ三年くらいだから、主人格の色々について詳しくないし、そもそも他人格がどんな人物なのか、正直今でもよく分かってない。
それでも言えることがあるとすれば、主人格を何年も守り続けてる彼、Nは凄いと思う。
異性の体に馴染むまで大変だったろうに、口調以外違和感なく過ごせてる(僕にはまだ無理。お風呂には慣れたけど水着や温泉には…)。
同性と恋愛面で付き合うのに合わせないといけないというのに、そこそこうまく折り合わせられてる(本当難しい。心から言う。難しい)。
そんな困難、と言えるかは分からないけど、悩みをどう乗り越えてきたのか。あるいは「そういうものだ」としてきたのだろうか。
教えてほしいといえば、彼女、Mにお酒の味を教えてほしいなと思う。好きな味、味覚が違うから、Mが好んで飲むというウイスキーが僕にはキツい。というか、ウイスキー自体好きじゃない。出来れば甘いお酒、それもミルク系が良い。
けれど困ったことに、それを普段「僕」は飲まない。たとえ飲んだとしても度数が高いカクテルだから、結局のところ僕自身が好む味じゃない。
そんなお酒初心者(なのは僕としては当たり前なんだ。体はともかく、僕は成人してまだ二年しか経ってないのだから…)な僕にヘビーなお酒は無理なので、そんな僕でも飲めるお酒が知りたいこの頃。
そして一番知りたいと思うのは自称男のKだ。この人のお陰で僕らは主人格として生きることが可能となってる。
Kがいなかった時代をNだけは知ってる。Nはその頃のことを、短かったけど大変だったと零す。人の会話内容がごちゃごちゃする上に、講義系統を取るノートが壊滅的だったとか。
情報操作してくれるKが生まれて、自分達が「外」にいない時間も新聞やテレビ、ラジオ、時には手紙という形で知ることが出来る様になったのはありがたいと言ってた。
最初から恩恵を受けてる僕には分からないけど、Mが外にいる時間が分からなければ確かに困るな、と思いつつ、外のあれやこれやをくれるKは一体、どう思いながら情報処理してるのだろうと、最近気になるようになってきた。
……あぁ、また一日が始まる。
一体いつになったら、僕は僕の名を呼んでもらえるのだろうか。
──その日はこないと分かっていても、望んでしまうのは許してほしい。
マルチエンドで1番損してるとか書いてるけどそもそもマルチエンドじゃなかったらうるかENDなんて無かったろ。
お前らは恩恵を受けてる側だろうが思い上がるのも大概にしとけ。キーエピソードになったバレンタインとか水希との過去とかは上手いとは思ったけど明らかに後付けだし、センター試験の犬も飼い主からすると元から文乃用のエピソードだったのを分け与えられただけじゃねーか。
ぼく勉がうるかの為だけの物語だと思ってるからそんな偏った思考になんだよ。むしろうるかは救済されてる立場なんだから勘違いも程々にしとこうな。
進化したものは店で売られているお酒のなんていうか平均値。日本酒、ビール、焼酎などは平均としてはかなり品質の良いものが安定的に入手できるようになった。コーヒー、紅茶、中国茶も平均値としてはとても品質が良くなったと思う。たとえば大阪市なんかだと水道水の味も向上しているのも地味に平均値向上に効いている。日本茶は昭和の昔から高級品の品質は良かったと思うが、最近これも流通管理の進化の恩恵を受けているのだろう。値段も素人目には30年前とそれほど変わっていないように思えるのでお得感ある。日本茶も高級品はなんていうか効き目が違う。ヤバい。目が覚めるだけでもない。寝られなくなることもあるが眠くなることもある。この辺りよくわからない。産地や時期、淹れる温度でも全然別物になる。難しい。強いお茶を飲むと身体の反応が変わる。爽やかな新茶で辛い書類仕事が幾分楽になったりもする。こんな娯楽が合法的に安く手に入るのを知らないのは損かもしれない。最近の知見でもう少し解説が欲しいところ。(昔の、「高級玉露は低温で、番茶は高温で」、みたいな話だけじゃない知識がもう少しあるんじゃないだろうか)
コーヒーも、日本茶も、お酒も、最高品質のもので自分の身体になじむものはその辺の店で売っているものとは全然別物だという体験が都会に居ながら
にしてできる時代が来たということは大変ありがたいことだ。ただいつどこにいけば最高品質のアレが買えるのかということは今でもよくわからない。
「子供を産んでこそ一人前」
ということじゃないでしょうか。
でも親になってみないと大人になれない人が多い。
自分の主義主張だけを通して自分のことだけを考えて自分だけ幸せに生きようとする。
子供を産んでから「この子が生きる未来の日本はどうなっているのだろう」と初めて考えました。
アホなりに自分が死んだ後の将来のことを本気で考えました。
私は日本が人口が減って消えてしまってもそういうものだと思っています。
ただ、最後の一人まで幸せでいるために先人が何かを考えるのは必然だと思います。
私たちが先人の恩恵(発展した文化や便利な道具、法律や仕組み)をもう受けているからです。
老人が占拠して、老人のための政治になっているのをどう若返らせるかとか
海外の人に気持ちよく日本で働いてもらうためにどうしたらいいかとか
負の遺産をどうするかとか
子供がいないひとこそ考えてほしい。
行動するのは大変なことですから、まず考えてほしい。
「将来大人になって自分を支えてくれる人たちのことを思ってほしい」
ということです。
そして何か子供達のために行動してもらえれば嬉しいです。