とある界隈で2次創作をしている。小説らしきものを書く、ただそれだけの人間だ。
これは書き捨てたいと思って、書いただけの話だ。とりとめのないことを心の赴くままに吐き捨てた。私の話で、私以外の何者にも関係ない話だから読み流してほしい。思うがままに何の順序も考えず、適当に書き連ねただけのものだ。
大まかには1次創作から2次創作に移った時の話と感想が苦手って話だけど。
昔1次創作をしていた頃がある。その時は2次創作なんて物は知らなくてただひたすらに1次創作に耽っていた。2次創作を知ったのはなんとなく始めたツイッターだった。なんとなく自分の好きなラノベのタイトルを検索して、引っかかったのが2次創作だった。
ああこういう創作もあるのかと思った。
私が知っているはずの世界と、根を同じにして別の花を咲かせた世界と思った。だけど大樹になることは出来ずに、ただ大樹に寄り添うように花を咲かす創作だと思った。
初めて2次創作を書いたとき、2次創作に逃げるんですか?という内容のことを言われたことがある。
その時1次創作をやっている方に少数ながら2次創作を見下している方がいることも知った。「自分で世界を創造できないくせに」といった種類の言葉を何度か見た。
その時、彼もしくは彼女の言うことが理解できなかった。今も理解できない。2次創作が何故「逃げる」ことになるのか理解できなかったのだ。今では少しだけその方の言いたかったことはわかるけれど、共感することも理解を示すこともできない。
私は1次創作をしていた身として世界を創る難しさも楽しさも苦しさも少しは味わった身ではある。
私は2次創作を行なっている身として他人が描いた世界に自らの書きたいことを表現する罪深さと難しさと楽しさを少しは知っている。
確かに世界があるというのは書きやすいことを認めよう。世界観やキャラクターといった大樹がしっかりと根付いている世界で行う2次創作は書きやすい。だけどそれだけだ。
だけど1次創作だって世界を創った私には世界観、キャラクター、ストーリーは分かっている。私の中には世界観やキャラクターといった大樹は根付いている。ストーリーという枝葉まで理解できている。だから書きやすさは変わらないと思った。
だけど誤解しないでほしい。
読んでもらった時に理解されやすい、評価されやすいというのは2次創作だと思う。だけど書きやすさについては変わらないと思うと私の意見を述べてるに過ぎないのだ。
それに1次創作にしろ、2次創作にしろ、私は書きたかった話を書いただけだ。
私にとってはただそれだけのことだったから、なんで「逃げ」と言われたのか理解できなかった。
私は感想を貰いたくない人間だ。そのくせ承認欲求は人並みにある。支部に小説をあげて、ブクマされたら嬉しい。n人があなたの小説をブックマークしましたって通知が来たら嬉しいのだ。
だけど私は感想が読めない人間なのだ。支部の感想の通知も切っている。
感想を書くのにはかなりの労力が必要だと分かってるから悪いとは思う。だけど私は読むことができないから貰いたくない。その労力に見合う何かを私は受け取れない。付け加えていうのならば、私はその労力に値する何かを返すことも出来ない。
端的に言えば怖いのだ。心が弱い。私は自分の心が豆腐以下だと知っている。何でポッキリ心が折れるのかわからない。
感想というのは基本的に善意によって書かれたものだろう。だが中には罵詈雑言を入れる人間もいると知ってるからだ。
私は弱小物書きだから、誹謗中傷がガンガン送られてきたとかそんなことはない。
一度、二度ぐらい誤って感想を見たときにちょっとした私の柔い心に針が刺さったことがあるから見たくない。それだけだ。
でも小説は読んで頂けたら嬉しい。楽しんで頂けたのなら嬉しいのだ。
だけど私は自分の心の弱さを知っている。
書くことが好きだという気持ちを無くしたくないから、感想は読めない。
申し訳ないなとは思う。
悪いと思う。
うんちぶりぶり丸参上