はてなキーワード: 土地とは
この質問は非常に複雑で、多くの感情的、政治的、歴史的な要素が絡んでいます。
ユダヤ人は歴史を通じて迫害を受けてきましたが、現在のイスラエルとパレスチナの衝突は、単に「大昔の仕打ちをやり返す」というものではありません。この地域の緊張は、宗教的な違い、地政学、歴史的な主張、民族主義、国際法、外国の影響力など、非常に多くの要因によって形作られています。
第二次世界大戦後、ユダヤ人の国家を建設する動きが加速し、1948年にイスラエルが建国されました。これは、国際連盟とその後継者である国際連合によって支持されたものです。しかし、この決定は、すでにその地域に住んでいたアラブ人、特にパレスチナ人にとっては、自らの土地に対する主権が無視されたと感じるものでした。それ以来、イスラエルとパレスチナ人の間には、土地、国家の正当性、安全保障、移民、資源などに関する衝突が続いています。
「いじめられた引きこもりが犬猫を虐める」という比喩は、この衝突の複雑さと重大さを正確に表しているとは言えません。それぞれの側には、自分たちの行動を正当化する物語があります。イスラエル側では、国家の安全保障とユダヤ人の歴史的な土地への返還が重要な要素とされています。一方、パレスチナ人は、自分たちの土地と自己決定権を守るために戦っています。
国際コミュニティでは、この問題に対するさまざまな見解があり、この衝突を終わらせるための解決策が長い間模索されています。平和を実現するためには、両方の側の合意と相互の譲歩が必要とされています。
とはいえ海外の保守的な土地でも似たような事はいくらでもあるけどね
土地によって禁忌とされることが「セクハラ」だったり「マフィアとの付き合い」だったり「娼婦に金を払わなかった」だったりするけど
この件がでっち上げだと判明したのは「騒いだ女性のオツムがアレだったから」の一言に尽きる
この件で女性側に立って騒いだあなた自身なら理解できると思うが、この手の騒ぎは圧倒的に女性側が有利
サッカーでたとえるなら最初から10点くらい自陣に入った状態で試合が始まるようなもの
それをひっくり返されるにはよほどのヘマを踏みまくらないと無理
この一点に尽きる
つかね、セクハラでっち上げて相手の男を追い落とすなんて田舎の議会や商工会議所なんかじゃ別段珍しい話でもないんだよ
「まあそうでもしないと女は男に勝てんからな!ガッハッハッ!」と思ってるオッサンもぶっちゃけ多い
また東京も市ヶ谷・赤坂・曙橋といった、一件わかりにくそうだけど一度いけば土地勘がつく、
みたいな分かりやすさがあるのだが、大阪はほんとうに平坦的で特色がない。
確かにビルや建物は違うのだが、全部同じような空気で記憶に残らない。
たとえば松屋町・本町・堺筋本町などぜんぶ同じに見える。北浜のあたりは川があるからかろうじてわかるが・・・
いったいなんなんだこれは・・・?
メンタルが少し脆い妻と、その彼女を優しく支える理解ある旦那くん。二人は私の大学時代の友人で、一緒に学び、笑い、時には悩みながらも、いつも仲良く過ごしていた。しかし、彼らが就職を機に東北へ引っ越してから、3年が経ち、顔を合わせる機会はほとんどなくなった。
最近、彼女のTwitterを見ていると、どことなく違和感や不快感を感じるようになった。彼女のツイートは「あれが嫌だ、これが嫌だ」というものが増え、知らない土地での生活に鬱々とした様子が伺えた。引きこもりがちになり、たぶん何らかの精神的な問題を抱えているのだろう。
気になり始めたのはこの頃だった。旦那くんも彼女を甘やかしているだけで、病院に連れて行くなどの具体的なサポートはしていないようだ。彼女の様子はどんどんと「生きづらい」と感じるものになっていった。家族として、もっとちゃんとサポートしてあげればいいのにと思う。
彼女は働かず、ただ辛いことを受け止めているだけ。何のために生きているのか、と傍から見ていると感じる。私もこんなことを考えるのは無駄だと思いながら、それでも毎日彼女のツイートを見てしまう。
奈良育ちで今は少し離れたところにいるが何年後かにまた奈良に戻って住もうと考えている者なんだけど、
JR奈良駅とJR大和郡山駅の間(もともと間隔広すぎとは言われていた)にとうとう新駅ができる予定で
インバウンド絡みの案件とは言え、その周辺もあわせて開発されると言う話になっていると言うのを聞いて、
少しは一緒にまともな住宅地(*1)も開発されるかも、と思って資料を漁ると、
https://www.city.nara.lg.jp/soshiki/163/65725.html
というページにあるPDF資料の17ページ目に、まさにそんな感じの住宅地エリアが予定されており、おっ、いいかも、と色めき立っていた。
しかし、2019年時点の上記資料でせっかく住宅地も一緒に整備しようと言うまっとうな意見が盛り込まれていたのに、2022年に更新された
【意見募集結果】奈良市八条・大安寺周辺地区まちづくり基本計画(案)
https://www.city.nara.lg.jp/soshiki/163/141074.html
では、住宅地予定のエリア(なお現在は田んぼ)についても駅前から繋がる商業エリアということになっていて、しかも言うに事を欠いて
・大安寺の歴史を継承し、駅とICが近接する交通結節機能や市の産業特性を活かした「知の交流拠点」となる新産業創造拠点を形成
という意味不明の文言が付与されていた。近鉄に負けているJRの新駅と30年塩漬けにして補助金を切ると脅されてようやく腰を上げた京奈和自動車道のICが
あるだけの田舎に先端技術を活用した新産業創(以下略)・・・?ブレイキングバッドの見すぎでヤクを決めている気分になって起稿したとしか思えない迷言だ。
★来訪者向けの拠点づくり
★子育て支援の充実
と、地に足のついた開発効果に期待が持てる記述が付されていた。
(最後の1つはやや意味が分かりにくいが、おそらくちゃんと道をつなげて近隣地域と面で土地活用できるようにしようという話ではなかろうか。わざわざ書かなければならないあたりが泣ける)
維新所属の市議会議員らしき人物の「JR新駅周辺の面的整備について」というページで解説がされていた。
住宅ゾーンをなくしたことは、周辺の住宅地では空家もあり、既存周辺住宅地を住宅ゾーンに見立てて、広域なエリア全体を活性化していこうとの考え方です
(なお、この議員らしき人物は、この県の担当課長(令和2年新設)とは考えが一致する、と書いているだけであり、直接なにか働きかけをした結果だとは書いていないので元凶とまではいうまい)
・・・。
解説してくれたことには感謝する。しかし、これは大愚策だとしか思えない。
周辺の住宅地がなぜ忌避されてると思っているのか!?やたらめったら不便だからだよ!見えているところに行くのに車だと大回りしなきゃいけないとか渋滞に突っ込まされるとかばっかりなの!!
せっかくまともな道路と一緒に住宅開発できそうなチャンスをつぶしてるんじゃないよ!!何だよ、新産業って!!見栄張らずにインバウンド支援と市街地の機能改善に専念しろよ!!!
*1 悲しいことではあるが、すれ違いに苦労しない道路だけが張り巡らされている住宅地、というだけで奈良市の平城宮跡より東のエリアではレアである。
表題にも入っている大安寺エリアの県道122号線からして途中ありえない狭さの場所があり、切なさを醸し出している。なおWikipediaの奈良県道122号線のページ
には「史跡大安寺旧境内~を通っているため、付近は道路拡幅が困難」と書いてあるが、Googleストリートビューで見る限りほとんどの場所は両側民家であり片側に柱跡が保存されている場所でも反対側は民家でしかない……解せぬ。
高収入でも貯金しない・結婚しない選択・結果になる人はいますし、そもそも低所得だと貯金・結婚ができないが誤りです
低所得でも1000万超える貯蓄をしている人はいますし、日本国籍は強いので日本国籍を欲している海外の人たちはそれなりにいます
根本的なことを言うと、『条件と結婚できる』と思っていることが誤りです
ガチで家や土地を残すために結婚しなきゃいけない人ですら駆け落ちするのに、そのプレッシャーが無い人が我慢できるわけないんですね
現代は結婚は自由恋愛して好きな人といっしょに暮らすがマジョリティで、好きでもなんでも無い人と生活のために暮らすのマイノリティです
インフラが死ぬのは生産拠点の没落で維持が不要になるからですよね
人がいなくなった土地はいなくなったでいいというわけではなく、だれかが管理をしないといけない
その維持管理コストが生産しないものを支える支出として停止している原子炉とか老人とかに加え増えてくるわけでこれは問題でしょう
治安についても一定年数住み続ければ与えられてしまうのなら、別の民族が勝手に占拠しつづけて所有権を持ってしまうことも管理がされていなければありえることでしょう
人口が増えると消費は増えるけどそれは経済効果が上がるだけで収入100万円で食費が30万円の生活が収入1000万円で食費が300万円になっては意味がない
流通貨幣量が10倍になるということは仕事の幅が10倍に増えるわけでいままで店頭販売だったものが店頭販売・ネット販売・転売・会員制・卸・共同購入・中古・その他、と10倍になることなんですね
どちらにせよ人口が増えてというベースがないと話にならないのですが、移民を促進すると問題があるのではというのは「イスラエルとパレスチナ①」とだけ言えばわかりますよね
移民の何が問題かというと国民として帰化しない、戸籍上とか情報の上ではしたとしても本国に送金とか同じ宗教・民族で経済循環をし始める
国の発行通貨で経済圏を築く以外に団体組織内で別の経済圏を築くことが問題になるのはかつて日本にあったやくざの問題と同じです
別個の治安、別個の法、別個の定義に別個の通貨で動く地域があったとすればスラム街とか九龍城と同じで、場所なのか組織体なのかの違いはあれど同じ事がおきます
宗教もそれをすると問題なのは解体申請が取りざたされている組織も同じです
それを回避して移民を考えるなら、本国に送金しない、組織化しない人員の取り込みです
この組織体から離れ英語が通じるのでどこでも働けるという人を枯渇していっている生産拠点に住んでもらって農業などの生産をしてもらうことを基礎に始めるのがいいかなと提案します
できることなら「日本人になる」という選択ということはどういう事かという事というか国に属するということはどういうことかわかっている人が増えてくれることが望ましいですが
日本人ですら日本に住んでる意味がわからずに国際化と言っている人もいる現状、もっとも低いラインに想定をあわせることが大事かとおもいます
もちろん村のしきたりで田舎ぐらし問題になるやつは「しきたりまもってるから現状のようになってる訳でそれを改革する」方向にしてもらうことは優先してもらいたい
人口の量が多すぎではあるという問題について一極集中で維持している現状から分散して適正の数まで平均的に調整するという計画もあわせてあるといいと思います
いかがでしょうか?
裏の一億円の土地の陋屋に3人の60歳以上の老人住んでるご家庭におしえてあげたいんだがマンションにされたらうるさいからだまっとこ
この前、あるオンラインイベントに参加して話していたときにある参加者から、その参加者が参加した別イベントに参加していたある参加者からこんな質問を受けたという話題が出た。要は又聞きの話し。
私は、自分が住んでいる市町村や身の回りの場所といった回答をした。辞書を引いても第一義とそんなにズレていないのではないか。
2 (日本、または国際社会が)独立国として承認していない領域。また、ある国の領土の一部であるが、本国とは別の体制を認められている区域、自治領、植民地などをいう。
その参加者が参加した別イベントに参加していたある参加者が言うにはこうらしい。
なるほど。地域 = 田舎に意味が変わっている?という発見に、私が参加したイベントで話題になった。また別の参加者から総務省の「地域おこし協力隊」のせいではないかという意見が出た。
地域おこし協力隊は、都市地域から過疎地域等の条件不利地域に住民票を異動し、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組です。隊員は各自治体の委嘱を受け、任期はおおむね1年から3年です。
たしかにこのこの文脈では地域を地方や過疎化している田舎と解釈してもおかしくない。別のサイトでも都市から地方へ行くことが暗黙の前提として説明されている。
現在アラフォーの既婚男性。中高一貫の男子校に通っていた時代から、男から逃げたくてたまらなかった。
最初の被害は高校1年で、当時の自分はいわゆる男子校の姫ポジだった。チヤホヤされるとまではいかないけど周りにも可愛がられて満更でもなかった。だけど、体育祭でちょっと目立ったことで1学年上の先輩に目をつけられた。相手は運動部の副キャプテンで人気者だったから、最初は仲良くなれて嬉しかった。でもこちらが心を許した途端、人が変わったみたいに攻撃的な一面を見せてきた。いわゆる性加害を彼の卒業まで受け続けた。うっすら気づいてた奴もいたと思うが、誰も助けてくれなかった。むしろホモ野郎と陰口を叩かれ死にたかった。先輩は大学ではすぐに可愛い彼女を作ったそうだし結婚もしたので、彼がゲイだったわけではない。おそらく有り余る性欲をぶつける手軽な相手が欲しかっただけなんだろう。それから俺は男同士の接触に対して極度の嫌悪感を抱くようになり罪なき同性愛者やBL作品にも憎しみが湧くのだが顔や言葉に出さないよう注意しながら分別のある大人をやっている。
大学は地元から離れ、女子の多い学部を選んだ。女を見る目がなくヒステリックなメンヘラに捕まり交際中に殴られもしたが、こいつは自分に力づくで何かを強要することはできない思うと気が楽でもあった。相手はヤバい女として有名だったので、俺が殴り返すなどしない限り俺の評判は傷つかないと確信できたのも大きいかもしれない。学校の人気者に力と権力でねじ伏せられた経験を経ると、メンヘラに別れ話を切り出した後に死んでやるとメール攻撃を受けても「じゃあ死ね」と思って無視できた。相手はある瞬間に急に俺への関心を失い、死なずに卒業した。卒業まで無視されたが周りの友人には恵まれたのでどうということもなかった。
就職後は友人のひとりとルームシェアした。俺は就職してすぐに関西に飛ばされたのだが、そいつの地元で就職しており実家には帰りたくないとのことでちょうど良かったのだ。親友とも呼べるやつだったが暮らしていくうちに横暴になり気に入らないことがあると物に当たるようになった。それがエスカレートして普通に殴られるようになった。とうとう真冬に家を追い出され、知り合いの少ない土地で行くあてもなく本気で死を考えた。恥を偲んで相談した警官にはゲイの痴話喧嘩だと思ったようでかなり適当にあしらわれた。唯一仲の良い同期が近くに住んでいたので頼った。泊めてはくれたが、「お前の同居相手ガリやん、なめんなってワンパン入れたったらええやん」と笑われた。当時の俺は鍛えてきてガタイもよかったが、暴力において重要なのは筋力ではなく相手を人間として見ない力だ。幸か不幸か俺にはそれがなかった。ずっと世話になるわけにもいかず、そろそろ彼女を連れ込みたそうだったので3日目くらいにルームシェアしている部屋に戻ったら、友人は心底心配して反省しているように見えた。もうしないと言われたが信じられなかったし早く引っ越したかったが金がなく無理だった。それから数ヶ月ビクビクしながら過ごしボーナスが出たタイミングで仕事も飛んで東京に戻った。
今はまともな妻と結婚し幸せに暮らしている。だが時々過去の暴力がフラッシュバックして辛くなる(誰も本気で助けてくれなかった苦しみなのかもしれない)。最近妻の友人が夫からDVを受けて女性用シェルターに入ったと聞いた。安心する一方、自分もあの時警察に相談してシェルターに入れば良かったのか・・・?と思って調べたが男性用のシェルターはそもそも存在しないっぽかった。女性用シェルターは当然男性入居不可なので俺の入れるシェルターはない。
漆掻きと云ったって都会の人は御存知ないかも知れませんが、山の中へ這入って行って漆の樹からうるしの汁をしぼるんです。いいえ、なかなか、百姓の片手間ではありません。ちゃんとそれを専門にする者があったんで、近頃はめったに見かけませんけれども、外国の安い漆が輸入されるようになったそうですから、いまどきあんなことをしても手間ばかりかかって引き合わないんでしょうな。兎に角以前には私わたしの村なんかへもよく漆かきが奈良あたりからやって来たもんです。漆鉋うるしかんなと云って、鎌のようなもので先の曲った奴を持って、腰に三四合ぐらい這入る竹の筒を提げて、漆を見つけると、その鉋で皮へ傷をつける。それがあんまり深く傷をつけ過ぎてもいけないし、浅過ぎてもいけないし、呼吸物なんで、その傷口から松脂まつやにのようにどろりと滲しみ出て来る汁を箆へらですくって竹の筒へ入れる。そんな時にうっかり下手なことをやって汁が顔へはねかかったりすると、それこそ赤く脹れ上りますから、馴れた者でないと出来ない仕事なんでして、漆にカブレないように紺の手甲を着けて、すっかり紺装束で出掛ける。まあそんなことをする人間なんで、私の村にもその商売の者が一人住んでいましてね。此の男は遠くへ出稼ぎをするのでなく、村の近所の山へ這入ってはうるしを採ってくらしていましたが、或る夏の日に、その漆かきが一と仕事してから山の中でひるねをしていますと、夕立ちが来たもんですからふっと眼をさましました。そしてそのときに、ハテな、己はひょっとすると寝ていた間に狐に憑つかれやしなかったかなと、そう思ったと云うんです。それが別にどうと云う理由があるんではないんですけれど、淋しい所をひとりで歩いているときなんぞに憑かれることがよくあるんで、ただ何んとなくそういう感じがしたんでしょうな。で、まあ、家へ帰ってもそれが気になって仕方がない、どうも狐がついたようだから明神さまへお参りをして来てくれろとお袋ふくろに頼んだりして、友だちなんかにもそんなことを云っていましたが、そのうちにとうとう床について、飯も食わないようになったんです。それで先生布団をかぶって半病人のようにうつらうつらしながら、日が暮れると云うと、ああ、今夜あたりは狐が迎いに来やしないかな、今にきっと来やしないかなと、心待ちに待たれるような、妙にそれが楽しみのような気持ちでいると、案の定夜になってから友達のような男が三人ばかり表へやって来て、「さあ、行いこら」「さあ、行こら」と誘うんだそうです。尤も友達と云ったって見おぼえのある男ではないんで、みんなせいが三尺か四尺ぐらいの小男で、法被はっぴを着て、木や竹の杖をついていて、何か非常に面白そうに「行いこら行こら」と云うんですが、それを聞くと行きたくって行きたくってたまらなくなるんだそうです。けれどもアレは狐だから行くんではないぞ、あんな者に誘われてはならないぞと思ってじっと我慢していると、友だち共は仕方がなしに帰ってしまう。するとその後ろ姿に尻尾しっぽのようなものがチラチラ見えるようなんで、ああやっぱり行かないでいい事をしたと、そのときはそう思いながら、又あくる日のゆうがたになると、今夜も誘いに来やしないかなと心待ちに待つようになる。そうするうちに果たしてやって来て「行こら行こら」と誘うんですが、それがもう、さも面白そうなんで、ついうかうかと行きたくなるんだそうですな。しかしその晩も一生懸命に我慢してしまったところが、三日目の晩の九時頃に、家の前に庭があって、庭の下が六尺ばかりの崖がけになっていて、崖から向うは一面に麻の畑でした。それが夏のことですから麻が高く伸びていて、ちょうどその庭と畑とが同じ平面に見える。で、その畑の方へ例の小男が三人連れ立ってやって来て、「さあ行こら」「さあ行こら」と云うんだそうです。よくよく見るとその男たちの着ている法被に何か圓い紋がついていたそうですけれども、どんな紋だったか、そこんところはハッキリ覚えていないんだそうで、いつもの通りめいめいが杖をついていて、しきりにそう云って誘うもんですから、とうとうその晩は我慢しきれなくなってしまった。それでそうっと家を抜け出ようとしたときに生憎親父が小便に起きたんで、こいつはいけないと思って、「行きたいんだけれど、親父に見付かると面倒だから己は止すよ」と云うと、「なあに己たちが一緒なら大丈夫だ、こうすれば親父に見つかりはしないから、まあ附いて来い」と云って、その三人の友達が手をつなぎ合って、輪をこしらえて、その輪の中へ丑次郎―――という名だったんですが、その漆掻きの男を入れた。そして、「さあこうすれば親父が見ても見えやしないから心配するな、附いて来い/\」と云って連れて行くんで、ちょうど便所から出て来た親父とすれちがいになったそうですけれども、成る程親父には此方の姿が見えないようなあんばいだった。それからその晩は麻の畑の中で遊んで、いろいろ御馳走をしてくれたりしただけで、明け方には無事に家へ帰してくれたそうですが、四日目の夕方は日が暮れないうちから楽しみで楽しみで、早く誘いに来てくれないかなと思っていると、やはり昨夜ゆうべと同じ刻限にやって来て「行こら、行こら」と云うんです。で、又附いて行きますと、今夜はいい所へ行こうと云って、家のじき近所にガータロのいる淵があるんですが、その淵の方へ出かけたと云います。え、ガータロですか。ガータロと云うのはあれは河童かっぱのことなんです。ぜんたい私共の村は高野山の南三里ばかりの山奥にあって、私の字あざは一方が山で一方が谷になったゆるやかな傾斜面のところどころに家がチラホラ建っている。丑次郎の家というのも山と山の間にある淋しい一軒家なんでして、前に三四枚の段々畑があって、その先が今云ったガータロのいる淵なんです。別に名前のあるような淵ではないんで、村の者はトチ淵ぶちトチ淵と云っていましたが、さあ、どう云う字を書きますかな。何しろ大滝だとか赤滝だとか云って、非常に滝の多いところでしてね、その滝壺の下流が今云った谷の底を流れていて、淵になっているのはほんのわずかなところなんですが、そこにはいつも水が真っ青に澱よどんでいて、まん中に平べったい一枚岩が出ていました。ガータロはその一枚岩の上にときどき姿を現わすことがありましたから、たしかにその淵に棲んでいたには違いないんで、見た人は大勢あるんです。ええ、ええ、私も一遍見たことがありますよ。なんでも夏の日ざかりに山の上を通っていると、下の方にその淵が見えて、岩の上に変な奴がすわっているんで、「ああ、ガータロが出ているな」と思ったことがありました。さあ、そうですな、遠くから見たんだからよくは分りませんでしたけれど、人間よりは小さかったようで、まあ猿ぐらいでしょうかな。姿も猿に似かよっていて、ただ斯う、頭の上に妙な白いものが喰っ着いているんで、鳥打帽子を被っているように見えましたよ。ええ、ええ、よく人間に害をする奴なんで、私の知っている人でも、ガータロに見込まれて水の中へ引きずり込まれそうになったり、ほんとうに引きずり込まれて死んでしまったのもあるんです。これは餘談になりますが、その谷川の別なところに丸木橋がかかっていましてね。或る私の友人が夕方その橋をわたろうとすると、うっかり足を蹈み外して、水の中へ片足をついたのが、岸の方の浅瀬だったんですけれど、その片足を抜こうとしても水が粘ねばり着くようになって、どうしても抜けない。しきりに抜こうともがいているうちに、次第にずるずると深みへ引っ張られそうになるんで、ハテな、ガータロに見込まれると水が粘ると云う話だが、こりゃあガータロの仕業しわざだなと気が付いたんです。ところでガータロと云う奴は鉄気かなけを嫌うもんですから、そう云う時には、何んでも構わない、鉄気のものを水の中へ投げさえすれば助かるんで、ふっとそのことを思い出して、幸い腰にさしていた鎌を川の中へ投げた。そうしたら難なくすっと足が抜けたんで、真っ青になって帰って来て、実はたった今此れ此れだったと私共に話したことがありました。もうよっぽどの歳ですけれども、未だに達者な人でして、至って正直な、うそを云うような人間ではありませんから、事実そんな目に遇ったに違いないんですな。しかし此の男はそう云う訳で命を取りとめましたけれども、もう一人今のトチ淵へ篏はまって死んだ者がありました。十四五になる可愛いい女の児でしたがね。なんでも同じ村の餘所よその家へ子守りに雇われていて、めったとひとりで遊びに出るようなことはなかったのに、その日に限って、赤ん坊の寝ている間に出て行って、二三人の友達と一緒にその淵の所で鮎を釣っていたと云うんです。それが、おかしいのは、淵によどんでいる水が、ほんの一間ばかりの間岩の下をくぐって、すぐその先の方へ行くと滝のようになって流れ落ちているんですが、その女の児は淵と早瀬との境目にある岩の上にしゃがんで、瀬の方で釣ればいいものを、淵の方を向いて釣っていた。すると、友達の女の児もみんな同じ所で釣っていたのに、どう云うものか外の者には一向釣れないで、その女の児の鈎はりにばかり魚がかかる。外の女の児たちは詰まらないもんですから、此処は止そうよ、何処か別の所へ行こうよと云うんですけれども、その女の児だけは面白いように釣れるんで、夢中になっていつ迄も釣っている。そのうちにだんだん日が暮れて来ましたが、もうおそいから帰ろうと云っても聴き入れないんで、外の者はその児を置き去りにして帰ってしまった。さあそうすると、晩になっても姿が見えないもんですから、主人の家では心配をして、親元の方を尋ねさせると、其方そっちへも来ていないと云うんで、大騒ぎになって、いろいろ心あたりを調べると、実は晝間これこれだったと云う。外の児たちは云えば叱られると思ったんで、聞かれる迄黙っていたんですな。で、早速みんながその淵のところへ行って見ると、ちゃんと下駄が脱いであるんで、いよいよガータロに見込まれたんだと云うことになって、それから泳ぎの達者な者が体へ綱をつけましてね、ガータロが出たら合図をするから、そうしたら綱を引っ張って貰うように頼んで置いて、淵の底へもぐって行って、屍骸を引き上げたことがありましたよ。兎に角その女の児が鈎を垂れると、ほら釣れた、ほら釣れたと云うようにいくらでも釣れるんで、外の鈎にはちっとも寄って来なかったと云うんですから、そこが不思議なんですよ。あ、そう、そう、そう云えば、その前の日に、その女の児の親たちの家の屋根の上からその淵の方へ虹がかかっているのを、たしかに見た者があると云います。虹がそんなに近いところにある筈のものではないのに、ちょうどその家の上から出ているんで、何かあの家に変ったことでもあるんではないかと思っていたら、その明くる日にそう云うことがあったんだそうです。でまあ、そのガータロのいる淵の方へその漆かきは連れて行かれた訳なんですが、なぜだか知れないが死のうと云うことを考えて、今夜は一つあの淵へ身を投げてやろうと思いながら附いて行くと、大勢の人が提灯をつけて淵の方へぞろぞろやって来るんだそうです。それで暫く物蔭に隠れて窺がっていると、村長さんだの、伯父さんだの、伯母さんだの、親類の誰彼なんぞの顔が見えるんで、中にはもう死んでしまった人なんぞが交っているもんですから、おかしいなあ、あの伯父さんは死んだ筈なのにまだ生きていたのかなあと、そんなことを考えながら待っていましたけれど、提灯の数が追い追いたくさんになって来て淵のまわりをウロウロしている。この様子じゃあとても駄目だと思ったんで、「どうも死ぬのに都合が悪いから、今夜はもう帰る」というと、「そんならもっと面白い所へ連れて行ってやるから、まあ一緒に来い」と云って、棕櫚山の方へ引っ張って行った。その辺はいったいに棕櫚が多いんでして、大概の山には、高いのになると三間ぐらい、普通二間ぐらいの棕櫚と、一丈ぐらいの薄のような草が生い茂っているんですが、その茂みの中を分けて行ったら、山の中途に大きな岩が突き出ていて、友達の連中はその岩の上へするすると身軽に登った。だが見たところ丑次郎には登れそうもないので、「己はそんな高い所へ上あがれないから止める」というと、「なあに己たちが手伝ってやるから大丈夫だよ、上って見ろ/\」と云って、三人の小男が上から引っ張ったり下から腰を押し上げたりした。お蔭でどうやら上れることは上れたけれども、上る拍子に脛を擦り剥いたんで、今度はそれが痛くってたまらない。「痛い痛い」と云うと、「よし、よし、つばきを附ければすぐに直る」と云って、つばきを附けてくれたらじきに痛みが止まった。すると又咽喉が渇かわいて来たんで、「水が飲みたい」と云うと、「じゃ、まあ、ここで休もう」と云って、道ばたに休んで、何処から持って来たのだか直ぐに水を飲ましてくれたが、なんだかその水が小便臭かったそうです。で、その山を越えると、私の家の方へ下りて来ることになるんで、ああ、そうだったな、此処はもう鈴木さんの家の近所だなと、はっとそのときに気が付いたらしくって、「もう己は帰る」と云い出したところが、「まあいいからもう少し遊ぼう」と云って、しきりに引っ張って行くんだそうです。それでも無理に帰ると云って、とうとう振り切って来たそうですが、その晩も、その前の晩も、家に戻ったのは夜中の三時ごろだったそうで、いつも夜の明ける迄には必ず帰してくれたと云います。さて五日目の晩に待っていると、又「行こら行こら」と云いながらやって来て、今夜は伊勢へ連れて行ってやると云う話で、伊勢の松坂へ出かけて、何んとか云う料理屋の二階へ上ると、たいそう結構な朱塗りの高脚たかあしのお膳が出て、立派なお座敷で御馳走をたべた。それから街道を歩いて行ったら、此処はカノマツバラだと云うんで、見ると成る程松原がある。けれども、その時に斯う、ぼんやりと分ったのは、私の村から有田郡ありたぐんの方へ抜ける山路にヤカンダニと云う谷があって、めったに人の通らない淋しい所なんですが、そこをその漆掻きは前に一遍あるいたことがある。で、そう云う時にもいくらかその記憶が残っていたものと見えて、カノマツバラだと云うけれども、どうも此処はヤカンダニのようだから、「ヤカンダニじゃあないか」と云うと、「なんだ、お前はヤカンダニを知っていたのか。ではもっと外の所へ行こう」と云って、又方々を歩き廻って、「さあ、どうだ、此処がカノマツバラだ」と云われて見ると、今度は覚えのない土地で、松がずうっと生えていて、たしかに松原の景色になっている。しかしそう云う間にもときどき正気に復かえるらしく、己は狐に欺されているんだと云う考えがふいと起ることがあって、三人の小男の様子なども、人間の姿をしているように思えながら、どうかした拍子に尻尾が見える。はっきり見えるんではなしに、チラチラと斯う、見えたり見えなかったりするような工合なんですな。要するにまあその時分からそろそろ意識が回復して来たんで、ヤカンダニを通ってからも暫く何処か無茶苦茶に引っ張り廻されていたようですが、そのうちに、村にイカキ山と云って、笊いかきのような恰好をした山があるんで、そこを通った時は、此処はイカキ山だなと云うことが分ったと云います。しかしその山は松だの欅けやきだのいろいろな雑木ぞうきが生えている密林なんでして、その林のなかをぐる/\歩いているうちに、木に引っかかって、フンドシが解けた。で、「まあ、待ってくれ、フンドシが解けたから」と云うと、「そんなものは構わないから放って置け、ぐずぐずしていると夜が明けるから急がなくっちゃいけない」と云って引っ張って行くんで、「もう己は帰る」と云うと、「帰らないでもいいよ。それより何所か寝る所があったら、みんなで一緒に寝ようじゃないか」と云うんだそうです。するともう夜がしらみかかって来たもんですから、その漆かきも今更家うちへ帰りにくくなってしまって、私の家いえの近所にある阿弥陀堂の方へ行った。と云うのは、その阿弥陀堂なら四人で寝るのにちょうど都合がいい場所なので、そこへみんなを連れて行って寝ようという考えが、ちゃんとそのときに頭にあったらしいんですな。それで阿弥陀堂へ行くのには、私の家と隣りの家との間を通らなければならないんですが、隣りの家の庭に古い大きな柿の木があって、それが往来の方へ枝を出していた、その木の下を通った時分に、「ああ、此処は鈴木の家の側だから、もうすぐ其処が阿弥陀堂だ」と思ったそうです。その阿弥陀堂は草葺きのお堂なんでして、うしろの方に四尺に一間ぐらいな裏堂が附いていて、その中に村のお祭りや盆踊りなんぞに使う提灯だの行燈だの莚だのが置いてあったんですが、その莚のことを覚えていて、あの裏堂で寝ようというつもりだった。ところがそこへ這入るのには屋根からでないと這入れない。今も云う通りいろいろな物が入れてあったもんですから、子供なんぞがいたずらをしないように、扉を中から締めてしまって、屋根裏から出入りするようにしてあったんで、そのこともちゃんと覚えていて、屋根裏へ上った。尤もその時に矢張り小男の連中が上から引っ張ったり下から押し上げたりしてくれたそうで、上って見ると、そこに二尺ぐらいの幅の厚い欅の板が渡してある。これはお堂の中の品物を出し入れする時の足場に作ってあったんで、その板に腰かけて莚の上へ飛び降りる料簡だったんですが、小男共は、「此処がいい、/\」と云って、草葺きですから、庇ひさしの裏の方から上ると、竹を編んだ屋根の土台が見える、その竹の棒に掴まって屋根の草の中へ体を突っ込んで、「此方へ来い、/\」と云うんだそうです。成る程その連中はみんなせいが低いんだから巧く草の中へもぐり込めますけれども、丑次郎には這入れる訳がないんで、「己は体が大きいから駄目だ、そんな所へ這入ったら足が出てしまう」と云うと、「まあ試しに這入って見ろ」と云うんで、這入って寝てみたら案の定足が出てしまった。「ほれ御覧、こんなに足が出たじゃないか」と云ったら、「では仕方がないから中へ這入ろう」と云うことになって、さっきの屋根裏からでなく、別な所へ穴をあけて、その穴から、一人ずつ莚の上へ飛び降りて、裏堂の中の狭い場所へ四人が並んで寝た。それから少しとろとろとしたと思うと、お堂のうしろの板が三寸四方ぐらい切り取ってある、それは以前に、泥坊が内部にしまってあるものを覗のぞこうとしてそんな穴を拵えたことがあるんで、もうすっかり夜が明けたらしく、そこから朝日がさし込んでいる。と、やがて表が騒々しくなったんで、その穴へ眼をつけて見ると、村の子供たちがお堂の前で遊んでいるので、ガヤガヤ/\云っていてとても眠れない。「どうもあの子供たちがうるさいな」と云うと、「よし、よし、己が彼奴等あいつらを追っ拂って来てやる」と云って、一人の小男が外へ出て行った様子でしたが、どんなことをしたのか知れませんけれども、兎に角その男が行ったら子供たちはいなくなってしまった。それでようよう落着いて寝ようとすると、生憎とまた小便が出たくなったんで、「一寸小便をして来る」と云ったら、「いや、出てはいけない、出てはいけない」と云って、一生懸命に止める。「出ると掴つかまるから出てはいけない。小便がしたければ此の中でしろ。さあ、己達も此処でするぞ」と云って、三人とも寝ながら小便をしてみせるんですが、丑次郎にはどうしてもそこでする気になれない。もう出たくってたまらなくなって来たんで、とうとう又その屋根の穴からお堂の外へ降りたところが、遠くに私が立っていて自分の方を見ているので、「あ、鈴木さんに見られたな」と、その時はっきりとそう感じた。そして私が近寄って行く間に、三人の小男どもは慌あわてて逃げ出してしまったのだそうです。
さあ、そうでしたね、掴まえたのは朝の九時頃でしたかね。何しろ丑次郎がいないと云うので、村では捜索隊を作って山狩りを始めていたんです。それが明神様のお告げでは丑寅うしとらの方の山手にいると云う訳なので、一間置きぐらいに人が立って、八方から山を囲んで登って行こうとしていました。私もその捜索隊に加わっていたのですが、みんな鎌だの鉈なただのを持っているのに、私は素手すでだったもんですからすこし気味が悪くなって、もう山へ登りかかっていたんですけれども、ちょっと家へ行って来ると云って、それを取りに戻って来た時に丑次郎がお堂の縁に立っているのを見たんです。なんでも斯う、縄の帯をしめて、両手をうしろへ廻して、前の晩に雨が降ったんで裾の方がびっしょり濡れた着物を着て立っていましたがね。「丑じゃないか」と云って、此方こっちも恐恐こわごわ声をかけながら近寄って行くと、急いでお堂の中へ逃げ込もうとするので、掴まえようとしたところが、えらい力で抵抗してなかなか云うことを聴きませんでしたよ。そのうちに大勢駈け付けて来て、やっとのことで押さえつけて家へ引っ張って行ったんですが、家の閾しきいを跨ぐまでは可なり元気に歩きましたね。それからそっと寝かしつけておいて、行者を呼んで御祈祷して貰ったら、一週間ぐらいですっかり正気に復かえりました。尤もっともその前から少しずつ意識が戻って来て、己はこんな目に遇ったとか、何処そこへ連れて行かれたとか、欺されていた間のことをぽつぽつしゃべり出しましたがね。ええ、そうなんです、今申し上げた話と云うのは、その時私がその本人から聞いたんですよ。後で念のためにお堂のところへ行ってみましたが、成る程屋根に大穴が開いているし、中には小便が垂れ流してあって、臭いと云ったらありませんでした。当人も、「そうそう、己はあの棕櫚山を上る時に怪我をした筈だが」と云って、脚を出して見ると、たしかに皮が擦り剥けている。フンドシの解けたのなんぞも、よっぽどたってからイカキ山へ芝刈りに行った女が、木の枝に引っかかっているのを見つけて、ひどく恐がって逃げて来たことがありました。その外何処でこういうことがあったと云う所を調べてみると、大体その地点に證拠が残っていたんですから、それを考えても出鱈目じゃあないんですな。縄の帯をしていたのも、歩いているうちに帯が解けたんで、無意識ながら縄を拾って締めたんでしょうな。そののちその男は一年ぐらい多少ぼんやりしていましたが、今でも酔っ拂った時なんかに、「狐つきの話をしろ」と云うと、笑いながら話し出すんです。