はてなキーワード: プラスマイナスとは
死刑囚っていつ執行されるか分からんけどさー、今の制度だと結構長めに生きるじゃん、
そこまで行くと、下手すると刑務所の外で交通事故や病気で死亡する確率とほぼ同じぐらいになると思うんだよ。
でさ、あーいう囚人の暮らしって視点を変えるとある意味洗練された文化人の生き方だと思うんだよ。明治の文豪みたいな。
俺は大金もっても、豪遊や贅沢よりは
増えた余暇時間で清貧心がけて創作活動していたい性格なので、ある意味生活に不自由なく1人の時間に没頭できる状態は理想なのね。
今は勿論普通のサラリーマンだからそういう暮らしに憧れてるだけなんだけど(※刑務所に入りたいって意味じゃないからな 笑)、出来ること出来ないことでプラスマイナスすると結局は死刑囚とそんな差は無いかなという感覚。
いろんな話を読んだうえでの私の理解をまとめました。私は
を書いた者で、それへの反応(消えていました…)と
あたり、それからその周辺の話題とwikipediaを読んだくらいなので、おかしい点は指摘してください。
この二つの柱の間を言ったり来たりすることで、すべての批判をかわしているような錯覚を得ることができる。ということなのだと思います。
→期待値は常にマイナス。+∞はないけど-∞はあるし。プラスになる可能性があるよりもマイナスがないことのほうが重要。
→それは価値観しだいだよね。その価値観でいけば生きてる人もすぐ死んだほうがいいじゃん。今すぐ死ねよ。
→期待値とか言い出すバカ。そういうことを言ってるんじゃない。プラスマイナスに関わらず →柱2へ
→当人にとってブラスかは我々には判断できない。だがどう考えても →柱1
こんな感じ。一つ一つに反論できることと、全体があっているかは別問題ではないでしょうか。
やはり人間は深いネストのコールバックを理解できるようにはなっていない!(関係ない感想)
ちなみにこの話は暗黙の前提として、生まれれば後に苦痛や幸福を受けることになり。生まれなければ何も起こらないが何らかの価値観を持つ存在があると仮定しています。
反出生主義の人は無意識のうちにそのようにしているのではないかと思います。
そうでなければ、無は無ですよ。というだけで話が終わってしまうので…
三児の父ですが概ね同意です。俺達は雰囲気で子作りをしている。
お互い新しい価値観を受け入れることを恐れずに建設的にお話ができるなら、いくつかご質問が
「幸せになる可能性がある」より「苦痛を感じる可能性がない」方が良いのは明白です。「マイナスは確実にあるが、もしかしたらプラスもある」より「確実にマイナスはない」のほうが合理的です。
ここをもう少し詳しく。「明白です。」「合理的です。」の根拠がないように見えます。
幸福や苦痛をプラスマイナスで捉えることができるならば、期待値プラスの際に生むことが正当化できませんか?
とを比較していますが、非存在について語ることは不可能なのでは?
生まれていないものには意思も人格もない、とかそういうスピリチュアルな話ではなくて、
存在でないものには幸福も苦痛も存在しないという状態すら存在しないので比較することはできないでしょう、という話です。
死の苦痛をかなり大きく見積もっておられるようですが、論理的に考えれば死を経験した人は存在しないので苦痛かどうかはわからないのでは?
快楽原則を根拠に、遺伝子が死を憎むから本能的に恐怖、苦痛を感じるのだ。という話になると本能的に(=論理的でなく)死を忌避する姿勢を容認するということになります。
そんな明確には決まってないが、プラスマイナス2歳〜3歳くらいだな。
そうそう。こういう「なんでそれ言っちゃうの」っていうのは男女ともにありえるんですよね。でもそれで関係性が壊れちゃうのは残念、というね。
あと男性観点だと「子どもができて幸せ」ってイメージしにくいんですよね。 私も子ども2人いるんですが、幸せが増えたか?ってーとビミョー。プラスマイナス、ゼロかな。私は嫁さんともっとイチャイチャしたいなー。嫁ラブ。
増田だと男女の話題って多いじゃないですか。なので男女の幸福度について調べてみたりもしたんですが、子どもが増えることによって男性の幸福度が上がる、というのはあまり見ないのです。
逆に女性観点だと子どもが増えることによって幸福度が上がる、というのはちらほら見かけます(産後クライシス、みたいな話がある一方で不思議なんですが)
まとめ:
クソ要素が強すぎるアニメはそれはそれで面白い→人間の脳はマイナス方向の刺激を反転させてプラス方向に解釈できるのでは?
面白い部分とクソな部分がはっきり切り分けにくい作品だとプラスマイナスの反転部分を見出しにくくて見づらい。
つまり→視聴者に優しいアニメとは「プラス方向、マイナス方向、それらのエネルギーの流れが安定していて、どういう回路を脳内に組み上げて視聴すればいいのかが分かりやすいアニメ」なのではなかろうか?
思いっきりクソな要素は笑える。
面白い部分もあるけど、駄目な所は本当に駄目なアニメは面白さとクソさの混ざり具合で評価が大きく変わる。
面白い部分とつまらない部分が切り分けやすい作品だと(脚本はいいが作画は崩壊している等)、面白い部分はそのまま楽しんで、つまらない部分はギャグとして楽しめる。
面白さとクソさが複雑に混ざり合っていて切り分けが難しいと、プラマイが打ち消し合って楽しめない。
つまり理想的には、強烈に面白いアニメ、強烈に酷いアニメのどちらかに触れているのが視聴者に愛されるアニメとなるのだ。
さて、ここで疑問点が生まれる。
面白さの波は小さいがクソな部分が少ないアニメはそれはそれで面白く人気があるのは何故なのか。
とにかく揺れ幅が大きいほど良いのなら、プラスにもマイナスにも幅が小さい作品はどうなるのか、である。
それは、アニメ視聴用の脳回路は整流回路だけでなく増幅回路も備えているからだ。
小さな波が続くのならば、それを増幅してやればいい。
まったりとしたアニメを見る時はそのまったりに心の有り様を合わせればいい。
そしてそこに、まったりアニメで鬱展開が嫌悪される理由がある。
もし心を繊細に緩やかにしてやってくる刺激を増幅している時に鬱展開が唐突にやって来ればどうなるか。
わずかなプラスの揺らぎを感じるために調整した脳に、強烈な負の揺らぎが飛び込んでくるのである。
出社の時間が近づいてきたので急いで結論をまとめる(増田にも下書き機能があればいいのに)。
視聴者に良い(優しい)アニメとは「プラス方向、マイナス方向、それらのエネルギーの流れが安定していて、どういう回路を脳内に組み上げて視聴すればいいのかが分かりやすいアニメ」なのではなかろうか。
だが、前もって予告されていたのならば視聴者は頭の中にその為の回路を用意し、もしも作品の流れが急変したらそちらにすぐ切り替えるための回路も用意できる。
たとえばまどか☆マギカは初期から不穏な空気が流れていたし、けものフレンズはセルリアンとの戦いを何度も繰り返していた。
これらのアニメは一見玄人向けに見えて、実際はかなりマイルドでユーザーフレンドリーなのだ。
では、ユーザーに優しくないアニメとはどんな作品なのだろうか?
それを口にするといわゆる「アンチと信者の聖戦」が始まるので今回はそこには触れないでおこう。
おわり
父が生後1週間の娘に言った言葉。
昔から皮肉屋だった父だけど私が産んだ孫娘には目尻を下げっぱなしで、この言葉もきっと照れ隠しで出てきたものなんだと思う。私は父にそんな言葉を掛けられることにすっかり慣れていて、そういうときいつもそうするように「まあね、そうなんだよねー」とその場では笑って流してしまった。
夜になってその日の父との会話を思い出すと、なんだか娘に呪いを掛けられたようで無性に悲しくなった。何より私がその場で否定しなかったことを、娘に対して悪いことをしてしまったと感じて後悔した。
それからしばらく、母乳を飲んだあとにふにゃふにゃとぐずったりうとうとしたりしている娘を眺めた。私はあまり子供好きなタイプではないから子供が生まれたらちゃんと可愛がれるのかと周囲に心配されていたようだけど、自分でも驚くくらいに子供が可愛くて仕方ない。この子は、いや、全ての子供は大切にされるべきものなんだと思うようになった。
小さな頃から私が父の照れ隠しの冗談で何度も何度も浴びせられた「将来どうせクソババアになるんだ」とか「美人でもないのにお洒落をしても仕方がない」とか「お前のオムツを替えさせられたときは割れ目の中にまでびっしりクソが詰まっていて参った」とかの台詞に腹が立ったことは沢山あったんだけど、父を不機嫌にさせないように笑って流してきた。
それがやっぱり流せていなかったみたいで、娘の顔を見ていたら、かつてはこの子のようだったはずの子供の頃の自分がかわいそうに思えてきて悲しくて思い切り泣いた。泣いてから、でもあの言葉は受け入れなくてもよかったんだなって思って、私は40歳になってもクソババアにならなくていいんだし、美人じゃないけどお洒落も楽しんでいいんだし、自分に落ち度がない失態は恥じることないんだなってやっと納得がいった。これからもっともっと楽しく暮らせそう。
子供を産んでよかったなあ。
それから、次に父の失礼な冗談が娘に向けられたら私がすぐに否定してあげようと思う。父が不機嫌になったって別にいいんだ。
うまくまとめられなかったので少し補足すると、父は毒親というほどの毒親ではないけど皮肉屋で不機嫌になりやすい人。
母は優しい人だけど父の機嫌を損ねることを恐れていて、父には強くものを言うことはなかった。
私はひねくれながらも楽しく暮らせる大人になれたけど、自分のことは何かみっともない存在だとしか思えなくて、子供を産むことについても私なんかの血を受け継ぐなんてかわいそうなんじゃないかと悩みまくって、でももう半分が夫の血なら、プラスマイナスゼロくらいにはなるかなって思って産むことにしました。夫は優しくて最高の人です。
10年以上様々な地下アイドルを推しているオッサンなので不覚にも涙腺にキた。現在アイドルと呼ばれている子も卒業した子も膨大な数なので、元増田がまさか私が過去に推していた子ではあるまいとは思うが、もしかしたら見たことぐらいは有るかもしれない。いや、推していたどの子にも「今普通に幸せだ」と言ってほしいと言う希望的観測だ。
今更説明するまでも無いことだが、地下アイドルと呼ばれるような売れていないアイドルたちは、現役時代も引退後も闇が深い。リスカ、メンヘラ、枕は当たり前で、突然消えたと思ったら、しばらくして2ちゃんねるに「どこどこのデリヘルでヤれる」と書き込まれる。アイドル本人が勿論一番大変なのだが、我々ファンにも闇に疲れてファン活動を辞めてしまう者が多々現れる。あるいは、常に新しい地下アイドルを追い続けて、消えた子のことは考えないようにするしか無い。
書かれている通り、「〇〇さんみたいな女優さんになりたい」「△△さんみたいなシンガーソングライターになりたい」と言うアイドルは割と存在する。しかし今のところ、自分が推しているアイドルがそういったステップアップの夢を叶えたのは見たことが無い。大人に騙されていると感じることは多々ある。実際のところは知らないが、事務所に所属していても、ボイストレーニングやダンスや演技のレッスンには多額のレッスン料がかかり、アイドルとして活動すれば割安で受けられるという話も聞く。叶わない夢を人質にとって、アイドルとして搾取している面は否定できないだろう。
元増田が現在幸せであるのは、勿論本人の意思や判断力ゆえだが、周囲の大人に恵まれていたのではと想像する。アイドルが売れるか否かも、壊れるか否かも、運次第の部分が非常に大きい。
ブクマコメントを見れば、淡々とした文章からでも元増田の人柄というか、内に秘めた輝くものが琴線に触れている人が何人かいる。こういった、普通の女の子なんだが、少しだけキラリとしたものを感じさせて、どことなくイイなぁと応援したい気持ちにさせるのが、アイドルと言う生き物なのだ。その輝きを見たくて追い続けているのに、彼女たちの夢は叶わずどこにも行けず、不幸になるだけだとしたら、一体自分は何のために応援しているのだろう。
売れないアイドルをやっていたことが、プラスになってほしいとまでは言わない。せめて元増田のように、全てのアイドルが卒業後にプラスマイナスゼロで新しい人生を送ってほしいと心から願う。
そのため、普通の人が考える「プラスマイナス0の状態」からの節約談義は実現できない。自転車操業だ。
また、貧困者は我慢ができない。我慢が効かないというわけではない。人並み以上の我慢はしている。金がないから当たり前だ。
しかし貧困者は将来の見通しが立たないことが多く、我慢をすることで得られる対価をイメージできない。
ダイエット中、一ヶ月間で体重が減らない人間が食欲を抑えられるわけがなく、貧困というのは、年単位でその状態が続く。
3つめに、社会には「普通を外れないように」「維持すればお得」というベクトルの効力はあるが、普通を外れた人間にはほぼ意味のない継続負担を強いるものが多い。
これらは大抵の場合支払うことができず、負債となって貧困者にのしかかる。
そのため貧困者は上記の状態に陥り、どんどんリカバリーが難しくなる。
催促も頻繁に起こるようになり、インターホンや葉書、封筒が恐ろしくなる。
ストレスに耐えられなくなり、思考を停止してしまう。これが鈍する理由になる。
これらの要因が重なり、金銭的にも心身にも余裕が無いため
普通の人間が普通に判断する改善方法を教えられても実行することができない。
つまり、まとめて買った食材の代金を日割りしてカップラーメンと同等の値段ならもっとマシなものが食べられるなどと諭しても
まとめて買う金も用意できなきゃ食材ロスをゼロにすることもできないため実行できないのだ。
ちなみに私の例を挙げると、月9万円の収入で賃貸の最低限の生活を維持し、50万円の借金と数年分の保険料と税金の滞納(税金は強制徴収があるので半年に一度くらい精算されるが、その分借金がふえる)
というのを5年ほど続けた。
金麦の方が突っ込まれてる金額が多いのかそれとも頂が完全にスベったのか金麦の方が知名度ある
数字で言えば2007年7月の全く下品ではない檀れいのCMの方がずっと成功してた
今年の夏に関してはデータの通りお察しな結果。炎上させても金麦の方が上でした
っていうかウェブ上では金麦がプレモルとかスーパードライよりネームバリューあるのは感心した。ウェブ検索する層とマッチしてるからか
それを差し引いても2007年はすごい。ここまで流行らせるのはかなり金つぎ込んでる
どの商品にどれだけかけたかまで情報なかったから、予算が原因で炎上マーケティングに手を染めたのかどうかまでは分析できなかった
炎上させてどれだけ企業にとってプラスマイナスあるのかは分からないけど、金麦のCM観て女性のターゲット取り込んでこの結果なのと、頂で真逆の結果になるのは分かるし、まともな想像力のある人間なら最終的な結果は当然分かると思う
すさまじい叩かれぶりに驚いた。
kamayan1980:「『許されてはいけない表現はある』ねえよ、(略)」
ってほんとにそうか?
少女を騙して暴行を加える漫画は同人界隈では自由に描かれてしかるべきか?
漫画アニメに限らないだろ、という意見には同意しておくとしても
だって語彙に、思考のクセに、脳内モノローグに、影響を及ぼしつくしてる。
大好きなセリフが、目に浮かぶ情景が、頭で鳴りつづけるアニソンが、各人の性格形成に影響無いはずないだろう。
もしかして: と頭の中の言葉はグーグルの予測変換のように連想されて、
俺の場合の多くは漫画アニメから抽出される。思考の大部分を占めている。
体は?と聞かれたら「剣できている。血潮は鉄で心は硝子」だし
明日って?と聞かれたら「いまさ!」なんだよ。
なぜ助けた?って聞かれたときに「さあな そこんとこだがおれにもようわからん」って答える準備はバッチリだし
世話かけるな って言われて「いいよ」って返すのを待ち望んでいるんだよ。
勇気の出し方、
あげちゃってもいいと考えること、
ほんとのピンチには逃げること、
納得をすべてに優先すること
運命との決着のつけ方
もうだれも恨まなくていいこと
嫌なことあっても元気でいいこと
何者にもなれないこと
泥なんてなんだいってこと
飛べない翼に意味があること
世界を、自分さえも変えてしまいそうな瞬間はいつもすぐそばにあること
いくらでも思いつくし、ちょっとしたきっかけがあれば頭の中で音と色を伴って再生される。
浸って味わって、助けられ打ちのめされ勇気づけられてきた。
そういうプラスマイナスそれぞれの作用があること自体を否定はしないだろ?
言いたいのは、フィクション作品が現実に及ぼす影響は当然あるのに、抑制は本当に必要ないのか?ということ。
そこを見て見ぬふりして既存の文脈に乗っかるだけで表現の自由だけ叫ぶのは果たして正しいのか、とも。
少なくとも俺は、少女を誘拐して暴行するような様子を描いて追体験できる作品なんて、フィクションノンフィクション問わず、いかな魅力と興奮を伴う作品だとしても、ことごとく無くなっちまえばいいと思うんだよ。
それが実際には難しい問題だとしても、責任を負うことなく好き勝手に自由に描かれて流通していいものじゃないだろ。何かブレーキが必要という意見を支持するぞ。
だって多感な時期に出会う創作物に性的趣向が影響受けまくることに、各々自覚がないわけじゃないだろ?
追記:コメント返信。最速トップブコメに敬意を。他の皆様は→anond:20170615211337
whkr : 世の中の大半の人間は、創作で気分に変調をきたしても、いざ犯罪行為に及ぶ前に理性でブレーキをかけるものなのだが、そういうのに自信がない増田のような人間の責任を、表現者が負わなければならないのだろうか?
→そうそう俺の理性は危ういんだよ。そして貴方の理性も常時万全とは限らない。表現者が犯罪者の責任を負うことは俺も望まないが、「この作品が世に出てどんな影響があるか?」と想像してときに自主規制するくらいはするべきなんじゃないか。それは今十分?
正確には愛したいとか一緒に居たいとかなんだけど、恋愛というには恋愛の定義が曖昧すぎるから、少なくとも法律では一緒です、という表明として結婚したい。
面白味のない名字だから結婚したら名字を変えなきゃなので、色々面倒だけど、それでも表明したいという気持ちが先に来る。
どこに表明するかは知らない。
それで、なんでそんな気持ちがあるのかと、結婚のメリットについて書いてた増田を読みながら考えてたのだけど、それは私が半端であるという意識によるものだと思う。
なんというか、どちらでもない人には申し訳ないけど、人は殆どが、ちんちんあるのと、まんまんあるのとに別れて生まれてくるわけで。
細胞ちぎったら新しいのが生まれるとか、出会ってじゃんけんして負けた方が男になるとか、そういうのでも良いのに、そうじゃない。
私がおこがましくも好きになる相手は単純に雄と雌との関係じゃなくて、なんというか、もっと根源的に陰陽とかプラスマイナスぐらい反発しあう習性を持ってる。ひとつで完全無欠に永遠であるものなどこの世にはない。だからこうやってぐちゃぐちゃに生まれてきたんならオルファンだってそうだろ!自分の反対にあるものと戦って探しているものがあるだろ!ビープレートとかもうひとりのオルファンとかさ!オーガニックで有機的なものが一つのものであるわけはないのに!
結局半端もんの私は恐らく戻りたいのだ半端でなかった生まれ来る前に。で、それは恐らく私一人ではどうにもならない。じゃあ二人でどうにかなるかというとそれも難しい。たぶんもっと必要だ。でも現行の法制度では二人以上は養子とかになってしまうので現実を生きる私たちにとって二人が限界。だから補完しあえるひとと結ばれたい。すくなくとも私はね。
でもって実は、結婚以外でこういう気持ちのはらしかたを知っている。それは海だとか山だとかあるいは空気でも構わないけど、オーガニックで有機的な体積の大きなものと一体になっているように思い込むのだ。
オーガニックで有機的なものはひとつじゃないけど、体積の大きいものは小さいものにくらべて、ひとつに近い、と思われる。だから、海とか山とか空気とかとひとつになったつもりでいれば、他者に頼ることなく半端でなくなった、気がする。
でもそれは嘘なんだから私がオーガニックで有機的である以上、そして半端もんだという自意識がある以上、誰かと一緒にという気持ちは出てきてしまうし年々大きくなっていく。海のキャパを越え始めてる。
だから私は結婚したいのだし、難しいのは承知のうえで、いろいろ変えようと思ってるし、でもそれは非モテをやめるとかでなくて、非モテの私と補完し会う相手を求めてこうと、つまり、ああ
こりゃモテないな。
たとえば風呂に入るとき、夫は椅子やシャワー、ナイロンタオルといった配置を元の位置に戻していく
そこが片付いていた場合は片付いた状態に、散らかっていたら散らかっていた状態に「戻して」その場を立ち去るクセが、夫にはある
いつぞやの地震でバスチェアの上に置いてあった洗面器が転がり落ちたことがあったのだが(落下音が浴室からリビングへと響いてきたので分かった)、その後に入浴した夫は、わざわざ洗面器を浴室の隅の床に伏せた状態にして風呂からあがっていた
長年のそういった習慣のせいなのかは不明だが、夫の体臭は皆無と言ってよいほど薄く、寝息も殆ど聞こえないくらいに小さい
そのため、夫が隣に寝ているのにも関わらず、一人暮らしだった頃と錯覚して思わぬ独り言を呟いたり、「のび」や寝返りで夫にチョップやエルボーを食らわせてしまう事がある(それに関して夫は、単に私の寝相が悪いだけだと考えているようだ)
生活する上では「勝手に散らかされる、勝手に物を動かされる、相談もせず高価な物を買ってくる」という事はないのだが、その代わり「気を利かせて何かをしてくれる」といった事も一切無いので、プラスマイナスゼロか、割り切ってしまいさえすれば若干プラスくらいだと思っている
自分の結婚式に来てくれたので、もちろんお祝いの品を手渡しした。
高校時代からの友人で5人くらいが一緒につるんでいて、今回結婚した友人が一番最後に結婚した。後はみんな既婚者で、彼はそれぞれの結婚式に参加していた。
しかし今回、結婚式をしないからと彼にお祝いを贈らないと言った奴が、その5人内2人もいた。
曰く、ご祝儀とは結婚式をする場合負担にならないよう包むものだから、という認識らしい。
でもさ、式をしたほうから言えばプラスマイナスゼロだとしても、参列した方からしたらマイナスだ。
祝いたい気持ちがあるからとは言え、同じようにお返しするのは人と当然だと思うのだが。
ちょっとびっくりして妻に聞いてみたら
「そういう残念な人、結構いるよ」とのこと。
そういう人は普通にいるようだが、人としてどうなんだろう。
他人事ながら、高校時代から5人でバカやって仲良くしてきたけど、なんだかわだかまりが残る。
ご祝儀を贈らないと言った2人の経済状況は悪くない。むしろ平均からして随分いいほうだ。
悪気もないだろうし、おそらく親からそう教えられたのだろうと思う。
でも、お祝いしてもらったら同じようにお返しするのは当然ではないだろうか…。
なんだか自分のことじゃないのにこんなに悩むのがバカらしいが、今回結婚した友人にそれとなく聞いてみたら
「何とも言えないよね」とのことだった。
お祝いしてもらったお返しはする。
これがマナーというものだろう。マスコミさん、芸能人のスキャンダルよりあちこちで論じられてるこの問題についてもっと報道してくださいよ。
実際は2~4万円ぐらいのプラスになりそうだがほぼないも同然。
勉強した分野の仕事を求めて人間よりイノシシやシカの方が多そうな田舎から少しだけ都会に出てきたが、昨年激務と通勤電車に堪えられずパニック障害を発症。
ろくに動けなかったり働けなかったりしていたら僅かに貯めていた貯金はすぐに底をついた。
高校と専門学校に通うのに借りた奨学金を毎月2.7万ずつ返済中。
収入が途切れても前年度の収入がある程度あると返還猶予制度とかが使えないのがキツかった。
地元の恋人と結婚して都会に呼び寄せ、妻も働いていたが、自分が力尽きたのとほぼ同時期に妻も都会に馴染めず体調を崩してメンタル不調に陥り、
生活が全面的に崩壊したので妻は一旦実家に帰って、実家の家事・介護の手伝いや週2でパートに出て実家に入れる食費と小遣いを稼ぎながら療養中。
今年に入って勤務先が移転したことで自転車通勤に切り替えてなんとか休職から復帰したが、相変わらず電車にはあまり乗れないまま。
投薬で体調が安定しなかったり、通院で定期的に早退する日があるので、仕事の負荷を下げることになって収入が30%ぐらい減った。
これから3年ぐらいかけて元の水準に近づいていくらしいが、現状としては二馬力前提の家賃が重い。
しかし貯金が底をついた後なので、引っ越すための資金が捻出できないでいる。
身内から引っ越し資金を借りようにも自分の親は片親で持病を抱えつつ生活保護ギリギリの水準で介護職しながら田舎で一人暮らしをしている感じなので頼れず、
妻の実家の方も介護の必要な祖父と定年を迎えて収入が途切れた内臓の悪い義父に数年前にガンになって働けない義母に加え、まだ私立大学在学中の年の離れた兄弟もいて、
体調を崩して帰ってきた娘に食費を入れてもらわないとやって行けない程度には金銭的に余裕がない。
付き合いのある親戚は数軒あるが、ここ数年で何かの呪いのようにバタバタと大黒柱が急死していてどこも頼れそうにない。
そんなこんなで独り暮らしに見合わない家賃に圧迫されて、割と切りつめてもほとんど貯金ができていない。
負荷を下げたはずなのにしれっと命じられた休日出勤帰りの財布の中身は137円。