はてなキーワード: オートマとは
自分が子供の頃はマニュアル車が当たり前で、運転席の横に棒が2本陣取っていたけれど、今車を購入すると普通オートマだよね。
マニュアルが当たり前の頃にはなかった広い運転席、アームレストや小物入れが付いていたりして、マニュアル車にはそもそもデザイン上できないと感じる。
自動車学校に行くまで世の中にマニュアル車があるということを知らないだろうからね。
オートマが主流かマニュアルが主流かの差は地勢や道の作られ方、車の主な使用用途の差がありそうだけれど、どうなんだろうね。
日本のようにちょっと走るだけでアップダウンがあり、高速道路は有料で特別な時にしか使わず、ちょっと走るとすぐ止められるような信号で高速に長く走ることができないと、多くの人の手動による変速より、CVTの方が効率の良い走りをできそうだが。
「車を運転するなら、マニュアル・オートマどちらにする?」と聞けばよい
AT(オートマ)を選んだ人は、残念ながら似非技術屋タイプ、もしくは技術に興味がない人のどちらかだ。
MT(マニュアル)を選んだ人は技術屋であり、技術に興味がある人だ。
どこかのエバンジェリストが日本人は技術なきマネジメントがうんたらかんたら嘆いてたが、今の日本人は、若い人からしてAT限定免許を取る人が大半だし、車の販売台数も98%がATだ。米国はMTが10%あるかないかだが、近年は技術屋志向の高まりを受けてMTの割合が少しずつ増えている。欧州は今でもMT車が主流で、AT車を運転してる人は「何か事情がある人」とまでみなされる。
日本人は「機械は動けば何でもいい。壊れなければ」という、技術に興味がない文化が成立してしまっており、これが変わらない限り某エバンジェリストは永遠に嘆き続けるだろう。欧州に行ったほうが良いのではないか。
最近は、テレビ番組で進化した文房具が取り上げられると、だいたいオレンズネロが「ノック不要のシャープペンシル」として紹介されて、中には「これまでにないある機能が」などと言っているところも。でも、オレンズネロのすごいところは自動芯出し機構と極細芯の融合であって、ノック不要のシャーペン自体は昔からあったよね?
販売者 | 商品名 |
パイロット | オートマック、オートマチック、アクター、オートマチックえんぴつ |
三菱鉛筆 | エーテック |
コクヨ | EZ・PENCIL |
トンボ鉛筆 | ランナー、ランナージュニア |
サクラクレパス | AT MATIC |
ゼブラ | ノクティ、ノックレスシャープ、フリシャオートマチック |
ぺんてる | テクノマティック、オレンズネロ |
オート | ホライゾン、オートシャープ、ノノック |
プラチナ万年筆 | ハヤーイ |
サンスター文具 | ノックフリーシャープ |
ダイソー | 自動繰り出しシャープペン |
無印良品 | 自動的に芯が出るシャープペン |
ロットリング | altro、400 |
ファーバーカステル | アルファマチック、グリップマティック、TK-matic |
ディクソン | センセマティック |
ステッドラー | マイクロマチック |
不明 | 魔法のシャーペン、魔法のグリップペン |
http://anond.hatelabo.jp/20151217152521
のつづき。
「え、お金がもらえるんですか?」
パーティションが区切られて隣同士が干渉しないようにスペースが作られていた。
各地にこういったスペースがあってオンラインで繋がれており
独自のレーティングシステムによってオートマッチングされる仕組みという。
「あ、スマホは窓口で預けてね。タブレットとかノートパソコンとかも持ってたら預けて。」
女性が詳しい話を聞かせてくれた。
将棋好きの金持ちの道楽で、第二の羽生を発掘し育てるべく作られたシステムで
御存知の通り奨励会には年齢制限があり、規定に達せずに退会するものも多い。
しかし棋力のピークが奨励会の年齢制限よりも上になることもあるはず。
また才能がありながらも将棋一本でやっていくには不安があり、プロ棋士目指すのを諦めてしまう人もいる。
そんな人達を集めて第二の将棋連盟を作ろうとしているというのだ。
「これをリーダーに通してあとは対局するだけ。勝てば多く対局料をもらえるし負けてももらえる。ただし棋譜は都度解析されて不正ができないようになっているから。」
画面は独自のシステムを構築しているようで初めて見るものだった。
対局を開始する。オートマッチングなので少し待つと対局が始まった。
相手の名前は出ない。ということは向こうも誰と対局しているかはわからない仕組みのようだ。
入力された自分のレーティングがやや甘かったのか、初戦の相手には勝利。
いくらもらえるかが気になったので聞くと固定ではないという。
不正がないかをチェックされた後、筋の良い手、悪い手をチェックされてそれらに応じて金額が変わるという。
当然筋が良い手が多ければそれだけ金額が高くなるし負けてもそれら評価が高ければ金額に反映される。
解析には時間がかかるようですぐには結果がでなかったがしばらくすると
金額とともに解析結果が閲覧できた。金額は500円ほどだっただろうか。
解析結果はいわゆるソフトでの棋譜解析で最善手や悪手、筋など改善点が見やすく表示される。
なるほど、これはかなり良いシステムだと思った。これなら強くなりたいと思うし強くなる仕組みができている。
「それとここにも退会規定があるの。年齢ではないけどレートの動きや将来性などを評価して決めている。向上心がなければ退会になって対局できなくなるわ。がんばってね。」
時間がかかりすぎるとか、同じコンテンツを延々と回らされるとかは、もはや散々言われているので割愛する。
ここで取り上げるのは、「プレイヤーの大多数がアタッカー志向にも関わらず、ゲームシステムがそれを許容しない」という問題である。
MMORPGに限らず、ゲームで楽しいのは攻撃し、ダメージを出す瞬間である。
現実世界でもそうだ。ガキんちょのサッカーで人気なのはFWかMFで、DFやGKをやりたいという奴は少数派だろう。
ちょっと前ならイナズマイレブンで少しは人気になったかもしれないが。
そういうわけで、プレイヤーの多数派は、とにかく攻撃したくてその世界に降り立つのだ。
こう言うと「いや俺は○○好きだったよ?」という意識高い系が現れて反論してくるのだが、
そういう輩は掲示板には出てきても、ゲーム内の募集にはいつまでたっても来てくれない。
しかも、アタッカーというのは気楽である。基本的に攻撃さえしていればいい。
それ以外の仕事は他人に任せて、美味しいところを独り占めできるのである。
回復はちょっとサボると仲間が死ぬ。盾役はパーティの中で最も高級な装備を求められるし、責任も極めて重い。
仲間を守りたいという勇者志望もいるが、彼らがメジャーになれないのは、このプレッシャーに耐えられないからだ。
しかし、そうして降り立ったプレイヤーたちは、仮想世界の現実を思い知らされることになる。
MMORPGのシステムは、アタッカーだらけのパーティを許容しない。
例えば、1つのパーティに4~5人いるとすると、盾役のタンクが1人、回復するヒーラーが1人以上、タイトルによっては
補助担当のバッファー(こいつは延々仲間に強化を回すだけでちっとも楽しくないので、最近では減っている)が必要になることが多い。
だが彼らの人気は低い。パーティ募集をすると、アタッカーの枠が即座に埋まって、延々と残りの募集をするハメになる。
ドラクエみたいに4人の枠に僧侶が2人という編成もあるが、まことにキチガイじみた話だ。
逆に、プレイヤーの志向に合わせてパーティを組むと、ほぼ間違いなくアタッカー過多のタコ殴り戦術に落ち着くが、
それでは序盤の敵は倒せても、それ以降の敵には通用しない。
上を目指すならば、その時点で優遇されているクラスで、かつ強い装備を持っている層がアタッカーを独占し、
残りは嫌々アタッカー以外に回らなければならない。
ちょっと歴史の長いMMORPGに新規がなかなか入らない理由もここにある。何年下積みしたらアタッカーに回れるのかわかったもんじゃないからだ。
これはオートマッチングシステムが導入されても同じことで、タンクやヒーラーがパーティにすぐ参加できるのに対し、
MMORPGがこの問題に対して、無策であったわけではない。例えば、1つのクラスで複数の役割を選べるようになった。
しかし、問題はそもそもプレイヤーがアタッカー以外選びたがらない点にあるので、大した意味はなかったように思う。
全員がアタッカーでもどうにかなるというタイトルも現れた。だがヒットしたという話は聞かない。
それが許されるのなら、MMORPGというフレームである必要自体がなくなる。モンハンでもやっていた方がマシなのだろう。
ドラクエのサポート仲間は、やりたくない役割はNPCに負ってもらうというシステムで、この点かなり正解に近い。
ただ、最難関のエンドコンテンツ以外はソロゲーになるという諸刃の剣でもある。
一方ソシャゲである。こちらのゲームシステムは貧弱そのものだが、それ故に殴る権利は万人に認められている。
最近になってジョブシステムなどを備えるタイトルも現れたが、それでも基本は全員攻撃である。
「頭がいい」ないし「学歴がある」「何らかの専門分野を修めている」などを、女性を選ぶ際のプラス評価にする男性ってどれくらいいるんだろうか?
モテるモテないは総合的な話だから、他にもいろんな要素があるだろうなーってことは勿論わかるんだけど、大体自分と同じくらいのスペックで、
なんというか、知性を表に出さない女性の方がモテてるような気がする。
よくある「エンジン止まった」「ライトはつく?」のコピペみたいなものを引き合いに出して女性をバカにするくせに、実際に女性が
「ライトはつくよ。オートマなんだけど、アクセル抜くとエンストする感じだから、多分制御系のトラブルなんだと思う。細かい切り分け方わかる?」
とか返したら引く男ばっかりが私周辺には集まってるんだ。
要するにモテない。
トヨタとスバルのディーラーに、兄弟車であるハチロクとBRZを見に行ってきたんだけど、そのメモ。
ちなみに私は、今の乗用車種はトヨタでもスバルでも無いもので、今後はマニュアルトランスミッションの車に乗り換えたいと思っている。
トヨタに試乗に行くとめっちゃセールス受けるから覚悟も必要だぜ、ってこと。(企業の姿勢としては凄いと思うよ。)
・トヨタは売ることに長けている。さすが。
・セールスマンは、特に車に詳しい訳ではない(一般乗用車は詳しいのかも知れない。)。売るための金銭面絡めた交渉はすごく上手い。
・見積もりも「とりあえず」と出してくるし、乗ってきた車まで査定して、なんとしても売ろうとしてくる。
・オプションを沢山勧めてくる。
・残価設定プランでもって、3年で手放してもいいじゃないですか、と売ってくる。
・スバルは、好きな人に買ってもらえばいいな、という雰囲気を感じた。
・金銭面の交渉もそこそこに、「また乗りに来てくださいね~」と気持ちよく帰してくれる。
・試乗コースの選定が上手い。
・ずっと乗ってもらいたので、じっくり選んでほしい、と公言している。
・低重心で軽いこと(水平対向が本当に低重心になるかというのは知らないが、体感的な車の挙動は一体感があってクイック。かつ安定している。)
・乗り心地は存外に良い。ボディがガッチリしている。
・スピードを上げると遮音性はいまいち。これはスポーツカーなので仕方ない。
・サウンドエンハンサーは過剰演出にも思える。
・トランクは浅いし狭い。
試乗予約の電話をすると、多分若いお姉さんが希望車種と時間帯を聞いたうえで、最後は営業担当に代わってくれた。
そこそこカワイイお姉さんのお出迎えの後で、営業担当の方がすぐ出てきてくれてスムースで感心した。
ひとまず店内で住所等を記入しつつ、私の車のニーズを色々と聞いてくださる。
スポーツカーという意味ではBRZがおすすめだけれど、たまに4人乗りたいとなるとWRXまたはS4も試乗してみたらいいかもしれませんね、という分析だった。
暑かったけれどお茶も出て来ず、すぐにBRZ試乗しましょう!という前のめりな感じ(というか、営業担当さん自身が喋るのが楽しくて忘れてる気がする。
BRZの「S」(一番豪華なモデル)が試乗車として用意されてレッツゴー。
バイパス的な、スピードも乗りやすい道を30分くらい走り回らせて貰える。
車そのものは、低く、低重心で、ロールも少なく取り回しやすい。軽さも効いているいい車だった。
(タイヤのせいか、理由は不明ながら、圧倒的に86よりも乗り心地が良かった。)
後部座席は緊急用としても苦情が来るだろうと思うほど狭く、完全な荷物置き場。
トランクも狭い。
続けて、おまけでWRXに試乗。
トルクが凄い、化け物。クラッチも重いが、繋ぐのは楽。
踏むだけで凄い加速。公道では使いきれない性能。
他方で、
視点はBRZより高くて、ボディの見切りも良く視界が広いので、その意味で街乗りしやすいはず。
セールスマンも、年配の人が買うことが多いと言っていた。
軽い気持ちで見に来ている旨を伝えたので、そのまま帰してくれた。
電話で予約すると、カワイイっぽいお姉さんが日時を聞いてくれるものの、勝手に「修理」だと勘違いして入庫の日取りを取ってくれてしまう。
改めて試乗の旨を伝えると、営業担当に代わることとなり、直接約束する。
駐車場狭すぎワロタ状態で、ほぼ外の歩道にはみ出た部分に止めさせられる。工場内はトヨタのミニバンで一杯。店内も家族連れで一杯。
すぐにお茶が出てきて、20分くらい営業担当を待つ。その間にも、「シエンタのカタログください」というお客さんが何人も。
営業担当の方が出てきて、さらに試乗車の準備ができるまで10分待った。
電話でマニュアルである旨を確認していたけれど、「マニュアルモードで運転できますので」と言うのでとりあえず乗ってみた。
なお、マニュアルの試乗車は他の店にも無いと言っていた(まじで?)
社員の車な気がしないでもないような、車内の微妙な汚れ具合が気になりつつレッツゴー。
オートマチックは、トルコンの滑りが感じられて、せっかくのエンジンのパワーとレスポンスが味わいにくいことはスグに分かった。
それから、足が明らかにゴツゴツしていて、タイヤ空気圧がおかしいか、他に何か問題がある気がした。
(BRZとは、足回りのセッティングは微妙に違うらしいが・・・)
車内では、色々スペック等について投げかけてみるものの、86についてはあまり知らない様子。
試乗コースも、細い道や裏道が多くて少々選択が悪い気がした・・・。
カタログをベースに、細かいニーズを聞いてきたうえで、「とりあえず!」とか言いながら見積書を出してくる。
その上で残価設定型クレジットプランで、3年後に買い取ってまた乗り換えてもらうのでも全然いいですし、お得に乗れますよ、ってなセールスをしてくる。
クルマのあるある話だから、クルマを所有していない節税貯蓄がマストなライフハッカー諸氏には関係ない話題で申し訳ない。
15年くらい前から上述したタイトルの状況になると、相手側ならばわずかにバックして直近のわき道にクルマを入れて避けてくれればスムースに通行できるのに、バックしてくれないことが多く、しょうがないのでこちらがバック300メートルなどして交差点や三叉路まで戻るのがザラだったことにとにかく気になってた。というかイライラしていた。
んでもって先日クルマを買い換え、自己所有のクルマがマニュアルからオートマになって、ようやくその理由にたどり着いたというか実感できた。
オートマではギアを替えることが特別な儀式になってしまってる。
ギアチェンジという行為が、ドライバーの精神に求める負荷が大きくなってる。
マニュアルでは走行開始からコーナーをいちいち通過するたびに当たり前のようにギアチェンジを行うわけで、ギアをローに入れることも2/3/4/5と順に入れることも別になんてことのないごくごく当たり前の普通の所作である。
バックであるRに入れることもその範疇に過ぎず、ドライバーに対する精神的な負荷はまったくといっていいほど、ない。
家の駐車場でDに入れてから、目的地に着くまでの路上で、LやRに替えることなどほとんどない。
傾斜のキツイ急坂ならばLに入れることもあるかもしれないが、そうでもない場合はアクセルをダブルキックして乗り切るのが普通なのではないか?
そんなギアチェンジの必要性のない安楽なドライブに慣れきってしまったら、タイトルのような状況に陥ったときすぐさまギアをRに入れてバックしてと、クルマを細かく操作しようとする気持ちが沸くわけがない。
実際俺も最近バックしてやんなくなったし。
相手が下がるまでブレーキ踏んでるだけのが多くなった。
だってめんどくさいよね。
E3で発表された任天堂の『Splatoon(スプラトゥーン)』が各方面で任天堂らしいアプローチのTPSとして期待されているが、任天堂であるがゆえの以下縛りにより大成功が期待出来ない。
最も期待できない理由がこれ。任天堂のポリシーとして中途半端な出来のゲームはユーザーに提供しない。
ゲーム発売後のゲームバランスの調整、ステージの長期的な追加、武器の追加、ユーザーリクエストの受け入れ等はされないだろう。
(深刻なバク調整や予定通りの期間限定拡張コンテンツを除く。また、バグやバランス調整が仮にあったにしても些細な修正の提供に数ヶ月は要するだろう。)
想像してほしい、パッチや拡張がほとんど当たらないFPSを。TPSを。
また、あれだけ動いているゲームであるのに関わらず発売も来年であり、来年になったら皆この興奮を忘れるだろう。下手をすればアイデアをスマホのゲームにパクられるだろう。
理由は不明であるが、任天堂は実力を反映した公平なマッチングや長期的な順位付けをあまり好まない。
上手いプレイヤーも下手なプレイヤーも同時にそれなりにそこそこ楽しめるゲームバランスになるだろう。
その結果起きることは、ガチプレイヤーは雑魚とのマッチングにうんざりし、初心者はガチにボコられてうんざりするだろう。
「かんたん・あんしん・無料」が任天堂の掲げてるネットワークのポリシーである(かんたんだが不便、あんしんだが退屈、無料のせいで高度ネットワーク対応が出来ない)。
未成年を守るためにプレイヤー間のマッチングは以下のいずれかになる。
前者は直ぐにマッチングする反面、定形発言によるコミュニケーション以外不可。対戦プレイヤー履歴も残らず後腐れなく戦えるものになる。ボイスチャットなんてもちろん出来ないので高度な戦略はとれない。
後者はフレンドのみという事で事前登録した文面の発言や任意のユーザーによる対戦が可能ではあるが、相互承認済のフレンドのみという縛りがキツすぎて事実上は8人もプレイヤーが揃うことは無いだろう。
Miiverseというクローズドコミュニティはあるが、あれはお喋りかお絵かき掲示板であり密なコミュニケーションを行う場とはならない。
上記の理由からおそらくボンバーマン的な楽しさはあるゲームであるが、長い期間多くのプレイヤーに楽しまれるタイトルにはならないだろう。残念だ。
「ASD診断基準変更、の報に、これからアスペルガー症候群じゃなくなりそうな一自閉症者が思うこと」(ここまでタイトル)
DSM改定で「アスペルガー症候群」の診断名がなくなったらしい。「社会コミュニケーションの障害」「限定した興味や反復行動」に絞った結果、有病率は1/4程度に減ることが見込まれるとか。自分は大学時代に診断を受けた「アスペルガー症候群」の人間になるのだけれど、まっさきに思ったことは、「なんだかなあ」だった。Twitterで呟こうと思ったらひどく長くなってしまったので、匿名ダイアリに投稿してみることにした。昨今いわれる「一記事800字ルール」から大きく逸脱していて読みにくいと思うのだけれど、勘弁願いたい。
アスペの本質は「心の理論」の障害じゃなくて、感覚の取得機能の異常(異常というか、「社会適応に必要な情報だけを拾えない)だ、という風に、(旧診断基準では「アスペルガー症候群」と診断されていた)自分は考えている。考えている、だけだとアレなので、一応つけくわえると、以前、お世話になった先生に確認したところ、「その考えは間違っていない」というような事を言われたので、おそらく間違えてはいない(一応、そんなような研究結果もあったと記憶している。まあ、私は学究者ではなく一当事者なので、エビデンスが若干いいかげんなのは許してもらいたいのだけれど。
人間の感覚には、いまどきのカメラのように「オートフォーカス」機能がついている。それも、大変高性能な。これが、オートマじゃなくってすべてマニュアルなのが自閉症(=アスペルガースペクトラムだ。たとえば、誰かが「それ」と言って何かを指差したとする。定形発達の子供は、「指示の対象に目線を向け、そ話者が何かしらの指示または主張を行うに備える」という一連の処理を、ごく自然に身につける。しかし、自閉症者の視界は、蟻の視界だ。「特定の範囲の、限られた情報」だけを拾うことができない。まず、「人間の輪郭」を意識するのが難しい。うごき、を俯瞰してみることができない。そして、「手振りの意味」を理解するのには、もっと時間がかかる。
指差した先を意識すればよい、と学んだとしても、その後がまた大変だ。自閉症者のせまい視界は、「それ」として指し示された物体「以外のもの」を意識できない。あたかも同化するように自閉症者の意識は「それ」とひとつになってしまう。指示、という行為の先にある意図へ辿り着けない。本人の記憶にも残らないような小さい自分に、こんな小さな「ロス」をくりかえして、自閉症者の社会能力は定形発達者のそれからどんどん遅れてゆく。
自閉症者は往々にして、「世界と自分とのあいだに、一方通行の分厚い硝子の壁がある」という表現をする。入ってくるものは、ときに自分たちに害を与えるけれど、こちらがわから触れることはできない。氾濫した感覚世界に、ドナ・ウィリアムズが自著のタイトルとして記したように、「何者でもなく。どこでもいない」自分だけが残される。興味が限定されるのは、何かしらア・プリオリな原因があるわけではない。単純に、あまりに「細かすぎ、多すぎる」情報の波に晒されていることの裏返しだ。自閉症者は、その複雑すぎる世界を規則化するために自らひねりだしたルールにより所を求める。あるいは、数字や言葉などの「より強固で、確実な」曖昧さの無い世界に逃避し、没入していく。
さて、ここで重要なことがある。成長が遅い、ということは、「いずれ追いつく可能性がある」ということだ。IQが高い場合は年齢が上がればコミュニケーション能力は(或る程度は)向上する。限られた環境であれば適応できるようにもなる。IQが低いと、成長速度が社会が要求する適応レベルに追いつかないので、わかりやすい「知恵遅れ」になる。旧DSM水準においては、診断の多軸性、「コミュニケーション能力の障害」以外の細かい部分こそに、自閉性の障害の本質があったように思う。高機能な自閉症者(これまでの診断基準でいう「アスペルガー症候群」、言語機能に遅れがあるものは「高機能自閉症」)は、往々にして、その能力と努力によってコミュニケーション能力が向上させ、また、社会の中で自分が受容されるポジションを獲得し、
あたかも「社会に適応した」かのように振舞うことができるようになることもある。けれど、知覚過敏や感覚から来る負担の大きさ、ある種のデリケートさ(適応しても処理量は変わらないせいで疲れやすい)、過集中傾向、カクテルパーティ効果への適応不可能などは歳を重ねてもあまり改善しない。二次障害との複合で、ひどくなる場合もある。そして二次障害。我らが最大の敵である二次障害だ。慢性的に感覚的に、また社会的にストレスを受ける環境による鬱や神経症、PTSD様の症状(瑣細な感覚刺激からフラッシュバックを起こし、日常生活に支障が出る)なども、かなり改善させづらい。というより、社会に出ている多くの自閉症者は、コミュニケーション能力の障害以上にこれらに苦しめられることとなる。これらの人間に、「アスペルガースペクトラム」の診断基準から外れたとき、医学はどのように対応するのだろうか?
私事になるけれど、自分は二次障害への対応に、かなり苦労した。「病気になる原因」というのが感覚的な特性と、それによって経てきた生育環境に大きく拠っているために、一般的な治療方針やアドヴァイスがあまり役に立たないためだ。普通の人間は、ごくふつうの家庭で(母親は多少厳しくて神経質だったけれど)そこそこ健康に育ったにも関わらず、重篤なフラッシュバック症状(いわゆる「自閉症パニック」の主原因になるもの)を抱えたりしない。精神科、に行って自分が求めた治療を受けられたケースはとても稀だった。最初の二件くらいは適当に薬を出されて、経済的に継続困難なカウンセリングを勧められて終わり。結局、これではらちがあかない、と感じて(また、「はっきりさせるために」)実家に帰って診断を受けてきた、知的障害者向けの施設の外来の先生、そして、某k橋先生(統合失調の大家である)との出会いが、自分にとっては得がたかったけれど、必要な治療を受けられないままの人は未だ多いと思う。数年前にアルバイトを探していたとき、2ヶ月ほど支援センターにお世話になる機会があった。自分の大学時代と比べてこの数年、随分とサポート体制が整ったのだな、と感じて感心した(そして、その実現に走り回ったであろう人々に敬意を覚えた)、それからしばらくしての今回の報だった。
未だに「心の理論」ありきの「アスペルガー症候群とは」みたいな文章はよく見る。精神医学の世界って当事者も臨床も置いてけぼりなんだな、遅れてんなあ、というのはずっと思っていたけれど、今回の改編でよりその印象は強くなった。二次障害が軽くなって、今の生活が忙しくなるにつれ、自閉症を取り巻くもろもろの社会的状況に興味を向ける機会が減ってしまったので、偉そうに論じる権利は無いのだけれど、「まだこんなに遅れているの?」と、失望にも似た気持ちになったことは否めない。
私は診断をうけたとき、その時点で、もともと積極奇異タイプだったこともあり、社会能力自体はかなり改善していた。コミュニケーション能力に重きを置く診断基準だと、今はそのように診断されるかかなり怪しい。当時は、二次障害が今より重かったのに加えて、義務教育期間を終えたことで、それまでの細かな「不便(大学でお世話になった先生曰く『目に見えない腕の欠如』」がいちどに明らかになり、社会的な困難が顕著になっていた時期だったため、「診断が下っている」ことに、自分は自己分析の面で、そしてひとから助けを得る上で、随分と助けられた。この障害がときに致命的なのは、コミュニケーションの障害よりもっと前のステップ、感覚すること、世界に。社会に働きかけること、「関わる」ことそのものに困難を抱えるからだ。「コミュニケーション能力」だけに重きをおいて、障害の本質をばっさり切ってしまった新基準に、本来の意味で自閉性の障害を抱えた人間たち(ここ数年で顕著になったように、世間においてけして少なくない)を、フォローできるとは思えない。
自由業で不安定な生活なので、定期的に、「障碍者手帳を得るべきか」に迷うのだけれど、この機会に行動すべきかなあ、と、また、少しだけ迷っている。職種的に実感する機会は少ないのだけれど、「診断を持っている」というのは、「障碍者の枠に入れられる」ということであると同時、「自分の特異性がア・プリオリなものとして理解され、社会的に許される」手続きでもある。<そして、負担の多い日常に対してシステム的なバックアップを受けられる、というのはとんでもなく大きい。
以前は、手帳を取るなんて甘えだ、と思っていた。実際、生活しはじめると、やるべきことをやるために、使えるものを使わないことこそ甘えなのではないか、と思う。今のうちに診断書もう一回出してもらって、支援センターに相談に行くべきかなあ。けれど、ここまで「診断されない人間が出る」ことに異を唱えておきながら、自分はいつも立ち止まってしまうのだ。生きることに混乱を抱えるのが、自閉症者特有の事象であるはずはない。そんなことは重々承知していて、その上で、おそらく定形発達であれば経験しなかったであろう経験を、自分は重ねてきている。そして、思ってしまうのだ。自分のこれは、この、抱えた差異と、それによって生じる無数の困難は、自分が経験し・乗り越えてきた沢山のことは、果たして「障害」なのだろうか、と。無論、この逡巡が、社会的に「障害」とみなされるか、サポートを必要とし、サポートを得ることで社会の構成員としての生活を送ることへの困難が軽減される人間が存在するか(そして、自分がそのサポートを必要としているか)、という観点とは、デリケートながら別の問題だ、ということも重々承知しているのだけれど。
そういう意味では、クラッチはないから今でも、セミオートマといえばセミオートマっていう指摘は出来るとは思うが、言いたいことはそういうことじゃないから揚げ足取りって受け取っとく。
レギュレーションで禁止される前は、セミオートマのF1もあったんだが。セナが生きてた頃まで遡るけど。
とか揚げ足を取ってみる。