はてなキーワード: エロ本とは
最近、コンビニの18禁コーナーをなんとかしろって話が上がってたよね。
ブコメもあわせてなるほどなーと思いながら読みながら、私の子供の頃を思い出してた。
子供の頃、小学生の頃に、コンビニとかのそういう18禁雑誌なんて目にも入らなかった。興味がなかったし。
一方で、初めてエロにドキドキしたのはおそらく小学一年生の頃、ボンボンだったかコロコロだったかでやってた、エロガッパのマンガ(タイトルわすれた)。時々女性の裸が出てくるのですごいドキドキしたのを覚えてる。
ボンボンコロコロ卒業してからは、ジャンプ放送局で時々やってた温泉絵特集みたいなヤツ。
あと床屋においてあったうる星やつらとかキャッツアイとか、妹もの?だったかなんかのマンガもエロくてたいそう興奮した。
こんなカンジで、二次エロに関しては子供の頃から豊富に触れられた。
もちろんエロといっても、実際の性行為ではない。露出が多いとか裸が出るとかそんなぐらい。小中学生にとってはそれで十分だったし、なんなら着衣でもシチュエーションだけで十分興奮できた。
三次エロを性的な対象として初めて見たのは、中一の頃に弁当屋の待合室にたまたま置いてあった週刊誌のエログラビアだったと思う。うわっ、裸だ!と思ったが女の人の裸が出ているような本を見るのは悪いことだという強烈な罪悪感があり、私は真面目クンだったのですぐ閉じたがドキドキした。でも接したのはそれぐらい。
高校生になって初めて三次エロ本を買ってみた。女子高生モノ。けどそんな興奮するもんじゃなかった。その一冊が今までの人生で買った最初で最後のエロ本だ。
アダルトビデオを初めて見たのは、大学生になって友達の家で見たのが最初。はじめて性行為っての見て、なんかそこまでいいもんでもないなって思った。性行為に至るまでのドラマは稚拙な演技だったけど興奮した。
そんなこんなでずっと二次エロを積極的に集めていた。三次エロもあるにはあるけど少しだけ。
27歳ぐらいの時にねんがんのかのじょをてにいれたぞではじめて現実のセックスを知って、そこからは徐々に三次エロを集めるようになった。今は逆転して、二次エロで抜くよりも三次エロの方が多い。
といった具合なんだけど、なんか三次エロを子供の目に触れさせないようにしてる一方で、二次エロの方は割と寛容なので、二次エロに目覚めちゃう子供って私以外にも多いような気がする。自分で言うのもなんだけどこういう形って子供にとって不健全だと思う。
だから三次エロも子供の目に触れさせるようにしろ!とか、二次も裸の類は全部禁止しろ!とかそういう風にもなってほしくないんだけど、なんかいい方法はないのかなと思いながらだらだら書いてみた。
ラブドールや抱き枕カバーが、エッチな目的で購入されてることは想像に難くない。
分からないのは、それらを使用するときにいわゆるズリネタは使わないのかということだ。
刺激を与えるだけであれば、裸が描かれている必要性は、さほどないように思える。
視線は画面なりエロ本に向けられ、ドールや抱き枕には向けられないからだ。
現実の人を相手にしていれば(良くも悪くも)反応もあるだろうけど、それらには無い。
毎回異なる映像や画像を使って性欲を高める方が効率的なんじゃないかと思える。
オナホールを固定するためにそういう抱き枕を使用するのは分かるが、
絵が描かれることで、どんな利が発生しているんだろう?
いよいよ腐女子向け・女子コンテンツが大手を振って世の中に出現して、どんどんにわか腐女子とか増えてるわけで
もともと男性向けコンテンツだって露骨なポルノばかり流行って、オタクがマジョリティになったから良いものの、コンビニのエロ本にすらジェンダー論とか社会学という高い壁の上から批判を受ける世の中で、いくらなんぼ言っても、規制を受けるのは将来的に間違えないと思う。
その意見(性欲との向き合い方を変える)は全く正しいと思う。結果として、コンビニからエロ本が消えたら良いけど、それじゃ十年以上先の実現になっちゃうね。
その性欲を抑える方法を教えなよ。
そしたら、みんなコンビニにいってまで性欲は発散しようとは思わないだろ。
適切に本屋さんとか買うんじゃないの?
性欲の扱い方を教えないから、みんな性欲を軽蔑して、草食男子とか生まれるんじゃない??
この手の話をすると、いや、性以外に楽しいものが増えたからって意見がある。それもある。
だが、今言いたいのはその話ではない。
性欲の抑え方を教えないで、女性は自らのおしゃれで、薄着したり肌を見せたりする。
そんなのが日常的にいてみなよ。性欲があふれるって話。
反対に女性で性欲がある人はどうなの?
女性から性欲を出すのは汚いって男性が思っているって思ってたりしない??
大昔では大人の女性が子供の筆下ろしをやっていた時代もあったんだ。
どうせなら、宗教的に、女性は魅力的なものを見せないまでやるならやればとか思わないでもないし、反対に性教育をもっとしっかりやったらどうなるかと気にならないでもない。
これが今の性教育の問題なのは事実だ。外国から来ている可能性もあるが、
それも含めて対処・意識できていないのは問題として事実なんだ。
違うでしょ? 例えば、風邪だったら、引かないように帰ってきたらうがい、手洗いするでしょう?そうしつけられてきたでしょう?
それが教育だ。
性も同じだ。むしろ本能的で大切なものだからこそ、しっかり教育すべきだと思う。
否定語を使いすぎて読みにくいことこの上ないし、
今の教育現場がどうなっているのから、見当違いのファールボールな文章かもしれないですね。
あああ、性欲ってなんなんだろうなー。
女にも男並みの性欲があれば、コンビニのエロ本コーナーには全裸イケメンが表紙の本が半分くらい並ぶだろうし。
アニメもFreeのようなムチムチ筋肉のポルノアニメが量産されるだろう。
通勤電車では男子学生がおばさんの餌食になり、街中では逆レイプ事件も起こるだろう。
どうかな?こんな世界。
http://blog.kaerucloud.com/entry/fuck-adultcorner
これ読んでて思ったんだけどコンビニそのものを18禁にすればいいんじゃないかと思った。
酒やタバコ、エロ本などを売ってる店舗は18歳未満立ち入り禁止(子連れも不可)、そういうの扱ってない店舗は全年齢OKってことにすればいい。
24時間営業や各種料金収納も18禁店舗限定にすればバイトやオーナーの負担軽減にも繋がるんじゃないかなぁ。
※エロゲと銘打ってるがエロゲに限らずエロコンテンツ全般でヨロシコ
何がどう感じているのか言葉で説明口調にならない範囲で言葉だけでも想像できそうなのが良い。
ひたすら喘ぎ声だけを出しているテキストはクリックする時間の無駄。
文章(言葉)にもエロスを感じたいのにひたすら「あん…!」とか「いい…!」とか読まされても脳が疲れるし息子も冷める。
レイプされてたとしても何がどう苦しいのかをしゃべらせたり、
凌辱されてどう辛いのかをしゃべらせたりするべき。
何のために馬の交尾でなく人の交尾を見ているのかをもっと製作者は理解してほしい。
ろれつが回らない崩し言葉も度が過ぎると手抜きに見えるし何言ってるのか分からないから程々にするべき。
2.巨乳
完全に好みだが、ある時を境にして巨乳派になってからは巨乳じゃないと物足りない。
とにかく肉感がいい。
年齢が高めでも低めでも味方してくれるパーツ。
巨乳は俺を救う。
3.フェラシーンはちゃんと抜くまで
よく途中でフェラを中断させて挿入に移行するものがあるがNG。
身も心も繋がっていることを実感させてほしい。
4.男が力で抑え込むシーン(和姦・レイプともに)
和姦・レイプ問わず、男が腕力で女体を抑え込む表現があると最高。
男側の野獣性が出て犯してる感じが出て興奮するのと、
女側はなすすべもなく体勢を受け入れざるを得ないのに興奮、W興奮する。
和姦の方がいいのは激しくされてるのに心から受け入れているのに興奮する。
立って対面で壁に押し付けてたり、両手首を男が掴んでピストンとか最高に興奮。
もちろん男女逆でも興奮する。
5.心から愛し合ってる
お互い心から愛し合っていて心理的なストレスフリーの状態で快楽をむさぼりあう。
とても最高。
調教系も最終的にはラブラブになると心の底からポカポカと暖かくなる。
悲劇的な終わり方されても真顔になるだけ。
激しいエロの後はイチャイチャラブラブタイムで筋肉と心を落ち着かせる。
6.性欲が強い
お互い性欲が強い。
汗だくになってひたすらしたり、馬鹿になるまで連続ふぁっくする。
興奮する。ベッドでなく布団ならもっと興奮する。
プレイを色々考えたりして相手が喜ぶのを考え合ったりしたらなおいい。
大人しい子が性欲強いとかいうベタベタも汗でベタベタになって布団の中で格闘するのも愛せる。
7.隠れてエッチ
身内が周りにいたり、外に出て人目を盗んでの隠れエッチもスリル感があっていい。
何がいいかというと日常(非エロ)と非日常(エロ)がリアルタイムで交錯するのがよりエロを際立てていい。
恋人関係だからこそあり得る非日常とのクロス、これがエロを強烈に彩る。
テーブルの下でフェラとか、現実だと有り得ないんだけどこれがとてもいい。
胸が大きいのに無邪気にはしゃいで胸を押し付けてくるとか最高だ。最高しか言えない。
そして好意を表すところだけ恥じらいがあると拳を握りしめるくらい好きだ。
9.手マン
手で感じさせてるというのが既にいやらしい。
激しくも優しくも自由自在。
グチョグチョという水音をわざと響かせるようにいじるのも良し、
鬼のように感じさせて潮を吹かせるも良し。
10.顔が涎と涙と鼻水と汗でぐちゃぐちゃ
激しく襲い掛かる快感に涎や涙でグッチョリし始める顔でシコれる。
やはりエロは液体。
好きな人とセックスをしているのに涙も涎も流さないなんて嘘よ!
好きな人を泣かせているという背徳感と犯す喜びと喘ぎ声でパーフェクトハーモニー。
11.髪が長め
ロングヘア―といかなくとも括れるくらいに長いと嬉しい。
短めも嫌いではないが、やはり長い髪というのは女性ならではの特権だと思う。
長い髪には神秘性とか包み込むようなやさしさとかそういうのを感じてしまう。
マリアをふぁっくしてると思うとエロさがアップしないだろうか?いやする。
髪が長いと色んな髪型に変えることができて色んな表情の変化を楽しむことができる。
ポニーテールとツインテールで妻の別の顔をみちゃった…ドキリンコ☆彡
みたいなストーリー展開もできる。
まとめ
巨乳で巨女で頭がちょっと幼いけれど母性があって甘えさせてくれて、
小麦肌で初エッチの後は外でも家でも積極的に襲ってくるようになって、
エロ本のせいで隠語バリバリ学習していって色んなエッチなおねだりを要求してくるようになって、
おわり
ソシャゲで何度も思い返したいような想いでは何一つない。
もし美化してるやつがいたとしたら掛けたコストに対して自分の心が外傷を負わないように保護してるだけ。
何1つとして残らない。
アニメ絵の女の子をイメージキャラにする。それ自体は、個人的には全然アリ。
あんまり胸が強調されてる子は微妙だけど、それはまあ趣味の問題だと思う。
おっぱいの先端が尖ってると、なんで乳首透けてるの? ブラしてないの? もしかしてこの子、痴女? って気になっちゃうだけ。
批判じゃなくて、そうやって我に返っちゃうから萌えられなくて「自分は」嫌って意味。
そんなわけで、アニメ絵の女の子がイメージキャラになること自体は別になんとも思わない。
なんで脈絡なく女の子に制服を着せるの? JKとかJCにするの? その子がそれ着てる意味ある?
メインターゲットはおそらく大人だと思われるものにまで、制服を着た女の子をイメージキャラとして採用してると気持ち悪さを覚える。
なんとなく可愛い女の子キャラをデザインしたら学生でした感がキモい。
この場合の可愛いって、まず間違いなく微笑ましいとかじゃなく性的魅力だと思うからキモい。
性的な魅力に富んだ女の子として、わざわざ一目で学生だと分かる女の子キャラを引っ張り出してくるのがキモいんだ。
公の場で、企業や自治体が、学生という記号をセックスアピールと結びつけているっぽいこと、がキモい。
エロ本でなら好きなだけやればいいと思うよ。自分もJKモノ嫌いじゃない。制服をひん剥くの、楽しいよね。分かる分かる。JKもJCも正義。
だけど、イメージキャラでやられると抵抗感が半端ないんだ。それは公の場で認めたら駄目な奴でしょ。
現実で違法行為に及ぶような馬鹿を生み出すとまでは思わないけど、大人として踏み込んだらいけないラインを割ってると思う。
今回は女の子を例にしたけど、男の子でも同じ。脈絡なく学ランやブレザーを着せてDK・DCを演出されるとキモい。
せめて建前ぐらいは守って欲しい。マジで。
そして、先日、参院選の期日前投票もして来て、「成人になってしまったんだな」という念を強くした。まだ大学生で実家暮らしだということもあり、自立しないと大人じゃないという意見は尤もなのだが、ともかく、成人は成人 (( 読み下せば、「ひとになる」。今までは人ではなかったのか、そういうことなんだろう。不思議な気分になる。 )) になった。
端的に言うと、エロ本も、エロ画像も、そういうものを見ずに成人になってしまった。20歳くらいになったら経験は無いにしても、エロいこと・性的なことはそれなりに知っているものだと漠然と思っていたのだが、そんなことはなかった。あまりに、何も見ていない・知らないのはかえって不健全なんじゃないか、とも思う。だけど、自らそういうのを見る勇気もない。
女性との何かというと……中学生の時にヤンデレっぽい女子に近づかれて、「付きまとわないでほしい」と婉曲的に言っていたら、最終的にカッターを振りかざされた、というなんだか厨二的な体験をした。それっきりである。
こんな話を増田で書く、ということは「私は、この話をできる友人がいないと考えている」ということだ。多分きっと、話したら案外受け止めてくれる・笑って吹き飛ばしてくれるのだろうけど、その勇気もないということなんだろうなぁ。
齢30、腐女子として生きてきての年数が年齢の半分に到達した私です。
腐女子といえど、様々な形態があると思う。読み専でもpixiv等の無料漫画で満足できる人、スマホや本屋さん、アニメイトや通販で本を買う人、買い漁る人。それだけじゃ満足できずコミケイベントに参加して、自分の足で同人誌の新刊を買い集める人。創作が好きで、年に何回かサークル活動をする人、オンリーイベント中心に年に何回も新刊を出す人。活動の功を奏して商業デビューを果たすものの二次創作が好きで漫画を書く合間に漫画を描くような生活をしてる人。もちろん今はコスプレ文化やゲームも個人で作ることが可能になってきたので、その世界の中で、ディープであれライトであれ、様々な「オタク」がそれぞれの形態で活動しているわけだ。
もちろん、ディープになればなるほど 知人もディープなオタクが大半を占めてくる。Twitterのリツイートで見たツイートだけど、周りがディープになっていくにつれ、世界はオタクに溢れてるような感覚になり、同人誌まで描いているようなディープなオタクは案外少ないという事実がかき消されてしまう。感覚が麻痺するのである。
私もかつて、いや、今もディープなオタクである。結婚前は年に10冊のペースで新刊を量産し、毎週末のように大阪や東京に遠征に行き、仕事から帰れば朝まで原稿を書き、Twitterに入り浸り、そこでも1日100ツイートは好きなキャラの萌え語りに明け暮れていた。それでも語り足りなくて、活動ジャンル専用のブログを作り平均5000文字程度の萌え語りやキャラ考察、ジャンル考察を繰り広げていた。それができる位の好きなキャラがいたのも大きいけれど、活動が人生の支えであり、毎日沢山の方から反応やいいねを頂き、それによって承認欲求を満たしていたのは事実だ。オフ会と称してよく近隣のオタ友と飲みにいったりもしたが、リアルでの友達はゼロ。というか原稿する時間を捻出したいがあまりに短時間で高収入のお仕事(という文章で察してほしい)をしていたため、同僚といってもお互いに関わり合うこともなく、個室待機さえ選べば空き時間にネームだってできた。集団待機でも特に話しかけなければ話しかけられることも少なかったのでTwitterやpixivを眺めることができ、妄想だってし放題だった。まともな社会人生活を放棄し、学生からストレートにその道に入り8年。私はいつからか、本名で呼ばれる機会は病院の待合室のみという悲しい状態に陥っていた。それでも、好きなキャラのことを考えている日々は幸せだったし、好きなだけ原稿ができ、締め切りがやばそうなら入れてた仕事を電話一本で休める環境に満足していた。私は結婚は一生しない。一生この生活をしていくのだと本気で考えていた。
でも、何事も転機が訪れる。まず普通に活動ジャンルが衰退してきた。同人誌の売り上げがなくても活動できるくらい本業で稼いではいたけど、年齢を重ねるにつれそれも厳しくなってきた。齢27、とうに旬は過ぎ、体力も落ち、体型も自分でしか気付かない範囲であれ崩れてきた。顔も急に変わるわけではないけれども徐々に衰えを感じてきて、焦り始めた。
それ以上に焦っていたのは、ここまでの活動をしてきたにも関わらず、私の同人者としての知名度はほとんどなく、若くて上手な人には絶対に敵わないという事実だった。自分の絵柄はどんどん古くなり、特にデッサンが整っているわけでもないからそれで注目をされることはまずない。その分考察を深め、原作を尊重した上で自分の最大限を込めたストーリー作りに力を入れていたのだが、これは本当にやったことのある人にしかわからないと思うけど、とても疲れる。原作が鬱傾向の話だったりすると自分の気持ちまで引きずられて、脱稿後3日くらいは死んだような気分になるし、常にストーリーの妄想を繰り広げるのは容易でない。そこまでやっても、ディープなファンがついてくれど大手作家のエロ本には勝てない。積んで積んで積み重ねても、私がそれをやめたら一瞬にして崩れ落ちるということに、疲れを感じていた。
長く同人をやっていると、諍いや嫉妬に巻き込まれることもあった。そういう人間関係にも嫌気が差していた。オタクって、言っちゃ悪いし私も人のことを言えた口ではないけど、評価の仕方が極端だし、性格に難ありの人間が多いのは確かだと思う。好きな作家が高尚様で嫌われないようなツイートをするのも必死、ジャンルの派閥問題であっちからもこっちからも悪口を聞き、そのどっちにも良い顔をしているうちに、何やってるんだろうな自分と思うことも多かった。自由な萌え語りの場はいつしか、パワーゲームの場になりつつあって、それでも自分は自分と曲がらずに立っていたかったけどそこまで精神的にも強くなくて、一時期は完全に病んでしまっていた。それでも本は作っていたのだから、今の自分からしてみればすごいなとは思うけど(笑)
そんな時、ひょんなきっかけで彼氏が出来た。私の仕事のお客さんだ。見た目が好きな声優に似ていて元々好感を持っていたのだけど、相手も気に入ってくれたこともあり、驚くほどあっさりと交際はスタートした。
彼は隠し事はしないで欲しいというので、私はバカ正直に自分の描いた同人誌(R18)を持って行った。彼は多分その段階で私にベタ惚れだったのもあると思うけど、私の描いたものを誉めてくれた。その段階で思った。「この人と結婚しよう」と。
私がやったことはまず、Twitterアカウントの消去、そしてイベントでの引退宣言だった。もう二度とこの地は踏まないつもりで参加した最後のイベントは、とても楽しかった。沢山の差し入れを貰い、沢山の感謝の言葉を頂き、大型のオフ会まで参加させて頂き、朝まで遊び呆けた。連絡先を交換している同人の知人には結婚するので辞めるが、オタクをやめるわけではないからどうかこれからも仲良くしてほしいと告げ、長年続けてきた商売も辞め、真っ当な昼の仕事に付いた。彼とも一緒に暮らしはじめ、アニメを一緒に見るようになった。そして半年後くらいにプロポーズ、結婚と相成った。その時は、もうこれ以上の幸せはないと本気で思っていたし、この人と普通に子供をつくり、将来は庭付き一戸建てに住み(これはもう既に叶ってはいるが……)幸せな家庭を作るものだと、本気で思っていた。
ここまでなら、へーよかったね、同人も若き日の思い出だし、旦那にも理解してもらえて、20代で結婚できて幸せだね、今はさぞかし平穏な日々を送ってるんじゃないの?と思う人もいると思う。私もまさかそうじゃなくなるなんて思いもしなかったし。確かに、旦那に絵を描く趣味を隠してないことはプラスに働いていて、今でもイラストを描いたりエロマンガを描いていても咎められたりはしない。それならよかったじゃん?って思う人もいるかと思うけど、違うのである。
自分は、自分が思う以上に「真性(演技性)同人者」だったのである。
今から貼るURLは、同人者と結婚についての考察を記したものなのだが、1996年に書かれたものだということにビックリした。同人文化が
オープンになり、多少世間の目的なものはこの時点よりは向上したとはいえ、まんまこの通りで笑ってしまった。
http://www.asahi-net.or.jp/~hn7y-mur/yellav/link4.htm
(敢えてこのページのみを貼るけれど、時間がある方は他のページも読んでほしい。色々と興味深い研究結果が纏められてます)
結論からいうと、同人をやめたはずの私は、また同人を始めているし、同人誌を作っている。旦那にはそれを煙たがられているし、私自身も今の活動では満足できていない。
どうしてこうなったかというと原因は2つある。まずは、同人関係の交友関係を断ち切れてなかったことだ。
最初に、ディープな活動をすればするほどディープな友人が集まると書いたが、その中の一人が、今沼ってるジャンルこれだからやろう?とゲームを薦めてきた。そのゲームは基本プレイ無料のもので、スマホさえあればできるものだったので、暇つぶし程度ならいいかと始めたら、存外ハマってしまったのだ。友人は、私に○●(ゲーム内のキャラクターのカップリング)を描いてほしいとお願いしてくれ、私も描くだけならいいかと1年以上封印していたペンタブレットで絵を描いて、名前を変えればバレないだろうとTwitterアカウントを別名で取り直し、そのイラストをTwitter経由で友人に送った。これが過ちその2である。
ここで私は久しぶりに経験してしまったのだ、「いいね」をもらえる快感を。自分の二次創作が沢山の人に読まれる楽しみを。
これまでだって、確かに旦那や周りの人間がいいね!と言ってくれたことは多々あれど、生命活動維持のための食事を誉められても、生命活動維持のための金の確保のための仕事内容を誉められても、嬉しくはあれ脳汁が溢れ出すような快感はなかった。でも、描いた絵を載せること、萌え語りや話を載せて得られるのは、顔も身なりも知らない人たちからの賞賛、なんの役にも立たないはずのものが誉められる快感に私はまたのめり込み、活動再開から半年足らずで地元イベントに顔を出し、本を頒布し、Twitterでの知人とオフ会を開いた。正直、結婚後には味わえなかった最高の幸せであった。私自身は、やはりこの世界が一番楽しく、充実した自分でいられると思った。
ただ、もちろん弊害は多々ある。同人活動をやめていたころ楽しかった職場の同僚とのおしゃべりは雑音になり、邪魔になり、飲み会は苦痛になった。旦那との会話や家事もそうだ。こんなに頑張っても一人にしか認めてもらえない家事や夫婦生活をする位なら、一枚でも多く絵を描きたい、友達との萌え語りに没頭したいという思いが募り、夫婦間の会話は減り、喧嘩が増えるようになった。仕事も休みがちになり、職場での評価もぐっと下がった。それでも週末のイベントがあるから楽しみで、生きるのは苦痛でなかった。
だがとうとう旦那の堪忍袋の緒が切れたようで、まず私の働いた給料は全額私が使うことが出来なくなり、何に使ったのかを逐一報告しなければいけなくなった。同人関係の出費があると、こんな無駄なことに金を使って、との小言つき。そしてとうとう月一万の小遣い制→給料の3%の小遣い制になり、通帳やカードは差し押さえられ、前のような同人誌の発行ペースは不可能になった。こうなると私は働くことに意味を感じられなくなり、今は仕事を辞めてパートのみで生活している。月1000円のお小遣いではゲームに課金すらできず、私は毎日家で荒れ狂っているが、それを旦那は幸せだという。きちんと貯金が出来、私の昼夜逆転や突然の欠勤もなくなり、ゲームに月数万も課金することがなくなり、家事も毎日してくれる。これで精神が安定してくれたらいつでも子作りができるのになぁと言う。私はとても幸せだと思えず、生活のために仕方なくやっているパートに疲れ、ゲームはログインボーナスを受け取るだけ、あんなに楽しかった絵ですらもう3ヵ月も描いていない。そもそも、また絵柄が古いことや流行りの絵でないことで劣等感を感じているし、イベントに行けないことで前みたいに作家さんと交流することもできないので仲良くもなれない。せいぜいSkypeか手紙のやりとりくらいだ。ストレスがピークに達し、毎晩自殺するか離婚するか考えているが、積んだキャリアなど何もなく、もう体型は崩れ、前のように時間に自由が利いて高収入の仕事に就くのは絶対にできない。今は奴隷のような生活を死んだ目で続けるしか、私の生命活動維持方法はないのだ。
私はクズだと叩かれてもいいので、この文章を書いた理由を話させて頂きたい。とんだ長い前置きですみません。ここからが本題です。
ここまでクズの極みの考え、人生の腐女子はそうそういないと信じたいのだけど、部分的には共感してくれた人もいると信じたい。その中で、結婚を考えていたり、今後の人生に漠然とした不安を抱えて生きている腐女子もいると思う。基本的に腐女子はディープになればなるほど孤独な生き物だと思う。生計にできるレベルまでくればちやほやされるし好きなことで飯喰ってけるわけですが、そんな腐女子は多分一握り。殆どの人が、人より中途半端に絵は描けるけどプロになるほどではなく、それなのにいっぱしのプロのつもりで漫画家ごっこ、本屋さんごっこを続けてきた方だと思う。ジャンルの話や萌え語りはできても、日常の話となると境遇が違いすぎて相談する相手も共感してくれる相手もいない人が大半で、適齢期でもあれば家族にまだ結婚しないの?なんて聞かれて蹴飛ばしてやりたくなると思う。
そんな人にただ一つ言える真実は、結婚して今の活動レベルを維持できると思うな。という事です。特に、同人活動に依存している傾向のある人ほど、よく考えてほしい。
維持したかったら、世帯収入が潤沢にあり、家政婦を雇うレベルでなおかつ妻の趣味に口を出さない人と結婚すること。子供は望んではだめです。お母さんが子供より大切なものがあるなんて、いくら自分勝手な私でもダメなのはわかります。
そして、そんな自分をダメだなんて思わないで下さい。人生一回きり、楽しむも悲しむも自分の選択次第です。同人活動以外に喜びを感じられないのだったら、後先考えず突っ込むのもまた人生です。その代わり女としての人生は失います。私はどちらも手に入れようとして、どちらもダメになりました。もはや私は旦那の思う幸せを叶える道具に過ぎません。二兎を追うものは一兎も得ないどころか、すべて奪われるのです。(まぁ、それは私のやり方やのめり込み方に問題があったからなので、旦那の言うとおり自業自得なのですが…)
そして、途中で貼ったURLを隅々まで読んで下さい。
沢山の人からの評価で生かされてきた人ほど、それを失う結婚生活に耐えられるのか、よく考えて下さい。また、続ける気なら、それができるのか、不測の事態にも耐えられるのか、精査して下さい。
誰も声を挙げないし、まだ若い人の文化だから明るみに出ていないけれど、評価への依存はアルコールやタバコに匹敵するものだと思います。断ち切るには、勇気と強い意志が必要です。
最後になりますが、私がそれでも離婚しない理由はただひとつです。
愛と趣味の共存を、私はまだまだ貪欲に探そうと思います。罪滅ぼしに。また、ちゃんとした人間になるために。自分の人生の半分を無駄にしないために。
大手AVプロダクション元社長ら逮捕 女性「出演強要された」 労働者派遣法違反容疑
http://www.sankei.com/affairs/news/160612/afr1606120006-n1.html
ブコメでも多くの人が指摘していますが、女性が出演強要を警察に相談したのになぜか本番の有無が問題になっています。
ヘタをすると自由は規制されたのに強要は温存されているということにもなりかねません。
本番行為が無いというのと騙しや出演強要が無いというのは別の話です。
チョコボール向井氏は「いまとなってはかなりクリーンな業界で、騙しとかはないんですけどね。」としつつも、次のように語っています。
「AVの歴史をたどると、80年代は騙しが多かったんです。「雑誌の取材でちょっと裸になるだけだから」といって、AVのことを知らせずにつれてくるんですよ。そういった子たちはプレイの時も体がひらかないので、こっちとしても辛かったですね。当時の擬似プレイも、これを考慮していたんだと思います。」
教えて、AV業界の裏側!新宿2丁目で伝説のAV男優に会ってきた - りょーすけネット
http://www.ryosuke-takano.net/entry/2016/05/19/115049
ついでですが、昔(80年代ごろ?)のエロ本については、川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』(ちくま新書)で次のように書かれています。
「常識的に考えれば「カメラの前で裸になってくれますか?」と聞いて「はい」と返事をもらってから撮影に入るべきなんだろうが、実はこれではうまく行かない。
それより、エロ本だという事実を隠してとにかく撮影に入ってしまう。下着の撮影だという事にしておけば良い。」
「みんなの足を引っぱって邪魔しないように懸命なような、まあ、そういったマジメそうな女の子がカモで、それも一人で帰れないような遠くに連れ出してしまえば拒否しづらい」
「よく誤解されるのだが、エロ本出版社というのはヤクザや暴力団がやっているわけではない。ヤクザっぽい人がやってるわけでもなく、ごく普通の人がやっている。」とも書かれてるんですが、カタギの人間も結構無茶をするものです。