はてなキーワード: えことは
一般的な常識=「親の躾」「周りを慮る余裕」「IQ」「人生経験値」「記憶能力」「職場での礼儀作法」
単にその人が馬鹿にしつづけたいだけか、平均値に上記のどれかの常識力が追いついてないせいでその人に精神的に負担かけているか
自称完璧超人が人生に余裕が無い時ってストレス解消に自分よりも力の欠けた下等超人を「愚か」だと言っていたぶりにくるのはSNSでもリアルでもガチ
それ見て「ごめんね~^^(ああ今余裕が無いんだな、よしよし~)」とさらりと流している 治せそうなものは治すよう努力しているけど
限界値と言う物はあるので至らないものは「生まれてきてあいすいません^^来世にご期待ください」と思っている
頭の良い人は「やる気を出せば人生が変わる」「ポジティブ至上主義」な事いっている時あるけど
頭がぽややんとしている下等超人が幾ら頑張ったって
「努力したところで一般的な常識(オレオレ基準)完璧超人の足元にはとうてい寄れない
だって完璧超人を下等超人がしのいでもその事実を完璧超人が認められるはずが無い
頭が良くない状態から急激に頭が良くなっても『アルジャーノンに花束を』のチャーリーと同じようになるだけ
完璧超人をおだてて気持ちよくこちらに都合の良い方向に動いていただけるように研いだ心と知能は隠しておこう
「普通」以上で「自己啓発」好きの人達は「普通」にはどうあがいてもなれない人の存在や他人の「ネガティブ」な気持ちなど
理解しようともしやしない 見ることさえここにネガティブなことを書くことさえウザがる そんなもんさ
その完璧超人は「常識が無い」というありきたりのテンプレ言葉で他人に常識を説く前に「人間」として無くしてはならないモノを無くしているね
だから、おまえの言ってる「自分が幸福ならそれでいい」と言う気持ち悪い思想はおまえ1人でやってろよ、って言ってるだろ?馬鹿?
人として、子供作らないのはどうなのか、って話だろうが。
それを自分が良ければそれでよし、で済む話ではないだろう。
そもそも、それでホントに良いのか?って話だろ。
んなこと言い出すと、ホームレスでもおまえみたいな馬鹿でも、それでいい、で終わっちまうだろうが。アホか。
は?単に、旦那もその女もかわいそうな存在だな、って言っただけだろうが。それにおまえがケチ付ける意味はどこにアンだよ?
こっちは子供も作らずに、少なくとも生物として、かわいそうだな、って1つの筋を通った話をしてるのに、
おまえは何も筋が通ってないだろうが。
優劣を付けるな議論をするな話をするな。
すごく贅沢な話をする。
入社時はそこそこの大きさだった会社も俺の入社と同時にかなり大きくなり、
今ではグループ全体で5000人を超えるとか。
まぁそれはいい。
頑張った奴が褒められるし、伸びるし、より新しい仕事を手に入れていく。
えこ贔屓というより、上との繋がりをちゃんと作ってアピールできるやつが登っていく。
同じだけ頑張っても、評価してくれる上司がいるかいないかでは差が出るんだな。
数年働いてやっと気づいた俺も馬鹿だが、既に恐ろしくて年収どころか家賃すら聞けないような同期がうじゃうじゃいる。
今はようやく社内でも勢いのある部署に転籍して、上司も評価してくれている。
なんだが。
稼いだ金を惜しむことなく注ぎ込んでいる。
仕事に影響を出さない、という点だけ自分の中で絶対的なルールなんだが、
これだけ環境にも恵まれて仕事も楽しくなってきた中で、趣味の方にもそれなりに比重が傾いてしまう。
どちらかに自分を注ぎ込み切ることが出来ない。
やめなくても、もっと暇な部署に移動するか、雇用形態を変えてもらった方がいいだろう。
逆に仕事に影響が出始めるなら、すっぱり趣味と割り切って諦めた方がいい。
ようは脳みその使い方なんだろうが、上司との繋がりや会社外の関係(という名の社内関係)を考えると非常に悩ましい。
「お前は結局どっちをやりたいの?」と聞かれた時に、スパっと答える自信がない。
どっちもやりたいのだ。
無理だと言われてもどっちもやりたい。
ボクサーと言ってもそれだけでは食えないから普段はラーメン屋でバイトしているらしい。
そんな漫画みたいな生活が本当にあるんだなと思いながら聞いていると、
同じボクサーの中でも電◯に勤めていたり医者をやっていたり教師をやっていたり
いろいろいるらしい。
俺の趣味はボクシングではないが、そういうの目指したいな、と思った。
あ、今気づいたが、うちの会社がこういうボクサーを抱えることに多分あんまり協力的じゃない気がするからこんなにモヤってるんだな。
上層部みんな仕事命だし。仕事以外に大人の趣味(釣りとかゴルフとか)とか家事育児なんかはよくFacebookでアピールしてるが、
ガチで練習したり発表したりするような趣味を持ってる人間は上層部にはいない。
それがモヤッてる原因だ。
その前例になりたい。
こわい。
無理か。
諦めるか。
まぁなるようになるか。
ますだ。
そんな世間に支持されてるの?
想像してみな?
自分の親が思春期の自分に「これは○○ちゃんがお腹にいたときのパパとママよ」
お前ら親のそんな写真みたい?
俺だったら吐き気するね。
その日は家に帰らないね。
確実にグレるね。
夜の校舎窓ガラス壊してまわるね。
誰が得するんだよ。
そもそもあの妊婦の腹がパンパンなあの造形があまり好きではない。
というか不気味だと思う。
それを写真に残すってどういう事?
マジ意味分かんない。
俺の好きな石原さとみがマタニティーヌード撮っても俺は乳首黒いのかなーとか石原さとみに中出しとか羨ましいなとかしか思わない。
それをちょっと太った普通のおばさんと毛深い早漏のおじさんがやるんだぞ?
お前ら見たいか?
本当意味分かんない。
なんなんだよ。
カメラマンがかわいそうだ。
あれは誰の為にある制度なの?
最近は冷蔵庫に入ったりなんかくわえたりするのが流行りらしいです。
このへんのことについては、書こうと思ってうまくいかなくていくつか文章を放置してあったんだけど、今日、どこぞのまとめ見て不意にまとまったので書いてみる。
なおこのエントリは、本来だったらもうちょい精密に考えなきゃいけないところを、自分の経験に引き寄せすぎて、ちょいとざっくりと処理しちまってるので、あんまり論としてはよいものではないです。
さて、件の炎上した人たちについては、バカに見える。現実問題としてアホだなあとは思うわけだが、俺自身の思想によって、バカであるという判断では終わらせられない。もしバカなのだとしたら、過去にも同様にバカはいたはずで、過去のバカと現在のバカはあまり変わらない、彼ら、彼女らだけが特異的にバカなのではない、と考えるわけだ。つまり、彼ら、あるいは彼女らが悪いというのはではなく、環境やら状況やらに理由があってこうなった、ということをまず考える。実際悪くねえかっていったらそりゃ悪いことしてるんだけど、そういう状況に至ったのにはなにがしかの理由があるはずだ、ということだ。
話が錯綜しそうなんで、先にだいたいのところをまとめておく。代名詞はめんどくさいから「彼ら」で統一する。
彼らの社会は「うちら」で完結する。「うちら」の外側はよくわかんないものである。よくわかんないものが干渉してくれば反発する。そして主観的には彼らは「なにも悪いことはしていない」。彼らにとって「悪いこと」とは明確な脱法行為のみである。あるいは「うちら」の結束を乱す行為だ。なにか、よくないことをしでかして、叱られたとする。しかし罰せられない。それは許されているということだ。明確な処罰が下されない限りは許されている。
彼らの感覚としては「所与の権利」の範囲が非常に広い。権利が広いため、たいていのことをしても許される「ことになっている」。許さないものがあるのだとしたら、それは許さない側の理屈がおかしい。「うちらなんにも悪いことしてないのになに文句言ってくるの」ということになる。
彼らには「インターネット」という概念がよくわからない。よく言われることだが、たとえばTwitterならTwitterという「個別のアプリケーションがある」というのが彼らの感覚である(LINEは使ってないんでよくわからん)。実際にはそれは、インターネットの仕組みの内部で動いているサービスなのだが、ここでSNSと「うちら」の結託が起こる。SNS=うちらとなるわけだ。なんとなくは「インターネット全体」という外部があることは知っていても、それが「うちら」に積極的に介入してくることは考えない。もしそれが容喙してきた場合、彼らの理屈に従えば「うちらなにも悪いことしてないのになに勝手に干渉してくんの」ということになる。ましてネットの場合、リアルとは違い「外部」は完全に可視範囲の外にある。おそらく彼らにしてみれば不意打ちの感覚が強いだろう。
こうして「冷凍庫に入る」という行為が「許され」、それを「うちら」の内部での武勇伝として公表し、しかし外部の存在はまったく意識しないため、炎上する可能性を想像できない。さっき見たラーメン屋のまとめでもこの流れは完全に一緒である。
なぜ想像できないのか、という問題がある。
これについては「あらかじめ許されている」という感覚との関係を考えたい。所与の権利の幅が大きいということは、逆になにやっても自分たちには危害は及ばないということでもある。つまり危機意識の低さだ。その一方で、情報はどんどん入ってくる。情報が入ってくるということは、世界は有限だということでもある。「しょせんこんなもん」という見切りが先に立ってしまう。つまり彼らは「しょせんこんなもん」という有限の世界で、手足をどう動かそうと「許され」、それだけになにをやっても手応えがない。脱法スレスレ(と彼らが考えるところのこと)のことをすれば、それなりのリアクションはあるからおもしろさはある、ということだ。
以上、ざっとまとめるつもりだったが、これだけでかなり長くなった。
俺がなにゆえこういう考えに至ったかというと、そういうものを日常的に見ているからだ。俺のブログを読んでいる人は、はてなのアカウントを持っている人がわりと多いだろうし、そしてはてなはおそらくネットのなかでも特異的に高学歴の人が集まっている場所だと思う。俺はよくこのことに言及するが、根拠は「自分の周囲から聞こえてくる会話」と、ブコメなりなんなりから漠然と把握される「はてなユーザーの平均的なイメージ」との乖離があまりに大きいからだ。
どうオブラートに包んでもうまく表現できないだろうから、あえて露骨な言葉を使う。この世には「低学歴の世界」というものがある。ネットからは非常に可視化されにくい場所だ。ここでは当用漢字ですらも通用しないことが多い。最近では「試飲」という言葉が通じなかったたため「ためしに飲んでもらう」という言葉に言い換えた。特定の個人に通じなかったわけではなく「ああ、これはだいたい通じないな」と思ったから言い換える結果になった。抽象的な概念はかなり通じない。そもそも「概念」という言葉そのものが通じないだろう。個別具体的な事物を束ねて、現象として説明するような言葉では、なにも伝わらない。
そういう場所が現にある。
彼らが「インターネット」というものの全体像が把握できないと気づいたのは、バイトがmixiに個人情報をまるっと書いていて、そのことについて口を酸っぱくして注意してもまったく通じなかったからだ。どころか「コメント欄に知らない人が書いてたけど、悪い人じゃないっぽいから今度会ってくる」と言い出した。
善悪定かでない不特定多数の人間が、自分の名前、ケータイ番号、職場、交遊関係にアクセスしうるということがなにを意味するのか、彼らは理解できない。というより「不特定多数」という「人間一般」を思い浮かべることが難しい。彼らにとって人間とは「知人」か「知人でないもの」の区別くらいしかなく、そして「知人でないもの」は、彼ら自身がそうしたものになんの興味も持たないように、相手も自分に対して興味を抱かない「はず」の存在である。
結局バイトに俺の注意が伝わったのは、実際に俺が自分のPCでmixiの該当ページにアクセスしてみせたからだ。
店頭にたまるお子様たちから学んだこともある。あまり治安がよろしくない彼らだが、こちらが注意すれば、ひとまずはいなくなる。しかしまたすぐ現れる。何度注意しても同じである。こちらが見ている目の前でゴミを捨てる。カップ麺の残りはだばぁする。やりたい放題なのだが、意外にも「出入り禁止」は効果がある。ただ出入りを禁止するだけではだめで「あんたら客じゃないから」というのが効果がある。そう伝えると、彼らは裏切られたような顔をする。彼らの自意識は「客」である。客であり、買い物をしている以上「明確な犯罪でなければ」なにをしてもいい、ということになっている。実際のところ、彼らは意外なほどに万引きなどはしない。
だから「俺ら客だよ?」に対しては「別に買ってもらわなくてもいい」と言う。「ほかの店を利用してくれればいいです。うちのことは利用しなくていいです」と言う。これは彼らにとって、前提となる権利の全否定だから、裏切りにあたるわけだ。しかし諦めはわりと早い。権利を保証しない以上、彼らにとって俺はいてもいなくてもいいものになったからだ。
こういう経験を通じて、最初に書いたような考えに至ったわけだ。
彼らの常識は、いわゆる社会の常識とは異なる。異なっている以上、社会化されていない。俺はエントリとして書いた以上、彼らを社会化する方法について述べるべきだろうが、いまのところちょっとなんの対策も思い浮かばない。特にネットにああいう迷惑行為をアップしてしまうような手合いだと、なにをどうやっても制御できる方法が思い浮かばない。
とはいえ、そういうものはかならずなんらかの制裁を与えられるのがこの日本の社会というものである。よくも悪くもそういうものだ。
で、それがネットの炎上というかたちになって表れているのだと俺は思っている。
この流れは続く。続かない理由が思いつかないからだ。ひとつには彼らが炎上を避ける方法を学習すればいいのだが、それにはたぶん相当の時間がかかる。どこかでの炎上があって、それを見たとしても、それと自分たちの行為が結びつかないからだ。「あれは外部で起きていることであり、うちらとは関係ない」が原則となる。また、炎上させるほうも手を緩めることはないだろう。なにしろ彼らの傍若無人なふるまいは、同世代にとってこそいちばん迷惑になる。ならば、ネットという「力」を活用しない手はない。
俺は、俺の思想にしたがって、彼らの存在を可能な限り正しく把握し、そこに感情的色彩を挟まない努力をしなければならない。「あれはバカで、どうにもならない」でかたづけてしまうのは、俺にとって敗北だからだ。
というような話を、車のなかでうちの奥さま相手にしていた。うちの奥さまいわく、
「だから、子供できるだろ、結婚すんだろ。そうすると落ち着くんだよ。伝統芸だろ」
芸かよ。
「いまでもこの方法は有効だと思うんだけど……でもなあ……昔はそういうのが有効だった理由って、暴れるだけ暴れて、それって反抗するってことだったんだけど、やるだけやれば、反抗してた大人たちはそれなりに大したもん、というところに落ち着いたからじゃん。そういうの、ないからね、いま」
「ないですか」
「ないよ。大人もいなくなりつつあるし、反抗でもない。両方の側面からアウト」
アウトですか。
さて、俺は考える。俺の常識、社会の常識のほうがまちがっていて、彼らの「うちら」感のほうが正しいという可能性をだ。俺には「うちら」と「うちら」が出会ったときにどうなるのか、ということについての知識がない。しいていえば、各コンビニごとに溜まる集団はひとつだけで、住み分けが成立している、ということくらいだ。
俺に考えられるのはこのへんまで。
おそらくこういうのちゃんと論じた本とかはあると思うんだけど。
同じ場所でけっこうな期間にわたって店をかまえていて、彼らが高校生のころから見てたりもするんだけど、昔だったら、男は肉体労働、女は水商売っていう上がりのかたちがあったはずなんだけど、受け皿のほうが少ないせいか「どうやって生活してんだろこいつら」と思うようなのが増えてる。
http://b.hatena.ne.jp/entry/lkhjkljkljdkljl.hatenablog.com/entry/2013/08/06/155425
本を渡したら、ずっとその本を読んでいるだけで、
注意するまで他の仕事をしなくなる。
その本で何をいつまでにやって欲しいのか伝えてんの?
(伝えたうえでそれならお前の指示が無視されがちってことだがそういう話でもないようだな)
わかることだけ手をつけるから、結局 わからないことは最後まで辿り着かず、
こちらで引き受けることになる。
お前の話ってお前の「キモチ」の話ばっかりで
具体的なアプローチについての言及全くないのが特徴だよな
お前部下に限らず他人とどうこうやるの苦手だろ。
部下外してもらって一人で仕事してろ。
気持ちわかるわ〜
本当に無駄な習慣。
結局50人そこそこ呼ぶことになり
なんだかんだで430万とかかかった。最終的にもっとかな。
ご祝儀も一人3万も出してもらったのに人を呼べば呼ぶほど赤字に。
(クソ面倒だったので会社関係は呼ばなかったからでもあるけど。)
嫁が「お姉ちゃんと同じくらいやりたい☆」とか抜かす上
義母は当然とばかりに乗っかってくるので抑えるのが大変だった。(この金額でもね)
カネは折半だったが今でもアホらしい。だったら旅行や新生活に使いたかったわ。
不思議なのは、最初は披露宴も友達も呼ばなくていい、と言っていたし、
そういうことを言うような女ではなかったにも関わらず、
周囲の影響(主に血縁者、身近な友人)で意見が変わってしまった上、
結婚関係で下手に抑えこむと後年まで悪影響が出ることが容易に予想されるため
男の譲歩は普段より大きくならざるを得ないというのが最悪。
ぶっちゃけ嫁の説得はできたのよ。
でもそれはしたくなかった。
ブライダル業界にいいようにされてることに気づいてても、楽しい思い出にしたかった。
だからこそ、高すぎる利益率を当然のようにふっかけてくる奴らは恥じなければならない。
唯一のメリットは親戚同士の挨拶を一発で終わらせられることくらい。
でもそれなら食事会でいいよ・・・
次回、海外Amazonを利用する時のために、一連の作業をまとめてみたい。
日本のAmazon垢は使えない。違うメアドで別垢作る。日本と同じメアドで作ると日本垢のデータ全部飛ぶ。
アカウント作るのは簡単。英語住所の入力はこのサイト( http://judress.tsukuenoue.com/ )使うと楽。
問題は支払い代金。計算が面倒。
送料は国、商品の種類・重さ、個口によって変わる( http://www.amazon.com/gp/help/customer/display.html/ref=hp_468520_globshiprate?nodeId=201118710 )。
クレカがVISA or MasterCard だと、円建てで決済できる。
『Amazon Currency Converter』という仕組みが勝手にドルを円換算してくれて、円表示で日本のAmazon利用するみたいに商品買える。
でも、換算レートはリアルタイムの為替より不利。Amazonが為替換算手数料取ってる。
『Amazon Currency Converter』を使わずに、外貨建てで決済する場合はAmazonに手数料払わずに済む。
三井住友VISAだと1.63%( https://www.smbc-card.com/mem/service/sec/kaigai01.jsp )。
円換算で10,000円分の支払いがあったら、163円の手数料をカード会社に払う。
関税対象品目は細かく分かれている( http://www.customs.go.jp/tetsuzuki/c-answer/imtsukan/1204_jr.htm )。
通関手数料は荷物1個につき200円。関税が無税の輸入品(例えばパソコン)は通関手数料が無料。
こういった税関に払うお金は、『Import Fees Deposit(輸入手数料デポジット?)』という名目で、米国Amazonに払う。
この『Import Fees Deposit』は余計に取られていて(!!)、2ヶ月くらい経つと半額くらい(くらい!!)還ってくるらしい(http://www.j-love.info/amazonnew/amazon_com_uk_qa6-6_import_fees_deposit_refund.htm)。
顧客第一主義の懇切丁寧なAmazonでさえこんなに面倒なのだから、海外通販は大変。
※※※補記※※※
このエントリーは私が以前、ガジェオタクラスタ向けに書いたエントリーの書き直し。元エントリーはこれ( http://anond.hatelabo.jp/20131011011448 )。
『馬鹿と言う人が馬鹿』 これはもう疑いようのない事だと思う。
これについてこれから度々考察し、匿名ダイアリーに書くことにしようと決めた。自分の考えをまとめて整理する為だ。
この『バカとゆう人がバカ』といった言葉に、最初に出会ったのはいつであったであろうか。
過去を遡れば小学生の頃であろうか。・・いや、もの心がついて間もない時まで遡るかもしれない。
その時は自分も含め、親兄弟そして友達クラスメイト、はたまた恩師にいたるまで『馬鹿』とゆう言葉を多用していたように思われる。
「この馬鹿っ」「いやーぃバーカばーか」「うるせーよバカってゆうおまえが馬鹿だよ」「カーバ」「ばっかじゃねーの」
「馬鹿なんだからやめろよ」「んもう・・バカなんだから❤」・・・など多種多様な使われ方、使い方をしてきた。
この『馬鹿』という言葉について違和感や嫌悪感を感じたのはいつであっただろうか・・・
この疑問もきっと幼少時まで遡ることになるのだろう。
それほど馬鹿と言われるような行為をしてきたし、また短絡的に『馬鹿』と言ってしまう人物に囲まれた環境であったようにも思う。
ここで『馬鹿』と『馬鹿といわれるような行為』は分けて考えるべきだと提案したい。
理由は後で上手く説明できれば良いと思っている。
それで、馬鹿という言葉に対しての違和感や嫌悪感なのだが・・・
こんなもん言われたら嫌に決っているからだ。
なぜならば他者を『馬鹿』と断罪する人間は、決まってその対象者を見下し侮蔑しているフシがある。
この点については、異論など様々状況によって変わってくるであろうが、総じて『馬鹿』と他者対して言う人間は自分のほうが優秀だと思っている。
そして『馬鹿』と言ってしまう人間は言った相手に対して、考える事をやめてしまっている。
短絡的に『馬鹿』と断定し断罪し、慮ったり思いやったり、なぜ相手がそうなのかについて思考することをやめてしまう。
思考を停止して決めつけてしまう・・・。これはとても『愚かな』行為なのではないのだろうか。
まして『馬鹿』とゆう言葉を受け取った側の人間からすると不愉快極まりない。
その言われた瞬間に、相手から見下されてしまっているからだ。ここで怒らない人間はよっぽど出来た人ではないと無理だと思われる。
くだらないプライドを捨て、謙虚に真摯に『馬鹿』という言葉を受け止める。そういった人だ。
あほか!無理や!
日々そうゆう人間になりたいと努力は続けているが無理や!短絡的に『馬鹿』っていってくるような人間に謙虚などなれるかいっ!ぼけぇ
・・・少々取り乱してしまったが、本人が故意に間違いを犯したり、性根が曲がっていてワザと『馬鹿な行為』をしている場合ではないのに対し、
『馬鹿』だろ?「おまえバカだろ」などと言ってくる人間を、私は軽蔑するであろう。
なぜなら【人にされて嫌なことはすべきではない】と思っているからだ。
これは年を重ねていくうちに経験として、また他者から教えられて実感し学び身につけて来たことだと思う。
この点についてだけでも、他者に対し『馬鹿』などと言うことは良くないことだと明らかだと思われるのだが。
だって嫌な事されたり言われたりしたら不愉快じゃん。ムカムカイライラするじゃん。嫌われるじゃん。
別に嫌われてもしかたない場合もあるけれど安易に嫌われる必要ないじゃん。好きな子にフラれちゃうじゃん。
あと自分自身が『馬鹿』と言われる対象者ではなく、第三者の立場であった場合においても不愉快である場合が多い。
誰かが誰かに『馬鹿』と言われているのを聞いてしまったりする場合だ。陰口であったりした場合などは、なおさら最悪である。
まあ例外もあって、自ら『馬鹿と言われるような行為』を理解したうえで行った場合は別である。
「うわーい今日は白ーしーろしーろ白パーンツー」「ばっっかじゃないのっ!」
とかいった場合は『馬鹿』と言われても仕方がない。自ら解っていてやっているのだ。
しかしこれについてもスカートめくりをした本人が『馬鹿』なのではなく、スカートめくりという『行為』が『馬鹿』なのだ。
なぜなら・・・なぜならスカートをめくった本人は相手の女の子を好きであったりするかもry)
その人自身が『馬鹿』なのではなく『馬鹿』といわれる行為があるだけだ。
『馬鹿』と言われる『人間』があたかも存在し、またそれが当たり前かのように思われているかもしれないが、
それは『馬鹿』と他者に対して言ってしまっている人間が創り出し、短絡的に決定付けてしまっているにすぎない。
この言葉を意識し、本当に考え始めたのはいつだったろうか・・・
やはりトム・ハンクス主演の映画[フォレスト・ガンプ]を見てからだったように思う。
あの映画の主人公は、自分の話し方や行動行為で、他者から絶えず『馬鹿』(gump)と言われていたはずだ。
そして言われるたびに主人公は言い返すのだ。『馬鹿と言う人が馬鹿』であると。
映画を観た方ならわかると思うが、はたして主人公は『馬鹿』であっただろうか。
決してそうではなかったはずである。
昨今インターネットを閲覧していて、とてもよく見かけるのだ・・・短絡的に他者を馬鹿よばわりする人を。
安易にそういった言葉で他者を避難したり卑下したり揶揄したり見下したりする人たちは、自分がされる場合になったら嫌ではないのだろうか。
果たしてその対象者は『馬鹿』と断ずるに値するのであろうか。ただ単に経験が足りなかったり、知識がなかったり、知らないだけだったり、はたまた勘違いをしていたり。
そういった事なだけではないのだろうか。
上記のような状況を私はインターネットや私生活で見聞きしたりする度に、悲しくなったり深く考えたり、気分が悪くなったりするのだ。
そして
嘆かわしいとゆうか悲しいとゆうか驚くのだが、「知識人」と呼ばれている方などに特に多く見うけられる気がする。
ある程度の地位などに就いている方なども、そういった傾向がある気がする。
そしてだ。こういった方々は必ずといっていいほどブーメラン現象をみせてくれたりする。
自分が行っていた行為や言説で、自ら墓穴を掘ったりしてしまうのだ。
はたから見ていて目も当てられない。
最悪な事に、自分が間違ったとしても認めなかったりもする。間違っているのにもかかわらず、自らを省みずに他者を攻撃し続けたりもするのだ。
恥ずかしくはないのだろうか・・・もはやそうゆう感覚もないのだろうか。
それとも自分だけが正しく、まわりは間違っているに決まっていると思い込んでしまっているのだろうか。
他者をすぐ『馬鹿』だと断定してしまう人に、こういった事例が多い傾向があるように思われる。
こういった事こそが愚かで『馬鹿』な行為なのではないのだろうか。
確かに解らなくもないのだ。
知識がある方からすれば、知識がない人は愚かに見えることもあるだろう。
経験を積んだ年長者から見れば、若い人々の行為が愚かに見えることもあるだろう。
知っていて当然だと思う事を知らなければ「え?」っとなる気持ちもわかる。
出来て当然だと思える事ができなければ「なんで?」となる気持ちもわかる。
しかし気をつけて欲しい。果たしてそれは知っていて当然なのだろうか。出来て当然なのだろうか。
知らない事に対して理由があるのではないのだろうか。
出来ない事に対して理由があるのではないのだろうか。
出来る人はできない人の気持ちはわからないのだ。
目が見える人に目が見えない人の気持ちはわからないのだ。
歩ける人に歩けない人の気持ちはわからないのだ。
若い人に年老いてしまって体が不自由な人の気持ちはわからないのだ。
高等数学を苦もなく解ける人に算数でつまずく人の気持ちはわからないのだ。
語学が堪能な人に国語の勉強でつまずく人の気持ちはわからないのだ。
会話が得意な人に吃音で悩んでいる人の気持ちはわからないのだ。
赤ちゃんが何故なくのか日々生活に追われる大人や子育てをしたことのない人にはわからないのだ。
または忘れてしまっているのだ。
まだまだたくさんあるだろうけど、今挙げた例は逆もまた然りなのだ。
経験していない事、出来ない事や立場については理解することは難しい。
きっと何かについて苦もなく出来てしまう人は、出来ないという経験を積む事がないから
悩んだり苦しんだりする気持ちがわからないのだ。
悩んだり苦しんだりという感情を経験してないから、そういった感情自体を知らないかもしれない。
あまりにも出来てしまう人はきっと悩んだり苦しんだりする経験が薄すぎるから、感情が希薄になってしまう事もあるのかもしれない。
怖い事なんだけど、有能だと言われている人にはこうゆう傾向があるように思える。
・・・これはまた別の問題かな。今回の『馬鹿とゆう人が馬鹿』といった問題とは別かもしれない。
さて・・・
しかし、だ。
それら理解できない状況や立場、行動行為、人などを『馬鹿』と断定してしまって良いのだろうか。
切って捨ててしまっていいのだろうか。
理解しようとせずにいていいのだろうか。
それではあまりにも短絡的すぎるのではないだろうか。
思考停止と言えるのではないだろうか。
短絡的にすぐ断定したり、思考を停止させてしまう行為こそが愚かなのではないだろうか。
決め付けや憶測での価値判断こそ『馬鹿』な行為ではないだろうか。
高度な事を教えるのなら段階的に教えればいい。
基礎の事から学ぶように導けばいいだけの話だ。
なぜそうなるのかわからない場合、局所的な事実では見えない事もあるのだから、大局的な捉え方に目をうながすのも良い。
ちょっと立ち止まって思いやったり想像したり、相手の立場になって考えたりしてもいいのではないだろうか。
自分が上手く説明できたりするようになればいいのではないだろうか。努力してみたらいいのではないだろうか。
そういった姿勢や考えこそが賢く、【利口】と言えるのではないだろうか。
ふぅ~・・・ここまで書いてきて今気づいたのだが・・・あまりにもまとまりが無い。
文体、文脈、論理展開など滅茶苦茶じゃないだろうかこれは・・・。
このテーマについてはまたこれからも考察したりしていこうと思っている。
自分が他者にたいして短絡的に『馬鹿』などと言わない人になるために。
だが人に言われるのは好きじゃない。
私は、子供のころからPCを趣味でいじっていた。プログラミングは孤独な私の数少ない趣味の一つだった。問題を立てるのも解決するのも私一人。
大人になって私は職業プログラマになった。当然、チームを組んで働くことになる。だが、子供のころ、一人でプログラミングをやる癖が抜けきらず、他者と一緒に仕事をするのは苦手だった。時には意見が対立して、喧嘩にもなった。
だが、いまはこう思う。私が未熟だった。ソフトウェアを仕事で作るのは必然的にチームワークだ。一人でプログラミングをするときとは、まったく異なる姿勢が必要なのだ。
…とはいえこうとも思う。一人で行動することをずっとしてきた人間がいまさら群れるのも無理というもの。だから、仕事でソフトウェアを作るとはどういうことなのか、ということをきちんと理解したうえで、もういちど一人で仕事をすればいいのだ。これで物事はずっとうまくいくようになるはずだ。
ドキドキプリキュアの敵がやっていることをやればいい。
ドキドキプリキュアを見ていない人間はまずいないと思われるが、一応説明する。
幹部達は、人間の心に自己中心的で身勝手な欲望が芽生えた所に、そのエゴイズムを増幅させるように囁き、欲望で黒く染まった「プシュケー」を抜き出して「ジコチュー」を造り出す能力を持ち、ジコチューを利用して破壊活動させ、キングジコチューの復活のために必要な「ジャネジー」の収集を目的としている。
以上Wikipediaより敵が行う行動の説明。
一読してわかりづらいため以下具体的に説明する。
クルマも来ていないし、渡ってしまおうかと考える(=自己中心的で身勝手な欲望の芽生え)。
そこで普通は「いやいやクルマが来ていないからって信号無視しちゃだめだ」と自制する心理が働く。
しかしドキドキプリキュアの敵はその一瞬のエゴイズムを抜き出し、増長させる。
この場合だと、信号なんか無視しちゃうもんねーと言っちゃって暴走する敵=ジコチューがつくりだされることになる。
閑話休題。
そうすれば、賛否両論あれど、過激な意見にはブクマがつきやすく、ホッテントリ入りも容易だ。
ああ、こんなにも有用なドキドキプリキュアというアニメはなんと素晴らしいのだ。
見ていない人間は人生を10割損していると言っても過言ではないだろう。
ある雨の日に出掛けようとしたとき、初めて異変に気がついた。
地味な傘ばっかりささってる傘立てを華やかにしているはずの一本のピンクの日傘がそこにない。
何故?いつから?ここじゃない家の中のどこかにあるのか?
ないと困る。母親に買ってもらったそれなりの値段がするブランドものの傘である。
失くした?いつ?どこで?
申し訳ない気持ちや、怒られる恐怖や、喪失感、
何より失くした事にすら今まで気がついていなかった自分の脳みそにただ、ただ絶望する。
何故こんなことに。
いつどこで失くしたかもわからないものが、見つかるとは思えない。
もうダメだ。
とりあえずブランド名で検索、財布やら何やらは出てくるけど傘の情報はほとんどないし、
もうダメだ。
この不良品で使い物にならない脳みそをもう一度使って考えてみる。
何処で失くしたか。
基本的に折り畳み傘を使うし、自転車での移動が多い。
この3つが忘れる可能性が高いと思われる。特に前二つが可能性として考えやすい。
最寄り駅沿線が一番可能性が高い。
鉄道会社のホームページを見ると3日保管後、警視庁遺失物センターに保管されるとある。
警視庁遺失物センター…どこで落としたとしても最終的にそこに集まるのか?
だとしたら最初からそこに問い合わせれば事足りるのではないか。
なんせこの大都会東京のあらゆる場所からの遺失物が集まるところなんでしょ??
傘なんて何万本あるんだ?
もう一つの可能性、よく使うバス会社のホームページを見てみる。
遺失物は営業所で保管。営業所は近いぞ!とりあえず営業所に行ってみるか近いし。
窓口が非常に狭い。客が2人いたら満員である。
窓口のお兄さんに用件を伝えると奥にいったっきり暫く出てこない。
「いつ頃失くされました?」
「色は?」
「ピンクです」
ああ、ごめんなさいごめんなさいもういいです諦めます
「あの、ない、ですよね?」
「いや…」
(いや?)
「一件だけそれっぽいのがあるんですよね。骨は多いですか?」
骨の本数なんて覚えちゃいないが(聞かれるとは思わなかった)
「なるほどね」
骨の本数なんて記録してるんだろうか。特徴のポイントとしては盲点だった。
「30日に届けられたもので、日傘じゃなくて普通の傘として届けられてるのですが、取手が薄茶色で、リボンの留め具が付いていませんか?」
!!こっちが伝えてない特徴が出てきたぞ!これは期待できるかもしれない。しかし30日って!全然違うじゃないか自分!
「そうです!」
「警察署に届けてあるのですが、結構前なので、さらにそこから飯田橋の遺失物センターに送られてるかもしれません。とりあえず問い合わせてください。」
受領番号、管理番号、警察署の電話番号が書かれた手書きのメモをくれた。ありがとうお兄さんありがとう。
しかしこれが本当に私のものじゃなかったら?また振り出しに戻る事になる。まだ喜べない。
ここは電話するスペースもないし、天気も悪かったから、駅まで行ってから警察署に電話をかけてみる。
若い女の人の声で、たどたどしく対応してくれた。即刻伺うことにした。
警察署に行くのは免許証の住所変更のときに来て以来である。確かに遺失物コーナーみたいなのがある。
ほいさ、と出てきた傘は私が求めていたそれである。おまえこんなところにいたのか!放っていてゴメンよ!
遺失物届出書っていうのと、受領書っていうのの2つの書類を書かされた。
この遺失物届出書っていうのを書くのがまず最初にやるべきことだったのかもしれない。
やがて雨が止み、傘を2本持って街を歩くボケ女の姿がそこにあった。
我が家の傘立てに華が戻った。
就活とか公務員試験とかがんばって、うまいことどこかに採用されたとする。
その瞬間はすごく嬉しい。さあしっかり働くぞ! と前向きな気持ちで職場へ通い始める。
そのうち仕事をとおしていろんなことがあり、厳しい現実を突きつけられ、苦しんだり乗り越えたり、諦めたりして、辞めたくなって、でも転職してまでやりたいこともないし、とにかくしがみつこう、がんばろうとする。
がんばる方向性を間違うと大変なことになる。抱えなくてもいいはずのストレスを抱えこんで病気になったりする。がんばりかたがうまい人は、折り合いをつけるのがうまい人でもあるので、病気になるパターンは少ない気がする。
「どうする原発・汚染水問題」なるtogetterまとめ(http://togetter.com/li/563302)を読んだ。
二点指摘したい。
朝日新聞の編集委員といえば、日本語のプロのはずだが、理系のおれでさえこの言葉づかいはおかしいと思う。
まあ、意味はわかる。しかし、「傾く」というのは漢詩の「一顧傾人城 再顧傾人国」で使われるように低下するというニュアンスを含む言葉である。こういう不適切な単語を選択してしまうセンスというのはどうなの。「再生可能エネルギーの開発に注力すべし」でいいだろこんなの。
そしてもう一つだが、このまとめは「どうする」と言っておいて現状を記述するだけで終わっている。どうするかは自分で考えてくださいね、とでも言うのか。むろんこれは朝日新聞のいつもの手口であるが、責任あるエネルギー政策などと書きながら自分は無責任極まりない。いかにも野次馬根性、騒げればいいという下劣な品性が丸見えである。
断っておくが品性下劣なのを非難しているのではない。おれだって品性下劣だから増田に書いているのだ。だが、己が品性下劣を恥じる気持ちはないのか(おれにはある。恥ずかしくて匿名のアカウントですら書けないから増田に書いているのだ)。
ようするに、@Nao_Maeda_Asahiは一体何をやりたいのか。実名肩書き丸出しでアカウント名にも_Asahiと入れるアピールっぷりでありながら、「投稿は個人の考え」と予防線を張った上で、内容は毒にも薬にもならない、知ってました、としかコメントしようのない情報の羅列。
投稿は個人の考えだというならもっと踏み込めよ。「再生可能エネルギーに国力を傾けるべし」って、小学校の学級会じゃあるまいし、今さらそんなスローガンを書いて何したいの。消費税増税して全部ぶち込め、とか毎年国債1兆円ずつ積み増して充当しろ、とかもうちょっと何か書くことあるだろ。まあ、サンシャイン計画の惨状を考えると注入した資金に対して充分なリターンが得られるとは考えにくい、というかこれ以上資金を増やしてもまったくのムダ使いだと思うが。
新聞記事が、ある程度どっちつかずの記述になってしまうのは仕方がない。だが新聞記者が個人の責任の上で書きたいことを書いたときに、その内容が「どうすればいいのかみんなで考えましょう」というのはお粗末すぎる。そんな情報、発信する意味あると思ってんのか。セルフまとめしてるんだからあると思ってるんだろうな。おれ今いいこと呟いちゃった!もったいないからまとめようそうしよう!みたいな考えなのか。
増田ではよく「意識が高い(笑)」みたいなことが言われるが、この朝日新聞の記者はいくらなんでも意識が低すぎることであるなあ、と思う秋の夜であった。詠嘆。
所謂どこにでもあるような普通の中小企業で、それよりは割と自由な社風の会社に勤めてる23歳なんだが。
仕事中にどうしてもムラムラすることがある。特に、仕事でイライラしている時。
彼女はいるが、なかなかお互いの都合が合わなくてセックスできない。
風俗行くにも、風俗行く金もないし、あったとしてももったいないと思って行けない。
AVは、TSUTAYAで借りてきたやつをリッピングしたもの(※DRMかかってないからリッピングは違法ではない)が1TB近く()あり、
毎日家で抜いてるのだが、正直飽きてきた。
というか、AV見過ぎてもうどれもありきたりで抜けない。xvideo探すのもめんどくさいし、2次元も飽きた。
上のように1TB近くAVの在庫があるのは異常だが、仕事中にムラムラくる経験は男女問わずきっと誰にでもあるはず。
30歳ぐらいの年上おねーさんに搾り取られる願望が止まらず業務が時々ストップするぐらいの状態が極稀にある。
勿論、そういう経験は無いので願望で終わるし、そういうのは暫くすると治まって、業務に戻るんだけど。
どうやってそれを抑えこんでる?走ってくるとか?